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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第165回 [2024.7.5]

第三〇巻 天君 都鳥の文 (1)

著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com

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 あまきみみやこどりのあや (その1)
 タケヒト ヤマト打ちの文 https://gejirin.com/hotuma30.html
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 あまきみみやことりのあや
 あまきみの もとはみまこの いかつちお わけてをさむる
 ををんかみ ほめてみまこは あまかみの あらはるいつと
 たまふなは わけいかつちの あまきみと
 みくさもわけて あめみまこ ひたりかすかと みきこもり
 さつけてよよに これおつく

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 天君 都鳥の文
 天君の もとは御孫の 雷を 別けて治むる
 大御神 褒めて御孫は 天神の 現る稜威と
 賜ふ名は “ワケイカツチの 天君” と
 三種も分けて 陽陰御孫 左カスガと 右コモリ
 授けて代々に これを継ぐ

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天君 (あまきみ)
天神(=トコタチ)の神霊が世に現れた君」 という意味の称号です。
この称号はアマテルが認定して授与しますが、ワケイカツチの天君 がその初めです。
その次が 御祖に継がふ天君、そして 御祖天君 が最後のものとなりました。
ゆえに神武天皇以降の “天君” は 名ばかりのもので、“和つ君” の換言です。 ▶和つ君

 アマテルが天に還ってすでに久しいこの時代、
 “天君” の名の響きは、古き良き時代の象徴・憧れとなっています。


■都鳥 (みやこどり)
ホ24アヤでは 彼の鳥 と呼ばれており、
「君と臣と民が形成する国家になぞらえた想像上の鳥」 をいいます。

 彼の鳥の 形はヤタミ 頭は君 鏡は左羽 剣 右羽 モノノベは足 ホ24-1


御孫 (みまご) ■陽陰御孫 (あめみまご)

■雷を別けて治む (いかつちおわけてをさむ)
鳴神を別けて鎮むる”  “雷別けて神を生む”  の換言です。


■天神の現る稜威 (あまかみのあらはるいつ)
「天神(=トコタチ)の神霊がニニキネに現れて成せる殊勲」 という意です。 ▶稜威


ワケイカツチの天君 (わけいかつちのあまきみ)

三種も分けて (みくさもわけて)

■左カスガと右コモリ (ひだりかすがとみぎこもり)
ニニキネの左の臣 のカスガ(=コヤネ)、また右の臣 のコモリです。 ▶コヤネ ▶コモリ

 

【概意】
天君 都鳥の文
天君のもとは、雷を別けて治める御孫にあり。
アマテル大御神は 「御孫はトコタチの現れる殊勲」 と褒め、
賜う名は “ワケイカツチの天君” と。
三種宝も陽陰御孫と左右の臣のカスガとコモリに分けて授け、代々にこれを継ぐ。



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 みをやつくしに くたるとき をしてはもちて みかかみは
 ひたりおしくも やゑかきは くしみかたまに さつけおき
 みをやつくしに ひたるとき かみのをしては たけひとに
 ははたまよりも かみとなる
 かかみはかあひ やゑかきは わけつちみやに あつけおく

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 御祖 ツクシに 下る時 璽は持ちて 御鏡は
 左オシクモ ヤヱ垣は クシミカタマに 授け置き
 御祖 ツクシに ひたる時 尊の璽は タケヒトに
 母タマヨリも 神となる
 鏡は河合 ヤヱ垣は ワケツチ宮に 預け置く

―――――――――――――――――――――――――――――

■御祖 (みをや)
御祖天君(みをやあまきみ) の略です。


■ツクシに下る時 (つくしにくだるとき)
御祖天君が、その最晩年に九州を巡幸したことをいいます。

 天君は ツクシに御幸 室津より オカメに召して ウトの浜 カゴシマ宮に
 三十二守 巡幸りを乞えば 恵り回て 廃るを直し 絶えを治し 
ホ27-7


■璽 (をして) ■尊の璽 (かみのをして)
和君の璽(あまきみのに) である 白矢の璽(しらやのをして) をいいます。 ▶ヲシテ(押手・璽)


御鏡 (みかがみ)

■左オシクモ (ひだりおしくも)
「左の臣のオシクモ」 という意です。 ▶左の臣 ▶オシクモ


■ヤヱ垣 (やゑがき)
三種宝の第3である ヤヱ垣の剣 をいい、御剣(みつるぎ)とも呼ばれます。
この剣の意義については23アヤで詳説されています。
この宝は 先代の大典侍から新皇の右の臣に直接手渡されます。 ▶大典侍 ▶右の臣


クシミカタマ (斎名ワニヒコ)
5代オオモノヌシのクシミカタマ で、御祖天君の右の臣を務めます。
御祖天君の当初の右臣はコモリでしたが、その後 フキネ → クシミカタマ と交代しています。

          ┌ミシマ─タマクシ姫┐┌クシミカタマ┐
         │         ├┤      │
         ├ツミハ──────┘└クシナシ  │
   コモリ───┴カンタチ┐            │(養子)
(3代オオモノヌシ)      ├─フキネ(4代)      ↓
          フトミミ┘   ├──────クシミカタマ
                  │        (5代)
                サシクニ別姫


ひたる

■タマヨリ (たまより)
カンヤマトイハワレヒコ(斎名タケヒト)の母の タマヨリ姫 です。

                    ヤセ姫
 ニニキネ───ヒコホオデミ──┐    ├──────1.ヰツセ
                ├─ウガヤフキアワセズ
 ハテスミ─┬トヨツミヒコ   │    ├──────3.イナイイ
      ├────トヨタマ姫┘    ├──────4.カンヤマトイハワレヒコ(斎名タケヒト)
      ├────タケスミ─┐    │     
      └オトタマ姫    ├──タマヨリ姫
                │    ├ー─────2.ミケイリ(出雲の御子)
 クシヒコ─コモリ─イソヨリ姫─┘  ワケイカツチ神
                    (白羽の矢)


河合 (かあひ)
「河合の宮」 をいいます。
当初はタマヨリ姫の両親の カモタケスミ&イソヨリ夫婦の神霊を纏った宮でしたが、
その後、御祖天君&タマヨリ姫が帰天すると、その夫婦の神霊も河合の宮に合せて纏り、
それが現在の賀茂御祖神社の基となります。

 河合神社 (かわいじんじゃ) 
 山城國愛宕郡。京都府京都市左京区下鴨泉川町59、賀茂御祖神社内摂社。
 現在の祭神:玉依姫命
 ・延喜式は 鴨川合坐小社宅神社 と記す。
 <筆者注> 当初の祭神はカモタケスミ&イソヨリ姫の夫婦で、この社が賀茂御祖神社の前身。

 賀茂御祖神社 (かもみおやじんじゃ)
 山城國愛宕郡。京都府京都市左京区下鴨泉川町59。 
 現在の祭神:玉依媛命、賀茂建角身命


ワケツチ宮 (わけつちみや:分土宮)

 

【概意】
御祖天君が九州に下る時、璽は身に携え、
御鏡は左の臣のオシクモに、八重垣の剣はクシミカタマに授け置き、
御祖が九州にて帰天する時、尊の璽はタケヒトに授ける。
母タマヨリも神となると、鏡は河合の宮に、八重垣剣はワケツチ宮に預け置く。



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 なかすねひこは やまさきに かわふねこはむ ものぬしか
 うたんとすれは ゐつせみこ おそれたかより ゆくつくし
 くしみかたまは おしくもと なかすねうては にけゆくお
 おひてかわちに ととまりて たけちのこりと あうゑもろ
 やまとのそふに ふせかしむ
―――――――――――――――――――――――――――――
 ナガスネヒコは 山崎に 川船拒む モノヌシが
 打たんとすれば ヰツセ御子 恐れタガより 行くツクシ
 クシミカタマは オシクモと ナガスネ撃てば 逃げ行くを
 追ひて河内に 留まりて タケチノコリと アウヱモロ
 大和のソフに 防がしむ

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ナガスネヒコ・ナガスネ

■山崎に川船拒む (やまざきにかわぶねこばむ)
ハラミの御子食糧援助中止の措置に対抗して、ナガスネは 山崎の関 を封鎖し、
淀川を利用した物や人の流通をブロックするのです。

・故にハラミの 御子触れて ホツマ・ヒタカミ 糧船を 上さぬゆえに ホ28ー8
・ハラの皇君は 糧止む 故に
ナガスネ 船止む ホ29-1

こうなるとタガの宮は半ば孤立無援の状態となり、国家首都としての機能を失うため、
タガの皇君のヰツセも九州に避難することになります。


ヰツセ御子 (ゐつせみこ)
御祖天君が九州に巡幸する際、ヰツセに タガの皇君 の称号を与え、
天君の留守中、国家首都タガ宮を司る主に任じています。

 時にヰツセに 御言宣 “タガの皇君” と ホ27ー7


オシクモ

河内 (かうち・かわち)

■タケチノコリ
タケチは県の名、コリ(凝り)は 「まとめる者・括る者」 の意で、
「主・長・守・司」 の換言です。ですから 「タケチの県主」 という意です。
旧事紀に 武乳遺命 と記され、ココトムスビの子とします。

 不詳ですが、タケチは現在の 大阪府高石市 をいうのではないかと考えてます。


アウヱモロ・アフヱモロ・オフエモロ (▽合江守)
ホツマに説明はありませんが、タケチノコリとアウヱモロは、
旧事紀の言う “ココトムスビの子” ではなく、オシクモの子と考えています。

         ┌フツヌシ
        ??┤
         └アサカ姫┐
              ├──アマノコヤネ
 ツハヤムスビ─??─ヰチチ─┘     ├──オシクモ──┬タネコ
        (ココトムスビ)     ├──ヒタカヒコ ├アウヱモロ(推定)
                            タケチコリ(推定)
 トヨケ─??─ヲバシリ─タケミカツチ─ヒメ        


ソフ (添・層富)
アウヱモロとタケチノコリは ニギハヤヒの軍を大和国の添県に追って行って、
動きを封じますが、ニギハヤヒが帰順した後、そのまま添県の知行者とされたようです。
2人が、かつてのカスガ県の主だったココトムスビの子孫だとすれば、頷ける話です。

 添御縣坐神社 (そうのみあがたにいますじんじゃ)
 大和国添下郡。奈良県奈良市三碓三丁目5-8。 
 現在の祭神:建速須佐之男命、 武乳速之命、櫛稻田姫之命
 <筆者考> 旧事紀に 「武乳遺命 添縣主等祖。神名帳云、大和國添下郡添御縣坐神社」 とあり、
        武乳速之命=武乳遺命 と考えられます。

 

【概意】
ナガスネヒコは山崎に川船の通行を拒んだため、モノヌシがこれを討とうとすれば、
ヰツセ御子は恐れて タガより九州へと避難する。
クシミカタマはオシクモとナガスネを撃てば、逃げ行くを追って河内に留まり、
タケチノコリとアウヱモロをして大和国の添県に防がせる。


 ここでのクシミカタマとオシクモの行動は、次のようなものと考えます。
 ・クシミカタマとオシクモが率いる軍は、タガから淀川 (瀬田川-宇治川) を下り、
  山崎の関を封じるナガスネ軍を敗って淀川の通行を回復。
 ・そのまま川を下って河内に留まり、その地を治めるアウヱモロとタケチノコリに命じて、
  淀川-木津川と逆上って大和国へ攻め込ませ、添の県を制圧、ナガスネ軍の動きを封じる。



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 ものぬしかえり おしくもは かわちにゆきて おしほより
 かすかおまねき ひらおかの やしろまつりて かみとなる
 つくしのたねこ もおをさめ よかみまつりて
 あうゑもろ かわちおかねて をさめしむ

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 モノヌシ帰り オシクモは 河内に行きて オシホより
 カスガを招き ヒラオカの 社 纏りて 神となる
 ツクシのタネコ 喪を治め 四神祭りて
 アウヱモロ 河内を兼ねて 治めしむ

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オシホ (▽押締・小塩)

 オシクモは 四十八 喪に入り 山背の オシホに納む 東向き ホ28ー7


■カスガを招く (かすがおまねく)
オシホに纏った 「カスガの神霊を招く」 ということです。


■ヒラオカの社 (ひらおかのやしろ)
オシクモが河内に建てた社で、ここにカスガの神霊を招きます。
これが東大阪の 「枚岡神社」 です。 ▶ヒラオカ ▶ヤシロ

 枚岡神社 (ひらおかじんじゃ)
 河内国河内郡。大阪府東大阪市出雲井町7-16。  
 現在の祭神:天兒屋根命、比賣御神、経津主命、武甕槌命
 摂社若宮神社:天忍雲根命


■ツクシのタネコ (つくしのたねこ)
「ツクシの治人として治めを預るタネコ」 という意です。 ▶ツクシの治人 ▶タネコ
この場合は、オシクモの葬儀のために一時的に九州から上って来たということです。

         ┌フツヌシ
        ??┤
         └アサカ姫┐
              ├──アマノコヤネ
 ツハヤムスビ─??─ヰチチ─┘     ├──オシクモ──┬タネコ
        (ココトムスビ)     ├──ヒタカヒコ ├アウヱモロ(推定)
                    │        └タケチコリ(推定)
 トヨケ─??─ヲバシリ─タケミカツチ─ヒメ        


■四神 (よかみ)
アマノコヤネが 家督を引き継いだ4家 の先祖の神霊をいい、
アマノコヤネ、ヒメ、フツヌシ、タケミカツチ の4神をいいます。


■河内を兼ねて (かわちおかねて)
アウヱモロはタケチノコリと共に大和国添県の領主となりましたが、
以前からの領地である “河内も合せて” 治めさせるという意でしょう。

 

【概意】
モノヌシはタガの宮に帰り、オシクモは河内に行きて、
オシホよりカスガを招き、ヒラオカの社に纏りて後、自らも神となる。
ツクシのタネコは喪を治め、オシクモの神霊と4神をヒラオカの社に合せ纏り、
アウヱモロに河内を兼ねて治めさせる。



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 おおものぬしは あわうみの おおくにみやお つくりかえ
 こしねのくにも さほこみな たみおをさめて しつかなり

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 オオモノヌシは アワ海の オオクニ宮を 造り替え
 越根の国も サホコみな 民を治めて 静かなり

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アワ海 (あわうみ:▽和海)

■オオクニ宮 (おおくにみや:央国宮)
モノヌシが館 の別名です。

 タガ皇君の代殿となったオオモノヌシのクシミカタマは、地方政庁であるオオクニ宮を
 造り替えて中央政庁の別館とし、根の国とサホコ国の統治にあたったということだと思います。
 クシヒコの別名の “オオクンヌシ” は 「央国の主」 という意味です。


越根の国 (こしねのくに) ■サホコ

 

【概意】
オオモノヌシはアワ海のオオクニ宮を造り替え、越根の国もサホコも、民を治めて静かなり。


 と、ここまではタケヒトが大和国を制圧して橿原宮を建てるまでの経緯を振り返る内容でした。
 これ以降は いよいよ橿原宮でタケヒトが即位する場面となります。

 

本日は以上です。それではまた!

 

 

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