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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第148回 [2024.4.15]
第二七巻 御祖神 船霊の文 (6)
著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com
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みをやかみふなたまのあや (その6)
御祖神 船霊の文 https://gejirin.com/hotuma27.html
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みことのり やまくいおして めすときに
ははこのほれは みたまひて うちなおとえは ひめこたえ
をやのたけすみ いそよりか なつくたまより はてかまこ
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御言宣 ヤマクイをして 召す時に
母子上れば 見給ひて 氏名を問えば 姫答え
「親のタケスミ イソヨリが 名付くタマヨリ ハテが孫」
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■ヤマクイ (山構い)
ワカヤマクイ(▽分山構い) の換言です。
カナサキ─??─ハテ──┬トヨツミヒコ ├トヨタマ姫 ├タケスミヒコ──┐ └オトタマ姫 ├─タマヨリ姫 クシヒコ │ ├──コモリ │ ミホツ姫 ├──────┬1.モトメ │ ┌18.トヨリ姫 │ ├2.タマネ姫 │ ├17.アワナリ姫 アチハセ─シラタマ姫 ├3.イソヨリ姫┘ ├16.ワカネ姫 ├4.ムレノ姫 ├15.ハザクラ姫 ├5.ミハオリ姫 ├14.アサ姫 ├6.スセリ姫 ├13.ムメチル姫 ├7.ミタラシ姫 ├12.ハモミ姫 ├8.ヤヱコ姫 ├11.ミチツル姫 ├9.コユルキ姫 ├10.シモト姫 └─────────┘
【概意】
御言宣によりヤマクイを御使として召す時に、
母子上れば会い給いて、氏名を問えば、
姫は答えて、「親のタケスミとイソヨリが名付けるタマヨリ。ハテが孫。」
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こはちちもなく かみなりそ ちちかなけれは いみなせす
いつものみこと ひとかよふ ことはもくわし すきとほる
たまのすかたの かかやけは みことのりして うちつほね
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「子は父も無く 神生りぞ 父が無ければ 斎名せず
“出雲の神子”
と 人が呼ぶ」 言葉もくわし 透き通る
珠の姿の 輝けば 御言宣して 内局
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■神生り (かみなり)
「人の男女の交わりによらずに生まれること」
をいうのでしょう。
三つなる時に 矢を指して 「父」
と言う時 矢は昇る
「ワケイカツチの 神なり」 と 世に鳴り渡る 〈ホ27ー5〉
■斎名 (いみな)
■出雲の神子 (いづものみこ)
「出雲路森 (=高野の森)
の神の子」 という意でしょう。 ▶神子
“出雲路森の神” とは ワケイカツチの神
のことです。
タマヨリ姫は
この森にワケイカツチ神の御影を纏る祠を造りますが、
それが “御蔭神社” の礎と考えられ、延喜式には "出雲高野神社"
と記されています。
高野の森に 隠れ住む ワケイカツチの 祠 成し 常に御影を 祀るなり 〈ホ27-5〉
御蔭神社
(みかげじんじゃ 旧名:出雲高野神社)
京都府京都市左京区上高野東山207、賀茂御祖神社境外摂社。
現在の祭神:賀茂建角身命荒魂、玉依日売命荒魂
<筆者注> 本来の祭神はワケイカツチ神(別雷神)。
■くわし
(美し)
クワ+シ(▽如・▽然)
で、クワは クユ(越ゆ)の名詞形で、コヱ(越え・肥え)の変態です。
ですから
「肥える如し・優れる如し・勝る如し・至る如し」
などの意です。
辞書は “細し”
とも当てますが、これは語源が別と考えます。
■内局 (うちつぼね)
内侍(うちめ)の換言です。内后(うちきさき)とも呼ばれます。
【概意】
「子は父も無く神生りぞ。父が無ければ斎名せず。
“出雲の御子” と人が呼ぶ」 と、言葉も麗しい。
透き通る珠のような姿が輝けば、御言宣して内局となす。
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ゐつせひたせは みこのなも みけいりみこそ
うむみこは いないいきみそ みきさきと なりてうむみこ
かんやまと いはわれひこの みことなり
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ヰツセ養せば 御子の名も ミケイリ御子ぞ
生む御子は イナイイ君ぞ 御后と なりて生む御子
カンヤマト イハワレヒコの 尊なり
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■ヰツセ (五瀬)
さきに 代嗣社+代嗣文
の霊験により ヤセ姫
が生んだ男子です。
ヤセ姫は産後まもなく世を去ります。そのため世間に乳母の募集を触れ、
その結果発掘されたのが タマヨリ姫
です。
■ミケイリ (食入り)
タマヨリ姫が 白羽の矢
によって生んだ “出雲の神子”
に付けられた名です。
この子の出生によりタマヨリ姫は乳を産し、それがヰツセを養うことになったため、
「ヰツセの食を入れる者」 という意味のようです。 ▶食(みけ)
記紀には 御毛沼命/三毛入野命
などと記されます。
■イナイイ・イナヰイ
カモヒトがタマヨリ姫によって生んだ最初の男子です。
この名の意味は不明ですが、記紀には 稲氷命/稲飯命
などと記されます。
■御后 (みきさき)
本来は 生んだ子が皇太子となることにより 御后(=内宮)に昇格するはずなのですが、
ホツマは常に 「御后が生む男子が皇太子となる」
という順序の表現法を取ります。
■カンヤマトイハワレヒコ ■タケヒト
カモヒトがタマヨリ姫によって生んだ2人目の男子で、斎名はタケヒトです。
“カンヤマトイハワレヒコ” は即位後の尊称で、記紀には 神倭伊波礼毘古命/神日本磐余彦尊
などと記されます。
ヤセ姫 ニニキネ───ヒコホオデミ──┐ ├──────1.ヰツセ ├─ウガヤフキアワセズ ハテスミ─┬トヨツミヒコ │ ├──────3.イナイイ ├────トヨタマ姫┘ ├──────4.カンヤマトイハワレヒコ(斎名タケヒト) ├────タケスミ─┐ │ └オトタマ姫 ├──タマヨリ姫 │ ├ー─────2.ミケイリ(出雲の御子) クシヒコ─コモリ─イソヨリ姫─┘ ワケイカツチ神 (白羽の矢)
【概意】
ヰツセを養せば、御子の名もミケイリ御子ぞ。生む御子はイナイイ君ぞ。
御后となりて生む御子は
カンヤマトイハワレヒコの尊なり。
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ときにたねこか たけひとと いみなちりはめ たてまつる
あまきみみこに みことのり つつのみうたに
これをして とよへるはたの つつねにそなせ
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時にタネコが “タケヒト” と 斎名ちりばめ 奉る
天君 御子に 御言宣 連の御歌に
『これヲシテ とよ経る機の 連根にぞなせ』
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■タネコ・アメタネコ・アマノタネコ
オシクモ
の代嗣子です。日本書紀には 天種子命
と記されます。
┌フツヌシ ??┤ └アサカ姫┐ ├──アマノコヤネ ツハヤムスビ─??─ヰチチ─┘ ├──オシクモ──タネコ ├──ヒタカヒコ トヨケ─??─ヲバシリ─タケミカツチ─ヒメ (ヒタチ)
■タケヒト
カンヤマトイハワレヒコの斎名です。 ▶斎名
“ヒト” は皇位継承予定者のみに付される斎名の 和り(のり)
です。
■ちりばむ
(鏤む)
チル(散る)+ハム(▽蝕む) の同義語連結で、チルは
「散らす・刻む・除く・掘る」、
ハムは ハユ(蝕ゆ)の変態で、「虫が食う・浸食する・穴をあける」
などの意です。
ですから 「彫刻する」 という意です。
版木に “タケヒト”
とヲシテを彫刻し、それでビラを刷って全国に配布するのでしょう。
版木の材には 梓(あづさ) を使ったため、“梓に鏤める”
“梓に彫る” とも表現します。
■天君 (あまきみ)
“御祖天君” の略です。
■連の御歌 (つづ/つずのみうた) ■連歌 (つづ/つずうた)
ツヅ/ツズウタ(連歌)は 5・7・7 の19音を1句として
続け連ねる歌をいいます。
1句が19音のため、“十九” を ツヅ/ツズ とも表現します。(後世の連歌とは異なる)
ミウタ(御歌)は 「皇の詠む歌」 をいいます。
■ヲシテ (押手)
この場合は 「証・璽(しるし)」 を意味し、“タケヒト”
という斎名を指します。
“ヒト” は皇位継承予定者のみに付される斎名の和り(のり)ですから、
これは 「和つ日月を継ぐ者」 を指定するヲシテ(証・璽)となります。 ▶和つ日月
■とよ経る機 (とよへるはた)
「杼を (何万回も) 往き来させて織る機」 という意で、“万の機”
の換言です。
これは 「皇による国家統治」 を意味します。 ▶万の機(よろのみはた)
トヨ(樋・▽訪・▽響)は
「めぐらすもの・往き来させるもの」 を意味し、
この場合は ヒ(杼)・カヒ(梭)
の換言です。
ヘル(経る)は 「巡る/巡らす・往き来する/させる・通る/通す」
などが原義です。
■連根 (つづね)
「続き連なる物事の根源・土台・基礎」 をいいます。
この場合は 「連歌の本歌・連歌の発句」
の意も兼ねています。
【概意】
時にタネコが “タケヒト” と斎名を彫り刻みて奉る。
天君は連の御歌にて御子に御言宣。
『これヲシテ とよ経る機の 連根にぞなせ』
(この斎名がしるしなり
これを国家の治めの礎にぞなせ)
この時点で天君はすでに、自分の力ではどうにもならない世の変化を察知していて、
不可避の混乱の後に、タケヒトが再び世の秩序を回復して国家を治めてゆく願いを込めた
連歌の発句ではないかと思われます。(この歌の後の展開はタケヒトに託すという意味)
どうにもならない変化とは、おそらくウビチニ&スヒヂの時に起こったような
「陽陰和る道」 の変化と思われ、28アヤでは これを “陽陰の蝕み”
と呼んでいます。
これ以後国家は分裂の危機に見舞われ、人の寿命は100年〜300年程度に減ります。
そしてこれはアマテルが世を去るのと時を同じくするのです。
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これのさき はらのおしくも めしのほす
おととひたちは わかきゆえ あはのことしろ はへるみや
はらからなれは にしひかし かよひつとめて かなめしむ
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これの先 ハラのオシクモ 召し上す
弟ヒタチは 若きゆえ 阿波のコトシロ 侍る宮
ハラカラなれば 西東 通ひ勤めて 要 締む
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■ハラのオシクモ召し上す (はらのおしくもめしのぼす)
「ハラ宮に侍るオシクモをタガの都に召し上す」
という意です。 ▶ハラ宮 ▶オシクモ
ホツマ方は カシマオシクモ ヒタカヒコ ミシマミゾクイ
ハラ宮に 百枝県の モノノベと 豊かに治む 〈ホ27ー1〉
これは アマノコヤネが 左の臣(=鏡臣)
を退任するため、新たな左の臣として、
嗣子のオシクモを都に召し上すということですが、そのことは28アヤで語られます。
■ヒタチ (日立)
オシクモの弟の ヒタカヒコ(日高彦)
の別名です。やはりハラ宮に侍っています。
┌フツヌシ ??┤ └アサカ姫┐ ├──アマノコヤネ ツハヤムスビ─??─ヰチチ─┘ ├──オシクモ──タネコ ├──ヒタカヒコ トヨケ─??─ヲバシリ─タケミカツチ─ヒメ (ヒタチ)
■阿波のコトシロ (あはのことしろ)
阿波のイブキの宮で四国24県を治める
コトシロヌシのツミハを指します。 ▶ツミハ
ツミハと タケフツと イブキの宮に 二十四県 して治めしむ 〈ホ27ー1〉
ツミハは 九州の統治に行った カンタチ のコトシロとして、アスカの宮 にも侍っています。
ツクシより 使人乞ふゆえ カンタチを モノヌシとして
ハテツミと 共に三十二を 治めしむ
故にツミハを コトシロと アスカの宮に 侍らしむ 〈ホ27ー1〉
そしてここでオシクモが都に上るため、ハラ宮は人材が手薄となります。
だからハラ宮を切り盛りするヒタチとミゾクイの応援にも行くことになったというわけです。
■ハラカラなれば
ツミハ(コモリの2男)と、ハラ宮に侍る ミシマミゾクイ(コモリ11男)
は
「非常に仲のいい兄弟なので」 という意です。 ▶ハラカラ
┌─────────┐ ├9.タケフツ ├10.チシロ ├8.ヤサカヒコ ├11.ミシマ(ミゾクイ) ├7.ナラヒコ ├12.オオタ ├6.コセツヒコ ├13.イワクラ ├5.チハヤヒ ├14.ウタミワケ ├4.ヨテヒコ ├15.ミコモリ ├3.ヨシノミコモリ ├16.サギス スヱツミ─イクタマヨリ姫 ├2.ツミハ ├17.クワウチ ├──────┴1.カンタチ └18.オトマロ クシヒコ──コモリ
■要締む (かなめしむ)
東西駆け巡って国家統治の 「要所要所をしっかり締める/押さえる」
ということです。
【概意】
これに先立ち、ハラ宮に侍るオシクモをタガの都に召し上す。
弟のヒタチはまだ若いため、阿波のコトシロヌシがハラ宮にも侍る。
ハラ宮のミゾクイは仲のいい兄弟なので、西へ東へと通い勤めて、
国家統治の要所を締める。
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なもつみはやゑ ことしろか みしまにいたり
はらにゆき またみしまより いよにゆく
ついにちなみて みそくいの たまくしひめも はらむゆえ
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名も “ツミハ八重 コトシロ” が ミシマに到り
ハラに行き またミシマより イヨに行く
ついに因みて ミゾクイの タマクシ姫も 孕むゆえ
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■ツミハ八重コトシロ (つみはやゑことしろ)
「幾重ものコトシロをこなすツミハ」
に付けられた通称です。 ▶コトシロ
積羽八重事代主命・都味歯八重事代主神
の名で多くの神社に祭られています。
金刀比羅宮 (ことひらぐう)
香川県仲多度郡琴平町字川西892番地1。
現在の祭神:大物主神
境内社 事知神社(ことしりじんじゃ):積羽八重事代主神
■ミシマ (三島・▽水締)
後の 摂津国三島郡
で、今の茨木市・高槻市の周辺をいうものと思います。
ここには三島鴨神社と溝咋神社があり、ミシマミゾクイの本拠地だったと考えてます。
淀川が流れ、少し上流の島本町には 山崎関
があります。
三島鴨神社 (みしまかもじんじゃ)
大阪府高槻市三島江2-7-37。
現在の祭神:大山祇神、事代主神
溝咋神社 (みぞくいじんじゃ)
大阪府茨木市五十鈴町9-21。
昔の祭神:(上の宮):媛蹈鞴五十鈴媛命、溝咋耳命、天日方奇日方命
(下の宮):玉櫛媛命
ツミハがアスカ宮に通う場合、淀川を船で遡るわけですが、三島はその途中にあるため、
おそらくサービスエリア的にミシマミゾクイの屋を利用したのではないかと考えます。
そしてそこにはタマクシ姫がいるわけです。
■ハラ (原・▽孕)
ホツマ国の政都である ハラ宮
をいいます。
ツミハはここにも通うわけですが、少し東には三島大社があります。
三島大社 (みしまたいしゃ)
静岡県三島市大宮町2-1-5。(伊豆国賀茂郡)
現在の祭神:三嶋大明神 (大山祇命と積羽八重事代主神)
<筆者考> この社は古くは 伊豆前宮
と呼ばれ、オオヤマズミが預り役を務めていたと
推測します。ヒコホオデミの時代となってからは、ハラ宮に配属された
ミシマミゾクイが預ることになったのでしょう。そしてツミハがハラに来る時は、
ここを宿舎としたのではないかと考えています。
■イヨ (伊予)
この “伊予” は “阿波” の換言と考えます。 ▶伊予阿波二名
つまりここは ツミハ八重コトシロ
の本来の知行地です。
少し前まで伊予三島と呼ばれた市があり、そこにも三島神社があります。
三島神社
(みしまじんじゃ)
愛媛県四国中央市三島宮川1-1-53。
現在の祭神:大山祗神
このように ツミハが往き来した地には いずれも ミシマ
の地名と “三島神社” が残り、
その祭神として必ず コトシロヌシ と オオヤマズミ が絡んできます。非常に興味深いです。
■因む (ちなむ)
■タマクシ姫 (たまくしひめ)
ミシマミゾクイの娘です。日本書紀には
玉櫛媛
と記されます。
ツミハは
ミゾクイの屋をサービスエリアとして往き来しているうち、
ミゾクイの娘と “いい仲” になってしまいます。
【概意】
名も “ツミハ八重コトシロ”
が、ミシマに到り、ハラに行き、またミシマよりイヨに行く。
そうするうち、ついにミゾクイのタマクシ姫も孕むゆえ、
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わにのりあはえ かえるうち うむこのいみな わにひこは
くしみかたまそ つきのこは いみななかひこ くしなしそ
あおかきとのに すましむる
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ワニ乗り阿波へ 帰る内 生む子の斎名 ワニヒコは
クシミカタマぞ 次の子は 斎名ナカヒコ クシナシぞ
“青垣殿” に 住ましむる
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■ワニ乗り阿波へ帰る (わにのりあはえかえる)
「ワニ船に乗って阿波へ帰る」 という意です。 ▶ワニ
■ワニヒコ ■クシミカタマ
ツミハとタマクシ姫の最初の男子で、斎名がワニヒコ。通称がクシミカタマです。
移動中のワニ船の中で生れたので
ワニヒコと名づけたのでしょう。
他文献には 櫛甕魂命/櫛御方命/天日方奇日方命
などと記されます。
コモリ┬─────ツミハ(2男) ┌クシミカタマ(斎名ワニヒコ) │ ├───┤ └ミゾクイ─タマクシ姫 └クシナシ(斎名ナカヒコ) (11男)
■ナカヒコ ■クシナシ
ツミハとタマクシ姫の2人目の男子で、斎名がナカヒコ。通称がクシナシです。
名前のみの登場ですが、斎名が公表されてるということは相当な重要人物のはずです。
櫛梨神社 (くしなしじんじゃ)
讃岐国那珂郡。香川県仲多度郡琴平町下櫛梨280。
現在の祭神:神櫛王命
<筆者注> 那珂郡とナカヒコ。
■青垣殿・▽阿汚垣殿 (あおかきとの)
「阿汚垣山の麓の殿」 の意で、阿汚垣山=ミモロ山
です。 ▶ミモロ山
★青垣・▽阿汚垣 (あおかき)
アオ(阿汚)は ヲヱ(汚穢)・ヤヱ(八重)
の変態で、阿汚垣=汚穢を防ぐ垣=ヤヱガキ
です。
アマテルが “皇のヤヱガキの翁”
と称えた 「クシヒコの神霊」 を表すものです。
・和道の 教えに適ふ 皇のヤヱ垣の翁 賜ふ名も “ヤマトヲヲコのミタマ尊” 〈ホ23ー8〉
・ミモロの山に 洞掘りて 和の逆矛 放けながら 入りて静かに 時を待つ 〈ホ23ー8〉
【概意】
姫を連れてワニ船に乗り 阿波へ帰る途中、
船上で生む子、斎名ワニヒコはクシミカタマぞ。
次の子は斎名ナカヒコ、クシナシぞ。
<クシミカタマは> “青垣殿” に住まわしむ。
これ以後しばらく、クシミカタマが “青垣殿”
に住むこととなる経緯が説明されます。
本日は以上です。それではまた!