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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第45回 [2023.9.18]

第九巻 八雲打ち 琴つくる文 (3)

著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com

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 やくもうちことつくるあや (その3)
 八雲打ち 琴つくる文 https://gejirin.com/hotuma09.html
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 うなつきむかふ やそつつき 
 さほこのみやの あさひかみ をかみていたる いつもちの
 みちにたたすむ したたみや

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 頷き向ふ 八十続き
 サホコの宮の 朝日神 拝みて到る イヅモ方の
 道にたたずむ 下民や

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■八十 (やそ)
これは 「供・従者・随行員」 を意味します。“80” はそれを示すお決まりの数です。
八十侍(やそべ)、八十守(やそかみ)、八十供(やそども)、八十モノベ(やそものべ)
などともいいます。


■サホコの宮 (さほこのみや)
「サホコチタル国の都」 という意で、ミヤヅ(宮津) をいいます。 ▶サホコ ▶宮


朝日神 (あさひかみ)

■イヅモ方 (いづもぢ)
「イヅモ方面」 の意です。この イヅモ は後の “出雲国” を指すものではなく、
「中心的な都市から見て西北の方面」 を言う一般的な呼称です。
そのため 京都 なども かつては “出雲路” と呼ばれています。

 ★イヅモ (▽埋も・出雲)
 イヅモ には2つの意味がありますが、この イヅモ は イヅム の名詞形で、
 イヅム は ウヅモル(埋もる) の母動詞 ウヅム の変態です。「太陽が埋もれる方向」 が原義で、
 とりわけ 「西北の方向にある地」 を 一般に イヅモ と呼ぶようです。

 ★チ・ヂ (方・地・道・路)
 アチコチ(彼方此方) の チ(方) で、「分けたものの1つ・区分・区画」 が原義です。
 テ(手) の変態です。後世は 「路・道」 と当てられることも多いです。
 また “中央・都” に対して、「地方・僻地」 の意を表す場合もあります。


たたずむ・たたづむ (佇む)

下民・下回み (したたみ)

 

【概意】
頷き向うイブキトヌシ。八十伴もそれに続く。
サホコの都に纏られる朝日神を拝み、イヅモ方に到る。
その道にたたずむ下民があった。



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 かさみのつるき なけすてて なにのりこちの おおまなこ
 なんたはたきの おちくたる ときのすかたや やとせふり
 おもいおもえは はたれとは おこるこころの われからと
 ややしるいまの そさのをか くやみのなんた

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 笠・簑・剣 投げ捨てて 何宣り言の 大まなこ
 涙は滝の 落ち下る 時の姿や 八年ぶり
 「思い思えば ハタレとは 驕る心の 我から」 と
 やや知る今の ソサノヲが 悔みの涙

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宣り言 (のりこち)

■涙 (なんだ)
ナダ(涙) の音便です。ナダ は ナダル(傾る) の母動詞 “ナヅ” の名詞形で、
「流れ落ちるもの・こぼれ落ちるもの」などが原義です。

 

【概意】
笠・簑・剣を投げ捨てて、一心に何かを唱えているかの大まなこ。
涙は滝のように落ち下る。時の姿は8年ぶりであった。
「思い思えばハタレとは、驕る心の我から出たもの」 と、
ようやく知るソサノヲの悔みの涙。



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 おちおいの しむのあやまち つくのえと なけきうたふや
 あもにふる あかみのかさゆ
 しむのみき みちひはさまて あらふるおそれ

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 「叔父・甥の シムの誤ち 償のえ」 と 嘆き歌ふや
 『上下に振る 吾が実のかさゆ
 シムの幹 三千日挟まで あらぶるおそれ』

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■叔父 (オヂ) ■甥 (オイ)
イブキトヌシ は ソサノヲの兄である ツキヨミ の子ですから、
ソサノヲとイブキトヌシは 叔父と甥の間柄になります。


シム (親)
 「叔父と甥のシム(親しさ)」 の意と、「シム(近親)の誤ち」 の意の、二又使用のようです。


■上下に振る (あもにふる)
アモ(▽上下) は アメ(天地) の変態で、この場合は 「上層社会と下層社会」 を表します。
ソサノヲは その両方に身を置きました。
フル(振る・▽奮る) は ここでは 「勢いづく・蔓延する・猛威をふるう」 などの意です。


■実のかさゆ (みのかさゆ)
「心の曲りより」 という意で、“実のかさ” は 前段の “驕る心” の換言です。

 ★実のかさ・霊のかさ (みのかさ)
 ミ(実・霊)+の+カサ(▽曲・▽傾) で、「心の曲り/傾き」 を意味します。

 ★かさ (▽曲・▽傾)
 カシグ(傾ぐ) の母動詞 “カス” の名詞形で、クセ(曲) の変態。「曲り・傾き」 が原義です。

 ★ゆ
 “ユ” は助詞で、 「〜より」 の意を表します。 ▶ゆ


■シムの幹 (しむのみき)
「統治の根幹・国家の基軸」 をいいます。
“シムノミキ” は逆から読むと “キミノムシ” (君の虫・君の蝕) となり、
これにソサノヲ自身を表したと思われます。

 この シム は シメ(締め)・スベ(統べ) などの変態で、 「統治」 を意味し、
 ミキ は 「根幹・中軸・基軸」 などの意です。

■三千日挟まで・三千日間で (みちひはさまで)
「3000日を間に挟まずに・3000日を経ずして」 という意です。

 ハザマ(間・狭間) ハサム(挟む・挿む) の名詞形です。


■あらぶる (▽粗ぶる・荒ぶる)
アラブ(荒ぶ・▽粗ぶ) の連体形で、「曲り衰える・荒廃する」 などの意です。

 ★あらぶ (▽粗ぶ・荒ぶ)
 アル(離る・散る)アフ(零ふ) の短縮で、「離れる・反る・曲る・逸れる・外れる」、
 またその結果、「落ちる・劣る・衰える・荒廃する」 などが原義です。


おそれ (虞)

 

【概意】
「叔父と甥の近しさに頼む。親族の誤ちを償ってくれ」 と嘆いて歌うや、
 上層にも下層にも蔓延する 我が心の曲りより
 国家統治の根幹が 三千日を経ずして 荒廃する予感



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 かくみたひ きもにこたえて なさけより
 さすかにぬるる いふきかみ しむのつくはえ ともなんた
 こまよりおりて そさのをの ておひきおこす しむのより

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 かく三度 肝に応えて 情けより
 さすがに温るる イフキ守 シムの蹲え 共涙
 駒より降りて ソサノヲの 手を引き起す シムの寄り

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■かく三度 (かくみたび)
「このように3度」 という意です。歌は通例 3回繰り返して詠みます。

 ★カク (斯く・是く)
 シカク(然く・爾く) の略で、シカ は シク(如く) の名詞形。


■肝に応ふ (きもにこたふ)
「心に響く・胸を打つ」 などの意です。

 ★肝 (きも)
 キム(決む・極む) の名詞形で、キミ(君) の変態です。
 「極み・中心・核」 などが原義です。

 ★応ふ・答ふ (こたふ・ことふ)
 コツ(▽越つ・▽遣つ)+タフ/トフ(▽回ふ・訪ふ) の同義語短縮で、
 「行き来させる・返す・回す・伝える・届く・響く」 などが原義です。


情け (なさけ)
ナス(▽和す)ケ(気) で、「心に合わす気・心持・気持・思い」 などです。


さすが
「(ある条件・限度を) 越えるさま」、「(他に) 優越するさま」 を意味します。

 サス(▽擦す)+スグ(過ぐ) の短縮 “さすぐ” の名詞形で、
 両語とも 「往き来する・通る・通過する・越える」 などが原義です。


■温るる (ぬるる)
ヌル(▽温る) の連体形で、ヌルム(温む)ユルム(緩む) と同義です。
この ヌル が形容詞化すると ヌルイ(温い) になります。


■イブキ守 (いぶきかみ)
イブキトヌシ (息吹凸の宮の主) の換言と思います。


■シムの蹲え (しむのつくばえ)
この シム は 「近親・親族・身内」 などを表し、叔父の ソサノヲ を指します。
ツクバエ は 「うずくまること・身を低めること」 をいいます。

 ★蹲う (つくばふ)
 ツク(漬く)ハフ(這う) の同義語連結で、
 両語とも 「下がる・低まる・沈む」 などが原義です。


■シムの寄り (しむのより)
この シム は 「血」 を意味すると考えます。 ▶シム
ヨリ(寄り) は ここでは 「合わせ・結び・つなぎ」 などの意です。
ですから 「血のつながり・血の絆」 などの意となります。

 

【概意】
このように3度歌えば、胸を打たれ、情よりさすがに緩むイブキ守。
親族がつくばう姿に共涙、駒より降りて、ソサノヲの手を引き起こす血の絆。



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 あいゑることは のちのまめ いさおしなせは はれやらん
 われおたすけて ひとみちに ますひとうたは まめなりと

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 「阿 癒える事は 後の忠 功 成せば 晴れやらん
 我を助けて 一途に マスヒト打たば 忠なり」 と

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■阿癒える (あいゑる)
ア(阿) は 「曲り・隈・欠陥」、イヱル(瘉える) は イユ(癒ゆ) の連体形で、「直る」 の意です。
ですから 「曲りが直る・罪が祓われる」 などの意となります。


忠 (まめ)

功 (いさおし)

■晴れやる (はれやる)
ハル(▽治る・晴る)+ヤル(▽和る) の連結で、
両語とも「和す・治まる・調う・直る・瘉える」などの意です。
ヤル は ヤワス(和す) の母動詞 ヤフ(▽和ふ) の変態です。


■マスヒト
サホコチタル国のマスヒト アメオシヒ を指します。

 

【概意】
「罪の償いとなるは後の忠。功を立てれば癒えて直るだろう。
我を助けて一途にマスヒトを打てば忠なり」 と、


 イブキヌシは 御上 の討伐部隊の隊長ですから、その立場にある者が
 受刑中のソサノヲを部隊に組み入れるということは、一歩まちがえば
 イブキヌシ自身が大罪を負うことになります。それを覚悟した上での
 言葉と考えられます。



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 うちつれやとる さたのみや のりおさためて
 はたれねも しらひとこくみ おろちらも
 うちをさめたる おもむきお あめにつくれは

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 打ち連れ宿る サタの宮 法を定めて
 ハタレ根も シラヒト・コクミ オロチらも
 打ち治めたる 主向きを 陽陰に告ぐれば

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打ち連る (うちつる)
ウツ(打つ)+ツル(連る) の連結で、ウツ は ここでは 「合わす・寄す・引く」 などの意です。


宿る (やどる)
ヨドム(淀む) の変態で、「留まる・滞る・動かずに居る」などが原義です。
この場合は 「滞在する・駐留する・駐屯する」 などの意です。


■サタの宮 (さたのみや)
サタアレ(粗) を治める役所」 をいいます。 ▶宮
サタ の アレヲサ(粗長) が アシナツチ です。

 須佐神社 (すさじんじゃ)
 出雲国飯石郡。島根県出雲市佐田町須佐730。
 現在の祭神:須佐之男命 配 稻田比賣命、脚摩槌命、手摩槌命

 〈須佐神社公式HPより
 須佐能袁命が稲田比売命の御両親である足摩槌命・手摩槌命をこの須佐の宮地を護る
 稲田首(いなたのおびと)とされました。その後、成務天皇30年(160年)、第24代稲田宮主
 益成の時に国土開発に功ありし国津神の末裔であるということで須佐国造に任じられました。
 それより須佐国造出雲太郎某、須佐国造出雲次郎某を名乗っていたが、永享6年(1434年)、
 第59代国造孝時の時に出雲国造を憚って出の一字を除き、以後代々交代に国造雲太郎、
 国造雲治郎(雲次郎)として今日まで連綿と続き、現当主は第78代須佐雲太郎建紀氏である。
 尚、須佐の姓は明治の始めにつけられ、それまでは須佐国造某と名乗るを常としていました。


■ハタレ根 (はたれね)
「ハタレの根源」 という意で、サホコ国のマスヒト アメオシヒ を指します。
このマスヒトのもとに シラヒト・コクミ・モチコ・ハヤコ が集結しています。


■オロチら (おろちら)
オロチ(折霊) に完全支配される 二さすら姫 (モチコとハヤコ) を指します。

 さすらなす 二さすら姫 憤り ヒカハに怒り 成る折霊 弥にわだかまり
 
コクミらも 支えてシムを 奪ひ蝕む 
〈ホ7-3〉


主向き (おもむき)
「主旨・あらまし・概要」 などの意です。


陽陰 (あめ)

 

【概意】
ソサノヲを引き連れてサタの宮に駐留し、
戦法を定めて ハタレの根も、シラヒト・コクミも、モチコ・ハヤコも
打ち治めたる旨をアマテル神に報告すれば、

 

本日は以上です。それではまた!

 

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