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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第114回 [2024.2.10]
第二一巻 ニハリ宮法定む文 (6)
著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com
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にはりみやのりさだむあや (その6)
ニハリ宮法定む文 https://gejirin.com/hotuma21.html
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みつかきお なおすたくみら うつろゐの やしろきあれは
おそるるお をこぬしほかの きにうつし
つくろひなりて またもとす これかりうつし さわりなし
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御つ垣を 直す匠ら ウツロヰの 居代木あれば
恐るるを ヲコヌシ他の 木に移し
繕ひ成りて また戻す これ仮移し 障りなし
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■御つ垣を直す (みつかきおなおす)
ニニキネがニハリ入りする時、ハタタ神が雷を落として破損させた
瑞垣の修理をいいます。 ▶御つ垣
ニハリ渡りは 掻き曇り ハタタ神 鳴り 垣 破る 〈ホ21-5〉
■ウツロヰの居代木 (うつろゐのやしろぎ)
アマテルに居場所とするよう命じられた
「東北の柳の一木」 です。 ▶居代
干支の末 柳隠ろひ 空守り 東北の一木を 居代にせよ 〈ホ21-5〉
■繕ふ
(つくろふ)
ツクル(作る・造る)+オフ(合ふ) の短縮。
ツクルは ツク(付く・接ぐ・継ぐ)+クル(▽括る)
の短縮で、クルは ククル(括る)の母動詞。
ですから 「付けたり接いだり括ったりして合わせ調える」
という意です。
【概意】
瑞垣を直す職人たちは
そばにウツロヰの居代木があって恐れるため、
ヲコヌシは他の木に居代を移し、修繕が済んでまたもとに戻した。
これは仮移しゆえ障りなし。
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またうつろゐの やまさもり ゑとのほにより つきまもる
しかれとあらや つくるとき つよくとかむる
これにより またをこぬしに とわしむる
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またウツロヰの ヤマサ守 干支の補により 接ぎ守る
しかれどあら屋 造る時 強く咎むる
これにより またヲコヌシに 問わしむる
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■ヤマサ守 (やまさもり)
“ヤマサ神”の換言です。モリ(守)は
「人の日々の暮らしの世話をする者」 の意です。
■干支の補 (ゑとのほ)
「干支の穴埋め・干支の補完」 などの意です。
★補・保 (ほ)
ホフの名詞形の短縮で、ホフは オフ(負ふ・覆ふ)の変態です。
「代りに負うこと・穴を埋めること・カバーすること」
などをいいます。
■接ぎ守る (つぎまもる)
「継ぎ当てして守る・補完して守る」 という意です。
■咎むる (とがむる)
もとは トガム(咎む)
の連体形で、今風には “咎める” です。
【概意】
ウツロヰのヤマサ守は 干支の穴埋めにより接ぎ守る。
しかれど民のあら屋を造る時、強くこれを阻むする。
このためまたヲコヌシに問わしめる。
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をこぬしいわく なんちまた たみのあらやお とかむるや
うつろゐこたえ をたふせす にわやけかれお われにたす
ゆえにとかむる
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ヲコヌシ曰く 「汝また 民のあら屋を 咎むるや」
ウツロヰ答え 「穢泥伏せず 庭屋穢れを 我に出す
ゆえに咎むる」
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■穢泥 (をた)
ヲデイ(汚泥)・ヱド(穢土)
などの変態で、この場合は 「糞尿」 をいいます。
“穢泥” は筆者の当て字です。
■庭屋穢れ (にわやけがれ)
「便所の穢れ」 をいい、つまり ヲタ(穢泥)=糞尿
の換言です。
★庭屋(にわや)
「庭にある屋」 という意で、別名が カワヤ(側屋・厠)
です。
■我に出す (われにだす)
我=ウツロヰ です。
ウツロヰは 「空間を埋める者」 ですから、“我に出す”
とは 「空中にばらまく」 という意です。
これは農民がひしゃくを使って糞尿を散布することをいいます。
【概意】
ヲコヌシ曰く、
「汝は また民のあら屋造りを阻んだのか。」
ウツロヰは答えて、
「糞尿を伏せず、庭屋(=厠)の穢れを我に放つ。ゆえに報復した。」
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をこぬしか もふせはみこと
これなんち もりはなるるお われこふて またもりとなす
わかたみお ゆえなくとかむ たみはたお こやしそろうゆ
なんちしれ こわおにわとす かれにわや しらてけかるや
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ヲコヌシが 申せば御言
「これ汝 守 離るるを 我 乞ふて また守となす
我が民を ゆえなく咎む 民は田を 肥やしソロ植ゆ
汝 知れ 堅地を熟地とす 故 “熟地屋” 知らで穢るや」
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■守 (もり)
ヤマサ守 の略です。
■ソロ
■堅地 (こわ)
ここでは 「作物の育成に適さない土・痩せた土地」
を意味します。
■熟地 (にわ)
ニ(煮・▽熟)+ワ(地) で、「煮えた土地」 の意を表し、
「熟成した土地・肥えた土地」 を意味します。ネワ(▽練地)の変態です。
■熟地屋 (にわや)
「肥えた土の屋・土を肥やす屋」 という意です。これを庭屋(にわや)にかけて、
「庭屋(=便所)は “土を肥やすための屋” である」
と言ってるわけです。
【概意】
ヲコヌシが君に申せばば御言宣。
「これは、ヤマサの守を解かれ 我が嘆願して再び守とした
その汝が 故もなく我が民を阻んだということである。
民は田を肥やして作物を植える。知るがいい。
庭屋は、堅地を熟地(にわ)とするから “熟地屋(にわや)”
なのだ。
それも知らずに、なにが “穢れる” や!」
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これにより あゑよりやゑの なかゐつか もりおはなれて
あそひゆけ このまゐつかに やつくりす これもなんちか
なのほまれ いなはほとんと うつろゐの もりやはなれん
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「これにより アヱよりヤヱの 中五日 守を離れて
遊び行け この間五日に 屋造りす これも汝が
名の誉れ 去なばほとんど ウツロヰの 守り屋
果なれん」
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■アヱよりヤヱ
日々の干支の ◯アヱ から ◯ヤヱ
の 連続5日をいいます。
12日おきに その5日が巡ってきて、
干支が一巡する60日(2ヶ月)では 都合25日になります。
■名の誉れ (なのほまれ)
「名の栄え・名の栄光・名誉」 などの意です。
ホマレ(誉れ)は ホム(誉む・褒む)の受動態 “ホマル”
の名詞形で、「ほめられ」 が原義です。
ここではウツロヰを “移ろい”
に語呂合せして、「汝はウツロヰだから
遊び行く(ふらふら移ろう)ことは汝の名の誉れぞ」
と言ってるわけです。
■去なば (いなば)
「去れば・居なくなれば」 の意です。
■ウツロヰの守り屋 (うつろゐのもりや)
「ウツロヰが守りを担当する屋」 をいい、おそらく
「東北方面の屋」 です。
■果なれん (はなれん)
ハナル(▽果なる)+ン(推量) で、ハナルは ハヌ(▽果ぬ・跳ぬ)+ナル(成る)
の短縮です。
両語とも 「あがる・至る・極まる・完成する」
などの意で、ハネル(跳ねる)の変態です。
ですから “果なれん” は 「完成するだろう」
という意となります。
【概意】
「これにより、アヱよりヤヱの中5日は
守を離れて遊び行け。
この間の5日に屋造りする。これも汝の名の誉れぞ。
居なくなれば、ウツロヰの守る東北側の屋もほとんど完成するだろう。」
ウツロヰは “ウツロヰの大将君”
という名をニニキネより賜り、
これが八将神(はっしょうじん)の大将軍(たいしょうぐん)
に変じたと考えられます。
そこで大将軍についてウィキペディアから抜粋引用してみます。
【大将軍】
陰陽道において方位の吉凶を司る八将神の一。古代中国では明けの明星を
啓明、宵の明星を長庚または太白(たいはく)と呼び、軍事を司る星神と
されたが、それが日本の陰陽道に取り入れられ、太白神や金神・大将軍と
なった。いずれも金星に関連する星神で、金気(ごんき)は刃物に通じ、
荒ぶる神として、特に暦や方位の面で恐れられた。
ホツマにおいてもウツロヰは金属・刃物との関わりが見えます。
・山に空の 通り生る 粗金のアワ 錫・鉛 清は果黄金 清白金 〈ホ15-2〉
・粗金の埴を ウツロヰの ウヲマサ神の マサカリや 〈ミ8-2〉
大将軍は3年ごとに居を変え、その方角は万事に凶とされ、特に土を
動かすことが良くないとされた。大将軍の方角は3年間変わらないため、
その方角を忌むことを 「三年塞がり」
と呼んだ。ただし五日間の
遊行日(ゆぎょうび)が定められ、その間は凶事が無いとされた。
遊行日は以下の通り。
春の土用(立夏前):甲子日〜戊辰日(東方に遊行)
夏の土用(立秋前):丙子日〜庚辰日(南方に遊行)
秋の土用(立冬前):庚子日〜甲辰日(西方に遊行)
冬の土用(立春前):壬子日〜丙辰日(北方に遊行)
上記の遊行日はホツマの言う "アヱよりヤヱの中5日"
に合致します。
甲子日〜戊辰日 = キアヱ 〜 ヲヤヱ
丙子日〜庚辰日 = ツアヱ 〜 サヤヱ
庚子日〜甲辰日 = サアヱ 〜 キヤヱ
壬子日〜丙辰日 = ネアヱ 〜 ツヤヱ
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これにより たみおさまりて むよろとし
つくはのみやに うつります またむよろとし
ふたあれの ゐつのかみとて むよろとし
へてまたもとの にはりみや ゐつををかみの ことおおいかな
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これにより 民 治まりて 六万年
ツクバの宮に 移ります また六万年
二生れの 厳の尊とて 六万年
経てまた元の ニハリ宮 逸大尊の 殊 大いかな
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■ツクバの宮 (つくばのみや)
ツクバの宮は
二尊がヒルコを生んだイサ宮をいうものと思います。
ニニキネは当初ツクバの宮からニハリ宮に移っていますので、
古巣に戻ったことになります。
■二生れの厳の尊 (ふたあれのゐつのかみ)
「フタアレの地でフタアレ尊に指導を受けて再び生れた厳の尊」
というような意です。
なお イツ(厳)を “ヰツ” と表すのは
ニニキネに対する尊敬です。 ▶厳
ニニキネはツクバの宮で6万年民を治した後、「二生れの宮」
に移ります。
フタアレは 「二生れ・再生れ」 を意味しますが、後に
“二荒” と漢字が
当てられて “にこう” の読みが生じ、それが ニッコウ(日光)
となります。
この宮は後には ウツノミヤ(宇都宮)
と呼ばれるようになります。
ニニキネはこの地で、“二生れ”
の尊名を持つタカヒコネより
馬術指導を受けて研鑽を積んだ結果、馬術の “厳”
の称号を賜ります。
この称号を受けたのはヲバシリに次いでニニキネが2人目です。
■逸大尊 (ゐつををかみ) ■逸尊 (ゐつかみ) ■逸の尊 (いつのかみ)
これは “二生れの厳の尊”
と呼ばれたニニキネの、その後のあまりにも
並外れた偉大な功績 (24アヤ以降に語られます)
を称える名と考えます。
そのため当講座でも ニニキネを表す “イツ・ヰツ”
に対しては 「逸」 を当てます。
この称え名は “伊豆大神” として神社に残ります。
伊豆神社
(いずじんじゃ)
奈良県宇陀市榛原高井504。
現在の祭神:伊豆大神
■殊大いかな (ことおおいかな)
“殊” は 「殊勲・並でない功」 をいい、“大い” は
「大きいさま・たいそうなさま」 をいいます。
ニハリ宮を建てる前には、
我も殊 立てんと四方を 巡る内 良き野を得たり 〈ホ21-1〉
と語っていたニニキネの、成し遂げた “殊” の巨大さに対する驚嘆を表しています。
【概意】
これにより民の治まりて6万年。ツクバの宮に移ります。そこにもまた6万年。
“二生れの厳の尊” として 二生れの宮の6万年を経て、またもとのニハリ宮へ。
逸大尊の殊の巨大なるかな。
本日は以上です。それではまた!