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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第201回 [2024.x.x]
第三八巻 ヒシロの代 クマソ打つ文 (1)
著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com
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景行天皇ー1-1
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ひしろのよくまそうつあや (その1)
ヒシロの代 クマソ打つ文 https://gejirin.com/hotuma38.html
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ひしろのよくまそうつあや
ときあすす なもやそやほの ふつきそひ
あまつひつきお うけつきて
いむなたりひこ をしろわけ あめすへらきの としやそひ
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ヒシロの代 クマソ打つ文
時 上鈴 七百八十八年の 七月十一日
和つ日月を 受け継ぎて
斎名タリヒコ “ヲシロワケ天皇” の 歳八十一
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■ヒシロの代 (ひしろのよ)
ヒシロ は 景行天皇の新都 マキムキヒシロ宮 の略です。
ですから 「ヒシロ宮を都とする時代」
という意で、「景行天皇の御代」 の換言です。
■クマソ (曲襲)
クマ(曲) は
「曲るさま・逸れるさま・背くさま」 を意味し、
ソ(襲) は 曽於(ソヲ)の国
に属する県の名です。現在の 「都城市」
付近の地と考えています。
ですから 「背いた襲」 という意です。記紀には 熊曾
/ 熊襲 と記されます。
後に景行天皇により 曽於国は分割され、ソ(襲・曽) は “県” から “国” に昇格します。
■上鈴七百八十八年 (あすずなもやそやほ)
上鈴788年は 西暦71年
に相当し、干支はサシトです。 ▶上鈴 ▶干支
ミマキイリヒコ─┐ (崇神天皇) ├────イクメイリヒコ(斎名ヰソサチ:垂仁天皇) ミマキ姫────┘ ┃ ┃ ヒコヰマス────────サホ姫[内宮1]───────(1)ホンツワケ ┃ ツヅキタルネ─────┬─カバヰツキ姫[内宮2]────(2)ヤマト姫 │ ┃ └─カクヤ姫[内侍] ┌(3)ニシキイリヒコ(斎名ヰソキネ) ┃ ├(4)ヤマトヲシロワケ(斎名タリヒコ) タニハチヌシ─────┬─ヒハス姫[内宮3]─────┼(5)オオナカ姫 │ ┃ └(6)ワカキニ(斎名ハルヒコ) ├─ヌハタニイリ姫[典侍]-──┬(7)ヌテシワケ │ ┃ └(8)イカタラシ姫 ├─マトノ姫[内侍] │ ┃ ┌(9)イケハヤワケ └─アサミニイリ姫[内侍]-──┴(10)アサツ姫 ┃ 大国サラス────────カマハタトベ[内宮4]────(11)イワツクワケ(斎名トリヒコ) ┃ 山背フチ─────────カリハタトベ[?]─────┬(12)ミヲヤワケ ├(13)ヰイシタリヒコ └(14)ヰタケワケ
【概意】
ヒシロの代 クマソ打つ文
時 上鈴788年の7月11日、和つ日月を受け継ぎて、
斎名タリヒコ、“ヲシロワケ天皇” の、歳は81。
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みくさたからの あまをしか やとよのみはた たかみくら
いとおこそかに あまつかみ むへくたります
みかさりお たみにおかませ わかみやの はつこよみなる
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三種宝の 天御使 八響の御幡 高御座
いと厳かに 天つ神 むべ下ります
御飾を 民に拝ませ 若宮の 初暦成る
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■三種宝の天御使 (みくさたからのあまをしか)
「三種宝を新皇に手渡す天の御使」 の意で、“三種使”
とも呼ばれます。
“天” は 「日 / 月 / 星」 を意味します。 ▶三種宝 ▶御使 ▶三種使
今
天君の 位成る 昔は御上 分け授く 今は無きゆえ その使ひ 寄りて議れば 皆
曰く
「日の神使 ミチヲミと 月の使は アタネなり 星の使は アメトミ」
と 〈ホ30-2〉
■天つ神むべ下ります (あまつかみむべくたります)
新たな天皇の即位を 「天界の神々が祝って下られる」
という意味です。 ▶むべ
これはウガヤの即位に際して、“御祖天君”
の称号を授ける時の、アマテルの御言宣が
基になっていると思われます。
名も “御祖天君” この心 万の纏りを 聞く時は 神も下りて 敬えば 神の御祖ぞ 〈ホ27ー4〉
■初暦 (はつごよみ)
この場合は 「景行天皇の暦の開始=景行元年」
ということです。
【概意】
天御使が三種宝を授与し、八響の御幡を八隅に立てた高御座に座せば、
それを祝福して、いとおごそかに天の神々も降臨されます。
御飾を民に拝ませて 若宮の初暦 (景行元年) が成る。
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ふほやよひ きひつひこかめ たつきさき
はりまのいなひ をいらつめ うちめのときに こそうつき
はらみてうます ふそひつき へてしはすもち
うすはたに もちはななして ふたこうむ
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二年三月 キビツヒコが姫 立つ后
播磨のイナヒ ヲイラツ姫 内侍の時に 去年四月
孕みて生まず 二十一月 経て十二月十五日
臼端に 餅花なして 双子生む
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■キビツヒコ・キビヒコ (吉備つ彦・吉備彦)
四道の軍の “西南の治人”
に任じられており、この時点での吉備国の国造です。 ▶四道の軍
吉備の国は、かつては 吉備上道
と 吉備下道 に
行政上の区画が分けられていましたが、
キビツヒコの時代には1つに統合され、またさらに播磨国の治めもキビツヒコが兼任したようです。
キビツヒコの子に キビタケヒコ と ハリマタケヒコ
がおり、次の世代においては
キビタケヒコが吉備の国造、ハリマタケヒコが播磨の国造となっています。
孝霊天皇┬兄ワカタケヒコ │ (吉備上道) ─┐ │ │統合 ┌キビタケヒコ │ ↓ │ └弟ワカタケヒコ─キビツヒコ─┼ハリマタケヒコ (吉備下道) │ └イナヒヲイラツ姫
■立つ后 (たつきさき)
■播磨のイナヒヲイラツ姫 (はりまのいなひをいらつめ)
播磨国もキビツヒコが領主なので、この 播磨 は
=吉備=キビツヒコ と考えられます。
ですから 「播磨の臣(=キビツヒコ)の娘の
イナヒヲイラツ姫」 ということです。
記紀には 針間之伊那毘能大郎女
/ 播磨稲日大郎姫 と記されます。
イナヒ は ユヒナフ(▽結ひ和ふ)
の名詞形で、「結い合せ・結び付き」 が原義です。
ヲイラツメ は ヲ(大)+イラ(苛)+ツ(=の)+メ(姫) で、
イラ(苛) は イラカ(甍) の
イラ と同じ、「上・高み・頂き」 などが原義です。
ですから 「(皇と)結び付く大いに高貴な姫・(皇と)結び付く最高位の姫」
という意で、
内宮・御后
の換言です。ヲイラツメ は オイラン(花魁)
の母語と考えてます。
■内侍 (うちめ)
■臼端 (うすはた)
「臼のそば・臼のまわり」 です。
★臼・碓 (うす)
ウス(失す)
の名詞形で 「凹むさま」 を表します。
■餅花 (もちばな)
モチ(茂・望) と ハナ(花・華・跳) を祈るモノザネです。 ▶画像
【概意】
景行2年3月、キビツヒコの姫、播磨のイナヒヲイラツ姫を后に立てる。
内侍の時、去年4月に孕むも <1年に> 生まず、21か月を経た12月15日、
臼端で餅花をこしらえている時に、双子を生む。
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ゑのなもちひと をうすみこ とのなはなひこ おうすみこ
ともにいさみて ひとなりは みのたけひとせ
ゑはよわく とはふそちから
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兄の名モチヒト ヲウス御子 弟の名ハナヒコ オウス御子
共に勇みて 人態は 身の丈 一背
兄は弱く 弟は二十力
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■モチヒト ■ヲウス・ヲヲウス・オホウス
双子の兄の名です。モチヒトは斎名、ヲウスは
「大臼・兄臼」 の意です。
“ウス端でモチハナを作る時に生れる兄”
ということでしょう。
■ハナヒコ ■オウス・コウス
双子の弟の名です。ハナヒコは斎名、オウスは
「小臼・弟臼」 の意です。
“ウス端でモチハナを作る時に生れる弟”
ということでしょう。
■勇む (いさむ)
ここでは 「勢いよく育つ」 という意味だと思います。
■人態・人形 (ひとなり)
この場合は 「体つき・体格」 を意味し、ミナリ(身形)
と同じです。
■一背 (ひとせ)
長さ/高さ の単位で、セ(背)
は 「男」 を意味し、古代の男性の平均身長を “一背”
と表します。
1背=1間=8尺=約180cm です。 ▶尺
ヤタ(8尺)はヤタミの もとの丈 いにしえ造る 間計りは
八十万人の 均れ丈を 集め計りて 一坪を 今の一間の 物差しぞ 〈ホ17ー1〉
【概意】
兄の名は 斎名モチヒト、ヲウス御子。
弟の名は 斎名ハナヒコ、オウス御子。
共に発育が勇み、体つきは身の丈1背(180cm)だが、兄は弱く、弟は20人力。
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みほのはる きさらきはつひ きのくにに かみまつらんと
うらなえは ゆくはよからす みゆきやめ
おしまことのこ うましたけ ゐこころやりて まつらしむ
あひかしはらに ことせすむ きのうちまろか やまとかけ
めとりてうむこ たけうちそ
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三年の春 二月初日 紀の国に 神 纏らんと
占えば 「行くは良からず」 御幸やめ
オシマコトの子 ウマシタケ ヰココロ遣りて 纏らしむ
太陽畏原に 九年住む 紀のウチマロが ヤマトカゲ
娶りて生む子 タケウチぞ
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■紀の国に神纏る (きのくににかみまつる)
紀の国の 太陽の前宮に 日の前ムカツ姫の神霊
を纏るということだと思います。
太陽の前宮
は、紀州を襲った稲虫を退治した ムカツ姫
の功を称えて付けられた名ですが、
この宮は紀州の 国懸(=政庁)
だったため、これまでは神が纏られていなかったのだと思います。
あらゆる社殿に 八百万神を纏る
ようになるのは、崇神天皇の御言宣以降のことです。
あまねく触れて 神崇め 神名記 成す 神部して 八百万神を 纏らしむ 〈ホ33-2〉
日前國懸神宮
(ひのくまくにかかすじんぐう)
紀伊国名草郡。和歌山県和歌山市秋月365。
現在の祭神:日前大神 (日像鏡)、国懸大神 (日矛鏡)
<筆者注> 日像鏡と日矛鏡は、ムカツ姫が フタ見の岩
に置いた マフツの鏡
だろうと思います。
孝霊天皇┐ ├───────孝元天皇 ホソ姫─┘ ┃ ┃ オオヤクチ─┬─────ウツシコメ[内侍→内宮]─┬(1)ヤマトアエクニ(斎名オオヒコ) (孝霊スクネ) │ ┃ ├(2)ワカヤマトネコヒコ(斎名フトヒヒ:開化天皇) │ ┃ └(3)トト姫 │ ┃ └ヘソキネ─イカシコメ[内侍]─────(4)オシマコト(斎名ヒコフト) ┃ 河内アオカキカケ────ハニヤス姫[乙下→内侍]──(5)ハニヤス(斎名タケハル)
■ウマシタケヰココロ・ウマシウチ
オシマコト が オウチの妹 タカチ姫 を娶って生んだ子で、
32アヤでは ウマシウチ と呼ばれています。 ▶オウチ ▶タカチ姫
日本書紀には 屋主忍男武^心命
などと記されます。
ウマシ は ヤワシ(和し)
の変態。タケ は イタク(▽慈く)
の母動詞 “タク” の名詞形。
ヰココロ は “妹心(ゐこころ)
守るべし” と遺言された 「セオリツ姫」
を指すと考えます。
また后 ヒロタに行きて ワカ姫と 共に妹心 守るべし 〈ホ28-4〉
■太陽畏原 (あひかしはら)
アヒ(▽太陽) は
アヒノマヱミヤ(太陽の前宮)
の略。
カシハラ(▽畏原) は
「畏き区画」 を意味します。
ですから 「日の前ムカツ姫の聖域」
というような意味です。
日本書紀には “阿備柏原” と記されます。
■紀のウチマロ (きのうちまろ)
「紀の国造」 を意味する個人名で、日本書紀には 菟道彦(うぢひこ)
と記されます。
紀ウツ と ヤマトカケ の父です。 ▶紀ウツ
ウチ(内) は アマテルの 内宮
を表すもので、日の前ムカツ姫の聖域=太陽畏原
の換言です。
和歌山市宇須(うず)、和歌山市宇治(うじ)薮下
などに残ります。
マロ は この場合は モリ/モロ(守)
の変態と考えています。
孝元天皇 ├─────オシマコト イカシコメ │ ├───ウマシタケヰココロ(=ウマシウチ) │ │ 葛城タルミ┬オウチ │ │ └──タカチ姫 ├───タケウチ │ 紀のウチマロ─┬紀ウツ │ └─ヤマトカケ姫
江野神社 (えのじんじゃ)
越後国頚城郡。新潟県上越市名立区名立大町字明神山1335。
現在の祭神:建御名方命、事代主命、大己貴命、素佐能男命、稻田比賣命
屋主忍男武雄心命、影姫命、武内宿禰命
【概意】
景行3年春の2月1日、紀の国に神を纏らんと占えば、「行くは良からず」
と出たため、
御幸は取りやめ、代りにオシマコトの子のウマシタケヰココロを遣って纏らせる。
太陽の畏原に9年住む間に、紀のウチマロのヤマトカケ姫を娶って生む子がタケウチぞ。
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よほきさらもち みのにゆく とみらもふさく よきめあり
やさかたかより ここなきり うえてたのしむ ここりみや
かれこれゑんと みゆきして みのたかきたの たかよりの
ここりのみやに かりいます
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四年二月十五日 美濃に行く 臣ら申さく 「良き姫あり
ヤサカタカヨリ 菊・桐 植えて楽しむ ココリ宮」
故これ得んと 御幸して 美濃高北の タカヨリの
菊桐の宮に 仮居ます
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■ヤサカタカヨリ・ヤサカイリヒコ (斎名オオキネ)
ヤサカフリイロネ
が生んだ崇神天皇の2男、ヤサカイリヒコ
の別名で、斎名オオキネです。
タカヨリ(尊寄り) は 「尊き人(=景行天皇)
が立ち寄ること」 を意味するものと考えます。
他文献には “タカヨリ” という名は登場しません。
開化天皇 ├──────崇神天皇(ミマキイリヒコ・斎名ヰソニヱ) イカシコメ ┃ ┃ ┌(6)トヨキイリヒコ(斎名シキヒト) ┃ │ オオヒコ───┬ミマキ姫[内宮]──────────┴(7)イクメイリヒコ(斎名ヰソサチ:垂仁天皇) │ ┃ └クニカタ姫[内侍]─────────┬(8)チチツクワ姫 ┃ │ ┃ └(9)イカツル(斎名チヨキネ) ┃ 紀アラカトベ──トオツアヒメクハシ姫[内侍]────┬(1)トヨスキ姫 ┃ │ ┃ └(3)ヤマトヒコ(斎名ヰソキネ) ┃ 近江国造────ヤサカフリイロネ姫[大典侍]────┬(4)ヤサカイリヒコ(斎名オオキネ) ┃ │ ┃ └(5)トチニイリ姫 ┃ 尾張国造────オオアマ姫[中橋]──────────(2)ヌナギ姫
■菊 (ここな)
■桐 (きり)
キリ(切り・限) の意で、やはり
「際限・極限・究極・至高」 を表します。
■ココリ宮 (ここりみや)
ココリ は ココ(菊)+キリ(桐)
の短縮です。
日本書紀は 泳宮(くくりのみや)
と記し、現在も 岐阜県可児市久々利に
「泳宮古跡」 があります。
泳宮のすぐ近くには八坂入彦命の陵があり、またこの地から南の土岐市泉町には、
弟姫を葬ったと伝える 「乙塚古墳」 があります。
■高北・▽尊来方 (たかきた)
タカ(高・貴・尊)+キ(来)+タ(手・▽方)
で 「尊き人(=景行天皇)が来た所」 という意です。
なお “高北” の漢字表記は万葉集によります。
ももきね 美濃の国の 高北の泳の宮に 日向ひに ・・・ 〈万葉集13〉
■仮居る (かりいる)
「仮住まいする・仮宮とする」 という意で、これは
新都のマキムキヒシロ宮が建設中なので、
その完成まで仮住まいするということだと思います。 ▶仮宮
【概意】
景行4年2月15日 美濃に行く。
臣らが申すには、「ヤサカタカヨリが菊と桐を植えて楽しむココリ宮に良き姫あり」
しかればこれを得んと御幸して、美濃高北のタカヨリのココリの宮に仮住まいします。
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いけすのそめは さしのそく おとひめとめて きみめしつ
ひめおもえらく いせのみち かよえるのりも つやならす
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生簀 のぞめば 差し覗く オト姫 留めて 君 召しつ
姫 思えらく 妹背の道 通える法も 艶ならず
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■差し覗く (さしのぞく)
サス(差す・挿す・注す)+ノゾク(覗く)
の同義語連結で、両語とも 「合う/合わす」 が原義。
この場合は 「目にする・目に入る」 の意です。
■オト姫 (おとひめ)
ヤサカタカヨリ の娘の1人で、「妹の姫」 という意です。
オトは 「下・乙・幼・弟・妹」
の意を表します。日本書紀には “弟姫” と記されます。
■留む (とむ)
この場合は 「目に留める・心に留める・気に留める」
という意です。
■通える法 (かよえるのり)
今に言う 通法(つうほう)
で、「世間一般に広く通っている法」 をいいます。
この場合は 「妹背の道・男女の道・夫婦の道」 です。
■艶ならず (つやならず)
「艶にあらず・輝いて見えない・魅力を感じない」
などの意です。
★艶 (つや)
ツハ/ツワ(鍔・唾)
の変態で、「抜きん出るさま・(光彩を)放つさま・秀でるさま」
をいいます。
【概意】
生簀を眺めている時に
目にするオト姫を心に留め、君が召しても、
“夫婦の道は広く世に通る法なれど 輝きを感じない”
と姫には思えて、
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きみにもふさく やつかれは とつきこのます
みあらかに めすもよからす あねかなお やさかいりひめ
すかたよく きさひのみやに めさるとも みさほならんか
きみゆるし あねひめおめす
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君に申さく 「僕は とつぎ好まず
御殿に 召すも良からず 姉が名を ヤサカイリ姫
姿良く 后の宮に 召さるとも 操 成らんか」
君 許し 姉姫を召す
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■とつぎ
■御殿 (みあらか)
ミ(御・▽上)+アラカ(殿・舎)で、この場合は
「皇居」 を意味します。
■ヤサカイリ姫 (やさかいりひめ)・ヤサカ姫 (やさかひめ)
ヤサカイリヒコ(=ヤサカタカヨリ)
の娘で、オト姫の姉です。
記紀には 八坂之入日売命 /
八坂入媛命 と記されます。
■后の宮 (きさひのみや)
局(つぼね)
たちが居住する 「内つ宮・皇居」 の別名です。 ▶后(きさひ) ▶内つ宮
後世は 後宮(こうきゅう)
と呼ばれます。
■許す (ゆるす)
ここでは 「許容承諾する・受け入れる」 などの意です。
【概意】
君に申さく、「僕はとつぎを好まず、御殿に召しても良からず。
姉の名をヤサカイリ姫といいますが、容姿も優れ、后の宮に召されても操を立てるかと。」
君は受け入れて姉姫を召す。
本日は以上です。それではまた!