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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第83回 [2023.11.30]
第十六巻 孕み謹む帯の文 (4)
著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com
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はらみつつしむおびのあや (その4)
孕み謹む帯の文 https://gejirin.com/hotuma16.html
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はははうつほね またたたは はるのそらねお はにあみて
いたくにたれは たたといふ
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“ハハ” は空音 また “タタ”
は 春の空廻を 地に編みて
慈くに足れば “タタ” と言ふ
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胎児の成長過程については ここで一服して、
父と母の呼び名の由来について語られます。
■空音 (うつほね)
これは 「空虚な音」
という意に解しています。口の形や舌を操作しなければ
発音できない音ではなく、無意識な呼吸音のような音、また赤子が発する
ような無為な音 (例えば あー、はー、んー)、あるいは
笑う時に発する音など、
自然音・雑音に近いものをいうように思います。
いわば アワ歌48音の 「母体となる原始的な音」 です。
■タタ
「母」 の異称です。“おたたさま・おたあさま”
などにも変化したようです。
■春の空廻 (はるのそらね)
「春の空(うつほ)をめぐるもの」
が原義で、「春の恵み・陽のエネルギー」 をいいます。
陽陰=天地=父母
であるため、ここでは 「天の恵み・父のエネルギー」
の意ともなります。
★春 (はる)
冬至の日以降をハル(春)というのですが、冬至は別名を 一陽来復
といいます。
これは神無月に尽きた
陽のエネルギーが還って来ることを言い表すものです。
そのため “春” は ここでは 「陽」 を意味します。
★廻 (ね)
ねり歩く” の ネル(練る・邌る)の名詞形で、「回り・めぐり・往き来」
を原義とし、
ネ(音)と同源です。
■地に編む (はにあむ)
ハ(地)は ここでは 「陰・女・母」 を表します。
ですから 「地・陰/女/母に編み込む」 という意ですが、
この場合は 「母が我が身に受け入れる」
ということになります。
母なる大地が
太陽エネルギーの恵みを受けて植物を生み育むのと同じく、
人間の母も 父のエネルギーの恵みを我が身に受けて子を生み育てます。
以前のアヤには次のようなことが述べられています。
・男は父に得て 地を抱け 女は母に得て 天と結ねよ 〈ホ7-7〉
・夫は日なり 嫁は月 月は元より 光無し 日影を受けて 月の影 〈ホ13-2〉
・日は天に 月は地守る 嫁の実は 夫一人に 向ふ土ぞ 〈ホ13-2〉
■慈く (いたく)
イツク(傅く・斎く)の変態で、イツクシム(慈しむ)と同義となります。
「心身を添える・心血を注ぐ・大事に世話する」
などの意です。
ちなみにこれは イダク(抱く)と同じなのですが、“抱く”
と当てると
「腕に抱える」 の意に捉えられてしまうため、“慈く”
としています。
■足る (たる)
ここでは 「充ち足りる・一人前になる・成人する」
などの意です。
イタク(▽慈く)の “タ” + タル(足る)の “タ” が、母の別称 「タタ」 の語源のようです。
【概意】
“ハハ” (母) という音は 原始的な自然音 (母なる音)
である。
また “タタ” は、父の恵みを我が身に編み込んで <子を生み>、
心血を注いで 育て(そたて)足らす(たらす)ゆえに、“タタ”
と言う。
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かかはあきのね いつくしに かかけあかせる こころさし
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“カカ” は秋の音 慈しに 掲げ上かせる 心指し
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■カカ
(母・嚊・嬶・母)
これも 「母」 の異称です。“かかさま・かあさん”
などに転じます。
■秋の音 (あきのね)
アキ(秋)は アク(上ぐ)の名詞形で、「上げ・あがり・熟成・完成」
などが原義です。
ですから “秋の音” は 「育て上げの音・完成の音」
などの意になります。
■掲げ上かせる (かかげあかせる)
カカグ(掲ぐ)+アカス(上かす)
の 「終止形+エル」 の形の連体形です。
両語とも 「上げる・高める・熟成させる・至らす」
などの意で、
ここでは子を 「育て上げる・一人前にする」
などの意となります。
カカグ(掲ぐ)の “カカ” が、母の別称 「カカ」
の語源のようです。
★上かす (あかす)
アク(上ぐ)+カス(▽上す)
の短縮で、「上げる・高める・熟成させる・完成させる」
などが原義。ワカス(沸かす)、イカス(活かす)、フカス(吹かす)
などの変態です。
“慈しに掲げ上かす” は、前文の “慈くに足る” を言い換えた表現です。
■心指し (こころざし)
現在の ココロザシ(志)
とは若干ですが意味が異なります。
ココロ(心)は
「回帰する所」 が原義で、「源・中心・本質・性根」
などを表し、
サシ(指し)は 「指す方向・向かう方向」 を意味します。
ですから 「心の向かう方向・本質的な性向・本能」
などの意となります。
【概意】
“カカ” は
上げの音。子に心血を注いで育て上げる本能を言い表す。
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ちちはちてとの をしてなり
ちちははあめお はにあみて
つらなるみやひ ててたたよ ちきりしたしむ ととかかそ
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父は チ・テ・ト の ヲシテなり
父母 天を 地に編みて
連なるミヤビ テテ・タタよ 契り親しむ トト・カカぞ
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■チ・テ・ト
これは 「父」 のことを チチ、テテ、トト
と呼ぶことを言います。
■天を地に編む (あめおはにあむ)
“春の空廻を地に編む” の換言です。
つまり 「天(陽・父)の恵みを地(陰・母)に編み込む」ということです。
これも 陽陰和る道
の一つの形です。
■ミヤビ
【概意】
父は チ・テ・ト のヲシテである。
父と母は 天の恵みを地に編んで、情け連なる
テテ・タタよ。
結び親しむトト・カカぞ。
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こつきみめこゑ そなわりて とつきくらいし
そふつきは つきみちうまる みたねこれなり
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九月 見目・声 備わりて 十月 座居し
十二月は 月充ち生まる 御胤これなり
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■座居す (くらいす)
クライ(座居・位)+ス(する) で、
「位置に付く・スタンバイする・待機する」
などの意です。
★位・座居 (くらひ・くらい・くらゐ)
クラブ(比ぶ・較ぶ・競ぶ)の名詞形で、「合わせ・比較・相当・相応」
などを原義とし、
「相応の位置/地位・見合った位置/地位」
を意味します。
クラブは ククル(括る)の母動詞クル+アフ(合ふ)
の短縮で、共に 「合わす」 が原義です。
■月充つ・月満つ (つきみつ)
「12の月から成る1年が充ちる」
が原義で、「妊娠期間が満ちる」 ことをいいます。
ここでは12ヶ月とされていますが、これは男児の場合です。
ホツマは 男児の場合は1年、女児の場合は10ヶ月を標準としています。
(ただし時代が下ると 男児/女児の違いには言及されなくなります。)
■御胤 (みたね)
ここでは 「御胤文」
の略です。
【概意】
9月に外見と声が備わり、10月には所定の位置に付いて待機し、
12月は月が充ちて生まれる。以上が御胤の教えなり。
14アヤでは次のように記されています。
七月 臓・腎 八月
腑 九月は見目 シム十四経 声の四十八道 アワの神
総九十六経緯 備わりて 十二に胞衣脱ぎ 生まるなり
〈ホ14-4〉
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おりしもに ひめのなけきは こおをもふ かせのともしひ
たまこつむ やすきひもなく みつおこひ あるはすおこひ
むなさわき つらにのほせは ゑたひゑて ひめもすなやみ
みけたへす むねのいたみや めのくらみ
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折しもに ヒメの嘆きは 子を思ふ 風の灯し火
「保籠積む 安き日もなく 水を乞ひ 或は酢を乞ひ
胸騒ぎ 面に上せば 枝冷えて ひめもすなやみ
食たべず 胸の痛みや 目の暗み」
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■折しも (おりしも)
オリ(折)は オル(▽復る)の名詞形で、「巡り・機会」
などを意味します。
シモは シム(染む・締む)の名詞形で、「合い・当り・合致」
などの意です。
よって
「巡り合うさま・機会に当るさま・タイミングが合うさま」
をいいます。
■風の灯し火 (かぜのともしび)
「風に揺れ動く灯し火」
の意で、トモシビを「心の炎・気力」に喩えます。
つまり
「揺れ動いて、今にも消えてしまいそうな心の炎・気力」
です。
■保籠 (たまこ)
「保護する囲み」 の意です。
ここでは胎児を包む 「胞衣」、あるいは
「妊婦の腹」 をいいます。
■積む (つむ)
ここではツモル(積もる)の意で、「大きくなる・嵩張る・重くなる」
ことをいいます。
■安き日 (やすきひ)
「楽な日・平穏で安楽な日」 です。
■酢 (す)
スユ(饐ゆ)の名詞形
スイ(垂・衰・酸)の略です。
■胸騒ぎ
(むなさわぎ)
「心臓がドキドキすること・動悸」 をいいます。
■面に上す (つらにのぼす)
ツラは 「表・前・上」 を意味しますが、ここでは
「上部・頭部」 の意です。
ノボスは 「上る/上げる」 の意で、この連体形がノボセル(逆上せる)
です。
ですから 「血が頭にのぼる・顔がほてる」
ということです。
■枝 (ゑだ)
ヱダは 「分れ出るもの・派生するもの」 を原意とし、
ここでは人体の枝である 「手足」 をいいます。
■ひめもす
(終日)
ヒメは ヒム(▽秀む)の名詞形で、「上がり・高まり・昇り」
の意です。
モスは モス(▽没す)の名詞形で、「下がり・低まり・沈み」
の意です。
ゆえに
「日出から日没まで・朝から晩まで・一日中・始終」
を表します。
■なやむ
(▽萎病む・悩む)
辞書は “悩む” と宛てますが、ナユ(萎ゆ)+ヤム(病む)
の同義語短縮で、
「萎えて衰える・衰弱する」 が原意です。
【概意】
ちょうどその時のヒメの嘆きは、子を思って揺れ動く心の炎であった。
「腹はどんどん嵩張るし、楽な日もなく、水を欲したり酢を欲したり、
胸はドキドキするし、頭に血が上るかと思えば、手足は冷え、
朝から晩まで具合が悪く、食事も取れず、胸は痛むし、目も暗む。」
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たまによきひは まめひらふ
このいたわりも つつしみて よきとしのへと いまわかみ
いきすひととき よそしほと たらぬやまふの かなしさや
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「たまに良き日は 豆拾ふ
この労りも つつしみて 良きと忍べど 今 我が身
イキス一時 四十枝ほど 足らぬ 病ふの 悲しさや」
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■豆拾ふ (まめひらふ)
妊婦のための軽い運動として 「豆拾い」
が推奨されていたようです。
その理由については
このアヤの終盤で述べられますが、誕生する子が
「マメ(忠)に生まれつく」 からだそうです。
■労り (いたわり)
イタミ(痛み)の同義語で、ここでは
「苦労・苦しみ・痛み・つらさ」 などの意です。
他人の痛みに共感する場合には、「あわれみ・ねぎらい」
の意になります。
■イキス (息子・息素・息数)
成人男性の1日あたりの呼吸数は 13,680回、成人女性は
13,186回、
また 妊娠中の女性は2倍くらいに呼吸数が増えるとホツマはいいます。
■一時 (ひととき)
このトキ(時)は 「一日を12等分した時間の単位」
で、一時=2時間 です。
■枝・子 (し)
ヱダ(枝)と同義で、「分れ・分子」を表します。イキスの
ス(子・素・州・数)
の変態です。
■病まふ (やまふ)
ヤム(病む)+マフ(▽曲ふ) の短縮で、
両語とも 「逸れる・外れる・曲る・異常である」
などの意です。
【概意】
「たまに具合の良い日は豆を拾う。こうした辛さも “良きもの”
と心して辛抱するも、
今の我が身は呼吸が一時あたり40回ほど足らず、異常ありのかなしさや。」
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こもりはひめの いきすみて ちはらおなてて ゑみすかほ
いきすたらぬは ひめみこよ
これとのきみの とこかたり
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コモリはヒメの イキス診て 幸腹を撫でて 笑みす顔
「イキス足らぬは 姫御子よ」
「これ殿君の 常語り」
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■幸腹 (ちはら)
チ(▽繁・▽幸・千)+ハラ(腹) で、チは チチ(千々)の略。
「繁る腹・栄える腹・おめでたの腹」 などの意です。
■殿君 (とのぎみ)
トノ(殿)は 「夫」 を意味し、キミ(君)は
敬称です。ヒメの夫のアマノコヤネを指します。
★殿 (との) ★前 (まえ)
ツノクヰが皇殿に居る時、門前でイククイと会い初め
妻とします。
これにより夫を “殿”、妻を ”前”
と呼ぶようになりました。
ツノクヰは 皇殿に居て イククイを 門前に会ひ見 妻となす
故 男は “殿” ぞ 女は “前” と 〈ホ2-3〉
■常語り (とこがたり)
「つねづね語っていること・いつも言うこと」 です。
【概意】
コモリはヒメのイキスを診て、おめでたの腹を撫でて、にっこり笑顔。
「イキスが足らないのは姫御子ゆえよ。」
「これは殿君がいつも言うことだけど ・・・ 」
というわけで
これ以降しばらく、コモリが師と仰ぐアマノコヤネの言葉を
コモリが語ります。
本日は以上です。それではまた!