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徹底解説みかさふみ講座 第22回 [2022.8.9]

みかさふみ 一女三男の文 (5)

著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com

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 ひめみをのあや (その5)
 一女三男の文 https://gejirin.com/mikasa03.html
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 ふたかみは つくしにゆきて うむみこお つきよみのかみ
 ひにつけと あめにあけます
 これのさき をゑくまにすつ ひるこひめ
 いまいつくしに たりいたり あめのいろとと わかひるめ
―――――――――――――――――――――――――――――
 二尊は ツクシに行きて 生む御子を “ツキヨミ” の尊
 日に継げと 天に上げます
 これの先 汚穢・隈に捨つ ヒルコ姫
 今 慈しに 足り至り 陽陰の愛妹と “ワカヒルメ”
―――――――――――――――――――――――――――――

■ツキヨミ (継黄泉)
二尊がアマテルに次いで生んだ男子で、斎名はモチキネです。
記紀においては 月読(つくよみ)命、月夜見(つくよみ)尊 と記されます。

 アワナギ─イザナギ┐
          ├1.ワカ姫  (斎名ヒルコ)
          ├2.アマテル (斎名ワカヒト) 
          ├3.ツキヨミ (斎名モチキネ)
          ├4.ソサノヲ (斎名ハナキネ)
 トヨケ──イザナミ┘

ツキ(継ぎ・次ぎ)+ヨミ(黄泉) で、「(日に) 継ぐ黄泉」 を意味し、
ヨミ(黄泉)は 「陰・闇・」 などの同義語です。
これは次行に言う “日に継げ” という心を表した名です。

・弟ツキヨミは 日に継ぎて 民の政を 助けしむ 〈ホ6-2〉
・昔 二尊 日の神を君 月は継ぐ 継ぐは臣   〈ホ28-5〉

アマテルは日の神霊の顕現であることが随所に語られています。では、
ツキヨミは月の神霊の顕現なのか?というと、そのように記されている
箇所は見あたりません。単に、日の神アマテルの次に生れた子であるため、
“日の次は月”、“昼の次は夜” というノリで名付けられた名のようです。

 
■天に上げます (あめにあげます)
天に送る” と同じで、「ヒタカミのトヨケの許に上げる」 という意味です。
つまりアマテルに次いで、ツキヨミも教育を受けるためヒタカミに送られた
ということです。


■これの先 (これのさき)
「これに先立って」 という意味です。


■汚穢隈 (をゑくま)
四十二・三十三の汚穢隈” をいいます。


■慈し (いつくし)
イツク(傅く)+シク(如く) から ‘ク’ を省いたク語法で、
イツクシミ(慈しみ)と同じです。「大切にすること・愛を注ぐこと」 をいいます。


■足り至る (たりいたる)
「満ち足りる」 と同じです。ここでは 「人と成る・成人する」 の意です。


■陽陰 (あめ・あま)
このアメはヲメ(陽陰・男女)の変態で、「太陽と太陰・日と月」 を表します。
そしてこの場合は 「日月の神霊の顕現であるアマテル」 を指します。


■愛妹 (いろと)
「心を寄せる妹・親しい妹・愛しい妹」 などの意です。
“愛妹” は筆者の宛字です。

 イロは イル(入る)の名詞形で、イルはヨル(寄る)の変態です。
 トは “下” が原義で、「年下の者・後輩」 を意味します。


■ワカヒルメ (▽分日霊妹)
ヒルコの別名です。
ワカヒルは “分日霊” で、「日の神霊の分け身」 であるアマテルを指します。
メは ここでは 「妹」 を表します。ですから 「日の神霊の分身の妹」 という意です。
稚日女尊の名で多くの神社に祭られています。

 玉津島神社 (たまつしまじんじゃ)
 和歌山県和歌山市和歌浦中3丁目4−26。
 現在の祭神:稚日女尊(わかひるめのみこと)
 ・稚日女尊は伊奘諾・伊奘冉二尊の御子であり、天照大御神の
  妹神に当たられる。和歌の神として尊崇を受ける。

 生田神社 (いくたじんじゃ)
 兵庫県神戸市中央区下山手通1丁目2-1。
 現在の祭神:稚日女尊(わかひるめのみこと)
 ・稚日女尊は天照大神の和魂(にぎみたま)、あるいは妹神と伝えられる。

・ヒルコは実際にはアマテルの姉ですが、世の最高位にある者 (尊い神の
 顕現や国君など) の兄弟姉妹の場合は、年上であっても弟・妹とするようです。
 (さもないと兄や姉の方が上位になってしまいますから)
 後世の景行天皇とヤマト姫の間にも同様の例が見られます。
・ワカヒルメにはもう一つ重要な意味があるのですが、それは後にお話します。

 

【概意】
二尊は筑紫に行き、そこで御子を生み、ツキヨミの尊と名付ける。
日の御子に続けと、やはりヒタカミのトヨケに捧げます。
これに先立ち、父母の厄年の汚穢隈が当たらぬようにと捨てた
ヒルコ姫は慈しまれて今や無事に成人し、アマテルの愛しい妹となり、
その名もワカヒルメ(分日霊妹)と。

 

―――――――――――――――――――――――――――――
 そさくににうむ そさのをは
 つねにおたけひ なきいさち くにたみくしく
 いさなみは よのくまなすも わかをゑと
 たみのをゑくま みにうけて まもらんための くまのみや
―――――――――――――――――――――――――――――
 ソサ国に生む ソサノヲは
 常にお猛び 泣きいさち 国民くじく
 イサナミは 「世の隈 生すも 我が汚穢」 と
 民の汚穢・隈 身に受けて 守らんための 隈の宮
―――――――――――――――――――――――――――――

■ソサ国 (そさくに)
キシヰ(=紀州) の別名です。
キの国(紀の国)、ワカの国(若の国・和歌の国)、ナグサ(慰・名草)
などとも呼ばれます。

 ソサは ソスという動詞の名詞形で、ソスは スス(▽進す)の変態です。
 ススは ススム(進む)、スサム(荒む進む遊む)スサブ(荒ぶ進ぶ遊ぶ)
 などの同義語を派生します。ゆえに ソサ=スサ=ススミ(進み)=スサミ(荒み)
 と考えています。なお 現在も和歌山県西牟婁郡にはすさみ町が存在します。


■ソサノヲ
二尊がヒルコ、アマテル、ツキヨミに次いで生んだ男子で、最後の子です。
斎名(いみな:本名・実名)は ハナキネ です。
“ソサノヲ“ の名の語義は 「すさんだ皇子・荒廃した皇子」 と考えています。
記紀は スサノオ(須佐之男命・素戔嗚尊) と記します。

 アワナギ─イザナギ┐
          ├1.ワカ姫  (斎名ヒルコ)
          ├2.アマテル (斎名ワカヒト) 
          ├3.ツキヨミ (斎名モチキネ)
          ├4.ソサノヲ (斎名ハナキネ)
 トヨケ──イザナミ┘

イサナミが、陽陰の節(あめのふし) の乱れた時に孕んだ子であったため、
感情を制御できず、常に激昂して泣き叫ぶという 先天的な異常を持っていました。

 陽陰の巡りの 蝕みを 見るマサカニの 中濁りて 生むソサノヲは
 霊乱れ 国の隈なす 誤ちぞ              〈ホ7-7〉

 
■お猛ぶ (おたけぶ) ■泣く/鳴く (なく) ■いさつ
いずれも 「いきりたつ・いきまく・激昂する・憤怒する」 などの意で、
その感情を外に噴出する行動 (叫ぶ・わめく・騒ぐ・暴れる) を含みます。


■世の隈 (よのくま)
「世の災厄・社会の害悪・世間の迷惑」 などの意です。

 ヨ(世)は ヨフ(▽弱ふ)の名詞形で、「下がる・低まる・衰える」 などを原義とし、
 これは 天地創造の過程で下った 「陰・地」 を意味します。よって 世=地 です。
 ヨ(夜)、ヨル(夜)、ヨヒ(宵)、ヤミ(闇)、ヨミ(黄泉)、ヨメ(嫁) なども同源です。
 クマ()は 「曲り・ねじけ・それ・外れ・異常」 などが原義です。


我が汚穢 (わがをゑ)
ヲヱ(汚穢)は 「よごれ・けがれ」 をいいますが、クマ(隈)の同義語で、
原義はやはり 「曲り・ねじけ・それ・外れ・異常」です。
“我が汚穢” というのは、ソサノヲは 陽陰の節が乱れる時に
孕んでしまった子であることをいいます。

 陽陰の巡りの 蝕みを 見るマサカニの 中 濁りて
 生むソサノヲは 霊乱れ 国の隈 生す 誤ちぞ … …
 誤りて 穢るる時に 孕む子は 必ず粗るる 〈ホ7-7〉


■隈の宮 (くまのみや)
ミヤ(宮)は ここでは 「入れ物・容器」 を意味します。
“隈の宮” とは 「汚穢隈を収める容器・汚穢隈を捨てるゴミ箱」 です。

 ★宮 (みや)
 ミユ(見ゆ)の名詞形で、「合い/合わせ」 が原義ですが、
 2つの意味があります。
 (1) 何かを合せる所。何かを入れる所。=入れ物・容器
 (2) 合い(間)の所。中間。まんなか。中心。=ミヤコ(都)

 

【概意】
ソサ国に生むソサノヲは、常に興奮して叫び騒いで国民を害する。
イサナミは、世の隈を生んでしまったのも 自分の汚穢が原因と考え、
民の蒙る汚穢隈を我が身に受けて守らんと、自らを汚穢隈の入れ物となす。


ホツマの5文では次のように記されています。
 名もハナキネの 人なりは いさちお猛び 頻捲きや
 世の隈 生せば 母の穢に 捨て所なき 世の隈を
 我が身に受けて 諸民の 欠けを償ふ  〈ホ5-2〉

そしてイサナミは、最後はソサノヲが山林に放った火を
消そうとして死んでしまいます。

 御隈野の 御山木 焼くを 除かんと
 生む火の神の カグツチに 焼かれてまさに 終る間に
 生む土の神 ハニヤスと 水 ミヅハメぞ  〈ホ5-2〉

 

―――――――――――――――――――――――――――――
 かくみこころお つくしうむ ひひめみをかみ
 うみてよの きみとみのみち とのをしゑ
 さかりもとらは ほころはす
―――――――――――――――――――――――――――――
 かく実心を 尽し生む 一姫三男尊
 生みて余の 君・臣の充ち 調の教え
 逆り惇らば 綻ばす
―――――――――――――――――――――――――――――

■実心 (みこころ)
実(じつ)の心、核(さね)の心 という意で、真心(まごころ)と同じです。


■余の君臣の充ち (よのきみとみのみち)
「その他の君臣の充足・モノノベら(公務員団)の養成」 という意です。
“君臣” は 「九君・百尊・三千彦」 をいいます。


■調の教え (とのをしゑ)
「調和の道を民に教えること」 をいい、“調の導き” とも呼ばれます。
これが臣(=モノノベ)の最重要の仕事であると、アマテルはしつこく説いています。
調和の道にも多階層のレベルがありますが、まずは各人の心の調和から始まります。

・臣ら ひめもす 倦まなくて 教えを常の 業となせ … …
 教えぬ者は 臣ならず 教え受けぬは 民ならず   〈ホ17-2〉
・物知るとても 蠢かで 
調の導きに 入らざらんをや 〈ホ17-2〉
・"曲松を 引き植え 新木 培えば 直木となるぞ"
 親心 細々篤き 
調の教え             〈ホ17-4〉
・蔀は臣の 
調の教え 通るを見るぞ         〈ホ21-4〉
・ヤヒロの殿と 中柱 立ててめぐれば
 オオヤ州 通るまことの 
トの教え         〈ホ23-1〉
・天より恵む トの神と 宗に応えて 守るゆえ
 人の中子に 合い求め 一つに致す 
トの教え    〈ホ23-2〉

 
 ★調/経 (と/と)
 ‘ト’ は 「トのヲシテが意味するところ」 をいいますが、それはトトノエ(調え)
 という言葉に代表されるため “調” と宛ててます。そしてそれの実現のための
 重要な手段の一つが 「経・法」 であるため、トホコの ‘ト’ には “経” と宛ててます。
 ですから同じ ‘ト’ でも、「調和」 の意を表す場合は “調”、「法」 の意を表す場合は
 “経” として区別しています。


■逆り惇る (さかりもとる)
「逆らって背く・離れて外れる・曲りねじける」などの意です。

 サカル(離る・逆る)モトル(悖る) の連結で、
 モトル(悖る)は モヂル(捩る)の変態です。

 
■綻ろばす (ほころばす)
ホグ(▽解ぐ)+コロバス(転ばす) の短縮です。
ホコロバスの “ホコ” が 「矛」 の語源です。

 

【概意】
このように真心を尽くして生む 一姫と三男尊。
そして他のモノノベを生んで養成し、民に調和の道を教え、
道に逆らい背けば綻ばす。

 
ホツマの23文では次のように表現されています。
 イサナミ曰く 「誤たば 日々に千頭 殺すべし」
 イサナキ曰く 「麗しや 千五百の頭 生まん」 とて
 生みて教える 調の道を 受けて治むる 千五百村
 調の道 通り 大歳の 瑞穂得るなり       〈ホ23-2〉

 

―――――――――――――――――――――――――――――――
 このふたはしら うむとのは
 あまのはらみと つくはやま あはちつきすみ くまのこれなり
―――――――――――――――――――――――――――――――
 この二柱 生む殿は
 アマのハラミと 筑波山 淡路・ツキスミ 隈野これなり
―――――――――――――――――――――――――――――――

■二柱 (ふたはしら)
イサナキ&イサナミの二尊を指します。


■生む殿 (うむとの)
産殿(うぶどの) と同じです。


■アマのハラミ (▽陽陰の孕み)
陽陰の孕み」 の意で、「日月の神霊を孕んだ所」、
つまり 「アマテルの神霊を孕んだ所」 を意味します。
それは今の富士山でした。それゆえ “ハラミ山” と呼ばれ、
アマテルが出生した山麓の宮は “ハラミの宮” と呼ばれます。


■筑波山 (つくばやま)
筑波山の麓のイサ宮でヒルコは生れました。


■淡路 (あはぢ)
ヒヨルコは淡路の産殿で生れました。しかし流産でした。


■ツキスミ (▽尽州・▽究州)
ツクシ(筑紫)の別名で、「九州」 をいいます。ツキヨミはここで生れました。
ツキは “尽き” の意、スミは シマ(▽州・洲・島)・シメ(締め)の変態で、
「限り・仕切り・ある範囲・区画」 を意味します。
ですから 「太陽の尽きる区画=西の州」 という意です。



■隈野 (くまの)
ソサノヲはここで生れました。隈野は 「汚穢隈の地」 という意味です。
場所は現在の紀州熊野と同じです。

 和歌山県神社庁のHP
 「熊野という地名は "隈の処" という語源から発しているといわれている」
 と書いています。

 

【概意】
この二柱が生む殿は、アマのハラミと、筑波山、淡路、筑紫、隈野これなり。

 

―――――――――――――――――――――――――――――――
 つわものか はしらにくらふ ゆえとえは
 をきなこたえて たまはたて ぬきはうるほす ほこもたて
 よこまほろほす ふたはしら
 ゆききとりゐの ふたかみと ききておのおの をしてそめけり
―――――――――――――――――――――――――――――――
 ツワモノが 柱に比ぶ 故問えば
 翁 答えて 「瓊は経 緯は潤す 矛も経
 汚曲滅ぼす 二柱」
 往き来鳥居の 二尊と 聞きて各々 ヲシテ染めけり
―――――――――――――――――――――――――――――――

■ツワモノ
ツワモノヌシ の略です。


■柱に比ぶ故 (はしらにくらぶゆえ)
二尊を 「柱に喩える由縁」 です。


■翁 (をきな)
アマノコヤネ を指します。


■瓊 (たま)
タマ(瓊・珠・玉)は タム(▽尊む)の名詞形で、
「上にあるもの・優先すべきもの・尊いもの・大事なもの」 などを意味し、
タテ(経) また ト(▽経) とも呼ばれます。
この場合は 調の教え(トの教え) また 経矛法(トホコのり) の ト(調/経) をいいます。
「ト(調/経)を教えて臣を養成し 臣が民にまた教える」、これがイサナキの誓約でした。

 イサナキ曰く 「麗しや 千五百の頭 生まん」 とて
 生みて教える 調の道を 受けて治むる 千五百村
 調の道 通り 大歳の 瑞穂得るなり       〈ホ23-2〉

 
■経・立 (たて)
例えば機(=布)は、まず経糸があってそれに緯糸を交えることで織られます。
ですから経糸を 前提/基準/ベース としているわけです。タテ(経)とは そうした
「優先するもの・前提・基準・おきて・法」 などをいいます。
タマ(▽尊・瓊)、ト(▽瓊・▽経) とも呼ばれます。
そしてこれを 鳥居に立つ二本の柱になぞらえています。


■矛も経 (ほこもたて)
「矛(=懲戒)もまた優先すべきもの・矛(=懲戒)も統治の柱」 という意味です。

 イサナミ曰く 「誤たば 日々に千頭 殺すべし」 〈ホ23-2〉

 これは、「たとえ大事に育てた臣民であっても、曲り外れたならば
 容赦なくほころばす」 という意味で、経矛法(トホコのり) の ホコ(矛) をいいます。
 これがイサナミの誓約でした。そのためイサナミの神霊は “クマ(曲・隈)の神” と
 呼ばれます。

ホツマの23アヤでは アマテルも “矛も宝なり” と説いています。

 罪人斬りて 耕せば 瑞穂の成りて 民 豊か
 力・大歳 捧ぐれば 八方の賑わひ ‘タ’ から出る
 故に宝ぞ 
逆矛も 討ち治む故 宝なり     〈ホ23-2〉


■緯は潤す (ぬきはうるほす)
ヌキ(緯・貫)は 「タテ(経・立)につらぬくもの」 をいい、
経糸をつらぬく “緯糸”、また 鳥居の二柱をつらぬく “貫” をいいます。
鳥居の貫は 「二尊が手を取り合うさま・夫婦和合するさま」 を表すのでしょう。
またこれは ミカサ1アヤに言うところの “つとめ(▽付留)” に相当します。

ウルホス(潤す)というのは、二つの経/二本の柱 を貫いて結ぶことで、
相乗効果が発生することをいい、ミカサの1アヤに言うところの
みち(見ち/充ち)” に相当します。

つまり、経(=法) と 矛(=懲戒) の制度も バラバラではだめで、
両者がシステマチックに協働してはじめて健全な社会を保てる、
ということです。

・経に緯織る まつりごと 四方人草を 治むなり     〈ミ1-1〉
衣の経は ‘形’ なり 緯・紋 負ふも 上の宗 潤す経は よよの ‘充ち’
                            〈ミ1−8〉

 
■横曲・汚曲 (よこま/よこが)
“ヨコガ” ともいい、ヨコ(横・緯・▽汚)は ヨク(避く)の名詞形で、
「よけるさま・背くさま・外れるさま」 が原義です。
マは マガリ(曲り)を表し、ヨコと原義は同じです。
ヨコマは 機織りで言えば もつれ糸、乱れ糸 ですし、
人間社会で言えば 曲人(くせど)、狂え人(くるえど)、ハタレ です。

 治むる道の 乱れ糸 切り綻ばす 器物  〈ホ23-2〉

 

【概意】
ツワモノヌシが、二尊を柱に喩える由縁を問えば、翁は答えて、
「経と矛(=法と罰)は柱。貫は二柱の機能統合。世の曲りを滅ぼす二柱なり。」
往き来する鳥居の二尊と聞いて、各々メモをとるのであった。

 

 

本日は以上です。それではまた!

 

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