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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第20回 [2023.8.1]

第五巻 和の枕言葉の文 (3)

著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com

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 わかのまくらことばのあや (その3)
 和の枕言葉の文 https://gejirin.com/hotuma05.html
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 ゆつのつけくし おとりはお たひとしみれは うちたかる
 いなやしこめき きたなきと あしひきかえる
―――――――――――――――――――――――――――――
 髻の黄楊櫛 辺歯を 灯とし見れば 蛆たかる
 「いなや醜めき 汚なき」 と 足引き帰る

―――――――――――――――――――――――――――――

■髻の黄楊櫛 (ゆつのつげくし)
「髪を束ねるツゲ櫛」 または 「髪飾りとしてのツゲ櫛」 をいいます。

 ツゲクシ(黄楊櫛) は 元来は ツケクシ (接げ櫛:髪を束ねる櫛) の意で、
 その材として好適な木が ツゲ(黄楊) と名づけられたと考えています。

 ★髻 (ゆつ)
 ユヅ(茹づ) の名詞形で、「上・髪・高・頭」 などを原義とし、
 「束ねた髪・髻・髷」 を意味します。そのため “髻” と当て字してます。 ▶髻 ▶髷

 ★櫛・串・髪 (くし)
 コス(越す) の変態 “クス” の名詞形で、「通り越す物・さし通す物・つらぬく物」 が原義です。
 クシ(髪) は 「他を越える所・上・頭」 を意味し、ゆえに カミ(上・髪) ともいいます。


■辺歯・劣り歯 (おとりは)
「櫛の両端の歯」 をいいます。オトリ(劣り) は ここでは 「末・隅・下・端」 の意です。
辞書に ホトリハ(辺歯) という語があるため、“辺歯” と当てています。

 ほとりは【辺歯・雄柱】〈広辞苑〉
 櫛の両端の太い大きい歯。


■灯・手火 (たひ)
辞書は 手火 と宛てて、「手に持って照らすたいまつ」 と説明していますが、
筆者は トウ(灯) の変態と考えています。つまり単に 「明かり」 の意です。
トウ(灯) は おそらく トボシ(灯) の “トホ” でしょう。


■いなや (否や)
今風には 「いや〜っ」 で、イナム(辞む・否む) さまを表します。
イナムは 「離す・避ける・遠ざける」 などが原義です。

 
醜めき (しこめき)
シコメ+シ(▽如・▽然) の連体形で、シコメ は “しかめっ面” の シカメ の変態。
シカメ は シカム(顰む) の名詞形です。
ですから 「しかめっ面になる如し・目を背けたくなる如し・みにくい」 などの意です。

 
汚なし (きたなし)
キダ(段)+ナ(無)+シ(▽如・▽然) で、キダ(段) は 「わかち・区別・分別・弁別」 などが原義。
ですから 「見分けがつかない・区別できない・分別がない」 などの意となります。

 きだ【段】〈広辞苑〉
 ・わかち。きれめ。わかれめ。


■足引く・足退く (あしひく)
「足を後ろに引く」 という意で、これは今風には 「手を引く」 といいます。
つまり、あきらめて 「しりぞく・後退する」 ということです。

 

【概意】
髪に挿した黄楊櫛の辺歯を灯して見れば、ウジがたかっている。
「いやーっ 醜い!汚い!」 と、足を後ろに引いて帰る。



―――――――――――――――――――――――――――――
 そのよまた かみゆきみれは
 かなまこと いれすはちみす わかうらみ
 しこめやたりに おわしむる
―――――――――――――――――――――――――――――
 その夜また 神行きみれば
 「要真 容れず恥見す 我が恨み
 鬼霊八人に 追わしむる」
―――――――――――――――――――――――――――――

■神行きみる (かみゆきみる)
“神” は この場合は イサナキの神霊 をいいます。よって カミユク(神行く) とは、
「神霊が肉体を抜け出て 黄泉(=冥界) に行く」 ということで、つまり幽体離脱です。
ミル(見る) は “やってみる” の ミル で、「する・試す・実施する」 などの意です。


■要真 (かなまこと)
同義語の連結で、「本質的な事実・真実」 などの意です。

 ★要・兼 (かな)
 カヌ(兼ぬ) の名詞形で、「中にあるさま・中心的・本質的・肝」 などの意。
 カナメ(要) と同じです。

 ★真 (まこと)
 マク(巻く)+コツ(▽越つ) の短縮 “マコツ” の名詞形で、コツ は コス(越す) の変態。
 両語とも 「回る・行き来する・還る・回帰する」 が原義です。
 ですから マコト は 「回帰する所・源・中心・本質・髄」 などを意味し、
 ココロ(心)モトオリ(回り)サネ(核・実) などと同義です。


■恥・辱 (はぢ)
ハヅル(外る)・ハヅス(外す) の母動詞 “ハヅ” の名詞形で、
「離れ/離し・逸れ/逸らし・外れ/外し・曲り/曲げ」 などが原義です。
つまり、「それて外れるさま・そらし曲げること・逸脱・歪曲」 などをいいます。


■恨み (うらみ)
「悪く思う心・貶める心・みさげる心・さげすむ心」 などをいいます。

 ウル(▽憂る)+アム(▽零む) の短縮の名詞形で、両語とも 「下がる/下げる」 が原義です。 
 ウル は ウレフ(憂ふ) の母動詞、アム は アユ(零ゆ) の変態です。


■鬼霊 (しこめ)
「劣る霊・下等な霊・悪霊・邪霊」 を意味します。
マガツヒ(曲つ霊)、オニカミ(鬼神)、アレモノ(粗モノ)、ハハ、イソラ、オロチ など、
同義語が多数あります。

 シコ は シク(敷く) の名詞形で、「下にあるさま」 をいい、メ(霊) は ミ(霊) の変態です。
 「劣る霊・愚かな霊・邪霊・悪霊」 などを意味します。よって “しこめし” の シコメ とは
 原義が異なります。辞書は シコに “” と当てているので、それを流用しています。

 しこ【醜・鬼】〈広辞苑〉
 ・頑迷なこと。醜悪なこと。憎みののしったり、卑下したりする場合に用いる。

 

【概意】
その夜、今度はイサナキの神霊が冥界に行ってみると、
イサナミは 「真実を受け入れず、恥をさらす我が恨み。鬼霊8体に追わしめる。」



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 つるきふりにけ えひなくる しこめとりはみ さらにおふ
 たけくしなくる これもかみ またおひくれは
 もものきに かくれてももの みおなくる てれはしりそく
 えひゆるく くしはつけよし もものなお おふかんつみや
――――――――――――――――――――――――――――――
 剣振り逃げ 葡萄投ぐる 鬼霊 取り食み さらに追ふ
 竹櫛投ぐる これも噛み また追い来れば
 桃の木に 隠れて桃の 実を投ぐる てれば退く
 「葡萄ゆるく 櫛は黄楊よし 桃の名を “追ふ/穢ふ神潰” や」
――――――――――――――――――――――――――――――

■剣 (つるぎ)
現在では、それぞれ形状や使用目的が異なる物と考えられていますが、
矛 (ほこ:ほころばす物)、太刀 (たち:断つ物)、槌 (つち:治めるもの) の別名です。
剣(つるぎ) の名については 23アヤで詳しく語られます。


葡萄 (えび)
アヒ(合ひ)、アミ(編み) の変態で、「集まり」 を意味し、フサ(房・総) の換言と考えます。

 エビ(海老) も同根で、フシ(節) と同義です。つまり多くの節からなる動物をいいます。
 また アミ(醤蝦)=エビ(海老) です。


■てれば (照れば)
「それに照らせば・それに鑑みて・それに応じて」 などの意を表します。


■追ふ神潰/穢ふ神潰 (おふかんつみ)
「追ってくる邪霊を潰すもの」 という意に解しています。

 “追ふ神” に “穢ふ神” の意を掛けていて、いずれも 8体の シコメ(鬼霊) を指します。
 オフ(▽穢ふ・瘁ふ) は オヱ(汚穢) の母動詞で、「曲る・逸れる・外れる」 などが原義です。
 ツミ(▽潰・詰み) は ツム(詰む) の名詞形で、「終らすもの・つぶすもの」 という意です。

イサナキはこの名を桃の木に授けました。古事記は 意富加牟豆美 と記します。
この由緒により、桃は魔除けとして 鬼門の方向に植えられるようになります。

 

【概意】
イサナキは剣を振り回して逃げ出す。
葡萄を投げつけると鬼霊はそれを取って食い、さらに追ってくる。
竹の櫛を投げれば、それも噛み砕き、また追ってくるので、
桃の木に隠れて桃の実を投げると、反応して退く。
「葡萄は効果が緩く、櫛は黄楊が良い。桃の名を “追う神潰/穢ふ神潰” や。」


 
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 いさなみと よもつひらさか ことたちす いさなみいわく
 うるわしや かくなささらは ちかふへお ひひにくひらん
 いさなきも うるわしやわれ そのちゐも うみてあやまち
 なきことお まもる
―――――――――――――――――――――――――――――
 イサナミと 黄泉辺境 言立ちす イサナミ曰く
 「麗しや かく為さざらば 千頭を 日々にくびらん」
 イサナキも 「麗しや 我 その千五百 生みて誤ち
 無きことを 守る」

―――――――――――――――――――――――――――――

■黄泉辺境 (よもつひらさか)
「黄泉の縁の境界」 という意で、「冥土と現世の境目」 を意味します。
ヒラ(▽辺) は ヘリ(縁) の変態、サカ(境) は ここでは 「境界」 を意味します。
記紀には 黄泉比良坂/黄泉平坂 と記されます。

 ★黄泉 (よもつ・よみ)
 ヨモツは ヨム(▽弱む)+モツ(没つ) の短縮の名詞形で、両語とも
 「下がる・低まる・衰える・沈む」 などを原義とし、これは 天地創造の過程
 下降した 「陰・地」 を意味します。ヨム(▽弱む) の名詞形が ヨミ(黄泉) です。
 場所的には おそらく地球の 「地下・土の底」 をいい、「下方冥土」 と同じです。
 人の死後、魂と魄は 陽陰(日・月)に、肉体は 黄泉(土)に還ると考えられています。

  身は黄泉 心は陽陰に 還え生れ 〈ミ4-2〉

 
★境 (さか)
 サク(割く・裂く) の名詞形で、「分け・区切り・区分・区画」 などが原義です。
 冊(さく)、柵(さく)、“行き先” の サキ(先) などは変態です。

 さか【境】〈広辞苑〉
 
さかい。区画。複合語として用いる。


■言立ち (ことたち)
「言を立てること・言明すること」 をいい、 「宣言・宣誓」 と同じです。
コトアゲ(言挙げ)コトダテ(言立て) ともいいます。
これにどういう意味があるのかについては こちら を参照願います。


■麗し (うるわし・うるはし)
ウルフ(潤ふ)シ(▽如・▽然) で、「高まる如し・活を得る如し・栄える如し」 などの意です。


■千頭 (ちかふべ・ちかうべ)
カフベ は 頭(かしら) の換言ですが、この場合は 「民の頭」 を意味します。
つまり 民を束ねて治める 「臣・守・司」 をいいます。よって 「1000人の臣」 という意です。

 ★頭 (かふべ・かうべ)
 カフ(高・甲・顔)+ベ(辺・部) で、カフ は カフ(▽上ふ) の名詞形で、カミ(上) の変態。
 「上にあるさま・表にあるさま・上部・表部」 が原義です。


くびる (括る・縊る)
「締める・閉める・終らせる」 などが原義で、つまり 「殺す」 ということです。
この名詞形が クビレ(括れ) で、「締まり」 の意です。

 クフ(▽交ふ・食ふ)+イル(入る) の短縮で、クヒイル(食い入る) の他動詞形です。

 

【概意】
黄泉の縁の境界にてイサナミと宣誓を交わす。
イサナミ曰く、
「麗しや。こうしてくれなかったら、日々千人の臣を殺すところでした。」
イサナキも、
「ああ麗しい。我は千五百人の臣を生んで、誤ちの無きことを守る。」

  
 この宣誓は トホコ(経矛)の道 を守り続ける強い決意を表すものです。
 イサナミを失ったイサナキは、神霊となって (幽体離脱して) イサナミに会いに行きます。
 しかしイサナミはイサナキを受け入れず、8体の鬼霊を駆使して、イサナキを黄泉辺境の
 “この世側” まで押し戻します。

 イサナミの真意は 「アマテル神を君とするまでは、イサナキが一人で国家を治めていかなければ、
 他に代りはない。今ここでイサナキまで世を去れば、オモタル政府断絶後の秩序のない国家に
 逆戻りしてしまう」 ということでした。イサナキも この真意を悟り、経矛の道を堅持して国家を
 治めてゆくことを確認する この宣誓に至るのです。

 イサナミが 日々千人の臣を殺す というのは、“矛の道” を意味します。
 たとえ大事に育てた臣民でも、曲り外れたならば、容赦なく綻ばすということです。
 このためイサナミは 死後 クマノカミ(隈の神・曲の神) と呼ばれます。
 “曲りを滅ぼす神” という意で、これが ミクマノ(御熊野) の地名の語源です。

  一姫三男尊 生みて余の 君・臣の充ち 調の教え 逆り惇らば 綻ばす 〈ホ3-3〉

 イサナキが 日々千五百の臣を生むというのは、“調の教え” を意味します。
 日々千人の臣を失うような事態に備えて、日々千五百人の臣を育てるため、
 “調の道” を教え続けるということです。
 このためイサナキは 死後 タガノカミ(治曲の神) と呼ばれます。
 タガ(治曲) とは “調の教えによって曲りを治す” という意で、
 これが タガ(多賀) の地名の語源です。

  一姫三男尊 生みて余の 君・臣の充ち 調の教え 逆り惇らば 綻ばす 〈ホ3-3〉

 二尊の この “言立ち” は、ここの文章だけでは意味が掴みにくいと思いますが、
 23アヤにおいて アマテルが再度この意味について解説します。



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 よもつの ひらさかは いきたゆるまの かきりいわ
 これちかえしの かみなりと くやみてかえる もとつみや
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 黄泉の 辺境は 生き・絶ゆる間の 限り結
 「これ霊還しの 守なり」 と くやみて帰る 元つ宮
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■生き・絶ゆる間 (いきたゆるま)
「生きと絶えの間・生死の境目」 という意味です。


■結 (いわ)
イフ(▽結ふ) の名詞形で、イフ は ユフ(結ふ) の変態です。
「結び・ゆわえ・締め・閉め」 などの意を表します。

 イフ(言う)=ユフ(言う)、イク(行く)=ユク(行く) であるように、
 “イ/ヰ” と “ユ” は 互いによく入れ替わります。


■霊還しの守 (ちかえしのかみ)
人が死ぬと、その神霊はあの世に還るわけですが、その 「神霊の帰還を管理するもの」
という意味で、黄泉の辺境=限り結 の換言です。 ▶霊(ち)


■くやむ (悔やむ)
「振り返る」 が原義です。この場合は 「悔いる・くよくよする」 の意を含みません。


■元つ宮 (もとつみや)
モトツ は 「元の」 と同じです。ミヤ(宮) は ここでは 「入れ物・器」 を意味します。
ですから 「元の器」 の意で、この場合は イサナキの神霊を収めている 「肉体」 をいいます。

 

【概意】
黄泉の辺境は、生死の境を限る〆である。 
“これは霊還しの守であった” と振り返って、元の器に戻る。



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 いなしこめきお そそかんと おとなしかわに みそきして
 やそまかつひの かみうみて まかりなおさん
 かんなおひ おおなおひかみ うみてみお いさきよくして
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 否・醜めきを 濯がんと オトナシ川に 禊して
 八十曲つ霊の 神生みて 曲り直さん 
 “曲ん直霊” “汚穢直霊” 神 生みて身を 潔くして
―――――――――――――――――――――――――――――

■否・醜めき (いな・しこめき)
黄泉の 鬼霊 に受けた 「汚穢・隈」 をいいます。

 イナ(否) は イヌ(往ぬ・去ぬ) の名詞形で、「嫌なもの/こと・避けるべきもの/こと」 をいい、
 シコメキ(醜めき) も同じです。「汚穢」 を意味します。

 
濯ぐ (そそぐ)
ススグ(濯ぐ) の変態で、ユスグ(濯ぐ)イスグ(濯ぐ) ともいいます。
いずれも 「あらためる・回帰させる・還元する・次へ回す」 などが原義です。

 ★濯ぐ (すすぐ)
 スス(▽進す)+スグ(過ぐ) の短縮で、スス は ススム(進む) の母動詞。
 両語とも 「回す・還す・送る・あらためる・再生させる」 などが原義です。
 この場合 スグ(過ぐ) は 「1周目を過ぎて 2周目に入る」 ことを意味します。


■オトナシ川 (おとなしがわ)
オト(劣)+ナス(▽和す/済す)+カワ(川) で、「汚穢を濯ぐ川」 の意です。
和歌山県本宮町を流れ、熊野川に注ぐ 音無川(おとなしがわ) を指すものと思います。


禊 (みそぎ)

■八十曲つ霊 (やそまがつひ)
「数多くの邪霊」 という意味です。

 ヤソ(八十) は 「数の多いこと」 を表します。
 マガツヒ(曲つ霊) は 「曲った霊・邪霊」 の意です。
 ヒ(霊) は 「神・霊」 の同義語です。


■神生む (かみうむ)
“神” は 「八十曲つ霊」 をいいます。
“生む” は、この場合は、禊して除いた 「汚穢が邪霊に化ける」 という意味です。


■曲ん直霊 (かんなおひ) ■汚穢直霊 (おおなおひ)
カンナオヒ は 「曲を直す神霊」、オオナオヒ は 「汚穢を直す神霊」 の意でしょう。
名前の上では2つに分けていますが、どちらも同じです。

 ナオヒ(直霊) は 「直す神霊」 という意味です。
 カン(曲ん) は カノ(曲の) の音便。また オオ は オヱ(汚穢) の変態と考えます。


■潔し (いさぎよし)
イサ(▽濯・諌)+キヨ(清)+シ(▽如・▽然) で、イサ と キヨ は同義語です。
どちらも 「曲り/濁りのないさま・まっすぐなさま・調うさま・澄むさま」 を意味します。
ですから “いさぎよし” は 「直り調う如し・澄み切る如し」 などの意となります。

 

【概意】
「汚穢・隈を灌がん」 と、オトナシ川に禊すれば、
<除いた汚穢・隈から> 八十の邪霊が生れる。その邪霊の曲りを直さんと、
“曲の直霊” と “汚穢直霊” の神霊を生んで、身を潔くして、



―――――――――――――――――――――――――――――
 のちいたる つくしあわきの みそきには
 なかかわにうむ そこつつを つきなかつつを うわつつを
 これかなさきに まつらしむ
―――――――――――――――――――――――――――――
 後到る 筑紫アワキの ミソギには
 ナカ川に生む 底ツツヲ 次 中ツツヲ 上ツツヲ
 これカナサキに 纏らしむ
―――――――――――――――――――――――――――――

■アワキ (和来)
アワキは 復橘の和来宮(ヲトタチバナノアワキミヤ) の略です。
二尊が九州に巡幸した際に、九州平定の拠点とした宮でした。
復橘 は 「トコヨの道の復活」、和来宮 は 「和つ君が来たる宮」 の意です。

 小戸大神宮 (おとだいじんぐう)
 福岡県福岡市西区小戸2-6-1。
 現在の祭神:天照皇大神、手力雄命、拷幡千々姫命
 ・伊奘諾は筑紫の日向の橘の小戸の檍原(あはきはら)で禊する。
  その時に警固三神・志賀三神・住吉三神が出現したとする由緒の地。


■禊 (みそぎ)
ミソギ は 「曲りを直して調和すること」 をいいますが、ここでは川で禊することを、
その川が流れる地域に 「調和の道を敷くこと」 になぞらえています。


■ナカ川 (なかがわ)
ナカ は ナグ(和ぐ) の名詞形で、「和し調える川・調和の川」 の意と思います。
これは福岡市内を流れる 那珂川 をいうのでしょう。


■底(そこ)ツツヲ ■中(なか)ツツヲ ■上(うわ)ツツヲ
イサナキがナカ川で禊して生んだ、3人の 「地守」 です。
地守(くにかみ)とは 「地方の国を治める司」 をいいます。
“生む” というのは 「その地の統治者として中央政府が任命した」 ということでしょう。
記紀には 底筒男命、中筒男命、表筒男命 と記され、一般に “住吉三神” と呼ばれます。


 ★ツツヲ・ツツ・ツチ
 ツツフ の名詞形で、ツツフ は ツツム(包む) の変態です。
 「統べ・まとめ・纏り・治め」 などを意味します。“ツツ”  “ツチ” と略します。
 ウワツツヲ=イワツチ(磐土)、ナカツツヲ=アカツチ(赤土)、ソコツツヲ=シホツチ(塩土)
 と考えられています。 ▶國學院大學神名データベース


カナサキ

■纏らしむ (まつらしむ)
マツル(纏る)+シム(使役) で、「まとめさせる・統括させる」 の意です。

 住吉神社 (すみよしじんじゃ)
 筑前国那珂郡。福岡県福岡市博多区住吉3-1-51。 
 現在の祭神:底筒男命、中筒男命、表筒男命
 <筆者注> 本来の祭神は スミヨシ (=カナサキ) だったはずです。

 

【概意】
その後に筑紫のアワキ宮に御幸し、
ナカ川での禊に 底ツツヲ・中ツツヲ・上ツツヲ の地守を生み、
この三人をカナサキにまとめさせる。



―――――――――――――――――――――――――――――
 またあつかわに そことなか かみわたつみの みかみうむ
 これむなかたに まつらしむ
―――――――――――――――――――――――――――――
 またアツ川に 底と中 上ワタツミの 三守生む
 これムナカタに 纏らしむ
―――――――――――――――――――――――――――――

■アツ川 (あつがわ)
アツ は アツミ と同義で、「集め・束ね・統べ」 を意味するかと考えますが、
よくわかりません。宗像神社近くの川ではないかと思いますが未確認です。


■ワタツミ (海集み・▽海統み)
ワタ(海)+ツミ(集み) で、「海を統べる者」 という意です。
ツミ は ツム(集む) の名詞形で、「集め・束ね・統べ」 などを意味します。
 
 ★ワタ (綿・海・腸・▽腑) ★ウミ (埋み・海)
 ワタ(綿・腑・海) は ワス/ワツ(和す) の名詞形で、「合わせ」 を原義とし、
 「中に詰めるもの・空きを埋めるもの」 をいいます。
 綿(わた) は 衣服の中を埋めるもの、腸/腑(わた) は 腹の中を埋めるもの、
 海(わた) は 地の窪みを埋めるものです。また 海(うみ) は 「埋み」 が原義です。


■ムナカタ (宗像・▽宗方)
この人物については記が少なく、あまりよくわかりませんが、
カナサキやアヅミと同族です。彼らの先祖は船を発明しました。

 宗像大社 (むなかたたいしゃ)
 筑前国宗像郡。福岡県宗像市田島/大島。 
 現在の祭神:田心姫神、湍津姫神、市杵島姫神
 <筆者注> 本来の祭神は ムナカタ だったはずです。

 

【概意】
またアツ川に禊して、底・中・上ワタツミの3守を生み、
これはムナカタにまとめさせる。



―――――――――――――――――――――――――――――
 またしかうみに しまつひこ つきおきつひこ しかのかみ
 これはあつみに まつらしむ
―――――――――――――――――――――――――――――
 またシガ海に シマツヒコ 次 オキツヒコ シガの守
 これはアヅミに 纏らしむ
―――――――――――――――――――――――――――――

■シガ海 (しがうみ)
福岡市の志賀島付近の海域、つまり今の 「博多湾」 をいうものと思います。


■シマツヒコ ■オキツヒコ ■シガの守 (しがのかみ)
大昔に船を発明した3人と同じ名前ですので、その3人の子孫と考えられます。

 シマツヒコ─オキツヒコ─シガ─?─?─?─カナサキ

 船はいにしえ シマツヒコ 朽木に乗れる 鵜の鳥の アヅミ川行く
 イカダ乗り 棹差し覚え 船となす 子の
オキツヒコ 鴨を見て 櫂を造れば
 孫の
シガ 帆ワニ成す 七代 カナサキは オカメを造る 
〈ホ27-3〉


■アヅミ (阿雲・安曇・▽集み)
カナサキ、ムナカタ、シマツヒコ、オキツヒコ、シガ の同族です。
この一族の先祖は、近江の安曇川付近を領する守だったようです。

 志賀海神社 (しがうみじんじゃ)
 筑前国糟屋郡。福岡県福岡市東区志賀島877。 
 現在の祭神:表津綿津見神、仲津綿津見神、底津綿津見神
 ・神裔 阿雲族により奉斎される。
 <筆者注> 本来の祭神は アヅミ だったはずです。

 

【概意】
またシガ海に禊して、シマツヒコ・オキツヒコ・シガの守 の3守を生み、
アヅミにまとめさせる。


 イサナキが再度九州に来た理由は、一時は治まった九州がまた背いたということだと
 思います。(九州はそういう土地柄で、時代が下ってもずっと反乱を起し続けます。)
 そのため、九州土着の守としては中央政府に従順なツツヲ族だけを残し、それ以外は、
 中央から派遣した守による統治を目指したものと考えます。そうして派遣された守が
 船の臣である、ワタツミ3守とシマツヒコ・オキツヒコ・シガの3守。それを統括するは
 ムナカタとアヅミです。ツツヲ3守は中央政府重鎮のカナサキにまとめさせ、さらに
 カナサキには九州統治の総統を兼ねさせたと、おおよそこんな風に推測しています。

 昔、アメカガミ尊 が九州平定に赴く時、船が必要ですから、船を発明したシマツヒコ・
 オキツヒコ・シガあたりは アメカガミ尊に同行したと考えます。平定後、その子孫の
 一部は九州に土着して繁栄、その末がムナカタとアヅミではないかと推測しています。
 この推測が当たっているかはともかく、この時点での九州の統治体制は次の通りです。

 

    カナサキ───┬──────┬──上ツツヲ
   (ツクシ御使)  │      ├──中ツツヲ
           │      └──底ツツヲ
           │
           ├─ムナカタ─┬──上ワタツミ
           │      ├──中ワタツミ
           │      └──底ワタツミ
           │
           └─アヅミ──┬──シマツヒコ
                  ├──オキツヒコ
                  └──シガの守

 

本日は以上です。それではまた!

 

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