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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第161回 [2024.6.18]

第二九巻 タケヒト ヤマト打ちの文 (3)

著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com

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 神武天皇-1-3

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 たけひとやまとうちのあや (その3)
 タケヒト ヤマト打ちの文 https://gejirin.com/hotuma29.html
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 ちぬのやまきて ゐつせかる きのかまやまに おくらしむ
 なくさのとへか こはむゆえ つみしてさのえ
 くまのむら いわたてこえて おきおこく

―――――――――――――――――――――――――――――
 茅渟の山城で ヰツセ枯る 紀の竃山に 送らしむ
 名草のトベが 拒むゆえ 詰みして狭野へ
 熊野邑 磐盾越えて 沖を漕ぐ

―――――――――――――――――――――――――――――
    〈地名の漢字表記は日本書紀に拠ります〉

茅渟 (ちぬ・千野・茅野)
チ(千・茅)+ヌ(野)で、これは チノ宮 の “チノ” の変態です。
「タケヒトの御幸の地」 を表し、それまで スヱ(陶・須恵) と呼ばれた地域の新名と考えています。


■山城 (やまき)
大阪府泉南市樽井町の古名だといいます。

 ヤマは ヤム(止む・罷む)の名詞形。キ(城・岐)は キリ(切り・限)の短縮で、
 「限り・区切り・区画」 の意。ですからヰツセの 「終りの区画」 の意と考えます。

 茅渟神社 (ちぬじんじゃ)
 大阪府泉南市樽井5-11-9。 
 現在の祭神:八王子
 ・樽井の里は「茅渟の山城」と云う地名であったそうで、
  社名はその地名から取ったようだとの事。


■紀の竃山 (きのかまやま)
和歌山市に竈山神社があり、その北にヰツセの墓地があります。

 カマは カムの名詞形で、カムは カフ(返ふ・還ふ)の変態、
 ヤマは 上記 “ヤマキ” のヤマ(止・罷)と同じです。
 ですからカマヤマは 「終った人を(天に)還す場所」 という意でしょう。

 竈山神社 (かまやまじんじゃ)
 紀伊国名草郡。和歌山県和歌山市和田438。 
 現在の祭神:彦五瀬命


送る (おくる)
神霊/魂魄を天に、骸を地に 「送還する・回送する」 という意で、
納む(おさむ)
葬る(はふる・ほうむる) などの換言です。
つまり 送(そう)=葬(そう)=喪(そう) です。


■名草・慰 (なぐさ)
ワカの国 の換言で、紀の国/紀州 の別名だと思います。

 ナグ(和ぐ・▽慰ぐ)クサ(▽曲・▽腐) の短縮で、ナグは 「直す・調える」、
 クサは 「曲り・傷み・衰え」 を意味します。ですから オシクサ(押曲) の換言です。
 これはワカ姫が ワカ歌によって傷んだ稲を若返らせたことを表すものと考えます。


トベ・トメ (戸畔・留)
“ナグサのトベ” は 「紀州を治める守・紀州の領主」 をいいます。


■拒む (こばむ)
コフ+アム(編む) の短縮で、コフは コル(凝る)の変態です。
「凝って結ぶ・凝り固まる・こわばる・かたくなになる」 などが原義です。

 中国を治める領主たちは、クーデターを起したナガスネのカグヤマ朝廷側に付くか、
 後継者不在の旧中央政府側に留まるかの選択を迫られています。
 ヰツセの埋葬を拒んだナグサ(=紀州)の領主は、カグヤマ朝廷を新中央政府として
 仰ぐことを選んだということです。

 旧中央政府の皇太子タケヒトが、タガの都を離れて30年以上が経過し、
 中国の多くの国造・県主は すでにカグヤマ朝廷側に付いているようです。
 タガに残るオオモノヌシは、辛くも根国の離反を抑えている状況です。


詰みす (つみす)

■狭野 (さの)
和歌山県新宮市佐野 に名が残り、「新宮港」 の沿岸地です。
サ(▽栄)+ノ(野)は、“チノ”  “チヌ” の変態で、これも 「栄え・栄光」 を意味し、
「タケヒトの御幸の地」 を表すものと思います。

 チノ、チヌ、サノ、その意味するところはみな同じなのですが、
 少しずつ変えてそれぞれの地名としたのでしょう。


■熊野邑・隈野村 (くまのむら)
御隈野の宮居」 と同じです。

 ★村・邑・群 (むら)
 ムル(群る)の名詞形で、「人の群がり」 を意味しますが、これは行政区画ではありません。
 規模の大小に関わらず 「人の群がる所・集落」 はすべて “ムラ” です。


■磐盾 (いわたて:岩立)
“ゴトビキ岩” の異称を持つ 「神倉山」 を指します。
「岩がそそり立つさま」 を表した名でしょう。

 日本書紀には 天磐盾(アメノイワタテ) と記され、神武天皇が熊野に
 到着後に登ったとありますが、上陸して神倉山に登ったのではなく、
 熊野沖をゆく御船からの景観を描写したものと考えます。

 

【概意】
茅渟の山城でヰツセは枯れ、紀国の竃山に葬らす。
名草(=紀)の地守が拒むゆえ、詰みして狭野へ。
熊野邑・磐盾を越えて沖を漕ぐ。



―――――――――――――――――――――――――――――
 つちかせふねお たたよはす いなゐいさちて
 あめのかみ ははわたかみや いかかせん
 くかにたしなめ またうみと いるさひもちの うみのかみ 
 みけいりもまた さかなみの うみおうらみて かみとなる

―――――――――――――――――――――――――――――
 旋風 船を 漂わす イナヰイさちて
 「天の尊 母 海守や 如何がせん
 陸に窘め また海」 と 入る “さびもちの 海の神”
 ミケイリもまた 逆波の 海を恨みて 神となる

―――――――――――――――――――――――――――――

旋風・辻風 (つぢかぜ)

イナヰイ・イナイイ

                    ヤセ姫
 ニニキネ───ヒコホオデミ──┐    ├──────1.ヰツセ
                ├─ウガヤフキアワセズ
 ハテスミ─┬トヨツミヒコ   │    ├──────3.イナイイ
      ├────トヨタマ姫┘    ├──────4.カンヤマトイハワレヒコ(斎名タケヒト)
      ├────タケスミ─┐    │     
      └オトタマ姫    ├──タマヨリ姫
                │    ├ー─────2.ミケイリ(出雲の御子)
 クシヒコ─コモリ─イソヨリ姫─┘  ワケイカツチ神
                    (白羽の矢)


■さつ (▽騒つ)
いさつ”  “いさちる” の同義語で、「騒ぎ叫ぶ・哭き叫ぶ」 などの意です。


■天の尊/和の尊 (あめのかみ)
天(=御上)の尊、あるいは アマツキミ(和つ君) の換言です。
いずれの場合も 「中央政府の君」 を意味します。


■海守 (わたかみ)
ワタツミ(▽海統み) の換言で、「海を治める者」 という意です。
ミケイリ・イナヰイ・タケヒトの母のタマヨリ姫は、ワタツミの子孫です。


陸 (くが)
クコワ(堅地)の短縮音で、クコハニ(堅埴)と同じです。
海に対して、陸(りく)を意味します。


窘む (たしなむ)
タス(堕す)+ナム の連結で、タスは クダス(下す)の母動詞、ナムは ナユ(萎ゆ)の変態。
両語とも 「下がる・衰える・そこなう」 などが原義です。


■さびもち
「沈没・潜没」 の意と考えます。
“さびもちの海の神” は 「海に沈没した海の神」 という皮肉な運命を表したものと思われます。

 サビ(寂)+モチ(▽没) の連結で、サビは サブ(寂ぶ・錆ぶ)の名詞形、
 モチは ボツ(没)の変態です。どちらも  「下がり・落ち・沈み」 などが原義です。


ミケイリ

■逆波・▽栄波・▽盛波 (さかなみ)
「栄える波・激しい波・高波」 の意と考えますが、辞書は “逆波” とします。

 

【概意】
旋風が船を漂わすとイナヰイは哭き叫んで、
「父は天の尊、母は海守や。どうしよう。陸に苦しみまた海や」 と海に入り、“沈没の海の神”。
ミケイリもまた 逆波の海を恨んで神となる。


 二木島湾を抱く西の岬にある室古神社にイナヰイを祀り、
 東の岬にある阿古師神社にミケイリを祀ったとの伝承があります。
 二木島は “二鬼島” という表記が用いられていた時期もあり、二鬼とは
 不遇な最期を遂げたイナヰイとミケイリの神霊を指すと考えています。

  室古神社 (むろこじんじゃ)
  三重県熊野市二木島町67。 
  現在の祭神:海神豊玉彦命 (他に熊野大神、稲飯命の説あり)

  阿古師神社 (あこしじんじゃ)
  三重県熊野市甫母町609。 
  現在の祭神:豊玉姫命 (他に伊勢大神、三毛入野命の説あり)



―――――――――――――――――――――――――――――
 すへらきみこも つつかなく ゆくあらさかに
 いそらなす にしきとこはみ をえはけは
 みなつかれふし ねふるとき たかくらしたに ゆめのつけ

―――――――――――――――――――――――――――――
 皇御子も 恙なく 行く荒坂に
 イソラ和す ニシキト拒み 汚穢吐けば
 みな疲れ臥し 眠る時 タカクラシタに 夢の告げ

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皇御子 (すべらぎみこ)
今風に言えば 「皇太子」 で、タケヒトを指します。


■恙なく (つつがなく)
「障り無く・無事に」 という意です。 ▶つつが


■荒坂・粗境 (あらさか)
アラ(粗)+サカ(境) の意で、アラ(粗)は アレモノ(粗モノ)の略です。
ですから 「邪霊の区画」 という意です。

 現在は 三重県熊野市二木島町 となっていますが、荒坂小、荒坂中、
 市立荒坂診療所 などに “荒坂” の名が残っています。


■イソラ和す (いそらなす)
「イソラが付く・イソラが憑依する」 という意です。 ▶イソラ ▶和す(なす)


■ニシキト (錦留・丹敷戸)
「ニシキ県を治める守」 という意です。
“ニシキ” は 「錦蛇(にしきおろち)の霊」 の略で、ニシキ県は 荒坂(粗境) の別名と考えます。
トは トベ(戸畔・留)の短縮です。日本書紀は 丹敷戸畔(にしきとべ) と記しています。

 『紀伊続風土記 曽根荘』より
 当荘より以東の諸荘は上世、丹敷戸畔が領した地で、いわゆる荒坂の津という。
 荒坂は当荘の二木島より曽根浦に越える今の曽根次郎曽根太郎という峻坂をいうのであろう。
 (丹敷はいま長島郷に錦浦がある。丹敷はその辺りの大名で、丹敷戸畔は神武帝の御軍を
 防ごうとしてこの地に来て、この荒坂の辺りで帝のために誅せられたのであろう。)


■タカクラシタ (高倉下・▽高座下)
幼名をタクラマロといい、タクリ(=カゴヤマ)の子です。
「タカクラ山=カミクラ山 の下(裾野)を治める者」 を意味します。
記紀には 熊野高倉下(くまののたかくらじ) と記されます。

 代嗣の無いアスカ皇君は、タクラマロを猶子にしようと、その母としてタクリの妹の
 アメミチ姫を娶りますが、御后のハセ姫は、この母子を憎み追放します。アスカ皇君の没後、
 アスカ朝廷を継いだニギハヤヒは母子を呼び戻しますが、タクラマロはこれを辞退します。〈ホ27-2〉

      ┌カグツミ─カグヤマ
      │       │
      │  ハヤコ  ├───┬タクリ(カゴヤマ)タクラマロ
      │   ├──タキコ  │           │
      │ アマテル      └アメミチ姫      ↓(養子)
      │   ├──オシホミミ   ├──────タクラマロ
 サクラウチ┴──ホノコ   ├──クシタマホノアカリ
               ├ニニキネ │  │
         タカキネ─チチ姫    │  │
                     │  │
         スガタ───────スガタ姫 │
                        │
         トヨマド──────────ハセ姫


 タクラマロ(=タカクラシタ)の その後については記されていませんが、熊野の神倉山
 麓の地にいたようです。ここは かつて二尊が都を置いた地ゆえにカミクラ(尊座)ですが、
 タカクラ(高座)は カミクラ(尊座)の換言で、タクリ・タクラはその略だと思われます。
 ですからもともとタカクラシタ(=神倉山の下)を領する家柄だったと考えられます。

 神倉神社 (かみくらじんじゃ)
 和歌山県新宮市神倉1-13-8。 
 現在の祭神:高倉下命
 ・神倉山は熊野権現の降臨地とされる。
 ・神倉神社は熊野速玉大社奥院といわれ、熊野根本神蔵権現とも称された。
 <筆者考> 二尊が紀州に来て建てた都の跡と考えます。

 

【概意】
無事だった皇御子も、行く荒坂で、邪霊の取り憑くニシキトが拒む。
汚穢を吐いて皆が疲れ臥して眠る時、タカクラシタに夢の告げ。



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 たけみかつちに みことのり くにさやけれは なんちゆけ
 かみにこたえは ゆかすとも くにむけつるき くたさんと
 かみもうめなり
 みかつちの ふつのみたまお くらにおく これたてまつれ
 あひあひと

―――――――――――――――――――――――――――――
 タケミカツチに 御言宣 「国さやければ 汝行け」
 神に答えは 「行かずとも 国平け剣 下さん」 と
 神も 「宜なり」
 「ミカツチの “フツの神霊” を 蔵に置く これ奉れ」
 「あひあひ」 と

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タケミカツチ (健御雷神・武甕槌命)
“雷をも拉ぐ” と称えられた勇猛無比の伝説的武将です。もちろんこの時点では神となっています。

         ┌フツヌシ
        ??┤
         └アサカ姫┐
              ├──アマノコヤネ
 ツハヤムスビ─??─ヰチチ─┘     ├──オシクモ──タネコ
                    ├──ヒタカヒコ
 トヨケ─??─ヲバシリ─タケミカツチ─ヒメ  (ヒタチ)


■御言宣 (みことのり)
この御言宣の主は 「アマテル大御神」 です。


■国/地さやければ (くにさやければ)
「地がざわめいているから」 という意です。
サヤは サヤグの母動詞 “サユ” の名詞形です。


■国平け剣・地平け剣 (くにむけつるぎ)
「国/地を平定する剣」 という意です。 ▶むけ(平け)


宜なり (うめなり・むべなり)

■フツの神霊 (ふつのみたま)
その “国平け剣” の名で、「調和の神髄・平和のエッセンス」 というような意味です。

 フツ(▽付つ)は 「合わす・和す」 が原義で、「直して調和する」 という意です。
 これは 「平く(むく)・平定する」 と同義です。 ▶神霊


■あひあひ (合々)
今風には 「はいはい」 です。 ▶あひ

 

【概意】
<タカクラシタの夢に>
大御神がタケミカツチに御言宣、「地がざわめいているから、汝行け」
神に答えは、「行かずとも国平けの剣を下しましょう」 と。
神も 「よろしい」 と宣給えば、
「ミカツチの “フツの神霊” を蔵に置く。これを <タケヒト君に> 奉れ」
タカクラシタは 「はいはい」 と。



―――――――――――――――――――――――――――――
 たかくらしたか ゆめさめて
 くらおひらけは そこいたに たちたるつるき
 すすむれは きみのなかねの をゑさめて
 もろもさむれは いくさたち

―――――――――――――――――――――――――――――
 タカクラシタが 夢覚めて
 蔵を開けば 底板に 立ちたる剣
 進むれば 君の長寝の 汚穢覚めて
 諸も覚むれば 軍立ち

―――――――――――――――――――――――――――――

軍立ち (いくさだち)
「軍の出陣」 をいいます。

 

【概意】
タカクラシタの夢が覚め、蔵を開けば、床の底板に立ちたる剣。
それを進上すれば君の長寝の汚穢が覚め、諸も覚めれば軍立ち。



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 やまちけわしく すえたえて のにしちまひて
 すへらきの ゆめにあまてる かみのつけ
 やたのからすお みちひきと さむれはやたの からすあり
 おおちかうかつ あすかみち

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 山道 険しく 饐え絶えて 野にしぢまひて
 統君の 夢にアマテル 神の告げ
 「八尺のカラスを 導き」 と 覚むれば八尺の カラスあり
 老翁が穿つ “アスカ道”

―――――――――――――――――――――――――――――

■饐え絶ゆ (すえたゆ)
「弱り切る・疲れ果てる」 などの意です。
スユ(饐ゆ)タユ(絶ゆ) の連結で、どちらも 「下がる・劣る・衰える・果てる」 などが原義です。


しぢまふ (蹙まふ・縮まふ)
「動きが縮こまる・身動きが取れなくなる」 ことをいうようです。
シジマル(蹙まる・縮まる)チヂマル(縮まる) の変態です。


統君 (すべらぎ・すめらぎ)

■八尺のカラス・八尺ガラス (やたのからす・やたがらす)
8尺は男子の平均身長ですので、「人間サイズのカラス」 という意味だと思いますが、
オオヂ(老翁) とも呼ばれていますので、これは鳥ではなく人間です。
ここはクマノ(隈野・熊野)の地ですから、カラス(烏)は 「隈の神の使い」 を意味するのでしょう。

 さらにこの場合は、カラス(烏)を  “空す” (からす:‘空にする’ の意) に語呂合せして、
 「(道を) 空ける者・開く者・穿つ者」 の意を表しているのではないかと考えてます。


老翁 (おおぢ・をぢ)

穿つ (うがつ)


■アスカ道 (あすかみち)
“八尺のカラス” が開いた道の名です。 ▶アスカ(1) ▶アスカ(2) ▶アスカ(3)
これまでアスカは 「日の出・東」、「改まった時/日・あくる時/日」、「改め・濯ぎ」 の意に
使われていますが、この場合はよくわかりません。

 

【概意】
山道は険しく疲れ果て、野に身動きが取れなくなった時、
統君の夢にアマテル神の告げ 「八尺のカラスを導き」 と。
夢から覚めれば8尺のカラスあり。老翁が開く “アスカ道”。



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 いくさひきゆく みちをみか みねこえうたの うかちむら
 うかぬしめせは あにはこす おとはもうてて つけもふす
 あにさからえと みあえして はかるくるりお しろしめせ

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 軍 引き行く ミチヲミが 峰越え ウダの ウガチ村
 ウガ主召せば 兄は来ず 弟は詣でて 告げ申す
 「兄 逆らえど 見合えして 計るくるりを 知ろし召せ」

―――――――――――――――――――――――――――――

■ミチヲミ・ミチオミ
「臣(=軍)をみちびく者」 の意と考えます。日本書紀/旧事紀は 道臣/導臣 と記しています。
この人物の出自・素性をホツマは語っていませんが、
タケヒトが九州を出発する前から仕えていた臣だと思います。

 他の文献では アメオシヒの子孫で大伴氏の祖とされますが、これは信じがたいです。


■ウダのウガチ村 (うだのうがちむら)
「国境にある境界の村」 という意です。 ▶村

 ★ウダ (宇陀・菟田)
 “ウト” の変態で 「際・果て・境界」 などが原義です。 ▶ウト
 この場合は 大和国のウダ(宇陀・菟田)県 をいいます。

 ★ウガチ (穿ち)
 ウガツ(穿つ)の名詞形で、ワカチ(分かち)の変態です。
 ですから 「分かち・分かつ所・境界」 などの意で、ウダの換言です。

 
■ウガ主 (うがぬし)・ウガ司 (うがし)
「ウダの県を治める主/司」 をいいます。

 ★ウガ (▽穿)
 ウガツの母動詞 ウグ(穿ぐ)の名詞形で、ウダ、ウガチと同義です。

 ★司 (し)
 スル(為る)の連用形 “シ” が名詞化したものです。
 「合わせ・まとめ・束ね」 などが原義で、ヌシ(主)の換言です。

 宇賀神社 (うがじんじゃ)
 奈良県宇陀市菟田野宇賀志1096。
 現在の祭神:宇迦斯神魂

 
■兄 (あに・ゑ) ■弟 (おと・と)
この時代は、江戸時代の町奉行所の当番制のように、2人の長を置き、
期間を決めて交互に治めさせたようです。兄/弟というのは、その2人の長を指します。
これは太古、ヱの尊/トの尊が交代で国を治めたことに倣ったものと考えられます。

 ミナカヌシ 地球八方に 万子生み 果つにヲウミの 兄弟の子の
 
兄御子(ヱの尊) 上に継ぎ ヲウミ治す 弟御子(トの尊)の統む トシタ国 ・・・ ・・・
 百ハカリ後 トの尊 ヱに受け治む これよりぞ かわる替わりに 代を継ぎて 〈ミ6-3/4〉


詣づ (もふづ)
君のお召しに応じて御前に詣でることは、「服従・恭順」 の表明です。
応じない場合は 「敵対」 の意思表明とみなされます。


■見合え (みあえ)
ミ(‘見る’の連用形)+アフ(合ふ) の同義語連結 “ミアフ” の名詞形で、
「見知ること・調査・査察」 をいいます。 ▶見知る


■くるり (転)
クル(▽転る・繰る)の連体形 “クルル” の名詞形で、「回り/回し・回転・変化」 などが原義です。
この場合は 「からくり・しかけ・計略」 などを意味します。

 

【概意】
ミチヲミが軍を導いて峰を越え、国境のウガチ村に到る。
ウガ主を召せば 兄は来ず、弟は詣でて告げ申す。
「兄は御言に逆らい参らねど、調べて計略を知ろしめせ。」


 兄の方は、召されても行かなければ、タケヒトの方からやって来ると踏んだのでしょう。
 その間に屋にしかけを施し (忍者屋敷さながらに)、うまくいけばタケヒトを殺害できる、
 という計略を練っていたのだろうと思います。



―――――――――――――――――――――――――――――
 かれにみちをみ さかすれは あたなすことお おたけひて
 なんちかつくる やにおれと
 つるきよゆみと せめられて いなむとこなき あめのつみ
 おのかくるりに まかるなり

―――――――――――――――――――――――――――――
 故にミチヲミ 探すれば 仇なす言を お猛びて
 「汝が造る 屋に居れ」 と 
 剣よ弓と 攻められて 辞む所なき 陽陰の詰み
 己がくるりに 罷るなり

―――――――――――――――――――――――――――――

故に (かれに)

■仇なす言 (あだなすこと)
アダ(仇)ナス(▽和す)+コト(言) で、「敵意が込もった言葉」 です。

 あだなす【仇なす・寇なす】〈広辞苑〉
 敵対して害を加える。


お猛ぶ (おたけぶ)

■辞む/否む所なき (いなむとこなき)
「避ける所の無い・逃げ場の無い・免れることのない」 などの意です。 ▶いなむ


■陽陰の詰み (あめのつみ)
アメ(陽陰)は ここでは 「自然」 とイコールと考えて良いと思います。
ツミ(詰み)は 将棋の “詰み” と同じで、「結び・結末・決着・終り」 などを意味します。
ですから 「自然の結末・非人為的な最期」 という意で、今風に言えば 「天罰」 です。

 ホ17アヤでは 陽陰の報ひ陽陰が槌 などと呼ばれています。


罷る (まかる)
ここでは「元にもどる・あの世に還る」などの意を表します。

 

【概意】
そのためミチヲミが <兄の屋を> 探れば、悪口雑言をわめきたてるゆえ、
ミチヲミは 「ならば汝が造った屋にずっと居れ」 と。
すると剣や弓やと攻められて、逃れる所なき自然の結末。
自分が仕組んだからくりに罷るのであった。



―――――――――――――――――――――――――――――
 おとはもてなす きみとみも
 よしのをのゑの ゐひかりも いわわけかみも いてむかふ

―――――――――――――――――――――――――――――
 弟はもてなす 君・臣も
 吉野峰の縁の ヰヒカリも イワワケ守も 出で迎ふ

―――――――――――――――――――――――――――――

もてなす (持て成す)
モツ(持つ)+ナス(▽和す) で 「取り成す取り持つ」 と同義です。
この場合は 「間を取り持つ・仲介/仲裁する」 という意です。


■君・臣 (きみとみ)
“君” は タケヒト、“臣” は 「この辺りを治める地守たち」 をいいます。 ▶地守


■吉野峰の縁 (よしのをのゑ)
ヨシノ(吉野)+ヲ(尾・峰・▽穂) の ヱ(縁・辺) で、
「吉野山の縁(へり・ふち)・吉野山の裾/麓」 という意です。

 ★吉野 (よしの)
 ヨシ(寄し)+ノ(野) で、タケヒト君と地守が 「寄り合う野・結び付く所」 の意と考えます。


■ヰヒカリ
吉野山麓の県の名で、「結びの県」 というような意です。
記紀には 井氷鹿/井光 と記されます。

 ヰヒは ユヒ(結ひ)の変態で、ヨシノの ヨシ(寄し)の換言。
 カリは カル(離る)の名詞形で 「分け・別・県」 の換言と考えます。

 井光神社 (いかりじんじゃ)
 奈良県吉野郡川上村井光34。 
 現在の祭神:井光神


■イワワケ ■イワワケ守 (いわわけかみ)
イワワケはやはり吉野山麓の県の名です。
イワ(結)ワケ(分け・別) で、「結びの県」 を意味し、原義はヰヒカリと同じです。
イワワケ守はその県主をいいます。
記紀には 石押分/磐排別、 新撰姓氏録には 石穂押別 と記されます。

 国栖八坂神社 (くずやさかじんじゃ)
 奈良県吉野郡吉野町南大野167。 
 現在の祭神:速須佐之男命、石穗別命


■出で迎ふ (いでむかふ)
「出迎える」 の意で、これは 「敬意をもって歓迎する」 ことを表す行為です。
つまり 一時はカグヤマ朝廷側に付いたものの、改めてタケヒトが率いる
旧中央政府の側に付くという意志を表示するものです。

 

【概意】
弟は君と地元の守の間も取り持つ。
それにより、吉野山麓のヰヒカリとイワワケの守も君を出迎える。

 

本日は以上です。それではまた!

 

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