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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第7回 [2023.7.16]
第二巻 天七代 とこ酒の文 (2)
著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com
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あめななよとこみきのあや (その2)
天七代 とこ酒の文 https://gejirin.com/hotuma02.html
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まさかきの うゑつきゐもに みつるころ
よつきのをかみ うひちにの すひちおいるる
さいあひの そのもとおりは
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真榊の 植え継ぎ五百に 満つる頃
代嗣の男尊 ウビチニの スヒヂを入るる
最愛の そのもとおりは
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■真榊・真賢木 (まさかき) ■鈴木 (すずき) ■鈴 (すず)
真榊は1年に1穂(半寸)枝が伸び、60年で3尺に伸びて極まり、同時に新たな枝が生えます。
6万年かけて3尺の枝が1000本になると、寿命が尽きて枯れるという木です。
ですから真榊の枝の数と長さを見れば時間の経過がわかります。
このため国家の公式の暦として利用されました。別名 鈴木(すずき)・鈴(すず)
です。
マサカキ/マサカ は 「回転・巡回・繰り返し」
が原義で、これは コヨミ(暦) の原義と同じです。
よってマサカキは 「暦・暦の木」
という語義なのですが、辞書の 真榊・真賢木
の当て字を
本講座でもそのまま使ってます。
■植え継ぎ五百に満つる (うゑつぎゐもにみつる)
真榊は999枝60穂の年に種を植えて植え継ぎを行いますが、その植え継ぎも500回が限度で、
その後は稀に自生する別の苗木を探さねばならないようです。また真榊の植継ぎは
天(=国君) の専業とされました。そのため “五百継ぎ天の真榊”
とも呼びます。
真榊を500回植え継ぐことは、6万年×500=3000万年
に相当します。
その始点はどこかといえば、太古、トホカミヱヒタメ8尊の
ヱの尊 と トの尊の
二兄弟が
協力して日本を治めていた時から数えた年数のようです。
この鈴は 天地開く トコタチの 宮の真榊 “熟枝”
千枝に “幸鈴” となる
植え継ぎの 五百に至れば 三百ハカリ 万歳満ちて “五百継ぎの 天の真榊”
年の穂の 十年には五寸 六十年に 三尺伸ぶ
ヱトの 一巡り 明くる年成る
三尺の熟枝 なれば二兄弟(ゑと) キアヱより 枝と穂と数え 〈ホ28-1〉
太古、ヱの尊とトの尊が植えた真榊は、ウビチニ&スヒヂの時代に
植え継ぎが500回の限界に達し、累計年数が一旦リセットされています。
■ウビチニ
トヨクンヌ
の後を継いで日本の国君となった尊です。
ホツマ18アヤには トヨクンヌの皇子(みこ) と記されます。
トヨクンヌ 百余る子も 天に逝き 天並の八神 三十二神
皇子ウビチニは モモヒナに 最愛なして 〈ホ18-2〉
トヨクンヌの時代までは 独神
で、人間に男女の別は存在しなかったわけですから、
人類初の男性ということになります。記紀には 泥土煮尊
/ 宇比地邇神 と記されます。
■スヒヂ
ウビチニが妻とした女の名です。
トヨクンヌの時代までは人間に男女の別は存在しなかったわけですから、
人類初の女性ということになります。記紀には 沙土煮尊
/ 須比智邇神 と記されます。
記紀では “スヒヂニ” ですが、ホツマ・ミカサでは
“スヒヂ“ であることに
留意する必要があります。
■最愛 (さいあひ・さいあい)
サイアヒ は サヒアフ(▽触ひ合ふ・▽侍ひ合ふ)の名詞形で、
サヒアフは ソヒアフ(添ひ合ふ) の変態です。
ですから サイアヒ は 「添い合い・結び付き・結合」
などの意です。
ウビチニとスヒヂは人類初の夫婦となります。アダムとイヴ
の日本版
と考えていいでしょう。この夫婦以降、国君は男女一対の
木実 となります。
■もとおり (▽回・▽廻)
モトオル(回る・廻る)
の名詞形で、「回る・一回りして元にもどる・回帰する」
などが原義です。
よって モトオリ は
「回帰する所・原点・基・由来・由緒」
などの意を表します。
モトヰ(基)、モト(基・本・元)
などの同義語です。
【概意】
真榊の植え継ぎが500回に満ちる頃、
代嗣の男尊ウビチニの、スヒヂを妻に入れる結び付きの由来は、
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こしくにの ひなるのたけの かんみやに
きのみおもちて あれませは にわにうゑおく
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越国の ヒナルの岳の 尊宮に
木の実を以て 生れませば 庭に植えおく
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■越国 (こしくに)
“越根(こしね)の国” の略で、今の北陸地方をいいます。
現在の福井県・石川県・富山県・新潟県、少し古い言い方だと、
若狭・越前・加賀・能登・越中・越後です。
★越根の国・▽還根の国 (こしねのくに・こゑねのくに)
コシ/コヱ(越し/越ゑ・▽還)は 「巡り・回転」
が原義で、この場合は 「太陽の巡回」 を意味します。
ネ(根)は 「根源・原点・始点」。よって “越根の国”
とは 「太陽の巡回の始点の国」 という意です。
太陽は東から上って西に沈みますが、その始点は北です。(北より来たりて北に返る)
ですから “越根の国” は 「北の国」、つまり
「北陸地方」 を指します。
根の国(ねのくに)、根(ね)、還(こゑ)、越(こし)
などと簡略されます。
コヱ(▽還)は、カヱル(還る)の “カヱ” の変態です。
■ヒナルの岳の尊宮 (ひなるのたけのかんみや)
ヒナルは ヘナル(隔る)
や ヒナブ(鄙ぶ)
の変態で、「離れる・外れる・端にある」
などが原義です。ですから “ヒナルの岳” は
「国の外れにある山」 という意味です。
カンミヤ(上宮・官宮・▽尊宮) は 「御上の宮」
の意で、「皇宮」 の換言です。 ▶御上
“ヒナルの岳” は 福井県越前市の 日野山(795m)
を指します。
越前富士とも呼ばれ、麓には4社の日野神社が存在します。
日野神社
(ひのじんじゃ)
越前国丹生郡。福井県越前市荒谷町22-1。
現在の祭神:百日諾(ももひなぎ)命、百日册(ももひなみ)命、他
■木の実を以て生れます (きのみおもちてあれます)
「木の実の形を以て
(=用いて) お生まれになる」、つまり
「木の実の姿で顕現なさる」
という意に解釈しています。 ▶生れます
【概意】
越国の外れにある山の尊宮に、木の実の姿でご誕生になったため、庭に植えおく。
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みとせのち やよいのみかに
はなもみも ももなるゆえに もものはな
ふたかみのなも ももひなき ももひなみなり
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三年後 三月の三日に
花も実も 百成るゆえに “百の木”
二尊の名も “百雛木” “百雛実” なり
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■百成る (ももなる)
「100個ほどもなる・たくさん実る」 という意です。
★百 (もも・も・を)
(1) 100。 (2) 数の多いことを示す語。
■百の木・桃の木 (もものはな)
よって “百の木” は
「花と実がたくさんなる木・繁栄の木」 という意です。
木は 「大地から放つ (はなつ) もの」 という意から、“ハナ”
とも呼ばれます。
■百雛木 (ももひなき) ■百雛実 (ももひなみ)
ウビチニ と スヒヂの幼名です。モモ(百)は
「たくさん・繁栄」 の意。
ヒナ(雛・鄙) は 「下・末・隅にあるさま」
が原義で、ここでは 「幼いさま」 を表します。
名の最後の キ(木) と ミ(実)
は、「男尊と女尊」 を表します。
【概意】
三年後の三月の三日に、花も実も百ほどもなるゆえに、“モモ(百)の木”
と名付け、
二尊の名も モモヒナギ(百雛木) と モモヒナミ(百雛実)
なり。
尊宮に出現した木の実を庭に植えたら、育った木が男君となり、
その果実が女君となったという、衝撃的な男女の誕生説話ですが、
旧約聖書の アダム&イヴ
の誕生説話に非常に近いものがあります。
そこでは
アダムは土のちりで創られ、イヴはアダムのあばら骨から
創られたと語られています。
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ひなはまた ひとなるまえよ
きみはその きのみによりて
をかみはき めかみはみとそ なつきます
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雛はまだ 人成る前よ
君はその 木の実によりて
男尊は ‘キ’ 女尊は ‘ミ’ とぞ 名付きます
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■雛 (ひな) ■人 (ひと)
ヒナ(雛・鄙)は 「下・末・隅にあるさま」
が原義で、ここでは 「幼いさま」 を表します。
ヒト(人)は ヒツ(秀づ・▽至つ) の名詞形で、「至るさま」
を表すと考えていますが、
ホツマ4アヤには 次のような説話もあります。
和つ君 一(ひ)より十(と)までを 尽すゆえ “ヒト” に乗ります 〈ホ4-5〉
この論に則れば、ヒナは “一七” で、「一から七までの者・七分目の者」 でしょうか。
■人成る (ひとなる)
少年少女が 「成人する・一人前になる」
の意に使う場合が多いのですが、
この場合は 「モモの木と実が人間になる」
という意味であるように思います。
な〜に、イモ虫が蝶に変じることを疑問にも思わぬ我々ですから、
木が人に変じたとしても、まったく驚くにあたりません。
【概意】
雛はまだ人となる前よ。
君(キミ)は その “木の実” によって、男尊は ‘キ’、女尊は
‘ミ’ と名付きます。
身を分け生ふる 木の実ゆえ 木実(きみ)は男女尊 〈ホ1-3〉
夫婦君の名に ‘キ’ ‘ミ’
と付ける例は、モモヒナキ&モモヒナミ
の他に、
イサナキ&イサナミ があります。
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ひとなるのちに やよいみか みきつくりそめ たてまつる
ももとにくめる みきにつき うつりすすむる
めかみまつ のみてすすむる
のちをかみ のみてましわる とこのみき
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人成る後に 三月三日 酒 造り初め 奉る
桃下に酌める 酒に月 映り進むる
女尊まず 飲みて進むる
後 男尊 飲みて交わる “融の酒”
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■人成る後 (ひとなるのち)
これも 「モモの木と実が人間になった後」
の意に解しています。
■酌める (くめる)
クム(酌む・汲む)
の連体形です。
★汲む・酌む (くむ)
クフ(焼ぶ・▽配ぶ)
の変態で、「くばる・くべる・注ぐ」 などが原義です。
■酒に月 (みきにつき)
器に注いだ酒に逆さの月が映ります。
“酒注ぎ” と “逆月”。これが サカヅキ(杯・盃)
の語源のようです。
■進むる・勧むる (すすむる)
ススム(進む・勧む)
の連体形が他動詞として独立したもので、今風には “ススメル”
です。
ここでは 「気分を進める・気分を高める」
の意に解しています。
■融の酒・融酒 (とこのみき・とこみき)
トコは トク(溶く・融く) の名詞形で、「(女男を)
融和する酒」という意です。
トコサカヅキ(床杯)
という言葉が現在もありますが、奥にある意味はこれです。
■交わる (まじわる)
ここでは 「性交する」 の意です。
【概意】
人となった後の三月三日、造り初めの酒を献上すれば、
モモの木の下、酌む酒に月が映って気分を進める。
まず女尊が飲んで気分を高め、後に男尊が飲んで交わる “融の酒”。
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みあつけれはや あすみあさ さむかわあひる
そてひちて うすのにこころ またきとて
なもうひちにと すひちかみ
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身 熱ければや 明す三朝 冷む川 浴びる
袖 漬ぢて “ウス” の和心 全きとて
名も “ウビチニ” と “スヒヂ” 尊
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■熱ければや (あつければや)
「熱いからであろうか」 という意です。
ばや 〈広辞苑〉
(接続助詞バに係助詞ヤのついたもの)
・活用語の已然形について、既定条件をあげ、下に疑問の意を伴う。
…から…のだろうか。
■明す三朝 (あすみあさ)
「翌三朝・続く三朝」 の意です。
★あす (▽明す) ★朝 (あさ) ★明日 (あす)
「一巡して還る・改まる・更新する」
などが原義で、アクル(明くる)・ヨク(翌) と同義です。
アス(▽明す) の名詞形が アサ(朝)、また アスカ(▽明す日)
の略が アス(明日) です。
■冷む川・寒川 (さむかわ)
これは特定の川を指すものではなく、「熱さを冷ます川水」
の意と考えます。
■袖漬づ (そでひづ)
ヒヅ(漬づ・▽卑つ・▽冷つ)
は 「下る・沈む・湿る・冷える」 などが原義で、
この場合は 「袖を水に沈める・袖が水に濡れる」
という意です。
天地創造
の過程で、軽く上った陽
は 空と風と火
に分かれ、
重く下った陰 は 水と埴
に分かれました。それゆえ、男尊(陽)が
“袖を水に沈める”
というのは、「下った陰と交わる」 ことを象徴します。
■ウスの和心 (うすのにこころ)
「陽陰/男女の和合の本質」 という意です。
ウスは ウ(▽上・▽大)+ス(▽下・▽小) で、天地創造
の過程において、
軽く上って天となった
「陽」と、重く下って地となった
「陰」 を意味します。
“ウ” は ウヱ(上)・ウホ(大) などの略、“ス” は スヱ(末)・スヒ(垂)
などの略です。
ニ(▽和・似) は ニル(似る) の名詞形で、「合う/合わすさま・和合」
が原義。
ココロ(心)は 「回帰/帰還する所」
が原義で、「中心・本質・本源」 を表します。
★心 (こころ)
コク(転く)+コル(転る)
の短縮 “ココル” の名詞形で、コルは コロガル(転がる)
の
母動詞です。両語とも 「回る・一回りしてもとに還る」
という意です。
ですから ココロ(心) は
「回帰する所・本源・中心・本質・本性」
などが原義です。
■全き (またき)
マタシ(全し)
の連体形が名詞化したもので、「完全であるさま・完璧であるさま」
を意味します。
マタシ の連用形が マタク/マッタク(全く)
です。
■ウビチニ (▽泥因)
「陰/女と因む者」の意で、史上初めて女性と交わった モモヒナキ
の成人後の名です。
天地創造
の過程で、陽は 空と風と火
に分かれ、陰は 水と埴
に分かれます。
ウビ(泥)とは 「水と埴の混合」 をいいますから、これは
「陰/女」 の換言です。
チニ(▽因)は チナミ(因み)
と同じです。
また ウビチニの ‘ウ’ は ウス(上下・陽陰・男女)
の ‘ウ’ に音を合せています。
■スヒヂ (▽水土)
スヒ(垂・水)+ヒヂ(土) の短縮で、「水と埴」
を意味します。
史上初の女性である モモヒナミ
の成人後の名です。
スヒ(垂・水) は スユ(饐ゆ・▽垂ゆ)の名詞形、ヒヂ(土)
は ヒヅ(漬づ)
の名詞形で、
どちらも 「下る・沈む・湿る・劣る・衰える」
などが原義です。
土=埴 ですから、スヒヂは ウビ(泥:水と埴の混合)
の同義語で、「陰/女」 を意味します。
また スヒヂの ‘ス’ は ウス(上下・陽陰・男女)
の ‘ス’ に音を合せています。
★水 (みづ/すひ・すい)
“水” には2つの概念があります。
(1) 下に降ったもの
これは 天地創造
の過程で、重い陰が “下降して生じたもの”
という概念で、垂(すい)・末(すえ) と同じです。
(2) 上澄み・純粋・精髄・透明
こちらは
ビーカーに入れた泥水をかき混ぜて、しばらく放置した後の
“上澄みの透明な部分” という概念です。これは “水”
であると同時に
瑞(みづ)・蜜(みつ)であり、また 粋(すい)・髄(ずい)・瑞(ずい)
です。
【概意】
身が熱かったからであろうか、男尊は翌三日の朝、川の冷水を浴びる。
その時に袖を水に沈めるが、それは ウス(陽陰/男女)の和合の本質に
まったく適うと、名もウビチニ尊、またスヒヂ尊とした。
このウビチニの水浴びが、今日も行われている 水祝
の起源となります。
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これもうひにる ふることや おおきすくなき うすのなも
このひなかたの をはかむり うおそてはかま
めはこそて うはかつきなり
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これも泥和る 振言や 大き・小なき “ウス” の名も
この雛形の 男は冠 大袖・袴
女は小袖 上被衣なり
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■泥和る (うびにる)
ウビ(泥) は 「陰/女」 を表します。
ニル(▽和る・似る) は 「合わす・寄す・和合する」
などが原義です。
ですから「陰/女を寄せる・陰/女と和合する」という意になります。
これは ウビチニ(泥因) の名の意味と同じです。
■振言 (ふること)
「めでたい言葉・吉祥の言葉・慶賀の言葉」 をいいます。
フル(▽振) は フル(振る)
の名詞形で、「勢いづくさま・栄えるさま」 を表し、
“◯◯選手は今日は振るわず” とか、“不振”
とか言う場合の “振” と同じです。
■大き小なきウス (おおきすくなきうす)
“大き小なき” は ウス(▽上下)
の意味を説明するもので、
「上下・高低・大小・陽陰・男女」 などを意味します。
ウビチニ・スヒヂ の名も 「陽陰/男女とその和合」
を表したものです。
したがってウスは 夫婦一対の君を意味する キミ(木実)
の換言です。
■この雛形 (このひながた)
“雛形” とは 「雛を形に表した物」
です。人を形に表したのが “人形” ですので、
“雛形” は 「年少の人を形に表した物」
をいい、つまりは 「雛人形」 です。
“この雛形” とは 「モモヒナギ/モモヒナミをモデルとした人形」
ということです。
■大袖 (うおそで) ■小袖 (こそで) ■被衣 (かづき)
雛人形に着せる 大袖
と 小袖
は、“大き小なきウス”
を袖口の大きさで表したものです。
被衣
は 「頭を覆うようにして纏う衣」 をいいます。
【概意】
これ (ウビチニという名) も “陰/女と和合する”
という吉祥の言葉である。
大小 を意味する “ウス” も同じ。
この二尊をモデルとする雛人形の、男には
冠と大袖と袴を着せ、
女には 小袖とその上に被衣を着せる。
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このときに みなつまいれて
やそつつき もろたみもみな つまさたむ
あめなるみちの そなわりて たくひなるより としかそえ
ゐもつきあまの まさかきや
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この時に 皆 妻入れて
八十続き 諸民も皆 妻定む
陽陰和る道の 備わりて 類 成るより 年数え
“五百継ぎ天の 真榊” や
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■八十 (やそ)
これは 「供や臣を表すお決まりの数」 です。
ヤソベ(八十侍)、ヤソガミ(八十守)、ヤソドモ(八十供)、ヤソモノベ(八十モノベ)
などともいいます。
■陽陰和る道 (あめなるみち)
「陰陽和合の道」
です。「魂と魄の和合の道」 と言ってもいいです。
ここでは 「天界の神霊が人として地上に生まれ来る道」
と考えてください。
ウビチニとスヒヂ が
男と女に分かれて生まれてきて、ようやく今の人間と同じく、
男女の交わりによって子孫を生むようになりますが、それ以前にも子孫を生む
別の道があったはずで、それも含めての、人の生まれ来る道をいいます。
★魂(たま) と 魄(しゐ) ★タマノヲ (▽霊の結・霊の緒)
“魂” は 陽霊 (陽性のエネルギー体)、“魄” は 陰霊 (陰性のエネルギー体)
です。
魂と魄を “タマノヲ” で結ぶことで 霊(たま)
となり、これが人の生命と心情を生みます。
タマは “魂” と “霊” の2種あることに注意が必要で、タマ(魂)+シヰ(魄)=タマ(霊)
です。
また シヰ(魄) は肉体の元になるため、「陰霊」
をいう他に 「身体・肉体」 を表す場合があり、
やはりその区別に注意を要します。タマシヰ は おおよそ
魂魄(こんぱく) と同じ概念です。
・陽陰より授く 魂と魄 結ぶ命の 霊・中子 〈ホ17-8〉
・神とモノ 魂・魄 結び 霊の緒と 〈ミ6-6〉
こんぱく【魂魄 hun po】〈世界大百科事典〉
人間の精神的肉体的活動をつかさどる神霊、たましいをいう。
古代中国では、人間を形成する陰陽二気の陽気の霊を魂といい、陰気の霊を魄という。
魂は精神、魄は肉体をつかさどる神霊であるが、一般に精神をつかさどる魂によって
人間の神霊を表す。人が死ぬと、魂は天上に昇って神となり、
魄は地上に止まって鬼となるが、特に天寿を全うせずに横死したものの鬼は
強いエネルギーをもち、人間にたたる悪鬼になるとして恐れられた。
人の死後間もなく、屋上から死者の魂を呼びもどす招魂や鎮魂の習俗儀礼は、
こうした観念から生まれたものである。
■五百継ぎ天の真榊 (ゐもつぎあまのまさかき)
「500回という植え継ぎの限界に達した御上の真榊」
の意で、
冒頭の “真榊の 植え継ぎ五百に 満つる頃”
を言い換えたものです。
その時に男女の性別が分かれ、別個体の男女の交わりによって
子孫をつくるようになったことをいいます。
【概意】
この時に皆も妻を入れて、
まず臣たちが君に続き、諸民もみんな妻を定めた。
神が世に生まれ来る道が備わり、人の類が地上に現れて以来、
年を数えれば、“五百継ぎ天の真榊” や。
本日は以上です。それではまた!