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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第144回 [2024.4.7]
第二七巻 御祖神 船霊の文 (2)
著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com
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みをやかみふなたまのあや (その2)
御祖神 船霊の文 https://gejirin.com/hotuma27.html
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ときにあすかの みやまかる ははちちひめは のちのよお
いせにはへれは ををんかみ ゐおおなしくす
つけききて ははのなけきは つきもなや
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時にアスカの 宮 罷る 母チチ姫は 後の代を
イセに侍れば 大御神 居を同じくす
告げ聞きて 母の嘆きは 「嗣も無や」
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■アスカの宮 (あすかのみや)
クシタマホノアカリ(斎名テルヒコ) を指します。 =アスカ皇君
ヤソキネ─タカキネ─タクハタチチ姫┐ ├クシタマホノアカリ(斎名テルヒコ) サクラウチ─セオリツ姫┐ │ │ ├ニニキネ(斎名キヨヒト) ├オシホミミ┘ イサナギ┐ │ ├─アマテル─┘ イサナミ┘
■罷る (まかる)
ここでは「元にもどる・あの世に還る」などの意です。
■チチ姫 (ちちひめ)
オシホミミの御后で、テルヒコとニニキネの母であるタクハタチチ姫です。
オシホミミの死後、その遺言により皇太后のチチ姫はイサワの宮に来て、
アマテルに仕えながら晩年の日々を送ります。
・チチ姫も 後には妹背の 御神に 仕え
スズカの 道を得て 〈ホ13ー7〉
・さきにタラチヲ ひたる時 ハコネの洞に 入りますを 母チチ姫は 言ありて
イセに到りて 御神に 朝夕仕え 奉らしむ 〈ホ25-1〉
■嗣も無や (つぎもなや)
アスカの朝廷を 「継ぐ者もいないではないか」
という意です。
結局テルヒコは最後まで子に恵まれまれなかったのです。
【概意】
時にアスカの宮が罷る。
母チチ姫は後の代をイセの宮に侍れば、大御神と居を同じくす。
告げを聞きて、母の嘆きは 「代嗣も無や。」
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かみのをしゑは はらみやの くにてるおつき
あまてらす にきはやひきみ
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神の教えは 「ハラ宮の クニテルを嗣
和照らす “ニギハヤヒ君”」
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■神 (かみ)
“大御神” “アマテル神” などの略です。
■ハラ宮 (はらみや)
ハラ宮の主である ホノアカリ(斎名ムメヒト)
を指します。=ハラ皇君(2代目)
アマテル─┐ ├オシホミミ┐ セオリツ姫┘ ├┬クシタマホノアカリ ││ タカキネ──チチ姫──┘└ニニキネ ┌ホノアカリ(斎名:ムメヒト) ├───┼ホノススミ(斎名:サクラギ) カグツミ───マウラ──┬アシツ姫 └ヒコホオデミ(斎名:ウツキネ) │ └イワナガ
■クニテル
ハラ皇君の長男です。
アマテル─オシホミミ─ニニキネ┐ ├ホノアカリ┐ カグツミ──マウラ──アシツ姫┘ ├クニテル ├タケテル オホナムチ─クシヒコ─コモリ──タマネ姫─┘ (2女)
■和照らす (あまてらす)
■ニギハヤヒ
大御神がクニテルに授けた名前です。
ニグ(▽和ぐ)+ハヤブ(▽栄ぶ)
の名詞形で、「和して照らす・和して恵る」
という意です。
つまりこれは 和照らす(あまてらす)
の換言です。
記紀には 邇藝速日命/饒速日命
と記されます。
先代旧事本紀は 天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊 と記します。
(あまてる・くにてる・ひこ・あまのほのあかり・くしたま・にぎはやひのみこと)
和照らす+クニテル(斎名)+ホノアカリ+ニギハヤヒ
ですが、さらに
ホノアカリ(斎名ムメヒト)を クシタマホノアカリ(斎名テルヒコ)と混同しています。
その結果、テルヒコ・ムメヒト・クニテル の3人のキャラクターが、
ニギハヤヒという1人の人物に集約されてしまいました。
【概意】
大御神の教えは、
「ハラ宮の子のクニテルを嗣に。名も 和照らす “ニギハヤヒ君”。」
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もにいりて しらにわむらの みはかなす
のちにとくさの ゆつりうけ
としめくるひも もにいりて あすかのかみと まつるなり
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喪に入りて 領庭村の 陵 成す
後に十種の 譲り受け
年回る日も 喪に入りて アスカの神と 纏るなり
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■喪に入る (もにいる)
■領庭村 (しらにわむら)
「鳥の領庭の跡地の村=イカルカ宮の跡地の村」
をいうと考えます。 ▶領庭 ▶イカルカ宮
ここはテルヒコが大和国に入って最初に宮を建設した場所で、
奈良市の 鳥見町、三碓町
付近と推測しています。
■陵 (みはか)
「還る所・送る所・あがりの所」 などが原義です。
ミ(‘回る’の連用形)+ハク(捌く)
の名詞形で、ハクは ハコブ(運ぶ)の母動詞。
どちらも 「回る/回す・還る/還す・送る・あがる」
などが原義です。
■十種 (とくさ)
テルヒコが大和国へ下る際に、アマテルが授けた
「十種宝」
をいいます。
ここにト祖の 天つ神 十種宝を 授けます 〈ホ20ー1〉
■年回る日 (としめぐるひ)
■アスカの神 (あすかのかみ)
「テルヒコの贈り名」 です。 ▶贈り名
■纏る・祀る (まつる)
「身柱に神霊を纏る」 ということでしょう。 ▶身柱 ▶まつる
これはアマテルが教えた 年回る日に神を纏る作法で、
死者の身丈と同じ長さに揃えた木柱に神を招き入れて、人が神と心を交えます。
アワの数 経て喪を脱ぎて 政聞く 年回る日は 喪に一日 その身柱に 纏るべし 〈ホ26ー4〉
【概意】
<ニギハヤヒ君は> 喪に入りて、領庭村の陵を成す。
後に十種宝を譲り受けて、命日にも喪に入り、“アスカの神”
と纏るなり。
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さきにみこなく かくやまか あめみちひめお ゑゑなして
あにたくりかこ たくらまろ なおことなせと
はせひめは とみとにくみて すてさしむ
きみまたいかり はせおすつ
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さきに御子なく カグヤマが アメミチ姫を ゑゑなして
兄タクリが子 タクラマロ 猶子となせど
ハセ姫は 臣と憎みて 捨てさしむ
君また怒り ハセを捨つ
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■カグヤマ・カグヤマツミ
アマテルによりテルヒコの 右の臣(=モノヌシ)
に任命されています。
孫テルヒコの 羽の臣 フトタマはよよ 祀り執れ またカグヤマは モノヌシよ 〈ホ23-8〉
サクラウチ─┬─カグツミ──カグヤマ [初代ヤマズミ]│ [2代] │ ├─ホノコ │ ├──オシホミミ┬クシタマホノアカリ(斎名テルヒコ) │ アマテル │ │ │ └ニニキネ(斎名キヨヒト) └─ハナコ
■アメミチ姫 (あめみちひめ)
カグヤマが
アマテルの娘のタキコを娶って生んだ姫です。 ▶タキコ
アスカ皇君(=テルヒコ)の后の一人として召されます。
先代旧事本紀に 天道日女命
と記されます。
┌カグツミ─カグヤマ │ │ │ ハヤコ ├───┬タクリ(カゴヤマ)─タクラマロ │ ├──タキコ │ │ │ アマテル └アメミチ姫 ↓(養子) │ ├──オシホミミ ├──────タクラマロ サクラウチ┴──ホノコ ├──クシタマホノアカリ ├ニニキネ │ │ タカキネ─チチ姫 │ │ │ │ スガタ───────スガタ姫 │ │ トヨマド──────────ハセ姫
櫛玉比賣命神社
(くしたまひめのみことじんじゃ)
愛媛県松山市高田702。
現在の祭神:天道姫命、配祀 御炊屋姫命
・天道姫命は櫛玉饒速日尊の妃。
・御炊屋姫命は櫛玉饒速日尊が大和へ入ってからの妻。
青衾神社 (あおぶすまじんじゃ)
尾張国愛智郡。愛知県名古屋市熱田区白鳥 2-6-1。(熱田神宮境外摂社)
現在の祭神:天道日女命
・高倉下命の母である天道日女命を祀る。
■ゑゑなす (▽合和す)
ヱユ+ナス(▽和す) の同義語連結で、ヱユは アユ(肖ゆ)・アフ(合ふ)・ユフ(結ふ)
などの変態。
ですから 「結い合わす・和合する」 などが原義です。主に
「男女を結い合わす」 ことをいうようです。
いいなづく(言ひ名付く)、ゆひなふ(結ひ和ふ)
の同義語で、
その名詞形が いいなづけ(許嫁)、ゆひなづけ(許嫁)、ゆいのう(結納)
などです。
■タクリ
カグヤマの子で、アメミチ姫の兄です。別名がカゴヤマです。
先代旧事本紀には 手栗彦
と記されます。
■タクラマロ
タクリ(=カゴヤマ)の子ですが、テルヒコ&アメミチ姫夫婦の養子に入ります。
タクラマロは幼名で、後の名は タカクラシタ(高倉下)
です。 ▶幼名
今日では タクリ(=カゴヤマ)と タクラマロ(=タカクラシタ)は
混同されています。
タクリ・タクラ・タカクラ は地名で、“カミクラ(上座・神倉)”
の換言と考えています。
神倉神社 (かみくらじんじゃ)
和歌山県新宮市神倉1-13-8。
現在の祭神:高倉下命
・神倉山は熊野権現の降臨地とされる。
・神倉神社は熊野速玉大社奥院といわれ、熊野根本神蔵権現とも称された。
<筆者考>
二尊が紀州に来て建てた都の跡と考えます。
■猶子 (なおこ)
ナオ(尚・猶)+コ(子)
で、今に言う 猶子(ゆうし)
です。
■ハセ姫 (はせひめ)
この時点でのアスカ皇君(=テルヒコ)の御后で、スガタ姫に次ぐ2人目です。
【概意】
<アスカ皇君は> さきに御子がなく、
カグヤマの娘のアメミチ姫を結い合せて、
その兄タクリの子の タクラマロを猶子となすも、
御后のハセ姫は “臣の娘と孫ではないか”
と憎み追放させる。
君はそのことにまた怒り、ハセ姫を追放したのであった。
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かくやまをきみ ははとめし こはめせとこす
ふとたまの まこみかしやお つまとして うましまちうむ
なかすねは おものとみなり
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カグヤマ皇君 母と召し 子は召せど来ず
フトタマの 孫ミカシヤを 妻として ウマシマチ生む
ナガスネは 主の臣なり
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■カグヤマ皇君 (かぐやまをきみ)
アスカ皇君の別称ですが、この場合はクニテル(=ニギハヤヒ)を指します。
ここでは テルヒコを “アスカの宮”
と呼んでいるので、それと区別するためです。
テルヒコがアスカの地に香久山を造った時、アスカ宮は
カグヤマ宮とも
呼ばれるようになりましたが、それに準じて、アスカ皇君という称号にも
カグヤマ皇君 の別称が添えられました。
■フトタマ
アマテルによりテルヒコの 左の臣(=祀りの臣)
に任じられています。
孫テルヒコの 羽の臣 フトタマはよよ 祀り執れ またカグヤマは モノヌシよ〈ホ23-8〉
トヨケ┬ヤソキネ─タカキネ─┬オモイカネ │ ├フトタマ └イサナミ ├クシタマ ├ヨロマロ ├アヒミタマ ├イクタマ ├アヨミタマ ├タクハタチチ姫 (オシホミミ内宮) └ミホツ姫 (クシヒコ妻)
■ミカシヤ・ミカシヤ姫 (みかしやひめ) ■ウマシマチ
ミカシヤ姫はフトタマの孫で、ナガスネヒコの妹です。
ニギハヤヒの后となり、ウマシマチを生みます。
他文献は 三炊屋媛/御炊屋姫、また
宇摩志麻遲命/可美眞手命/宇摩志麻治命
などと記します。
ニニキネ─ホノアカリ┐ ├┬─────クニテル(ニギハヤヒ) コモリ──タマネ姫─┘└タケテル │ ├ウマシマチ タカキネ─フトタマ─??┬ナガスネヒコ │ └─────ミカシヤ姫
石切劔箭神社
(いしきりつるぎやじんじゃ)
河内国高安郡。大阪府東大阪市東石切町 1-1-1。
現在の祭神:饒速日命、可美真手命
石切登美霊社:三炊屋媛
■ナガスネ・ナガスネヒコ
フトタマの孫で、ミカシヤ姫の兄です。
記紀には 長髄彦/登美能那賀須泥毘古
などと記されます。
ナカ(中・長)+スネ(▽髄)+ヒコ(彦)
で、スネは サネ(核・実)の変態。
ですから 「中核・主要」 を意味します。
■主の臣・重の臣 (おものとみ)
「主要の臣・重臣」 という意で、ナガスネヒコ(中髄彦・長髄彦)の換言です。
【概意】
カグヤマ皇君(=ニギハヤヒ・斎名クニテル)は
アメミチ姫を母として召し戻すが、子(=タクラマロ)は召しても来ず。
フトタマの孫のミカシヤ姫を妻としてウマシマチを生む。
ナガスネは主要の臣である。
本日は以上です。それではまた!