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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第133回 [2024.3.14]
第二四巻 コヱ国 ハラミ山の文 (8)
著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com
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こゑくにはらみやまのあや (その8)
コヱ国 ハラミ山の文 https://gejirin.com/hotuma24.html
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ふたかみの くになかはしら おきのつほ
あまてるかみの ひたかみの かたたけみやの なかはしら
けたつほのふみ
ゐつかみの はらみはつほは よもやもの なかはしらなり
ををんかみ はらのをきみと なおたまふ
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二尊の 国中柱 “奥の壺”
アマテル神の ヒタカミの “方丈宮” の 中柱
方壺の碑
逸尊の “ハラミ端壺” は 四方八方の 中柱なり
大御神 “ハラの皇君” と 名を賜ふ
―――――――――――――――――――――――――――――
■国中柱 (くになかはしら)
“中柱” は 「中心に立つもの・中軸・中枢」
を意味します。 ▶中柱
ですから 「国家の中軸・国家中枢・国家首都」
などの意です。
別の言葉で言えば “タカマ”
であり、また “オノコロ”
です。
■奥の壺 (おきのつぼ)
二尊が国家再建のため最初に中央政府を置いた 近江の “オキツボ”
です。
■方丈宮 (かたたけみや)
「地方の尊貴な都」 という意で、ヒタカミ国の都 ケタツボ(方壺)
の換言です。
カタ(方・片) は ケタ(方) の変態で、 「地方・いなか」
を意味します。
タケミヤ(丈宮・長宮) は 「アマテルが一時滞在した宮」
であることを意味します。
★丈宮 (たけみや) ★丈の都 (たけのみやこ) ★丈の宮居
(たけのみやゐ)
「尊貴な宮/屋」 の意で、「アマテル神の宮/屋」
を意味します。
★丈・多気・竹・長 (たけ)
タク(長く)
の名詞形で、タカ(高・貴) の変態ですが、
きわめて尊い神=アマテル神 が関わる場合に、特に “タケ”
と表すことが多いようです。
■方壺の碑 (けたつぼのふみ)
「ケタツボを伝えるもの・ケタツボの名残」
などの意です。
オシホミミは、かつてのアマテルの 御座(みくら)
であったケタツボの跡に
都を移して即位しますが、その都は “タカの首”と名付けられました。
“方壺の碑” とは、この都のことをいいます。 ▶フミ(文・碑)
ヒタカミの 御座の跡に また都 移して名付く “タカの首” 〈ホ11ー1〉
なお 鴨長明が13世紀初め頃に著した
「発心集」、あるいはまた 「平家物語」 などには、
蝦夷人の居住地として ツボノイシブミ(壺の碑)
という名が記されます。
・つかる、つぼのいしぶみなどという方にのみ住みけるとかや 〈発心集〉
・つかろ、つぼの石ふみ、夷がすみかなる千島なりとも 〈延喜本平家物語〉
■ハラミ端壺 (はらみはつぼ)
「ハラミ山の端(はた)の都」 の意と考えます。 ▶端(は) ▶壺
これはニニキネが新たに都と定めた 「サカオリ宮」
を指し、
後には “ハラアサマ宮” の新名が付けられます。
■四方八方の中柱 (よもやものなかはしら)
「四方八方の中心にある都・国家の中軸・国家中枢・国家首都」
などの意で、“国中柱” と同義です。
この時点ではまだ父のオシホミミが国家君主であるため、名目上はヒタカミのタカノコフが
“国中柱”
です。また兄のテルヒコもアスカに朝廷を建てており、3つの朝廷が並立するという
状況ですから、この表現は サカオリ宮が
「実質上の国家首都・実質的な中央政府」 であることを
表しているのではないかと考えます。
■ハラの皇君 (はらのをきみ)・ハラ皇君 (はらをきみ)
アマテルがニニキネに賜った称号です。
ハラは 「ハラの宮」
の略で、これは都(政の府)を置いている場所を表します。
ですから 「ハラ宮の和照らす君」 という意味です。 ▶和照らす
なお “ハラの” と冠する理由は、アスカにもう1人の皇君が存在するためです。
★皇君 (をきみ)
ヲ(央・皇)+キミ(君)
は 「八方をほどよく調えて恵む中心的存在」 を意味し、
和つ君、和照らす日月
などの換言です。
【概意】
二尊の国家の中柱は “奥の壺”。
アマテル神はヒタカミの “方丈宮” の中柱。
<オシホミミの> “方壺の碑”。
逸尊のハラミ端の壺は、四方八方の中柱なり。
大御神 “ハラの皇君” と名を賜う。
―――――――――――――――――――――――――――――
にはりのたみか ことしたふ ふりもわかれて もとたみと
みつきはわかれ しわかみの みはしらのまま なることく
まつりほつまに ととのひて
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ニハリの民が 子と慕ふ 風も分かれて 元民と
水際分かれ 地上の 実柱のまま なる如く
政 ほつまに 調ひて
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■ニハリの民が子と慕ふ (にはりのたみがことしたふ)
ニハリはニニキネが最初に開いた宮でした。 ▶ニハリ
そのニハリの民が、同じくニニキネを君とするようになったハラの民を、
子分・弟分ように思うという意味です。
ニハリの民が 群れ来たり 湖掘り土を 峰に上げ “八房計り” と 天に応え 〈ホ24-4〉
■風・振り
(ふり・ぶり)
フル(振る) の名詞形で、「振りまくもの・振舞い」
などをいい、
「風土・風習・国柄」 などを意味します。
■元民 (もとたみ)
“ニハリの民” の換言です。
■水際分かる (みづぎわわかる)
「水 (川や海) が境界を分ける」
という原義で、「渡りがたい境界に隔てられる」、
つまり 「くっきりと分かれる」 という意です。
■地上の実柱 (しわかみのみはしら)
「この世の皇君・現世を照らす中心者」 などの意です。 ▶地上(しわかみ)
★実柱
(みはしら)
“中柱” の換言で、「中心に立つもの・中軸・中枢」
が原義です。
この場合は 「中央政府の君・皇君」 を意味し、“ハラの皇君”
となったニニキネを指します。
■ままなる
“ままならぬ”
の反対で、「思いのままになる・心がそのまま世に現れる」
という意です。
これはシワカミ (この世・現象世界)
の特殊性を説明しています。
■政・纏り (まつり)
「ハラの民の治め」 をいいます。
■ほつまに調ふ (ほつまにととのふ)
「和して調う・曲りなく素直に調う・安らかに治まる」
など意です。 ▶ほつま
これは “地上の実柱”
の素直で調和した心が、そのまま形となって世に現れたことをいいます。
【概意】
ニハリの民が我が子のように慕うハラの民は、
その国柄も元民とくっきりと分かれ、
地上の実柱の心のままが現れる如く、ハラの治めも安らかに調いて、
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ふよろやちへて みそすすの こよみなすころ
くにのなも しはかみほつま
あまねくに うつりたのしむ よよゆたか
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二万八千経て 三十鈴の 暦なす頃
国の名も “地上ほつま”
あまねくに 写り楽しむ よよ豊か
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■三十鈴 (みそすず)
真榊(=鈴木)による暦法で、1鈴=6万年、1枝=60年、1穂=1年
です。
ウビチニ&スヒヂの時代に植え継ぎが500回の限界に達し、累計年数が
一旦リセットされていますので、この暦の起点はその頃と考えられます。
以来ホツマに暦年の記載されている出来事を振り返ると、次の通りです。
・21鈴125枝31穂 | アマテル誕生。 | ・21鈴126枝58穂 | アマテル即位。 | ||
・22鈴505枝1穂 | トヨケ帰天。 | ・24鈴999枝60穂 | 六ハタレ蜂起。 | ||
・25鈴93枝37穂 | カシマ直ち開始。 | ・25鈴100枝11穂 | オシホミミ即位。 | ||
・25鈴100枝28穂 | アマノコヤネ結婚。 | ・25鈴130枝58穂 | アマテル下り居。 | ||
・26鈴16枝41穂 | テルヒコ大和国へ。 | ・26鈴17枝23穂 | ニニキネがニハリ宮を建てる。 | ||
・29鈴501枝38穂 | ニニキネ三種を受け八州巡幸に出発。 |
ニニキネは 29鈴501枝38穂に
三種を受けて八州巡幸に出発しています。
それ以来 約500枝(3万年)が経過していることになります。
■地上ほつま (しはかみほつま・しわかみほつま)
「地上の調和」 が原義です。 ▶地上 ▶ほつま
またこの “ほつま” には 「日の昇る方・東」
の意も重なり、
「地上の調和が実現した東の国」
を意味します。日本書紀は “磯輪上秀真” と記します。
単に “ホツマの国”
という場合は、北関東から東海までのかなり広い範囲を指しますが、
“地上ホツマ” は 当初はハラの地 (ハラミ山の南麓の地域)
に当てられた別名です。
そしてしだいにその範囲を全国に広げて、ついには日本国を意味する名称となります。
名も高き ハラミの宮に 民を治し ついに地上ホツマ成る 〈ホ序〉
地上は人の心が形となって現れる現象世界ですから、そこにホツマ(調和)を生むのは
容易ではありません。かつて二尊も民にト(調)の道を教えるために経矛の道を敷きましたが、
それは “法を犯せば罰を受ける”
という、制度で民を縛って秩序を保っていたものです。
それに対して 地上ほつま は
人民の心底に調和が染み込んで、法と罰で縛らなくても和を守り、
悪事をはたらく者がいなくなった社会をいうと思われます。それはこの世の理想郷であり、
トコヨの再来です。(今の日本社会の民度もこれに近いと思います。)
クニトコタチの 代にはまだ 矛無き故は 素直にて 和を守れば 矛いらず 〈ホ23ー1〉
そしてアマテルの次の言葉がここに実現したことを意味します。
これは途方もない偉業だといえるでしょう。
汝ら纏り 怠らず ほつま成る時 ヤタ安ぶらん 〈ホ23ー8〉
そしてまた、ほつま(和合・調和)は繁栄発展の母でもあるわけです。
・地上の 心ほつまと なる時は 花咲くみよの 春や来ぬらん 〈ホ序〉
・マトの教えは 昇る日の 本なる故に “日の本”
や 〈ホ23ー1〉
■よよ
【概意】
2万8千年を経て30鈴の暦となる頃、国の名も “地上ほつま”。
他の国にもあまねく伝播して、ほつま(調和)を楽しむ。いよいよ豊かであった。
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やよろとしへて ひたかみの きみよりめせは もろともに
みやにのほれは ちちみかと みこふたかたに みことのり
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八万年経て ヒタカミの 君より召せば 諸共に
宮に上れば 父帝 御子二方に 御言宣
―――――――――――――――――――――――――――――
■諸共に (もろともに)
「クシタマホノアカリ と ニニキネの兄弟が共に」
という意です。
ヤソキネ─タカキネ─タクハタチチ姫┐ ├クシタマホノアカリ(斎名テルヒコ) サクラウチ─セオリツ姫┐ │ │ ├ニニキネ(斎名キヨヒト) ├オシホミミ┘ イサナギ┐ │ ├─アマテル─┘ イサナミ┘
■父帝 (ちちみかど)
これも兄弟の父である 「オシホミミ」 を指します。 ▶帝(みかど)
【概意】
それから8万年を経てヒタカミの君より召され、
兄弟もろとも皇宮に上れば、父帝は御子二方に御言宣。
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われよはひおい ひたるゆえ
いまよりあにも なはやまと あすかをきみと はらをきみ
ともにむつみて ゑとかみの そのひそのたみ もることく
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「我 齢老い ひたるゆえ
今より兄も 名はヤマト アスカ皇君と ハラ皇君
共に睦みて ヱト神の その日その民 守る如く」
―――――――――――――――――――――――――――――
■ひたる
■ヤマトアスカ皇君 (やまとあすかをきみ) ■アスカ君 (あすかきみ)
オシホミミがテルヒコに授けた称号で、「大和国のアスカ宮の皇君」
という意です。 ▶皇君
“アスカ皇君” “アスカ君” と簡略されます。
■ハラ皇君 (はらをきみ)
さきにアマテルがニニキネに授けた称号です。
■ヱト神 (ゑとがみ)
ヱト(干支)の表記の末尾に付く 「ヱの神」 と 「トの神」
をいいます。
ヱト(干支・▽上下・▽兄弟)は、キ・ツ・ヲ・サ・ネ
と ア・ミ・ヤ・シ・ナ・ウ
と
ヱ・ト の組み合せがつくる60パターンで構成されますが、“ヱト”
という
名称は そもそも ヱの尊 と トの尊
の兄弟に由来するものです。
干支表記の末尾に付く ’ヱ’ と ’ト’ は 年/日ごとに入れ替わるのですが、
これは ’ヱの尊’ と ’トの尊’ の兄弟が
かわりばんこで中央政府の君を努めたことに
起源があると考えられます。
ミナカヌシ 地球八方に 万子生み 果つにヲウミの 兄弟の子の
兄御子(ヱの尊) 上に継ぎ ヲウミ治す 弟御子(トの尊)の統む トシタ国 ・・・ ・・・
百ハカリ後 トの尊 ヱに受け治む これよりぞ かわる替わりに 代を継ぎて 〈ミ6-3/4〉
“共に睦みてヱト神のその日その民守る如く” は、
「暦のヱトの神が
かわりばんこで日々民の暮らしを守る如く、
汝ら兄弟も二人睦まじく協力して民を守り治めよ」
という意味です。
【概意】
「我は齢も老いて世を辞むゆえ、今より兄も名は “大和のアスカ皇君”。
アスカ皇君とハラ皇君の兄弟も睦み協力して、<民を守り治めよ>
暦のヱト神が日々交替で民の暮らしを守る如く。」
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ゑとしかときけ くにたみお わかものにせな
きみはその たみのきみなり たははこね ふたゑめくみそ
かにめてる きみはかもなし ふたもなし
かみのかかみの あまてらす ひつきのきみと まもるはこねそ
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「兄弟 しかと聞け 国民を 我がものにせな
君はその 民の木実なり 治はハコネ 二重恵みぞ
かに愛でる 君は明も為し ふたも為し
神の鏡の “和照らす 日月の君” と 守るハコネぞ」
―――――――――――――――――――――――――――――――
■せな
“せぬ”
の命令形で、「するな」 という意です。
■君はその民の木実なり (きみはそのたみのきみなり)
「君はその民のための日月である・君はその民を和して照らす日月である」
という意です。
★キミ (木実・君)
天地創造の時、陽は先に上昇して天・日となり、陰は後に下降して地・月となりますが、
それと同じく 木は “先” に立つもので、実は “後”
に木に付くものであるため、
“木実” も 「陽陰・日月・天地」
の換言です。
古くは君の夫婦を合せてこう呼びましたが、日月の大神霊の顕現であるアマテル以降は、
男君一人で月の役目も担うようになります。
■治はハコネ (たははこね)
「治とは恵みなり・国家を治めるとは民を恵むことである」
という意です。 ▶タ(治)
そしてこれを行うのが 日月=木実=君
である、ということです。
★ハコネ (▽運廻)
ハコ(▽運)+ネ(廻) で、ハコ は ハコブ(運ぶ) の母動詞 ハク(捌く)
の名詞形。
ネ(廻) は ネル(邌る)
の名詞形 ネリ(邌り) の短縮です。
両語とも 「回すこと・めぐらすこと・配ること」
が原義で、つまり 「恵み」 を意味します。
すなわちこれは “和して恵ること”
“和照らすこと”
の換言です。
天が下 和して恵る 日月こそ 晴れて明るき 民の父母なり 〈ホ7ー4〉
そしてまた 君はすべての臣民の親です。
・“タ” も “ヲシ” も
乳なきの親よ 鑑みて 助くる民は 子の如く 〈ホ17-2〉
・二尊受けて 親となり 民を我が子と 育つるに 〈ホ17-2〉
・臣・民 子・孫 隔てなく 慈く・恵まん 思ひなり 〈ホ17-2〉
■二重恵みぞ (ふたゑめくみぞ)
その恵み(=ハコネ)も 「(日と月の) 2重の恵みぞ」
という意です。
■かに (▽如に)
「かように・かく・このように」
などの意です。 ▶か(▽如・▽然)
■愛でる
(めでる)
メヅ(愛づ)
の連体形で、「(心を)寄せる・慈しむ・いとおしむ」
などの意です。
■明も為し ふたも為し (かもなしふたもなし)
カ(▽明) は 「日・太陽」 を意味します。フタ(二・双・蓋)
は フツ(▽付つ) の名詞形で、
「合わせ・付き・対」
などを原義とし、「一対となるもの」 を表します。
この場合は 「明・日」
と対になるものですから、「暗・月」 です。
ですから 君は 「日の役も行い、月の役も行う」
という意です。
アマテルはこれを “陽陰を束ねて日月為す”〈28アヤ〉と表しています。
■神の鏡 (かみのかがみ)
ここでは 「アマテル神の写し・コピー」 という意です。
アマテル神は 「日と月の大神霊が世に顕現した人」
ですから、
“神の鏡” は 「日月の写し・日月のコピー」
という意を表します。
■和照らす日月の君 (あまてらすひつきのきみ)
「和して照らす日月である君」 という意です。 ▶和照らす日月
この場合は アスカ皇君(テルヒコ) と ハラ皇君(ニニキネ)
を指します。
■守るハコネ (まもるはこね)
地上の2人の皇君と共に 「我は神となって (あの世から)
民の恵みを守る」 という意です。
【概意】
「兄弟しかと聞け。国民を我がものにしてはならぬ。
君は その民を和して照らす日月なり。
治とはハコネ(=恵み)である。それも二重の恵みぞ。
かように民を慈しむ君は、日の役も担えば月の役も担う。
アマテル神の写しである “和照らす日月の君”
と共に、我も守らん民の恵みぞ。」
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ついにほる ゐつをはしりの ほらあなに
みつからいりて はこねかみ
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ついに掘る ヰヅヲバシリの 洞穴に
自ら入りて “ハコネ神”
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■ヰツヲバシリ (▽伊豆馬尻)
“ヲバシリの坂”
の別名で、「箱根峠」
をいいます。
ヰツ/ヰヅ(伊豆) は地名と思いますが、これもやはり “逸尊”
に因むものと考えます。
■洞穴 (ほらあな)
■ハコネ神 (はこねかみ:▽運廻神)
オシホミミの贈り名です。「恵みを守る神」
という意でしょう。 ▶贈り名
ハコネ神の入った洞の場所が ハコネ(箱根)
という地名になったものと思います。
ハコネ は 「回り/回し・巡り/巡らし」
などが原義ですが、一回りすると元の所にもどることから、
「帰還の地・天にあがる地」
の意味もあろうかと思います。 ▶天にあがる
箱根神社 (はこねじんじゃ)
神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80-1。
現在の祭神:箱根大神
【概意】
ついに箱根峠に掘る洞穴に 自ら入って “ハコネ神”
となる。
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まつりてのちに はらをきみ のこしことより ふたたみの
あらそいあれは とみやりて やわしさはきて なにことも
おたみおたてて にいたみの かけははらより つくなわす
かれによのうち むつましき ゑとおなつけて
はらからと いふもとおりそ
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纏りて後に ハラ皇君 遺し言より 二民の
争いあれば 臣 遣りて 和し裁きて 何事も
兄民を立てて 新民の 欠けはハラより 償わす
故に世の内 睦じき 兄弟を名付けて
“ハラカラ” と 言ふもとおりぞ
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■纏る (まつる)
この場合は 「喪纏りを行う」 という意です。 ▶喪纏り
■兄民 (おたみ) ■新民 (にいたみ)
“兄民” は 「アスカ皇君の治める民」、“新民” は
「ハラ皇君の治める民」 です。
オタミのオは、“あにさん” が訛った “おにいさん”
のオと考えます。
■新民の欠けはハラより償わす (にいたみのかけははらよりつぐなわす)
ここは解釈の難しいところですが、「2民の間に民事的な争議が起こった場合、
たとえそれが兄民の責めに帰すべきものであっても、新民の損害はハラの政府が補償する」
という意に取っています。
■ハラカラ
“ハラより償わす” の 「ハラより」 の換言です。
「何事においても弟が兄を優先させるさま」
をいい、転じて 「珍しいほど仲睦まじい兄弟」 を
意味する言葉となりますが、現在では意味が少し変わり “同胞”
当て字されています。
【概意】
喪纏りの後、ハラ皇君はその遺言により、2民の間で争いがある場合は、
臣を派遣して仲裁し、何事においても兄民を立てて、新民の損害はハラ政府より償わす。
しかれば世の内、睦まじき兄弟を名付けて “ハラカラ”
と呼ぶ由来ぞ。
―――――――――――――――――――――――――――――
はらをきみ ゐつさきみやに はこねかみ みとせまつりて
おきつほの みねよりなかめ みことのり
なんちやまくひ やまうしろ のおほりつちお ここにあけ
おおひのやまお うつすへし
―――――――――――――――――――――――――――――
ハラ皇君 伊豆前宮に ハコネ神 三年祀りて
オキツボの 峰より眺め 御言宣
「汝ヤマクヒ 山後 野を堀り土を ここに上げ
太陽の山を 写すべし」
―――――――――――――――――――――――――――――
■伊豆前宮 (ゐつさきみや・ゐづさきみや)
以前ニニキネがアシツ姫の妊娠を知らされ、イハナガと対面した「伊豆前の仮屋」
と同一と思います。
■オキツボの峰 (おきつぼのみね)
改造前の 「比叡山」
をいいます。 ▶オキツボ
(奥壺)
■ヤマクヒ・ヤマクイ (山構ひ)
ヤマクヒ(山構ひ)は 「山を構ふ者・山を造る者」
という意味です。
出自についての記述はないのですが、他文献では “大山咋神”、あるいは
“若山咋神”
と呼ばれ、
古事記は 「大歳神の子」 と記しています。
これを信じれば オオトシクラムスビ
の子ということになります。
ソサノヲ ├──オオトシクラムスビ─┬オキツヒコ イナタ姫 │ └ヤマクヒ (古事記からの推測)
大歳神社 (おおとしじんじゃ)
奈良県橿原市石川町宮ノ本332。
現在の祭神:大山咋命、大歳神
■山後 (やまうしろ)
「オキツボの峰のうしろ」 という意で、これがヤマシロ(山背)の語源です。
■ここ
「オキツボの峰」 です。
【概意】
ハラ皇君は伊豆前宮にハコネ神を3年祀った後、
オキツボの峰より周囲を眺めて御言宣。
「汝ヤマクヒ、山後(=ヤマシロ)の野を堀って土をここに上げ、太陽の山を写すべし。」
―――――――――――――――――――――――――――――
ひとゑたにたり ひゑのやま
そのいけみつか たのそろに のりてみのれは みそろいけ
ままありいけの にしいわや
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一枝に足り “ヒヱの山”
その池水が 田のソロに 乗りて実れば “実揃池”
ままあり池の 西家や
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■一枝に足る (ひとゑだにたる)
これは真榊の1枝で、「60年」 を意味します。 ▶真榊
ですから 山が完成するのに 「60年の工事で足りた」
という意です。
■ヒヱの山 (ひゑのやま:日似の山/一枝の山)
これには2つの意味が重なります。
1つは “日似の山” で 「日の山(=太陽の山)に似せた山」
という意です。
もう1つは “一枝の山” で、「一枝=60年で完成した山」
という意です。
古事記は 「日枝の山」 と記し、現在は 「比叡山」
と呼ばれます。
したがって比叡山は、ヤマシロの野に池を掘り、その土をオキツボの峰に
積み増して造った人工の山ということになります。
日吉大社 (ひよしたいしゃ)
滋賀県大津市坂本本町5-1-1。
現在の祭神:[東本宮] 大山咋大神、[西本宮] 大己貴大神
・かつては日吉社(ひえしゃ)と呼ばれていた。
■実揃池 (みそろいけ)
「実を揃える池・実りを調える池」 という意です。 ▶そろ(▽揃)
この池は現存し、ミゾロガイケ(深泥池・御菩薩池)と呼ばれています。
■ままあり池 (ままありいけ)
これは 「前からそのままある池・自然のままにあるの池」
の意と考えます。
■西家 (にしいわ)
イワ(家)は
イヱ(家)、イヤ(居屋)
などの変態で、「居場所・ありか・位置」 を意味します。
【概意】
1枝(=60年)にて足りれば、“日似の山” また “一枝の山”。
<山背の野を掘った> 池の水が田の作物に乗って実れば
“実揃池”。
前からある天然池の西側である。
本日は以上です。それではまた!