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徹底解説みかさふみ講座 第4回 [2022.1.28]

みかさふみ 起尽四方の文 (1)

著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com

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 今日から “起尽四方の文 (きつよちのあや)” に入ります。
 ミカサフミは 10個のアヤしか発見されておらず、その10個のアヤも、
 全64アヤ中の何番目のアヤだったのかについては定かではありません。
 しかし “起尽四方の文” が ミカサフミの第1アヤであったことは、
 ほぼ疑いのないところで、その理由はこのアヤの中で語られています。
 
 アヤの中盤部分は ホツマツタヱの第1アヤと、まったくと言って
 いいほど同文なのですが、初盤と終盤の部分は まったく異なり、
 かつ、その内容は極めて難解です。ホツマ40アヤ+ミカサ10アヤ
 の中で、最も理解するのが困難なアヤだと筆者は思います。
 それではいってみましょう。
 

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 きつよちのあや (その1)
 起尽四方の文 https://gejirin.com/mikasa01.html
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 きつよちのあや
 みかさやに あまのこやねの とくふみは
 たてにぬきおる まつりこと よちひとくさお をさむなり
 もしやみちきく こころさし あらはとあけて さつくへし
―――――――――――――――――――――――――――――
 起尽四方の文
 ミカサ社に アマノコヤネの 説く文は
 経に緯織る まつりごと 四方人草を 治むなり
 もしや道聞く 志 有らば門開けて 授くべし
―――――――――――――――――――――――――――――

■起尽四方/東西四方 (きつよち)
キツ(▽起尽)は 「起りと尽き・発生と成熟」 を意味します。
太陽が昇る方位と沈む方位を、やはり キ(東)・ツ(西) といいますが、
その原義は 「起・尽」 です。
ヨチ(四方)は ヨモ(四方)と同じで、「東西南北 (左右上下) の4辺」 です。
ですから 「起りと尽きの四方・発生と成熟の四辺」 みたいな意味です。
チ(方)は アチコチ(彼方此方)の チ(方) と同じです。


■ミカサ社 (みかさや・みかさやしろ)
大和国の 「カスガ県を治める政庁社」 で、ミカサ山(=春日山)の麓に
あるためこう呼ばれます。フモトヤシロ/フモトヤ(麓社)ともいいます。
この社の主、つまりカスガ県の領主がアマノコヤネ(=カスガ尊)です。
ミカサ社の跡が現在の春日大社です。

 ★ミカサ (▽神和・▽神交)
 ミは カミ(神)の略形で、カサは カス(▽和す・▽交す)の名詞形です。
 ですから 「神を纏ること・神と交わること」 を意味します。
 ちなみに アマノコヤネ(▽陽陰の交和)、カスガカミ(▽上下和み)、
 またその父ヰチチの尊名の ココトムスビ(▽上下結び)、あるいは
 カガミ(▽明暗見) なども 実は同じ意味です。

 ★ヤシロ (社・▽礼代)
 ヤシロには二種類ありますが、ここでは ヤ(▽敬・▽礼)+シロ(代) で、
 「尊い場所」 を意味し、この場合は 「御上の役所・政庁舎」 をいいます。
 尊い場所が原意なので、「神を纏る場所」 も やはりヤシロといいます。
 ヤは イヤ(礼・敬)の短縮で、これは ウヤ(敬)・ウヱ(上) の変態です。
 シロ(代)は 「区画・場所・領域」 を意味します。

春日大社 (かすがたいしゃ)
奈良県奈良市春日野町160。
現在の祭神:春日神 (武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神の総称)


■アマノコヤネ
ヰチチとアサカ姫 (フツヌシの妹) の子で、斎名はワカヒコ、
幼名はカスガマロです。記紀には “天児屋命” の名で登場します。

アマは 「陽陰・天地」 を表します。コヤネは コフ(交ふ)+ヤヌ(▽和ぬ) の
短縮の名詞形で、「交え合わすこと」 を意味します。
ですから 「陽陰を交え合わす者・天と地を結ぶ者」 という意となります。
これは アメノマツリ(陽陰の纏り)、ココトムスビ(▽上下結び)、
カスガカミ(▽上下和み)、また カガミ(▽明暗見) などと同意です。
この名は本人が詠んだ歌の “陽陰いのる(あまいのる)” に由来しますが、
これもやはり 「陽陰を結い和す」 という意です。

・「陽陰いのる この手柏ゆ 劣を直ぐ 宿る央中の みごと成る
 この子は真直ぐ 父母の 嘗の代継ぎの 御子となりけり」
 かく三度 歌ひますれば                 〈ホ14-6〉
・「汝ワカヒコ 一振に 
アマノコヤネと 名にしあえ
 賜ふヲシテは 
カスガカミ」                 〈ホ14-7〉

若きコヤネは その才を見い出されてアマテルのそばに侍り、
カスガカミの尊名を賜って、タケミカツチの娘の “ヒメ” を妻とします。
叔父フツヌシと舅ミカツチには代嗣子がなかったため、コヤネが両家の
家督を相続することになりますが、そのことが春日大社や枚岡神社
武甕槌命と経津主命を合祀している理由と考えられます。
アマテルにより、ニニキネの左の臣 (=鏡臣) に任じられたのを初めとして、
その後のヒコホオデミ朝とウガヤフキアワセズ朝においても、引き続き
その任に就いています。
 

         ┌フツヌシ
        ??┤
         └アサカ姫┐
              ├─アマノコヤネ─┐
 ツハヤムスビ─??─ヰチチ─┘        ├オシクモ──アメタネコ
                       │
                       ├ヒタチ(=ヒタカヒコ)
 トヨケ─??─ヲバシリ─タケミカツチ─ヒメ──┘

 
いまさら説明の必要もないほど、ホツマツタヱの中で活躍した人物ですが、
一言だけ付け加えるなら、ホツマツタヱの13アヤで『妹背とスズカの道』を
説いていることからもわかるように、アマテルの教えを最も深いレベルで
理解していた人物だということです。

 アマテル神の教えは基本的に、人は神の下生したものであるとし、
 それゆえ “天(神)の視点から見た 地(人)の在るべき姿” を説いています。
 したがって アマテル以外の人間の中で、最も “あの世” のことに
 精通していたのがアマノコヤネだったと言っていいでしょう。

 
■説く文 (とくふみ)
フミ(文)は この場合は 「文(ぶん)・文句・文言」 の意です。

 
■経に緯織る (たてにぬきおる)
「経糸(たていと)に緯糸(よこいと)を貫いて交える」 という意です。
まず経があってそれに緯を交える” この順序が重要で、
経と緯の間には 「主と従・主と副・メインとサブ」 の関係があります。

オル(織る)は、アム(編む)・ハム(嵌む)・ヌフ(縫う)・ユフ(結う)
などと原義は同じです。

 ★経 (たて)
 例えば機(=布)は、まず経糸があってそれに緯糸を交えることで
 織られます。ですから経糸を 前提/基準/ベース としているわけです。
 タテ(経)とは そうした 「優先するもの・前提・基準・おきて・法」
 などをいいます。タマ(▽尊・瓊)、ト(▽瓊・▽経) とも呼ばれます。

 【緯】ぬき  (広辞苑)
 1.織物の横糸。ぬきいと。
 2.縦のものと打ち違いに横にわたしてある物の称。⇔経(たて)


■まつりごと (纏り事/政)
「まとめごと・治めごと・手当て・処置」 などの意です。用途の広い言葉で、
例えば、経糸と緯糸を編んで機(布)にまとめることも “まつりごと” なら、
人間社会の様々な問題をうまく取りまとめることも “まつりごと” です。

 
■四方人草 (よちひとくさ)
「四方の臣民」 という意です。
この “四方” は “中” に対するもので、「中央にある君」 に対する
「四隅の臣民」 という意味があります。

 ★人草 (ひとくさ)
 “人” は 「君と臣」 をいい、“草” は 「青人草/青人種」 の略で、「民」 の別称です。
 ですから “人草” は 今風に言えば、人民(じんみん)・臣民(しんみん) です。
 君と臣は一人前の 「人」 ですが、民は アオヒトクサ(青人種) と呼び、
 「未熟な人の種(たね)・半人前」 と考えられています。

織り上がった機(布)は 広げると長方形になりますが、
この長方形の機の4辺をヨチ(四方)と称して “臣民” になぞらえ、
機の中央部を “君” になぞらえています。
このことは のちのち重要になります。

 
  
【概意】
起尽四方の文
ミカサ社にアマノコヤネの説く文言は、
経糸に緯糸を貫いてまとめる機の如く、四方の臣民を治めるなり。
もしも道を聞く志があるならば、門を開けて授けるべし。

 

―――――――――――――――――――――――――――――
 こもりのいわく とあけなは かみのみことや あからさま
 こやねこたえて みちはわち はやくおそきも こころあり
 たつねきたらは われあひて そのみちのくお かたるへし
―――――――――――――――――――――――――――――
 コモリの曰く 「門 開けなば 上の御言や あからさま」
 コヤネ応えて 「道は環道 早く遅きも 心あり
 尋ね来たらば 我 会ひて その道奥を 語るべし」
―――――――――――――――――――――――――――――

■コモリ (子守)
オオモノヌシ2代クシヒコの代嗣子で、斎名ミホヒコ、幼名ヨロギマロです。
‘コモリ’ はアマテルより賜った尊名で、本人が詠んだ “子守り育てん” の歌に
由来します。

 「子を恋ふる 妹背の和に 籠りくの 子守り育てん タラチネの神」
 かく三度 歌ひますれば               〈ホ14-7〉
 「またミホヒコが 三十六子を 養す心は 実に応え
 賜ふヲシテは 
コモリ尊」               〈ホ14-7〉

これは 一人の妻に男子のみ18人を、もう一人の妻には女子のみ18人を、
みごとに生み分けて育てた ミホヒコの医学的な知識と技術を称えた名です。
医者の元祖と言っていいでしょう。

コヤネと同様、ニニキネの右の臣 (=剣臣 =オオモノヌシ) をアマテルに
命じられたのを初めとして、その後のヒコホオデミ朝とウガヤフキアワセズ朝に
おいても、引き続きその官職を務めています。
 

     イサナギ ┌ソサノヲ─オホナムチ (初代オオモノヌシ)
       ├──┤       ├───クシヒコ (2代)
    ┌イサナミ └アマテル──タケコ    │
    │                   ├──コモリ (3代)
    │                   │
 トヨケ┴ヤソキネ──タカキネ───────ミホツ姫

              ┌────────┐
              ├タケフツ    ├チシロ
              ├ヤサカヒコ   ├ミノシマ(ミゾクイ)
              ├ナラヒコ    ├オオタ
              ├コセツヒコ   ├イワクラ
              ├チハヤヒ    ├ウタミワケ
              ├ヨテヒコ    ├ミコモリ
              ├ヨシノミコモリ ├サギス
 スヱツミ─イクタマヨリ姫 ├ツミハ     ├クワウチ
       ├──────┴カンタチ    └オトマロ
 クシヒコ─コモリ
       ├──────┬モトメ     ┌トヨリ姫
 アチハセ─シラタマ姫   ├タマネ姫    ├アワナリ姫
              ├イソヨリ姫   ├ワカネ姫
              ├ムレノ姫    ├ハザクラ姫
              ├ミハオリ姫   ├アサ姫
              ├スセリ姫    ├ムメチル姫
              ├ミタラシ姫   ├ハモミ姫
              ├ヤヱコ姫    ├ミチツル姫
              ├コユルキ姫   ├シモト姫
              └────────┘

 
コモリの神霊(みたま)は、子守神・子守明神・水分神(みくまりかみ) の名で
多くの神社に祭られています。ミクマリ(水分)は ミコモリ(御子守)の転訛でしょう。

 吉野水分神社 (よしのみくまりじんじゃ)
 奈良県吉野郡吉野町吉野山字子守。
 祭神:天之水分神
 ・天之水分大神は俗に子守明神とも申されます。古くより子守宮と伝え、
  世人はこの神社を出生・育養、すなわち幼児守護の神として崇拝しました。
 

■上の御言/神の御言 (かみのみこと)
このアヤでは カミ(上) がキーワードとなっていて、さまざまなレベルの
“上” が出てきますが、ここでは 上=神=アマテル神 と考えます。
ですから 「アマテル神のお言葉・アマテル神のお教え」 です。

アマテルの言葉は、現在の我々にとっては群を抜いて難解ですが、
それは基本、この世ベースの教えではなく、霊的観点をベースとした
教えであるためで、それゆえに現代の我々のみならず、当時の人々に
とっても、理解するのは容易ではなかっただろうと考えられます。


 ★かみ (上/守/尊/神)
 カミは基本的には 「」 の意で、「上位にあるもの」 を意味しますが、
  の区別があります。は “大岡越前の守” のそれで、
 国とその民を守り治める人をいいます。これは 「臣・司」 の別名です。
 は 君、または 君から尊名を賜った臣をいい、「みこと」 と同じです。
 は人間の上位の存在形態をいい、「霊」 と同じです。したがって世に
 生きる人間をとは表記しません。しかし人間も天に還ればとなります。
 唯一別格の例外として、生きた人間であっても、アマテルカミだけは
 神
と表記しています。

 
■環道/輪道 (わち)
「循環する道・ループする道」 の意で、
「進んでも進んでも元の所にもどってしまう道」 をいうものと考えます。
それゆえ 隠された秘密の奥道を見つけないと、いつまでたっても目的地に
たどりつけないということでしょう。

 
■早く遅きも (はやくおそきも)
「(理解が) 早い者も遅い者も・進んだ者も遅れた者も」 などの意です。
環道(ループの道)なので、早くても遅くても、たとえ周回遅れでも、
ほとんど関係ないということでしょう。

 “早く” は、 “早し” の連用形が名詞化したもの、
 “遅き” は、 “遅し” の連体形が名詞化したものです。

 
■道奥 (みちのく)
ミチノオク(道の奥)の短縮と考えてさしつかえありません。
ここでは「奥義・極意・真髄」などの意です。
これがいわば、“環道に隠された秘密の奥道” です。

 

【概意】
コモリの曰く、
「門を開けたならば、アマテル神の御言の意味もあからさまよ。」
コヤネは応えて、
「その道は環道なるゆえ、早い者も遅い者も、
求める心があって尋ね来たなら、我は会ってその道奥を語るべし。」

 

本日は以上です。それではまた!

 

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