_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
一から学ぶ ほつまつたえ講座 第89回 [2023.12.9]
第十七巻 神鏡ヤタの名の文 (2)
著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
かんかがみやたのなのあや (その2)
神鏡ヤタの名の文 https://gejirin.com/hotuma17.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
―――――――――――――――――――――――――――――
われきくいにし かみのやは むのたみめより むろやたつ
たみにをしゑて やねおなす またやのたみめ やしろなる
いまみやとのに たみおたす やつはやかたそ
―――――――――――――――――――――――――――――
我聞く いにし 尊の屋は ‘ム’
のタミメより ムロ屋建つ
民に教えて 屋根を成す また ‘ヤ’
のタミメ ヤシロ成る
いま宮・殿に 民を治す 養つはヤカタぞ
―――――――――――――――――――――――――――――
■いにし尊 (いにしかみ)
イニシ(往にし)+カミ(上・尊)
で、「いにしえの御上・過去の君主」 の意です。
これは クニトコタチ
を指します。
■‘ム’ のタミメ
▶タミメ(手見目)
■室屋 (むろや)
最初に開発された家屋です。この後に高度な ヤシロ(社)、ミヤトノ(宮殿)
などが造られたため、
“室屋” には 「原始的で粗末な簡易住居」
というイメージが付きまといます。 ▶室 ▶屋
クニトコタチの 尊の代に ‘ム’
のタミメより 室屋成る
まず地をならし 直柱 棟をかつらに 結ひ合せ 茅葺き住みて 〈ミ8-1〉
■屋根 (やね)
この場合は 「屋の根・家屋の根源」 の意です。
■ヤシロ (社・▽敬代)
ヤ(▽敬)+シロ(代) で、「尊い区画」
を意味し、この場合は 「御上の役所・政庁舎」
をいいます。
「敬う所・尊い場所」
が原義なので、神を纏る場所もやはり ヤシロ(社) です。
ヤは イヤ/ヰヤ(礼・敬)の短縮形で、イヤは
ウヤ(▽敬)・ウエ(上) などの変態です。
シロ(代・▽領)は
シル(領る)の名詞形で、「占め・締め・区画・領域」
を意味します。
もう1つ、イヤ(居や)+シロ(代) で、「居場所」
を意味するヤシロがあります。
■宮 (みや) ■殿
(との)
この場合は ヤシロ(社) の換言で、やはり
「御上の役所・政庁舎」 をいうのですが、
宮の方が殿より格や規模が上で、今で言えば、たとえば “宮”
は 「中央省庁」、
“殿” はその下に置かれる 「地方の役所」
といったような感じです。
■治す (たす)
■養つ (やつ)
これは辞書にはない動詞ですが、ヤス(▽和す・▽養す)の変態で、
「足らし助けて調える・養い育む」 の意を表し、タス(▽治す・▽養す)と同義です。
★ヤタ (▽養)
ヤツ(▽養つ)の名詞形で、ここに “ヤタ”
の3つ目の意味が間接的に現れます。
すなわち 「養育」 です。ヤタの意味を整理すると、(1) 8尺 (2)
民 (3) 養育 となります。
■ヤカタ (▽敬方・▽上方・館)
ウヤ(▽敬・▽上)/イヤ(敬・礼)+カタ(方)
の短縮形で、「上の方・尊い方」 が原義です。
この場合は 「上位の階層・上流階級」、すなわち
「君と臣」 を意味し、上方(かみがた)、
親方(をやかた)、公方(ををやけがた・くぼう)、お偉方(をえらがた)
などの同義語です。
こうしたお偉方が占める場所や建物も はやり ヤカタ(館)
というのですが、
これは ヤシロ(社) の同義語です。
■養つはヤカタぞ (やつはやかたぞ)
「養育するのは上流の階層ぞ」 という意です。
これは
「民を足らし助けて調えることは君臣の責務である」
ということを言ってます。
【概意】
我が聞くところ、いにしえの君の屋は
‘ム’
のタミメを結んでムロ屋を建て、それを民に教えて屋の根源が成る。
また ‘ヤ’ のタミメによりヤシロが成る。
いま宮・殿にて民を治すが、民を足らし助けて調えるは
上流階層(君・臣)の責務ぞ。
―――――――――――――――――――――――――――――
たのおして みひかりまるの うちにゐる
たりたすくのり あめとちち
うえしたかえす らのおして つちとははのり
―――――――――――――――――――――――――――――
‘タ’ のオシテ 三光 円の 内に入る
足り助く法 天と父
上下返す ‘ラ’ のオシテ 地と母法
―――――――――――――――――――――――――――――
■‘タ’ のオシテ
■三光 円の内に入る (みひかりまるのうちにゐる)
‘タ’ のオシテの形の口述です。
ミヒカリ(三光)は タの神がもたらす 「三陽」 (みう・みつを)
をいうものと考えられます。
ミカサで説かれることですが、トホカミヱヒタメの天元8神は地球の気象を支配します。
地球の気象は 陽陰エネルギーの配分で決まるのですが、“三陽神”
とも呼ばれる タの神が
招く陽陰エネルギーの配分は 3陽1陰 なのです。
’タ’ の嘗は 三陽の天を受け 二月の 半より三陽を 陰に和せ 人・草育つ 〈ミ7-3〉
‘タ’ は東空照る 三陽神 二月半に 三陽来て 青人草を 潤せば 〈ミ9-2〉
■足り助く法 (たりたすくのり) ■天と父 (あめとちち)
タのオシテ(=タの神)の意味するところは
「足らし助ける道・養う道」 であり、
それは 「天(上) と 父(陽)」
の属性である、ということです。
■‘ラ’ のオシテ
■地と母法 (つちとははのり)
‘タ’ のオシテを上下ひっくり返した形の ‘ラ’
のオシテは
「地(下) と 母(陰)」 の属性を表す、ということです。
「天/父の恵みを受け入れ それに応え報いる地/母」
の本性をいいます。
天より慈 地に編みて 連なり育つ 子の例
父の恵みは 頂く天 母の慈し 載する埴 〈ホ16ー7〉
【概意】
‘タ’ のオシテは、3つの光が円の内に入る。足らし助けて養う
「天と父」 の道である。
上下をひっくり返した ‘ラ’ のオシテは 「地と母」
の道を表す。 ▶タラ
―――――――――――――――――――――――――――――
をやかこお はらめはちたる ちちははは けにたらちねよ
たもをしも ちなきのたらよ
かんかみて たすくるたみは このことく やたはををやけ
―――――――――――――――――――――――――――――
親が子を 孕めば乳足る 父母は げに足乳根よ
“タ” も “ヲシ” も 乳なきの親よ
鑑みて 助くる民は 子の如く ヤタは公
―――――――――――――――――――――――――――――
■乳足る (ちたる)
「乳が充ち足りる・乳が備わる」 という意です。 ▶乳(ち)
■げに (▽如に・▽然に・実に)
ゲは シク(如く)の名詞形
シカ(然)の変化で、「如くに・かように・まさしく・いかにも」
などの意を表し、“悲しげ” “寂しげ” などの ゲ
と同じです。辞書は “実に”
と当てています。
■足乳根 (たらちね)
ここでは 「乳を充ち足らす根源・乳が備わる原因」
の意で使われてます。
これは本来の タラチネ
の意ではありません。
■“タ”
これは 「タリタスク(足り助く)者・タス(治す)者・タス(養す)者」
などを表します。
つまり 「上流にある者・君や臣・親方・公方」
などをいいます。
■“ヲシ”
これは 「ヲス(食す)者・ヲサメル(治める)者・ヲシヱル(教える)者」
などを表し、
やはり 「上流にある者・君や臣・親方・公方」
などをいいます。
■乳なきの親 (ちなきのたら)
「乳は伴わないが、下流の者を養育する親」
という意です。
■ヤタは公 (やたはををやけ)
「ヤタは “公” を意味する」 という意です。
ヲヲヤケ(公)は 「上流にあるさま/者」 をいい、ヤタは
「養育」 を意味しますが、
民を養育するのは上流にある者ゆえ、ヤタ=養育=公 ということです。
こうしてまたヤタの意味は増え、(1) 8尺 (2) 民 (3) 養育 (4)
公 となります。
★公 (ををやけ)
ヲヲヤカ(大やか)
の名詞形で、ヲヲ(央・▽上)は
「中心・高み」 を、
ヤカは “軽やか” “爽やか” などのヤカで、「その如きさま」
を表します。
ですから ヲヲヤケ は
「高みにあるさま・中心的なさま」 を原義とし、
「上流にある者・親・君臣・御上・中央政府・官」
などを意味します。
なお、今日のヲヲヤケには 「公共」
の意がありますが、これは
「上から下(中から端)へ延び広がって社会全体を覆うさま」
をいうものです。
【概意】
親が子を孕めば乳が充ち足りる。父と母はいかにも乳を足らす根であるよ。
しかし民を足らし助けて養い、治め教える者も 民の
乳なき親 だといえる。
これに鑑みれば、君・臣が足らし助ける “民”
は、我が子と同じである。
したがって “ヤタ” にはまた、民を養育する階層である
「公」 の意味もある。
―――――――――――――――――――――――――――――
いにしかみ つくりさつくる とほこあり
とはととのふる おしてなり
ふたかみうけて をやとなり たみおわかこと そたつるに
―――――――――――――――――――――――――――――
いにし尊 造り授くる 経・矛あり
経は調ふる オシテなり
二尊受けて 親となり 民を我が子と 育つるに
―――――――――――――――――――――――――――――
■調ふるオシテ (ととのふるおして)
社会を 「調和させる文」 という意で、「法典」
を意味します。
“調ふる” は 今風には 「調える」、オシテは
ここでは 「文言・文書」 を表します。
■二尊 (ふたかみ)
イサナキ&イサナミの夫婦の君主をいいます。
中央政府の皇統がオモタル&カシコネの代で途絶え、国家が混乱に陥った後、
ヒタカミ国主のトヨケが暫定的に国家を治めましたが、トヨケは
根の国主の息子イサナキと
自分の娘のイサナミを婚姻で結び、この夫婦を君主として新たな皇統を打ち立てます。
二尊は混乱した国家に、経矛の道を以って秩序を回復せんため、近江のオキツボに
中央政府を樹立した後、全国を巡幸して国家を再興します。
【概意】
いにしえの国君が造り、代々に授受する経と矛があった。経とは調える文である。
二尊はそれを受けて親(=公)となり、民を我が子として育てるにあたり、
―――――――――――――――――――――――――――――
あつくをしえて ひととなす をしえてもなお さからはは
うちほころはせ つみとかの たたしもとほき あめとつち
ととかぬことお おもふなり
―――――――――――――――――――――――――――――
篤く教えて 人となす 教えてもなお 逆らはば
打ち綻ばせ 罪・咎の 正しも 遠き 天と地
届かぬことを 思ふなり
―――――――――――――――――――――――――――――
■人となす (ひととなす)
中央政府の皇統が断絶して統治システムが失われ、長い混乱の時代の中で、
国民は野蛮化して “人”
とはいえない状態にまで退化していたのでしょう。
二尊は全国を巡幸して教え育み、蛮族と化した民を再び “人”
にします。
■打ち綻ばせ (うちほころばせ)
ここでは命令形ではなく連用形で、「打ち綻ばせて」
という意味だと思います。
これは 「懲戒する・処罰する」 ことをいいます。
そして “ほころばす” ための手段が、経矛(とほこ)の
「矛」 です。
■正し・糺し・質し・▽直し (ただし)
タダスの名詞形で、「まっすぐにすること・直すこと」
が原義です。
■遠き天と地 (とほきあめとつち)
「遠く隔たる天と地」 という意です。天と地は 「上と下」
が原義で、
この場合は 「上流と下流・親と子・君臣と民・官と民」
などを意味します。
■届かぬ (とどかぬ)
天と地 (上流と下流・親と子・君臣と民・官と民)
の意識の隔たりが大きく、
双方の思いが 「互いに通じ合わない」
という意です。いわゆる 「親の心 子知らず」 です。
★届く(とどく)
トツ+トク(研ぐ・磨ぐ) の短縮で、トツは ツツ(伝つ)の変態。
両語とも 「往き来する/させる・巡る/巡らす・通る/通す・通う/通わす・渡る/渡す」
などが原義です。
【概意】
手篤く教えて人となす。
教えてもなお逆らうならば、打ち綻ばせて罪・咎を正すも、
親と子の心は遠く隔たり、通じ合うことの難しさを思うのである。
―――――――――――――――――――――――――――――
とみらひめもす うまなくて をしゑおつねの わさとなせ
とみたみこまこ へたてなく ゐつくめくまん おもひなり
をしゑぬものは とみならす をしゑうけぬは たみならす
―――――――――――――――――――――――――――――
臣ら ひめもす 倦まなくて 教えを常の 業となせ
臣・民 子・孫 隔てなく 慈く・恵まん 思ひなり
教えぬ者は 臣ならず 教え受けぬは 民ならず
―――――――――――――――――――――――――――――
■恵む (めぐむ)
メグル(巡る・回る)の他動詞専用形で、
「回す・めぐらす・配る・ほどこす」 などが原義です。
【概意】
臣たちよ、終始倦むことなく 「教え」 を常の業とせよ。
<教えとはすなわち>
臣・民・子・孫の隔てなく、慈しんで恵まんとする思いなり。
教えぬ者は臣ではない。また
教えを受けぬ者は民ではないぞ。
―――――――――――――――――――――――――――――
つねにおもえよ あまのりお ゑてみおをさめ たかやして
そろおうゑまき くさきりて かりおさむみの たみはまこ
たくみあきとも ひこやさこ ものしるとても うくめかて
とのみちひきに ゐらさらんおや
―――――――――――――――――――――――――――――
常に思えよ 陽陰法を 得て身を治め 耕して
ソロを植え蒔き 草切りて 刈り納む身の 民は孫
工・商人も 曽孫・玄孫 物知るとても 蠢かで
調の導きに 入らざらんをや
―――――――――――――――――――――――――――――
■陽陰法を得て身を治む (あまのりおゑてみおをさむ)
「生る道(=陽陰の法)を内に収め、そのシステムを治める」 という意味です。
★陽陰法 (あまのり)
アメノミチ(陽陰の道)
の換言です。大宇宙の根本法則で、「陰陽和合」
の法と呼ばれます。
これは 「人の身/システムは
陽と陰とその和合の本質を内包している」 ことをいい、
端的に言えば、魂と魄の結合
によって人間は生じているということです。
このことについては今後 徐々に説明されます。
・貴きも 尊も彦も 生る道を 治め収むる 人の身は 〈ミ1-3〉
・陽陰 人に知れる 人の身の 四つを謹む 機の道 〈ミ1-2〉
■刈り納む (かりおさむ)
「刈り入れて御上に納める・収穫して貢納する」
という意です。
■工 (たくみ) ■商人(あきど)
タクミは 「手組み」、アキドは 「分き人」
が原義と考えています。
■蠢く (うぐめく)
「回る・揺れる・振れる・震える」 などが原義で、
特に意味もなく 「動き回る・右往左往する」
ことをいいます。
ここでは 「バタバタ/ジタバタする・あちこち揺れ動く」
などの意です。
■調の導き (とのみちびき)
トノヲシヱ(調の教え)
と同じです。「民に調和の道を教えること」 をいいます。
■入らざらんをや (ゐらざらんおや)
オヤ
は反語で、ここでは 「どうして入らんかな、入れよ」
という意です。
【概意】
常に思えよ。<君や臣と同じく>
陽陰の法を得てその身を治め、耕して作物を植え蒔き、草を切って、
収穫納税する身分の民は我が孫ぞ。工人や商人も我が曽孫と玄孫ぞ。
彼らより物を知る臣であるなら、揺らぐことなく、どうして
“調の導き” に、
一目散に身を投入しないか (するべきだろう)。
本日は以上です。それではまた!