_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
一から学ぶ ほつまつたえ講座 第157回 [2024.6.6]
第二八巻 君臣 遺し宣りの文 (7)
著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
きみとみのこしのりのあや (その7)
君臣 遺し宣りの文 https://gejirin.com/hotuma28.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
―――――――――――――――――――――――――――――
このさきに たけにうまるる たけこひめ
たかにもうてて ものぬしか たちにおわれは
すすきしま おもむろおさめ たけふかみ
―――――――――――――――――――――――――――――
この先に 長に生まるる タケコ姫
タガに詣でて モノヌシが 館に終われば
ススギ島 骸 納め “長生神”
―――――――――――――――――――――――――――――
■長に生まるるタケコ姫 (たけにうまるるたけこひめ)
三つ子の姫の 「長女として生れるタケコ姫」 という意で、
タケコの斎名の意味を説明しています。 ▶タケコ
タケ(長)+コ(子) の、タケは タク(長く)の名詞形で、
「上・高・活・栄・早・熟」 などの意を表します。コ(子)は女子の斎名に付ける語です。
・十握の剣 折れ三きた さがみにかんで みたとなる 三たり姫生む “た”
の斎名 〈ホ7-7〉
・女は乗らず 二親二つ 男に受けて 子を生む故に “何子姫” また
“子何姫”
“何小” とも “小何”
とも付く 女の名三つ 男の名・ノリ四つ 〈ホ4-5〉
■タガに詣づ (たがにもうづ)
「タガの神(▽治曲の神)に参詣する」
という意です。 ▶詣づ
タガの神は タケコの祖父であるイサナキの贈り名です。 ▶イサナキ
多賀大社 (たがたいしゃ)
滋賀県犬上郡多賀町多賀604。
現在の祭神:伊邪那岐命、伊邪那美命
■モノヌシが館 (ものぬしがたち)
時の オオモノヌシ
である 「クシミカタマの館」 をいい、オオクニ宮(央国宮)
とも呼ばれます。
これはオオモノヌシとして、かつ タガの皇君の代殿
として国家をまとめる クシミカタマ
の
政務所であり、同時に住居です。クシミカタマはタケコ姫の玄孫にあたります。
★館 (たち)
タツ(立つ) の名詞形で、「上・高・凸・尊」
などを原義とし、
ヤカタ(敬方・館)、ヤシロ(社・敬代)、トノ(殿)
などの換言です。
この場合は 「御上の役所・民を治める政庁」
を意味し、「その主の住宅」 を兼ねます。
イサナギ ┌ソサノヲ─オホナムチ(初代オオモノヌシ) ├──┤ ├───クシヒコ(2代) イサナミ └アマテル─タケコ ├────┐ ミホツ姫 │ ┌────────────────-┘ │ │ ┌ミシマ─タマクシ姫┐┌クシミカタマ┐ │ │ ├┤ │ │ ├───ツミハ───┘└クシナシ │ └コモリ────┴カンタチ┐ │(養子) (3代) ├─フキネ(4代) ↓ フトミミ┘ ├──────クシミカタマ │ (5代) サシクニ別姫
タガの宮
が所在する地域は、ヨロギ(万木)、オオクニ(央国)、ヲコノサト(皇籠の里)
とも呼ばれ、
もともとクシヒコが賜った所領でした。ここはオオモノヌシ家の本領地と考えていいと思います。
■ススギ島 (すすぎじま:濯ぎ島)
これはオキツシマ(息つ島)の換言で、「タケコ姫が天に還る島」
という意です。 ▶息(おき)
現在の琵琶湖の 「沖島」
をいいます。
★ススギ (濯ぎ)
スス(▽進す)+スク(過ぐ) の短縮 “ススク”
の名詞形で、「回転・往き来・回帰・帰還」 などが
原義です。この場合は 「天への帰還」 をいいます。スズ(鈴)・スズキ(鈴木)
の原義もこれです。
奥津嶋神社 (おきつしまじんじゃ)
滋賀県近江八幡市沖島町188。
現在の祭神:奧津島比売命
・『大嶋神鎮座記』大国主の神は
奥島に鎮座しているとされる多紀理姫神を妻にする。
<筆者注> “大国主の神” は
オホナムチを指します。
■長生神 (たけふかみ)
タケコ姫に捧げられた贈り名です。「長に生れるタケコ姫の神霊」
という意味です。
生(ふ)は オフ(生ふ)の短縮だろうと思います。
タケフの “タケ” に “竹” の字を宛てると 「竹生」
となります。そして琵琶湖には
竹生島(ちくぶじま)という島もあり、その
竹生島神社
が三大弁財天の1つとなっています。
本来、長生神を祀ったススキ島(=息つ島・現在の沖島)が
タケフ島であったはずですが、
何らかの理由/誤解により
北部の竹生島に置き換えられたと考えています。
【概意】
これに先立ち、長女として生れたタケコ姫は
タガに詣でた折 クシミカタマの館にて人生を終えれば、
ススギ島に骸を納め、“長生神” と。
―――――――――――――――――――――――――――――
むかしさすらい ことおひく ときにあられの すすきうつ
ことにひひきて たえなれは このはおうつし ことつくる
なもいすきうち しまうみも なはいすきなり
―――――――――――――――――――――――――――――
昔さすらい 琴を弾く 時に霰の スズキ打つ
異に響きて 妙なれば この端を写し 琴造る
名も “イスギ打ち” 仕舞う身も 名はイスギなり
―――――――――――――――――――――――――――――
■スズキ
これは ワラボッチ
の別名の 「すずき」 をいうかと考えています。 ▶画像
そしてこれも ススキ(濯ぎ)、つまり
「回転・回帰・循環・環」 などが原義なのでしょう。
すずき 〈広辞苑〉
(関西地方で)
立木を心木として藁を積み重ねたもの。すすき。すすし。すす。すすみ。
■端 (は)
「一端・一場面・1コマ」 の意に解しています。
■イスギ打ち (いすぎうち)
イスギは イスグ(濯ぐ)の名詞形で、ススギ(濯ぎ)の換言です。
したがって イスギ打ち=ススギ打ち です。
★濯ぐ (いすぐ・ゆすぐ) ★濯ぎ
(いすぎ・ゆすぎ)
イス/ユス+スグ(過ぐ)
の短縮で、イスは ユス(揺す)の変態です。
イス/ユス、スグ ともに
「往き来させる・回す・巡らす・還す・改める」
などが原義で、
その名詞形が 濯ぎ(いすぎ・ゆすぎ) です。
■仕舞う身 (しまうみ)
「納める亡骸・亡骸の納め」
という意です。そしてその場所は イスギ島=ススギ島
です。
シマウ/シマフ(仕舞ふ)は
シメル(締める)の変態で、
「区切りをつける・納める・閉じる・終らす・片づける」
などの意です。
ミ(身)は この場合は 「タケコ姫の亡骸」 をいいます。
【概意】
タケコ姫は昔さすらい琴を弾く。時に霰が降ってスズキを打つ。
異に響きて妙なれば、この端を写して琴を造る。名も “イスギ打ち”(=スズキ打ち)。
亡骸を納めた場所も、名はイスギ(=スズキ島)なり。
区別のために、ススギ、スズキ、イスギ
と濁音を使って表記しましたが、
ホツマの時代に実際どのように発音したかは、知るよしもありません。
―――――――――――――――――――――――――――――
たきこひめ かくやまつみの つまとなり かこやまうみて
さかむなる ゑのしまかみと なりにける
―――――――――――――――――――――――――――――
タキコ姫 カグヤマツミの 妻となり カゴヤマ生みて
サカムなる “江の島神” と なりにける
―――――――――――――――――――――――――――――
■タキコ姫 (たきこひめ) ■ヱツノシマ姫
(ゑつのしまひめ)
アマテルの三つ子の姫の2女で、母は北の局の内侍のハヤコです。 ▶アマテルの5男3女
カグヤマツミの妻となり、カゴヤマ(=タクリ) と アメミチ姫
を生みます。
記紀では 多岐都比売命/湍津姫
と記されます。
■カグヤマツミ・カグヤマ・カグ
オオヤマズミ2代カグツミの次男で、カグヤマ、カグ
と略して呼ばれます。
クシタマホノアカリ(斎名テルヒコ)の右の臣(=モノヌシ)でした。 ▶右の臣
┌カグツミ─カグヤマツミ │ │ │ ハヤコ ├───┬タクリ(カゴヤマ)─タクラマロ │ ├──タキコ │ │ │ アマテル └アメミチ姫 ↓(養子) │ ├──オシホミミ ├──────タクラマロ サクラウチ┴──ホノコ ├──クシタマホノアカリ ├ニニキネ │ │ タカキネ─チチ姫 │ │ │ │ スガタ───────スガタ姫 │ │ トヨマド──────────ハセ姫
■カゴヤマ
カグヤマツミとタキコ姫の子で、別名をタクリといいます。 ▶タクリ
後世この人物は、子のタクラマロ(=タカクラシタ)と混同されており、
他文献には 天香山、天香語山、手栗彦
などと記されますが、
そのほとんどは タクラマロ(=タカクラシタ:高倉下)
を指すと考えられます。
さきに御子なく カグヤマが アメミチ姫を ゑゑなして
兄タクリが子 タクラマロ 猶子となせど 〈ホ27ー2〉
■江の島神 (ゑのしまかみ)
「サカム(相模)に祀られたタキコ姫の神霊」 をいいます。
★ヱノシマ (▽合の州・▽間の州・江の島)・ヱツノシマ
(会つの州・▽謁の州)
ヱ(合・▽間) の シマ (州)
で、「間の区画・はざま・境い目」 を意味します。
ですからこれは サカム(相模) の換言です。
相模は他にも オノ(小野)、タニ(谷)、サクラ(▽刳)
の別称を持ちます。
江島神社 (えのしまじんじゃ)
神奈川県藤沢市江の島2-3-8。
現在の祭神:田寸津比賣命、市寸島比賣命、多紀理比賣命
【概意】
タキコ姫はカグヤマツミの妻となってカゴヤマを生み、
相模に坐す “江の島神” となるのである。
―――――――――――――――――――――――――――――
あすすみそみほ かすかかみ ももゐそむよろ ふそゐなり
ふたゑにいわく わかよはひ きわまるゆえに
かんおちお なんちにさつく
―――――――――――――――――――――――――――――
上鈴三十三年 カスガ尊 百五十六万 二十五なり
フタヱに曰く 「我が齢 極まるゆえに
上翁を 汝に授く」
―――――――――――――――――――――――――――――
■上鈴 (あすず)
それまでの暦の基盤としていた “天の真榊”
は、50本目が枯れたのを最後に失われたため、
新たに “上鈴” の暦を導入しました。最後の真榊は1000枝の20穂で枯れますが、
その翌年(キナヱ)を 「上鈴21年」 と定めます。
上鈴は “上の命”
の換言で、「上乗せの命・さらなる進展:超過の年」
などの意です。
999枝60穂の 6万年で枯れるはずだった五十鈴の、超過分として年を数えていきます。
“アスズ” という呼称は、アマテルの神霊が タナコ姫
を媒体として告げたものでした。
時に姫 タラチヲ神に 交り言わば 「スズキは齢 二十年の 延びもこの木の 上の命
カスガも齢 長ければ これ名付くべし」 〈ホ28ー5〉
■カスガ尊 (かすがかみ)
■上翁・上大人 (かんおぢ) ■妹背の上臣 (いせのかんとみ・ゐせのかんをみ)
カンオヂは今風に言えば 「長老」 です。この場合は “妹背の道受く上臣”
の換言で、
妹背の上臣(いせのかんとみ・ゐせのかんをみ)とも呼ばれます。 ▶をぢ/おぢ
これまでこれを務めたのが アマノコヤネ
であり、それをここで アメフタヱ
に譲ります。
後世、コヤネ の後裔氏族は 国家の祭祀を司る 中臣氏
や、伊勢内宮の社家 荒木田氏
となり、
また フタヱ の後裔氏族は 伊勢国造や、伊勢外宮の社家
度会氏
となります。
【概意】
上鈴33年、カスガ尊は156万25歳なり。
フタヱに曰く、「我が齢は極まるゆえに、妹背の上翁を汝に授ける。」
―――――――――――――――――――――――――――――
つとめとて みかさにかえり たらまつり
なんちおしくも しかときけ むかしつかえて みかかみお
たまえはわれら たのとみそ わかこらやわせ
―――――――――――――――――――――――――――――
務めとて ミカサに帰り 父母祀り
「汝 オシクモ しかと聞け 昔 仕えて 御鏡を
賜えば我ら 左の臣ぞ 我が子ら和せ」
―――――――――――――――――――――――――――――
■ミカサ (▽神交・三笠・御葢)
これは 「ミカサ社」 をいいます。 ▶ミカサ社
■オシクモ
アマノコヤネの代嗣子です。アマテルの帰天後に退任したコヤネの後を受けて、
ウガヤ朝廷の左の臣(=鏡臣)
になり、また非公式ながら、次期タケヒト政府の
左の臣(=鏡臣) にも指定されています。
┌フツヌシ ??┤ └アサカ姫┐ ├──アマノコヤネ ツハヤムスビ─??─ヰチチ─┘ ├──オシクモ──タネコ ├──ヒタカヒコ トヨケ─??─ヲバシリ─タケミカツチ─ヒメ (ヒタチ)
■我が子ら和せ (わがこらやわせ)
これは 「我が子らの荒猛心を直せよ」 という意です。 ▶荒猛心 ▶和す
“我が子ら” は 「民」 の換言だと思います。
・“タ” も “ヲシ” も
乳なきの親よ 鑑みて 助くる民は 子の如く 〈ホ17-2〉
・その民を 守り治むる 国守は これなお我が子 国守は 民のタラチネ 〈ホ23-5〉
・民を恵みて “我が子ぞ”
と 撫づれば還る 人草の 御祖の心 〈ホ27-4〉
・培ふば 穢の葦原も 瑞穂生る 民となせ
臣 臣となれ 民 〈ホ17-10〉
【概意】
務めとて、ミカサ社に帰って父母の神霊を祀り、
「汝オシクモ しかと聞け。
昔 一途に仕えて御鏡を賜わる我らは左の臣ぞ。
我が子ら(=民)の荒猛心を和せ。」
―――――――――――――――――――――――――――――
たとふれは はるはぬるては なつあおく
もみちはつよく ふゆはおつ
たとひおちても なうらめそ かけのまめなせ このめてる
―――――――――――――――――――――――――――――
「例ふれば 春は潤出葉 夏青く
もみぢは強く 冬 葉落つ
たとひ落ちても な恨めそ 蔭の忠なせ この芽出る」
―――――――――――――――――――――――――――――
■潤出葉 (ぬるでば)
ヌル(▽潤)+デ(出)+ハ(葉)で、ヌルは ウル(潤)の変態です。
ヌルデは 「潤い・潤し・うるし・ぬるぬる
などが出るさま」 をいい、
“潤出葉” は ここでは
「若くて潤いのある木草の葉全般」
をいうものと思います。
今は 白膠木 というウルシ科の特定の品種を指す名となっています。 ▶画像
■強し (つよし)
ツユ+シ(▽如・▽然)
で、ツユは ツム(詰む・集む)、タフ/タユ(耐ふ/耐ゆ)などの変態。
「凝り固まる如し・こわばる如し・かたい」
などが原義です。
【概意】
「例えるならば、春は潤出葉、夏は青く、もみぢは強く、冬に葉は落ちる。
たとえ落ちても恨むなよ。蔭の忠をなせ。この芽はいつか出る。」
―――――――――――――――――――――――――――――
ゆえはあすかお おちたとき まめおわすれす このゆえに
みまこにめされ まめなせは ついにかかみの とみとなる
またものぬしは みきのとみ はつよきあきの ゆみつるき
かくのことしと さけすすむ
―――――――――――――――――――――――――――――
ゆえはアスカを 落ちた時 忠を忘れず このゆえに
御孫に召され 忠なせば ついに鏡の 臣となる
またモノヌシは 右の臣 葉強き秋の 弓剣
かくの如し」 と 酒 進む
―――――――――――――――――――――――――――――
■アスカを落ちた時 (あすかおおちたとき)
「コヤネとクシヒコがテルヒコの朝廷から離脱したこと」
をいいます。 ▶テルヒコ
テルヒコがイカルカの宮に入って間もない頃、皇宮殿に四方を望む際、
領庭山(しらにはやま)にカラスが飛ぶのを見て
隈野(穢れの地)と思い込み、宮を移転すると
言い出しますが、これをコヤネとクシヒコが
「時期尚早」 と身を挺して諫めます。〈20アヤ〉
しかしテルヒコはこの諫めを聞き入れず、アスカ宮への遷都を決行します。
その結果
コヤネとクシヒコはアスカ朝廷から離脱し、ニニキネのもとに参じることになります。
■モノヌシ
2代オオモノヌシの クシヒコ
を指します。 ▶オオモノヌシ
■葉強き秋の弓剣 (はつよきあきのゆみつるぎ)
アキ(秋)は アク(▽上く・明く)の名詞形で、「あがり・成熟・成果・収穫」
などが原義です。
この場合は、「柔らかな春の若葉が
秋には強靭な紅葉となる如く、モノヌシも蔭の忠により、
ついにはその成果として弓剣(軍事)の主となる」
というような意です。
【概意】
「ゆえはアスカを落ちた時、忠を忘れなかったこと。
このゆえに御孫に召され、改めて忠を尽せば、ついに鏡の臣となる。
またモノヌシは右の臣。強き紅葉の成果として弓剣の主となる。
かくの如くなり」 と、酒を進める。
―――――――――――――――――――――――――――――
そのさかつきお こえはいな こからさつけぬ
ときにまた かかみのとみお うやまうか のこるのりそと
かみとなる
―――――――――――――――――――――――――――――
その逆坏を 請えば 「否 子から授けぬ」
時にまた 「鏡の臣を 敬うが 遺る宣りぞ」 と
神となる
―――――――――――――――――――――――――――――
■逆坏 (さかつき)
サカツギ(逆注ぎ)の意で、「返杯」 をいいます。
■遺る宣り (のこるのり)
アマテルがカスガに最後に言い遺した、次の御言宣をいいます。
「汝また 鏡の臣は 軽からず 神を都に 留むべし 我も守らん これなり」 〈ホ28ー4〉
【概意】
その返杯を請えば、「いや、子からは授けぬ。」
時にまた、「鏡の臣の役目を重んじるが、アマテル神の遺る宣りぞ」
と言いて神となる。
―――――――――――――――――――――――――――――
きさらきそひか おしくもは よそやもにいり
やましろの おしほにおさむ ひかしむき
これひめかみの まかるとき きはやましろに いますゆえ
いきすのみやの にしむきそ
もろたみしたひ もにいるは あめものことし
―――――――――――――――――――――――――――――
ニ月十一日 オシクモは 四十八 喪に入り
山背の オシホに納む 東向き
これヒメ尊の 罷る時 キは山背に 結ますゆえ
イキスの宮の 西向きぞ
諸民慕ひ 喪に入るは 天喪の如し
―――――――――――――――――――――――――――――
■山背 (やましろ)
■オシホ (▽押締・小塩)
オス(押す)+シフ(▽締ふ) の短縮 “オシフ” の名詞形で、
両語とも 「合わす・締める・閉じる・仕舞う・納める」
などが原義です。
「(人生を) 閉じる所」 の意で、小塩山
をいい、大原山とも呼ばれます。 ▶地図
大原野神社 (おおはらのじんじゃ)
京都府京都市西京区大原野南春日町1152。
現在の祭神:武御賀豆智命、伊波比主命、天之子八根命、比賣大神
<筆者注> 所在地名の春日(カスガ)に注目。
■キ (木)
これは キミ(木実) の
キ(木)で、夫婦の 「夫」 を表します。
この場合は キ(木)は “コヤネ” で、ミ(実)は “ヒメ”
です。
■天喪 (あめも)
「御上の喪・皇の葬儀」 という意です。 ▶天 ▶喪
【概意】
2月11日、オシクモは48日間の喪に入り、亡骸は山背のオシホ(=小塩)に納め、東向き。
このため
後にヒメ尊の罷る時は、夫は山背に納めたゆえに、イキスの宮の西向きぞ。
諸民が慕って共に喪に入るは、天喪の如くであった。
オシホ(京都)のコヤネは東向きに、イキス(茨城)のヒメは西向きに、
夫婦が向い合うように葬ったということです。
本日は以上です。それではまた!