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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第193回 [2024.10.27]

第三六巻 ヤマト姫 神鎮む文 (2)

著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com

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 垂仁天皇-2-2

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 やまとひめかみしづむあや (その2)
 ヤマト姫 神鎮む文 https://gejirin.com/hotuma36.html
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 ふそみほなつき つみゑはの ふかみことのり
 ほんつわけ ひけおひいさち ものいわす これなにゆえそ
 もろはかり やまとひめして いのらしむ

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 二十三年九月 ツミヱ初の 二日御言宣
 「ホンツワケ ひげ生ひ いさち もの言わず これ何ゆえぞ」
 諸 諮り ヤマト姫して 祈らしむ

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■九月ツミヱ初の二日 (なつきつみゑはのふか)
「ツミヱ に始まる9月の2日」 という意です。 ▶なつき ▶干支


ホンツワケ

いさつ

ヤマト姫 (やまとひめ)
この時ヤマト姫は、アマテル神の2代目の 御杖代(みつえしろ) となるべく、
初代の御杖代で 叔母でもある トヨスキ姫 と共に イセ高宮 (後出) に居ます。
その経緯については少し後に語られます。

 

【概意】
垂仁23年のツミヱに始まる9月の2日に御言宣。
「ホンツワケはすでに髭を生やしながら、泣き叫ぶばかりで言葉を話さない。これは何ゆえぞ!?」
諸と諮り、ヤマト姫に祈らせることにした。



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 かんなやかきみ とのにたつ
 ときほんつわけ とふくくひ みていわくこれ なにものや
 きみよろこひて たれかこの とりとりゑんや
 ゆかわたな とみこれとらん きみいわく とりゑはほめん

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 十月八日 君 殿に立つ
 時 ホンツワケ 飛ぶクグヒ 見て曰く 「これ 何ものや」
 君 喜びて 「誰かこの 鳥 捕り得んや?」
 ユカワタナ 「臣これ捕らん」 君 曰く 「捕り得ば褒めん」

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十月 (かんな)

■クグヒ (鵠)
「ククーッ」 と鳴く鳥の意で、元来は “コー” の鳥 (こうのとり:鸛) と同じですが、
後には区別されて、クグヒ は 「白鳥」 をいうようになります。 ▶鳴き声


■ユカワタナ
新撰姓氏録に 「角凝命(つのこりのみこと) 3世孫」 とあります。
ホツマにも ツノコリ — イサフタマ の親子のことが語られていますが、
“3世孫” は時代的に無理がありそうです。日本書紀に 天湯河板挙 と記されます。

 ユカワ は ユク(行く)+カフ(交ふ) の短縮 “ユカフ” の名詞形で、ウカワ の変態。
 タナ(棚) は ダンナ(檀那・旦那) の母語で、「壇上/段上にある者・大人・主」 の意かと。
 それゆえ 「行き交う旦那・あちこち追い尋ねる大人/主」 の意と考えます。

 

【概意】
同年10月8日、君が皇宮殿に立つ時に ホンツワケ、
飛ぶ白鳥を見て曰く、「これ何ものや!?」
君は喜びて 「誰かこの鳥、捕り得んか?」 ユカワタナ 「臣がこれを捕らん。」 
君曰く 「捕り得たら褒めん。」



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 ゆかわたな くくひとふかた おひたつね
 たしまちいつも うやゑにて ついにとりゑて
 ねつきふか ほんつのみこに たてまつる みこもてあそひ
 ものいえは ゆかわおほめて とりとりへ かはねたまわる

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 ユカワタナ クグヒ飛ぶ方 追ひ尋ね
 但馬路イヅモ ウヤヱにて ついに捕り得て
 十一月二日 ホンツの御子に 奉る 御子もて遊び
 もの言えば ユカワを褒めて 鳥取部 姓 賜わる

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■但馬路 (たじまぢ)
タジマ(但馬)チ(方・地・道・路) です。


■イヅモウヤヱ
現在の 京都府京丹後市弥栄(やさか)町鳥取 にあたるようです。 ▶イヅモ
ウヤヱ は ウヤ(▽上・敬・礼)+ヱ(得) で 「(天皇の) 褒めを得る所」 の意と考えてます。

 周辺の 和奈美神社網野神社久々比神社 などに、ユカワタナの鳥追い伝説が残ります。


十一月 (ねつき・ねのつき)

■鳥取部・鳥取侍 (とりとりべ)
クグヒ を捕えた ユカワタナ に垂仁天皇が賜った姓です。 ▶姓(かばね)
「鳥を取り扱う モノノベ」 の意で、以後、鳥の捕獲/飼育を専門とする氏となります。

 

【概意】
ユカワタナは白鳥の飛ぶ方を追ひ尋ね、
但馬路のイヅモウヤヱで ついに捕り得て、11月2日にホンツの御子に奉る。
御子は鳥をもてあそんで言葉を話せば、ユカワを褒めて “鳥取部” の姓を賜わる。


 
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 ふそゐほの きさらきやかに みことのり たけぬかわけと
 くにふくと みかさかしまと といちねと たけひらもろに
 わかみをや みまきはさとく ほつましる あやまりたたし
 へりくたり かみおあかめて みおこらす かれそろあつく
 たみゆたか いまわかよにも おこたらす かみまつらんと

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 二十五年の 二月八日に 御言宣 タケヌガワケと
 クニフクと ミカサカシマと トイチネと タケヒら 諸に
 「我が御親 ミマキは聡く ほつま知る 誤り正し
 へり下り 神を崇めて 身を懲らす 故 ソロ篤く
 民 豊か いま我が代にも 怠らず 神祭らん」 と

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タケヌガワケ (丈野が別)
オオヒコ
の子で、アエ国 (後の 伊賀国) の領主です。 ▶アエ国


クニフク
春日親王 (=アマタラシヒコクニ) の曾孫で、春日県の領主です。 ▶春日県


ミカサカシマ
 
■トイチネ・モノベトチネ
ホツマに説明はありませんが、旧事紀によれば イキシコヲ の子です。
トイチ/トチ(弔方・十市)+ネ(根・▽主) は、「十市県 の領主」 を意味すると考えています。
モノベトチネ とも呼ばれ、日本書紀には 物部十千根(もののべのとおちね) と記されます。

 ニギハヤヒ─ウマシマチ─ヒコユキ┬イツモシコ
                 ├イツシココロ─┬オオミナクチ
                 └オオネ臣   └オオヤクチ─┬ウツシコヲ
                                ├ウツシコメ
                                └ヘソキネ─┬イキシコメ
                                      └イキシコヲ─トイチネ
                                            (モノベトチネ)


■タケヒ (猛日・▽高日)
ホツマに説明はありませんが、“タケヒ” という名や、39アヤで語られる
スワサカオリ宮
との関わりから、タケヒテル の子孫と考えられます。
つまり 「ホツマ国 の領主」 です。日本書紀には 武日 / 大伴武日 などと記されます。

 ニニキネ(斎名キヨヒト)───ホノアカリ(斎名ムメヒト)─┬─ニギハヤヒ(斎名クニテル)
   [初代ハラ皇君]        [2代ハラ皇君]     │    [2代アスカ皇君]
                            │
                            └─タケヒテル(斎名タケテル) ・・・ ・・・ タケヒ
                                 [3代ハラ皇君]


ほつま

■懲らす (こらす)
カラス(枯らす)・コロス(殺す) などの変態で、
この場合は 「自分を殺して (ほかを立てる)」 という意です。


ソロ (▽揃・▽繁)

神祭る (かみまつる)

 

【概意】
垂仁25年の2月8日、
タケヌガワケ、クニフク、ミカサカシマ、トイチネ、タケヒら、諸臣に御言宣。
「我が親のミマキイリヒコは 聡くほつまを知り、誤りを正し、へり下り、
神を崇めて我が身を懲らす。それゆえ実りは篤く、民も豊かとなる。
いま我が代にも怠ることなく神を祭らん」 と。



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 やよいやか あまてるかみお とよすきは
 はなちてつける やまとひめ

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 三月八日 アマテル神を トヨスキは
 放ちて付ける ヤマト姫

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トヨスキ・トヨスキ姫
崇神天皇は治世4年に、トヨスキ姫をして アマテルの神霊を宿すヤタ鏡 を カサヌヒ に纏り、
以来トヨスキ姫は “御杖代” として アマテルの神霊に仕えています。

 やや稜威恐れ 安からず アマテル神は カサヌヒに トヨスキ姫に 纏らしむ 〈ホ33ー1〉


 ★御杖代 (みつえしろ)
 ミ(御・▽上・▽神)+ツエ(杖)+シロ(代) で、「神の杖代り」 を意味します。
 「アマテルの神霊を慈しんでお世話する役」 をいい、天皇の未婚の姫がこの役に選ばれます。
 内親王(うちのをみこ・うちをきみ・うちみこ)、斎(いつき) などと換言され、後代は
 斎宮(いつきのみや・さいぐう)斎王(いつきのみこ・さいおう) などと呼ばれるようになります。


 開化天皇
   ├──────崇神天皇(ミマキイリヒコ・斎名ヰソニヱ)
 イカシコメ      ┃
            ┃             ┌(6)トヨキイリヒコ(斎名シキヒト)
            ┃             │
 オオヒコ───┬ミマキ姫[内宮]──────────┴(7)イクメイリヒコ(斎名ヰソサチ:垂仁天皇)
        │   ┃
        └クニカタ姫[内侍]─────────┬(8)チチツクワ姫
            ┃             │
            ┃             └(9)イカツル(斎名チヨキネ)
            ┃
 紀アラカトベ──トオツアヒメクハシ姫[内侍]────┬(1)トヨスキ姫
            ┃             │
            ┃             └(3)ヤマトヒコ(斎名ヰソキネ)
            ┃
 近江国造────ヤサカフリイロネ姫[大典侍]────┬(4)ヤサカイリヒコ(斎名オオキネ)
            ┃             │
            ┃             └(5)トチニイリ姫
            ┃
 尾張国造────オオアマ姫[中橋]──────────(2)ヌナギ姫


■放ちて付けるヤマト姫 (はなちてつけるやまとひめ)
その “御杖代” の役を ヤマト姫 に譲るにあたり、アマテルの神霊を
トヨスキ姫 から離して、ヤマト姫 に付けるという意味です。

 

【概意】
<垂仁25年> 3月8日、
トヨスキ姫は アマテルの神霊を身より放ちて、ヤマト姫に付ける。


 以後、過去にさかのぼって、トヨスキ姫がアマテル神の御杖代となり、
 その役目をヤマト姫に譲るまでの次第が語られます。



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 むかしとよすき かみのつけ みたまけかつき よさにゆく
 このはしたては かさぬいの ゑよりみやつの まつにくも
 たなひきわたす

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 昔 トヨスキ 神の告げ 神霊笥かつぎ ヨサに行く
 この橋立は カサヌイの 上より宮津の 松に雲
 棚引き渡す

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■神の告げ (かみのつげ)
「アマテルの神霊よりの告げ」 です。
この記により、崇神天皇が アマテルの神霊を宿すヤタ鏡を カサヌヒに纏らせたのは、
天皇の独断ではなく、アマテル神の意志であったことがわかります。


■神霊笥 (みたまげ)
ミタマ(神霊)ケ(笥) で、「神霊を入れる器」 の意です。
この場合は 「アマテルの神霊を宿す ヤタの鏡」 を指します。


■ヨサ (與謝・与謝・吉佐・匏)
ヨス(寄す) の名詞形で、マナヰカサヌヒ の別名です。
京都府与謝郡与謝野町
に名が残ります。
トヨケとアマテルの神霊を纏る 籠神社 は、古くは “ヨサの宮” と呼ばれました。

 籠神社 (このじんじゃ)
 丹後国与謝郡。京都府宮津市字大垣430
 昔の祭神:豊受大神、天照大神
 ・もともと 匏宮(よさのみや) として真名井原の奥宮に豊受大神が鎮座。
  第十代崇神天皇の御代に天照大神が大和国よりお遷りになり、天照大神と豊受大神を
  吉佐宮(よさのみや) という宮号で4年間ご一緒にお祀り申し上げました。


■橋立・梯立 (はしだて)
ハシ(梯・橋)+タテ(立て・建て) で、「橋が立つこと・橋がかかること」 をいい、
「橋架け・掛橋」 と同じです。今は 天橋立 と呼ばれてます。

 あまのはしだて【天橋立】〈広辞苑〉
 京都府宮津市宮津湾の砂洲(さす)。日本三景の一。
 延長約三キロメートルの白砂の松林で、成相山・傘松からの縦一文字と、
 大内峠(おうちとうげ)からの横一文字の景色は特に有名。


■カサヌイの上 (かさぬいのゑ)
カサヌイ は現在の 真名井神社 の場所をいいますから、
“その上” ということは、成相山(なりあいさん) を指すものと推測されます。


■雲棚引き渡す (くもたなびきわたす)
橋立の景観が 「カサヌイの上から宮津の松林に雲を棚引き渡す如し」 という意味です。

 成相山の中腹には 股のぞき で有名な 傘松(かさまつ)公園 があるのですが、
 この “カサマツ” は 「カサヌイの上より宮津の」 という文言に由来するかと
 考えています。また宮津市内には 現在も “松原” という町名があります。

 

【概意】
昔、トヨスキ姫はアマテル神の告げを受け、
神霊笥(ヤタの鏡)を担いでヨサに行く。
この橋立はカサヌイの上から宮津の松に雲を棚引き渡す如し。



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 みつかきの みそこやよみか みことのり
 けくにのおとと たけみくら いわひぬしとし
 いますのこ たにはみちうし みけのもり
 あめのひおきは かんぬしに ふりたまはねき
 とよけかみ あまてるかみお 祭らしむ
 みちうしみけの かんめくみ よきみこゑたり

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 ミツカキの 三十九年三月三日 御言宣
 食国の大臣 タケミクラ 斎主とし
 イマスの子 タニハミチウシ 御供の守
 アメノヒオキは 神主に フリタマは禰宜
 トヨケ神 アマテル神を 祭らしむ
 ミチウシ御供の 神恵み 良き御子得たり

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■ミツカキの三十九年 (みつかきのみそこ)
磯城のミツカキ宮 を都とする御代の39年」 という意で、「崇神天皇の39年」 の換言です。
ですから先代天皇の時代の話です。ちなみにこれは ヒボコの来朝 と同じ年です。

 ミツカキの 三十九年 ヒボコは 播磨より 到る宍粟 〈ホ35-1〉


■食国の大臣 (けくにのおとど)
食国臣(けくにをみ) の換言で、国政り神饌供え申す大臣 の略称です。 ▶おとど


■タケミクラ
この人物の素性・出自についてホツマに説明はなく、他文献にも手がかりがほとんどないのですが、
唯一、豊受皇太神宮御鎮座本紀 に、“大御食津臣命 建御倉命 中臣祖也” という記述がみられます。

 “大御食津臣命” というのは、食国の大臣 を言うと考えられますが、その一方で、
 中臣氏の系図上にも大御食津臣命の名があり、それによれば ウサツヒコ(宇佐津臣命) の子です。
 しかしウサツヒコは アメタノコの妻 ウサコ姫 の父であり、神武天皇と同時期の人物です。

  天児屋根命─天押雲命─天種子命─宇佐津臣命─大御気津臣命


斎主 (いわひぬし・いはひぬし)
この場合は 「トヨケとアマテルの神霊を斎ふ主」 をいいますが、これは官職ではなく、
また オオミワ神の斎主 オオタタネコ、オオクニタマ神の斎主 ナガオイチ のような
恒久的な斎主とも異なり、この機会に限った一時的な斎主をいうものと思います。 ▶斎ふ


■イマス
ヒコヰマス(斎名アリスミ) の略で、タニハミチウシ(丹波道大人) の父です。

   開化天皇
     ├─────────ヒコヰマス
   オケツ姫[典侍]       ├────┬水穂真若王(アフミ)──ヤサカフリイロネ
                 │    ├丹波道主王(タニハチヌシ)───┬ヒハス姫
 ホノススミ─??─アメミカゲ─息長水依比売 ├沙本毘古王(サホヒコ)     ├ヌハタニイリ姫
                      ├沙本毘売命(サホ姫)      ├マトノ姫
                      ├神大根王           ├アサミニイリ姫
                      └小俣王─タエマクエハヤ    └タケノ姫


■御供/神饌の守 (みけのもり)
「神にお供え/神饌を奉納する担当者」 という意です。


■アメノヒオキ
これも謎の人物ですが、やはり 豊受皇太神宮御鎮座本紀 に、
天日起命 伊勢大神主祖神也” という記述があります。


神主 (かんぬし)

■フリタマ
この人も不詳の人物です。これも 豊受皇太神宮御鎮座本紀に、
振魂命 玉串大内人祖” と記されています。 ▶内人


禰宜 (ねぎ)
これも神職名の一つですが、どういうお役目の人なのかよくわかりません。
語源的には ネグ(祈ぐ/労ぐ) の名詞形で、ネグ は ナグ(和ぐ) の変態です。


■良き御子得たり (よきみこゑたり)
タニハミチウシが 「後に 垂年天皇の后となる4人の姫 を得たこと」 をいうのでしょう。
ミケ(御供/神饌) を ミコ(御子) に語呂合せしてシャレているようです。

   開化天皇
     ├─────────ヒコヰマス
   オケツ姫[典侍]       ├────┬水穂真若王(アフミ)──ヤサカフリイロネ
                 │    ├丹波道主王(タニハチヌシ)───┬ヒハス姫
 ホノススミ─??─アメミカゲ─息長水依比売 ├沙本毘古王(サホヒコ)     ├ヌハタニイリ姫
                      ├沙本毘売命(サホ姫)      ├マトノ姫
                      ├神大根王           ├アサミニイリ姫
                      └小俣王─タエマクエハヤ    └タケノ姫

 

【概意】
崇神天皇の39年3月3日に御言宣。
食国の大臣タケミクラを斎主とし、ヒコイマスの子のタニハミチウシを御供の守、
アメノヒオキは神主に、フリタマは禰宜として <ヨサに坐す> トヨケ神とアマテル神を祭らせる。
ミチウシは奉じた御供(みけ)により神の恵みを賜ったのか、良き御子(みこ)を得たり。



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 とよすきは ささはたみやに かえります またかみのつけ
 ををかみの かたみいたたき あふみより みのおめくりて
 いせいいの たかひおかわに すすととむ
 たかみやつくり 鎮めます

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 トヨスキは ササハタ宮に 還ります また神の告げ
 大神の 形見頂き 近江より 美濃を巡りて
 妹背斎野 高日拝に 進 止む
 高宮造り 鎮めます

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■ササハタ宮 (ささはたみや)
ササ+ハタ(端) で、ササ は  ササグ(捧ぐ) の母動詞 “サス” の名詞形、「上・高」 が原義です。
ミハタ(御端)ヰハタ(斎端) の換言で、この場合は 「アマテルの神霊を纏る聖域」 を意味します。
また同時に ササ は ササナミ の略。すなわち 「アワ海の端」 というロケーションを表します。

 ゆえにこの宮は 近江 にあったと考えられますが、日本書紀が 菟田の筱幡(うだのささはた)
 と記しているため、現在は宇陀の 篠畑神社 が論社として有力視されています。
 この場合の ウダ(菟田) は 原義通りで、「端・際・ふち」 を意味するものと思うのですが ・・・

 篠畑神社 (ささばたじんじゃ)
 大和国宇陀郡。奈良県宇陀市榛原山辺三2235。 
 現在の祭神:天照皇大神


■還ります (かえります)
この カエル は カワル(替わる・代わる・変わる) の変態で、「回る・巡る・移る」 などの意です。


■神 (かみ)
「アマテルの神霊」 です。


■大神 (ををかみ)
大御神 と同じです。これは 「生前のアマテル」 をいいます。


■形見 (かたみ)
「形を見せる物」、つまり 「生前の姿を思い出させる物」 をいいます。
“大神の形見” は 「アマテルの身柱」 をいうのではないかと思います。  ▶身柱

 
■妹背斎野 (いせいいの)
妹背の神(=アマテル神) を斎く野」 という意の地名です。 ▶斎く
イイ(▽斎) は イワフ(斎ふ) の母動詞 “イフ” の名詞形で、イホ(斎) の変態です。
三重県多気郡の 明和町明野 あたりを指すと思われます。


■高日拝 (たかひおがわ)
「日の出を拝む所・アマテル神のお出ましを拝む所」 という意の地名で、
これは 妹背斎野、また次節に出てくる “明けの原” の換言です。

 タカヒ(高日) は 「日の昇り・日の出」 の意で、この場合は 「日の神アマテル のお出まし」 を
 意味します。オガワ は オガフ の名詞形で、オガフ は オガム(拝む) の変態です。


■進止む (すすとどむ)
「進みをとどめる・進行をストップする」 という意です。
スス は ススム(進む) の母動詞 “スス” が、そのままの形で名詞化したものです。


高宮 (たかみや)
この場合は 「アマテルの神霊を纏る宮」 をいいます。


■鎮む (しづむ)
シ(‘する’ の連用形)+ツム(集む) の短縮で、両語とも 「合わす・まとめる・纏わす」 などが原義。
この場合は マツル(纏る) と同義となります。辞書は 「沈める・静める」 と同列に扱っていますが、
シツム(為集む)
と同源です。

 

【概意】
トヨスキは <カサヌイより> ササハタ宮に移ります。
するとまた神の告げがあり、大神の形見を頂いて近江を発ち、美濃を巡りて、
妹背斎野の高日拝にて進みを止め、高宮を造ってアマテルの神霊を纏ります。

 

本日は以上です。それではまた!

 

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