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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第78回 [2023.11.25]
第十五巻 食よろづ生り初めの文 (5)
著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com
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みけよろづなりそめのあや (その5)
食よろづ生り初めの文 https://gejirin.com/hotuma15.html
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もろたみも よくきけつねの くいものは そろはさいわひ
うろこいお つきなりとりは ほかかちて ほとんとまかる
ともしひの かきたてあふら へることく
ほかちいのちの あふらへる
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諸民も 良く聞け 常の 食物は ソロは幸ひ
鱗魚 次なり 鳥は 火が勝ちて ほとんど罷る
灯し火の 掻き立て 油 減る如く
火勝ち命の 油減る
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■ソロ (▽揃・▽繁)
ここでは 「日月の潤を受けて育つ作物」
をいいます。
■火が勝つ (ほがかつ)
火の元素を含む、鳥 (空+風+火+水) や 獣 (風+火+水+埴)
を食せば、
人体 (空+風+火+水+埴) の 「火の勢いが強まる」
という意です。
他の元素と比べると、“火”
は燃料を消費するという点で異質なのでしょう。
■罷る (まかる)
ここでは 「天に還る・死ぬ」 の意です。
■灯し火の掻き立て油減る (ともしびのかきたてあぶらへる)
ここでの “灯し火”
は、油を注いだ小さな皿に芯を浸して、その芯の先に
火を着けたものと考えて下さい。
この炎の芯を “掻き立てる” (揺り動かして刺激する)
と、炎の勢いは
増しますが、その分 「油の減りは速くなる」
ということを言ってます。
★油 (あぶら)
アブル(炙る)の名詞形で、「上(揚)げるもの・燃すもの・燃料・エネルギー」
などをいいます。
また油は水に浮くため、水が “重い”
陰の属性なのに対し、油は “軽い” 陽に属します。
■命の油 (いのちのあぶら)
「生命の燃料・命を保つのに消費するもの」
という意です。
【概意】
諸民も良く聞け。
常の食物は
日月の潤を受けた農作物が最良、次が鱗の魚である。
鳥は人体の火が強まり過ぎて たいていは死に至る。
灯し火を掻き立てると油が激しく減るように、
人体も火の勢いが強まれば その分 命の燃料が速く減る。
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あやまりみての ししはめは ししこりちちみ そらこえて
みのあふらへり けもかれて やかてまかるそ
ふつきなか すすしろくえよ
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誤り三手の 獣 食めば 肉 凝り縮み 空肥えて
身の油減り 気も枯れて やがて罷るぞ
二月半 スズシロ食えよ
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■三手 (みて)
テ(手)は ヲシテ(押手)の略です。ですから
「3ヲシテ=3文字」 という意です。
“三手の獣” は 「3文字の名の獣」
の意で、キツネ、タヌキなどをいいます。
■空肥ゆ (そらこゆ)
「実質なく見た目ばかりが肥える」 という意です。
ソラは ここではカラ(空)と同じです。
■身の油 (みのあぶら)
「心身の燃料」 の意で、「命の油」 と同じです。
■気 (け・き・い)
ここでは身に宿る 「生気(せいき)・元気」
をいいます。イノチ(命)と言ってもいいでしょう。
肉体という物体に命を吹き込む 「霊」です。
17アヤで説明されますが、人の霊(=心)
は枝分かれして人体の要である
六臓と連絡しています。このため両者は緊密に結びつき、体の健康状態と
心の健康状態は連動します。よって体が衰弱すれば、それに連動して
霊(=心) も衰弱します。
【概意】
誤って3文字の名の獣を食めば、身体の肉は凝り縮み、
空肥えして、身の油は減り、生気も枯れてやがては死ぬぞ。
その場合は2か月半、スズシロを食って毒を消せよ。
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ふてししは くえはいきても くさりくさ かみとなかたゑ
いみこやに みとせすすしろ しらひけも はしかみはみて
あかそそけ
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二手獣は 食えば生きても 腐り臭 上と中絶え
忌蹴に 三年スズシロ シラヒゲも ハジカミ食みて
垢濯げ
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■二手獣 (ふてしし)
テは ヲシテ(押手)の略です。ですから 「2文字の名の獣」
の意で、
イノ(猪)、シカ(鹿)、クマ(熊)、ウシ(牛)、ムマ(馬)
などをいいます。
■腐り臭 (くさりぐさ)
生きながら 「腐ったような臭いがする」
ということでしょう。
■上と中絶え (かみとなかだえ)
カミ(上)は ここでは ムネカミ(棟上)
と ミナカミ(穢上)
の略です。それぞれ
「陽の源」 と「陰の源」の意で、これは 日(太陽)と月(太陰)
の別名です。
肉体の死後、タマノヲ(霊の緒)が解けて分離した魂と魄は、それぞれ
ムネカミとミナカミへ還るのが正常ですが、生きている内に日月と中絶え
してしまうと、それが困難となります。その理由は少し後に示されます。
■忌蹴 (いみこや)
イミ(忌)は イム(忌む)の名詞形で、「避けるもの」
をいい、つまり 「汚穢」 です。
コヤは コユ(蹴ゆ)の名詞形で、これは
イム(忌む) の同義語ですが、
この場合は 「避けること」 を意味します。ですから
「汚穢の排除・毒消し」 などの意となります。
■シラヒゲ (白髭)
芹(せり)の別名です。ホツマでは芹を
“スセリ” と呼んでますが、
泥の中に白い匐枝を延ばして繁殖するため、別名が “シラヒゲ”
です。
■濯ぐ (そそぐ)
ソス(▽素す)+ソグ(▽直ぐ)
の短縮で、ススグ・イスグ・ユスグと同じです。
「直す・まっすぐにする・調える・清める」
などが原義です。
【概意】
2文字の名の獣を食えば、死にはしなくとも生きながらに腐臭。
また日月との関係が切れる。
毒消しには3年間、スズシロ・セリ・ハジカミを食べて穢れを清めよ。
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ややひととなる すわのかみ
しなのはさむく とりししに さむさしのくと こふゆえに
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やや人となる スワの守
「シナノは寒く 鳥獣に 寒さ凌ぐ」 と 乞ふゆえに
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■やや
■人となる (ひととなる)
ヒト(人)はヒツ(▽秀つ)の名詞形で、「秀でるもの」
を原義としますが、
他の生き物に秀でる 「人間」 を表す場合と、人間の内で
「秀でる人」 をいう
場合とがあります。ここでは後者で
「一人前となる・一角の人となる」 の意です。
ホツマはその意味では、君と臣は 「一人前の人」
とみなしていますが、
民はアオヒトクサ(青人種)と呼んで、「未熟な人種・半人前」
とみなします。
■スワの守 (すわのかみ)
“カシマ直ち” でシナ(=信州)に逃亡し、そのままその地の国守に落ち着いた
タケミナカタを指します。
★スワ (諏訪)
岨(そわ・そは)
の変態で、「そびえ立つ所・そそり立つ所」 を意味し、
シナ(信)
の別名です。後には分割されて別個の国となりますが、この頃は
アチ(阿智)・カヒ(甲斐)・スワ(諏訪)・スルガ(駿河)
などは、どれもシナの換言です。
★タケミナカタ
“カシマ直ち”
では最後まで抵抗しますが、ついにはタケミカツチを恐れて
シナの国まで逃げていき、そこで降伏しました。そのままその地に留まって
シナの地守となされたようです。タケ(▽高・長)+ミナ(▽峰)+カタ(方)
は
「高峰の区画」 を意味し、シナの国、スワ(諏訪)
の換言です。
【概意】
ほぼ一人前となったスワの守が、
「シナノは冬の寒さが厳しいので、鳥や獣の肉食に寒さを凌ぎたい」
と
乞うゆえに、
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なおあらためて あいものの うおはよそあり これもみか
すすなにけせよ みつとりお くえはふそひか すすなゑよ
よのとりけもの いましめと あまねくふれし
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なお改めて 「間物の 魚は四十あり これも三日
スズ菜に消せよ 水鳥を 食えば二十一日 スズ菜得よ
余の鳥獣 戒め」 と あまねく触れし
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■相物・間物・合物 (あいもの)
「なま物と干物の中間の物」 の意で、保存用に
「手を加えた物・加工した食物」 をいいます。
■魚は四十あり (うおはよそあり)
このアマテルの言葉が、“あいもの” を 「四十物」
とも書く由来のようですね。
★魚 (うお・いお)
オヨグ(泳ぐ)の母動詞
“オユ” の名詞形の変態と考えています。
ですから魚は 「泳ぐもの」 です。オユウギ(お遊戯)も
オヨギ(泳ぎ)の変態と思います。
■消す・▽潔す (けす)
「(曲りを) 直す・中和する・清める」
などの意で、「濯ぐ」 と同義です。
■水鳥 (みづどり)
「水辺に生息する鳥」 の総称です。
■余の鳥獣 (よのとりけもの)
このヨは 「弥・万・余」
の意を表し、「多数・有り余るさま・残り」
などが原義です。
ここでは 「その他多数の鳥や獣」 という意です。
■戒む (いましむ)
イム(▽結む)+シム(締む) の連結で、どちらも
「締める・縛る・制限する」 などが原義です。
「縛って(緩みを)締める・引き締める」 ことをいいます。
■あまねく
(遍く・普く・▽和ねく)
アマネシ(遍し・▽和し)の連用形です。アマナフ(和ふ)の形容詞形で、
「融和する如し・中和/平均する如し」
を原義とし、「偏りの無いさま」 を表します。
■触れし・振れし (ふれし)
このフルは本来は 「振る」
で、「往き来させる・回す・めぐらす・配る」
などが原義です。
つまり
「伝える・知らせる・触れを出す・布告する・公布する」
という意です。
“シ” は 助動詞キの連体形ですが、これは
「如くあり・しかり」
からの変形で、
「〜の如し・〜に然り・〜に違わず・〜にほかならず・〜なのである」
などの意です。
ですから 「布告するにしかり・布告したのである」
などの意となります。
【概意】
また改めて、
「保存用の塩魚が40種もある。これとて3日はスズ菜に清めよ。
もし水鳥を食ったなら21日間はスズ菜を得よ。他の多数の鳥獣も戒めよ」
と
全国一律に布告したのである。
こうしたわけで、スワの守タケミナカタの
「寒さを凌ぐため肉食を許してほしい」 という請願は
否認されたわけですが、タケミナカタはどうしても納得できなかったのかもしれません。
タケミナカタを祀る諏訪大社には 「諏訪大明神御神託」
というものが伝わっており、その中には
『精進潔齋を形だけする者より、肉を食べても真心込めて祈る者を救おう』と書かれていて、
アマテルの肉食禁止に意義を唱えているかと思える内容なのです。実におもしろいですね。
諏訪大社 (すわたいしゃ)
長野県の諏訪湖周辺に4宮。
現在の祭神:建御名方神 (別名:諏訪大明神)
・諏訪大社の古名は 南方刀美神社(みなかたとみのかみのやしろ:峰方臣の神社)。
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あやまらは たとえいのちは おしまねと
ちけかれゆえに たまのをも みたれてもとに かえらねは
たましゐまよひ くるしみて けもののたねお あいもとむ
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誤らば たとえ命は 惜しまねど
血穢れゆえに 霊の緒も 乱れて元に 還らねば
魂・魄 迷ひ 苦しみて 獣の種を 合い求む
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■血・霊 (ち・しむ)
肉食で血が穢れれば、肉体も汚染されます。また人の心(=霊=魂+魄)は
枝分かれして、肉体の要である六臓と連絡しているため、両者は緊密に
結びつき、肉体の健康状態と心の健康状態は連動します。よって肉体が汚染
されば、それに連動して 心(=霊=魂+魄)
も汚染されることになります。
■元に還らぬ (もとにかえらぬ)
“元” は、ムナモト(棟元)
と ミナモト(穢元)をいいます。死後、正常に
分離した魂と魄が還る所です。霊の緒が乱れて解けなくなった魂と魄は
ムナモト/ミナモトに還れず、人の輪廻転生の道から外れ、迷い苦しみます。
■獣の種を合い求む (けもののたねおあいもとむ)
肉食により霊の緒が解けなくなった魂・魄は、ムナモト/ミナモトに還れずに、
迷い苦しむうちに、人ではなく、“獣の種 (獣に生れる道)”
を合い求むように
なります。それは生前の肉食により、獣と親和しているからです。 ▶種 ▶合い求む
13アヤでは、同じ内容を次のように表現していました。
莠や オノコ草 稲・栗
生らず 肖りて 人も生まるる 道 忘る
例えば嗜む 枯らし虫 魚・鳥・獣 合いもとむ 〈ホ13-5〉
【概意】
ひとつ間違えば、たとえ肉体生命は惜しまぬとしても、
血が穢れ、ゆえに霊の緒も乱れて、ムナモト/ミナモトに還らぬため、
魂・魄は迷い苦しんで、ついには獣の種を招き寄せる。
(そうなれば人に転生せず、獣として生まれてしまう。)
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とりもけものも つきひなし
そろはつきひの うるなみそ ゆえにこたふる
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鳥も獣も 月日無し
ソロは月日の 潤波ぞ ゆえに応ふる
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■月日無し (つきひなし)
「月日の潤/月日の霊を宿していない」
という意です。
■ソロ
■月日の潤波 (つきひのうるなみ)
「月日の潤/月日の霊」
と同じです。 ▶潤波
■応ふる (こたふる)
コタフ(応ふ)の連体形で、「反応する・共鳴する・作用しあう」
などの意です。
何が何と反応/共鳴するかについては次で説明されます。
【概意】
鳥も獣も月日の潤を持たない。
農作物は月日の潤波を宿すぞ。ゆえに人に応えるなり。
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ひとはもと なかここころは ひつきなり
すくにまかれは あひこたえ あめのみやゐに かえさんと
けものになるお ととむなり
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人はもと 中子・心派 日月なり
直ぐに罷れば 相応え 陽陰の宮居に 還さんと
獣になるを 止むなり
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■中子 (なかご)
ナカゴは ハシッコ(端っこ)・スミッコ(隅っこ)
の反対語です。
「中心部・本質・精髄」 などを原義とし、広義には
「心・霊」 の同義語ですが、
狭義には 「純粋の霊・純粋の魂魄・神性・精神」
をいい、ここでは狭義の意味です。
■心派 (こころば)
「中心からの枝分かれ」
というのが原義です。微妙に異なる多様な意味に使われますが、
ここでは 「心の末端・魂魄の端末」 という意で、「霊の緒」
の換言です。
同時に霊の緒が生成する 「人としての心・人心・人情」
を意味します。
★中子/心の2重構造
人は霊の緒を介して魂と魄を結び、その結びが
「人としての心・人情・感情」 を生みますが、
それは 「純粋の霊・純粋の魂魄・精神・神性」 である
狭義の中子とは別物で、
人生経験によって後天的に付随するものです。人間の心は
「人としての心・人情」 の奥に、
純粋の 「人の本質・神の心」 が内在するという2重構造になっているとホツマは説き〈17アヤ〉
つまり、狭義の中子(神の心・神性) + 心派(人の心・人情)
= 広義の中子(心) です。
■日月なり (ひつきなり)
「中子も心派もその起源は日月にあり」
という意です。中子は 「魂と魄」 の別名、
心派は 「霊の緒」
の別名で、「魂と魄から伸びている手・紐」
と考えて下さい。
したがってどちらも 「魂と魄」
から成っています。
魂と魄の本源は日と月ですから、中子と心派も、日月を起源とすることになります。
■直ぐに罷る (すぐにまかる)
「曲らずに死ぬ」 という意です。
これは 「正常に霊の緒が解けて魂と魄に分離する」
ことを意味します。
■相応ふ (あひこたふ)
「相応じる・互いに反応する・共鳴する」 などの意です。
何と何が共鳴・反応するかといえば、「魂魄」 と
その本源の 「日月」 です。
魂と魄はそれぞれ日と月を起源としますので、日と魂、月と魄は、もともと一つで、
「本霊と分霊」 「親と子」 の関係にあるからです。
■陽陰の宮居 (あめのみやゐ)
陽と陰の本源である ムナモト=日 と ミナモト=月
を合せてこう呼びます。
霊の緒が解けて分離した魂と魄はここへ還ります。
★宮居 (みやゐ)
ミヤ(宮)
と同じです。「中心・中枢・本源・核・本拠」
などを意味します。
【概意】
人はもともと、その中子も心派も日月を起源とする。
それゆえ正常に死んで霊の緒が解ければ、日月が共鳴・反応して、
魂と魄を陽陰の本拠に還そうと、獣に転生するのを防ぐのである。
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わかつねのみけ ちよみくさ よのにかなより ももにかし
にかなのみけに なからえて たみゆたかにと くにをさむ
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我が常の食 千齢見草 余の苦菜より 百苦し
苦菜の食に 永らえて 民 豊かにと 国治む
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■千代見草・千節見草 (ちよみぐさ)
「千年の節(=期間)を添える草」
の意です。ハホ菜、ラハ菜、ミ草 の3種があり、 ▶節(よ)
この3草が生える山を、3草の頭文字を取って 「ハラミ」
と名付けます。
これがハラミ山(=富士山)のもう一つの語源です。
アマテルは月に3回だけ食事をしますが、その時食べるのはハホ菜でした。
食
重なれば 齢なし ゆえに御神 月に三食 苦きハホ菜や 〈ホ1-2〉
■余の苦菜 (よのにがな)
「その他多数の苦い菜」 という意です。
■百 (もも)
ここでは 「たいそう・ずいぶん・ずっと」 などの意です。
■食 (みけ)
【概意】
我が常食は千代見草。数ある他の苦菜よりずっと苦い。
苦菜の食に永らえて、民を豊かに恵もうと国を治める。
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われみるすすき ちゑよたひ わかみもことし ふそよよろ
いまたさかりの かきつはた のちももよろお ふるもしる
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我見る鈴木 千枝四度 我が身も今年 二十四万
いまだ盛りの かきつばた 後 百万を 経るも知る
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■鈴木 (すずき)
マサカキ(真榊)の別名です。
■千枝四度 (ちゑよたび)
鈴木(=真榊)が千枝となるには6万年かかるため、千枝を4度見るには24万年を要します。
■かきつばた
(杜若・燕子花)
「みずみずしく若々しいさま」
を喩えているものと思います。
【概意】
我は鈴木の千枝を4度見て、この身も今年24万歳であるが、いまだ盛りの杜若。
今後さらに100万年を永らえることも承知している。
本日は以上です。それではまた!