オオカシマ

→ 語義
  

大鹿島。大鹿嶋。
アメノコヤネの十代目後裔。クニナツ(国摩) 斎名と思われる。 =ミカサカシマカシマ
ミマキイリヒコ(10代崇神天皇) の時、ヲトミ(大臣) として、宇陀スミ坂オオ坂タタネコと共に霊還しをする。 
垂仁天皇オトド(大臣)。 
垂仁天皇25年、阿倍の祖タケヌナガワ、和邇の祖ヒコクニフク、物部の祖トイチネ、大伴の祖タケヒと共に、厚く神祇を祭祀せよとの御言宣を賜わる (五大夫)
伊勢宮の完成時、斎主を勤める。 
上総に着いたヤマトタケ軍を迎入れ御饗をなす。事前にカトリトキヒコカシマヒデヒコイキスオトヒコにも集合をかけている。ヒタカミミチノク降伏後に、ヒタチ(常陸)・カズサ(上総)・アワ(安房)の三国を賜る。
妹背の神臣三笠文の編者。
  

三重県多気郡相可、相鹿上 (オオカガミ) 神社
兵庫県竜野市揖保町中臣字宮ノ下、阿波遲 (アハチ) 神社
  

★オオカシマの末が荒木田氏で伊勢内宮の禰宜を代々勤める。

  

        ┌フツヌシ
       ??┤
        └アサカ姫┐
             ├─アマノコヤネ─┐
ツハヤムスビ─??─ヰチヂ─┘        ├オシクモアメタネコウサマロ ・・・ ・・・ ・・・オオカシマ
                      │    │
                      ├ヒタチ ├(アウヱモロ)
トヨケ─??─ヲハシリタケミカツチヒメ──┘    │
                           └(タケチノコリ)
*アウヱモロとタケチノコリについては推定。
  
  

マキムキの ヒシロの御代に ミカサ臣 妹背の神臣 ヲヲカシマ 二百四十七歳 捧ぐ餞押』
『四月二十二日 大臣カシマと タタネコと "霊還し" 宣り 纏らしむ 故に明るき』33文
『二十五年の 二月八日に 御言宣 タケヌガワケと クニフクと ミカサカシマと トイチネと タケヒら 諸に』
『我が御親 ミマキは聡く ほつま知る 誤り正し 謙り下り 神を崇めて 己を懲らす  故 繁篤く 民 豊か』
『今 我が代にも 怠らず 神祭らん" と』
36文
ヤマトタケ 上総に入れば 枝に 鏡を掛けて 向かひます』39文
カトリトキヒコ ヒデヒコと イキスオトヒコ 予て待つ オオカシマより 御饗なす』39文
『南は常陸 上総・安房 ミカサカシマに 賜りて カシマヒデヒコ トキヒコも オトヒコ三人  御衣賜ふ』39文
能褒野に傷み 重ければ 虜五人を 宇治に遣り カシマ尊の 添人ぞ』40文
『この時に ミワタタネコ 御代の文 編みて上代の ほつま道と 四十文成して』40文
クニナツに 示せば互ひ ミカサ文 見映え示して あい語り 新たに染めて 二家より 上げ奉る』40文
『君は "御機"を 染めませば も "ミカサの "を染む』ミ序
オオタタネコも "ホツマ文" 染め捧ぐれば 三種法 具ふ宝と 御言宣』ミ序
マキムキの ヒシロの五十三年 年ツミヱ 八月初日に ミカサ臣 妹背の神臣 ヲオカシマ 二百五十七歳 捧ぐ餞押』ミ序
『然れど道も 諸家に 造作 違えば ホツマ文 著す時に  アツタ神ミ序
『告げてには "橘御機" 押させ給えば 鏡臣 麓社の  奉ぐ』ミ序
も上ぐれば 御言宣 "三種の道の 具わりて 幸得る今" と 宣給えば 各々上祖 祭るべし』ミ序

  

  

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