ホツマ

→ 語義
  

秀真 (和つま/秀つま)。

1.和。調和。直ぐなさま。中道。和し調えること。
2.(日が) 昇る所。東。 常陸・関東・東海地方。
  

地上の 心 ほつまと 成る時は 花咲く代の 春や来ぬらん』
『磯の地の 真砂は熟みて 尽くるとも ほつまの道は  幾代尽きせじ』
クニトコタチの 八下り子 木草を苞の ホツマ国 東 遥かに 熟み 高く 立ち上る日の ヒタカミや』4文
ニニキネの 御幸 ホツマの ニハリ 成る 乗法 召せば ヲバシリが 技を受けたる タカヒコネ19-2文
『これの 御子に教えて 労わりを 知らねば尊は 鳥・犬ぞ ほつまを並めて 鳥居 成りける』21文
『また皇孫に 御言宣 "汝ら政 怠らず ほつま成る時 ヤタ安ぶらん"』23文
地上の 御柱のまま 成る如く 政 ほつまに 調ひて 二万八千経て 三十の 暦なす頃 国の名も 地上ホツマ24文
ヒロサワを オオタに掘らせ 国となす あまねく通る ホツマ振り 楽しみ歌ふ』24文
『実心を 尽す御孫の ホツマ成るかな』24文
ニハリの 宮 立てて 田水のために ハラミ山 成りて三十万 民を治す ついに地上 ホツマ成る』26文
ホツマ方は カシマオシクモ ヒタカヒコ ミシマミゾクイ ハラ宮に 百上県の モノノベと 豊かに治む』27文
ほつま成る時 自づから 三種の宝 集りて 上祖と成すが ほつまぞと』27文
『乗り下せ ホツマ方 平む 天下斎船 (宣 下せ ほつま道 広む 天地も祝ふね)』29文
生れ付き ただ直く 心ほつまに 驕り無く 夢の徴に 御代の始』35文
『我が御親 ミマキは聡く ほつま知る 誤り正し 謙り下り 神を崇めて 己を懲らす  故 繁篤く 民 豊か』
『"深く謀りて 稜威に伏せ 恵みに懐け ほつま為し 佞まし者を 上つ治に 服わせよ" と 授けます』39文
ニニキネは この心以て ほつま得て 和君となる 羨みて 仮の親子ぞ』40文
『昔曰くは 人は神 神は人なり 名も褒まれ 満ち立つ典の 神は人 人 素直にて ほつま行く まこと神なり』40文
『この時に ミワタタネコ 御代の文 編みて上代の ほつま道と 四十文成して』40文
『二の孕[蓬莱]の 宮は宝を 栄らませて 慕うホツマの 民ぞ生みける』フ034
『直の復れば <心の>穢れを咎む 身の病みも 'ほつまに上ぐる 和' や恐れん』フ106

   

  

ホツマクニ

→ 語義

  
ほつま国 (東国)。

  1. 東の地。ヒタカミ国が独立した後は、ハラミ山 (富士山) を中心とした東海・関東地方。
    勿来
    から北がヒタカミとなった。
      
    クニトコタチの 八下り子 木草を苞の ホツマ国 東 遥かに 熟み 高く 立ち上る日の ヒタカミや』4文
    『上るホツマの "ヲハシリの 坂" に行き会ふ 御使人は 御内に侍る カスガマロ 担を据えて 松の蔭』11文
    『予てホツマと ヒタカミの 境に出待つ フツヌシが さか迎ひして 初まみえ』11文
    ホツマ国 カシマの宮の 代嗣に ツハヤムスビの 孫なる ココトムスビの 若子の アマノコヤネの 人と成り』ミ逸文

    ニニキネの 御幸 ホツマの ニハリ成る 乗り法召せば ヲバシリが 技を受けたる タカヒコネ19-2文
      

      
  2. ニニキネの偉業で成し遂げられたシワカミのホツマ国。場所は1と同じ。
      
    ホツマ国 治まる後に フツヌシの カトリの道を 悉く コヤネに授け 隠れます』16文
    地上の 御柱のまま 成る如く 政 ほつまに 調ひて 二万八千経て 三十の なす頃 国の名も 地上ホツマ24文

    ソヲ高千穂の 日に辞む 朝はアサマの 日に向ふ 日向ふ国と ホツマ国26文
    ホツマ方は カシマオシクモ ヒタカヒコ ミシマミゾクイ ハラ宮に 百上県の モノノベと 豊かに治む』27文
    ナガスネが 我を立つれば 市 騒ぐ 故にハラミの 御子告れて』28文
    ホツマヒタカミ 糧船を 上さぬ故に タガの宮 ツクシの宮に 行き居ます』28文
    『乗り下せ ホツマ方 平む 天下斎船 (宣 下せ ほつま道 広む 天地も祝ふね)』29文39文
    オオヒコをして 御使 タケヌナガワを ホツマ御使 キビツヒコして 西南の御使 タニハチヌシを 丹波御使』33文
    この夢を 考えて "が夢 ただ  東向き ホツマ治めよ は四方 民を治むる 代嗣なり"』34文
    纏向の 日代の四十年 六月 ホツマ騒げば サカオリの タケヒ上りて 巡幸り乞ふ』39文
    諸集め 宣給わく "ホツマヱミシ 掠めると 誰人遣りて 平けなんや"』39文
    『散々悔み いま若宮に 奉る  僕が モトヒコに 結ぶしづくの 源を 思してホツマ 領ろし召せ"』39文
    『ここに タケウチと 語り合わせて ホツマ国 橘モトヒコを 己になして』39文
    アスカの ナガスネが  盗めども アスカ君 正さぬ故に "乗り下せ ホツマ方 平む 天下 斎船" 万に謳ふ』39文
    『ついにホツマの 政事 に通れば 悉く 纏ろふ時ぞ 歌は地 力は 賜はりし』39文
    『二月八日に 国周り 纏らふ標 橘籠を 屋棟に捧げ "事納" ホツマの代々の 慣わせや』39文
    『これ昔 ホツマ下りの 御饗時 解き置く剣 松の根に 置き忘れしが 永らえり』40文
    キビタケヒコは 都方へ 上せ申さく その文に "ハナヒコ申す 臣 昔  御言を受けて ホツマ打ち"』40文
    『"ホツマを打たす 人なきを 忍びて仇に 入らしめば 明け暮れ帰る 日を待つに"』40文
    『二の孕[蓬莱]の 宮は宝を 栄らませて 慕うホツマの 民ぞ生みける』フ034
    『清(キヨヒト)の治の 政 豊かに 寿けば 晴ら[蓬莱]と潤う 民ぞ 至けり』フ098

  

  

ホツマキミ

→ 語義
  

ホツマ君。
「ホツマ」は、ここでは「東」の意。
トヨケ
のこと。 =東の君
  

ホツマ君 桂来山の 八千座の 禊も満ちて 桂木の 出車成して 迎えんと ハラミ山下に 伝え寄る』ミ逸文
元明を 写すタカマに アメミヲヤ 元々天並 三十二神 纏れば "廻みの トヨケ尊" 東の君と  受けて』4文

  

  

ホツマアソビ

→ 語義
  

ほつま遊び。
生育の遊び。稲の育成の真似事。 田遊。

ホオテミがツクシで開墾事業を行っていた頃、稲苗の植付け後の五月の十五日に、ハヱ葉ユツリ葉ウケ神に供え、稲育成の真似事(ほつま遊び)を行って、収穫の歌を歌うという祭をウサの県で始めたところ、トヨの国に広がり、またツクシ全土で流行るようになった。今でも新春に門松・ハヱ葉・ユツリ葉を飾るのはこれが本となっている。
 

【田遊】タアソビ −広辞苑より−
稲の豊作を予祝する神事芸能。多く正月に行われ、老夫婦・田主(たあるじ)・早乙女(さおとめ)などに扮装した農民が、社寺の境内で、田打・代掻・田植・鳥追・刈上・倉入など、収穫までの行事を模擬的に演ずる。「あそび」は神楽(かぐら)の意。御田(おんだ)・春田打・田植祭とも。<季・新年>
  

『五月の十五日の 春祝 餅飯・ハヱ飾き ウケ神に 祝ふ 穂長と 譲栄の ほつま遊びの 瑞穂歌』25文

  

  

ホツマツカサ

→ 語義

  
ホツマ司。
ミマキイリヒコ(崇神天皇)トヨキイリヒコをこれに任命した。
  

『四月十九日ツミヱ 御言宣 ヰソサチ立てて 代嗣御子 トヨキイリヒコ ホツマ司ぞ』34文

  

  

ホツマシルベ

→ 語義
  

ホツマ知る侍。 
景行天皇
二五年七月一日にタケウチが任命される。 
この頃すでに朝敵の汚名を着せられ、ヱミシと呼ばれているヒタカミ国ホツマ国のへの諜報・調略部員。
  

タケウチに ホツマ知る侍の 御言宣 北より津軽 ヒタカミや 橘の館に 道を聞く』38文

  

  

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