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一から学ぶ みかさふみ講座 第8回 [2022.3.10]
みかさふみ 起尽四方の文 (5)
著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com
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海外の若者は日本の漫画やアニメを見て育っています。もちろん、
今の子供達もそうです。我々と同じものを見ているのです。それが
どれほどの影響力を持つかわかるでしょう。世界中の若者がアニメを
通じて日本の文化を理解し、それに憧れ、信奉し始めているのです。
それにより外国人が徐々に日本人化しています。日本のアニメを見て
育った世代が多くの国々のリーダーとなった時、日本のアニメが世界を
征服し、世界を一つにした、と言われるようになるかもしれません。
もしも政治や経済や軍事などの “力”
ではなく、漫画やアニメによって
それをなし得たとすれば、なんと大和の道に叶ったやり方でしょうか。
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きつよちのあや (その5)
起尽四方の文 https://gejirin.com/mikasa01.html
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きつのはしめの あわうわや てふちしほのめ
うまれひは かしみけそなえ たちまひや
みふゆかみあけ
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起尽の始めの アワウワや 長ぢ 初の目
生れ日は 炊食供え 立舞や
三冬 髪上げ
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■起尽の始め (きつのはじめ)
キツ(起尽)は
「始まりと終わり・スタートとゴール・生と死」
などの意で、
この場合は 「生れて死ぬまでの1サイクル・一生涯・一人生」
を表します。
”起尽の始め” は 「生れて死ぬまでのサイクルの始まり」
という意味です。
■アワウワ (▽泡泥)
アワウヒ(泡泥)の変態で、アメミヲヤが陽と陰に分離する以前の
混沌状態を、「泡と泥の混じり合う状態」
に喩えたものです。
軽い泡は陽の元となり、重い泥は陰の元になります。
“アホウヒ” とも呼ばれ、また “アウ”
と簡略する場合もあります。
これは物事が始まる前の無秩序な状態を表します。
今も使われる “あやふや” “うやむや”
なども、アワウワの
バリエーションと考えています。
・天地人も 分かざるに 初の一息 動く時 東上りて 西下り
虚空に回り アワウヒ(泡泥)の 回れる中の 実柱に 裂けて陰陽生る 〈ホ14-2〉
・天地の アホウヒ(泡泥)いまだ アメミヲヤ 'ア手'
を結びて 吹く虚空 〈ホ18-1〉
・天・地・泥の 際無きに 兆し分かるる アウ(泡泥)の陰陽
陽は天となり 日輪成る 陰は地となり 月となる 〈ホ2-1〉
そしてここでは、まだ物心のつかない赤ん坊を、宇宙が始まる前の混沌に
なぞらえています。また同時に、赤ん坊が発する
「あぶあぶ」 という声を
表しているのでしょう。
■長ぢ (てふち)
テフ+フツ(▽悉つ・▽沸つ) の短縮 “テフツ”
の連用形で、テフは
トフ(跳ぶ)の変態です。いずれも
「上る・進む・熟す・至る」 などが
原義です。今風には “ちょうぢ” と発音し、これはチョウズル(長ずる)の
連用形のチョウジ(長じ) と同じです。
長(ちょう)は音読みではないのか?と思う方が多いと思いますが、
どうもそうではないようです。例えば同じく “てふ”
と書いて
“ちょう” と読む漢字に 「蝶」
があります。これも音読みということに
なってますが、それでは訓読みは?というと ・・・
無いのです。
では漢字が入って来る前は、蝶を何と呼んでたのかという話になります。
むしろ大和言葉の “てふ/ちょう” に “跳・長・頂・鳥・超・蝶”
などの
漢字を宛てたと考える方が合理的だと思います。
■初の目 (しほのめ)
辞書には “潮の目”
とあって、愛嬌のある目つき、子供の笑顔 などと
説明していますが、これは “初の目”
で、「赤ん坊の目が初めて開くこと」 を
いうと考えます。しかし 初(しょ) も
やはり音読みとされています。
他にもこうした例を筆者は無数に発見しています。多くの音読みは、
大和言葉の発音のバリエーションと見ることが十分可能です。
ホツマツタエの4アヤに、アマテルの目が開いた時の描写があります。
御乳つ姫 乳
奉り 養すれど 瞳を閉ぢて 月日無や
やや初秋の 望の日に 開く瞳の 初の目は
民の 長ぢの喜びに 疲れも消ゆる 御恵みや 〈ホ4-4〉
★あわうわや てふちしほのめ
このフレーズは、その意味はわからなくなってしまったようですが、
後世まで残りました。
・てうち潮の目あわわ、傾頭(かぶり)潮の目あわわ 〈狂言歌謡〉
・ちょうち ちょうち あばば じんのめ じんのめ じんのめよ
てんぐり てんぐり ばぁー 〈遊ばせ歌〉
また辞書にも “ちょうちちょうち‐あわわ”
という言葉があり、
幼児をあやすときのしぐさの一。ちょうちちょうちに続けて、
その手を口に当てながら「あわわ」と言う、と説明されています。
■炊食 (かしみけ)
「炊いたごはん」 をいいます。
これを カシミケ(畏御供:神をかしこむお供え)
のモノザネとします。
★モノザネ (物実)
形の無い思いや心をより現実的で確固たるものにするために、
語呂合せや類似の性質を以て、置き換える物品や行為をいいます。
平たく言えば 「心を形で表したもの」 です。
■立舞/▽奉舞 (たちまひ)
「たてまつる舞」、つまり 「神へ奉納する舞」
をいいます。
これは今日でも、生まれ日に限らず、盛んに行われています。
動画:六波羅蜜寺で坂東玉三郎さん奉納舞
■三冬 (みふゆ)
「3歳の冬」 です。数え年での3歳だと思います。
冬は陰暦では 10月・11月・12月です。
■髪上げ (かみあげ)
それまでは髪を短く刈っていた子が、3歳になって髪を伸ばし始める祝いです。
ホツマツタエは “髪置き”
と呼んでいます。多く陰暦11月15日に行いました。
この日は
陰暦では毎年変動する、冬至の日を代表させた日なのだと思います。
そしてこれが 後に言う 七五三(しちごさん)
の “三” の祝となります。
【概意】
一生の始まりの “あわうわ” や。〈出生の祝〉
成長して “初の目”。 〈開眼の祝〉
生れ日には 神に炊食を供えて舞を奉納し、〈誕生日の祝〉
三歳の冬には髪を上げる。 〈七五三の三の祝〉
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はつひもち あわのうやまひ ももにひな
あやめにちまき たなはたや ここくりいわひ
ゐとしふゆ をははかまきる めはかつき
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初日・十五日 陽陰の敬ひ 桃に雛
あやめに茅巻 棚機や 菊・栗祝ひ
五歳冬 男は袴着る 女は被衣
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■初日・十五日 (はつひ・もち)
毎月の1日と15日を それぞれ “ハツヒ” “モチ”
と呼びますが、
ここでは特に 陰暦の
「1月1日」 と 「1月15日」 をいいます。
15日をモチと言うのは、この夜の月がモチヅキ(望月)となるからで、
望月とは満月のことです。
だから望月の日には月でウサギがモチツキ(餅つき)するのかな?
■陽陰の敬ひ (あわのうやまひ)
アワ(陽陰)は
ここでは ヒツキ(日月) を表し、
ウヤマヒ(敬ひ)は イヤマヒ(礼ひ)、イワヒ(祝ひ)
と同義です。
ですから 「日と月の礼・日と月の祝」 という意です。
つまり、初日の出である1月1日には 日(=太陽)を祝い、
初望月である1月15日には 月(=太陰)を祝うということです。
■桃に雛 (ももにひな)
3月3日の「ひなまつり」をいいます。
これはもとは 「雛 (若き男女) の和合を祝う礼」 でした。
ウビチニは木の実の姿で生れて来ますが、その木の実を
庭に植えた3年後の3月3日に、百(もも)の実がなったため
モモと名付けられました。
★雛纏り/雛祭 (ひなまつり)
元来は、男女別性に分れた最初の人間である、
モモヒナキとモモヒナミの纏り (和合・結婚)
を意味しました。
モモヒナキ・モモヒナミは、ウビチニとスヒヂの幼名です。
後には、陽陰(男女)に分離した人間が、その分離のおかげで
異性との和合が可能となり、またその和合により子が得られる
喜びを祝うものとなります。つまり 「陽陰和る道の祝」
です。
男女の分離以降は、ヒナ(雛) は
結婚して (陰陽和合して)、
はじめて ヒト(人・仁)
となる、と考えられていたようです。
■あやめに茅巻 (あやめにちまき)
あやめが咲く陰暦5月5日頃、チマキを食べる祝いです。
“あやめの節句” とも、後には “端午の節句”
ともいいます。
アヤメは アヤ(文・紋・綾)+メ(目) で、
これは花びらの網目模様をいうものと思われます。
チマキは “茅巻き”
の意で、「茅で巻いたもの」 をいいます。
茅(ち)は 草全般をいいますが、これは 「繁・茂・幸」
が原義です。
ですから茅巻きは、繁栄を巻き込むモノザネなのです。
また茅には多く笹を使いますが、ササもやはり 「栄」
が原義です。
今は5月5日は子供の日になってますが、もとは
“女男の祝(めをのほぎ)”
と呼ばれ、やはり男女の和合を祝う日でありました。まあ男女が和合すれば
子が生まれるので、子供の日でもいいのかもしれませんが。
■棚機・七夕 (たなばた)
タナバタは 「たなびく機・連なり続く織物」
という意です。
夜空に広がる星の帯を、連なり続く織物に見立てて “棚機”
です。
今はこれを 「天の川」
と呼んでます。
ゆえにタナバタ祭は “星祭”
とも呼ばれ、陰暦7月7日に、空の星となった
四十八の神を祝うものです。この日は木綿や麻の糸を紡いで機を織り、
また神々を称える歌を梶の葉に書いて捧げます (笹飾りの短冊の起源)。
彦星と織姫の物語は出てきませんが、機織りというのは経糸と緯糸を
交差することであり、経糸と緯糸はそれぞれ男と女に喩えられます。
そんなところから男女愛の物語に発展したのかもしれません。
■菊・栗祝ひ (ここ・くりいわひ)
陰暦9月9日の 「菊の祝ひ」 と、9月13日の 「栗の祝ひ」
をいいます。
古代日本では 九(こ・ここ)という数は 「究・極」
を表す聖数です。
そして菊(きく)は “ココ”
とも呼ばれ、究極の草花とされます。
それゆえ 九月九日という日に語呂合せして、ココ(菊)の花を愛でます。
後世には 菊の節句、重陽、菊の宴
などと呼ばれます。
“栗祝ひ“ は、陰暦9月13夜の月見の祝で、栗を供えて名月を祝います。
のちには “栗名月”
と呼ばれるようになります。
■五歳冬 (ゐとしふゆ)
5歳になる11月。おそらくこれも冬至の日です。
■男は袴着る (をははかまきる) ■女は被衣 (めはかづき)
男児は 袴着(はかまぎ)
を行います。これは着袴(ちゃっこ)ともいい、
文字通り初めて袴を男児に着せる儀式です。
女児は 被衣初め(かづきぞめ)
を行います。被衣とは頭を覆うようにして
纏う衣をいいますが、初めてこれを女児に着せる儀式です。
そしてこれが 後に言う 七五三(しちごさん) の “五”
の祝となります。
(“七” の祝については
ホツマ・ミカサは言及していません。)
【概意】
1月1日と15日は 日月の祝。
3月3日は 桃に雛。
5月5日は あやめに茅巻。
7月7日は 棚機や。
9月9日は菊祝。13日は栗祝。
5歳の冬、男児は袴を着る。女児は被衣なり。
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ことはおなおす あわうたお つねにをしゑて
あかはなま いきひにみうく ふぬむえけ へねめおこほの
もとろそよ をてれせゑつる すゆんちり しゐたらさやわ―――――――――――――――――――――――――――――
言葉を直す アワ歌を 常に教えて
あかはなま いきひにみうく ふぬむえけ へねめおこほの
もとろそよ をてれせゑつる すゆんちり しゐたらさやわ
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■アワ歌 (▽陽陰歌/▽和歌)
「地のアワ歌」
をいいます。
【概意】
言葉を直すアワ歌を常に教えて、
”あかはなま いきひにみうく ふぬむえけ へねめおこほの
もとろそよ をてれせゑつる すゆんちり しゐたらさやわ”
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あわのうた かたかきうちて ひきうたふ
おのつとこゑも あきらかに ゐくらむわたを ねこゑわけ
ふそよにかよひ よそやこゑ これみのうちの めくりより
やまひあらねは なからえり すみゑのをきな これおしる
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和の歌 カダカキ打ちて 率き歌ふ
自ずと声も あきらかに 五臟六腑・緒 根隅分け
二十四に通ひ 四十八声 これ身の内の 巡り選り
病あらねば 永らえり スミヱの翁 これを知る
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■和の歌 (あわのうた)
上記の “地のアワ歌” と同じ歌ですが、
ここでは 「和して調える歌・直す歌」 の意のため、
あえて “和の歌” と宛字しています。
アワは アフ(合ふ)の名詞形で、「和合・調和」
などが原義です。
アフは アム(編む)の変態で、アムの名詞形がアメです。このことから、
互いに結び付く(和合する)性質を持つ正反対の二つ (陽と陰)
についても
アワ(陽陰)、あるいは アメ(陽陰)
と名付けられたと推察しています。
■カダカキ (葛掻き)
本来は、宮の垣にからまるカダ(葛)を、イトススキが引っ掻いて音を出すさまに
ヒントを得て、イサナギが造った三弦琴の名ですが、これが琴の元祖であるため、
ここでは 「琴類の総称」 として使われています。
アワ歌を教えるのに実際に使った琴は五弦の琴です。
■五臟六腑・緒 (ゐくらむわた・を)
“五臟六腑” は人の内臓をいいますが、この場合は
「中心部・内」 を意味します。
“緒” は 「端・末・外」 の意で、中心部に対して
「周辺部・外」 を意味します。
■根隅 (ねこゑ)
“根隅”
は筆者の宛字ですが、「元と末・中と隅・内と外」の意です。
ですから “五臟六腑・緒” と同じことを言ってます。
■二十四に通ふ (ふそよにかよふ)
“24” はアワ歌 (=元明の48神) のちょうど半分です。
“通ふ” はここでは 「行き来する・往復する・折り返す」
などの意です。
民にアワ歌を教える時には、上の24声をイザナギが歌い、
下の24声をイザナミが歌ったと記されています。
二尊の オキツボに居て 国生めど
民の言葉の 悉曇り これ直さんと 考えて
五音七字道の アワ歌を 上二十四声 イサナキと 下二十四声 イサナミと
歌ひ連ねて 教ゆれば 歌に音声の 道
開け 民の言葉の 調えば 〈ホ5-1〉
■巡り選る (めぐりよる)
メグリ(巡り)は 「体内の循環」 をいいます。
ヨル(選る)は、今は 「取り上げる・選出する」 の意に
使われますが、「上げる」 が原義です。
ですから 「体内の巡りを向上させる」 という意です。
■永らえり (ながらえり)
ナガラフ(存ふ・永らふ)+ナリ(断定)
の短縮で、
「永らえるなり・長生きするのである」 という意です。
■スミヱの翁 (すみゑのをきな)
スミヱは 「ツキスミの合せ」
という意で、スミヨシ(ツキスミの寄せ)と同じです。
“スミノヱ” とも呼ばれます。いずれもカナサキの別名です。
ヲキナは 「大きなる者」 の意で、「老熟の者」
を表します。
【概意】
和の歌をカダカキを弾きながら
導き歌えば、自ずと声もあきらかになる。
内臓と外殻の 元・末を分け、24声で折り返す48声。
これは身の内の循環を向上させ、病あらねば長生きする。
スミヱの翁はこれを知る。
本日は以上です。それではまた!