ハリマ

→ 語義
  

播磨。
孝霊天皇の時、西国の情勢が不穏となった為、インベ主ヤマトヰサセリヒコを、チノクチと播磨ヒカワに派遣して服わす。
新羅の皇子ヒボコは播磨に到着し、宍粟に到る。
景行天皇は、播磨のイナヒヲイラツ姫内侍として召す。
景行天皇は、ヤマトタケが連れてきたヒタカミ・ツガルの国造五人を、播磨・安芸・阿波・伊予・讃岐に分け置くことにした。これらが佐伯部となる。
  

【播磨】ハリマ −大辞林より−
1.旧国名の一。兵庫県の南西部にあたる。播州(ばんしゆう)
2.兵庫県南部、加古郡の町。瀬戸内海に臨み、溜(た)め池が多い。
  

■播磨、吉備上道吉備下道は、孝霊天皇の時に「四方の治人」の西南治人に任命されたキビツヒコによって、行政区画的に一旦統一されたと考えている。
  

『五十三年 西中負えず チノクチと 播磨ヒカワに 斎瓮主 ヤマトヰサセリ これに添え』32文
瑞籬の 三十九年ヒボコは 播磨より 到る宍粟 その時に オオトモヌシと ナガオイチ 播磨に遣りて 問はしむる』35文
『よりて "播磨の 出浅村 淡路宍粟 ままに居れ" ヒボコ申さく "住む所 許し給はば 巡り見ん"』35文
キビツヒコが姫  立つ 播磨イナヒ ヲイラツ姫 内侍の時に 去年四月  孕みて生まず 二十一月経て』38文
ヱミシらは 人心無く 置き難し ままに分け置く 播磨安芸 阿波・伊予・讃岐 佐伯部ぞ』
40文

  

  

ハリマヒカワ

→ 語義
  

播磨の鄙郷。
播磨国の端・辺境。
孝霊天皇の時、西国の情勢が不穏となった為、インベ主ヤマトヰサセリヒコを、チノクチと播磨ヒカワに派遣して服わす。
  

兵庫県加古川市加古川町大野、日岡 (ヒオカ) 神社
  

★『古事記』大吉備津彦命と稚武吉備津彦命とは、二柱相副ひて、針間の氷河(ひかわ) の前(さき) に忌瓮(いわいべ) を居ゑて、針間を道の口として、吉備国を言向け和したまひき。
  

『五十三年 西中負えず チノクチと 播磨ヒカワに 斎瓮主 ヤマトヰサセリ これに添え』32文

  

  

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