フツヌシ

→ 語義
  

経津主神。 
香取尊/神。フツノミタマ。 
誰の子か不明。また子孫は無かったようだ。アマノコヤネの叔父。

イツナミチモノマに対して、ツハモノヌシミカツチと共に初めて霊還しを実践した。 
六ハタレ
退治の功により、カグヤマ (ホツマ国) を治め、また『カトリ尊』の名を賜る。 
ミカツチと共に「カシマ立ち」を成功させる。
オシホミミ
羽の臣。  
フツヌシの妹のアサカ姫は、ヰチヂ (ココトムスビ) の妻となり、アマノコヤネを生む。

カトリの名は「グ山 (ハラミ山) を司とれ」から来ており、これはホツマ国の治めを任せられた事を意味する。このためフツヌシは「カトリ上君・上つ君」とも呼ばれ、一段高い尊敬を得ている。
  

千葉県佐原市香取、香取 (カトリ) 神宮
奈良県奈良市春日野町、春日 (カスガ) 大社
大阪府東大阪市出雲井町、枚岡 (ヒラオカ) 神社

  

        ┌フツヌシ
       ??┤
        └アサカ姫┐
             ├─アマノコヤネ─┐
ツハヤムスビ─??─ヰチヂ─┘        ├オシクモアメタネコウサマロ ・・・ ・・・ ・・・オオカシマ
                      │    │
                      ├ヒタチ ├(アウヱモロ)
トヨケ─??─ヲハシリタケミカツチヒメ──┘    │
                           └(タケチノコリ)
*アウヱモロとタケチノコリについては推定。
 
  
  

★『書紀』磐裂根裂の子の、磐筒男・磐筒女が生んだ神。一名、伊波比主神(斎主神)。
★『from 神紋と社家の姓氏』香取神宮の大宮司は香取氏を称していた。香取大系図によれば、香取氏は神宮祭神である経津主命の子苗益命を祖とする、すなわち香取神経津主命の神裔である。豊佐登のとき香取連を賜り、文武朝期、雄足が香取社大祭を行っている。その曾孫五百島は大中臣氏から養子を迎えた。以後、香取氏は香取姓を改めて中臣姓を称するようになった。
  

の実心 麗わしく 禊司を カナサキに フツヌシ副えて ミカツチも 功合わせ 打たしむる』8文
『また早雉は 大ハタレ 立山に 現れて アノに到れば 守議り フツヌシ遣りて これを打つ』8文
『棘矢放せば フツヌシが 手に取る時に 指 破れ 先ず馳せ帰り 陽陰に告ぐ』8文
考えて イソラミチ 粔籹と 賜われば フツヌシ諸と 弓懸して 新に向かいて 矢を求む』8文
フツヌシ曰く "弓懸あり 何ぞ痛まん 受けよ" とて ハハ矢放せば ハタレ取る 共に笑いて』8文
ココストの道 大御神 ツハモノヌシと フツヌシと タケミカツチに 霊還し 猿更る沢に 起る道かな』8文
『またフツヌシは "カグ山を 司れ" とて カトリ尊8文
カトリが妹 アサカ姫 
ココトムスビの 妻として 生むカスガマロ ワカヒコぞ』8文
『"フツヌシ良し" と 皆 言えば  タケミカツチが 進み出で "あに唯一人 フツヌシが 優りて我は 優らんや"』10文
タカギ "勇みの ミカツチや" フツヌシ副えて カシマ立ち10文
『常磐に守る 和尊の 汚穢の禊の 先駆は フツヌシ尊も 倣ふなりけり』ミ逸文
『逆ふは斬りつ 服ふは 褒めて 諸守 率いつつ に返れば 代の殿 政を執りて 御言宣』10文
『汝 フツヌシ アワウワの 透る導き 盛んなり』10文
『予てホツマと ヒタカミの 境に出待つ フツヌシが さか迎ひして 初まみえ』11文
フツヌシも "名こそもがなに" カスガマロ 直さの歌に "名こそ知る フツの尊の 酒迎ひ"』11文
『応うフツヌシ 差使に 迎ふ折節 計り知る 通ふ情けの 思ひあり』ミ逸文
フツヌシと ミカツチ 常に 侍りて 政事守れ 麻績布 八響の幡と 還弓 ハハ矢を添えて 賜ふのみ』11文
『右はヒタカミ 結君と カル君翁 次カトリ 上君および カシマ君 ツクバシホカマ 諸も座す』13文
フツヌシ迎え 門言終え 入ります後に 物語』16文
『我 願わくは 上つ君 橋架けなして 給わんや』16文
『応うフツヌシ "差使に 向かふ折節 計り知る 通ふ情けの 思ひあり"』ミ逸文
ホツマ国 治まる後に フツヌシの カトリの道を 悉く コヤネに授け 隠れます』16文
ハタレ君 七十万九千を 群れ集め 国を乱れば スミヨロシ カトリカシマや イフキヌシ カダタチカラヲ クスヒ尊28文
『みな得て これを打つ 時に六ハタレ みな降る これ皇尊の 御言宣』28文

  

  

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