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一から学ぶ みかさふみ講座 第1回 [2022.1.4]

みかさふみ序 クニナツが宣ぶ (1)

著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com

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 新年あけましておめでとうございます。
 本日よりみかさふみの講座を開始いたします。
 ホツマツタヱは分量が多いため、前の講座では若干急いだ感を
 否めないのですが、ミカサやフトマニは量的にも少ないため
 ゆったりあせらず、雑談なども多く交えながら進めたいと思います。
 配信は不定期ですが、おおむね週1回程度を目標としています。

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 くになつかのふ (その1)
 クニナツが宣ぶ https://gejirin.com/mikasa00.html
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 くになつかのふ
 かみかよの とほこのみちも ややさかふ
 かれおをさむる やまとたけ かみにかえさの のこしふみ
 きみはみはたお そめませは とみもみかさの ふみおそむ
 をおたたねこも ほつまふみ そめささくれは
 みくさのり そなふたからと みことのり
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 クニナツが宣ぶ
 上が代の 経矛の道も やや離ふ
 枯れを治むる ヤマトタケ 神に還さの 遺し文
 君は “御機” を 染めませば 臣も “ミカサの 文” を染む
 オオタタネコも “ホツマ文” 染め捧ぐれば
 「三種法 備ふ宝」 と 御言宣
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■クニナツ
ミカサフミの編纂者である オオカシマ(ヲオカシマ・ヲヲカシマ) の
斎名(いみな・いむな)です。斎名は 「斎む名・大切な名」 という意味で、
本名・実名をいい、非常に重要な人物のみ その斎名が明かされます。
ミカサカシマとも呼ばれ、アマノコヤネの子孫であり、
すなわちかつての 「鏡の臣」 の末裔です。
他文献では 国摩大鹿島(くになずおおかしま)命 と記されます。

 アマノコヤネ─オシクモ─アメタネコ─ウサマロ … … … オオカシマ

 
■上が代 (かみがよ)
今に言う 上代(じょうだい) で、「先の時代・古き時代」 を意味します。
上の代(かみのよ) とも 上代(かみよ) とも呼ばれます。

 
■経矛の道 (とほこのみち)
「経(=法)を教え、それに逆らうものは綻ばす」 という統治原則ですが、
ここでは 「国を束ね治める道・国家統治の道」 の意に使われています。

 かつて中央政府の皇統がオモタル&カシコネの代で途絶え、国家が秩序を
 失ってバラバラになった後、イサナキ&イサナミの二尊は、経矛の道に
 よって秩序を回復し、分裂した国々をふたたび国家としてまとめました。
 ゆえに “上が代の経矛の道” とは、二尊が成し遂げ、その後の治世の
 基礎となった、「統一国家の道」 をいうと考えていいでしょう。
 

■離ふ (さかふ)
サカル(離る・逆る)の変態で、「離れる・遠のく・後退する」 などの意です。
これは後の代 (垂仁天皇の時代あたり) になって、中央政府の統治に背く
国々 (クマソや蝦夷) が出てきたことをいうと考えられます。
 

■枯れ (かれ)
「経矛の道 (国家統治の道) の廃れ」 をいいます。
 

■ヤマトタケ (大和長)
景行天皇の次男オウス (長男のヲウスとは双子) の別名です。
オウスは西のクマソと東のヱミシを平定した後、まもなく世を去るのですが、
クマソ討伐の折、敵の首長トリイシカヤがその最期にオウスに捧げた称え名です。
ホ40アヤの記述によれば、「ヤマトの国で唯一 我に長けたる者」 という意です。

 タケルが曰く 「ヤマトには 我に長けたは 御子ばかり
 故 御名付けん 聞きますや」 許せば捧ぐ “ヤマトタケ”  〈ホ40-2〉

記紀は 倭建命/日本武(やまとたける)の命/尊 と記します。
“タケ” は タク(長く)の名詞形、“タケル” は タケル(長ける)の名詞形です。
したがってどちらも 「長けたる者」 を意味し、原義的には同じですが、
“タケル” は、多く 「敵対する集団の首長」をいう場合に用います。
 

イクメイリヒコ─┐
 (垂仁天皇)  ├─ヤマトヲシロワケ(景行天皇)
ヒハス姫────┘     ┃
              ┃         ┌ (1)ヲウス
キビツヒコ─────イナヒヲイラツ姫[内宮1] ──┴ (2)オウス(ヤマトタケ)
              ┃
ヤサカイリヒコ───ヤサカイリ姫[美濃内侍]───┬ (3)ワカタリヒコ
              ┃[→典侍→内宮2]  ├ (4)ヰモキヒコ
              ┃         ├ (5)ヲシワケ
              ┃         ├ (6)ワカヤマトネ
              ┃         ├ (7)オオスワケ
              ┃         ├ (8)ヌノシ姫
              ┃         ├ (9)ヌナキ姫
              ┃         ├(10)カノコヨリ姫
              ┃         ├(11)ヰモキ姫
              ┃         ├(12)ヰソサチヒコ
              ┃         ├(13)キビヱヒコ
              ┃         ├(14)タカキ姫
              ┃         └(15)オト姫
              ┃
イワツクワケ────ミヅハイラツメ[ミオの典侍]──(16)ヰモノ姫クスコ
              ┃
ニシキイリヒコ───ヰカワ姫[典侍]───────┬(17)カンクシ
              ┃         └(18)ヰナセヒコ
              ┃
アベコゴト─────タカタ姫[内侍]────────(19)タケコワケ
              ┃
曽於タケ────┬─タケ姫[内侍]────────┬(20)クニコリワケ
        │     ┃         ├(21)クニチワケ
        │     ┃         ├(22)ミヤチワケ
        │     ┃         └(23)トヨトワケ
        │     ┃
        └─ミハカセ姫[内さま]──────(25)トヨクニワケ
              ┃
日向カミナガ────ヲタネ姫[乙下]────────(24)ヒウガソツヒコ

                            ほか総勢81人
 
■神に還さの (かみにかえさの) 
カエサは カエス(返す・帰す・還す)の名詞形で、カエシ(返し)の変態です。 
今風には カエリ(帰り) となります。 
ですから 「神にもどる時の・世を離れる際の」 という意です。

 【帰さ】かえさ  (広辞苑)
 帰る時。帰りみち。帰ること。かえるさ。     

 
■御機 (みはた) 
ヤマトタケの遺し文に従って 景行天皇が自ら著した書の名で、 
正確には “カグミハタ(橘御機)” というようです。 
 

■臣 (とみ)
ここでは 「臣の身分の者が “自分” をいう場合の謙称」 です。
この場合の “自分” はオオカシマを指します。
 

■三種法備ふ宝 (みくさのりそなふたから) 
「君と鏡臣と剣臣の三つの心が一つになる法を備えた宝」 という意で、 
君(景行天皇)の著した 「橘御機」 と、オオカシマの著した 「ミカサ文」 と、 
オオタタネコの著した 「ホツマ文(=ホツマツタヱ)」 の3書を指します。
“三種法” の意味については、ニニキネが三種宝を受ける時の、
アマテルの次の御言宣に集約されます。

 かの鳥の 形はヤタミ 頭は君 鏡は左羽 剣 右羽 モノノベは足  
 鏡臣 すえ滅ぶれば 民 離れ 日月 踏まれず 
 剣臣 すえ滅ぶれば モノベ割れ 治を奪わるる
 ヤタ臣は 繁生ふ春の 民業を 鑑みる目ぞ
 垣臣は 汚曲を枯らし モノノベの 力守る手ぞ
 この故に 三種を分けて 授く意は 永く一つに 和る由を
 アヤに記して 御手づから 文を御孫に 授けます
 セオリツ姫は 御鏡を 持ちてカスガに 授けます
 ハヤアキツ姫は 御剣を 持ちてコモリに 授けます  〈ホ24-2〉

 

【概意】
クニナツが述べる。
上代の統一国家の道もしだいに後退し、
その廃れを治めたヤマトタケの、神に返りの遺し文により、
君(景行天皇)は “御機” を記しませば、臣も “ミカサの文” を記す。
オオタタネコも “ホツマ文” を記して献上すれば、
「三種法の備わる宝」 と御言宣。



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 しかれとかみよ ゐまのよと ことはたかえは みちさかる
 これもろいゑの つたえふみ いまのてにはに なつらえて
 かたちとわさと そのあちお とくとゑされは
 みちのくお ゆきたかふかと おそるのみなり
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 しかれど上代 今の代と 言葉違えば 道離る
 これ諸家の 伝え文 今のテニハに なづらえて
 形と技と その味を とくと得ざれば
 道奥を 行き違ふかと おそるのみなり
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■道離る (みちさかる)
上代と今の代では言葉自体が違うので、今の言葉に翻訳すればどうしても 
「道(=教え)の解釈に多少のずれが生じてしまう」 ということです。

 【離る】さかる  (大辞泉)
 離れる。隔たる。遠ざかる。


■諸家の伝え文 (もろいゑのつたえふみ)
ホツマツタエの序文に言う “今 世に残る家々の文”、“七家の記し文” と
同じものを指すと考えられます。

・今 世に残る 家々の 文もそれぞれ 変りある  〈ホ序〉
・総て七家の 記し文 異なりがちは これに知れ 〈ホ序〉


■テニハ (弖爾波・手爾波)
助詞の ‘て’ ‘に’ ‘は’ をいい、
転じて 「言葉の使い方」 を意味します。
テニオハ(弖爾乎波・天爾遠波)とも呼ばれます。


■道奥 (みちのく)
「満ち極まり」 が原意で、ここでは「真髄・奥義・極意」などの意です。
ミチノオク(道の奥)の短縮と考えてさしつかえないと思います。



【概意】
しかれど上代と今の代とでは言葉が違うため、
どうしても教義が多少ずれてしまう。
諸家の伝え文はこれ、今の言葉使いに擬えているが、
これではもともとの形と技と味を篤と得られぬゆえ、
奥道を行き違うかとおそれるのみなり。



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 まきむきの ひしろのゐそみ としつみゑ ほつみはつひに
 みかさとみ いせのかんをみ をおかしま ふもゐそなとし
 ささくはなをし
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 マキムキの ヒシロの五十三 年ツミヱ 八月初日に
 ミカサ臣 妹背の上臣 ヲオカシマ 二百五十七歳
 捧ぐ花押
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■マキムキのヒシロの五十三 (まきむきのひしろのゐそみ)
「マキムキのヒシロ宮を都とする御代の53年」 の意で、
「景行天皇の53年」 と言うのと同じです。

 ★マキムキのヒシロ
 景行天皇の都で、現在の奈良県桜井市穴師が伝承地です。
 穴師の相撲神社から西へ100メートルほどのところに石碑が立ちます。
 日本書紀は 纒向日代宮(まきむくのひしろのみや) と記します。


■ツミヱ (つみゑ)
我が国本来の干支の表し方で、今の表し方だと 「ひのえ寅」 に当たります。
60年で一周する3番目です。干支(ゑと)の原義は 「上下・兄弟・陽陰」 です。
https://gejirin.com/src/Ho/hotumaweto.html


■八月・▽秀つみ (ほつみ)
ホツミは ホツム(▽秀つむ) の名詞形で、「行き着くこと・至り・極まり」 などを原義とし、
ここでは 「あがり・成果・果実・収穫」 などを意味します。
それゆえ刈り入れの月である陰暦8月を “ホツミ” とも呼びます。

 現在も “八月一日” と書く苗字があり、ほづみ/ほずみ さんといいます。
 ついでに言うと、“四月一日” は わたぬき さんです。
 

■ミカサ臣 (みかさとみ・みかさをみ)
オオカシマの祖先であるアメタネコが世を去った時に、
綏靖天皇がウサマロに賜った姓です。
ミカサ(▽神交)は、「神との交わり・神の纏り」 を意味します。

 アメタネコ更る 百八十七 骸納む ミカサ山 カスガの殿に 合ひ纏る
 “ミカサ” の姓 ウサマロに 賜ひて称ゆ ミカサ臣
                    〈ホツマツタヱ講座31アヤ-5〉

 アマノコヤネ─オシクモ─アメタネコ─ウサマロ … … … オオカシマ


■イセの上臣 (いせのかんをみ)
「イセの神宮でアマテル神の “妹背の道” を教える長老の臣」 をいい、
オオカシマがこれに就いています。この役職の初代はアマノコヤネでした。

 ★イセ (▽妹背・伊勢)
 イセは イモセ(妹背)の短縮で、「陰陽とその和合」 が原義です。
 日(太陽)と月(太陰)の大神霊が和合して世に顕現したアマテルは 
 “妹背の神” とも呼ばれ、その住む国は “妹背(伊勢)の国” と呼ばれます。
 

■花押 (はなをし)
「花文字(装飾文字)による押手(署名)」 をいい、後世の 花押(かおう) です。
これは 「華を添えること・はなむけ・景気づけ」 の心を表すモノザネと
考えています。

 ★モノザネ (物実)
 形の無い思いや心を、より現実的で確固たるものにするために、
 語呂合せや類似の性質を以て、置き換える物品や行為をいいます。
 平たく言えば 「心を形で表したもの」 です。
 辞書は “物種” の同義語と説いていますが、これは正しくありません。

 

【概意】
マキムキヒシロの53年ツミヱ 八月初日に
ミカサ臣でイセの上臣のヲオカシマ257歳が
捧ぐ花押。
 
  ミカサ文はホツマツタヱに比べると誤写が多いのですが、
  ここに記されている日付や年齢も誤写である可能性が高いです。
 
    × 53年ツミヱ      →  〇 56年ツミヱ
    × ヲオカシマ257歳  →  〇 ヲオカシマ247歳


以上がミカサ文の編者オオカシマの筆による序文でした。
このあとにホツマツタヱの編者オオタタネコによる推薦文が続きますが、
それはまた次回に。

 

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