_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
一から学ぶ ほつまつたえ講座 第172回 [2024.8.3]
第三一巻 直り神 ミワ神の文 (5)
著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
綏靖天皇-2
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
なおりかみみわかみのあや (その5)
直り神 ミワ神の文 https://gejirin.com/hotuma31.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
―――――――――――――――――――――――――――――
つくしより みゆきおこえは みかわりと
なおりなかとみ くたらしむ とよのなおりの あかたなる
みそふのぬしも のりおうく
―――――――――――――――――――――――――――――
ツクシより 御幸を乞えば 御代りと
直り中臣 下らしむ 豊の “直りの県” 生る
三十二の主も 法を受く
―――――――――――――――――――――――――――――
■ツクシ ■御幸
(みゆき)
■御代り (みかわり・みがわり)
カワリ(代り) の尊敬語で、「皇の代理」 を意味します。 ▶御(み)
これは ヲシカ(御使)
の換言です。
■豊 (とよ)
■直りの県 (なおりのあがた)
「直り中臣の直りの祓により枯れた稲が直った県」
という意で、後の 直入郡
です。 ▶直りの祓
現在は 「大分県竹田市」 になっていますが、竹田市には 直入町
の地名が今も残っています。
■三十二の主 (みそふのぬし)
九州全土は32の県に分かれますが、「その県主」
の総称です。
■法 (のり)
「枯れた稲を直す法」 で、直りの祓
をいいます。
【概意】
九州より御幸を乞えば、御代りとして直り中臣を下らせば、
豊の国に “直りの県” が生まれ、32県の主らも ”直りの祓”
を習得する。
―――――――――――――――――――――――――――――
さきにさみたれ むそかふり さなえみもちに いたむゆえ
つくるをしかと いなおりの はらひかせふの まつりなす
ぬしらつとめて をしくさの まもりになえも よみかえり
みあつくなれは にきはひて かれにほつみの まつりなす
―――――――――――――――――――――――――――――
さきに五月雨 六十日降り 早苗みもちに 傷むゆえ
告ぐる御使人 稲直りの祓ひ “カセフの纏り” なす
主ら務めて 押草の 守りに苗も よみがえり
実厚く成れば 賑わいて 故に “ホツミの祭” なす
―――――――――――――――――――――――――――――
■五月雨 (さみだれ)
■早苗 (さなえ・さなゑ) ■苗
(なえ・なゑ)
ソナエ(具え)
の変態で、「添え合わすもの」
を原義とし、「植えるもの」 を意味します。
ですから本来は 「若い苗」 という意味ではなく、ナエ(苗)の換言です。
日潤に生ゆる 潤の種は 潤田の具え 夜霊波に 生ゆる和菜は 畑の種 〈ホ15-3〉
■みもち
■御使人 (をしかど)
“御代り” の換言で、直り中臣=アメタネコ
を指します。 ▶アメタネコ
タネコは神武天皇の左の臣で、大和平定の前は
ツクシの治人
として九州を統治していました。
ウサコ姫 タネコが妻と 父に問ひ ツクシの治人と 〈ホ29-2〉
■稲直りの祓 (いなおりのはらひ)
イナ(稲)+ナオリ(直り)+ハラヒ(祓)
の短縮で、「直りの祓」
と同じです。
■カセフの纏り (かせふのまつり・かせふまつり)
「勢いづけの手当て・活性の施術」 というような意味で、直りの祓・稲直りの祓
の別名です。
マツリ(纏り) は ここでは
「手当て・ケア・対処・施術」 などを意味します。
★カセフ (かしょう:嘉祥)
カツ(活)+セフ/ショウ(上・昇・祥・翔 … )
の短縮で、「上げ・勢いづけ・活性化」 を意味します。
カツ は カス(▽上す) の名詞形、セフ は ソビユ(聳ゆ)
の母動詞 “ソフ” の変態で、その名詞形です。
吉祥(きっしょう)、膳(かしは)、加勢(かせい)、活性(かっせい)
などの変態です。
これは毎年6月16日に行われる年中行事となり、後世は本来の意義は失われますが、
“嘉祥” と呼ばれる行事にその名を残します。 ▶嘉祥 ▶嘉祥菓子の画像
・カセフ纏りは オオナムチ イヅモ田中の 例し以て 六月十六日 纏りなす 〈ホ32〉
・山背も 筑紫直りも 出雲にも 伊勢・花山も 年毎に纏るカセフぞ 〈ホ32〉
■押草 (おしくさ・をしくさ)
■ホツミの祭 (ほつみのまつり)
「収穫をウケ神に感謝すること・収穫祭・秋祭」 です。 ▶ホツミ
ウケ祭(うけまつり)、ウカ祝(うかほぎ)
などとも呼ばれます。
これも後には恒例の年中行事となり、8月1日に行われました。
★祭・纏り (まつり)
この マツリ は ある物事 (特に神) に
「心をまとわすこと・慈しむこと・感謝すること」
をいい、
イワヒ(祝・斎)、ホギ(祝・寿)
などの換言です。 ▶まつる
【概意】
さきに五月雨が60日降り、苗がみもちに傷んだことを告げると、
御使人タネコは 稲直りの祓である “カセフの纏り”
をなす。
32県の主らも共に務めれば、押草の守りに苗もよみがえり、
実も厚く成れば賑わいて、ゆえに “ホツミの祭” をなす。
―――――――――――――――――――――――――――――
それよりたみの うふすなと まつるすみよし
ものぬしと なかとみあわせ なおりかみ
うさにいとうの みめかみや
―――――――――――――――――――――――――――――
それより民の 産土と 纏るスミヨシ
モノヌシと 中臣合わせ 直り神
ウサに 慈愛の 三女神や
―――――――――――――――――――――――――――――
■産土 (うぶすな)
「産土神」 の略で、「生まれた土地の守り神」
をいいます。
ウブ(生・産・初)+スナ
で、スナは シナ(品・科)・ソノ(園)
などの変態、
「締め・括り・範囲・区画」 を意味します。ですから
「生まれた区画」 を意味します。
■纏る (まつる)
ここでは 「社/依代を建てて神霊を纏わせ、それに心を纏わす」
という意です。
■スミヨシ
この場合は 「スミヨシの神霊」 です。 ▶スミヨシ ▶神霊
■直り神 (なおりかみ)
直りモノヌシの神霊と
直り中臣の神霊を 合せてこう呼びます。
4代のオオモノヌシのフキネは、父カンタチの後を受け、ツクシ御使
として九州を統治。
また3代の鏡の臣であるアメタネコは
ツクシ治人
として九州を統治しています。
■慈愛の三女神 (いとうのみめかみ)
“イトウ神” の換言です。▶イトウ神
この3姫は一時期、ウサの宮=アカツチ宮
に預けられていました。
【概意】
それ以来 民の産土神として纏る、“スミヨシの神”、
モノヌシと中臣を合せて “直り神”、宇佐に “慈愛の3女神”
や。
このスミヨシ神、直り神、慈愛の三女神を纏る社は現在も残ります。
志加若宮神社
(しがわかみやじんじゃ)
大分県大野郡朝地町志賀(旧)。大分県豊後大野市朝地町宮生2番地。
現在の祭神:志我神(しがのかみ)
<筆者注> 志我(シガ)はスミヨシの先祖、また孫の名です。
籾山八幡社 (もみやまはちまんしゃ)
豊後国直入郡朽網郷中野村(旧)。大分県竹田市大字長湯8352。
現在の祭神:直入物部神
・鎌倉時代に、直入物部神社(なおいりもののべじんじゃ)から、籾山八幡となる。
直入中臣神社
(なほりなかとみじんじゃ)
豊後国直入郡朽網郷(旧)。大分県由布市庄内町阿蘇野3784。
現在の祭神:直入中臣神
宇佐神宮 (うさじんぐう)
大分県宇佐市南宇佐2859。
現在の祭神:八幡大神
比売大神 (多岐津姫命、市杵嶋姫命、多紀理姫命)
神功皇后
―――――――――――――――――――――――――――――
またあまきみは ひこゆきお まつりのをみの すけとなす
―――――――――――――――――――――――――――――
また天君は ヒコユキを 政の臣の 輔となす
―――――――――――――――――――――――――――――
■天君 (あまきみ)
カヌナカワミミ(斎名ヤスキネ)、綏靖天皇
を指します。
■ヒコユキ
ウマシマチの子で、旧事紀/新撰姓氏録に 彦湯支命/日子湯支命
などと記されます。
ニニキネ─ホノアカリ┐ ├┬─────クニテル(ニギハヤヒ) コモリ──タマネ姫─┘└タケテル │ ├ウマシマチ─ヒコユキ タカキネ─フトタマ─??┬ナガスネヒコ │ └─────ミカシヤ姫
由乃伎神社 (ゆのぎじんじゃ)
尾張国海部郡。愛知県愛西市柚木町東田面773。
現在の祭神:日子湯支命
■政の臣 (まつりのをみ・まつりをみ)
国政り神饌供え申す大臣
の略称で、食国臣(けくにとみ)とも呼ばれます。
この時点では ウマシマチ がこの職に就いています。
■輔 (すけ)
スク(助く)
の名詞形で 「助・輔・副・弼・次官・典侍」
などと当てられますが、
いずれも 「助け・補助・助手・補佐」 を意味します。
つまり政の臣ウマシマチは自分の子を補佐役としたわけですが、
これはオオモノヌシが自分の子を コトシロヌシ
とするのと同じパターンです。
【概意】
また天君はヒコユキを政の臣の補佐となす。
――――――――――――――――――――――――――――――
よさやゑうつき いほみさる みしりつひこの かみとなる
――――――――――――――――――――――――――――――
四サヤヱ四月 斎臣更る “ミシリツヒコの 神”
となる
――――――――――――――――――――――――――――――
■四サヤヱ四月 (よさやゑうつき)
「4年サヤヱ四月」 の意です。 ▶干支 ▶ウツキ
■斎臣 (いほみ)
イホノトミ(斎の臣) の
短縮です。
“ミシリツヒコ”
と名を替えた カンヤヰミミ
を指します。
カンヤヰ恥ぢて 諾ひぬ トイチに住みて
イホの臣 “みしりつ彦”
と 名を替えて 常の行ひ 神の充ち 〈ホ31ー3〉
■更る (さる)
■ミシリツヒコの神 (みしりつひこのかみ)
カンヤヰミミに捧げられた贈り名です。 ▶贈り名
多坐弥志理都比古神社
(おおにいますみしりつひこじんじゃ)
大和国十市郡。奈良県磯城郡田原本町多569。
現在の祭神:神武天皇、神八井耳命、神沼河耳命、姫御神、太安万侶
<筆者注> 本来の祭神は
ミシリツヒコの神=カンヤヰミミ。多(おお)=斎(いほ)
です。
【概意】
綏靖4年サヤヱの4月、斎の臣が天に還り、“ミシリツヒコの神”
となる。
―――――――――――――――――――――――――――――
さやとなかもち きさきうむ いみなしきひと たまてみこ
むほねしゑふゆ いとおりめ うむいきしみこ すけとなる
―――――――――――――――――――――――――――――
サヤト九月十五日 后生む 斎名シキヒト タマデ御子
六年ネシヱ冬 イトオリ姫 生むイキシ御子 典侍となる
―――――――――――――――――――――――――――――
■サヤト九月十五日 (さやとながもち)
サヤトは 綏靖5年=上鈴138年 に当たります。 ▶干支 ▶上鈴
ナガモチは ナガツキノモチ(長月の望) の短縮です。 ▶ナガツキ ▶モチ
■后 (きさき)
綏靖天皇の内宮(=正妃)の ミスズヨリ姫
を指します。
■シキヒト ■タマデ御子 (たまでみこ)・タマデミ・タマデ
内宮ミスズヨリ姫が生んだ男子で、後の 安寧天皇
です。斎名はシキヒト。
タマデ あるいは タマデミ
と通称されます。この名の由来については後ほど説明があります。
記紀には 師木津日子玉手見命/磯城津彦玉手看尊
と記されます。
??──ー───ミスズヨリ姫(内宮) ├───ー────タマデ御子(斎名シキヒト) 神武天皇ー──綏靖天皇
■イトオリ姫 (いとおりめ・いとおりひめ)
ココタエでしたが、イキシ御子を生んで典侍に昇格します。 ▶ココタエ
■イキシ御子 (いきしみこ)
イトオリ姫が生んだ男子で、書記/旧事紀には 息石耳命
と記されます。
イキシ(▽活州) は カツラギ(葛城)
の換言と考えています。
??─ー────ミスズヨリ姫(内宮) ├───ー────タマデ御子(斎名シキヒト) 神武天皇ー──綏靖天皇 ├───ー────イキシ御子 アウヱモロ──イトオリ姫 (ココタエ→典侍)
後代、この人の娘のアメトヨツ姫が、4代懿徳天皇の内宮(=正妃)となるのですが、
そのあたりを日本書紀は少し誤解して、イキシ御子を綏靖天皇ではなく、安寧天皇の
御子と記しています。
【概意】
5年サヤト9月15日に御后の生む、斎名シキヒトのタマデ御子。
6年ネシヱ冬、イトオリ姫はイキシ御子を生み、典侍となる。
―――――――――――――――――――――――――――――
ふそゐさあとの むつきみか
しきひとたてて よつきみこ いまふそひとし
―――――――――――――――――――――――――――――
二十五(年)サアトの 一月三日
シキヒト立てて 代嗣御子 今二十一歳
―――――――――――――――――――――――――――――
【概意】
綏靖25年サアトの1月3日、シキヒトを立てて代嗣御子。今21歳。
―――――――――――――――――――――――――――――
しもそよか あめたねこさる ももやそな
おもむろおさむ みかさやま かすかのとのに あひまつる
みかさのかはね うさまろに たまひてたたゆ みかさをみ
―――――――――――――――――――――――――――――
十一月十四日 アメタネコ更る 百八十七
骸 納む ミカサ山 カスガの殿に 合ひ纏る
“ミカサ” の姓 ウサマロに 賜ひて称ゆ ミカサ臣
―――――――――――――――――――――――――――――
■十一月 (しも)
シモツキ(霜月)の略です。
春日大社 (かすがたいしゃ)
大和国添上郡。奈良県奈良市春日野町160。
現在の祭神:春日神 (武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神の総称)
<筆者注> 現在は 摂社・末社にも
アメタネコの名は見当たらず。
■ウサマロ
アメタネコの代嗣子で、綏靖天皇の 左の臣(=鏡の臣)
です。
鏡の臣は ウサマロと アタツクシネは モノヌシと 御子の諸羽ぞ 〈ホ31-2〉
■ミカサ臣 (みかさをみ・みかさとみ)
ミカサ(▽神和)は、アメノマツリ(陽陰の纏り)、カガミ(▽明暗見・鏡)
の換言です。
したがって ミカサ臣 = 陽陰の纏りの臣 = 鏡の臣
です。
【概意】
<綏靖25年> 11月14日、アメタネコが天に還る。187歳。
亡骸をミカサ山に納め、神霊をカスガの殿に合わせ纏る。
“ミカサ” の姓をウサマロに賜いて称えるミカサ臣(=鏡の臣)。
―――――――――――――――――――――――――――――――
みそむほさつき そかねなと すへらきまかる やそよとし
わかみやそのよ もはにいり よそやよいたり いさかわに
みそきのわぬけ みやにいつ みうえのとみは かみまつる
わかれつとむる わかみやの まつりこととる とみはあらたそ
―――――――――――――――――――――――――――――――
三十六年五月 十日ネナト 皇 罷る 八十四歳
若宮その夜 喪に入り 四十八夜 至り イサ川に
禊の輪 抜け 宮に出づ 御上の臣は 神祀る
分れ務むる 若宮の 政執る 臣は新たぞ
―――――――――――――――――――――――――――――――
■若宮 (わかみや)
皇太子の タマテ御子(斎名シキヒト)
です。
■四十八夜至る (よそやよいたる)
“四十八” は アマテルが定めた 「喪に服す日数」
で、これは アワ歌の数
と同じです。
しかしここに言うように正確には、“夜の数” で48を数えるのかもしれません。
イタル(至る) は 「行き着く・満ちる・完了する・終る」
などの意です。
アワの数 経て喪を脱ぎて 政聞く 年回る日は 喪に一日 その身柱に 纏るべし 〈ホ26-4〉
■イサ川 (いさかわ)
イサは イスの名詞形で、イスは イスグ(濯ぐ)
の母動詞です。
ですから 「濯ぎの川・禊の川」 という意で、“せみの小川”
の換言です。 ▶せみの小川
特定の川を指すものではないと考えます。
“死・喪・葬” などに対して 「穢れ」 の概念が現れる最初と思われます。
■禊の輪 (みそぎのわ)
「茅の輪」 の別名です。 ▶茅の輪
川の水に禊した後、この輪をくぐって精気を回復します。 ▶禊
清みの小川に 禊して 茅の輪に正す 六月や 民 永らふる 祓なりけり 〈ホ10-6〉
■御上の臣は神祀る (みうえのとみはかみまつる)
「先皇に側近く仕えた臣は、先皇の神霊に心をまとわす」
という意です。
★御上の臣 (みうえのとみ)
「先代の君の内臣」 をいいます。 ▶御上
うちつおみ・うちのおみ・ないしん【内臣】〈広辞苑〉
古代、皇帝・天皇側近の寵臣。わが国では大化改新で中臣鎌足を任じた。奈良時代に復活。
のち内大臣に昇任するのが一般。書紀の訓には「うちつおみ」「うちのおみ」とある。
■分れ務むる (わかれつとむる)
「それぞれ分担の任を務める」 という意と思います。
【概意】
綏靖36年5月10日ネナトに皇は罷る。84歳。
その夜 若宮は喪に入り、48夜が明けて、清めの川に身を濯ぎ、禊の輪を抜けて宮に出る。
先代の臣は引き続き神を祀り、若宮の政を執る臣は新たとなって、分担の任を務める。
本日は以上です。それではまた!