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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第135回 [2024.3.18]
第二五巻 ヒコ尊 ちを得るの文 (1)
著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com
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ひこみことちおゑるのあや (その1)
ヒコ尊 ちを得るの文 https://gejirin.com/hotuma25.html
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ひこみことちおゑるのあや
みそふすす こもゑふそみほ うつきはつ
わけいかつちの あまきみは ふかきおもひの あるにより
おおしまおして あわうみの みつほのみやお つくらしむ
なれはひおみて うつらんと
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ヒコ尊 ちを得るの文
三十二鈴 九百枝二十三穂 四月初
ワケイカツチの 天君は 深き思ひの あるにより
オオシマをして アワ海の ミヅホの宮を 造らしむ
「成れば日を見て 移らん」 と
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■ヒコ尊 (ひこみこと)
ニニキネの三つ子の3男、ヒコホオデミ(斎名ウツキネ)に対する敬称です。
■ちを得る (ちおゑる)
本文中で説明します。
■三十二鈴九百枝二十三穂 (みそふすずこもゑふそみほ) ▶数詞
真榊(=鈴木)による暦法で、1鈴=6万年、1枝=60年、1穂=1年
です。
ウビチニ&スヒヂの時代に植え継ぎが500回の限界に達し、累計年数が
一旦リセットされていますので、この暦の起点はその頃と考えられます。
以来ホツマに暦年の記載されている出来事を振り返ると、次の通りです。
・21鈴125枝31穂 | アマテル誕生。 | ・21鈴126枝58穂 | アマテル即位。 | ||
・22鈴505枝1穂 | トヨケ帰天。 | ・24鈴999枝60穂 | 六ハタレ蜂起。 | ||
・25鈴93枝37穂 | カシマ直ち開始。 | ・25鈴100枝11穂 | オシホミミ即位。 | ||
・25鈴100枝28穂 | アマノコヤネ結婚。 | ・25鈴130枝58穂 | アマテル下り居。 | ||
・26鈴16枝41穂 | テルヒコ大和国へ。 | ・26鈴17枝23穂 | ニニキネがニハリ宮を建てる。 | ||
・29鈴501枝38穂 | ニニキネ三種を受け八州巡幸に出発。 | ・ちょうど30鈴頃 | 地上ほつま出現。 |
■オオシマ
この人物がミヅホ宮の建設に当たったようです。今日この名は知られていませんが、
延喜式人名帳に記載される 近江國蒲生郡大島神社 の
「大島神」 は この人物を指すのかもしれません。
大嶋奥津嶋神社
(おおしまおくつしまじんじゃ)
滋賀県近江八幡市北津田町529。
現在の祭神:〈大嶋神社〉 大國主命
〈奥津嶋神社〉奧津嶋比賣命
・かつて日牟礼八幡宮の地にあった大島神社と、琵琶湖の沖島にあった奥津嶋神社を現在地に合祀。
■アワ海 (あわうみ:▽和海)
■ミヅホの宮 (みづほのみや)
ニニキネは国家首都をホツマ国のハラアサマ宮からここに移そうと考えます。
ニニキネが近江の国を開発していた時、“ミヅホ”
と名づけた仮宮 の跡に、
新たに建設した宮/都と考えられます。
ミオのチワキも 田はここに これ鏡なり 仮宮を “ミヅホ” と名付く 〈ホ24-3〉
■日を見る (ひおみる)
「暦のヱトやフトマニに吉日を選ぶ」
ということだと思います。
【概意】
ヒコ尊 ちを得るの文
32鈴900枝23穂の4月1日。
ワケイカツチの天君は深い考えがあって、
オオシマをしてアワ海の “ミヅホの宮” を造らせる。
「完成したら日を見て移ろう」 と。
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さきにたらちを ひたるとき はこねのほらに いりますお
ははちちひめは ことありて いせにいたりて
をんかみに あさゆふつかえ まつらしむ
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さきにタラチヲ ひたる時 ハコネの洞に 入りますを
母チチ姫は 言ありて イセに到りて
御神に 朝夕仕え 奉らしむ
―――――――――――――――――――――――――――――
■ひたる
■ハコネの洞 (はこねのほら)
「ヰツヲバシリの洞穴」
の別名です。
■チチ姫 (ちちひめ)
ニニキネの母 「タクハタチチ姫」
の略です。
ヤソキネ─タカキネ─タクハタチチ姫┐ ├クシタマホノアカリ(斎名テルヒコ) サクラウチ─セオリツ姫┐ │ │ ├ニニキネ(斎名キヨヒト) ├オシホミミ┘ イサナギ┐ │ ├─アマテル─┘ イサナミ┘
■言 (こと)
「オシホミミの遺し言」 だと思います。 ▶遺し言
■朝夕 (あさゆふ)
「朝から晩まで・つねに・いつも」 などの意です。 ▶朝
夕(ゆふ)は 夜半(よは)、宵(よひ)、夜(よる)
などの変態です。
■仕え奉らしむ (つかえまつらしむ)
「お仕え申させる」 という意です。
このマツル(奉る)は
他の動詞の下に付いて謙譲の意を表し、“しむ”
は使役です。
【概意】
さきに父オシホミミが一生を終える時
ハコネの洞に入りますが、
その遺言により、母のチチ姫をイセに到らせ
御神に朝夕お仕え申させる。
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そよろとしへて いまかれに はこねにもふて ぬさささけ
それよりいせに みゆきなる をんかみおよひ ちちひめお
おかみてあわの みつほくに みやうつしなる
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十万年経て いまかれに ハコネに詣で 幣 捧げ
それよりイセに 御幸なる 御神および チチ姫を
拝みて アワの ミヅホ国 宮移し成る
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■いまかれに
今の辞書にはありませんが、「あらためて・久しぶりに」
という意です。
イマ(今)は 「回転・改め・繰り返し」 が原義。
カレは カル(▽転る・駆る)の名詞形で、やはり
「回転・繰り返し」 が原義です。
■ハコネに詣づ (はこねにもふづ)
「ハコネ神に参拝する」 という意です。 ▶ハコネ神 ▶詣づ
■アワのミヅホ国 (あわのみづほくに)
“アワ” は 「アワ海」
の略。“ミヅホ”
は 「水のほとり・水辺」 の意です。
これも 近江(をうみ・あふみ)
を表す国名の1つです。
【概意】
10万年を経て、あらためてハコネに詣でて幣を捧げ、
それよりイセに御幸し、御神およびチチ姫を拝みて、
アワ海の水辺の国へと宮移しが成る。
この遷都により、名実ともにニニキネの朝廷が中央政権となったと考えていいと思います。
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むめひとは はらにととまり まつりこと こやねあつかり
ものぬしは ともなすゆえに みそくいお そえものぬしと
はらのもり
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ムメヒトは ハラに留まり 纏り事 コヤネ預かり
モノヌシは 供なすゆえに ミゾクイを 副モノヌシと
ハラの守り
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■ムメヒト (梅人・梅仁)
ニニキネとアシツ姫の三つ子の長男 ホノアカリ
の斎名です。
アマテル─┐ ├オシホミミ┐ セオリツ姫┘ ├┬クシタマホノアカリ ││ タカキネ──チチ姫──┘└ニニキネ ┌ホノアカリ(斎名ムメヒト) ├───┼ホノススミ(斎名サクラギ) カグツミ───マウラ──┬アシツ姫 └ヒコホオデミ(斎名ウツキネ) │ └イワナガ
■ハラ (▽孕)
「ハラ宮・ハラアサマ宮」
の略です。
ミヅホの宮に遷都するまでは ここが国家首都でした。
ニニキネがミヅホの宮に都を移すと、長男ムメヒトがハラ宮に留まり、
ホツマ国の主として2代目の ハラ皇君
となりますが、それに伴って
ハラアサマ宮も ムメオオミヤ(梅皇宮)
と呼ばれるようになります。
■纏り事・政 (まつりごと)
■コヤネ
アマノコヤネの略で、斎名はワカヒコ、幼名はカスガマロ。
ニニキネの 左の臣(=祀りの臣・鏡臣・ヤタ臣)
です。
┌フツヌシ ??┤ └アサカ姫┐ ├──アマノコヤネ ツハヤムスビ──??──ヰチチ─┘ │ (ココトムスビ) │ │ トヨケ─??─ヲバシリ─タケミカツチ───ヒメ
■預かり (あづかり)
■モノヌシ
3代オオモノヌシの コモリです。斎名はミホヒコ、幼名はヨロギマロ。
オオモノヌシは中央政府の 右の臣(=剣臣・垣臣・モノヌシ)
を兼任します。
イサナギ ┌ソサノヲ─オホナムチ(初代モノヌシ) ├──-┤ ├───クシヒコ(2代モノヌシ) ┌イサナミ └アマテル──タケコ │ │ ├──ミホヒコ(3代モノヌシ) │ │ トヨケ┴ヤソキネ──タカキネ───────ミホツ姫
■ミゾクイ・ミゾクヒ (溝構い)
コモリの11男 ミシマ
の別名で、「ミゾ(溝)を構ふ者」
という意です。
ミゾ(溝)は 「池や川」
をいいます。ニニキネの八州巡幸に同行し、
高島では
曲野・よろき野を田とするため、弟のオオタと共に池・川を掘っています。
曲野・よろき野 田にせんと オオタ・ミシマが 井・川 成す 〈ホ24ー2〉
┌─────────┐ ├9.タケフツ ├10.チシロ ├8.ヤサカヒコ ├11.ミシマ(ミゾクイ) ├7.ナラヒコ ├12.オオタ ├6.コセツヒコ ├13.イワクラ ├5.チハヤヒ ├14.ウタミワケ ├4.ヨテヒコ ├15.ミコモリ ├3.ヨシノミコモリ ├16.サギス スヱツミ─イクタマヨリ姫 ├2.ツミハ ├17.クワウチ ├──────┴1.カンタチ └18.オトマロ クシヒコ──コモリ
箕島神社 (みしまじんじゃ)
近江国高島郡。滋賀県高島市安曇川町三尾里558。
現在の祭神:事代主命
<筆者注> ここも本来の祭神はミシマだったと考えられます。
事代主命(=ツミハ)と ミシマの混同は
あちこちに例があります。
溝咋神社 (みぞくいじんじゃ)
摂津国島下郡。大阪府茨木市五十鈴町9-21。
昔の祭神:(上の宮):媛蹈鞴五十鈴媛命、溝咋耳命、天日方奇日方命
(下の宮):玉櫛媛命
【概意】
ムメヒトはハラに留まり、政はコヤネの預かり。
モノヌシは君の供としてミヅホ宮に同行するため、
ミゾクイを副モノヌシとなしてハラの守りを固める。
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にはりにいます すせりみや むかしのあとに いまつくる
うかわのみやに うつります
ふたあれすその うつみやは おおつしのみや いまつくり
これたまわりて うつります
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ニハリに居ます スセリ宮 昔の跡に いま造る
ウカワの宮に 移ります
二荒裾の ウツ宮は オオツシノ宮 いま造り
これ賜わりて 移ります
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■ニハリ (和治) ■居ます・坐す
(います・ゐます)
■スセリ宮 (すせりみや) ■スセリ
ニニキネとアシツ姫の三つ子の2男 ホノススミの別称です。
スセリ草(=白ひげ草)によって回虫を掃いて長寿を得たため、この別称が付きます。
サクラギ カニの 曲なせば スセリ草にて カニ掃きて 曲枯れ癒ゆる 名もスセリ 〈ホ24ー6〉
アマテル─┐ ├オシホミミ┐ セオリツ姫┘ ├┬クシタマホノアカリ ││ タカキネ──チチ姫──┘└ニニキネ ┌ホノアカリ(斎名:ムメヒト) ├───┼ホノススミ(斎名:サクラギ) カグツミ───マウラ──┬アシツ姫 └ヒコホオデミ(斎名:ウツキネ) │ └イワナガ
■昔の跡 (むかしのあと)
「ウカワ仮屋の跡」
という意味です。
神の御孫の 御幸なす ウカワ仮屋に 御饗して 合ひ待つナガタ サルタヒコ 〈ホ24ー3〉
■いま造る (いまつくる)
「改めて造る・新たに造る」という意です。 ▶いま(今)
■ウカワの宮 (うかわのみや)
「ウカワ仮屋の跡に新築した宮」
の名で、滋賀県高島市鵜川の白鬚神社がその痕跡のようです。
スセリ(=ホノススミ) がこの宮の主となったため、“スセリ宮”
とも呼ばれます。
白髭神社 (しらひげじんじゃ)
滋賀県高島市鵜川215。
現在の祭神:猿田彦命、白鬚明神
<筆者注> 白鬚明神はスセリ(=ホノススミ)の神霊をいいます。
■二荒裾 (ふたあれすそ)
「二荒山の裾野」 をいいます。二荒山(ふたらさん・ふたあらやま)は
“男体山”
の別名です。
また二荒を “にこう” と読んで、それが 「日光」
の地名に転じます。 ▶フタアレ
(再生れ・二生れ)
ニニキネはニハリ宮を開いて6万年治めた後、ツクバの宮に移って6万年治め、
さらにフタアレの宮を開いて6万年治めた後、再びニハリ宮に戻っています。
民
治まりて 六万年 ツクバの宮に 移ります また六万年
二生れの 厳の尊とて 六万年 経てまた元の ニハリ宮 〈ホ21-6〉
■ウツ宮 (うつみや)
ニニキネとアシツ姫の三つ子の3男 ヒコホオデミ(斎名ウツキネ)の別称です。
これが “宇都宮”
の地名の起源で、「ウツキネの治めた宮」
という意と考えられます。
アマテル─┐ ├オシホミミ┐ セオリツ姫┘ ├┬クシタマホノアカリ ││ タカキネ──チチ姫──┘└ニニキネ ┌ホノアカリ(斎名:ムメヒト) ├───┼ホノススミ(斎名:サクラギ) カグツミ───マウラ──┬アシツ姫 └ヒコホオデミ(斎名:ウツキネ) │ └イワナガ
宇都宮二荒山神社
(うつのみやふたあらやまじんじゃ)
下野国河内郡。栃木県宇都宮市馬場通り1-1-1。
現在の祭神:豊城入彦命
・所在地住所の “馬場通り” に注目。
■オオツシノ宮 (おおつしのみや:▽鬱篠宮) ■シノ宮 (篠宮)
“オオ” は ”ヲ”
や ”ウ” と互換なので、“オオツ” は ウツキネの
“ウツ” の換言、
“シノ(篠)” は シナ(▽凌)の変態で、「高まり・勢い・繁茂」
などの意と考えます。
“ウツ” の原義は 「鬱」
ですから、オオツ・シノは同義語の連結と思います。
滋賀県の大津市四宮町
(現・大津市京町3丁目) に この名が残っていました。
四宮神社 (しのみやじんじゃ) 現社名:天孫神社
滋賀県大津市京町3-3-36。
現在の祭神:彦火々出見命ほか、塩土翁も祀っているとされる
・はじめ琵琶湖畔にあり、鎮座当時は周辺にあまり人家はなく、湖岸一帯は
「葦原沼」 と称された。文明年間(1469年〜1487年)に現在地に移る。
明治維新までは四宮神社と称した。
【概意】
ニハリに居ますスセリ宮(=ホノススミ・サクラギ)は、
昔のウカワ仮屋の跡に新たに造る “ウカワの宮”
に移ります。
二荒山の裾野のウツ宮(=ヒコホオデミ・ウツキネ)は、
“オオツシノ宮”
を新たに造り、これを賜わって移ります。
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ときにいみなの ゆえあれは うかわおこえと ゆるされす
つねにかりして たのしめは やまさちひこと
またすせり つりたのしめは さちひこと
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時に斎名の ゆえあれば ウカワを乞えど 許されず
常に狩りして 楽しめば “山サチヒコ” と
またスセリ 釣り楽しめば “サチヒコ” と
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■斎名のゆえ (いみなのゆえ)
「斎名のいわれ・斎名の由来」 などの意です。 ▶斎名 ▶ゆえ
ニニキネは八州巡幸中、幸運のモノザネとして木枝を髪挿していました。
越国では梅、高島では桜、ウカワでは卯木を髪挿していますが、アシツ姫が
出産する時、三つ子の胞衣にそれぞれ梅・桜・卯花の模様が現れたため、
ムメヒト・サクラギ・ウツキネと斎名を付けます。ですからウツキネに
とってウカワは、自分の斎名の由来の地であるわけです。
■サチヒコ (▽鉤彦) ■山サチヒコ (▽山鉤彦)
釣針には抜け防止のための 「かえし」
が付いていますが、このサチ(▽鉤)はそれをいいます。
転じて 「獲物を捕る道具」 の意となり、サジ(匙) なんかは
サチ(▽鉤)の変態です。
ここでは サチヒコのサチは 「釣針」、山サチヒコのサチは
「弓矢」 です。
★サチ・チ
“サチ” とその短縮形の “チ” は
このアヤにおけるキーワードの1つです。
サツ(▽擦つ)の名詞形で、「往き来・やりとり・返り/返し」
を原義としますが、
それから派生する微妙に異なる意味を、3つほど使い分けています。
★彦 (ひこ)
ヒコは ヒク(引く)の名詞形で、この場合は
「狩猟具を扱う者・駆使する者」 を意味します。
【概意】
時にウツキネは 斎名の由来である
ウカワの宮を乞えど、許可されず。
常に狩りして楽しめば “山サチヒコ”、またスセリは釣りを楽しめば
“サチヒコ” と。
―――――――――――――――――――――――――――――
きみはみつから みかりなす
にしなかくにの やまおもて いせきつつみに あらたなす
にしにいたりて はけやまお とえはあれおさ あきといふ
きのあるなにて なきいかん
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君は自ら 巡幸りなす
西中国の 山表 井堰・堤に 新田成す
西に到りて 禿山を 問えば粗長 「あき」 と言ふ
「木の有る名にて 無き如何ん」
―――――――――――――――――――――――――――――
■巡幸り (みかり)
■西中国 (にしなかくに)
このナカクニ(中国)は 「内地・本土」 を意味し、“西中国”
は 今の 「中国地方」 をいいます。
古くは サホコチタル
と呼ばれました。
■山表 (やまおもて)
「山の日なた側・南側」 を表し、この場合は 「山陽地方」
をいいます。
反対側は ヤマカゲ(山陰) です。
■粗長 (あれをさ)
■あき (安芸)
現在の 「広島県西部」 です。
この時点では行政区画としての “国”
にはなっておらず、九州のウサ県の一部であるようです。
アキ(秋・安芸)は アク(上ぐ)の名詞形で、「上がり・成熟・満ち」
などが原義ですので、
日が熟して沈む 「西」 を意味する地名と考えます。
■如何ん (いかん)
“あき” という語呂から、「木が有る名なのに、無いのは何ゆえ?」
と、ニニキネは問うわけです。
【概意】
君は自ら巡幸し、西中国の山表に井堰・堤を築いて新田を成す。
西に到って禿山を問えば、粗長は 「あき」 と答える。
「木の有る名であるに、無いのは何ゆえぞ?」
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これおろちあり くにかみの ひめおのむゆえ みなやけは
にけてひかわに きられける しかれとやまは かふろなり
いまにきこりの いとまあき
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「これオロチあり 地守の 姫を呑むゆえ みな焼けば
逃げてヒカワに 斬られける 然れど山は 禿なり
今にきこりの 暇飽き」
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■オロチ (▽折霊/蛇)
六ハタレが蜂起して、八方にハタレマが満ちあふれた頃の話だと考えられます。
■地守の姫を呑む (くにかみのひめおのむ)
サタの粗長アシナツチの7姫が、ヤマタのオロチの犠牲となった話がありましたが、
同様の事件は他の地域でも起っていたということでしょう。 ▶地守
サタの粗長 アシナツチ 添のテニツキ 八姫生めど ・・・ ・・・
八岐の 蛇
居て ハハやカガチの 人身供と ツツガせらるる 七娘 〈ホ9ー1〉
■ヒカワに斬られける (ひかわにきられける)
ヒカワに巣くうハタレの根が、イブキヌシとソサノヲにより撲滅されたことをいいます。
打ち連れ宿る サタの宮 法を定めて ハタレ根も
シラヒト・コクミ オロチらも 打ち治めたる 〈ホ9ー3〉
■禿 (かぶろ)
カブ(頭)+ウロ(空・虚)
の短縮ではないかと思案中です。
■暇飽き (いとまあき)
辞書は “暇明き”
と当てて 「ひまになること」 と説明しますが、
この場合は 「ひまに飽きること」
の意だろうと思います。これにより、
アキ(安芸)を アキ(有木)にシャレたニニキネに応酬しています。
【概意】
「これはオロチが現れて 地守の姫を餌食にするため、
山の木をすべて焼けば、逃げてヒカワで退治されました。
しかれど山は禿となり、今ではきこりが暇に飽き。」
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あまきみえみて なけくなと
あかつちかみに これをしゑ ひすきのたねお うゑさしむ
ととせになりて みねこもる たみつもたえす くにゆたか
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天君 笑みて 「嘆くな」 と
アカツチ守に これ教え 檜・杉の種を 植えさしむ
十年に成りて 峰 籠る 田水も絶えず 地 豊か
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■籠る (こもる)
ここでは 「こんもりする」 の意で、「茂る木が山を覆う」
ことをいいます。
■田水も絶えず (たみづもたえず)
これは山に茂る木の、広く深い根張りによる保水力のおかげで、少雨の時でも
山から少しずつ水がしみ出るため、渇水被害が起りにくいことをいいます。
たとひ長雨 溢れても 山は繁木に 持ちこたえ
流れを深く なすことも 常に井堰を 守るなり 〈ホ22-3〉
【概意】
天君は笑みて 「嘆くな」 と。
領主のアカツチにこれを教え、檜・杉の種を植えさせる。
10年に木は成長して峰は籠り、田水も絶えることがなくなって
その地は豊かとなる。
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またやまかけも みめくりて ところところに いせきなし
たかたひらきて かえります ゆたかなるとし みよろへる
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また山陰も 巡恵りて 所々に 井堰成し
高田開きて 帰ります 豊かなる年 三万経る
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■山陰 (やまかげ)
「山の日陰側・北側」 を表し、この場合は 「山陰地方」
をいいます。
反対側は ヤマオモテ(山表) です。
■巡恵る (みめぐる)
ミ(‘回る’の連用形)+メグル(巡る・▽恵る)
の連結で、
これも
「あちこちめぐってめぐらす・巡って恵む・巡幸する」
という意です。
【概意】
また山陰にも巡幸して
所々に井堰を成し、高田を開いて都に帰ります。
豊かなる3万年が経過する。
本日は以上です。それではまた!