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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第200回 [2024.12.7]
第三七巻 鶏合せ 橘の文 (5)
著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com
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垂仁天皇ー3-5
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とりあわせたちばなのあや (その5)
鶏合せ 橘の文 https://gejirin.com/hotuma37.html
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こそほきさはひ みことのり
かくおもとめに たしまもり とこよにゆけよ
わかおもふ くにとこたちの みよのはな
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九十年二月一日 御言宣
「香を求めに タジマモリ トコヨに行けよ
我が想ふ クニトコタチの 代の木」
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■香 (かぐ)
■タジマモリ (但馬守)
「但馬の守・但馬の国造」 を意味します。 ▶タジマ
キヨヒコ
の子で、記紀には 多遅摩毛理
/ 田道間守 などと記されます。
新羅の君─┬───アメヒボコ │ │ └チコ ├モロスケ─ヒラナキ─キヨヒコ─タジマモリ │ イズシマフトミミ──マタオ
ここには “香を求めに トコヨに行け”
とありますが、それは表向きの理由で、
実際は蝦夷の情勢を探るための諜報部員です。39アヤで明らかとなります。
■トコヨ
古くは 「クニトコタチの時代」
を意味する名でしたが、この時代においては
「ヤマトの政権が及ばない地域」 を意味し、具体的には
「蝦夷の勢力圏」 をいいます。
この時期は 蝦夷の勢力が増して
ヤマト政府の版図がどんどん侵食されており、
すでにホツマ国の一部も “トコヨ” となっています。 ▶ホツマ国
★蝦夷・夷・戎 (ゑみし・ゑみす・ゑびす・えびす・ゑぞ)
「辺鄙にあって文明から外れた蛮族・未開の辺境人」
を意味し、アラヒト(粗人)
の換言ですが、
この時期にあっては特に ヒタカミ国を中心とする東北地方の連合勢力
を指します。
東北地方は
オシホミミの時代を最後に、すでにヤマトの政権からは独立しているのですが、
神武天皇の大和平定以降は仲が疎遠となり、この時期に至っては敵対するようになっています。
ヲヱ(‘瘁ゆ’ の連用形)+ヒス/ミス の短縮 ”ヱヒス/ヱミス”
の名詞形で、
ヒス/ミス は イス(逸す) の変態。
両語とも 「離れる・逸れる・外れる・遅れる・劣る」
などが原義です。
■クニトコタチの代の木 (くにとこたちのみよのはな)
トコヨの木(はな)
の換言で、「橘の木」 をいいます。 ▶代(みよ) ▶木(はな)
【概意】
垂仁90年2月1日に御言宣。
「タジマモリは香の木を求めにトコヨに行けよ。我が思い慕うクニトコタチの時代の木。」
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こそこほさしゑ あふみはひ きみまかるとし ももみそな
みこのもはいり よそやよる はにたてものし しはすそか
すからふしみに みおくりの たひもかかやく かみのみゆきそ
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九十九年サシヱ 七月初日 君罷る 歳 百三十七
皇子の喪入り 四十八夜 埴奉物し 十二月十日
スガラ・フシミに 回送りの 灯も輝く 神の御往きぞ
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■皇子 (みこ)
皇太子の ヤマトヲシロワケ(斎名:タリヒコ)
を指します。 ▶系図
■埴奉物 (はにたてもの)
埴生の奉物(はにわのたてもの)
の略で、「死者の神霊に奉納する土の造形物(=埴輪)」
です。
以前は、親しく仕えていた人を死者と共に埋めることが慣わしでしたが、ノミのスクネの
進言により、生き身に代えて土の造り物を埋めることが
以後の定めとなりました。
「汝が計り 我が心 良し」 と 埴生の奉物を 後のためしと 定まりて 〈ホ37-1〉
■スガラ・フシミ
垂仁天皇の墓所で、日本書紀は 菅原伏見東陵
と記します。
宮内庁により 奈良県奈良市尼辻西町の
「宝来山古墳」 に治定されています。
スガラ (帰還の地) と フシミ (おしまいの地) は
同じ場所を表す2つの名です。
スガ(‘過ぐ’
の名詞形)+ラ(場所を表す) で、スガ は
「一巡の完了・還り・帰還」 の意。
フシミ は フス(付す)+シム(締む) の短縮 “フシム”
の名詞形で、フス は オス(押す) の変態。
ですから フシミ は 「おしまい」 の意で、オサメ(納め)
や オシホ(小塩・▽押締)
の変態です。
■神の御往き (かみのみゆき)
この場合、“神” は 「垂仁天皇の神霊」 をいい、
ミ(御・▽上)+ユキ(往き) は
「上に還ること・あの世行き」 を意味します。
【概意】
垂仁99年サシヱの7月1日、君罷る。137歳。
皇子の48夜の喪入りの後、埴の奉物を供え、
12月10日、スガラ・フシミに回送りの灯も輝く神の御往きぞ。
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あくるはる やよひにかえる たしまもり
ときしくかくつ ふそよかこ かくのきよさほ かふよさほ
もちきたるまに きみまかる みやけなかはお わかみやえ
なかはおきみの みささきに ささけもふさく
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明くる春 三月に帰る タジマモリ
研ぎ優ぐ香果 二十四篭 香の木 四竿 株 四竿
持ち来たる間に 君 罷る 土産半ばを 若宮へ
半ばを君の 陵に 捧げ申さく
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■研ぎ優ぐ芳ぐ果・ 研ぎ優ぐ香果(とぎしぐかぐつ)
「橘の実」 の別名で、「とくにすぐれてかぐわしい果実」
という意に解しています。
▶研ぎ優ぐ芳ぐ ▶果
(つ)
辞書にも 非時香菓(ときじくのかくのこのみ)
で載っていますが、その説明は???。
右はヲヲヤマ カグツミの “研ぎ優ぐ芳ぐ” の 祝歌 〈ホ14ー1〉
■四竿 (よさほ)
サホ(竿) は 「竿を使って運ぶ物を数える単位」 です。
たとえば 箪笥(たんす) や 長持(ながもち)
などを 「ひと竿、ふた竿、・・・」 と数えます。
■株 (かぶ)
カフ(▽離ふ) の名詞形で、「分け・分割」 が原義です。
ここでは、地に生えている橘の木を切った時の、切り取った部分を
“木” と呼び、
根を含む残った部分を “株”
と呼んでいるようです。他の土地に移植する時、
木の部分は挿し木で根を伸ばし、株はそのまま土に戻すのでしょう。1本が2本になるわけです。
■若宮 (わかみや)
「皇太子」 をいい、ヤマトヲシロワケ(斎名:タリヒコ)
を指します。
【概意】
明くる春の3月に帰るタジマモリ。
研ぎ優ぐ芳ぐ果(=橘の実)を24篭、香の木を4竿、株も4竿、持ち来たる間に君罷る。
土産の半分を若宮へ捧げ、半分を君の陵に捧げて申さく、
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これゑんと はるかにゆきし とこよとは
かみのかくれの およひなき ふりおなしむの ととせふり
あにおもひきや しのきゑて さらかえるとは
すへらきの くしひによりて かえるいま すてにさります
とみいきて なにかせんとて おひまかる
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「これ得んと 遥かに行きし トコヨとは
尊の隠れの 及びなき 風を馴染むの 十年経り
あに思ひきや 凌ぎ得て さら帰るとは
皇の 貴霊によりて 帰る今 すでに更ります
臣 生きて 何かせん」 とて 追ひ罷る
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■尊の隠れ・上の隠れ (かみのかくれ)
「御上の隠れ」 の意で、この場合は 「垂仁天皇の崩御」
をいいます。 ▶隠る
■さら帰る (さらかえる)
サラ(更・新)+カエル(返る・還る・帰る)
の連結で、
「あらためて帰る・ふたたび帰る」 の意です。
■皇の貴霊 (すべらぎのくしひ)
「天皇の尊き神霊・天皇の尊き神霊の恵み」
という意です。 ▶貴霊
ミタマノフユ(▽神霊の振ゆ・恩賚)
ともいいます。
【概意】
「これを得んと遥かに行きしトコヨとは、君の隠れの知らせの及ばぬ地。
国柄に馴染むこと10年を経て、まさか思わず、凌ぎ得て再び帰るとは。
皇の貴霊によりて帰る今、すでに神に還ります。臣一人生きて何をかせんや」
とて追い罷る。
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もろもなんたて かくよもと とのまえにうゑ
かふよもと すかはらにうゆ
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諸も涙で 香 四本 殿前に植え
株 四本 スガハラに植ゆ
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■本 (もと)
これは今に言う ホン(本) と同じだと思います。
ただ “香4本” と “株4本” とでは、“本”
の意味が違うのかもしれませんが。
ほん【本】(大辞泉)
・長い物、細長い棒状のものなどを数えるのに用いる。
・もととなるもの。主となるもの。根本。また、本分。
■スガハラ (▽過原)
スガ(‘過ぐ’ の名詞形)+ハラ(原)
で、“スガラ” と同じです。 ▶スガラ
【概意】
諸も涙で香の木4本を皇殿の前に植え、株4本をスガハラの陵に植える。
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のこしふみ みこみたまひて
かくきみか はなたちはなは かれかつま
おしやまやりて よはしむる ちちもとひこと のほりくる
みこよろこひて もとひこに ゆるしはたまひ もおつとむ
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遺し文 皇子 見給ひて
「香君が ハナタチバナは 故が妻」
オシヤマ遣りて 呼ばしむる 父モトヒコと 上り来る
皇子喜びて モトヒコに 許し衣 賜ひ 喪を務む
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■香君 (かぐきみ)
タチバナノキミ(橘の君)
の換言で、「相模国の領主」 を意味します。
この時点では マウラ
の子孫の “モトヒコ” (後出) をいいます。
サカムのオノに 新田生し 香の木植えて マウラ守 代々 橘の君 となる 〈ホ24-9〉
■ハナタチバナ (はなたちばな)
香君(=モトヒコ) の娘で、タジマモリ
の妻です。
タジマモリが トコヨ の諜報員として
相模に滞在していた時に娶ったようです。
この姫は他文献には登場しません。
■故・枯れ (かれ)
“枯れ” の意で、「枯れた者・故人」
を意味し、タジマモリ を指します。
■オシヤマ (▽治山)
オス+ヤマ(山) で、オス は ヲサム(治む) の母動詞。
「山を治める者」 の意で、これは ヤマズミ(山統み)
の換言と思います。
日本書紀には 穂積氏の 忍山宿禰(おしやますくね)
と記されます。
また39アヤに登場する “ホツミテシ” は オシヤマ
の別名と考えられるところから、
オシヤマ=ホツミ=ヤマズミ と考えています。
香君(=モトヒコ) も
ヤマズミの子孫ですから、モトヒコとオシヤマは同族です。
■モトヒコ ■橘モトヒコ (たちばなもとひこ) ■香モトヒコ
(かぐもとひこ)
タチバナ(橘)/カグ(香)+モト(許)+ヒコ(彦)
の略で、「橘の里 (=相模) の臣」 を意味します。
これも 香君(かぐきみ) / 橘の君(たちばなのきみ)
の換言です。
サクラウチ───カグツミ─┬カグヤマ──カゴヤマ [初代ヤマズミ] [2代] ├カンタマ └マウラ[3代] ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ モトヒコ─ハナタチバナ姫 │ 新羅の君────アメヒボコ─モロスケ─ヒラナキ─キヨヒコ─タジマモリ
モトヒコは相模国の領主ですが、この時期の相模は非常に重要な国です。すでに蝦夷の勢力は
相模国にまで迫っており、モトヒコがどちら側に付くかによって、中央政府
vs 蝦夷 の勢力図が
一変する可能性を秘めているからです。それゆえ
「タジマモリの妻はモトヒコの姫」 という
遺し文の告げは、君(ヤマトヲシロワケ) にとっては
願ってもないニュースであり、
これを機に モトヒコ=相模
との絆を確固たるものにしておきたいという思いがあります。
そのことが後述の、モトヒコへ許し衣の下賜、ヲトタチバナ姫の名付け、オシヤマとの縁組、
また後年には ヲトタチバナ姫 を オウス(=ヤマトタケ)
の妻とする という行動につながります。
■許し衣 (ゆるしは)
「着ることを許された衣服」 の意と考えます。
アマテルによって 衣法(機の織法)
が定められ、身分に応じて着る物が制限されていましたが、
この場合は モトヒコに
「その身分に許された喪服を賜った」
ということではないかと思います。
辞書には 許色(ゆるしいろ)
という語があり、参考になります。
【概意】
遺し文を皇子が見給えば、「香君のハナタチバナ姫は故人の妻であった」
と、
オシヤマを遣って呼ばしめる。姫が父モトヒコと上って来ると、皇子は喜んで、
モトヒコに許し衣を賜い、モトヒコは喪を務む。
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はなたちはなか さつきまつ よはにうむこに みことのり
むかしのひとの をおととむ をとたちはなと なおたまひ
にたるすかたの おしやまに とつくははこも をんめくみ
ふかきゆかりの ためしなるかな
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ハナタチバナが 五月末 夜半に生む子に 御言宣
昔の人の 緒を留む ヲトタチバナと 名を賜ひ
似たる姿の オシヤマに とつぐ母子も 御恵み
深き縁りの ためしなるかな
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■末 (まつ)
マツ(全つ)
の名詞形で、「満ち・至り・果て・終」 を意味します。
■昔の人 (むかしのひと)
「過去の人・故人」 の意で、タジマモリ を指します。
■緒を留む (をおとどむ)
「霊の結留む」 と同じです。 ▶霊の結留む
この場合は 故人タジマモリの 「心を留める」
という意です。
■ヲトタチバナ・オトタチバナ
ハナタチバナ姫 が生んだ女児に、皇太子ヤマタヲシロワケ
が賜った名です。
ヲトは “緒を留む” の略で、タチバナ(橘) は 「相模」
を意味します。
ですから 「タジマモリの心を留める相模の姫」
という意となります。
この名には後に “復橘” の意味が加わります。 ▶復橘
■とつぐ
サクラウチ───カグツミ─┬カグヤマ──カゴヤマ オシヤマ [初代ヤマズミ] [2代] ├カンタマ (再婚)├───ヲトタチバナ姫 └マウラ[3代] ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ モトヒコ──ハナタチバナ姫 ↑ (初婚)├───ヲトタチバナ姫 新羅の君────アメヒボコ─モロスケ─ヒラナキ─キヨヒコ──タジマモリ(没)
■御恵み (をんめぐみ・みめぐみ)
ヲン(御) は 「おお(大)の」 の音便で、「大いなる恵み」
という意です。
これは 「神/尊/御上 よりの恵み」
に対して使われます。
■深き縁りのためし (ふかきゆかりのためし)
“深き縁り” とは、39アヤで語られる
「オウスとの深いきずな」 をいいます。 ▶縁(ゆかり)
タメシ(例)
は 「先例・あるパターンの初め」 を意味します。
つまり、生まれた姫が ヤマトヲシロワケ
より名を賜り、オシヤマ の娘となったことは、
「オウスとの深い縁りの始まり」 という意味です。
【概意】
ハナタチバナが5月末の夜半に生む子に御言宣して、
故人の霊の緒を留める “ヲトタチバナ”
と名を賜い、容姿の似たオシヤマにとつぐ母子。
これも御恵みであり、<オウスとの>
深き縁りの始まりなるかな。
本日は以上です。それではまた!