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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第167回 [2024.7.16]

第三〇巻 天君 都鳥の文 (3)

著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com

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 神武天皇-2-3

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 あまきみみやこどりのあや (その3)
 タケヒト ヤマト打ちの文 https://gejirin.com/hotuma30.html
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 ねのつきに あゆきわすきの みやつくり
 もとあけあわの かみまつり
 たねこくしたま まてにあり みけなへまつり もふすをみ
 うましものへと とおまもる みちをみくめと みかきもり
 かんのとことは いんへとみ

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 十一月に 天ユキ・地スキの 宮 造り
 元明陽陰の 神祭
 タネコ・クシタマ 左右にあり “神饌供え祭り申す臣”
 ウマシ モノベと 門を守る ミチヲミ クメと 御垣守
 尊宣詞は 斎瓮臣

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十一月 (ねのつき・ねつき)
陰暦11月の異称です。この月に冬至が来ます。 ▶冬至
冬至は一年の始まりと終りを告げる日であるため、新嘗会大嘗会はこの日に行われます。


■天ユキ・地スキの宮 (あゆきわすきのみや)
ユキ・スキ宮” の正式名です。 ▶天ユキ ▶地スキ


■元明陽陰の神祭 (もとあけあわのかみまつり)
「大嘗会」 の換言です。 ▶大嘗会
モトアケ(元明)アワノカミ(陽陰の神)は 同義語で、フトマニ図に載る49神の総称です。


■タネコ・クシタマ
カンヤマトイハワレヒコ(斎名:タケヒト)の 左の臣右の臣である
アメタネコ
クシミカタマです。


左右 (まて)

■神饌供え祭り申す臣 (みけなへまつりもふすをみ)
ミケ(御供)+ナフ(▽和ふ)+マツリモフス(祭り申す)+ヲミ(臣) で、
「神饌を供えてお祭り申し上げる臣」 という意です。

 ナフ(▽和ふ・並ぶ)は ソナフ(供ふ)の母動詞、マツリモフス(祭り申す)は
 マツル(祭る)モフス(申す:謙譲)で、「敬い申す・崇めたてまつる」 などの意です。

タネコとクシミカタマが務めるこの臣は、大嘗会のための一時的なお役目ですが、
後には名を巧妙に変じて、強大な権限を持つ常設の官職となります。記憶しておいてください。


■ウマシ
ウマシマチ の略です。
ニギハヤヒの代嗣子であるウマシマチは アスカ朝廷を御上(中央朝廷)に奉還し、
この時点ではタケヒトの重臣となっています。


モノベ (▽模侍・物部)
この場合は 「かつてアスカ宮に仕えていたモノノベ」 をいうものと思います。


■門を守る (とおまもる)
「橿原宮の門を警護する」 という意です。
これはクシマド/イワマドの役を、ウマシマチとその配下のモノベが担うということです。


ミチヲミ・ミチオミ

■クメ (▽組)
クメ は クム(組む) の名詞形で、クミ(組) の変態です。
「合い/合わせ・添い/沿い・付き・交わり」 などを原義とし、
この場合は 「組する者・仲間・配下」 の意で、「ミチヲミに付き従う者たち」 をいいます。
記紀は 久米・来目 と当て、軍事的な品部・氏族にでっち上げたようです。


■御垣守 (みかきもり)
「橿原宮を囲む御垣の守り」 という意です。 ▶御垣
これはイクシマ/タルシマの役を、ミチヲミとその配下の者が担うということです。


■尊宣詞 (かんのとこと)
カン(▽尊)は カム(▽上む)の音便で、「高める・敬う・尊ぶ・祝う」 などの意を表します。
ですから 「敬いの宣詞・祝言・祝詞」 をいい、カンホギ(神祝)ホギノリ(祝宣) の換言です。
▶宣詞


■斎瓮臣 (いんべとみ)
アメトミ の換言です。 ▶斎瓮

 

【概意】
11月に天ユキと地スキの宮を造り、元明陽陰の神祭。
タネコとクシミカタマは君の左右に侍って “神饌和え祭り申す臣”。
ウマシマチは配下のモノノベと橿原宮の御門を守る。
ミチヲミは仲間と御垣守り。祝詞は斎瓮臣。



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 つきはるそひか みことのり
 おもえはまめは うましまち よよものへつけ
 みちをみは のそみのままに つきさかと
 くめのところお たまふなり
 うつひこかこと ふねとはに やまとくにつこ

―――――――――――――――――――――――――――――
 次春十一日 御言宣
 「思えば忠は ウマシマチ 代々モノベ継げ」
 「ミチヲミは 望みのままに “ツキサカ” と
 クメの所を 賜ふなり」
 「ウツヒコが殊 船と埴 大和国造」

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■次春十一日 (つぎはるそひか)
「新春の十一日」 で、上鈴59年 (ネウヱ) 1月11日です。


忠 (まめ)
この場合は、ニギハヤヒの後継者ウマシマチが、アマテル下賜の十種宝と共に
「アスカ朝廷を中央朝廷に奉還したこと」 をいいます。


■代々モノベ継げ (よよものべつげ)
奉還した以上、その所領も臣も 中央政府が吸収して再編されるわけですが、
ウマシマチの忠に報いて、「アスカ君に代々仕えたモノノベ(=臣)は、
今後もウマシマチの家が代々継ぎ治めよ」 という意味だと思います。

 ウマシマチの後裔氏族が 物部氏 を名乗る由来は、
 おそらくタケヒトのこの御言宣にあるのでしょう。


ミチヲミ・ミチオミ
皇軍を率いてクマノからウガチ村に導き、兄ウガ司の罠を見抜き、老婆に扮して
弟ウカ司と共に香山の土を取り、丹生川端にアマテルとトヨケを祀る際の祭主となるなど、
数々の功労を打ち立てたタケヒトの最忠臣です。


■ツキサカ (▽付境・築坂・桃花鳥坂)
ツキ(付き・継ぎ)+サカ(境) で 「添う区画・継ぐ区画」 を意味します。
この場合は 「皇宮に隣接する区画」 という意味だと思います。

 現在の奈良県橿原市鳥屋町に 鳥坂神社 がありますが、桃花鳥坂(つきさか)が略されて
 鳥坂(つきさか)、さらに鳥坂(とりさか)と転じたといいます。


■クメの所 (くめのところ)
この場合 “クメ” は 「添い・沿い」 の意で、“ツキサカ” の換言です。 ▶クメ
つまり 「ツキサカという隣接の地」 という意味と考えます。
奈良県橿原市久米町
に名前が残ります。

 ツキサカ=クメの所 は領地としてではなく、居住地として賜ったものと考えます。
 ミチヲミは 領地を得るよりも、君の旗本直参の第一でありたいと、皇宮の隣接地を
 所望したのではないでしょうか。

 
■ウツヒコが殊 (うつひこがこと)
ウツヒコは シイネツヒコの元の名です。 ▶ウツヒコ ▶シイネツヒコ ▶殊


■船と埴 (ふねとはに)
ウツヒコ(=シイネツヒコ)が 東征に向かうタケヒトの御船を導き
また 夢の告げにより、蓑笠姿の老翁に扮して香山の埴を取ってきた功をいいます。

「地守 ウツヒコぞ 海の釣にて 聞く御船 向かふは御船」 「導くか」 「あひ」 〈ホ29-2〉
シイネツヒコは 蓑と笠 … 老翁・老婆の 民の姿で 香山の 峰の埴取り 〈ホ29-4〉


■大和国造 (やまとくにつこ)
「大和の国造・大和国の司」 です。 ▶クニツコ

 

【概意】
新春11日に御言宣。
「思えば忠はウマシマチ。代々そのモノベを継ぎ治めよ。」
「ミチヲミには望みのままに “ツキサカ” と名づく隣接の地を賜うなり。」
「ウツヒコは 船と埴の功により大和国造に任ずる。」



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 おとうけし たけたあかたし くろはやは しきのあかたし
 あめひわけ いせのくにつこ あたね かみかものあかたし
 かつてまこ つるきねかつき くにつこそ
 やたからすまこ かとのぬし

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 「弟ウケシ 猛田県司」 「クロハヤは 磯城の県司」
 「アメヒワケ 伊勢の国造」 「アタネ 上賀茂の県司」
 「カツテ孫 ツルギネ 葛城 国造ぞ」
 「ヤタガラス孫 葛野主」

―――――――――――――――――――――――――――――
  ここは五七調が少々いびつなため言葉の区切りを調整しています

弟ウケ司 (おとうけし)

 弟ウガ司来て 「シキ長 カダキ別司も みな拒む 君を思えば 香山の
 埴の枚手の ヒモロケに 天地まつり 後 討たん」 
ウガシが告げも 夢合せ 
〈ホ29-4〉


■猛田県司 (たけたあがたし)
タケタ県 は おそらく 「ウダの県」 に付けられた新名です。
タケタ は “タケ賜” (タケヒトが賜う) という意味だと思います。

 ★県司 (あがたし)
 アガタ(県)シ(司) で、アガタヌシ(県主) の換言です。


■クロハヤ
これは オトシキ(弟磯城) の別名で、日本書紀は 黒速 と記します。

 クロ は ククル(括る) の母動詞 “クル” の名詞形。
 ハヤ は ハエ(生え・栄え) の変態で、シキ(頻・磯城) の換言と考えます。
 ゆえに 「磯城を括る者」 の意となります。

 弟シキ怖ぢて 容変え 「尊の慈愛に 我 畏る」 〈ホ29-5〉

 
アメヒワケ・アヒワケ (▽太陽別・天日別)
アヒ/アメヒ(太陽)+ワケ(分・別) で、「太陽神(あまひかみ) の区画」 という意味です。
これは 「イセの国・イセの国造」 を換言した名です。

 御船の到る 速吸門 寄る海人小船 アヒワケが 問えば 〈ホ29ー2〉


■伊勢の国造 (いせのくにつこ)
アメヒワケ/アヒワケ は、コヤネから イセの上翁 を譲られた アメフタヱ の孫です。
ですから 伊勢の国造 は頷ける人事です。 ▶クニツコ

 フタヱに曰く 「我が齢 極まるゆえに 上翁を 汝に授く」 〈ホ28-7〉


アタネ

■上賀茂 (かみがも)
カモ(賀茂)ワケツチ(分土)カワヒ(河合) の換言で、
鴨川と高野川に挟まれる地域をいいますが、この時代の行政区分の上では、
上流域を “上賀茂”、下流域を “河合” として区別しているようです。


■ツルギネ
カツテ尊(斎名:ヤスヒコ) の孫です。日本書紀には 剣根命 と記されます。
ツルギ(蔓城) は カツラギ(葛城) の換言、ネ(根) は ヌシ(主) の換言です。 ▶葛・蔓
ですからこの名は 「葛城の主」 という意味です。

 ソサノヲ─ヒトコトヌシ┐
            ├┬ヤスヒコ(カツテ)─??─ツルギネ
 スヱツミ─ヤスタマ姫─┘└アカホシ


 葛城国の領主ツルギネは、領内の県主たちが軒並みアスカ朝廷側に付く中、
 固く中央政府への忠誠を守って、アスカ朝廷勢力に抵抗してきたものと考えられます。
 そのことをタケヒトは評価し、ヒトコトヌシ以来の領地である葛城国を、あらためて
 ツルギネに委ねることをここに明言しているものと思われます。


■ヤタガラス孫 (やたがらすまご)
ヤタガラス は 老翁(おおぢ) とも呼ばれていますので、かなり老齢だったのでしょう。
そのため その孫に行賞してます。

 夢にアマテル 神の告げ 「八尺のカラスを 導き」 と 
 覚むれば
八尺の カラスあり 老翁が穿つ “アスカ道” 
〈ホ29ー3〉


■葛野主 (かどのぬし)
「葛野の県主」 です。 ▶葛野郡
カド(葛) は カダ(葛・荷田) の変態で、カドノ(葛野) は 「荷田野」 つまり 花山の野 の別名です。
現在は 京都府京都市右京区西京極葛野町 に名が残ります。 

 ヤタガラスについては、ホツマに出自・素性は語られていませんが、
 この行賞から、カダの末裔であることが推察されます。

 

【概意】
「また弟ウケシは猛田県司。」 「クロハヤは磯城の県司。」
「アメヒワケは伊勢の国造。」 「アタネは上賀茂の県司。」
「カツテの孫ツルギネは葛城国造ぞ。」 「ヤタカラスの孫は葛野の主。」



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 みほのさみたれ よそかふり ゑやみはやりて いねみもち
 きみにつくれは あめたねこ くしみかたまと やすかわの
 かりやにいのり ときゑやみ なおるといねの いたみさる

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 三年の五月雨 四十日降り 疫病はやりて 稲ミモチ
 君に告ぐれば アメタネコ クシミカタマと ヤスカワの
 仮屋に祈り 時 疫病 直ると稲の 傷み更る

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■三穂・三年 (みほ)
「神武3年」 の意で、上鈴60年 (ネウト) にあたります。 ▶穂


五月雨 (さみだれ)
サミダル(五月雨る) の名詞形で、「湿らす垂れ・湿っぽい雨・しみったれ」 を意味し、
「梅雨期の長雨」 をいいます。

 ★五月雨る (さみだる)
 サム+タル(垂る) の連結です。
 サム は シメル(湿る) の母動詞 “シム” の変態、タル は フル(降る) と同義です。
 ですから 「湿っぽく降る・しとしと/じとじと垂れる」 というような意です。


疫病 (ゑやみ)
ヱ(穢)+ヤミ(病み) の同義語連結で、「曲り・逸脱・異常・不調」 などが原義です。


■ミモチ
今に言う いもち病 だろうと思います。‘ミ’ と ‘イ’ は交換される場合が多いです。


アメタネコ ■クシミカタマ

■ヤスカワの仮屋 (やすかわのかりや)
ヤスカワ(▽和郷)は 「近江国」 を表す多くの地名の内の一つです。
カリヤ(仮屋)は 普通は 「御幸中の君の仮の宮(政府)」 をいいますが、
この場合は 「君の代理の者が入る宮」 という意味かと思います。


■更る (さる)
「一周りして元に返る・改まる・更新する」 などが原義です。

 

【概意】
神武3年の五月雨は40日降り、疫病が流行って稲もミモチに傷む。
君に告げれば、アメタネコとクシミカタマをしてヤスカワの仮屋に祈らしむ。
時に疫病は直り、稲の傷みも回復する。



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 なおりのはらひ おこなえは ゑやみもなおり いねなおる
 ゆえみことのり わにひこか みをやくしひこ いさめいる
 なおきにたまふ やまとかみ みよわのなおき いさおしに
 なおりものぬし かみたまふ

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 “直りの祓” 行えば 疫病も直り 稲 直る
 故 御言宣 「ワニヒコが 御祖クシヒコ 諌め入る
 直きに賜ふ ヤマト尊 三代還の直き 功に
 “直りモノヌシ尊” 賜ふ」

―――――――――――――――――――――――――――――

■直りの祓 (なおりのはらひ)
「押草に扇ぎ まじないのワカ歌を360回歌う」 という、
かつてワカ姫がキシヰの稲田で行った祓をいいます。 ▶押草 ▶ワカ歌 ▶祓
“イナオリの祓”  “カセフの纏り” とも呼ばれます。

 稲虫祓ふ ワカのまじない
  『田根・畑根 大麦・小麦・盛豆 大豆・小豆らの そろ葉も蝕めぞ 虫もみな締む』
 繰り返し 三百六十歌ひ 響ませば 虫 飛び去りて 西の海 
〈ホ1-4〉


 ★直り (なおり)
 ナオル(直る)の名詞形で、「まっすぐになること/すること」 が原義です。


■ワニヒコが御祖クシヒコ (わにひこがみをやくしひこ)
ワニヒコはクシミカタマの斎名で、クシヒコの曾孫です。 ▶御祖 ▶ワニヒコ ▶クシヒコ

 イサナギ ┌ソサノヲ─オホナムチ(初代オオモノヌシ)
   ├──┤       ├───クシヒコ─┐
 イサナミ └アマテル─タケコ   (2代)  │
                      │
  ┌───────────────────┘
  │
  │    ┌ツミハ──────クシミカタマ
  │    │            ↓ (養子)
  └コモリ─┴カンタチ─フキネ─クシミカタマ
   (3代)        (4代)   (5代)


諌め入る (いさめいる)

■直き (なおき)
ナオシ(直し)の連体形が名詞化したもので、「まっすぐなさま」 をいいます。
これはつまり 「曲りのないさま・片寄りのないさま・中庸なさま」 であり、
さらに別の言葉で言えば 「やわして調うさま」 です。


■ヤマト尊 (やまとかみ)
アマテルがクシヒコに賜った尊名 ヤマトヲヲコのミタマ尊 の略です。
帰天後は ヤマトの神 と贈り名されます。

 生れ素直に 和道の 教えにかなふ 皇の ヤヱ垣の翁
 賜ふ名も “
ヤマトヲヲコのミタマ尊” 
〈ホ23-8〉


■三代還・三代輪 (みよわ)
「三代が回転するさま・三代に渡る繰り返し」 をいいます。この場合の三代とは、
クシヒコ、コモリ、クシミカタマ の3人のオオモノヌシを指すのでしょう。
このミヨワ(三代輪)も ミワ(三輪)の語源の一つではないかと考えられます。

 
■直りモノヌシ尊 (なおりものぬしかみ)
歴代のオオモノヌシの直き功を称えて、当代のオオモノヌシであるクシミカタマに、
タケヒトが賜った尊名です。 ▶オオモノヌシ

 

【概意】
“直りの祓” を行えば疫病も直り、稲も直れば御言宣。
「ワニヒコの先祖クシヒコの、諌め入る素直さに賜う “ヤマト尊”。
後の三代に渡って繰り返す直き功に対し、“直りモノヌシ尊” を賜う。」



―――――――――――――――――――――――――――――
 たねこもみをや わかひこか なおきかかみの ことつけは
 なおりなかとみ かみたまふ ともにつくへし

―――――――――――――――――――――――――――――
 「タネコも御祖 ワカヒコが 直き明暗見の 殊 継げば
 “直り中臣尊” 賜ふ ともに継ぐべし」

―――――――――――――――――――――――――――――

■ワカヒコ
アマノコヤネの斎名です。タネコはコヤネの孫です。
ニニキネ、ヒコホオデミ、ウガやフキアワセズ の3朝で 左の臣(=鏡臣) を務めました。

         ┌フツヌシ
        ??┤
         └アサカ姫┐
              ├──アマノコヤネ
 ツハヤムスビ─??─ヰチチ─┘     ├──オシクモ──タネコ
                    ├──ヒタカヒコ
 トヨケ─??─ヲバシリ─タケミカツチ─ヒメ  (ヒタチ)


■明暗見の殊・鏡の殊 (かがみのこと)
「陽陰を調和する優れた功・鏡の臣としての格別の功」 という意です。 ▶殊
鏡の臣は 天と地/神と人を結ぶ 陽陰の纏り が主な任務です。
“陽陰の纏り” の換言が カガミ(明暗見・鏡)です。

 カガミは 「陽陰/天地/日月 の中和・調和」 を意味し、その状態がナオリ(直り)です。


■直り中臣尊 (なおりなかとみかみ)
歴代の鏡の臣としての直き功を称えて、当代の鏡の臣であるアメタネコに、
タケヒトが賜った尊名です。 ▶鏡の臣

 ★中臣 (なかとみ)
 ナカ(中)は ナク(和ぐ)の名詞形で、「陽陰を和ぐ臣・陽陰を調和する臣」 の意です。
 ですからこれは カガミノトミ(明暗見の臣・鏡の臣) の換言です。


■継ぐべし (つぐべし)
「代々引き継げ・世襲せよ」 という意です。

 

【概意】
「タネコも先祖ワカヒコの、直きカガミの功を継げば、
“直り中臣尊” の名を授ける。ともに代々継ぐべし。」



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 よほきさら ねうゑのきなゑ みことのり
 みをやのかみの みやことり わかみおてらし
 あたむけて みなをさむゆえ あめとみに かもおうつさせ
 みをやかみ まつるはりはら とりみやま
 あたねおかもの たけすみの まつりつかせて くにつこそ

―――――――――――――――――――――――――――――
 四年二月 ネウヱのキナヱ 御言宣
 「御祖の神の 都鳥 我が身を照らし
 仇平けて 穢 治むゆえ アメトミに 賀茂を写させ
 御祖神 纏る榛原 鳥見山
 アタネを賀茂の タケスミの 政 継がせて 国造ぞ」

―――――――――――――――――――――――――――――

■二月ネウヱのキナヱ (きさらねうゑのきなゑ)
これは今後よく出てくる日付の表示法なので、覚えてください。 ▶干支
この場合は 「2月1日がネウヱで、その月のキナヱの日」 という意で、それは 「2月23日」 になります。


■御祖の神の都鳥 (みをやのかみのみやことり)
“御祖の神” は ここでは 「先祖の神霊」 という意で、これは 「ニニキネの神霊」 をいいます。
“都鳥” は 「ニニキネの神霊を纏る宮の鳥」 という意です。ニニキネの神霊は ワケツチ宮 に纏られ、
ワケツチ(分土) は賀茂の換言ですから、“都鳥” というのは カモ(鴨・賀茂)を意味します。


■我が身を照らす (わがみおてらす)
タケヒトは夢の告げに従い、香山の埴で斎瓮を造り、アタネをして丹生川端に
ニニキネの神霊を3日祭らせましたが、そのおかげを以って勝利を得たと考え、
“我が身を照らす” と表現しています。

 故に香山 埴 取りて 帰れば君も 喜びて 斎瓮を造り ニフ川の ウダに写せる 朝日原
 アマテル・トヨケ 二祭は ミチオミぞ また カンミ孫 アメマヒが曾孫 
アタネして 
 
ワケツチ山の 御祖神 三日祭らせて 仇を討つ 
〈ホ29ー4〉


穢 (みな)

アメトミ (▽斎瓮臣)
橿原宮を建設した臣で、インベ氏 (斎部氏/忌部氏) の祖です。


■賀茂を写す (かもおうつす)
新たに宮を造り、ワケツチ宮に纏られる “賀茂の神” を写すということです。

 ★賀茂の神 (かものかみ)
 「ワケツチ山の宮に纏られる神」 の意で、「ニニキネの神霊」 をいいます。


■榛原 (はりはら)
「貼り原」 の意で、御祖神を 「貼り写した区画」 という意です。
“御祖神” は やはり 「ニニキネの神霊」 です。この地は現在 榛原(はいばら) と呼ばれています。


■鳥見山 (とりみやま)
「鳥を合せた山・鳥を纏った山」 の意で、もちろん “鳥” は 「カモ」 です。
ですから 「賀茂の神=ニニキネの神霊 を纏った山」 という意味です。

 墨坂神社 (すみさかじんじゃ)
 奈良県宇陀市榛原萩原703。 
 現在の祭神:墨坂神
 ・東西南北にそれぞれ神社が配置され、現在確認されているのは、
  北の鳥見社と南の墨坂神社で、鳥見社は元々天神社と呼ばれ皇祖天神を祀り
  墨坂神社に合祀された後 再度分祀されたとの口伝があるという。
  尚、現墨坂神社の地は 天富命(忌部氏祖)の邸跡と伝えられている。


賀茂のタケスミ (かものたけすみ)
「賀茂(=河合)の県を治めるタケスミ」 という意です。タケヒトの母方の祖父です。

                    ヤセ姫
 ニニキネ───ヒコホオデミ──┐    ├──────1.ヰツセ
                ├─ウガヤフキアワセズ
 ハテスミ─┬トヨツミヒコ   │    ├──────3.イナイイ
      ├────トヨタマ姫┘    ├──────4.カンヤマトイハワレヒコ
      ├────タケスミ─┐    │     
      └オトタマ姫    ├──タマヨリ姫
                │    ├ー─────2.ミケイリ(出雲の御子)
 クシヒコ─コモリ─イソヨリ姫─┘  ワケイカツチ神
                    (白羽の矢)


国造 (くにつこ)
この場合は 「山背の国造」 です。 ▶山背
上賀茂の県主である アタネ に、タケスミの後任として、下賀茂(=河合)の県主を兼任させ、
かつ山背の国造に昇格させるということだと思います。

 

【概意】
神武4年2月ネウヱのキナヱ(23日)に御言宣。
「御祖の神の都鳥(=カモ)は我が身を照らし、仇を平らげて汚穢を治めたゆえ、
アメトミに賀茂の神を写させ、御祖神をハリハラの鳥見山に纏る。
またアタネに賀茂のタケスミの治めを継がせて、かつ山背の国造とする。」



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 むつきそひかは あかためし みきおたまはる はしめなるかな
―――――――――――――――――――――――――――――――
 一月十一日は 県 召し 御酒を賜はる 初めなるかな
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■一月十一日 (むつきそひか)
タケヒトが大和平定の論功行賞を行った日でした。=次春十一日  ▶睦月(むつき)

 
■県召す (あがためす) ■県召 (あがためし)
アガタ(県) は 「分割・区分・区画」 などが原義で、この場合は 「行政区分の司」 をいいます。
“県召す” は1月11日に各行政区の司を都に召して、官職に任じることをいいますが、
後には 「県召除目」 と呼ばれる公の儀式となります。 ▶県召除目

 

【概意】
1月11日は県の主を召して御酒を賜る初めなるかな。

 

本日は以上です。それではまた!

 

 

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