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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第192回 [2024.10.25]

第三六巻 ヤマト姫 神鎮む文 (1)

著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com

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 垂仁天皇-2-1

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 やまとひめかみしづむあや (その1)
 ヤマト姫 神鎮む文 https://gejirin.com/hotuma36.html
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 やまとひめかみしつむあや
 たまきみや こほなつきそむ
 きさきゆめ やまとおおくに かみのして たまえははらみ
 つきみちて うますにやめて みとせのち
 なつきそむかに うむみこの なはやまとひめ

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 ヤマト姫 神鎮む文
 タマキ宮 九年九月十六日
 后 夢 ヤマトオオクニ 神の垂 賜えば孕み
 月満ちて 生まずに病めて 三年後
 九月十六日に 生む御子の 名は “ヤマト姫”

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■ヤマト姫神鎮む (やまとひめかみしづむ)
本文中で説明します。


タマキ宮 (たまきみや)
マキムキタマキ宮の略で、垂仁天皇の都の名です。
ここでは 「タマキ宮を国家首都とする時代=垂仁天皇の御代」 を意味します。


■后 (きさき)
サホ姫 を失った垂仁天皇が 2人目の内宮として立てた カバヰツキ姫 を指します。


■ヤマトオオクニ神 (やまとおおくにかみ)
クシヒコ が ニニキネ から賜った ヲコヌシ(大地主・大国主) と、アマテル から賜った
ヤマトヲヲコノミタマ(和皇籠の御霊)
の 2つの尊名を合わせて略したもので、
「オオモノヌシクシヒコの神霊」 をいいます。 ▶オオモノヌシ

 オホヤマトクニタマ(大和国魂)オオクニタマ(大国魂)ヤマトノカミ(和の神)
 などとも呼ばれます。


垂・紙垂 (しで)
シヅ(垂づ) の名詞形で、「下るもの・下すもの」 が原義です。
この場合は 「神より下される霊的なパワー」 をいい、これを形に表したのが、
しめ縄などに垂れ下げる 「雷形の白い紙」 です。 ▶画像


月満つ (つきみつ)
 
■ヤマト姫 (やまとひめ・やまとめ) ■ヨシコ (斎名)
カバヰツキ姫が 病みながら3年の妊娠期間を経て生んだ垂仁天皇の長女です。
夢の中で ヤマトオオクニ神 の垂を賜って孕んだゆえの名で、斎名 ヨシコ です。

 崇神天皇
   ├──────垂仁天皇
 ミマキ姫       ┃
            ┃
 ヒコヰマス────サホ姫[内宮1]─────(1)ホンツワケ
            ┃
 ツツキタルネ──┬カバヰツキ姫[内宮2]──(2)ヤマト姫(斎名ヨシコ)
         │
         └カグヤ姫[内侍]

 

【概意】
ヤマト姫 神鎮む文
タマキ宮(垂仁天皇)の9年9月16日、
后が夢に ヤマトオオクニ神の霊験を賜わって子を孕むが、
月が満ちても生まずに病みて、3年後の9月16日にようやく生む御子の名は ヤマト姫。

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 あとやみて かなつきふかに ははまかる
 つつきかはゐの つきのかみ なけきまつりて
 そゐとしの きさらきもちに めすたには みちのうしのめ
 ひはすひめ ぬはたにいりめ まとのひめ あさみにいりめ
 たけのひめ

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 後病みて 十月二日に 母 罷る
 “ツヅキカバヰの ツキの神” 嘆き祀りて
 十五年の 二月十五日に 召す丹波 道の大人の姫
 ヒハス姫 ヌハタニイリ姫 マトノ姫 アサミニイリ姫
 タケノ姫

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■ツヅキカバヰのツキの神 (続き庇いの尽きの神)
罷った母に贈られた神名で、「続き(=子)をかばって尽きた神」 の意と思います。
出身地である ツツキ(綴喜) に語呂を合せて贈り名し、綴喜の地に社を建ててその神霊を祀ります。
“カバヰツキ姫” という名は、じつはこの贈り名に由来しているようです。 ▶贈り名

 樺井月神社 (かばいづきじんじゃ)
 山城国綴喜郡。京都府城陽市水主宮馬場1、水主神社摂社。
 現在の祭神:月讀命


丹波道の大人 (たにはみちのうし)
    
■ヒハス姫 ■ヌハタニイリ姫 ■マトノ姫 ■アサミニイリ姫 ■タケノ姫
丹波道大人の5人の姫です。
日本書紀には 日葉酢媛、渟葉田瓊入媛、眞砥野媛、薊瓊入媛、竹野媛 と記されます。

 “タニハチウシの姫を後添えに” という サホ姫の願い を、
 天皇はここに叶えるわけですが、なんと5人の姫をまとめて后とします。

   開化天皇
     ├─────────ヒコヰマス
   オケツ姫[典侍]       ├────┬水穂真若王(アフミ)──ヤサカフリイロネ
                 │    ├丹波道主王(タニハチヌシ)───┬ヒハス姫
 ホノススミ─??─アメミカゲ─息長水依比売 ├沙本毘古王(サホヒコ)     ├ヌハタニイリ姫
                      ├沙本毘売命(サホ姫)      ├マトノ姫
                      ├神大根王           ├アサミニイリ姫
                      └小俣王─タエマクエハヤ    └タケノ姫

 大國神社 (おおくにじんじゃ)
 上野国佐位郡。群馬県伊勢崎市境下渕名2827。 
 現在の祭神:大国主命、日葉酢媛命、渟葉田瓊入媛命、眞砥野媛命、竹野媛命、薊瓊入媛命

 

【概意】
産後も病みて、12月2日に母罷る。“続き庇いの尽きの神” と嘆き祀りて、
垂仁15年の2月15日に、丹波道の大人の姫の
ヒハス姫、ヌハタニイリ姫、マトノ姫、アサミニイリ姫、タケノ姫を召す。



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 はつきはつひに ひはすひめ きさきにたてて
 いとみたり すけとうちめに たけのひめ ひとりかえせは
 はつかしく こしよりまかる おちくにそ

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 八月初日に ヒハス姫 后に立てて
 妹三人 典侍と内侍に タケノ姫 一人返せば
 恥かしく 輿より罷る 落国ぞ

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后に立つ (きさきにたつ)

妹 (いと)

■輿より罷る (こしよりまかる)
この マカル(罷る) は 「どこかに行く・失せる・いなくなる」 という意です。

 嫁入りの輿ではなく、“出戻りの輿” ですから、輿で送り返されるところを
 見られたら、それはもう 「はずかしすぎる〜」 でしょうからね。


堕国・堕地 (おちくに)
オチ(堕ち) は “都落ち” の オチ で、タケノ姫が 「輿より失せた地」 に付けられた名です。
後に訛って オトクニ(弟国・乙訓) に転じたといいます。 ▶乙訓郡
現在も京都府長岡京市に 乙訓寺 があり、少し東には 羽束師(はつかし) の名が残ります。

 

【概意】
8月1日にヒハス姫を后に立てて、妹3人を典侍と内侍となす。
タケノ姫1人を返せば、恥かしく輿より失せる “堕国” ぞ。



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 そやとしさつき そかきさき うむみこにしき いりひこの
 いむなゐそきね
 ふそまふゆ うむみこやまと をしろわけ いむなたりひこ
 つきにうむ おおなかひめと わかきにの いむなはるひこ

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 十八年五月 十日 后 生む御子ニシキ イリヒコの
 斎名ヰソキネ
 二十年真冬 生む御子ヤマト ヲシロワケ 斎名タリヒコ
 次に生む オオナカ姫と ワカキニの 斎名ハルヒコ

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■后 (きさき)
垂仁天皇の3番目の内宮(=正妃)となった ヒハス姫 を指します。

 
■ニシキイリヒコ ■ヰソキネ (斎名)
ヒハス姫 が生んだ垂仁天皇の2男で、斎名 ヰソキネ です。 ▶斎名
日本書紀には 印色入日子命 / 五十瓊敷入彦命 と記されます。


■真冬 (まふゆ)
現在の意味とは異なり、「冬至」 をいいます。 ▶冬至る日

 
■ヤマトヲシロワケ ■タリヒコ (斎名)
ヒハス姫 が生んだ垂仁天皇の3男で、斎名 タリヒコ。後の 第12代景行天皇 です。
記紀には 大帯日子淤斯呂和氣天皇 / 大足彦忍代別天皇 と記されます。

 
■オオナカ姫・ヲナカ姫 (おおなかひめ・をなかひめ)
ヒハス姫 が生んだ垂仁天皇の2女です。記紀には 大中比売命 / 大中姫命 と記されます。

 
■ワカキニ ■ハルヒコ (斎名)
ヒハス姫 が生んだ垂仁天皇の4男で、斎名 ハルヒコ です。
記紀には 若木入日子命 / 稚城瓊入彦命 と記します。

 

【概意】
垂仁18年5月10日に 后が生む御子は ニシキイリヒコの斎名ヰソキネ。
垂仁20年の冬至に生む御子は ヤマトヲシロワケの斎名タリヒコ。
次に生むはオオナカ姫と、ワカキニの斎名ハルヒコ。



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 すけぬはた うむぬてしわけ つきにうむ いかたらしひめ
 あさみうむ いけはやわけと あさつひめ

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 典侍ヌハタ 生むヌテシワケ 次に生む イカタラシ姫
 アサミ生む イケハヤワケと アサツ姫

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■典侍ヌハタ (すけぬはた)
「垂仁天皇の 典侍 となった ヌハタニイリ姫」 という意です。


■ヌテシワケ
ヌハタニイリ姫 が生んだ垂仁天皇の5男です。
日本書紀には 鐸石別命 と記されます。

 和気神社 (わけじんじゃ)
 岡山県和気郡和気町藤野1385。
 現在の祭神:鐸石別命


■イカタラシ姫 (いかたらしひめ)
ヌハタニイリ姫 が生んだ垂仁天皇の3女です。
日本書紀には 胆香足姫命 と記されます。


■アサミ
垂仁天皇の 内侍 となった アサミニイリ姫 です。


■イケハヤワケ
アサミニイリ姫 が生んだ垂仁天皇の6男です。
日本書紀には 息速別命 と記されます。


■アサツ姫 (あさつひめ)
アサミニイリ姫 が生んだ垂仁天皇の4女です。
日本書紀には 稚浅津姫命 と記されます。

 

【概意】
典侍のヌハタニイリ姫が生むヌテシワケ、次に生むイカタラシ姫。
アサミニイリ姫が生むイケハヤワケとアサツ姫。


 ミマキイリヒコ─┐
  (崇神天皇)  ├────イクメイリヒコ(斎名ヰソサチ:垂仁天皇)
 ミマキ姫────┘       ┃
                 ┃
 ヒコヰマス────────サホ姫[内宮1]───────(1)ホンツワケ
                 ┃
 ツヅキタルネ─────┬─カバヰツキ姫[内宮2]────(2)ヤマト姫
            │    ┃
            └─カクヤ姫[内侍]       ┌(3)ニシキイリヒコ(斎名ヰソキネ)
                 ┃          ├(4)ヤマトヲシロワケ(斎名タリヒコ)
 タニハチヌシ─────┬─ヒハス姫[内宮3]─────┼(5)オオナカ姫
            │    ┃          └(6)ワカキニ(斎名ハルヒコ)
            ├─ヌハタニイリ姫[典侍]-──┬(7)ヌテシワケ
            │    ┃         └(8)イカタラシ姫
            ├─マトノ姫[内侍]
            │    ┃
            └─アサミニイリ姫[内侍]-──┬(9)イケハヤワケ
                           └(10)アサツ姫

 

本日は以上です。それではまた!

 

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