_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
一から学ぶ ほつまつたえ講座 第169回 [2024.7.20]
第三一巻 直り神 ミワ神の文 (2)
著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
神武天皇-3-2
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
なおりかみみわかみのあや (その2)
直り神 ミワ神の文 https://gejirin.com/hotuma31.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
―――――――――――――――――――――――――――――
としさみと うつきはつひに わきかみの
ほほまのおかに みゆきして めくりのそめは
―――――――――――――――――――――――――――――
年サミト 四月初日に ワキカミの
ホホマの丘に 御幸して 周り 望めば
―――――――――――――――――――――――――――――
■サミト
神武31年=上鈴88年 です。 ▶干支
■ワキカミ (掖上)
現在も御所市柏原に 和歌山線掖上駅
があります。
ワク(沸く)+カム(▽上む) の名詞形で、「葛城」
の換言と考えられます。 ▶葛城
■ホホマの丘 (ほほまのおか:頬間の丘)
掖上駅の北の、奈良県御所市本馬
にあり、現在は 本間(ほんま)丘/山 と呼ばれます。
ホホマは ホホム(含む)の名詞形で、「タケヒトの思いがふくらむさま」
をいうと考えてます。
ほほむ【含む】〈広辞苑〉 1.「ふふむ」 に同じ。 2.ふくむようにする。ふくめる。 |
ふふむ【含む】〈広辞苑〉 1.ふくらむ。花や葉がまだ開かない状態である。 2.ふくむ。怒り・うらみなどを心にいだく。 3.ふくませる。 |
須賀神社
(すがじんじゃ)
奈良県御所市本馬299。
現在の祭神:素盞鳴命
・本馬丘(131m)の麓に位置し、通称を 「ホホマの丘の宮」
という。
【概意】
神武31年サミト4月1日、ワキカミのホホマの丘に御幸して周囲を望めば、
―――――――――――――――――――――――――――――
あなにえや ゑつはうつゆふ まさきくに
かたちあきつの となめせる これあきつしま
あまかみは やまとうらやす こゑねくに やまとひたかみ
そこちたる しわかみほつま
おおなむち たまかきうちつ にきはやひ そらみつやまと
―――――――――――――――――――――――――――――
「あなにえや 得つは現結ふ まさき国
形 アキツの となめせる これアキツ洲
和尊は ヤマト心安 越根国 ヤマトヒタカミ
ソコチタル 地上ホツマ
オオナムチ 玉垣内都 ニギハヤヒ 空みつヤマト」
―――――――――――――――――――――――――――――
■現結ふ (うつゆふ)
「国土/国家を結び束ねる」 という意です。
ウツ(現)は 「凝固・下・地・陸・国土・世」
などを意味します。 ▶ウツ(現)
ユフ(結ふ)は 「結ぶ・束ねる・まとめる」 などの意です。
うつゆふの(虚木綿の) という枕詞があり、「こもる」 「まさき」 にかかると説明されます。
■まさき国・まさき地 (まさきくに)
「本たる国土・中心国土・本土・本州・内地」
という意です。
マサキは “まさかに” の マサカの変態で、この場合は
「回帰する所・本源・中心」 を意味します。
■アキツ
(秋津・蜻蛉)
アキ(秋)+ツ(西)
で、「秋の紅葉の赤さ、西に尽きる夕日の赤さ」
を意味すると考えます。
つまり 秋茜(あきあかね)
をいうのだろうと思います。 ▶茜
■となめせる
トナメは チナミ(因み)の変態で、「交わり・交接・交尾」
を意味し、
辞書は “臀呫”
と当てます。セルは スル(為る)の連体形です。
■アキツ州 (あきつしま・あきつす:秋津州・蜻蛉州)
日本の本州の形は、交尾するアキツの、尾を曲げる姿に似るため、こう呼ばれます。
▶画像
■和尊 (あまかみ)
アマツキミ(和つ君)
の換言で、「中央政府の君・国家君主」 を意味します。
■ヤマト心和 (やまとうらやす)
ヤマト(和)+ウラ(心)+ヤス(和)
の連結で、いずれも 「合・間・和・内・中」 が原義です。
この場合は 「内地/本州の中心」 の意で、ナカクニ(中国)、特にその中心部の
「近江・山背・大和」 をいうように思います。
■越根国・還根国
(こゑねくに・こゑねのくに・こしねのくに)
■ソコチタル
ホソホコチタル/サホコチタル、西中国
とも呼ばれ、現在の 「中国地方」 を指します。
■地上ホツマ (しわかみほつま・しはかみほつま)
「地上の調和が実現したホツマ国」
の意で、ニニキネの偉業により、
社会に真の調和が実現したホツマ国の美称です。 ▶ホツマ国
ホツマ国は 中国(なかくに)
の 「北関東から東海の太平洋側の地域」 を指します。
■玉垣内都 (たまがきうちつ)
玉垣内宮
の換言ですが、これは左遷後のオオナムチが治めた
「ヒスミ国の宮/都」 をいいます。
日本書紀が伝える 天日隅宮
ですが、出雲大社の古称と誤解されてます。 ▶ヒスミ ▶都(つ)
かつての自領だった イヅモ国の宮/都に 玉垣内宮
と名づけたオオナムチは、
その驕りがもとで辺境のヒスミ国に左遷されました。ですからちょっと皮肉な名ですね。
イヅモ八重垣 オホナムチ 満つれば欠くる 理か
額を “玉垣内宮”
と これ九重に 比ぶなり 〈ホ10ー1〉
■空みつヤマト (そらみつやまと)
クシタマホノアカリ
がアスカ朝廷を建てた、「大和国 (現在の奈良県中心部)
の美称」 です。
代嗣のなかったアスカ朝廷は、アマテルの取り成しにより、ニニキネの孫の
ニギハヤヒ が
引き継ぐことになります。
和のイワ船 大空を 駆けり巡りて この里の 名をも “空みつ和国” 〈ホ20ー3〉
【概意】
「ああ麗しや。得たるは国家を結び束ねる本州。
蜻蛉が交尾する形ゆえ、これ “アキツ洲”。
かつての和つ尊は
中国、越根国、ヒタカミ、ソコチタル、地上ホツマを治む。
そしてオオナムチは “玉垣内都”、ニギハヤヒは “空みつヤマト”」
九州を発つ前、
光
重ぬる 年の数 百七十九万 二千四百 七十年経るまで
遠近も 潤ふ国の 君ありて あれも乱れず 和の道 〈ホ29ー1〉
と語っていたタケヒトが、再び国家の統一を果たして、かつての皇君の
八方を和して恵む道を取り戻した喜びが、あふれてこぼれた言葉なのだと思います。
―――――――――――――――――――――――――――――
よそふとし はつみかきみゑ かぬなかわ みみのみことお
よつきみこ かかみのとみは うさまろと
あたつくしねは ものぬしと みこのもろはそ
くにまつり みけなへもふす をもちきみ ともにたすけよ
―――――――――――――――――――――――――――――
四十二年 一月三日キミヱ
カヌナカワ ミミの尊を 代嗣御子
「鏡の臣は ウサマロと
アタツクシネは モノヌシと 御子の諸羽ぞ
“国政り 神饌供え申す 大臣” 共に助けよ」
―――――――――――――――――――――――――――――
■鏡の臣 (かがみのとみ)
■ウサマロ
アメタネコの代嗣子で、母はウサコ姫です。 ▶アメタネコ ▶ウサコ姫
ウサマロは幼名と思われます。他文献では 宇佐津臣命(うさつおみのみこと)
と記されます。
┌ヒルコ トヨケ──イザナミ┐├アマテル────タナコ ┌イヨツヒコ ├┼ツキヨミ──┐ ├───┼トサツヒコ アワナギ─イザナギ┘└ソサノヲ ├イブキヌシ └ウサツヒコ─ウサコ姫 │ │ サクナギ─イヨツヒコ─イヨツ姫──┘ ├─ウサマロ │ ツハヤムスビ──??──ヰチヂ──アマノコヤネ──オシクモ──アメタネコ
┌オオタ(12男)──ミラ姫 クシヒコ───コモリ │ ├────アタツクシネ ├──┴ツミハ(次男)┬クシミカタマ スヱツミ─イクタマヨリ姫 ├クシナシ └タタライスズ姫
■モノヌシ
■国政り神饌供え申す大臣 (くにまつりみけなへもふすをもちきみ)
この大臣は、タケヒトの大嘗会においてアメタネコとクシミカタマが務めた
神饌供え祭り申す臣
を
もとにしていると考えられますが、それが臨時特設の臣であったのに対し、これは常設の官職です。
略して “ケクニ臣(食国臣)” ”政の臣”
などとも呼ばれます。そしてこれは ウマシマチ
を指します。
天ユキ・地スキの 宮
造り 元明陽陰の 神祭
タネコ・クシタマ 左右にあり “神饌供え祭り申す臣” 〈ホ30ー3〉
★ヲモチキミ (大臣・▽御前君)
ヲモチキミ は オオモウチギミ(大臣)、オオマチギミ(大臣)
の換言で、
オオは 「皇」、モウチ・マチは マエツ(前つ)
の短縮。「皇の前の君・御前の君」 が原義です。
つまり皇の “左・右の臣” に加えて、新たに
「御前の臣」 が生まれたということです。
そして “オオモウチ” “オオマチ”
を換言したのが ウマシマチ で、この名は以前から
使われていますが、それは、ここでこの官職に任命されていることによります。
この官職名は、「国の政を司り、神に御食を供える臣」
という意となり、右の臣
と 左の臣の
両権を合せ持つ臣の如くを推測させますが、実際この後、国政の実権はしだいにこの臣に移り、
右の臣(=モノヌシ) と 左の臣(=鏡臣)
の地位は形骸化していくことになります。
旧事紀には 食国政申大夫(おすくにのまつりごともうすまえつきみ)、
また 申食国政大夫(けくにのまつりごともうすうなきみ)
と記されます。
【概意】
神武42年1月3日キミヱに、カヌナカワミミの尊を代嗣御子と定め、
「鏡の臣はウサマロと、アタツクシネはモノヌシと、御子の諸羽ぞ。
国政り神饌供え申す大臣 (=ウマシマチ) も共に助けよ。」
―――――――――――――――――――――――――――――
なそむとし むつきのもちに みことのり われすてにをひ
まつりこと なおりなかとみ ものぬしの をやこのとみに
まかすへし もろとみこれと わかみやお たてよといひて
うちにいり やよいそきやゑ かみとなる
―――――――――――――――――――――――――――――
七十六年 一月の十五日に 御言宣 「我すでに老ひ
纏り事 直り中臣 モノヌシの 親子の臣に
任すべし 諸臣 これと 若宮を 立てよ」 と言ひて
内に入り 三月十日キヤヱ 神となる
―――――――――――――――――――――――――――――
■七十六年 (なそむとし)
神武76年、上鈴133年、タケヒト127歳です。 ▶上鈴
■直り中臣 (なおりなかとみ) ■直りモノヌシ (なおりものぬし)
“直りの祓” 行えば 疫病も直り 稲
直る 故
御言宣 「ワニヒコが 御祖クシヒコ
諌め入る 直きに賜ふ ヤマト尊 三代還の直き 功に “直りモノヌシ尊” 賜ふ
タネコも御祖 ワカヒコが 直き明暗見の 殊 継げば “直り中臣尊” 賜ふ」 〈ホ30-3〉
■親子の臣 (をやこのとみ)
“直り中臣” の親子は、アメタネコ(父) と ウサマロ(息子)で、
“直りモノヌシ” の親子は、クシミカタマ(父) と
アタツクシネ(息子)です。
■若宮 (わかみや)
皇太子となった カヌナカワミミ
を指します。
■内に入る (うちにいる)
「皇宮の内つ宮に引きこもる」 ということです。 ▶内つ宮
【概意】
神武76年1月15日に御言宣。
「我はすでに老いたゆえ、纏り事は
直り中臣と直りモノヌシの
親子の臣に任すこととする。諸臣は両親子と若宮を立てよ。」
と言って内に入り、3月10日キヤヱに神となる。
―――――――――――――――――――――――――――――
あひらつひめと ものぬしと かしはらみやに はんへりて
なかくもにいり いきますの ことにつとむる
―――――――――――――――――――――――――――――
アヒラツ姫と モノヌシと 橿原宮に 侍りて
長く喪に入り 生きますの 如に勤むる
―――――――――――――――――――――――――――――
■アヒラツ姫・アヒラ姫
(あひらつひめ・あひらひめ)
タケヒトの最初の妻で、大典侍です。 ▶大典侍
■モノヌシ
タケヒトのモノヌシである クシミカタマ
を指します。
■生きますの如に勤むる (いきますのごとにつとむる)
「生きておられるかの如くに勤める」 という意です。 ▶つとむ
これは 亡くなってもその神霊は
いましばらく世に残っているため、
生きていた時と同じように挨拶したり、御食を捧げたりすることをいうものと考えます。
【概意】
アヒラツ姫とモノヌシとは橿原宮に侍って長く喪に入り、
まだ生きておられるかの如くに勤める。
―――――――――――――――――――――――――――――
あめたねこ くしねうさまろ わかみやに おくりはかれは
たきしみこ ひとりまつりお とらんとす なおりみたりは
わかみやに とえとこたえす もにいりて もろはにまかす
―――――――――――――――――――――――――――――
アメタネコ クシネ・ウサマロ 若宮に 送り諮れば
「タギシ御子 一人 政を 執らんとす」 直り三人は
若宮に 問えど答えず 喪に入りて 諸羽に任す
―――――――――――――――――――――――――――――
■送り (おくり)
オクル(送る)
の名詞形で、「回し・返し/還し・戻し」
などを原義とし、
この場合は 「死者の回送・送還」
を意味します。今風に言えば 「葬送・葬儀」 です。
■直り三人 (なおりみたり)
直り中臣と直りモノヌシの親子の内、クシミカタマを除く3人、
つまり アメタネコ、クシネ、ウサマロ です。
■諸羽 (もろは)
皇太子カヌナカワミミの左右の臣に任じられた
ウサマロとアタツクシネを指します。
【概意】
アメタネコ・クシネ・ウサマロが、葬儀について若宮に相談する時、
「タギシ御子は一人で政を執ろうとなさる。<どうしたものか?>」
と、
“直り” の3人は問えど、若宮は答えず喪に入り、諸羽に任すのであった。
―――――――――――――――――――――――――――――
みおくりも こはみてのはす たきしみこ ふたおとおたつ
うねひねの さゆのはなみと みあえして むろやにめせは
ゐすすひめ うたのなおしお こはしむる
わかみやふたお とりみれは いいろよむうた
―――――――――――――――――――――――――――――
回送りも 拒みて延ばす タギシ御子 二弟を断つ
畝傍北の サユの花見と 見合えして 室屋に召せば
ヰスズ姫 歌の直しを 請わしむる
若宮 札を 取り見れば 気色詠む歌
―――――――――――――――――――――――――――――
■回送り (みおくり)
ミ(‘回る’の連用形)+オクル(送る)
の連結 “ミオクル” の名詞形で、オクリ(送り)
の換言です。
死者の 「回送・送還・葬送」 を意味します。現在は “見送り”
と当てます。
■二弟を断つ (ふたおとおたつ)
「2人の弟との仲を断つ・関係を断絶する」
の意に解釈しています。
つまり 「二弟を敵とする」 ということです。
■畝傍北 (うねびね)
「畝傍山(199m)
の北方」 です。 ▶北(ね)
■サユの花見 (さゆのはなみ)・サユリの花見 (さゆりのはなみ)
「サユリの花見」 です。サユリ(小百合)は
サユ、サイ、ユリ とも呼ばれ、
これは 笹百合 (山百合・三枝とも)
をいいます。畝傍北はサユリの名所だったのでしょう。
■見合えして (みあえして)
これは 「見た目を合わせて・表向きを調えて・粉飾して」
の意と考えます。
つまり 「表向きはサユの花見と称して」 ということです。
■ヰスズ姫 (ゐすずひめ)
若宮カヌナカワミミの母 タタラヰソスズ姫
です。
■歌の直し (うたのなおし)
「歌の添削」 をいいます。
■気色 (いいろ)
イ(気)は この場合は
「気配・雰囲気」 などを意味します。
【概意】
葬送も拒んで延ばすタギシ御子は、2弟との関係を断つ。
タギシ御子は畝傍北のサユリの花見と称して、自分の室屋に招けば、
<それを聞いた> ヰスズ姫は歌の直しを <侍女をして>
若宮に請わしめる。
若宮が歌札を取り見れば、それは気配を詠む歌であった。
―――――――――――――――――――――――――――――
さゆかわゆ くもたちわたり
うねひやま このはさやきぬ かせふかんとす
うねひやま ひるはくもとゐ
ゆふされは かせふかんとそ このはさやきる
―――――――――――――――――――――――――――――
『サユ郷ゆ 雲立ち渡り
畝傍山 木の葉さやぎぬ 風吹かんとす』
『畝傍山 昼は雲訪い
夕されば 風吹かんとぞ 木の葉さやぎる』
―――――――――――――――――――――――――――――
■さやぎぬ ■さやぎる
サヤグ+ヌ(=なり)、サヤグ+ル(=ある)
で、
「ざわめくなり」、「ざわめいている」 という意です。
サヤグは サワグ(騒ぐ)、サエク(喧く)、ソヨグ(戦ぐ)
などの変態です。
■夕さる (ゆふさる)
「暗くなる・暮れる・夜になる」 などの意です。
ユル(▽緩る)の変態 “ユフ” と、シル(痴る)の変態
“サル” の連結動詞で、
両語とも 「下がる・低まる・劣る・衰える・沈む」
などが原義です。
【概意】
『サユ郷より雲が立ち渡り 畝傍山の木の葉がざわめくなり 風が吹こうとしている』
『畝傍山 昼は雲が覆い 夜には風が吹かんとぞ 木の葉がざわめいている』
“風雲 急を告げる” と言いますが、このヰスズ姫の2歌がその由来でしょうか。
―――――――――――――――――――――――――――――
わかみやは このふたうたお かんかえて さゆにそこなふ
ことおしる かんやゐみこに ものかたり
むかしきさきお おかせしも をやこのなさけ うちにすむ
―――――――――――――――――――――――――――――
若宮は この二歌を 考えて サユに害ふ
ことを知る カンヤヰ御子に 物語り
「昔 后を 犯せしも 親子の情 内に済む」
―――――――――――――――――――――――――――――
■サユに害ふ (さゆにそこなふ)
サユは ソフ(添ふ・沿ふ)の変態で、「沿う・応じる・従う」
ことを意味し、
この場合は、兄タギシミミの花見の招きに
「沿う・応じる」 ことをいいますが、
それをまた サユ(小百合)
にかけています。
つまり 「サユの花見の招きに沿うに、身に害が及ぶ」
という意味です。
■后 (きさき)
父タケヒトの乙下侍だった イスキヨリ姫
を指します。 ▶乙下侍
皇宮の局に居るイスキヨリ姫に恋い焦がれたタギシミミは、姫と会う機会を父に乞います。
・局にあるを タギシ御子 深くこがれて 父に乞ふ 頷き諾ふ
父が呼ぶ 怪しき留めを 悟る姫 〈ホ31ー1〉
・クシミカタ 君に申さく 「シムの恥」 君
うなづきて 密かにし 〈ホ31ー1〉
【概意】
若宮はこの2歌を考えて、<兄の招きに>
応じれば我が身をそこなうことを悟る。
カンヤヰ御子に物語り。「昔
后を犯しながらも、親子の情により内密に済む。」
―――――――――――――――――――――――――――――
いまのまつりの わかままも とみにさつけて のくへきお
またいらふこと いかんそや あにかこはみて おくりせす
われらまねくも いつわりそ これはからんと
―――――――――――――――――――――――――――――
「今の政の 我がままも 臣に授けて 退くべきを
また弄ふ如 如何ぞや 兄が拒みて 送りせず
我ら招くも いつわりぞ これ計らん」 と
―――――――――――――――――――――――――――――
■政の我がまま (まつりのわがまま)
「タギシ御子が一人で政を執ろうとする態度」
をいいます。
■また弄ふ (またいらふ)
「交じり入る・介入する・干渉する」 などの意です。
マツ(▽交つ)+イラフ(弄ふ)
の同義語連結で、マツは マズ(交ず)の変態、
イラフは イル(入る)+アフ(合ふ) の短縮です。
【概意】
「今の政のわがままについても、臣に任せて退くべきを、
介入・干渉するというありさま。これ何ゆえや。兄が拒みて父の葬送もせずにいる。
我らを花見に招くのも偽装に違いない。これは対策を計らねば」
と。
本日は以上です。それではまた!