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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第155回 [2024.4.29]

第二八巻 君臣 遺し宣りの文 (5)

著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com

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 きみとみのこしのりのあや (その5)
 君臣 遺し宣りの文 https://gejirin.com/hotuma28.html
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 むかしかすかに みことのり
 ふそむのすすお われうゑて のちのふそみも みことのり
 うけめくりうゆ みやのまえ きみおわさねは いかにせん

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 昔 カスガに 御言宣
 「二十六の鈴を 我 植えて 後の二十三も 御言宣
 受け 巡り植ゆ 宮の前 君おわさねば 如何にせん」

―――――――――――――――――――――――――――――

■二十三 (ふそみ)
ヲシテ原文には フソヰ(二十五) と記されていますが、50本目の鈴木は自然に生えてきている
わけなので、26+x ≦ 49 でなければなりません。また ‘ヰ’ と ‘ミ’ のヲシテはよく似ています。
そのため誤写と判断し、フソミ(二十三)に修正しています。


■巡り植ゆ (めぐりうゆ)
「順に植える」 という意です。


■宮の前 (みやのまえ)
都(国家首都)はあちこちに移転しますが、天の真榊だけは常に、
アマテルの住む 「イサワの大内宮の前庭」 に植え継いだようです。


■君おわさねば如何にせん (きみおわさねばいかにせん)
真榊の植え継ぎは “君の御業” と定められているため、
御言宣を受けずして他の者が代行することはできません。

 植継ぎ五百の 後の初 五百継ぎ天の 真榊を 君の御業と 〈ホ18ー2〉

 アマテルが天に還った後、御祖天君(=ウガヤフキアワセズ)も世を去り、
 タケヒト(=カンヤマトイハワレヒコ)が国家君主代理となりますが、
 タケヒトはまだ三種宝を受けておらず、公式には皇位に就いていません。

  タケヒトは 歳十五なれば 我が代り タネコが助け 治むべし
  
白矢の璽 タケヒトに 国を領らする 百の文 タネコに譲る 〈ホ27-8〉

 しかもこの頃すでにナガスネヒコの騒乱が始まっており、タケヒトらは
 父君の葬儀地の九州から 都に帰って来ることもできない状況にあります。
 それゆえ、「君が不在で御言宣が受けられない今、いったいどうすればいいのか」 と、
 カスガは困窮しているわけです。

 

【概意】
昔カスガに <天の真榊を植え継げと> 御言宣があった。
<その御言宣に従って> 「我は26本目の鈴を植え、後の23本も
御言宣を受けつつ、順番に植えていった大内宮の前庭であったが、
君がおられない今、いったいどうすればいいのか。」



―――――――――――――――――――――――――――――
 ふたゑかいわく かすかとの いなむみかさも いまゐせの
 つかふるかみの ゐますへし これことわりと くにめくる
 ものぬしふれて もののへら かすかのかみお みちひかす

―――――――――――――――――――――――――――――
 フタヱが曰く 「カスガ殿 辞むミカサも 今 妹背の
 継がふる守の 埋ますべし」 これ理と 国巡る
 モノヌシ触れて モノノベら カスガの尊を 導かす

―――――――――――――――――――――――――――――

■辞むミカサも (いなむみかさも)
「神の纏りを離れても」 という意味です。 ▶いなむ ▶みかさ


■妹背の継がふる守 (ゐせのつがふるかみ)
妹背の道を学ぼうと、“アマテル神の内つ宮” に集う非常に多くの守々をいいます。
ですから 「八百継がふ守」 の換言です。 ▶八百継がふ守


埋ます (ゐます・います)
この場合は 「埋め合わす・補う」 などの意です。


理 (ことわり・ことはり)

■国巡る (くにめぐる)
天の真榊の50本目(=五十鈴)は、植え継がなくとも自然に生えてきたことから、他の場所にも
真榊の苗が自生している可能性があると考え、それを探しに “国々を巡る” ということです。

 時に五十鈴 宮に生え つらつら思す 「植えずして 生えるも陽陰よ」 〈ホ28-3〉


■モノヌシ
5代オオモノヌシ(現職)の クシミカタマ(斎名:ワニヒコ) です。 ▶オオモノヌシ

 

【概意】
フタヱが曰く、
「カスガ殿が神の纏りを離れても、 今は妹背の道に連なる守らが埋め合わすでしょう。」 
確かにその通りだと、<自生する真榊を探しに> 国々を巡ることになり、
モノヌシは触れを出して、モノノベらにカスガの尊を案内させる。



―――――――――――――――――――――――――――――
 もろかみいはふ かとてして くにくにめくり
 まさかきの ふたゑみゑとゑ かつてなく
 いよにいたれは ことしろか やかたにいれて あるしとふ

―――――――――――――――――――――――――――――
 諸守祝ふ 門出して 国々巡り
 まさかきの 二回三回十回 かつて無く
 イヨに到れば コトシロが 館に入れて 主 問ふ

―――――――――――――――――――――――――――――

門出 (かどで・かどいで)

■まさかきの二回三回十回 (まさかきのふたゑみゑとゑ)
この場合は 「真榊」 に、その原義である 「回る・巡る」 の意を重ねていて、
つまり 「真榊を求めてあちこち回ること、2回り、3回り、… 10回り」 という意になります。

 ★マサカキ (▽回駆・真榊)
 マス(申す・▽回す)カク(掻く駆く) の連結 “マサカク” の名詞形で、
 両語とも 「回る/回す・巡る/巡らす・往き来する/させる・反復する/させる」 などが原義です。
 マサカキ(真榊)は 「(60年を)繰り返し巡る木」 を意味し、これは コヨミ(暦) の原義と同じです。

 ★ (ゑ)
 ワ(輪・環)の変態で、「回り・周り・繰り返し」 などを意味します。


■かつて無し (かつてなし)
カツテは カツ(括)+テ(助詞) で、「(全部) 取りまとめて・括って・総じて・全く」 などが原義です。
ですから 「(何回トライしても) 結局ダメ」 というような意となります。 ▶かつて(辞書)


■コトシロが館 (ことしろがやかた)
「四国24県を総括する政庁宮」 です。ツキヨミが 「息吹を上げた宮」 という意で、
イブキ(息吹)の宮イブキト(息吹凸)宮、ト(凸)の宮、トツ(凸)宮 とも呼ばれます。
また阿波の国にあるため “阿波宮” ともいいますが、この当時はコトシロヌシの
ツミハがこの宮の主となっているため、ここでは “コトシロが館” と呼んでいます。 ▶館

 先にツミハと タケフツと イブキの宮に 二十四県 して治めしむ 〈ホ27ー1〉

この宮の痕跡が金刀比羅宮で、“ことひら” はコトシロの転訛と考えます。

 金刀比羅宮 (ことひらぐう)
 香川県仲多度郡琴平町字川西892番地1。 
 現在の祭神:大物主神
 境内社 事知神社(ことしりじんじゃ):積羽八重事代主神


■主 (あるじ)
“コトシロが館” の主である、現コトシロヌシの ツミハ を指します。
ツミハは クシミカタマ(現オオモノヌシ)の実の父です。

          ┌ミシマ─タマクシ姫┐┌クシミカタマ┐
         │         ├┤      │
         ├───ツミハ───┘└クシナシ  │
   コモリ───┴カンタチ┐            │(養子)
(3代オオモノヌシ)      ├─フキネ(4代)      ↓
          フトミミ┘   ├──────クシミカタマ
                  │        (5代)
                サシクニ別姫

 

【概意】
諸守の祝福を受けて門出して、国々を巡り、
真榊の、あちこち回ること 2回、3回 … 10回、まったく無く、
伊予に到れば コトシロヌシの館に入れて、主のツミハが問う。



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 すすなえありや
 かつてなし ておむなしくす
 ものぬしか をきなうゑんや
 かすかまた われはとみなり きみうゆる あまのまさかき
 いかにせん われはのとこと のんすのみ

―――――――――――――――――――――――――――――
 「鈴苗ありや」
 「かつて無し 手を空しくす」
 モノヌシが 「翁 植えんや」 
 カスガまた 「我は臣なり 君植ゆる 天の真榊
 如何にせん 我は宣言 宣んすのみ」

―――――――――――――――――――――――――――――

■手を空しくす (ておむなしくす)
「手を空にする」 という意で、「収穫のないさま」 を表します。


■翁植えんや (をきなうゑんや)
ヲキナ(翁)は カスガ(=アマノコヤネ)を指します。ここでは オオモノヌシが
「非常の際だから翁が種を植えようや」 と促しています。おそらく種はあったのでしょう。
ただ、天の真榊の種を植えることは “君の御業” と定められているため、
御言宣なしに他の者が代行して植えることはできないということです。しかし、

 故 千枝の年 種植えて 明くれば生ゆる 真榊を 〈ホ28ー1〉

なぜ “千枝の年” に種を植えなかったのか、という点がやや不可解です。
千枝で枯れるべき真榊が、枯れなかったのでそのまま放置したところ、
はからずも君が不在となる状況に陥った、ということでしょうか。


宣詞 (のとこと) ■宣んす (のんす)
ノンスは ノス(伸す・▽宣す)の音便で、
「延べ広げる・鳴り響かす・唱えて聞かせる」 などの意です。

 

【概意】
「鈴木の苗はあったか?」
「まったく無し。手を空しくす。」
モノヌシが <非常の際だから> 「翁が植えないか?」 と言えば、
カスガはまた 「我は臣なり、君の植える天の真榊をどうしろと。我は宣詞を唱えるのみ <の身分>。」



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 またとふなんち たおすつや
 ほろしていわく ちはすてす うゆおおそれて
 またもとふ いふきかみかや

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 また問ふ 「汝 治を棄つや」
 ほろして曰く 「治は棄てず 植ゆを畏れて」
 またも問ふ 「イブキ神かや」

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■治を棄つ (たおすつ) ■治は棄てず (ちはすてず)
「国家統治を放棄する/放棄せず」 という意です。 ▶治
暦の発行は中央政府の専有事業であり権威の源です。ゆえにその基である
天の真榊を放棄することは、現行の統治制度を放棄するのも同然だということでしょう。

 後代 ヤマトタケがヒタカミを征する際、交渉に当たったオオトモタケヒは、
 暦のことを取り上げて中央政府の正統性を説き、敵を屈服させています。

 「汝 代々 君なく いづれぞや」 答えて 「イセ」 と … …
 「汝は代々に 実り受け 命つなぎて
 いまだその 君に返言 申さぬは その罪積もり いくらぞや」 〈ホ39〉


■ほろす
ホロブ(滅ぶ)と同義で、「崩れ落ちる・散る・ぼろぼろになる・しぼむ」 などの意です。


■イブキ神 (いぶきかみ)
世を去ったイブキヌシの神霊をいう名と考えられます。 ▶イブキヌシ
イブキヌシはツキヨミの子で、生前は六ハタレのハルナハハミチ・アメヱノミチを討伐し、
またヒカワに巣食うハタレの根を根絶するなど抜群の功績を上げ、ツキヨミの後任として
四国の領主となります。

           ┌ヒルコ
 トヨケ──イザナミ┐├アマテル────タナコ  ┌イヨツヒコ
          ├┼ツキヨミ──┐  ├───┼トサツヒコ
 アワナギ─イザナギ┘└ソサノヲ  ├イブキヌシ └ウサツヒコ
                  │
 サクナギ─イヨツヒコ─イヨツ姫──┘


しかしそれをもってイブキヌシに関する記述は途絶え、この時点では
コトシロヌシのツミハが四国を治めています。理由は語られていません。
また後代 ヤマトタケは “あらぶる神” に祟られて命を落としますが、
これは “イブキ神” とも呼ばれています。 ▶あらぶる

 ヤマトタケ あらぶる神の 荒るを聞き … … 行き過ぐ道に イブキ神
 大蛇成して 横たわる … … 踏み越え行けば 
イブキ神 つらら降らして 活を奪ふ 〈ホ40〉

つまりイブキ神は “祟りの神” と化してしまっているようです。
その理由についてもホツマは黙して語らず、意図的に秘匿しているように思えます。
筆者は、こうしたイブキヌシ/イブキ神の謎は、父のツキヨミがウケモチを殺して
臣の任を解かれた事件と、何らかの関わりがあると見ています。

 ツキヨミ怒り 「卑しきの 唾吐く穢れ 交わんや」 と 剣を抜きて 打ち殺し
 返言なせば 大御神 「汝 清汚無し 相見ず」 と 政 離れて 揺るぎます 〈ホ15ー4〉

それはともかく、ここでカスガは、このイブキ神に対しての遠慮があるとともに、
その祟りを畏れているのではないかと考えます。情報が少ないため憶測になりますが、
アマテルもウガヤ君も世を離れ、真榊の植え継ぎの御言宣を発する資格者がいない今、
真榊を植え継ぐ者として最も正統と思われるのは、もし生きていれば ツキヨミの子の
イブキヌシです。もしここでカスガが真榊を植え継いだら、霊となっても世に居すわって
祟りをなすイブキ神に、妬まれる畏れをカスガは抱いていると、次に語られるタナコ姫の
言葉からは、そう考えるほかありません。

 

【概意】
モノヌシはまた問う 「では汝は治を棄てるというのか?」
カスガは崩れるように曰く 「治は棄てぬ。ただ植えることを畏れて。」
またも問う 「イブキ神かや?」



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 ときにはは たなこひめあり こたえいふ
 むかしふたかみ ひのかみお きみつきはつく つくはとみ
 このことみなり とみおもて またきみとせす

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 時に母 タナコ姫あり 応え言ふ
 「昔 二尊 日の神を 君 月は次ぐ 次ぐは臣
 この子 臣なり 臣を以て まだ君とせず」

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タナコ姫 (たなこひめ)
イブキヌシの妻 (未亡人) です。 ▶アマテルの5男3女
“母” は よくわかりませんが、「伊予と土佐を知行する者の母」 ということでしょうか。

           ┌ヒルコ
 トヨケ──イザナミ┐├アマテル────タナコ  ┌イヨツヒコ
          ├┼ツキヨミ──┐  ├───┼トサツヒコ
 アワナギ─イザナギ┘└ソサノヲ  ├イブキヌシ └ウサツヒコ
                  │
 サクナギ─イヨツヒコ─イヨツ姫──┘


二尊 (ふたかみ)

日の神 (ひのかみ)

■月は次ぐ/継ぐ (つきはつぐ)
「月は日に次ぐ」 という意味です。
この場合は “日” はアマテル、“月” は弟のツキヨミを指します。 ▶ツキヨミ

・ツキヨミの尊 日に次げと 天に上げます 〈ホ3ー3〉
・弟ツキヨミは 日に
次ぎて 民の纏りを 助けしむ 〈ホ6ー2〉
・月は元より 光無し 日影を受けて 月の影 〈ホ13ー2〉


■この子臣なり (このことみなり)
“この子” は 「臣の子」 の意で、「ツキヨミの子のイブキヌシ」 を指します。
つまり 「臣の子もまた臣である」 という意です。

 

【概意】
時に母タナコ姫があり、応えて言う。
「むかし二尊は日の神(アマテル)を君とし、月(ツキヨミ)をそれに次ぐ者とした。
君に次ぐ者とは “臣” であり、臣の子(イブキヌシ)もまた “臣” である。
臣を以てまだ君とはせず。」


 タナコ姫は何が言いたいのかといえば、
 「アマテル神の弟であるツキヨミも、その子のイブキヌシも ロイヤルファミリーとはいえ、
 あくまで “臣” の身分であり、 君ではありません。その点カスガ殿とまったく同等です。
 ですからイブキ神に対する畏怖や遠慮は無用です」 というようなことだと思います。



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 ひのかみの つきゑてうゆる きみはいま わかきたけひと
 おもわねは あめのむしはみ はるるとき なえはゑなんや

―――――――――――――――――――――――――――――
 「日の神の 嗣得て植ゆる 君は今 若きタケヒト
 思わねば 陽陰の蝕み 晴るる時 苗 生え無んや」

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■嗣 (つぎ)
「継ぎ」 と同じで、「後継・後継者」 をいいます。
“日の神の嗣” は 「アマテル神の後を継ぐこと/者」 という意です。


■若きタケヒト (わかきたけひと)
タケヒトは、ウガヤ君の皇太子カンヤマトイハワレヒコの斎名です。 ▶斎名
“若きタケヒト” は 「まだ即位前のタケヒト」 という意味です。

                    ヤセ姫
 ニニキネ───ヒコホオデミ──┐    ├──────1.ヰツセ
                ├─ウガヤフキアワセズ
 ハテスミ─┬トヨツミヒコ   │    ├──────3.イナイイ
      ├────トヨタマ姫┘    ├──────4.カンヤマトイハワレヒコ
      ├────タケスミ─┐    │     
      └オトタマ姫    ├──タマヨリ姫
                │    ├ー─────2.ミケイリ(出雲の御子)
 クシヒコ─コモリ─イソヨリ姫─┘  ワケイカツチ神
                    (白羽の矢)


■陽陰の蝕み (あめのむしばみ)
“陽陰の巡りの蝕み” の略で、「陽陰(日月)の循環の不調和・乱れ」 をいいます。
汚穢隈発生の根本原因は、陽陰の不調和だと考えられています。

 これはこの時期の、人類の寿命の急激で大幅な短縮や、ナガスネヒコらが中央政府に従わず、
 国家が治まりにくくなっている状況を言ってます。陽陰の乱れの最大の要因は、
 日月の大神霊の顕現であるアマテル神が 地上を去ったことにあるのでしょう。
 御祖天君の懸念していたことが現実のものとなっているわけです。


■苗生え無んや (なえはゑなんや)
“苗生えざらんや” の換言で、「(鈴木の) 苗が生えてないだろうや」 という意です。

 

【概意】
「日の神(=アマテル神)の後継者たる地位を得て
鈴を植えるべき君は今、まだ若き (即位前の) タケヒト。
それを考えてカスガ殿が代りに種を植え継いでおかねば、
陽陰の蝕みが晴れて タケヒトが皇位につく時、
<暦の基となる> 鈴木の苗が生えてないではありませんか。」



―――――――――――――――――――――――――――――
 あるしとふ さくすすはたち のひいかん
 かれにうせたり これもあめ
 ときにふたゑか こよみなは いかかなさんや

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 主問ふ 「幸鈴二十年 伸び如何ん」
 「故に失せたり これも陽陰」
 時にフタヱが 「暦名は いかがなさんや」

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■幸鈴二十 (さくすずはたち)
50本目の真榊が 「幸鈴となる時を超えて20年」 という意です。 ▶幸鈴

 ★二十年・二十歳 (はたち)
 ハタ(二十)+タチ(経ち・▽達) の短縮で、タチは 「到達」 の意で、トシ(年・歳)の変態です。


■故に (かれに)
このカレ(故)は カル(離る)の名詞形で、「遠ざかるさま・過ぎ去るさま」 を表します。
“故に” の形で、「過去に・すでに・とっくに」 などの意となります。


陽陰 (あめ)
「万象を支配する陽と陰」 という意味で、ここでは 陽陰=自然 と考えて良いかと思います。


■暦名はいかがなさんや (こよみなはいかがなさんや)
このフタヱの発言はあまりに唐突で、違和感を覚えるのですが、どうやらこれまでの会話から、
鈴(=真榊)を暦の基とするのは諦めるほかなさそうだと、皆が暗黙の了解に達したようです。
鈴木を暦の基にできない以上当然、新たな暦の名が必要になるため、ぼけキャラのフタヱは
つい先走って 「新しい暦名はどうするや?」 と言ってしまったのではないかと解釈しています。

 

【概意】
主のツミハは問う 「幸鈴となる時を超えて20年、その後の伸びはいかに?」
「すでに枯れ失せた。これも陽陰(自然)のなせる業よ。」
時にフタヱが 「暦名はいかがしますや?」



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 ときにひめ たらちをかみに かりいわは
 すすきはよわひ はたとせの のひもこのきの あのいのち
 かすかもよわい なかけれは これなつくへし
 ときかすか ややえみいわく こよみなお あすすとせんや

―――――――――――――――――――――――――――――
 時に姫 タラチヲ神に 交り言わば
 「スズキは齢 二十年の 延びもこの木の 上の命
 カスガも齢 長ければ これ名付くべし」
 時 カスガ やや笑み曰く 「暦名を “上鈴” とせんや」

―――――――――――――――――――――――――――――

■タラチヲ神 (たらちをかみ)
「父神・父の神霊」 という意です。 ▶タラチヲ
この場合はタナコ姫の父の神霊ですから、つまり 「アマテルの神霊」 です。


■交り言ふ (かりいふ)
タナコ姫が 父の神霊(アマテルの神霊)に 「交わって言う」 という意で、
つまり 「アマテルの神霊がタナコ姫の体を介して語る」 ということです。
カル(▽交る)は カカル(懸かる)の母動詞です。


■スズキは齢 (すずきはよわひ)
スズキは スス(▽進す)+スク(過ぐ) の短縮 “ススク” の名詞形で、
「進展・成長・経過・老熟」 などが原義です。そしてこれは ヨワヒ(齢) と同義です。
それゆえ 「スズキ(鈴木)とは齢である」 と言ってます。


■上の命 (あのいのち)
ア(▽上) の イノチ(命) で、「上乗せの命・追加の命・余分の命」 という意です。

 ★命 (イノチ)
 イヌ(往ぬ)+ノツ の短縮 “イノツ” の名詞形で、ノツは ナツ(撫づ)の変態、
 両語とも 「往き来・回転・巡り・進展・経過・老熟」 などが原義です。
 ですから 命 = 齢 = 鈴=スズキ です。


■上鈴 (あすず)
ア(▽上)+スズ(鈴) で、“上の命” の換言です、「上乗せの進展・追加の進展」 という意です。

 

【概意】
時に姫が父神 (=アマテルの神霊) に交わって言うには、
「スズキの意は “齢” なり。20年の延長もこの木の上乗せの命。
カスガも齢 長ければ (今や上乗せの命なれば)、これを名付けるべし。」
時にカスガはようやく笑みを浮かべて曰く、「暦名を “上鈴” としないか?」



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 ときにひめ もろかみともに むへなりと あすすにきわめ
 ふそひほの きなゑのはるは あめふたゑ あすすこよみと
 なおかえて あつさにほりて たてまつる
 あすすこよみお もろうけて このよのわさお かんかみる
 こよみこれなり

―――――――――――――――――――――――――――――
 時に姫 諸尊ともに 「宜なり」 と “上鈴” に極め
 二十一穂の キナヱの春は アメフタヱ “上鈴暦” と
 名を代えて 梓に彫りて 奉る
 上鈴暦を 諸 受けて この世の業を 鑑みる
 暦これなり

―――――――――――――――――――――――――――――

■宜なり (むべなり・うべなり・うめなり)
「納得だね!・いいね!・よろしい!・同意!」 などの意です。 ▶宜(むべ・うべ・うめ)


極む (きわむ)
「決める・決定する」 と同義です。


■二十一穂のキナヱ (ふそひほのきなゑ)
50本目の、そして最後の天の真榊は1000枝の20穂で枯れましたが、その翌年です。
キナヱ は60年周期の干支の21番目ですから、“21穂” の換言です。
そしてこの年 (50鈴1000枝21穂)を、新たに “上鈴21年” とすると定めたわけです。


■春 (はる)
「新春」 という意味です。陰暦では1月が春の始まりです。


アメフタヱ

梓 (あづさ)
印刷用の 「版木」 をいいます。梓の木をその材に用いたからでしょう。
アツサは ウツシ(写し)の変態と考えています。


■奉る (たてまつる)
ここでは日夜見のアメフタヱが 「御上に献上する」 という意味です。 ▶日夜見
イサワの宮で日夜見が暦を作成して御上(中央政府)に献上し、それを中央政府が発行・配布します。
暦の発行は御上(中央政府)の専有事業であり、その権威の象徴でした。


鑑みる (かんがみる)

 暦には 後に “暦注” と呼ばれる、干支、日時・方位などの吉凶、その日の運勢など、
 日々の陽陰バランスの違いが世にもたらす影響について書かれていたと考えられます。

 

【概意】
時にタナコ姫、諸尊ともに 「同意なり!」 と、“上鈴” に決定し、
21穂のキナヱの新春、アメフタヱは “上鈴暦” と名を代えて、梓に彫りて御上に奉る。
諸人は上鈴暦を受けてこの世の業を鑑みる。暦はこれなり。

 

本日は以上です。それではまた!

 

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