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一から学ぶほつまつたえ講座 第108回 [2024.1.8]
第二〇巻 皇御孫十種得る文 (4)
著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com
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すめみまごとくさゑるあや (その4)
皇御孫十種得る文 https://gejirin.com/hotuma20.html
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みやつやなりて そふのかみ すかたかむすめ みきさきに
なしてうたよみ かたかきの ことおたのしむ
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宮つ屋 成りて 十二の守 スガタが娘 御后に
なして歌詠み カダカキの 琴を楽しむ
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■宮つ屋 (みやつや)
ミヤ(宮)+ツ(=たる)+ヤ(屋)
で、このミヤ(宮)は 「中心」 を意味します。
ですから 「中心たる屋」 という意で、「皇宮・皇居」
をいいます。
■十二の守 (そふのかみ)
和つ君が備える 「12人の后」
をいいます。
カミ(守)は いわゆる “おかみさん”
ですが、これは「守り」 の意で、“斎侍”
の換言です。
十二の后(そふのきさき)、十二局(そふつぼね)
などとも呼ばれます。
■スガタが娘 (すがたがむすめ)
スガタは不詳ですが、菅田神社に祀られる 「菅田比古命」
を指すと考えてます。
その娘は “スガタ姫”
と呼ばれ、テルヒコの内宮に立てられます。
菅田神社 (すがたじんじゃ)
奈良県大和郡山市八條町619。大和国添下郡
現在の祭神:菅田比古命
菅田比賣神社
(すがたひめじんじゃ)
奈良県大和郡山市筒井町1440。大和国添下郡
現在の祭神:菅田比賣神 (伊豆能賣神)
臣の通称は、その臣が知行する領地の名で呼ばれることが多いのですが、
スガタもおそらくそうだと思います。もしスガタが
「直県・清県」 の意だとすると、
それは カスガ県(▽和直県・春日県)
と同義です。
だとすると、スガタは カスガ県の前領主 カスガ殿
と同一人の可能性があります。
もしそうならば、スガタ姫は アマノコヤネの姉妹ということになります。
■御后 (みきさき・まきさき)
ミ(御・▽上)+キサキ(后・妃)
で、‘ミ’ は ‘マ’ と互換です。
「上位の后」 の意で、“内宮”
の別称です。“十二の守” の中から選出されます。
★后・妃 (きさき・きさひ)
キ(木)+サキ(前) で、キは キミ(木実)
のキ(木)。「男君」 を意味します。
サキ は マエ(前) の意で 「女・妻」
をいいます。ですから 「男君の前・御前」
を意味します。
皇殿に居て イククイを 門前に会ひ見 妻となす 故 男は “殿” ぞ 女は “前” と 〈ホ2-3〉
【概意】
皇宮が完成して12人の守を備え、スガタの娘を御后となして
歌詠みとカダカキの琴を楽しむ。
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いかるかの みやにうつりて そのあすか
うてなによもお のそむおり しらにはやまに からすとふ
くまのとおもひ みやうつし
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イカルカの 宮に移りて その明す日
台に四方を 望む折 領庭山に カラス飛ぶ
隈野と思ひ 宮移し
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■イカルカの宮 (いかるかのみや)
クシタマホノアカリ(斎名:テルヒコ)を君とする新都の名です。 ▶イカルカ
■明す日・明す処 (あすか)
アス(▽明す)+カ(処・日)
で、「あくる時・次の時・あくる日・翌日」
などの意ですが、
この場合は 「ほとんど翌日」
と言っていいほどに、「すぐさま・早いさま」
を意味します。
■台 (うてな)
1.高くしたもの。立てた物。建物。殿。
2.特に高くしたもの。高い建物・高殿・高楼・展望台。
ウテ(茹で)+ナ で、ウテは ウデル(茹でる)の名詞形、「上げ・高め・立て」
などが原義です。
ナは ナリ(形・態)の略で、「〜であるさま・〜なるもの」
を意味します。 ▶ナ
■領庭山 (しらにはやま)
「都の山・朝廷の山」 という意で、イカルカの峰
の換言です。 ▶領庭
■カラス (烏・鴉)
汚穢隈を滅ぼす “隈の神”
の使いです。これが飛び回るということは、 ▶汚穢隈
“そこに汚穢隈があり ついには隈の神が滅ぼす”
と信じられていたようです。
・古来、熊野の神の使いとして知られ、またその鳴き声は不吉なものとされる。〈広辞苑〉
・熊野三山においてカラスは ミサキ神
(死霊が鎮められたもの、神使)とされ、八咫烏は
熊野大神に仕える存在として信仰されており、熊野のシンボルともされる。〈Wikipedia〉
■隈野 (くまの)
「汚穢隈の地」
という意です。これは特定の地を指す名ではありません。
テルヒコは “隈の神”
の使いであるカラスが領庭山に飛ぶのを一目見て、
これは
「汚穢隈の地の証しであり、いずれ隈の神の祟りを受けるサイン」
と、
早合点します。それで 「宮を移転しよう」
と言い出します。
【概意】
イカルカの宮に移ってまもなく、展望台に四方を望む折、
領庭山にカラスが飛ぶ。君はこの地を隈野と思って宮移し。
さて 奈良市の西部に 三碓
という場所があり、“みつがらす” と読みます。
三碓は後世の当て字で、本来の意味は 「見つカラス」
だと思います。
なぜかと言えば、そのすぐ隣の町は 鳥見町(とりみちょう)
だからです。
このことから
テルヒコが飛ぶカラスを見た領庭山は、この辺と推測でき、
そしてそれは イカルカ宮=領庭 の所在地
ということになるわけですが、
ここは生駒山の東麓の地です。
このため イカルカの峰=領庭山=生駒山
と筆者は考えるのです。
また前回の講座で “とりの領庭”
は 「終点/ゴールの領庭」 の意で、
もう1つ別の意があるといいましたが、それは
「鳥の領庭」、つまり
「カラスが飛ぶ領庭」 ということです。
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ときにこやねは はやかれと おほものぬしも ととめける
ふとたまかいふ かかなえて きみのおほすお ととめんや
かくやまもいふ くまのなる あすかうつせは よきためし
すてにきわまる
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時にコヤネは 「早かれ」
と オホモノヌシも 止めける
フトタマが言ふ 「かがなえて 君の思すを 止めんや」
カグヤマも言ふ 「隈野なる 明す日移せば 良き試し
すでに極まる」
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■早かれ (はやかれ)
「早からん」 の換言と考えます。今風に言えば
「早かろう」 です。
文法的な構造は不明ですが、“遅かれ早かれ”
”善かれ悪しかれ”
などの言い方に残ります。
■オホモノヌシ・オオモノヌシ
2代オオモノヌシのクシヒコを指します。
■フトタマ
■かがなふ (▽明暗和ふ)
カガ(▽明暗)+ナフ(▽和ふ・綯ふ)で、「明暗/陽陰を合わす」
を原義とし、
「照らし見る・比べ見る・比較考慮する」
などの意を表します。
カガヱル/カンガヱル(▽明暗得る・考える)、カガミル/カンガミル(▽明暗見る・鑑みる)
などの換言です。
■カグヤマ
■極まる・窮まる
(きわまる)
ここでは 「行き着く・結論に達する・決定/決着する・きまる」
などの意です。
【概意】
時にコヤネは 「早かろう」 と。
オホモノヌシも止めるのであったが、
フトタマが言う。
「考えがあって、君の思すところを止めるのだろうな!」
カグヤマも言う。
「隈野となってすぐさま宮を移せば、これは良き試し。すでに極まる。」
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ものぬしは いかりていわく ふとたまは きみのとのおち
とみをきな きなふよろとし きみいわひ けふまたかわる
みやうつし よろちはとおし ひととせも へさるおせめは
よのはちは なんちのこころ けかれより
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モノヌシは 怒りて曰く 「フトタマは 君の留の大人
臣翁 昨日万歳 君祝ひ 今日また変わる
宮移し 万千は遠し 一年も 経ざるを迫めば
世の恥は 汝の心 穢れより
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■モノヌシ
オオモノヌシの略で、クシヒコを指します。
ホツマの中では3箇所の例外を除き、モノヌシ=オオモノヌシです。
■留の大人 (とのおぢ)
ト(留)は トメ(留め)の短縮で、「まとめ・纏り・治め」
を意味します。 ▶大人
ですから 「纏り事(政)の要」 という意です。 ▶纏り事・政
■臣翁 (とみをきな)
「臣の長老・重鎮」 などの意です。 ▶臣 ▶翁
■万歳 (よろとし)
「進展して達するさま・発展成就」 が原義です。
またそれを祝って唱える言葉で、今に言う バンザイ(万歳)
です。
★万 (よろ)
ヨル(選る)の名詞形で、「上げ・高まり・熟れ・優れ・至り」
などを原義とし、
「進展・成熟・優れ至るさま」 を意味します。
■万千は遠し (よろちはとおし)
「千年・万年に至る道は遠い」 という意です。
■一年 (ひととせ)
トセは トシ(年・歳)の変態で、やはり
「達成・完成・成就」 を意味します。
“一年” というのは 「太陽の大きな一巡の達成」
ということです。
■迫む (せむ)
「距離を狭める・近づく・寄る・同ずる」 などの意です。
“一年も経ざるを迫めば” は
「一年も経ざることを良しとするならば」
という意味になります。
【概意】
モノヌシは怒りて曰く、
「フトタマは君の纏り事の要、臣の長老である。
昨日は万歳と君の宮入りを祝った汝が、今日はまた変わって宮移し。
千年・万年に至る道は遠いが、<纏り事の要たる汝が> 1年も経ざるを
良しとするのであるから、世の恥は 汝の心の穢れより。」
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きみあやからは われおらす
あかねほのほに つみすとも まろかねはめと けかれゑす
かくいいかえる
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「君 肖らば 我 居らず
茜炎に 詰みすとも 磨金食めど 穢れ得ず」
かく言い帰る
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■茜炎 (あかねほのほ)
「あかね色の炎」 という意味でしょう。
★茜 (あかね)
アカ(赤)+カネ(金)
の短縮で、「銅・銅色」 を いいます。
■詰みす (つみす)
ツミ(詰み)+ス(する)
で、「終る/終らす・滅びる/滅ぼす・死ぬ/殺す」
などの意となります。
■磨金 (まろかね)
アラカネ(粗金・鉱)に対して、「精錬した金属」
をいいます。
“茜炎に詰みすとも磨金食めど穢れ得ず”
これによく似た表現が『三社託宣』の中に見られます。
鉄丸を食すと雖も、心汚れたる人の物を受けず
銅焔(どうえん)に座すと雖も、心穢れたる人の処に至らず 〈八幡大菩薩託宣〉
【概意】
「君もそれに肖るというなら我はここには居られぬ。
茜炎に焼かれようとも、磨金を食めども、穢れだけは御免こうむる。」
こう言って帰っていった。
クシヒコの
「たとえ相手が誰であろうとも曲ったものは受け入れない」
という態度は終生変わらず、最後は神となって直ぐな道を守ろうと、
アマテル下賜のサカホコを抜き持ったままミモロ山の洞に入ります。
そしてこのクシヒコの性根はオオモノヌシ家の家風となります。
後代 開化天皇が、父・孝元天皇の后の1人を、自分の正妃にしようとする時、
クシヒコの8世孫のオミケヌシは、保身を顧みずに天皇に諫言します。
それが受け入れらないと、彼は臣の身分を捨てて野に下ったのでした。
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もろはかり ついにうつして
あすかかわ くるわにほりて みそきなすかな
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諸 諮り ついに移して
アスカ川 周に堀りて 禊なすかな
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■アスカ川 (あすかがわ)
先出の アスカ(▽明す日)
とは意味が異なります。
このアスカは アスクの名詞形で、アスクは イスグ(濯ぐ)・ユスグ(濯ぐ)の変態です。
ですから 「濯ぎの川・改めの川・禊の川」
という意です。 ▶禊
アスカ川が禊の川だったことは万葉集の歌にもほのめかされています。
君により 言の繁きを 故郷の 明日香の川に 禊しに行く 〈万4〉
■周 (くるわ)
グルリ(周)の変態で、「めぐり・まわり・周囲」
を意味します。
“曲輪・郭・廓”
も原義は同じです。
■禊なす (みそぎなす)
何のための禊なのかよくわかりませんが、24アヤによると、
“クシヒコの諌めを嘲る穢れを濯いだ” とあります。
昔 クシヒコ 諌めしを 嘲る穢れ 禊なす 〈ホ24〉
【概意】
諸は協議したが、結局は宮を移し、アスカ川を周囲に堀って禊なすかな。
移転先は香具山の麓で 「アスカの宮」
と呼ばれます。ただしこの時点では
まだ香具山は存在していません (その理由は24アヤで説かれます)。
クシヒコとアマノコヤネは
このあとテルヒコの朝廷から離脱します。
どうなったのでしょうか? それは次の21アヤでわかります。
本日は以上です。それではまた!