キビツヒコ・キビヒコ

→ 語義
  

吉備津彦。 
ヰサセリヒコのことではなく、弟ワカタケヒコの子をいうようだ。
イナヒヲイラツ姫の父。またおそらくキビタケヒコハリマタケヒコの父。
崇神天皇のとき、四方の治人の西南担当に任命されている。
崇神天皇のとき、タケヌナガハと共に出雲の神主フリネを討つ。
  

兄ワカタケヒコが治めた吉備上道と、弟ワカタケヒコ治めた吉備下道は、播磨も含めて、この人の代に統一されたように感じている。その理由は、(1)キビツヒコは四方の治人の一人となり、西南を平定している。(2)この人の娘のイナヒヲイラツ姫は「播磨のイナヒヲイラツ姫」と書かれている。(3)イナヒヲイラツ姫の葬儀には「吉備・播磨 兄弟のタケヒコ」が参列している。これは吉備・播磨の兄弟のタケヒコが、イナヒヲイラツ姫の兄弟であることを示すように思われる。(4)広島県府中市の小野神社の由緒に、吉備のタケヒコが弟ワカタケヒコの孫であると書かれている。
  

岡山県岡山市吉備津、吉備津 (キビツ) 神社
広島県福山市新市町宮内、吉備津 (キビツ) 神社

  
孝霊天皇兄ワカタケヒコ      ┌イナヒヲイラツ姫ヲウス
    │ (吉備上道) ─┐    │        │
    │        │統合  │        └オウス
    │        ↓    │          ┃
    └弟ワカタケヒコキビツヒコキビタケヒコアナトタケ姫
      (吉備下道)       │      │
                  │      └御友別命─オトヒコ
                  │
                  └ハリマタケヒコ
    
  

オオヒコをして 御使 タケヌナガワを ホツマ御使 キビツヒコして 西南の御使 タニハチヌシを 丹波御使』33文
カラヒサは甥 ウカツクヌ 連れ上ぼり に告ぐれば キビヒコと タケヌワケとに 御言宣』34文

キビツヒコが姫  立つ 播磨イナヒ ヲイラツ姫 内侍の時に 去年四月  孕みて生まず 二十一月経て』38文

  

  

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