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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第171回 [2024.7.31]

第三一巻 直り神 ミワ神の文 (4)

著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com

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 綏靖天皇-1

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 なおりかみみわかみのあや (その4)
 直り神 ミワ神の文 https://gejirin.com/hotuma31.html
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 にいみやこ かたきにたてて みやうつし
 ここにむかへる ときあすす ももみそよとし つあとはる
 はつひさなゑの ことほきし すえひかさやゑ わかみやの
 いみなやすきね としゐそふ

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 新都 葛城に建てて 宮移し
 ここに迎へる 時 上鈴 百三十四年 ツアト春
 初日サナヱの 寿ぎし 末一日サヤヱ
 若宮の 斎名ヤスキネ 歳五十二

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葛城 (かだき)

■上鈴百三十四年ツアト春初日サナヱ (あすずももみそよとしつあとあるはつひさなゑ)
上鈴134年(ツアト)の新春1月1日(サナヱ)で、紀元前584年に相当します。 ▶上鈴 ▶干支
神武天皇崩御 (上鈴133年3月10日) の、翌年元日です。


寿ぎ (ことほぎ)

■末一日 (すえひか)
「月の末の1日」 の意で、“21日” の換言です。


■若宮 (わかみや)
皇太子の カヌナカワミミ(斎名ヤスキネ) を指します。
ここで 第2代綏靖天皇 に即位します。

 アヒラツ姫
    ├───────1.タギシミミ
 カンヤマトイハワレヒコ (斎名タケヒト)
    ├───────2.カンヤヰミミ (斎名イホヒト)
    ├───────3.カヌカワミミ (斎名ヤスキネ)
 タタラヰソスズ姫

 

【概意】
新都を葛城に建てて宮移し。ここに迎える時は、
上鈴134年ツアトの春、元日サナヱの寿ぎの後の、21日サヤヱ。
若宮の斎名ヤスキネ52歳。



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 あまつひつきお うけつきて
 かぬかわみみの あまきみと たかおかみやに はつこよみ
 かみよのためし みかさりお たみにおかませ
 ははおあけ みうえきさきと

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 和つ日月を 受け継ぎて
 カヌカワミミの 天君と 
高丘宮に 初暦
 上代の例 御飾りを 民に拝ませ
 母を上げ 御上后と

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和つ日月 (あまつひつき)

■天君 (あまきみ)

■高丘宮 (たかおかみや)
御所市森脇に高丘宮跡の石碑が立っています。日本書紀には 葛城高丘宮 と記されます。

 タカオカ(高丘) は タカオ(高尾) と同じで、カツラギ(葛城) の換言です。


初暦 (はつこよみ)
ハツ(発・初)+コヨミ(暦) で 「暦の始発・暦の開始」 という意です。
この場合は 「綏靖天皇の暦の開始=綏靖元年」 ということです。

 初年(はつとし)、初の年(はつのとし)、御代あらたま(みよあらたま)、
 御代の初(みよのはつ)、初御代(はつみよ) などともいいます。


■上代の例 (かみよのためし)
ハラミの例” の換言で、ニニキネが 「ホツマ国にいた時代に発祥したならわし」 をいいます。


御飾りを民に拝ます (みかざりおたみにおがます)
“上代の例” の一つで、即位式や大嘗会の時は、綾錦を着て珠を飾り、
冠・・沓、橘・八幡 など華を尽くして飾り立て、式典の終了後には国民にも披露する、
というものです。


■母を上ぐ (ははおあぐ)
「母の地位を上げる」 という意です。
この場合、母とは神武天皇の皇后である タタラヰソスズ姫 です。


■御上后 (みうえきさき・みうゑきさき)
今風に言えば 「皇太后」 です。 ▶皇太后

 

【概意】
和つ日月を受け継ぎて、カヌカワミミの天君となり、高丘宮に初暦。
上代の例に則り、御飾りを民に拝ませ、母を上げて御上后と。



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 なかつきの ふそかつみゑに おもむろお かしおにおくり
 よそほひは あひらつひめと わにひこと
 とはすかたりお なしはへる

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 九月の 二十日ツミヱに 骸を カシオに送り
 装ひは アヒラツ姫と ワニヒコと
 問わず語りを なし侍る

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■九月の二十日ツミヱ (ながつきのふそかつみゑ)
神武天皇崩御後 1年6か月を経過しています。 ▶九月 ▶ツミヱ


骸 (おもむろ)

■カシオ (白檮尾)
神武天皇の亡骸を納めた場所に付けられた名です。
カス(和す)+シフ(▽締ふ) の短縮 “カシフ” の名詞形で、
両語とも 「合わす・締める・閉じる・仕舞う・納める」 などが原義。
「(人生を) 閉じる所」 の意で、オシホ と同義です。

 古事記は “畝火山の北方の白檮尾の上”、書紀は “畝傍山東北陵” と記します。
 現在は宮内庁が 奈良県橿原市大久保町の山本ミサンザイ古墳を、
 畝傍山東北陵(うねびのやまのうしとらのすみのみささぎ) と定めています。


送る (おくる)

装ひ (よそほひ・よそおひ・よそひ)
ヨソオフ(装ふ)の名詞形で、「身に添えるもの・装備」 をいいますが、
この場合は 「お供・随伴者」 を意味します。


アヒラツ姫・アヒラ姫 (あひらつひめ・あひらひめ)

ワニヒコ
神武天皇の右の臣です。 ▶右の臣


問わず語り (とはずがたり)
「問われることなく語ること」 をいいますが、
これは 「(問うはずもない) 死者に向かって語る」 ということです。
つまり 「死者の供として一緒に墓穴に入ること」、これが本来の意味と考えます。

 

【概意】
9月20日ツミヱに 骸をカシオに納め、
お供にはアヒラツ姫とワニヒコと、問わず語りをなし侍る。



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 きみとみともに ほらにいり かみとなること あすききて
 おひまかるもの みそみたり よにうたううた
 あまみこか あめにかえれは みそみおふ
 まめもみさほも とほるあめかな

―――――――――――――――――――――――――――――
 君・臣 共に 洞に入り 神となること 明日聞きて
 追ひ罷る者 三十三人 世に歌う歌
  『陽陰御子が 天に還れば 三十三追ふ
 忠も操も 通る天かな』

―――――――――――――――――――――――――――――
 
■陽陰御子 (あまみこ・あめみこ)
「アマテル神の御子」 の意と考えられ、タケヒト(神武天皇) を指します。 ▶陽陰

 タカクラシタの夢に、またタケヒト自身の夢にも、アマテル神の告げがあり、
 それがタケヒトを助け 大和平定を実現させます。このことがこの名の由来だと思われます。
 “アマミコ” の名で呼ばれる天皇は タケヒト以外には存在しません。

・みな疲れ臥し 眠る時 タカクラシタに 夢の告げ タケミカツチに 御言宣
 「国さやければ 汝行け」 神に答えは 「行かずとも 国平け剣 下さん」 と 〈ホ29-3〉
・山道 険しく 饐え絶えて 野にしぢまひて 統君の 
夢にアマテル 神の告げ
 「八尺のカラスを 導き」 と 〈ホ29-3〉
・統君祈る 
夢の告げ 「神を祭れよ 香山の 埴の枚手に ヒモロケ」 と 〈ホ29-4〉


忠 (まめ) ■操 (みさほ)
後を追った、クシミカタマをはじめとする臣らの “忠” と、
アヒラツ姫をはじめとする后・侍女らの “操” をいいます。

 

【概意】
君と臣が共に洞に入って神となったことを翌日聞いて、33人が追い罷る。
世に歌う歌 『陽陰御子が 天に還れば 三十三人追う 忠も操も 通る天かな』


 歌中の3つの “アメ” は、どれも意味が違うことに注意してください。
 陽陰御子の “陽陰” は 「日月の神霊・アマテルの神霊」。
 1つ目の “天” は 「天上界・あの世」、2つ目の “天” は 「御上・天皇」 です。



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 ふとしはる みすすよりひめ うちつみや
 しきくろはやか かわまため おおすけきさき
 あたかまこ あたおりひめは すけきさき
 かすかあふゑの もろかめの いとおりひめお ここたへに
 みこなかはしの をしてもり

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 二年春 ミスズヨリ姫 内つ宮
 磯城クロハヤが カワマタ姫 大典侍后
 アタが孫 アタオリ姫は 典侍后
 春日・合ふ江の 守が姫の イトオリ姫を ココタヘに
 ミコ中橋の ヲシテ守

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■ミスズヨリ姫 (みすずよりひめ)
天皇の 内つ宮(=正妃・皇后) です。それにもかかわらず出自の記載は一切なく、
謎のベールに包まれた姫です。日本書紀は イスズヨリ姫(五十鈴依媛命) と記し、
タタライスズ姫
の妹にこじつけています。

 俗に欠史八代といわれるこの時代、后は大和国の県主の娘や孫を娶っているのですが、
 入る局まで世襲されています (例えば磯城県主は “典侍”、春日県主は “ココタヘ” など)。
 内宮については、懿徳天皇がイキシの姫を娶って以降は変わってきますが、
 神武から安寧天皇までは、クシミカタマの血縁の姫が内宮に立てられていたと考えられます。
 それゆえミスズヨリ姫は、クシミカタマか、アタツクシネの娘ではないかと推測しています。

            ┌オオタ(12男)──ミラ姫
 クシヒコ───コモリ │         ├────┬アタツクシネ──ミスズヨリ姫 (推定2)
         ├──┴ツミハ(次男)┬クシミカタマ └ミスズヨリ姫 (推定1)
 スヱツミ─イクタマヨリ姫      ├クシナシ
                   └タタライスズ姫


クロハヤ
オトシキ(弟磯城) の別名で、「大和国磯城県の県主」 です。

 弟ウケシ 猛田県司 クロハヤは 磯城の県司 〈ホ30ー3〉


■カワマタ姫 (かわまため)
クロハヤの娘で、記紀には 河俣毘賣/川派媛 と記されます。
カワマタ(川又)=カワアヒ(川間) で、磯城県の地理的特徴を表す換言と考えます。


大典侍后 (おおすけきさき)


■アタ・アタツクシネ
綏靖天皇の右の臣を務める6代オオモノヌシ アタツクシネ の略です。
大和国のミモロ山を管轄する県の主 も務めています。

          ┌ミシマ─タマクシ姫┐┌クシミカタマ┐
         │         ├┤      │
         ├ツミハ──────┘└クシナシ  │
   コモリ───┴カンタチ┐            │(養子)
(3代オオモノヌシ)      ├─フキネ(4代)      ↓
          フトミミ┘   ├──────クシミカタマ──アタツクシネ
                  │        (5代)     (6代)
                サシクニ別姫


■アタオリ姫 (あたおりひめ)
アタツクシネの孫ということしかわかりません。
またこの姫の名は他の文献には見当たりません。

 クシミカタマ─┬ミスズヨリ姫(推定1)
        └アタツクシネ
                      ├────┬ミスズヨリ姫(推定2)
   アウヱモロ─ヌナタケ姫  ├タケイイカツ────アタオリ姫
                └ヌナソ姫


■春日・合ふ江の守 (かすがあふゑのもろ) ■アウヱモロ
カスガ(春日) は 「大和国の春日県 (=添の県)」 をいいます。 ▶カスガ県 ▶ソフ(添・層富)
アフヱ(合ふ江) は 「川の合・川の間」 の意で、「河内」 の換言です。 ▶河内
モロ は モル(守る) の名詞形で、モリ(守) の変態です。
よって 「春日と河内の県の守」 という意で、2県を治めるようになった アウヱモロ をいいますが、
その後もあいかわらず “アウヱモロ” の名で呼ばれています。

・山後川を 逆上り 河内クサカの アウヱモロ 館に軍 調ひて 〈ホ29-2〉
・追ひて河内に 留まりて タケチノコリと 
アウヱモロ 大和のソフに 防がしむ 〈ホ30ー1〉
・ツクシのタネコ 喪を治め 四神祭りて 
アウヱモロ 河内を兼ねて 治めしむ 〈ホ30-1〉


■イトオリ姫 (いとおりひめ)
春日(=ソフ)と河内の2県を治めるアウヱモロの娘です。日本書紀には 糸織媛 と記されます。
“イトオリ” は ココタエの換言で、「往き来」 を意味すると考えています。

 アウヱモロ──┬オオマ
        ├イトオリ姫
        └ヌナタケ姫


■ココタヘ・ココタエ (▽勾当)
筆頭格の 内侍(ウチメ) を指す名で、仮典侍(かりすけ) とも呼ばれます。
天皇の御言宣やヲシテを諸臣に伝え、また臣からの奏上を天皇に伝える、中継ぎの后です。
“ココタエ” は “コウトウ” と訛り、後世は 勾当内侍(こうとうのないし) と呼ばれます。

 コク(漕ぐ)+タフ(▽回ふ) の名詞形で、タフ は タム(回む) の変態、
 両語とも 「往き来する/させる・回る/回す・伝わる/伝える」 などが原義です。


■ミコ中橋 (みこなかはし)
「君と臣の間を結ぶ橋・君と臣の中継ぎ」 という意で、ココタヘ/ココタエ の別名です。

 ★ミコ (▽上・子)
 この場合は、ミ(御・上) は 「上・御上・君」 を、
 コ(子) は 「臣・守・司」 を意味します。ですから 「君と臣」 を意味します。
 これは、アマテルの 「国守は我が子である」 という言葉によります。

  民は皆 なお我が孫ぞ その民を 守り治むる 国守は これなお我が子 〈ホ23-5〉

 ★中橋 (なかはし)
 「間を結ぶ橋・中継ぎ」 の意で、ココタヘ/ココタエ の別名です。
 後世は 長橋(ながはし) と当て字され、ココタヘの居場所 (長橋の局) をいうようになります。

  ココタヘはその職務上、皇宮の住居殿 (後世の清涼殿) と 公務殿 (後世の紫宸殿) を
  結ぶ渡り廊下沿いの部屋に控えていたためです。 
  ▶参考:平安京の内裏図
  ▶参考:京都御所の長橋局の内観

 
■ヲシテ守 (をしてもり)・ヲシテ執る守 (をしてとるもり)
「言葉/文書の番人」 という意で、ココタヘ の職務を説明しています。 ▶ヲシテ

 

【概意】
綏靖2年の春、ミスズヨリ姫を内つ宮。磯城クロハヤのカワマタ姫を大典侍后。
アタツクシネの孫のアタオリ姫は典侍后。春日・合ふ江の守の姫イトオリ姫をココタヘに。
ココタヘは 君と臣の中継ぎをするヲシテ守り。



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 かたきくにつこ つるきねか めのかつらひめ うちきさき
 いとかつらより しもきさき 
 あめとみかめの きさひめも しもきさきまた ことめみそ

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 葛城国造 ツルギネが 姫のカツラ姫 内后
 妹カツラヨリ 下后
 アメトミが姫の キサ姫も 下后 また 異侍三十

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葛城 (かだき・かつき・かつらぎ) ■国造 (くにつこ)

ツルギネ

■カツラ姫 (かつらひめ) ■カツラヨリ姫 (かつらよりひめ)
ツルギネの2人の娘です。名の “カツラ” は 「葛城」 を意味します。
この2姫も他文献には出てきません。

 ソサノヲ─ヒトコトヌシ┐
            ├┬ヤスヒコ(カツテ)─??─ツルギネカツラ姫
 スヱツミ─ヤスタマ姫─┘└アカホシ           └カツラヨリ姫

 
■内后 (うちきさき) ■下后 (しもきさき)
それぞれ 内侍(うちめ)、おしもめ(乙下侍) の換言です。


アメトミ (▽斎瓮臣)
橿原宮を建設した臣で、インベ氏 (斎部氏/忌部氏) の先祖です。
大和平定の論功行賞において、ホツマはアメトミの名を挙げていませんが、
榛原の領主に任じられていたのかもしれません。 ▶榛原 ▶鳥見山


■キサ姫 (きさひめ)
アメトミの娘です。この姫も他文献には登場しません。

 フトタマ─??─アメトミ─キサ姫


異侍・別侍 (ことめ)

 

【概意】
葛城国造ツルギネのカツラ姫は内后。妹のカツラヨリ姫は下后。
アメトミのキサ姫も下后。またその他の侍女30人。



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 はつきはつひに みことのり
 われきくむかし おおなむち ことなすときに みもろかみ
 われあれはこそ おおよその ことなさしむる さきみたま
 またわさたまは わにひこそ かれおおなむち つきとなす
 みたひめくりて ことなせは ひとりわかれて みたりめの
 わにひこまてか みわのかみ

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 八月初日に 御言宣
 「我聞く 昔 オオナムチ 殊成す時に ミモロ神
 “我あればこそ おおよその 殊成さしむる 先神霊
 また業霊は ワニヒコぞ” 故オオナムチ 嗣となす
 
三度巡りて 殊成せば 一人別れて 三人目の
 ワニヒコまでが ミワの神」

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八月 (はつき)

■殊成す (ことなす)
コトタツ(殊立つ) と同じです。

 
■ミモロ神 (みもろかみ) ■オオモノヌシの神 (おおものぬしのかみ)
「ミモロの山に坐す神」 という意で、“オオモノヌシの神” ともいいます。 ▶ミモロの山
ミモロ山には、まず2代オオモノヌシのクシヒコがこの山の辞洞に、アマテルより拝領した
和の逆矛を抜き持って入っています。 ▶和の逆矛

 ミモロの山に 洞掘りて 和の逆矛 放けながら 入りて静かに 時を待つ 〈ホ23-8〉

その後 初代オオモノヌシのオオナムチが、この山に 宮を造り(高宮神社)、我が先神霊を纏ります。

 「我あればこそ 汝その おおよそに成す 功ぞ … 我は汝の 先神霊 貴霊業霊」 … 
 「汝をば あお垣山(=ミモロ山)に 住ません」 
〈ホ27ー7〉

では ミモロ神/オオモノヌシの神 の実体は、クシヒコの神霊?それとも オオナムチの先神霊?
おそらくそれはどちらでもなく、「オオモノヌシの神」 という新たに生まれた別個の神霊です。

チャネリングの情報によりますと、例えばサンタクロースは実在ではなく架空の人物であるわけですが、
多くの人々がその存在を信じた場合には、霊界にサンタクロースの神霊が実際に生まれるといいます。
そしてその神霊のキャラクターは、人々が信じるところのサンタの人物像が反映されるそうです。
このミモロ神/オオモノヌシ神も、おそらくこの類の神霊、つまり人々の信仰が創造した神霊と考えます。

この場面のミモロ神に限れば、本当はミモロ神ではなく、オオナムチの先神霊であるわけですが、
(27アヤではミモロ神とは呼ばれていません) すでに遠い神代の伝説であるため、この時代においては
ミモロ神 = オオモノヌシの神 = 歴代オオモノヌシの集合霊  と信じられていたものと思います。


先神霊・先霊 (さきみたま・さきたま)

■業霊・業神霊 (わざたま・わざみたま)
「人が地上で行う業を指導する神霊」 をいいます。これも “先神霊” の一部分と考えていいと思います。


ワニヒコ・クシミカタマ
4代オオモノヌシのフキネには嗣子がなく、オオモノヌシ が断絶する恐れがありました。
時に初代のオオナムチは、ワニヒコをフキネの養子となしてこの危機を切り抜けます。

          ┌ミシマ─タマクシ姫┐┌クシミカタマ┐
         │         ├┤      │
         ├ツミハ──────┘└クシナシ  │
   コモリ───┴カンタチ┐            │(養子)
(3代オオモノヌシ)      ├─フキネ(4代)      ↓
          フトミミ┘   ├──────クシミカタマ
                  │        (5代)
                サシクニ別姫

 クシミカタマ は クシミ(貴霊)+ガ(=の)+タマ(霊) で、クシヰワザタマ(貴霊業霊) の換言です。
 これはワニヒコが貴霊業霊の顕現と考えられていたことを意味します。


■三度巡りて殊成す (みたびめぐりてことなす)
「3回 転生して功を立てる」、つまり 「ミモロ神が3人のオオモノヌシに転生して功を成す」
という意味です。神武天皇もこの功を称えていました。

 ワニヒコが 御祖クシヒコ 諌め入る 直きに賜ふ ヤマト尊
 
三代還の直き 功に “直りモノヌシ尊” 賜ふ 
〈ホ30-3〉


■一人別れて (ひとりわかれて)
「一人を別にして」 という意で、その “一人” とは、現地に赴いて九州の統治に当たった、
4代オオモノヌシの 「フキネ」 を指すものと思います。 ▶フキネ

 したがって “三度巡りて殊成す三人” とは、クシヒコ(2代オオモノヌシ)、
 コモリ(3代オオモノヌシ)、クシミカタマ(5代オオモノヌシ) の3人ということになります。


■ミワの神 (みわのかみ)・ミワ神 (みわかみ)
ミワ/ミハ(▽見張)は 「見張り・見守り・番」 を意味し、ミモロ(▽見守)の換言。
ですから ミワの神=ミモロ神 で、「(曲りを)見張る神」 の意です。
さらに “三度巡る” ことを表す 「三輪・三還」 の意味を重ねています。

 

【概意】
8月初日に御言宣。
「我が聞くところでは、昔オオナムチが功成り名遂げた時に、ミモロ神が現れ、
“我あればこそ汝のおおよその成功をなさしめる先神霊。また業霊の顕現がワニヒコぞ” と。
ゆえにオオナムチは ワニヒコをオオモノヌシの嗣となす。
3回転生して功を立てれば、1人別れて3人目のワニヒコまでが “ミワの神”。」



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 よよすへらきの まもりとて なかつきそひか まつらしむ
 あたつくしねに おおみわの かはねたまわる
 わにひこは ももこそふほそ

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 代々 “皇の守り” とて 九月十一日 祭らしむ
 アタツクシネに “オオミワ” の 姓 賜わる
 ワニヒコは 百九十二歳ぞ

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■皇の守り (すべらぎのまもり)
ヲヲコ(皇籠)オオモノヌシオオミワ の換言です。


アタツクシネ

オオミワ (▽皇見張・大三輪・大神)

姓 (かばね)
カバフ(庇ふ)の変態 “カバヌ” の名詞形で、「全体を覆うもの」 が原義。カバネ(屍)と同源です。
この場合は 「一族全体に覆うもの・共通の先祖・共通の名」 をいい、ウヂナ(氏名)とも呼ばれます。

 

【概意】
代々の皇の守りとて、9月11日ミワの神を祭らしめ、
6代オオモノヌシのアタツクシネに “オオミワ” の姓を賜わる。
<殉死した> ワニヒコは192歳であった。

 

本日は以上です。それではまた!

 

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