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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第164回 [2024.7.2]

第二九巻 タケヒト ヤマト打ちの文 (6)

著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com

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 神武天皇-1-6

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 たけひとやまとうちのあや (その6)
 タケヒト ヤマト打ちの文 https://gejirin.com/hotuma29.html
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 すへをさまれは つくしより のほるたねこと ものぬしに
 みやこうつさん くにみよと みことおうけて めくりみる
 かしはらよしと もふすとき きみもをもひは おなしくと
 あめとみおして みやつくり

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 統べ治まれば ツクシより 上るタネコと モノヌシに
 「都移さん 地見よ」 と 御言を受けて 巡り見る
 「橿原よし」 と 申す時 君も 「思ひは 同じく」 と
 アメトミをして 宮造り

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■統べ治まる (すべをさまる)
ここでは 「すべて治まる・みんな治まる」 の意です。


タネコ・アメタネコ・アマノタネコ
タケヒトの東征にウサまで随行した後、ウサツヒコのウサコ姫を娶って、
ツクシの治人
に任じられ、以後九州の統治を預っていました。

         ┌フツヌシ
        ??┤
         └アサカ姫┐
              ├──アマノコヤネ
 ツハヤムスビ─??─ヰチチ─┘     ├──オシクモ──────タネコ
                    ├──ヒタカヒコ(ヒタチ)  │
 トヨケ┬??─ヲバシリ─タケミカツチ─ヒメ             │
    │                             ├ウサマロ(宇佐津臣命)
          ┌ヒルコ                   │
    └─イサナミ┐├アマテル────タナコ  ┌イヨツヒコ   │
          ├┼ツキヨミ──┐  ├───┼トサツヒコ   │
 アワナギ─イサナキ┘└ソサノヲ  ├イブキヌシ └ウサツヒコ─ウサコ姫
                  │
 サクナギ─イヨツヒコ─イヨツ姫──┘


■モノヌシ
クシミカタマ です。

 
■カシハラ (橿原・▽畏原)
「高き区画・御上の区画」 の意と考えます。
カシ+ハラ(原) で、カシ は カス(▽上す) の名詞形。
カツラギ(葛城) の換言かと思案中です。また 軽(かる:‘上る’ の意) も カシハラ の略称かと。

 橿原神宮 (かしはらじんぐう)
 奈良県橿原市久米町934。
 現在の祭神:神武天皇、媛蹈鞴五十鈴媛命
 ・民間有志の請願に感銘を受けた明治天皇により、
  1890年(明治23年)4月2日に官幣大社として創建。


■アメトミ
ホツマに出自・素性の説明はありませんが、
古語拾遺では 天富命 と記され、フトタマの孫とされます。

 アメは インベ(斎瓮)の音変化で、アメトミは 「斎瓮臣」 の意と考えます。
 アメトミの後裔氏族が インベ(斎部/忌部)氏です。 ▶斎瓮

 安房神社 (あわじんじゃ)
 安房国安房郡。千葉県館山市大神宮589。 
 現在の祭神:[上の宮]天太玉命 [下の宮]天富命

 

【概意】
すべて治まれば、九州より上るタネコとモノヌシに 「都を移さん、地を見よ」 と。
御言を受けて巡り見て、「橿原よし」 と申す時、君も 「思いは同じく」 と、アメトミをして宮造り。



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 きさきたてんと もろにとふ うさつかもふす
 ことしろか たまくしとうむ ひめたたら ゐそすすひめは
 くにのいろ あわみやにます これよけん
 すへらきゑみて きさきとす

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 「后 立てん」 と 諸に問ふ ウサツが申す
 「コトシロが タマクシと生む姫 タタラヰソスズ姫は
 地の色 阿波宮に座す これ良けん」
 統君 笑みて 后とす

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  ここは五七調が少々いびつなため言葉の区切りを調整しています

■后立つ (きさきたつ)
“立つ” と言う場合、この后は 御后内宮 を意味します。


■ウサツ
ウサツヒコ の略です。タネコといっしょに九州から上京したようです。


■コトシロ ■タマクシ ■タタラヰソスズ姫
コトシロは ツミハ八重コトシロ とも呼ばれる ツミハ をいいます。
タマクシは ミゾクイ の娘で、ツミハの妻となった タマクシ姫 です。
この夫婦は クシミカタマ、クシナシ、タタラヰソスズ姫を生んでいます。

 コモリ┬ツミハ───────┐┌クシミカタマ(斎名ワニヒコ)
    │(2男)        ├┼クシナシ(斎名ナカヒコ)
    └ミゾクイ─タマクシ姫┘└タタライスズ姫
     (11男)


■地の色・国の色 (くにのいろ)
「この世の色・地上の美」 というような意味でしょう。


■阿波宮 (あわみや)
コトシロが館” の別名です。


良けん (よけん)

統君 (すべらぎ・すめらぎ)

 

【概意】
「后を立てん」 と諸に問えば、ウサツヒコが申して
「コトシロがタマクシと生む姫、タタラヰソスズ姫は地の色。阿波宮に座す。これ良からん。」
統君は笑みて后とする。



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 ことしろぬしお ゑみすかみ まこのくしねお あかたぬし
 やしろつくらせ めのふそか まつるおおみは かんなみそ
 かんよりになも かんやまと いはわれひこの あまきみと
 あまねくふれて としさなと かしはらみやの はつとしと
 みよかんたけの おおいなるかな

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 コトシロヌシを ヱミス神 孫のクシネを 県主
 社 造らせ 十月の二十日 纏るオオミワ 神並みぞ
 神よりに名も “神山下 斎われ彦” の 天君と
 あまねく触れて 年サナト 橿原宮の 初年と
 御代カンタケの 大いなるかな

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■コトシロヌシ
クシミカタマとタタラヰソスズ姫の父である ツミハ を指します。
この時点ではすでに神となっています。


■ヱミス神 (ゑみすかみ)
タケヒトがツミハに贈った神名です。
“地の色” のタタラヰソスズ姫を生んで、「タケヒトを笑ます神」 という意味でしょう。

 「タタラヰソスズ姫は 地の色 阿波宮に座す これ良けん」 統君 笑みて 后とす 〈ホ29-6

またツミハの先祖であり、初代のコトシロヌシのクシヒコが “ヱミス” と呼ばれたことにも
関連付けていると考えられます。


■孫のクシネ (まごのくしね)
クシミカタマの子で、ツミハの孫である アタツクシネ(斎名タタヒコ) の略です。

            ┌オオタ(12男)──ミラ姫
 クシヒコ───コモリ │         ├────アタツクシネ
         ├──┴ツミハ(次男)┬クシミカタマ
 スヱツミ─イクタマヨリ姫      ├クシナシ
                   └タタライスズ姫


■県主 (あがたぬし)
この場合は 「ミモロ山の大神神社を管轄する県の主」 を言うと考えられますが、
この当時、それは “何県” と呼ばれたかについては定かではありません。
後世の延喜式人名帳では、大神神社 は 城上郡 に属していますが、
それ以前は 久米御県(くめのみあがた) だったのかもしれません。 ▶御県

 久米御県神社 (くめのみあがたじんじゃ)
 大和国高市郡。奈良県橿原市久米町786。
 現在の祭神:高皇産霊神、大来目命、天櫛根命
 <筆者注> 天櫛根命はアタツクシネではないかと思います。


■十月の二十日 (めのふそか)
陰暦10月は メツキ、カミナツキ などといいますが、
“メ”、“カンナ” と略す場合が多いです。


■オオミハ・オオミワ・ヲオミワ (▽皇見張・大三輪・大神)
オオ(皇)+ミハ/ミワ(▽見張) で、ミハ/ミワ(▽見張) は ミモロ(▽見守) の換言です。
オオミハは 「皇の守り」 という意で、これは ヲヲコ(皇籠)オオモノヌシ の換言です。

 ★ミハ・ミワ (▽見張・三輪・神)
 ミハリ(見張り)の略で、「見張り・見守り・番」 などの意です。


■神並み・神名備 (かんなみ・かんなび)
「神がまとう所・神が鎮まる所・神の社」 をいいます。
カン(神)+ナミ(並み) で、ナミは ナム(並む・▽和む)の名詞形。
「合い・寄り・まとい・連なり」 などを意味します。

 大神神社 (おおみわじんじゃ)
 大和国城上郡。奈良県桜井市三輪1422。
 現在の祭神:大物主大神

 これまでにミモロ山(=三輪山)には、クシヒコが入った辞洞や、オオナムチが
 我が先霊を纏った社がありますが、改めて社殿を建ててオオモノヌシの神霊を纏り、
 そこにコトシロヌシのツミハの神霊も合せて纏ったということだと思います。


■神寄りに (かんよりに)
「神によりて・神にあやかって・神にちなんで」 などの意です。


■神山下斎われ彦 (かんやまといはわれひこ)
「神の山の下を都とする、オオモノヌシ神に祝福される司」 という意と考えます。 ▶彦
イハフ(斎ふ・祝ふ) は この場合は 「大切にする・かしずき守る・祝福する」 という意です。
記紀には カンヤマトイワレヒコ(神倭伊波礼毘古/神日本磐余彦) と記されます。

 ★神山 (かんやま)
 「オオモノヌシ神の坐す山」 の意で、ミモロ山/ミワ山アオカキ山タカクラ山 の換言です。


■天君 (あまきみ)
この時代には アマキミ(天君) の本来の意味は失われ、アマツキミ(和つ君) の換言となっています。
天の皇君(あまのすべらきみ)、天皇(あますべらぎ)とも呼ばれ、後世には 天皇(てんのう) です。


■サナト
サナトは干支の58番目の年で、これは 「上鈴58年」 に当ります。 ▶上鈴

 先帝の 御祖天君(=ウガヤフキアワセズ) の帰天が 上鈴20年ネシトで、
 この時タケヒトは15歳ですから、52歳での即位です。
 東征に出発したのは上鈴51年キミヱでした。


■橿原宮 (かしはらみや)
「橿原宮を都とする朝廷/政府」 を意味します。 ▶カシハラ
この宮の発足により、テルヒコを祖とする アスカ/カグヤマの宮 (朝廷/政府) は終焉し、
ニニキネを祖とする中央政府に吸収されます。

 
■初年 (はつとし)・初の年 (はつのとし) ■初暦 (はつこよみ)
「開始の年・最初の年・元年」 の意で、初暦(はつこよみ)ともいいます。


御代 (みよ)
もともとは 「合わせ・まとまり・結い・節」 などを原義とし、ヨ(節・代) と同じでしたが、
この時代には 「天皇の時代区分」 の意に変わりつつあると思い、“御代” と当てています。


■カンタケ (神武)
カンタケは カンヤマトイハワレヒコの “カン” と、斎名タケヒトの “タケ” を
つなぎ合せたものでしょう。今風に言えば “神武(じんむ)” です。
“御代カンタケ” は 「神武の御代・神武年間・神武の元号」 を意味します。
上鈴58年サナトを 「神武元年」 と定めたということです。

 本講座では、神武元年=紀元前660年 と仮定しています。

 

【概意】
コトシロヌシ(=ツミハ)を “ヱミス神” と称え、
孫のアタツクシネを県主として社を造らせ、
10月20日に纏る大三輪(=オオモノヌシ)の神名備ぞ。
神に因みて名も “神山下祝われ彦の天君” とあまねく触れて、
年サナトを橿原朝の初年と。御代 “神武” の大いなるかな。


 “サナト” は 現在の干支の 辛酉(かのと・とり) に相当し、
 この神武朝の発足が 「辛酉革命説」 の根拠の一つになっています。
 しかしホツマをさかのぼって調べると、もっとすごい例が見つかります。

 ・二十一鈴 百二十六枝 年サナト 三月一日 日の山下 新宮造り 
  陽陰御子は ヒタカミよりぞ 移ります 〈ホ6ー1〉
 ・二十五鈴 百三十枝の 年
サナト 春の初日に
  世の日月 御子オシヒトに 譲りまし 〈ホ19bー1〉

 このようにアマテルもオシホミミも サナトの年に即位しているのです。

 

本日は以上です。それではまた!

 

 

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