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一から学ぶ みかさふみ講座 第7回 [2022.3.4]
みかさふみ 起尽四方の文 (4)
著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com
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にわかに世界は騒がしくなり、火薬の匂いが漂ってきましたね。
こんなとき ヤマト(和)の国はどうあるべきなのでしょうかね。
外国人が日本人に対して持っている印象が、YoutubeやSNSで
頻繁に語られているのですが、その好印象たるや、ダントツの
ナンバーワンです。“日本は世界に残された最後の希望”
とまで
書いている人もいました。日本や日本人が嫌いな外国人はほとんど
いないようです。(国策としてわざと反日してる国はあります。)
日本人が世界から信頼される源は
その人間性にあり、それは
遠い昔のアマテル神の教えが日本人の心に染み通って生まれたもの
ではないのか?と考える今日このごろです。
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きつよちのあや (その4)
起尽四方の文 https://gejirin.com/mikasa01.html
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まさにきくへし ふたかみの あのあわうたに くにおうみ
わのあわうたに ねこえなる
のちにひひめお うむときに ひるなれはなも ひるこひめ
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正に聞くべし 二尊の 天のアワ歌に 国を生み
地のアワ歌に 音声和る
後に一姫を 生む時に 昼なれば名も “ヒルコ姫”
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■二尊 (ふたかみ)
「イサナキとイサナミの夫婦一対の国君」 を指します。
■天のアワ歌 (あのあわうた・あめのあわうた)
二尊が国家を再統一して万物を再生しようと、オキツボの都の皇宮
ヤヒロ殿の中央に立つ中柱を回り、二人が会う時に謳った歌をいいます。
・二柱 うきはしに得る オノコロの
ヤヒロの殿に 立つ柱 回り生まんと … …
〈ホ3ー1〉
・更に返りて 二尊は 新たに回り
男は左 女は右回り 会ひ歌ふ 天のアワ歌 〈ホ3ー2〉
イサナキ:『あなにゑや うまし女に 会いぬ(我結ぬ)』
イサナミ:『わなにやし うまし男に 会ひき(我引き)』 〈ホ3ー2〉
二尊が皇宮の “中柱を回って会う”
というのは、左右に離れた男女が
渦に巻き込まれ、渦の中心で一つに融合するという動きを表します。
イメージ動画:https://pixta.jp/footage/70751293
これは渾沌から陽陰が分離するという 天地創造の過程を逆に遡るもので、
分離した陽陰が再融合して陽陰合一の存在 (=アウワ・アメノミヲヤ)
となり、
その後ふたたび渾沌から陽陰に分離して万物を創造することを象徴します。
つまり二尊はアメノミヲヤの万物創造を二人で再現しようとしたわけです。
アワ歌(▽陽陰歌/▽和歌)の “アワ”
は、ア(陽・天・上) と ワ(陰・地・下)
であり、同時に アフ(合ふ・会ふ) の名詞形でもあります。
ですから 「陽陰和合の歌」、また
「偏りを中和して調える歌」を意味します。
“天のアワ歌” は 「天(=御上・君)の陽陰和合の歌」
の意と考えていますが、
他にも何か深い意味があるような気がしてます。
■国を生む (くにおうむ)
中央政府の統治システムを失って無法地帯となった
かつての国々を再生して、再び国家として統一したことをいいます。
中央政府の皇統がオモタル/カシコネで断絶した後、長き混乱の時代の
中で、社会のシステムはダウンし、人々の生活も
その心も獣と化し、
すべてが無の状態に帰します。時に皇統を受け継いだ二尊は
再び無から万物を生み出さねばなりませんでした。
■地のアワ歌 (わのあわうた)
二尊が民の言葉の曇りを直すために考案した、
アから始まってワで終わる、日本語の48音を綴った歌をいいます。
これをイサナキが弾く五弦琴のしらべに乗せて民に歌わせました。
あかはなま いきひにみうく ふぬむえけ へねめおこほの
もとろそよ をてれせゑつる すゆんちり しゐたらさやわ
後世の “いろは歌”、あるいは今日の “五十音”
みたいなものです。
その一音一音は神の名でもあるため、“アワの神”
とも呼ばれます。
アワ歌(▽陽陰歌/▽和歌)の “アワ”
は、ア(陽・天・上) と ワ(陰・地・下)
であり、同時に アフ(合ふ・会ふ) の名詞形でもあります。
ですから 「陽陰和合の歌」、また
「偏りを中和して調える歌」を意味します。
“地のアワ歌” は 「地(=国)の 偏り・曲りを和し調える歌」 の意と考えます。
・言葉を直す アワ歌を 常に教えて
… …
カダカキ打ちて 率き歌ふ 自づと声も 明らかに 〈ホ1-2〉
・二尊の オキツボに居て 国生めど 民の言葉の 悉曇り
これ直さんと 考えて 五音七字道の アワ歌を 〈ホ5-1〉
・歌に音声の 道開け 民の言葉の 調えば 〈ホ5-1〉
平安時代には “天地の歌” というのも流行ったようです。
【天地の歌】あめつちのうた (広辞苑)
平安初期の手習歌詞の一。「たゐにの歌」「いろは歌」に先行。
「あめ(天)つち(地)ほし(星)そら(空)やま(山)かは(川)みね(峰)たに(谷)くも(雲)
きり(霧)むろ(室)こけ(苔)ひと(人)いぬ(犬)うへ(上)すゑ(末)ゆわ(硫黄)さる(猿)
おふせよ(生ふせよ)えのを(榎の枝を)なれゐて(馴れ居て)」
のように、
かな四十八字を重複しないように綴ったもの。源順集にある
「あめつちの歌四十八首」
は、歌の首尾にこの仮名一字ずつを詠み込んである。
平安初期の音節数を示し、ア行のエとヤ行のエとの区別を残している。
■音声和る (ねこえなる)
ネコエは ネ(根)+コエ(▽隅)
で、「元と末・親と子・主と従・中と外」
などが原義です。この場合は言葉の 「母音と子音」
をいいます。
ナル(▽和る・▽平る・慣る・馴る)は、「和して調う・平らになる・直る」
などの意です。ですから 「言葉の発音が調って直る」
という意味です。
ここで少し雑談です。
二尊は民の言葉を調えるために日本各地に赴き、イサナキが弾く
五弦琴のしらべに合せて、民に “地のアワウタ”
を歌わせましたが、
五弦琴はどんな音を出していたのでしょうか?
五筋琴は 五方に響く 音を分けて
地のアワ歌を 教ゆれば 言の根通る 濯ぎ打ち 〈ホ9-4〉
以下、筆者の妄想です。
5本の弦の出す音が、それぞれ
ア・イ・ウ・エ・オ の 5つの母音に
対応していた。後世の弦楽器はフレットを左指で押さえて、様々な
音階を奏でるが、イサナキの時代は開放弦の出す5音階のみだった。
だから ア列の ア・カ・サ・タ・ナ・ハ・マ・ヤ・ラ・ワ
に対応する音階は
全部に共通の一つの音階。イ列、ウ列、エ列、オ列も
同様である。
この5つの音階は今も残っていて、“律音階”
と呼ばれている。
【律音階】りつおんかい (広辞苑)
日本の陽音階の一つ。五音音階で、洋楽のレミソラシに当たる。
雅楽・声明(しょうみょう)など中世以前成立の音楽で多用。
「君が代」 はその例。
筆者の妄想通りなら、地のアワ歌はこうなります。(笑)
あかはなま いきひにみうく ふぬむえけ へねめおこほの
♪ レレレレレ ミミミミミソソ ソソソララ ラララシシシシ
もとろそよ をてれせゑつる すゆんちり しゐたらさやわ
シシシシシ シララララソソ ソソソミミ ミミレレレレレ
♪
■ヒルコ姫 (ひるこひめ)
二尊の第1子の姫で、ヒルコは斎名(実名・本名)です。
二尊の新婚当時の宮である、筑波のイサ宮で生れています。
記紀では “蛭子”
と記されますが、昼に生れたゆえの名ですから、
もし漢字を宛てるとすれば “昼子” が正解でしょう。
ワカ姫、ワカヒルメ、シタテル姫、タカテル姫、歳徳神、
年の恵みの大御守、御歳神、ニフの守
などの別名があります。
アワナギ─イザナギ┐ ├1.ワカ姫 (斎名ヒルコ) ├2.アマテル (斎名ワカヒト) ├3.ツキヨミ (斎名モチキネ) ├4.ソサノヲ (斎名ハナキネ) トヨケ──イザナミ┘
【概意】
正に聞くべし。
二尊は天のアワ歌に国を生み、地のアワ歌に言葉が調う。
後に一姫を生む時に、昼なれば名も “ヒルコ姫” と。
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としおこゆれは たらちねの よそふみそみの をゑくまも
めはたをはらに あたらしと すつおかなさき おもえらく
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年を越ゆれば タラチネの 四十二・三十三の 汚穢隈も
女は ‘タ’ 男は ‘ラ’
に 当たらじと 捨つをカナサキ 思えらく
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■四十二・三十三の汚穢隈 (よそふ・みそみのをゑくま)
ヲヱクマ(汚穢隈)は ヲヱ(汚穢)+クマ(曲・隈・阿)
の同義語連結で、
どちらも 「曲り・それ・はずれ・異常」 などが原義です。
“四十二・三十三の汚穢隈” が、今に言う 「厄年」
を意味するのは、
疑いを入れないところでしょう。
やくどし【厄年】 (広辞苑)
人の一生のうち、厄にあうおそれが多いから忌み慎まねばならないとする年。
数え年で男は25・42・61歳、女は19・33・37歳などという。
特に男の42歳と女の33歳を大厄(たいやく)といい、
その前後の年も前厄(まえやく)・後厄(あとやく)といって恐れ慎む風があった。
厄回り。年忌(としいみ)。
ホツマは これを “陽陰の節” (あめのふし/あわのふし)
と呼んでいます。
しかし何ゆえ 男の42歳と女の33歳が陽陰の節なのかについては、
ホツマにもミカサにもフトマニにも説明はありません。
しかれど父は 鈴四十穂 母は三十一穂 陽陰の節
やどれば当たる 父の汚穢 男の子は母の 隈となる
三年慈くに 足らざれど イワクス船に 乗せ捨つる 〈ホ3-1〉
■女は ‘タ’ 男は ‘ラ’ に当たらじと (めはたをはらにあたらじと)
‘タ’ と ‘ラ’ は、タラチネの
タとラで、「陽と陰・男と女・父と母」 を意味します。
“当らじ” の ‘じ’ は、否定の ‘ず’ の推量/意志形で、
この場合は 「当たるまい/当たらせまい」
という意になります。
ですから
「女子は父の厄に、男子は母の厄に当たらぬようにと」
という意味です。
■カナサキ
捨てられたヒルコを拾って育てた人物で、二尊の重鎮の臣です。
イサナキの命により ツキスミ(九州)
の統治の元締となっており、
そのため別名が スミヨシ (ツキスミを寄せる者・九州を束ねる者の意)
です。
古事記では 宇都志日金折命(うつしひかなさく)
と記されています。
その先祖は船を発明したシマツヒコで、代々船に関わってきた一族です。
シマツヒコ─オキツヒコ─シガ─?─?─?─カナサキ
■思えらく (おもえらく)
これは “思ふ” の連体形 “思える” のク語法と呼ばれるものです。
ク語法とは動詞や助動詞の末尾に “く”
を付けて名詞化する方法で、
“思えらく” は 「思える如く・思えること」
という意味になります。
【概意】
年を越えれば父母の四十二歳と三十三歳の厄も、
女子は父の厄に、男子は母の厄に当たらぬようにと、
<姫を> 捨てるを、カナサキが思うには、
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このはやかれの いたみおも ちおゑしなすか わすれくさ
ひらうひろたの みやつくり そたてあくまて かなさきの
つねのをしゑは みことのり
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子の早枯れの 痛みをも 乳を得し成すが 忘れ種
拾う “ヒロタの 宮” 造り 育て上ぐまで カナサキの
常の教えは 御言宣
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■子の早枯れの痛み (このはやがれのいたみ)
「子を早死させた心の傷」 の意ですが、
これはカナサキ夫婦のことを言ってます。
■乳を得し成す (ちおゑしなす)
カナサキの妻が 「乳を得させて育てる」 という意です。
ワカ姫の尊 捨てられて
「拾た」
と育つ カナサキの 妻の乳を得て アワウワや 〈ホ1-1〉
■忘れ種 (わすれぐさ)
子の早死の悲しみを 「忘れるための種(たね)・癒やす手立て」
です。
わすれ‐ぐさ【忘れ種】 (広辞苑)
心配を忘れるたね。忘れ草。
■拾う “ヒロタの宮” (ひらうひろたのみや)
ヒロタの宮の “ヒロタ” は、「拾った」
の意であることを説明しています。
カナサキ夫婦は、捨てられたヒルコ姫を拾って育てますが、その場所が
“廣田の宮” です。西宮(にしのみや)、西殿(にしとの)とも呼ばれます。
現在の神戸界隈には 廣田神社、西宮神社、本住吉神社があり、
本住吉神社の奥之宮は 「住吉大神」
を祀りますが、これがカナサキです。
廣田神社 (ひろたじんじゃ)
兵庫県西宮市大社町7-7。
現在の祭神:天照大御神荒魂 (撞賢木厳之御魂天疎向津媛命)
第一脇殿 住吉大神
西宮神社 (にしのみやじんじゃ)
兵庫県西宮市社家町1-17。
現在の祭神:西宮大神 (蛭子神)
・社伝では、蛭児(ひるこ)命は現在の神戸沖に漂着し、
「夷三郎殿」
と称されて海を司る神として祀られたという。
本住吉神社 (もとすみよしじんじゃ)
神戸市東灘区住吉宮町7-1-2。
現在の祭神:底筒男命、中筒男命、表筒男命、神功皇后
奥之宮:住吉大神
■御言宣 (みことのり)
言宣(ことのり)の尊敬語で、辞書は “詔・勅”
と宛てますが、
本講座では より原義に近い、“御言宣”
を採用しています。
「皇またはそれに準ずる人の仰せ」 をいいますが、
この場合は誰の御言宣なのか不明です。
【概意】
子の早死の痛みをも、乳を与えて育てることが忘れ種になると、
<ヒルコ姫を> 拾って “ヒロタの宮”
を造り、育て上げるまで、
カナサキの常の教えは御言宣。
そして次からは その御言宣の内容ということになります。
本日は以上です。それではまた!