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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第178回 [2024.8.26]

第三二巻 ふじとあわ海 見つの文 (2)

著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com

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 孝霊天皇-2

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 ふじとあわうみみつのあや (その2)
 ふじとあわ海 見つの文 https://gejirin.com/hotuma32.html
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 あすそふかあさ すわはふり はらやまのゑお たてまつる
 きみこれおほむ おなしとき しらひけのまこ あめみかけ
 あわうみのゑお たてまつる きみおもしろく たまものや

―――――――――――――――――――――――――――――
 明す十二日朝 諏訪ハフリ ハラ山の絵を 奉る
 君これを褒む 同じ時 シラヒゲの孫 アメミカゲ
 アワ海の絵を 奉る 君おもしろく 賜物や

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明す (あす)

■諏訪ハフリ (すわはふり)
「スワのサカオリ宮の守」 という意で “スルガ宮のハフリ” の換言です。 ▶スワ ▶サカオリ宮

 
この時代、サカオリ宮は “ハラミサカオリ” と “スワサカオリ” の 2つが存在します。
 その経緯について後ほど大胆に考察したいと思います。


■ハラ山の絵 (はらやまのゑ)
これは かつてスルガ宮のハフリが 先代の孝安天皇に献上するも、
天皇が受け取らなかった “ハラの絵” と同一です。

 九十二年春 スルガ宮 ハフリ ハラの絵 奉る 皇子申せども 君 受けず 〈ホ31-9〉

ですから、御代が代わって、あらためて新天皇に献上したことになります。


シラヒゲ・シラヒゲ神 (しらひげかみ)
ニニキネの3つ子の次男、ホノススミ(スセリ:斎名サクラギ) の贈り名です。

 故 永らえて 十四鈴の 齢 ウカワの 宮 褒めて  “白髭神” と 名を賜ふ 〈ホ26-1〉


■アメミカゲ
シラヒゲ (=ホノススミ) の孫です。
シラヒゲはアワ海の西岸を治める守でしたから、その後継者と思われます。
(アマツヒコネの子にも 同名の人物 がいますが、それとは別人です)

 アマテル─オシホミミ─ニニキネ┐
                ├ホノススミ┐
 カグツミ──マウラ──アシツ姫┘     ├┬ウツヒコ
                      ││
 オホナムチ─クシヒコ─コモリ──スセリ姫─┘└─??──アメミカゲ


 御上神社 (みかみじんじゃ)
 近江国野洲郡。滋賀県野洲市三上838。 
 現在の祭神:天之御影神


アワ海 (あわうみ)

 

【概意】
<孝霊25年1月> 翌12日の朝、
諏訪のハフリがハラ山の絵を奉り、君はこれを褒める。
同じ時、シラヒゲの孫のアメミカゲが アワ海の絵を奉る。
君は <この偶然が> おもしろく賜物や。



―――――――――――――――――――――――――――――
 あるひかすかに のたまふは
 われむかしこの ゑおみれと あてなてたかく これおすつ
 いまやまさわの ゑあわせは わりふたあわす よきしるし

―――――――――――――――――――――――――――――
 ある日 春日に 宣給ふは
 「我 昔この 絵を見れど 当て無で高く これを棄つ
 いま山・沢の 絵合せは 割札合わす 吉きしるし

―――――――――――――――――――――――――――――

■春日 (かすが)
春日県主の 「チチハヤ」 です。天皇の典侍后 ヤマカ姫 の父です。


■当て無で高く (あてなでたかく)
「当てが無くて高尚なため」 の意に解しています。
つまり 「これといって思い当る (=心を打つ) ものが無く、ただ上品なだけ」
というような意味かと思います。


■山・沢の絵合せ (やまさわのゑあわせ)
“山” は ハラミ山(=富士山)、“沢” は アワ海(=琵琶湖) です。 ▶沢
偶然にも この2つの絵が同時に献上されて揃ったこと をいいます。

 このアヤのタイトル 「ふじとあわ海見つ」 は、“山・沢の絵合せ” を言い換えたものです。


■割札合わす (わりふだあわす)
“割札” は 「文字や絵を描いた1枚の札を2つに割ったもの」 をいい、
切符の半券みたいなものです。割られた2枚の札を合わせた時に、
もとの文字や絵が再現されれば、もとは1つだったことの証拠となります。 ▶札


■吉きしるし (よきしるし)
「良い知らせ・吉徴・吉兆」 という意です。 ▶しるし

 山・沢の絵合せ (割札合せ) が どうして “吉きしるし” なのかと言えば、
 山と沢 (≒上と下・陽と陰) が1つに和合するということが、陽陰和る道 に通じるからでしょう。

 

【概意】
ある日、春日のチチハヤに宣給ふは、
「我は昔この絵を見たが、心を打つものが無くただ高尚なだけと、これを棄てる。
しかし今、山と沢の絵合せは、2つの割札を合わす如くの、めでたきしるし。」



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 はらみのやまの よきくさも ゐもとせまえに やけうせし
 たねもふたたひ なるしるし におうみやまお うるほせは
 ちよみるくさも はゆるそと たのしみたまひ

―――――――――――――――――――――――――――――
 「ハラミの山の 吉き草も 五百年前に 焼け失せし
 胤も再び 生る兆 ニオ海 山を 潤ほせば
 千代見る草も 生ゆるぞ」 と 楽しみ給ひ

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■ハラミの山の吉き草 (はらみのやまのよきくさ)
ハラミ山に生える オ菜ハ菜 の3草をいい、
総称して チヨミグサ(千節見草・千代見草) と呼びます。

 百草あれど ハ・ラ・ミ の三 こと優るゆえ 三草褒め “ハラミ” 山 なり 〈ホ24-7〉

  
■五百年前に焼け失せし (ゐもとせまえにやけうせし)
これは 「500年前にハラミ山が噴火した」 ことを意味します。
そしてこの噴火が スワサカオリ宮 の建設の理由と考えています。 ▶スワ

 サカオリ(▽栄下り)宮 は、「日月の栄光が下りた宮」 という意で、アマテルが生まれた宮です。
 二尊・アマテル・ニニキネ の時代には国家首都だった時期もあり、その後もホツマ国の首都
 として機能します。サカオリ宮は ハラミの宮、ハラ宮ハラミサカオリ宮 とも呼ばれます。

 そしてこの500年前の噴火により、ハラミのサカオリ宮に危機が迫ったものと考えています。
 そのため急遽 スワの地 (現在の甲府) に宮を建設し、都の機能を移転しようとしたのでしょう。
 結果的にはかろうじて被災を免れましたが、都としての機能は次第にスワサカオリに移り、
 ハラミのサカオリ宮は時代と共に廃れていったと、このように考えています。


胤 (たね)

■ニオ海 (におうみ)
“アワ海” の換言で、“ミオの海” とも呼ばれます。 ▶アワ海 ▶ミオ
いずれも 「中の海・中央の海」 を意味します。

 アワ は アフ(合ふ) の名詞形、ミオ は ミフ(▽見ふ) の名詞形、
 ニオ は ニフ(▽和ふ) の名詞形で、いずれも 「合い/合わせ・間(あい)・中」 を意味します。


■千代見る草 (ちよみるくさ)
チヨミグサ(千節見草・千代見草) と同じです。

 

【概意】
「ハラミの山の吉き草も500年前に焼け失せたが、その胤も再び生る兆し。
ニオ海がハラミ山を潤せば 千代見る草も生えるぞ!」 と、楽しみ給い、



―――――――――――――――――――――――――――――
 みそむとし はつはるそかに もときねお よつきとなして
 みてつから みはたをりとめ さつけまし これあまかみの
 おしてなり あさゆふなかめ かんかみて たみおをさめよ
 よそほひお たみにおかませ

―――――――――――――――――――――――――――――
 三十六年 初春十日に モトキネを 代嗣となして
 身手づから 機織留 授けまし 「これ天神の
 オシテなり 朝夕眺め 鑑みて 民を治めよ」 
 装ひを 民に拝ませ

―――――――――――――――――――――――――――――

■モトキネ 
ヤマトネコヒコクニクル (第8代孝元天皇) の斎名です。

 孝安天皇┐
     ├────孝霊天皇
 オシ姫─┘      ┃
            ┃
 磯城県主オオメ──ホソ姫[内宮]───────(7)ヤマトネコヒコクニクル(斎名モトキネ:孝元天皇) 
            ┃
 春日県主チチハヤ─ヤマカ姫[典侍]
            ┃
 十市県主マソヲ──マシタ姫[中橋]
            ┃
 大和国造─┬───ヤマトクニカ姫[内侍]──┬(1)ヤマトモモソ姫
      │   (ヤマト皇宮侍)     │
      │     ┃       3つ子├(2)ヤマトヰサセリヒコ
      │     ┃         │
      │     ┃         └(3)ヤマトワカヤ姫
      │     ┃
      └───ハエ姫[内侍]──────┬(4)兄ワカタケヒコ
          (若皇宮侍)       │
                    3つ子├(5)ヒコサシマ
                      │
                      └(6)弟ワカタケヒコ


身手づから (みてづから)

■機織留 (みはたをりどめ)
機の留の文 (みはたのとめのふみ) の換言です。

 
■天神のオシテ (あまかみのおして)
天神(アマカミ) は アメトコタチ の換言で、ミナカヌシ+トホカミヱヒタメ8神 の総称ですが、
特に日本に降臨した “ヱの尊” と “トの尊” の二兄弟の神霊をいいます。 ▶二兄弟
ですから、降臨した 「ヱ・トの2神が世に残した教えを記した文」 という意味です。 ▶オシテ

 この文の内容は23アヤに少しだけ垣間見ることができます。

 元々明の ミヲヤ神 坐す裏には 北の星 今この上は 見染む目の トの神 坐ます
 その心が 中柱立つ 国の道 天より恵む トの神と 旨に応えて 守るゆえ
 人の中子に 合いもとめ 一つに致す “トの教え” 永く治まる 宝なり
 和の日月を 受くる日の 三つの宝の その一つ 陽陰和る文の 道奥ぞこれ
 〈ホ23ー2〉


朝夕 (あさゆふ)

眺む (ながむ)
ナグ(和ぐ)カム(▽和む・咬む) の同義語短縮です。
ナゴム(和む)
ニゴル(濁る)ヌカル(泥濘る) などの変態で、
いずれも 「合わす・交える・まみれる・まみえる」 などが原義です。
この場合は 「我が身に合わす・見る・思う・かみしめる」 などの意です。


鑑みる (かんがみる)

■装ひを民に拝ます (よそほひおたみにおがます)
御飾りを民に拝ます” の換言です。

 

【概意】
孝霊36年初春10日にモトキネを代嗣となして、身手づから機織留を授けまし、
「これは天神の文なり、朝夕眺め、鑑みて民を治めよ。」 
御飾りを民に拝ませ、



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 やよひなか はらみやまえと みゆきなる
 そのみちなりて くろたより かくやまかもや たかのみや
 すわさかおりの たけひてる みあえしてまつ

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 三月七日 ハラミ山へと 御幸なる
 その道成りて 黒田より 香山・賀茂や タガの宮
 スワサカオリの タケヒテル 御饗して待つ

―――――――――――――――――――――――――――――

■その道成る (そのみちなる)
ナル(成る) は 「できあがる・成立する」 の意で、この場合は
「御幸のルートが極まる/決定する」 の意に解してます。 ▶御幸


クロタ (黒田)

■香山 (かぐやま)
これは アスカ皇君 が 香山(=ハラミ山) を模して造った山をいいます。 ▶香山写す
この山の麓にあったアスカ宮の跡を訪ねたものと思います。


賀茂 (かも)
山背の賀茂に纏られる 別雷神 (ニニキネの神霊)
御祖神 (ウガヤフキアワセズの神霊)
に詣でたのでしょう。 ▶山背
この時代においては、別雷神は ワケツチ宮、御祖神は 河合の宮 に纏られています。


タガの宮 (たがのみや:治曲の宮・多賀の宮)
ウガヤ時代の都跡を訪ね、また タガの神 に詣でたのでしょう。 ▶タガの神


スワサカオリ (諏訪栄下り)
スワのサカオリ宮は 現在の 「甲府」 にありました。 ▶スワ
山梨県甲府市に 酒折(さかおり) の町名が残り、そこには 酒折宮 があります。

 酒折宮 (さかおりみや)
 山梨県甲府市酒折3-1-13。
 現在の祭神:日本武尊


■タケヒテル ■タケテル (斎名)
ホノアカリ(斎名ムメヒト) の2男で、斎名はタケテル。ニギハヤヒ(斎名クニテル) の弟です。
日本書紀に 武日照命 と記されますが、別人 (オオセイイミクマノ) と取り違えられています。


 アマテル─┐
      ├オシホミミ┐
 セオリツ姫┘     ├┬クシタマホノアカリ(斎名テルヒコ)
            ││
 タカキネ──チチ姫──┘└ニニキネ ┌──────ホノアカリ(斎名ムメヒト2代ハラ皇君)
               ├───┼ホノススミ   │
 カグツミ───マウラ───アシツ姫 └ヒコホオデミ  ├─┬ニギハヤヒ(斎名クニテル:2代アスカ皇君)
                            │ └タケヒテル(斎名タケテル:3代ハラ皇君)
 ソサノヲ──オホナムチ──クシヒコ──コモリ───タマネ姫
                           (2女)

2代目ハラ皇君であるムメヒトの、長男のクニテルは アマテルよりニギハヤヒの名を賜って、
代嗣の無かったテルヒコの後を継ぎ、2代目の アスカ皇君 となります。
一方、弟のタケテルは 父の後を受けてホツマ国の治めを継ぎ、3代目の ハラ皇君 となります。

この時代にあっては、ハラ皇君の時代は遥か遠い過去の記憶であり、もはや神代の伝説と化して
いたと考えられます。この時点でまだ永らえているタケヒテルは、いわば “神代の生き残り” です。
(もう一人、さらに長寿の怪物が生き残っていて、そやつは36アヤに出てきます。)


御饗 (みあえ)

 

【概意】
3月7日、ハラミ山への御幸がなる。
その経路も決定し、クロタより香山、賀茂、多賀の宮。
<その後に中山道を東に向かえば>
スワサカオリのタケヒテルが御饗の席を設けて待つ。



―――――――――――――――――――――――――――――
 やまのほり くたるすはしり
 すそめくり むめおおみやに いりゐます
 かすかもふさく みねにゑる みはのあやくさ ちよみかや
 もろくわんとて にてにかし たれもゑくわす

―――――――――――――――――――――――――――――
 山 登り 下るスバシリ
 裾 巡り 梅皇宮に 入り居ます
 春日申さく 「峰に得る 衣の紋草 千代見かや
 諸 食わんとて 煮て苦し 誰も得食わず」

―――――――――――――――――――――――――――――

■山 (やま)
もちろん 「ハラミ山」 です。
ハラミ山が “フジの山” と呼ばれるようになる由来がこの後に語られます。


■スバシリ (趨走り・須走)
スバシル(趨走る) の名詞形で、この時代には すでに富士の登山道の名になっているようです。
この名は 仲直りしたニニキネとアシツ姫が、オキツ浜から “急いで” サカオリ宮に入ったことに
由来し、現在は “須走” と当て字されています。
現在でも須走ルートを下山する際には、走って下る風習があります。

 御所に スワ守 会えば すばしりて サカオリ宮に 入りまして 〈ホ24-6〉

 すばしりぐち【須走口】〈広辞苑〉
 静岡県北東部、駿東郡須走村(現在、小山おやま町)の、富士山の登山口。
 山路は火山砂より成り、下山の際には多く走り下る


■裾 (すそ)
ハラミ山の 「裾野」 をいいます。


■梅皇宮 (むめおおみや)
これは ハラミサカオリ宮 の別名です。
ムメヒト(梅人:ホノアカリの斎名)
が、2代目の ハラ皇君 として
この宮の主となって以来、“梅皇宮” とも呼ばれるようになります。 ▶皇宮


春日 (かすが)

■衣の紋草 (みはのあやくさ)
「衣の文様となっている草」 の意で、千代見草 をいいます。 ▶衣(みは) ▶紋
かつてコモリは ハラミ山の千代見草をニニキネの御衣に染め写しますが、
それが元となって、織物の文様として定着したものと考えられます。

 千代見草 御衣裳に染みて 様 写す 〈ホ24ー7〉


■得食わず (ゑくわず)
「食い得ず・食えない」 という意です。 ▶得・能(え)

 千代見草の一種の ハオ菜/ハホ菜 は非常に苦かったといいます。

 ・食 重なれば 齢なし ゆえに御神 月に三食 苦きハホ菜や 〈ホ1ー2〉
 ・ハオ菜を食めば 千代を得る ワカ菜も同じ 苦けれど
  
ハオ菜は百の 増し苦く 千代を延ぶれど 民 食わず 〈ホ24ー7〉

 

【概意】
ハラミ山に登って、スバシリを下り、裾野を巡って梅皇宮に入り居ます。
春日は君に申して、「峰に得る 衣の紋の草、あれが千齢見草かや?
諸は食おうと煮てみるが、苦くて誰も食えず。」



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 なかみねの あてはあわうみ やつみねは すそのやつうみ
 みつうまり やくれとなかは かわらしと みつくりのうた
 なかはふり なかはわきつつ
 このやまと ともしつまりの このやまよこれ

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 「中峰の 充てはアワ海 八峰は 裾の八湖
 三つ埋まり 焼くれど眺は 変らじ」 と 御作りの歌
  『なかば旧り なかば沸きつつ
  九の山と 共しつまりの 熟山よこれ』

―――――――――――――――――――――――――――――

■中峰の充てはアワ海 (なかみねのあてはあわうみ)
「中峰は アワ海 の土を充てたもの」 という意です。
ハラミ山の頂には 八峰 と、その真ん中に 中峰 が聳えていましたが、
これらは土を盛って造られたものでした。

 ウツロヰが アワ海 渫え ミオの埴と 人担い来て
 朝の間に 
中峰 成せば 尊の名も ヰツアサマ峰 
〈ホ24-4〉


■八峰は裾の八湖 (やつみねはすそのやつうみ)
“中峰” と同じく、「八峰は 裾野に掘った八湖の土を充てたもの」 という意です。 ▶八湖

 ニハリの民が 群れ来たり 湖掘り土を 峰に上げ “八房計り” と 天に応え 〈ホ24-4〉


■焼く (やく)
アク(上ぐ)、ワク(沸く) などの変態です。
この場合は 「火を噴く・噴火する」 という意と思います。


■眺 (なが)
ナグ(和ぐ) の名詞形で、「(目に)入るさま」 を意味し、ナガメ(眺め) と同じです。
ここではハラミ山の 「容姿・景観」 をいいます。


なかば (半ば)
ナカラ(半ら) の変態で、「途中・途上」 を意味し、
この場合は 「(時の経過の) 途中には」 という意です。


旧る (ふる)
この場合は 「経年変化する・朽ちて崩れる」 という意に解しています。


■沸く・湧く (わく)
これも 「噴火する」 ことをいうのでしょう。


■九の山 (このやま)
ハラミ山頂の 「中峰八峰」 をいいます。


■共しつまり (ともしつまり)
「互いに結び付くさま・一つにまとまるさま・一体不二」 を意味します。
シツマリは シツム(為集む) の自動詞専用形 “シツマル” の名詞形です。

 ★為集む (しつむ)
 シ(‘為る’の連用形)+ツム(集む・詰む・積む) の連結で、両語とも
 「合う/合わす・まとまる/まとめる・纏わる/纏る・治まる/治める」 などが原義です。


■熟山 (このやま)
「こなれた山・熟した山・優れ至る山・洗練された山」 などの意で、
ハラミ山の換言
としても用いる場合もあります。

 ★コノ (▽熟)
 コナル(熟る) の母動詞 “コヌ” の名詞形で、「熟練・洗練・優秀・精練・精緻」 などを意味します。

 

【概意】
「中峰の充てはアワ海、八峰は裾の八湖。
湖は3つ埋まり、山は噴火すれども、この姿は変るまいぞ」 と、御作りの歌。

 途中 ある時は朽ち崩れ、またある時には噴火しつつも、
 常に九峰と一体不二の 熟山よこれ



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 かくよみて やまのさらなと おほすとき たこのうらひと
 ふちのはな ささくるゆかり はらみゑて なおうむみうた
 はらみやま ひとふるさけよ
 ふしつるの なおもゆかりの このやまよこれ
 これよりそ なもふしのやま

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 かく詠みて 山の新名と 思す時 タゴの浦人
 藤の花 捧ぐる縁 孕み得て 名を生む御歌
 『ハラミ山 ひとふる咲けよ
  ‘ふしつる’ の 名をも縁の 熟山よこれ』
 これよりぞ 名も “フシの山”

―――――――――――――――――――――――――――――

■新名 (さらな)
サラ(新・更)+ナ(名) です。


■タゴの浦人 (たごのうらびと)
「近くの海の 縁(ふち) に住む人」 という意です。

 この時天皇は 梅皇宮(=ハラミサカオリ宮) にいますから、
 駿河湾の沿岸が “タゴの浦” ということになります。
 ここで語られている由緒により、後には “田子の浦” という固有地名になります。

 ★タゴ (▽類)
 タグフ(比ふ・類ふ) の母動詞 “タグ” の名詞形で、
 「添(沿)うさま・並ぶさま・近いさま」 が原義です。

 ★浦・末 (うら)
 この場合は、海の縁(ふち) をいいます。

 ★縁 (ふち)
 フス(付す) の名詞形で、これも 「接する所・つながる所・分れ目・境界」 などが原義。
 ですから ウラ(浦・末) の換言です。

 
■藤の花/縁の餞 (ふち・ふぢのはな)
“藤の花” に、“縁の人 (=タゴの浦人) の斎餞” の意を重ねます。 ▶斎餞 (ゆふはな)
つまり 「縁(ふち)の人 (=タゴの浦人) が斎餞として捧げる 藤(ふぢ)の花」  という意味です。

 “藤” は フサ(房) の変態ですので、普通は “ふじ” と表記するものと思いますが、
 ここでは “縁(ふち) の人の斎餞” であることを知らせるために、あえて
 “ふち・ふぢ” と表記しているものと考えます。


縁 (ゆかり・ゆくり)
ユク(▽結く)+カル(▽交る) の短縮 “ユカル” の名詞形で、
「結びつき・つながり・交わり・縁(えん)」 などをいい、縁(ふち) と原義は同じです。


■孕み得て (はらみゑて)
「含みを得て」 という意です。 ▶孕み
“孕み” を ハラミ山 に掛けていることは言うまでもありません。


ひとふる (一振)

■咲く・ ▽栄く・▽盛く (さく)
サカエル(栄える)、サカル(盛る) などの母動詞で、「高まる・勢いづく・満ち至る」 などが原義です。


■ふしつる (付し連る/藤連る)
2つの意を重ねます。
1つは “付し連る” で、「付いて連なる」 という意です。これは 共しつまり=不二一体 の換言です。
もう1つは “藤連る” で、「藤が連れてくる・藤の花がもたらす」 という意です。


■フジの山 (ふじのやま)
「フシ(付し・不二) の山」 であり、また 「フジ(藤) の山」 ということです。
これが “富士山” の語源です。

 

【概意】
かく詠みて、山の新名をと思う時、
近くの 浦人(海の人) が の花を捧げる(ゆかり)を 心に留めて、名を生む御歌。
『ハラミ山 ひたすら栄えよ ‘付し連る/藤連る’ の 名をもゆかりの 熟山よこれ』
これよりぞ名も “フジの山”。

 

本日は以上です。それではまた!

 

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