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一から学ぶ みかさふみ講座 第40回 [2023.2.2]
みかさふみ 嘗事の文 (1)
著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com
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なめことのあや (その1)
嘗事の文 https://gejirin.com/mikasa07.html
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なめことのあや
つきすみの しかのみことか
ゑとのかみ とよりののとの ゆえおとふ
かれにとよけの なめことそ
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嘗事の文
ツキスミの シガの尊が
ヱトの神 ‘ト’ よりの宣の 故を問ふ
かれにトヨケの “嘗事” ぞ
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■嘗事 (なめごと)
ナメ(嘗・舐)は ナム(▽和む・並む・舐む)の名詞形で、
「合わせ・治め・まつり」 などが原義ですが、いろんな “嘗”
があります。
コト(事)は コト(如)と同源で、「〜の如くのもの・〜の類」
が原義です。
ここに言う “嘗事” は
「身に合わす事・する事・行う事」 の意で、
つまりは 「行事」 です。このアヤは 「年中行事」
について語ります。
ミカサの9アヤは、このアヤとほぼ同じ内容を
言葉を換えて語るのですが、
それは『年内になす事の文』と題され、まさに
「年中行事の文」 を意味する
タイトルが付けられています。
その他、「国君の行う政治」 を 大嘗事(おおなめごと・うなめごと)
とも呼び、
あるいは 「身体の治め・医療」 も 嘗事
と呼ばれています。したがって、
ナメ/ナメゴトは マツリ/マツリゴトの同義語と考えて問題ありません。
■ツキスミのシガの尊 (つきすみのしがのみこと)
「ツキスミ(=九州)のシガの県の領主」
をいいます。シガ(志賀)の県(あがた)は
カスヤ(粕屋・糟屋)とも呼ばれ、概ね現在の 「福岡市」
に相当すると考えられます。
地方の知行者も基本的に世襲によって引き継がれますので、シガの尊といっても
何代目かわかりませんが、その太祖は帆ワニ船を発明した
“シガ” だろうと思います。
<系図> シマツヒコ─オキツヒコ─シガ─??─??─??─カナサキ
船はいにしえ シマツヒコ 朽木に乗れる 鵜の鳥の アヅミ川行く
イカダ乗り 棹差し覚え 船となす 子のオキツヒコ 鴨を見て 櫂を造れば
孫のシガ 帆ワニ成す 七代カナサキは オカメを造る 〈ホ27-3〉
■ヱトの神 (ゑとのかみ)
八元神ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メ
の、「ヱの神」 と 「トの神」 をいいます。
この2兄弟が ヱト(干支・▽上下・▽兄弟・▽陽陰)
の語源です。
■宣 (のと)
ノツ(▽宣つ)という動詞の名詞形で、「はなす(離す・放す・話す)こと」
を原義とし、
「言葉の放ち・物言い・フレーズ・歌」
などを意味します。”喉” も同源かと思います。
辞書は “祝詞”
と宛字しています。
シガの尊の疑問は、ヱの神は 「兄の神」 で、トの神は
「弟の神」 であるのに、
なぜ “ヱヒタメトホカミ” ではなく、“トホカミヱヒタメ”
と ト(弟)を先に
もってくるのか?ということです。
【概意】
嘗事の文
九州のシガの尊が、ヱトの神を言うフレーズの ‘ト’
から始まる由縁を問う。
しかればトヨケの “嘗事(行事)” ぞ。
この場合、トヨケみずからシガの尊に教えたということではなく、
かつてトヨケが嘗事について語った記録、あるいはトヨケが残した
“嘗事”
という書物の内容を、シガの尊の同時代の人物が語ったという
設定と考えるべきかと思います。
そもそもホツマ・ミカサの、「誰かが誰かに質問する」
形式で始まる
イントロ部分は、編纂者のアレンジである場合が多いと感じています。
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ゑのなめはねに しものなか ひうおまねけは
かつめかみ かちおねにひき ひおむかふ
このういなめは いまののと
こほしまつりて をめくりに くろまめゐひの ちからそふ
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’ヱ’ の嘗は北に 十一月の半 一陽を招けば
かつめ神 舵を北に引き 日を迎ふ
この初嘗は 今の宣
「九星まつりて 陽回りに 黒豆飯の 力添ふ」
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■’ヱ’ の嘗 (ゑのなめ)
’ヱ’ は 「ヱの神」 をいいます。
ナメ(▽和め・嘗)は ここでは 「する事・仕事・治め・纏り」
などの意です。
神の仕事ですから、いちおう ミワザ(御業・神業)
と訳したいと思います。
■十一月の半 (しものなか)
「霜月の半ば」
の意で、これは陰暦における 「冬至の日」
を指します。
陰暦11月は
シモツキ の他に “ネツキ”、“ネシモ”
とも呼ばれます。
‘ネ’ は キツサネ
のそれで、「太陽が寝るさま」
を意味します。そしてこれは
「北」 の方位を表すのですが、シナ由来とされる、方位を十二支で表した図でも、
北は 子(ね)
と書かれています。また 子月
という言葉もあります。
■一陽 (ひう・ひを・ひとを)
ヱの神が 天の紗霧
によって呼び戻す 「1陽のエネルギー」 をいいます。
それゆえ冬至には “一陽来復”
という別名があります。
御祖神 幣
染むる 春秋の 息は管より 紗霧なす
‘ヱ’ に譲る霧 日を招き 冬
一陽還す 〈ミ6-7〉
支配期間 (陰暦) | 神の陰陽属性 | 招くエネルギー | 地上の気象 | |
ヱの神 | 11月半〜12月末 | 3陽1陰 | 1陽 | 3陰1陽 |
ヒの神 | 1月初〜2月半 | 2陽2陰 | 2陽 | 2陰2陽 |
タの神 | 2月半〜3月末 | 1陽3陰 | 3陽 | 1陰3陽 |
メの神 | 4月初〜5月半 | 0陽4陰 | 4陽 | 0陰4陽 |
トの神 | 5月半〜6月末 | 3陰1陽 | 1陰 | 3陽1陰 |
ホの神 | 7月初〜8月半 | 2陰2陽 | 2陰 | 2陽2陰 |
カの神 | 8月半〜9月末 | 1陰3陽 | 3陰 | 1陽3陰 |
ミの神 | 10月初〜11月半 | 0陰4陽 | 4陰 | 0陽4陰 |
■かつめ神 (かつめかみ)
カツメは カツムの名詞形、カツムは カタム(佞む・▽傾む)の変態で、
「曲げる・傾ける・かしげる」 などが原義です。
“かつめ神” とは、太陽に対する 「地球の傾きを司る神」
をいうようです。
■舵 (かぢ)
カヂ(舵)は 上の カツム/カタム の母動詞 カツ(▽傾つ)
の名詞形です。
ですからやはり 「曲り/曲げ・傾き/傾け」
などが原義です。
■日を迎ふ (ひおむかふ)
このあたりの記述は、基本的にミカサ6アヤの記述の言い換えです。
‘ヱ’ に譲る霧 日を招き 冬 一陽還す 〈ミ6-7〉
■初嘗 (ういなめ)
「一年最初の行事」 の意で、新嘗(にいなめ・さなめ)ともいいます。
ここでいう年初は、太陽暦における年初 (すなわち冬至)
をいい、
それは太陰暦では11月のいずれかの日(毎年変動する)に起ります。
ややこしいのは、この時代は太陰暦を採用しているわけですが、
11月の行事を “初嘗” と呼ぶということは、嘗事(年中行事)に
関しては太陽暦の年初を採用しているということです。
このことは、我が国において太陰暦に先行して太陽暦の時代が
あった可能性を感じさせます。
■陽めぐり (をめぐり)
「一陽がめぐってくること」 をいい、“一陽来復”
と同じです。
■黒豆飯 (くろまめゐひ)
ホツマツタエでは “神乗り粥(かみのりかゐ)”
と呼ばれています。
今日では “霜月粥”
の名が残っています。
十一月の末の 弓張に 神乗り粥は 黒豆と 大麦と小豆と
七菜の米 粥に炊ぎて ウケミタマ 五柱祭り 〈ホ38-6〉
宮中では新嘗祭がとり行われるわけですが、市井(民間)でもアメトコタチの
九星に心を寄せ、その神霊が降る黒豆の粥を食すという行事が行われたようです。
陰暦の冬至は毎年変動するわけですが、それでは不便なので、民間では11月の
末の弓張月(後半の半月の日=11月23日)
を冬至の行事日にあてたみたいです。
また “七五三” なども冬至の行事ですが、こちらは11月15日にあてたもようです。
【概意】
ヱの神の嘗(御業)は、北に居て11月の半ばに一陽を招けば、
かつめ神が地球の傾きを北に引き、日(太陽)を迎え入れる。
この初嘗 (初の行事) は、今の歌に 「九星まつりて
陽めぐりに
黒豆飯の 力添ふ」 と歌われる。
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しわすはにみつ きはねさす なおそらさむく
つきすえは かゐみなきそひ ややひらく
またそらさむく うるおえす ややなめつくる
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十二月 地に充つ 木は根差す なお空寒く
月末は 上みなぎ聳び やや開く
まだ空寒く 潤を得ず やや嘗 尽くる
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■十二月 (しわす・しはす)
「陰暦12月の異名」
で、“師走”
と宛字されています。
シハス/シワスは シフ(▽締ふ)+ハス(▽挟す)
の短縮の名詞形で、
「締まって閉じるさま」 が原義です。
シフ(▽締ふ)は シム(締む)の変態で、この名詞形が
“しゅう(終)” でしょう。
ハス(▽挟す)は ハサム(挟む)の母動詞です。
■上 (かゐ)
カミ(上)の変態で、(ミ・ヒ・イ・ヰ
の音は相互によく入れ替わります)
この場合は 「大地の上の部分・地表部」
をいうと考えられます。
カホ/カオ(顔) や カフ/カブ/カウ(頭・首) なども カミ(上)の変態です。
■みなぎ聳ぶ (みなぎそぶ)
ミナグ+ソブ の連結で、ミナグは 現在はミナギル(漲る)、
ソブは現在はソビエル(聳える)と言います。
ですから 一陽のエネルギーが
「みなぎって上に行く・満ちて昇る」 という意です。
これは地表が暖まると、その熱が上に昇って大気にも伝わるということです。
■やや開く (ややひらく)
“やや” は ここでは
「しだいに・だんだん・ますます・いよいよ」
などの意を表します。
ヒラク(開く)は ヒログ(広ぐ・拡ぐ)の変態で、ここでは
「広がる」 という意味です。
■潤を得ず (うるおえず)
ウル(潤)は ウル(熟る)の名詞形で、ウルホヒ(潤ひ)と同じです。
「高まり・栄え・勢い・活力・精・エネルギー」
などを意味し、
この場合は 「陽エネルギーの恵み」、つまり
「あたたかさ」 をいいます。
■やや嘗尽くる (ややなめつくる)
“やや” は ここでは 「いよいよ ・とうとう・ついに」
などの意です。
“嘗尽くる” は 「ヱの神の嘗 (御業) が終る」
ということです。
【概意】
十二月に <一陽のエネルギーは>
地に充ち、木は根を伸ばす。
それでもなお 空 (空気・気温) は寒い。
月末に地表部に <一陽のエネルギーが> みなぎると
熱が上に昇り、
しだいに拡散してゆくが まだ空気は寒く、
陽の恵みを得ないうちに、いよいよヱ神の嘗(御業)は終る。
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としわけのよは まめおいり みなおにやらふ
かおひらき しめひきふさき はゑゆつは むきにとしこへ
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年分けの夜は 豆を煎り 穢・鬼 遣らふ
顔開き 締め引き 塞ぎ ハヱ・譲葉 麦に年越え
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■年分けの夜 (としわけのよ)
太陰暦(=旧暦)での 「おおみそか(▽終三十日・大晦日)と元日を分ける夜」
で、
これは太陽暦(=新暦)では 「2月の節分と立春を分ける夜」
になります。
つまり現在行われている節分の行事は、かつての大晦日の行事です。
■豆を煎る (まめおいる)
「マメ(魔穢)を射る」 のモノザネだと思います。
マ(魔・▽曲)は 「曲り・曲ったもの」 の意で、“鬼”
の同義語、
メ(▽穢)は 次に出てくる “ミナ” の同義語ですが、
基本的には魔も穢も同じで、マメ(魔穢)=ヲヱクマ(汚穢曲)
です。
■穢 (▽みな・▽め・▽み)
ミナは ヒナ(鄙)の変態で、「(下・隅・末に)
離れるさま・それるさま・外れるさま」
などが原義です。これは汚穢(をゑ)
の原義と同じため、“穢” と宛字しています。
また メ・ミ とも呼ばれますが、これもやはり 「陰の下に降る性質」
によります。
つまり メ(穢)は メ(陰)と同源であり、ミ(穢)は
ミ(水)
と同源です。
■鬼 (おに)
鬼モノ(おにもの)の略で、「邪霊・悪霊」 を意味します。
オニは オヌの名詞形で、オヌは オル(折る/下る)の変態です。
ですから 「曲がるさま・よこしま」、あるいは
「劣るさま」 が原義です。
★モノ (物)
モノは 「見えないけれど存在する何か」
をいう代名詞で、「霊」 を意味しますが、
神(かみ)/霊(たま)/神霊(みたま)
に比べて、「低レベルな霊・下級霊」 に対して
用います。
■遣らふ
(やらふ)
ヤル(遣る)+アフ
の短縮で、アフは オフ(追ふ・逐ふ)の変態です。
ですから 「追いやる・追い払う・おっぱらう」
などの意です。
今に言う『これをやろう』とか『この野郎』の “やろう”
の語源と考えます。
■顔開く (かおひらく)
カオ/カホ(顔)は カフ(頭)やカミ(上)の変態で、「上・表」
が原義です。
この場合は 「表口・表門・玄関」 をいうと考えます。
■締め引く (しめひく)
表口を開いて汚穢・鬼を追い遣り、同時に、再入防止の
「締め(シャッター)を設ける」
という意味です。「しめ縄を張りわたす」
ことを以て そのモノザネとします。
■ハヱ・ハヱ葉 (▽栄え葉) ■譲葉 (ゆづは・ゆづりは)
ハヱ葉はウラジロの古名です。穂長とも呼ばれるように、「伸長繁栄」
のモノザネです。
譲葉は、新葉が出てから古い葉が落ちるため、“子を生み育てまた譲る”〈ホ13-2〉の
モノザネです。どちらも正月の飾りに用います。 [正月飾りの画像:ウラジロ
/ 譲葉]
ヒコホオデミが九州で開墾事業を行っていた頃、稲の植付け後の5月15日に、
ハヱ葉・譲葉をにウケ神に供え、“ほつま遊び”
(後に言う 田遊
) を行って、
収穫の歌を謳う、という祭をウサの県で始めたところ、豊の国に広がり、
さらには九州全土で流行るようになりました。新春に門松・ハヱ葉・譲葉を
飾るのは
このことが元となっていると、ホツマは伝えます。 〈ホ25-4〉
■麦に年越え (むぎにとしごえ)
これはたぶん 「年越し蕎麦」
のことですよね。
現在のように細い麺状に加工したものだったかはわかりません。
また なぜ “年越しには麦なのか”
についての説明もありませんが、
ムク(向く・▽迎く・▽報く)のモノザネではないかと思います。
【概意】
年分けの夜は 豆を煎って、汚穢や鬼を追い遣る。
表口は開け、しめ縄を引いて塞ぐ。
ウラジロや譲葉を飾り、麦に年越え。
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はにみつの ゑにはしらたつ かみかたち
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埴・水の 上に柱立つ 神形
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ヱの神の形
(すなわちヱのヲシテの形) を口述したものです。
ハニ(埴)を 「地平・地平線」 に見立て、それを ‘―’
で表し、
ミヅ(水)を 「蛇行する川」 に見立て、それを ‘己’
で表します。
そしてその上に柱 ‘h’ が立ちます。
埴と水は 「陰の支配」 を表し、柱は 「天の紗霧を地に届ける柱」
を
表すのでしょう。それにより 一陽が “地に充つ (ハニミツ)”。
【概意】
埴と水の上に柱が立つ神形。
本日は以上です。それではまた!