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徹底解説みかさふみ講座 第3回 [2022.1.17]

みかさふみ序 クニナツが宣ぶ (3)

著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com

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 本日は引き続きミカサフミ序文の後半です。
 橘御機、ホツマ文、ミカサ文 の三書が同時に、
 三家別個に編纂された理由が述べられています

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 くになつかのふ (その3)
 クニナツが宣ぶ https://gejirin.com/mikasa00.html
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 ふたはしら まつるとほこの みちあれと
 あまてるかみの やたかかみ つくりみくさの かんたから
 あめのみまこに とおさつけ
 やまとをさむる みかかみは こやねにさつく かみのむね
 ほこのみなもと をこのかみ
―――――――――――――――――――――――――――――
 二柱 政る経矛の 道あれど
 アマテル神の ヤタ鏡 造り三種の 神宝
 陽陰の御孫に 経を授け
 和 治むる 御鏡は コヤネに授く 神の宗
 矛の源 ヲコの尊
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■二柱 (ふたはしら)
イサナキ/イサナミの二尊を “二柱” とも呼びます。なぜかといえば、
鳥居は二尊がモデルだからです。鳥居の二柱は 「経と矛」 を意味し、
イサナキが 「経」 の象徴、イサナミが 「矛」 の象徴です。
それが二尊の国家統治の二本柱だったからです。

 ツワモノが <二尊を> 柱に比ぶ ゆえ問えば
 翁 答えて 「瓊は経 貫は潤す 矛も経 汚曲滅ぼす 二柱」
 往き来鳥居の 二尊と 聞きて各々 ヲシテ染めけり 〈ミ3アヤ〉


■纏る・政る (まつる)
マトフ(纏う)マトム(纏む)マツム(集む纏む) などの変態で、
「合わす・とりまとめる・処置する・手当する・調える」 などの意を表します。
ここでは 「国家をまとめる」 ことをいうため “政る” と宛てています。

 マツル(祭る・祀る) や マツラフ(服ふ・順ふ)も 原義はこれで、
 “
祭る・祀る” は 「神を世にまとわす」 あるいは 「心を神にまとわす」 の意。
 “服ふ・順ふ” は 「まとい付く・懐く」 ことをいいます。


■陽陰の御孫 (あめのみまご)
アメ(陽陰)はアマテルを指し、ミマゴ(▽上孫・御孫)は 「尊き孫」 の意です。
アマテルには多くの孫がいるわけですが、これは特に ニニキネ を指します。

 アマテル(斎名ワカヒト)
     ├─────オシホミミ(斎名オシヒト)
 セオリツ姫(斎名ホノコ)  ├────クシタマホノアカリ(斎名テルヒコ)
              ├────ニニキネ(斎名キヨヒト)
 タカキネ──────タクハタチチ姫(斎名スズカ)

■経 (と)
ト(▽経)は タマ(▽尊・瓊)と同義で、「尊いもの・最優先すべきもの」 を
意味し、具体的には 「経(たて)・法・教え」 などをいいます。
この場合は、三種宝の第一である アメナルフミ(▽陽陰和る文) を指します。
これは “御機(みはた)の留(とめ)の御文” とも “橘(かぐ)の文” とも呼ばれます。

 ・和の日月を 受くる日の 三つの宝の その一つ
  “陽陰和る文” の 道奥ぞこれ              〈ホ23-2〉
 ・門出に “御機の留の御文” を 御孫に賜ひ
  御鏡を コヤネに賜ひ 御剣を コモリに賜ひ 宣給ふは 〈ホ24-1〉
 ・我 昔 陽陰の道得る “橘の文” 御祖百編を授く      〈ホ27-3〉

 
■和治む (やまとをさむ)
「天と地(神と人)の和を治める」 の意に解しています。
それが鏡の臣の最も重要な役目です。
コヤネの孫で、神武天皇の鏡臣を務めたアメタネコは “中臣” の姓を
賜りますが、これは 「神と人のを治める」 の意と考えています。

 ★ヤマト (和・大和・倭)
 ヤマツ(▽和つ) という動詞の名詞形で、ヤマツはヤワス(和す)の変態です。
 「合わせ・合・間・中・和」 などを原義とします。

 
■神の宗 (かみのむね)
「アマテル神の主なる意」 の意に解しています。
これはアマテルが 世を治める上で最も重要と考えるものをいい、
すなわちそれが “和治む”、つまり 「天と地(神と人)の和を治める」 ことです。
アマテルは帰天する際にも、“神を都に留むべし 我も守らんこれなり“ と、
鏡臣のコヤネに遺言しています。

 【宗・旨】むね  (広辞苑)
 1.主とすること。中心とすること。また、そのもの。
 2.事のおもむき。趣意。

・鏡臣 すえ滅ぶれば 民 離れ 日月 踏まれず      〈ホ24ー2〉
・汝また 鏡の臣は 軽からず 神を都に 留むべし
 我も守らん これなり                〈ホ28-4〉

 

■矛の源 (ほこのみなもと)
ホツマツタヱの23アヤで、アマテルは “剣のもとは 和の矛
と語っていますが、この 「剣のもと」 と同じです。
したがってこれは アマノサカホコ(▽和の逆矛) を指します。

 ★和の逆矛 (あまのさかほこ)
 「和(アメ)の教えに逆(サカ)らう者を綻(ホコ)ろばす物」 という意です。
 和の矛(あめのほこ)・逆矛(さかほこ) とも略します。

 アメ/アマは アム(編む)の名詞形で、「和合・調和」 などが原義です。
 
アムは アフ(合ふ)の変態で、アフの名詞形が アワ です。このことから、
 互いに結び付く(和合する)性質を持つ正反対の二つ (陽と陰) についても
 アメ(陽陰)、あるいは アワ(陽陰) と名付けられたと推察しています。
 今日、アメ/アマ
を "和" と表記する例はほとんどありませんが、
 唯一、アマナウ(和ふ) という語が辞書に載ってます。

 ・剣のもとは “和の矛” クニトコタチの 代にはまだ 矛なき故は
  素直にて 和を守れば 矛 要らず          〈ホ23-1〉
 ・和の教えに 逆らえば 身に受く “和の逆矛” ぞ     〈ホ23-2〉


■ヲコの尊 (をこのかみ)
アマテルからオオモノヌシのクシヒコに賜った尊名の、
ヤマトヲヲコノミタマカミ(和皇籠の御魂尊) の略称です。
これは 「和の教えにかなう皇のヤヱガキの主の尊」 という意で、
“皇のヤヱガキの主” は オオモノヌシ(皇モノ主) と同じ意味です。

 ヲヲ/オオ(皇・王)は "央" と同じで、「中心となるもの」 をいいます。
 コ(籠)は 「かご・囲み」 が原義で、これは カキ(垣) と同じです。
 この場合は ヤヱガキ=モノノベ を意味します。
 ミタマ(御霊・御魂)は 「本質・核心・主体」 などが原義で、
 この場合は ヲキ(大きなる者・翁)、ヌシ(主) と同意です。

オオモノヌシとは “国家のヤヱガキ(八重垣/汚穢垣)の主” であると、
クシヒコが悟ったことに感銘を受けたアマテルは、この尊名と共に、
皇位継承の証として二尊より受け継いだアマノサカホコ(和の逆矛)を
クシヒコに授けました。

 「これ “ヤヱガキ” は モノノベの 名なりと己が 央に応ゆ
 てれば “統べら” の よよの垣 己が央なり」 と 誓いなす
 「むべなるや クシヒコ 汝 御孫より ヲコヌシ尊の 賜ふ名も
 まだ足らず 我 二尊の 賜ふ逆矛 幸ひに その気を得れば
 譲るなり 生れ素直に 和道の教えに適ふ 皇のヤヱガキの翁
 賜ふ名も ヤマトヲヲコのミタマ尊」       〈ホ23-7〉
 

     イサナギ ┌ソサノヲ─オホナムチ (初代オオモノヌシ)
       ├──┤       ├───クシヒコ (2代オオモノヌシ)
    ┌イサナミ └アマテル──タケコ    │
    │                   ├─コモリ (3代オオモノヌシ)
    │                   │
 トヨケ┴ヤソキネ──タカキネ───────ミホツ姫

 

【概意】
二柱の時代となり、統治の基幹となす経矛の道があったが、
アマテル神はヤタ鏡を造って三種の神宝とし、陽陰の御孫に経を授け、
アマテル神の主意を形にした、天地の和を治める御鏡はコヤネに授け、
矛の源である和の逆矛はヲコの尊に授けたのであった。

 

―――――――――――――――――――――――――――――
 しかれとみちも もろいゑに つかさたかえは
 ほつまふみ あらわすときに あつたかみ つけてきみには
 かくみはた をさせたまへは かかみとみ ふもとやしろの
 ふみささく われもあくれは みことのり
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかれど道も 諸家に つかさ違えば
 ホツマ文 著す時に アツタ神 告げて君には
 “橘御機“ 押させ給へば 鏡臣 麓社の
 文 捧ぐ 我も上ぐれば 御言宣
―――――――――――――――――――――――――――――

■つかさ (▽掴さ)
ツカス(▽束す・▽掴す)の名詞形で、ツカミ(掴み)と同義です。
この場合は 「とらえ方・解釈」 などの意となります。
ツカサ(司)も原義は同じで、こちらは 「掴む者・束ねる者」 を表します。

 
■アツタ神 (あつたかみ)
ヤマトタケの贈り名 (神となった人に捧げる名) です。
よって "アツタ神の告げ" は 「ヤマトタケの遺言」 ということになります。

 
■橘御機 (かぐみはた)
ヤマトタケの遺し文に従って 景行天皇が自ら著した書の名です。
アメナルフミ(陽陰和る文)の別名である “橘の文” と “御機の文” を
合せた名ですから、景行天皇に伝えられた三種宝の “陽陰和る文” が
ベースとなっている書ではないかと推測しています。

 
■鏡臣 (かがみとみ)
オオカシマを指します。
この時代に “鏡臣” という名がまだ生きていたかどうかはわかりませんが、
アマノコヤネを祖とし、代々鏡臣を務めてきた家の末裔なのは確かです。

 
■麓社 (ふもとやしろ・ふもとや)
「ミカサ山の麓の社」 の意で、“ミカサ社” とも呼ばれます。
もともとは春日県を治める政庁社で、この跡が現在の春日大社です。
この社に保管されていた文書を元として、オオカシマは “ミカサ文” を
編纂したものと考えられます。

 
 

【概意】
しかれど道(=教え)も諸家により解釈が異なるため、
ホツマ文を著す時に、アツタ神が君に告げて “橘御機” を記させ給えば、
鏡臣も麓社の文を捧げ、我もホツマ文を献上すれば、御言宣。

ヤマトタケの進言により、君と鏡臣と剣臣がそれぞれ別個に
“橘御機” “ミカサ文” “ホツマ文” の3書を編纂したのは、
アマテル神の教えを正確に伝えることに、
万全を期するためであったということですね。

 

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 みくさのみちの そなわりて さちゑるいまと のたまえは
 おのおのみをや まつるへし
 ほすえさかえる そのみちは みかさふみなり
―――――――――――――――――――――――――――――
 「三種の道の 備わりて 幸得る今」 と 宣給えば
 各々御祖 祭るべし 
 穂末栄える その道は ミカサ文なり
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■三種の道の備わる (みくさのみちのそなわる)
三種法備ふ宝 (みくさのりそなふたから) と同じで、
「三書に君と鏡臣と剣臣の三つの心が一つになる道が備わった」 という意です。 
“三種法/三種の道” の意味については、ニニキネが三種宝を受ける時の、
アマテルの次の御言宣に集約されます。

 かの鳥の 形はヤタミ 頭は君 鏡は左羽 剣 右羽 モノノベは足  
 鏡臣 すえ滅ぶれば 民 離れ 日月 踏まれず 
 剣臣 すえ滅ぶれば モノベ割れ 治を奪わるる
 ヤタ臣は 繁生ふ春の 民業を 鑑みる目ぞ
 垣臣は 汚曲を枯らし モノノベの 力守る手ぞ
 この故に 三種を分けて 授く意は 永く一つに 和る由を
 アヤに記して 御手づから 文を御孫に 授けます
 セオリツ姫は 御鏡を 持ちてカスガに 授けます
 ハヤアキツ姫は 御剣を 持ちてコモリに 授けます  〈ホ24-2〉

ホツマツタエの序文の中で、オオカシマは
「ミカサ文はホツマツタエと割瓜を合わす如くの心なり」
と述べていますが、景行天皇は 「この三書編纂において、
君と鏡臣と剣臣の三つの心が一つになった」 と御言宣するわけです。
これは、三書が伝えるアマテル神の教えは、言葉は違えど
その精神はみごとに一致しているということでしょう。

 
■各々御祖 (おのおのみをや)
貴重な文書を残し伝えてくれた 「天皇家と鏡臣の家と剣臣の家の祖先」
ということです。

 
■穂末栄える (ほすえさかえる)
「家の将来が栄える・子孫が繁栄する」 などの意です。

「穂末栄えるその道はミカサ文なり」 は、ホツマツタエがマクロな観点から、
主に “国家繁栄の道” を説くに対して、ミカサ文は国家を構成する最小単位である、
各家庭の “家内繁栄の道“ について 主に説いているということでしょう。
これはオオカシマが 「代々の掟となる文はホツマツタエと思ふ」 と、
ホツマツタエの序文で述べているのと対になります。

 
 

【概意】
「三種の道が備わりて幸を得る今」 と宣給う。
しかればそれぞれの祖先を称えて敬うべきであろう。 
穂末の栄える道を説くのはミカサ文である。

 

―――――――――――――――――――――――――――――
 あまてらす かみよりさつく みちのくの
 ふみうやまいて ともにささけつ
 をおみわの たたねこかとし ふもみそよ
 つつしみのへて そえるはなをし
―――――――――――――――――――――――――――――
 和照らす 神より授く 道奥の
 文 敬いて 共に捧げつ
 ヲオミワの タタネコが歳 二百三十四
 謹み宣べて 添える花押
―――――――――――――――――――――――――――――

■和照らす神 (あまてらすかみ)
「和(やわ)して照らす尊・ほどよく調えて恵む御上」 という意の
普通名詞で、アマテル以外の皇に対しても使われる名称ですが、
この場合はその大本である アマテル大御神=斎名ワカヒト を指します。
そのため “神” と宛てています。
 

■道奥の文 (みちのくのふみ)
ミチノク(▽道奥)は 「真髄・奥義・極意」 などを意味します。
フミ(文)は ここでは 「文(ぶん)・文句・文言」 の意です。


■ヲオミワ/オオミワ
国家の和を守る永久の垣となることを誓ったクシヒコは、
アマテルより ヤマトヲヲコノミタマカミ(和皇籠の御霊尊) の称号と
アマノサカホコ(和の逆矛) を譲られた意味を深く考えた末、世を去り
神となって世の汚穢・曲りを見守る道を選びます。そして大和山辺の
辞洞に、拝領の逆矛を抜き持ったまま入り、“ヤマトの神” となります。
こうして世に和の道が衰え、その再興が必要となる時に備えるのです。

・てれば統べらの よよの垣 己が央なりと 誓いなす 〈ホ23ー7〉
・クシヒコは 大和山辺に 殿造り 齢を考えば
 歳すでに 十二万八千百 際あれば 後の守りは トヨケ法
 「霊の結入れて 皇の よよ守らんは 和の道」
 ミモロの山に 洞掘りて 和の逆矛 放けながら
 入りて静かに 時を待つ              〈ホ23ー8〉
・クシヒコ生まれ 直ぐなれば 授く御矛に 鑑みて ミモロに入りて
 時待つも 道衰はば また出でて 興さんためや   〈ホ28ー4〉


クシヒコの入った辞洞のある山は “ミモロ山” と名づけられました。
ミモロは ミモル(見守る)の名詞形で、ミモルは ミマモル(見守る)と同じです。
また ”ミワ山” とも呼ばれますが、ミワは ミユ(▽見ゆ)の名詞形で、ミユは
ミル(見る)の変態です。これもやはり 「見守る・見張る」 という意です。

ですから ミモロ山/ミワ山は クシヒコの神霊(みたま)が鎮まって、
「和の道を見守る山/汚穢・曲を見張る山」 という意です。
そしてクシヒコの神霊に贈られた名が “ヤマト(和)の神” であり、
その別名が本来の ミモロ神/ミワの神/オオミワ神 です。
(“本来の” というのは、神武天皇がミワ山にオオモノヌシの神霊を纏らせて以降、
ミモロ神/ミワの神/オオミワ神 は、歴代のオオモノヌシの集合霊として
信仰されるようになるからです。)

オオミワ/ヲオミワは オオ(皇)+ミワ(▽見張) で、「皇の守り」 という意です。
これは ヲヲコ(皇籠) の同義語で、「オオモノヌシ」 を意味します。
したがって オオミワ神/ヲオミワ神 = オオモノヌシ神 です。
後に綏靖天皇はオオミワの姓を、6代オオモノヌシのアタツクシネに賜ります。

 代々皇の 守りとて 九月十一日 祭らしむ
 アタツクシネに “オオミワ” の 姓 賜わる 〈ホ31-4〉

‘オオモノヌシ’ と ‘オオモノヌシ神’ の違いにご注意くださいね。
前者は生きた人間の役職名、後者は肉体を離れて天に還った神霊です。
‘オオモノヌシ神’ は ‘ミモロ神/ミワの神/オオミワ神’ のまたの名です。

 

■タタネコ
斎名はスヱトシで、オオタタネコ/ヲオタタネコ、ミワのタタネコ とも
呼ばれます。いずれも “ヲオミワのタタネコ” を簡略した呼び名です。
ソサノヲを太祖とし、初代オオモノヌシとなったオホナムチ以来、
代々オオモノヌシ(=剣臣)を世襲により務めてきた家の末裔です。
“タタネコ” は  タツ(立つ・▽奉つ)+ネク(祈ぐ・労ぐ)  の名詞形で、
ヲオミワ神を 「立ててねぎらう者・敬って慰める者」 という意です。

 

 ソサノヲ─オホナムチ─クシヒコ─コモリ┬カンタチ─フキネ
                    │
                    └ツミハ────┐
                            │
  ┌─────────────────────────┘
  │
   └クシミカタマ─アタツクシネ─タケイイカツ─建甕尻命┐
                                              タケミカジリ │
    ┌─────────────────────────┘
   │
   └ミケヌシ─オミケヌシオオタタネコ─ミケモチ┬オオトモヌシ 〈三輪氏祖〉
                         │
                         └オオカモ(カモツミ) 〈賀茂氏祖〉

 
開化天皇が、父である孝元天皇の后の一人の、イカシコメを自分の
正妃としようとする時、タタネコの父オミケヌシは シラウド・コクミの
例を挙げて諫めました。しかしこの諫言は聞き入れられず、オミケヌシは
官職を辞して都を離れ、スヱの地に隠れ住みます。

その後崇神天皇の時代に、民の半ばが死ぬという非常事態が起り、
「我が裔のオオタタネコに我を祭らせば世は治まる」 というオオモノヌシ神の
告げを受け、大規模な捜索の結果、スヱの地でタタネコは発見されます。
喜んだ天皇はタタネコを臣として復帰させ、オオモノヌシ神の斎主としたのです。
以後タタネコは 崇神、垂仁、景行 の三朝に、重鎮の臣として仕えます。

 

【概意】
アマテル大御神より授かる奥義の文言を敬いて
(ヲオカシマと)共に献上したる、ヲオミワのタタネコ234歳が
謹み述べて、添える花押。

 

本日は以上です。それではまた!

 

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