_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
一から学ぶ みかさふみ講座 第5回 [2022.2.7]
みかさふみ 起尽四方の文 (2)
著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
コヤネの語りが続きます。だんだん難しくなってきます。
コヤネの言葉は、これはまぁミカサフミ全般に言えることですが、
短くて簡潔な表現の中に、ぎっしり情報が詰め込まれていて、
まるで物理の数式を読んでいるかのようです。
現代文で100文字の内容を、ホツマツタヱが50文字で綴るとすれば、
ミカサフミは25文字で綴ってしまう、こんな感じでしょうか。
これが ミカサフミの解読が難しい理由の一つですね。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
きつよちのあや (その2)
起尽四方の文 https://gejirin.com/mikasa01.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
―――――――――――――――――――――――――――――
きみのまつりも すみやかに もつれおたたす かみのみち
つかさのかみは くにをさむ なかにはしめる しもはたす
―――――――――――――――――――――――――――――
君のまつりも すみやかに もつれを正す 上の道
司の上は 国治む 中 庭 締める 下 端 治す
―――――――――――――――――――――――――――――
■君のまつり (きみのまつり)
ここでは 「国家君主が行うまつりごと・国家の政治」
をいいますが、
これをまた 「機織りにおける糸のまつり(処置)」
になぞらえます。
★キミ (君・公)
キミは キム(決む・極む)の名詞形で、「極み・頂点」を原意とし、
「組織・セクションの長」
を意味します。したがって一口に君といっても、
さまざまなレベルの君がいるわけですが、ここでは国家の首長である
「皇君・国君・国家君主」
をいいます。国家君主をいう場合の “キミ” は
もう一つ、「木・実」
の意を持つのですが、それについては後述します。
★まつり (纏り/▽政り)
マツル(纏る)の名詞形で、「まとめ・治め・手当・処置・ケア」
などを意味します。
用途が広く、例えば、経糸と緯糸を編んで機(布)にまとめることも
“まつり” なら、
人間社会の様々な問題をうまく取りまとめることも “まつり”
です。
■もつれ (縺れ)
機を織る上で大きな障害となる、「糸のもつれ・乱れ糸」
をいいます。
治むる道の 乱れ糸 切り綻ばす 器物 〈ホ23-2〉
■正す/▽直す (ただす)
「まっすぐにする・なおくする」 が原意で、ナオス(直す・治す)と同義です。
■上の道 (かみのみち)
「上に立つ者の道・管理者の道」 の意に解しています。
■司の上は国治む (つかさのかみはくにをさむ)
“司の上” は 「司の上位・上位の司」 という意で、
これは クニツコ(▽国司・国造) に相当します。
“国” は ここでは国家ではなく、国家を構成する
「地方の国々」 をいい、
たとえば 鹿島の国、出雲の国、伊勢の国 … … などです。
ツカサ(司)は ツカス(▽束す・▽掴す)の名詞形で、
「束ね・束ねる者」 を意味します。
ここでは 「民を束ねる者」 をいい、“臣・守・モノノベ”
の同義語です。
■中 庭 締める (なか-には-しめる)
“中” は “司の中” の略で、「中位の司」 を意味し、
これは アガタヌシ(県主) に相当します。
“庭” は ニフ(▽和ふ・似ふ) の名詞形で、何かに
「添い従うもの」 をいい、
この場合は 「国に添い従う区画」 で、アガタ(県)
を意味します。
“締める” は スベル(統べる) の変態です。
ですから 「中位の司は県を統べる」 という意になります。
■下 端 治す (しも-は-たす)
“下” は “司の下” の略で、「下位の司」 を意味し、
これは アレヲサ(粗長) に相当します。
“端” は 「末端」 の意で、最小の行政区画である アレ(粗)
をいいます。
★粗 (あれ) ★粗長 (あれをさ)
幾つかの集落を合せた行政区画を アレ(粗) といい、
その長を アレヲサ(粗長) といいます。
アレが集まってアガタ(県)を成し、アガタが集まってクニ(国)を成し、
国が集まって 「国家」 です。“家” は
「結び・まとまり」 を意味します。
織機具で、経糸を大まかに治める筬をアレヲサ(粗筬)と呼びますが、
これを国家の行政機構になぞらえたものです。ヲサ(長)も、織機具の
ヲサ(筬)から来ており、「おさえ・治め・束ね」
を意味します。
【概意】
<機織りと同じく>
君の政も、すみやかに糸のもつれを正す管理者の道。
<君の下にある司(=臣)たちも、担当区域の糸のもつれを正して>
上位の司は国を治め、中位の司は県を統べ、下位は末端の粗を治す。
注:ミカサフミの原文は
きみのまつりも すみやかに もつれおたたす かみのみち
かたちとつとめ みちとみと よつのをしえも たたひとち
をこぬのかみの このよつお あわとにしれる ひとのみの
よつおつつしむ はたのみち
つかさのかみは くにをさむ なかにはしめる しもはたす
という順序で記しているのですが、この順序だと意味が非常に取りにくいため、
筆者の判断により、句の順序を変えています。(これにより筆者は読解の糸口を得ました)
―――――――――――――――――――――――――――――
かたちとつとめ みちとみと よつのをしえも たたひとち
をこぬのかみの このよつお あわとにしれる ひとのみの
よつおつつしむ はたのみち
―――――――――――――――――――――――――――――
‘形’ と ‘つとめ’ ‘充ち’ と ‘身’と 四つの教えも ただ一道
ヲコヌの尊の この四つを 陽陰 人に知れる 人の身の
“四つを謹む 機の道”
―――――――――――――――――――――――――――――
■形 (かたち)
ここでは 「基本構造・骨組み・骨格・主体」
などを意味します。
これは ”国のまつり(国政)” で言えば 「君」 にあたり、
“機のまつり(機織り)” で言えば 「経糸」 にあたります。
■つとめ (▽付留)
ツドヒ(集い)・トドメ(留め) などの変態で、この場合は
「付け足し・継ぎ足し・補足・補助」
などの意を表します。
ツツ(▽付つ)+トム(留む)
の同義語短縮 “ツトム” の
名詞形で、「付いて留まること/もの」
が原義です。
“努め・務め・勤め” も原義はこれです。
これは 上記の ‘形’ を 「補助する副次的なもの」
をいい、
形 を 「主」 とすれば、つとめ
は 「副・従」、
形 を 「骨・骨格」 とすれば、つとめ
は 「肉」、
形 を 「経糸」 とすれば、つとめ
は 「緯糸」、
形 を 「君」 とすれば、つとめ
は 「臣民」 に相当します。
■見ち/充ち (みち)
形 (主体:骨・経・君) に つとめ (副体:肉・緯・臣民)
が添い、
あいまって 「充ち足りること・潤うこと」 をいいます。
つまり 「主体と副体のコラボと、それによる相乗効果」
です。
■身 (み)
この場合は 「出来上がるもの・全体・総体・システム」
を意味します。
形 (主体:骨・経・君) と つとめ (副体:肉・緯・臣民)
の
コラボによって完成する 「統合システム」
とでも言うべきでしょうか。
この 身 は、
人で言えば、「人を人として機能させる全システム」、
機織りで言えば、「織り上がった一反の織物」、
また人間社会で言えば、「国・国家」 に相当します。
■ヲコヌの尊 (をこぬのかみ)
ヲコヌは “ヲコヌシ” の略です。ヲコヌシ(大地主/央国主)は他文献では
オオクニヌシ(大国主)
と記されて、オオモノヌシと混同されていますが、
これは ニニキネがクシヒコに賜った尊名です。
・時に君 ヲコヌシ尊と 名を賜ふ 柱名もこれ
〈ホ21-4〉
・クシヒコ
汝 御孫より ヲコヌシ尊の 賜ふ名も まだ足らず 〈ホ23-7〉
★ヲコヌシ (大地主/央国主)
ニニキネがクシヒコに賜った尊名で、コ(凝・固)は クニ(地・国)と同じです。
「埴纏り(=地鎮) や 屋造りの法を定めた主」
という意味でしょう。
ヲヲコヌシ・ヲヲクヌカミ・ヲコヌノカミ・クニヌシ
など、呼び方には
いくつかのバリエーションがあります。
地方領主としての名である オオクンヌシ(央国主)
に語呂を合せていて、
これも他の文献の記す “大国主神” の語源の一つです。
“形・つとめ・充ち・身” の
四つの教えを説いたのはクシヒコだったようです。
しかし残念ながらホツマツタヱに、それについて触れている箇所は見当たりません。
未発見のミカサフミの中にはおそらく ...
■陽陰人に知れる人の身 (あわとにしれるひとのみ)
「陽と陰とその和合の本質を内包している人のシステム」
という意です。
これは端的に言えば、タマ(魂:陽霊)と シヰ(魄:陰霊)の結合によって
人間は生じているということです。
昼は人気も明らかで 夜は暗と濁る蝕みも
陽陰の心に見るば 上(陽)、埴(陰)と 地上(和合・中)
この味を人の身に知る 〈ホ17-8〉
★人の身に知る (ひとのみにしる)
シル(知る・領る)は 「合わす」 が原意です。
ですから
「人の身には陽と陰とその和合の本質が収まっている」、
つまり 「人間は大宇宙の縮図/コンパクト版」
だということです。
■四つを謹む (よつおつつしむ)
この “四つ” は ヨチ(四方) と同じで、
機(織物)の 「東西南北 (左右上下) の4辺」 をいいます。
“謹む” は 「合わす」 を原義とし、
「心する・留意/注意する・直す・正す」
などの意を表します。
【概意】
‘形’ と ‘つとめ’ ‘充ち’ と ‘身’ と
四つの教えもただ一道。ヲコヌの尊の説くこの四つを、
陽と陰とその和合の本質を内包する人の身の、
“四方を正す機の道” (と捉えることができる)。
ヲコヌの尊は “形・つとめ・充ち・身”
の 四つの教えを説いたが、
その四つの教えも、“四方を正す機の道”
として、一つの道に
統合することができるということです。
“形・つとめ・充ち・身”、また “四方を正す機の道”
については、
このアヤの終盤で再び説かれます。
―――――――――――――――――――――――――――――
かれにいまとく よかのはた したえはういに みおをさむ
そらなるものは ちちきけと みのみはしらお ゆきぬけて
こえおちかえの たなはたの そらひのおとは みにつかす
きくとのほほと のたまえは
―――――――――――――――――――――――――――――
故に今説く “四処の機” 慕えば諾に 身を治む
空なる者は 千々聞けど 身の実柱を 行き抜けて
還復ち返えの 棚機の 空杼の復/音は 身に付かず
聞くと “のほほ” と 宣給えば
―――――――――――――――――――――――――――――
■故に (かれに)
シカレバ(然れば)
と同じです。
シカレバは “シク(如く)あれば”
が縮まったものです。
■四処の機 (よかのはた)
ヨカ(四処)も ヨチ(四方)と同じです。よって
「四方形の機」 という意ですが、
ここでは “四方を正す機の道”
を簡略して、このように表現しています。
【処】か (広辞苑)
〔接尾〕(ソコのコ、イヅクのクと同源)
場所の意を表す。
■慕ふ (したふ)
原意は 「添う/沿う・寄る・追う・親しむ・従う」
などです。
■諾に (ういに)
このウイは ウエ/ウベ(宜・諾)、ムベ(宜・諾)
の変態で、
「(心に)合うさま・好ましいさま・よろしいさま」
を表します。Oui
“諾に” は 「よろしく・うまく・ほどよく」
などの意となります。
■身 (み)
「各人の人間のシステム」 をいいます。
これは肉体のシステムだけでなく、神霊(魂魄)のシステムも含みます。
■空なる者 (そらなるもの)
今に言う 「うつけ者」 かと思います。
【空け・虚け】うつけ (広辞苑)
(動詞ウツクの連用形から)
1.中がうつろになっていること。から。空虚。
2.気がぬけてぼんやりしていること。また、そのような人。
まぬけ。おろか。
【空け者・呆気者】うつけもの (広辞苑)
おろか者。のろま。うっかり者。
■身の実柱 (みのみはしら)
ミ(実)は ここでは サネ(実・核) の意で、「中心」
を意味します。
よって “実柱” は 「中軸・芯」 をいいます。
“身の実柱” は 「人間のシステムの中軸」 という意で、
すなわち 「こころ(心)」 です。
■還復ち返え (こえおちかえ)
コエ(▽還)は 「回転・循環・周回・くりかえし」
を意味します。
オチカエ(復ち返え)は オチカエルの名詞形で、
「往き来・往復・反復」 を意味します。
ですから 「(機織りの杼を)くり返し往復させるさま」
をいいます。
【復ち返る・変若ち返る】おちかえる (広辞苑)
1.もとにかえる。くりかえす。
2.若返る。
■棚機 (たなばた)
タナ(棚)は 「連ね・綴り・重ね」 が原意です。
ですから 「機を綴ること」 をいい、この場合は
「機織り」 と同義です。
タナバタには、夜空に
「棚引く機・連なり続く織物」 という意もあり、
今はそれを 「天の川」 と呼びます。
■空杼の復/空杼の音 (そらひのおと)
ソラ(空)は 「空虚・うつろ・気の抜けたさま」
をいいます。
ヒ(杼)は
機を織る際、経糸に緯糸を通すのに往復させるシャトルです。
オト(▽復)は オツ(復つ)の名詞形で、「往き来・往復・反復」
を意味します。
ですから 「気の抜けた杼の往復」 という意です。
また、その時に発する音を “空杼の音” とし、2つの意味を掛けています。
■身に付かず (みにつかず)
「機の身に付かない・織物の中身とならない」
ということです。
■のほほ
“空杼の音”
の、気の抜けた感じを表した擬音語だと思います。
今風に言えば “のほほん” でしょうか。
■宣給ふ (のたまふ)
ノツ(▽宣つ)+タマフ(給ふ)の短縮で、「言う・述べる」
の尊敬語です。
辞書は "宣ふ" と宛てています。
ここでは 「空杼の音は 聞くと “のほほ”
とおっしゃいますから」 と、
尊敬表現によって皮肉を強めています。
【概意】
しかれば今説いた “四処の機の道” に沿い従えば、
よろしく人のシステムを治め調える。
しかしうつけた者は道を何度聞いても、その身の芯を通り抜けてしまう。
何度もくり返して杼を往復させる機織りでも、気の抜けた杼の往復は
機の身に付かず、その音は、聞くと “のほほ”
と宣給えば。」
本日は以上です。それではまた!