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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第188回 [2024.10.18]
第三四巻 ミマキの代 ミマナの文 (4)
著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com
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崇神天皇-2-4
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みまきのみよみまなのあや (その4)
ミマキの代 ミマナの文 https://gejirin.com/hotuma34.html
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むそふつき そよみことのり たけひてる むかしささけし
かんたから いつもにあるお みまくほし
―――――――――――――――――――――――――――――
六十年七月 十四日 御言宣 「タケヒテル 昔 捧げし
神宝 出雲にあるを 見まく欲し」
―――――――――――――――――――――――――――――
■昔捧げし神宝 (むかしささげしかんたから)
孝霊36年に天皇がハラミ山に御幸した後、タケヒテルが捧げた
“たまかわの神宝文”
をいいます。
イツアサマ御子 ヤマヅミの 四神移して “ヤス川原”
時タケヒテル たまかわの 神宝文 奉る … … 神宝 出雲に納む 〈ホ32ー3〉
■見まく欲し (みまくほし)
「見んことを欲す如し」 という意です。 ▶見まく
【概意】
崇神60年7月14日に御言宣。
「むかしタケヒテルが捧げて、出雲に納められた神宝を見たく思う。」
―――――――――――――――――――――――――――――
たけもろすみお つかわせは
かんぬしふりね かんほきに つくしにゆきて
とゐいりね みやよりいたし
おとうまし からひさとこの うかつくぬ そえてささくる
―――――――――――――――――――――――――――――
タケモロスミを 遣わせば
神主フリネ 神祝に ツクシに行きて
弟ヰイリネ 宮より出し
乙弟ウマシ カラヒサと子の ウカツクヌ 添えて捧ぐる
―――――――――――――――――――――――――――――
■タケモロスミ
タケタ の子で、タケヒテル
の曾孫にあたります。
日本書紀には 武諸隅
と記されます。
ニニキネ────ホノアカリ────タケヒテル───────タケトメ (養子)↓ ヤヒコ─アメヰダキ─アメオシヲ┬─建額赤彦─タケツツクサ─タケトメ─タケタ─┬オオアマ │(オキツヨソ) ├タケモロスミ │ └乎止与命──ミヤス姫 └ヨソタリ姫 ┃ ヤマトタケ
孝霊天皇は タケヒテルの子の タケトメ
を 臣としてもらい受けて、
嗣子の無い タケツツクサ
の養子となし、ヤヒコの家系 (後の尾張連)
を継がせました。
子のタケトメを 臣に請ふ タケツツクサの 纏り継ぐ タケタの親ぞ 〈ホ32-3〉
乙子神社
(おとごじんじゃ)
越後国蒲原郡。彌彦神社
境内摂社。
現在の祭神:建諸隅命
■神主 (かんぬし)
神職には、斎主(いわひぬし)、祭主(まつりぬし)、禰宜(ねぎ)、祝(はふり)
など、
いろいろあってその違いは良くわからず、また同じ神職の換言なのかもしれませんが、
“神主” は 「神宮・神社の主」
を意味するのではないかと考えています。
つまり、崇神天皇の勅により、あらゆる
宮・殿・社に神を纏るようになりましたが、
この場合は 「出雲の宮 (政庁) に神を纏る主」
という意で、「出雲 国造」
の換言と考えます。
■フリネ
当時の出雲政庁の主 (=出雲国造)
で、初代 ホヒ(天穂日命)
の11代の孫です。
日本書紀には 出雲振根(いずものふるね)
と記されます。
アマテル───ホヒ───オオセイイミクマノ … … フリネ (初代出雲国造) (11代国造)
■神祝 (かんほぎ)
■ヰイリネ ■ウマシカラヒサ ■ウカツクヌ
ヰイリネ は フリネの弟で、日本書紀には 飯入根
と記されます。
ウマシカラヒサ はその下の弟で、日本書紀には 甘美韓日狭
と記されます。
ウカクツヌ は ヰイリネの子で、日本書紀には 鵜濡渟
と記されます。
アマテル───ホヒ───オオセイイミクマノ … … ┬フリネ(11代国造) (初代出雲国造) │ ├ヰイリネ──ウカツクヌ(12代国造) │ └ウマシカラヒサ
■添えて捧ぐる (そえてささぐる)
「弟と子を同行させて神宝を献上する」 という意ですが、
肉親を同行させる理由は、
人質として差し入れるためで、 “もし神宝がニセモノだった場合は2人を殺してください”
という覚悟を形に表したものと思います。
【概意】
タケモロスミを遣わせば、神主のフリネは九州に神祝に出かけて
<不在なため>、
弟のヰイリネが宮より出し、末弟のウマシカラヒサと子のウカツクヌを添えて捧げる。
―――――――――――――――――――――――――――――
のちふりね かえてゐいりね せめいわく
いくかもまたて なとおそる
いつもはかみの みちのもと やもよろふみお かくしおく
のちのさかえお おもわんや たやすくたすと
うらみしか しのひころすの こころあり
―――――――――――――――――――――――――――――
後フリネ 帰て ヰイリネ 責め曰く
「幾日も待たで など畏る
出雲は上の 道の基 八百万文を 隠し置く
後の栄えを 思わんや たやすく出す」 と
恨みしが 忍び 殺すの 心あり
―――――――――――――――――――――――――――――
■など (何ど)
■上の道の基 八百万文 (かみのみちのもと やもよろふみ)
「御上の道の基の八百万文」 という意です。 ▶御上
つまり 「中央政府/朝廷の
統治の道の基礎となった教えの膨大な記録」 であり、
すなわちそれは 「陽陰なる道/和の道/トの道
について記した文書」 と考えられます。
出雲国の政庁 キツキ宮
は、国家の宝物庫でもあったことが、この記から窺い知れます。
時タケヒテル たまかわの 神宝文 奉る … … 神宝 出雲に納む 〈ホ32ー3〉
【概意】
後にフリネが帰ると、ヰイリネを責めて曰く、
「幾日も待たずに・・・、どうして畏れる。出雲は御上の道の基となった八百万の文を隠しおく。
後の栄達を思わなんだか !? たやすく出しずぎぞ」
と、ヰイリネを恨んだが、
今は忍んで、後で殺してやろうと考えた。
―――――――――――――――――――――――――――――
あにのふりねか あさむきて
やみやのたまも はなかよみ ゆきみんとてそ さそひくる
おとうなつきて ともにゆく
あにはきたちお ぬきおきて みつあひよへは おともまま
―――――――――――――――――――――――――――――
兄のフリネが 欺きて
「ヤミヤの玉藻 花暦 行き見ん」 とてぞ 誘ひ来る
弟 うなづきて 共に行く
兄は木太刀を 脱ぎ置きて 水浴び 呼べば 弟もまま
―――――――――――――――――――――――――――――
■ヤミヤ (やみや)
ヤミヤ は地名で、出雲風土記に ヤムヤ(止屋・夜牟夜・塩冶)
と記されます。
後の 神門郡塩冶郷、現在は
島根県出雲市塩冶(えんや)町
となっています。
玉藻と花暦の美しさで有名な場所だったようです。
鹽冶神社 (えんやじんじゃ)
出雲国神門郡。島根県出雲市上塩冶町1749-7。
現在の祭神:鹽冶毘古命、鹽冶毘賣命、鹽冶毘古麻由彌命、燒太刀天穗日子命
■玉藻 (たまも)
今に言う マリモ(毬藻)
ではないかと思います。 ▶画像
タマ(玉・球) は タム(回む)
の名詞形。モ(藻) は モ(茂)・モエ(萌) と同じです。
■花暦 (はなかよみ)
「花の循環」
の意で、「順番に咲く花がその時節を告げるさま」
をいうものと思います。
★暦 (かよみ)
カヨミ は カユ(替ゆ・換ゆ)+ヨム(読む・算む) の短縮 “カヨム”
の名詞形で、
両語とも 「回る・巡る・往き来する・循環する」
などが原義。コヨミ(暦)
の変態です。
■木太刀 (こだち・きだち)
「木製の太刀・木刀」 です。 ▶太刀
フリネは人を斬ることができない木刀を身に着けていたわけです。
【概意】
兄のフリネが欺いて、
「ヤミヤの玉藻と花暦を見に行かんか」
と誘いに来る。弟はうなづいて共に行く。
兄は木太刀を脱ぎおき、水を浴びて弟を呼べば、弟も兄の言うままに従う。
―――――――――――――――――――――――――――――
あにまつあかり おとかたち はけはおとろき
ゐいりねも あかりてあにか きたちはく
あにたちぬきて きりかくる
ぬかれぬたちに ゐいりねは やみやみふちに きえうせぬ
―――――――――――――――――――――――――――――
兄まず上がり 弟が太刀 佩けば驚き
ヰイリネも 上がりて兄が 木太刀 佩く
兄 太刀抜きて 斬り掛くる
抜かれぬ太刀に ヰイリネは やみやみ淵に 消え失せぬ
―――――――――――――――――――――――――――――
■佩く・履く・接ぐ
(はく)
フク(葺く) の変態で、「身に着ける・身に帯びる」
が原義ですが、「腰から下に帯びる」 時に
“ハク” と言うことが多いです。“靴をはく”、”パンツをはく”
のそれと同一です。
■やみやみ
ヤミ は ヤム(止む・已む・罷む)
の名詞形で、「しめ・しまい・終り」 などが原義です。
“やみやみ” は
「万事休すのさま・もはやなすすべのないさま」
を表す副詞ですが、
現代語に訳しずらい言葉です。辞書は “闇闇”
と当て字しています。 ▶闇闇
ヤミヤ(止屋・夜牟夜・塩冶) は ヤミ(止み・罷み)+ヤ(野・谷)
で、
ヰイリネの 「終りの場所」
という意味の、後付けの地名と考えます。
■抜かれぬ太刀 (ぬかれぬたち)
「鞘から抜けない太刀」 →
「もともと鞘に入ってない太刀」 の意で、
フリネの 木太刀 を指します。
■淵 (ふち)
オチ(落ち) の変態で、「落ち込み・深み・溝」
などを意味します。
【概意】
兄がまず上がって弟の太刀を佩けば、驚くヰイリネも上がって兄の木太刀を佩く。
兄は太刀を抜いて斬りかかれば、抜けない太刀に、ヰイリネは
なすすべなく、
水の深みに消え失せる。
―――――――――――――――――――――――――――――
よにうたふうた
やくもたつ いつもたけるか はけるたち
つつらさわまき あわれさひなし
―――――――――――――――――――――――――――――
世に歌ふ歌
『八雲たつ 出雲長が 佩ける太刀
葛 多巻き あわれ錆無し』
―――――――――――――――――――――――――――――
■八雲たつ (やくもたつ)
イヅモ(出雲) にかかる枕詞です。
■出雲長 (いづもたける)
この場合は 「出雲の国造」 を意味し、フリネ
を指します。 ▶長(たける)
■佩ける (はける)
ハク(佩く) の連体形です。
■葛 (つづら)
ツヅル(綴る)
の名詞形で、「続き・連なり・長く連なるさま」
が原義、ツル(蔓)
の換言です。
この場合は 滑り止めのために 「太刀の柄に巻きつける蔓/紐」
をいいます。
“葛 多巻き” は 「太刀の 柄巻
に蔓がたくさん巻かれているさま」 をいい、
「太刀の柄はご立派」 というような意味です。
■あわれ (哀れ)
「いたわるさま・いとおしむさま・いたましく思うさま」
を表し、感嘆詞としても用います。
ここでは 「ああ・あれ〜・あれま・なんと・そんな〜」
という感じです。
■錆無し (さびなし)
太刀が金属製ではなく、「木製」 であることを表します。
【概意】
世に歌う歌。
『八雲たつ 出雲長が 佩ける太刀 柄巻ご立派 あれま錆無し』
日本書紀では
『八雲立つ 出雲武(いづもたける)が 佩ける太刀 黒葛(つづら)多巻き さ身なしにあはれ』
と記され、出雲武(いずもたける)
は “ヰイリネ” を指すと解釈されています。
―――――――――――――――――――――――――――――――
からひさは おいうかつくぬ つれのほり きみにつくれは
きひひこと たけぬわけとに みことのり
ふりねうたれて いつもおみ おそれてかみの まつりせす
あるひひかとへ わかみやに つくるわかこの このころのうた
―――――――――――――――――――――――――――――――
カラヒサは 甥ウカツクヌ 連れ上り 君に告ぐれば
キビヒコと タケヌワケとに 御言宣
フリネ討たれて 出雲臣 恐れて神の 祭せず
ある日ヒカトベ 若宮に 告ぐる我が子の この頃の歌
―――――――――――――――――――――――――――――――
■キビヒコ・キビツヒコ
四道の軍の 西南の治人
に任じられており、この時点での吉備国造です。 ▶四道の軍
外つ国 粗人 法を まだ迎けず 故
四方に治人 遣はして 法 教えしむ
九月九日 ・・・ ・・・ キビツヒコして 西南の治人 〈ホ33ー3〉
■タケヌワケ (丈野別)・タケヌガワケ
(丈野が別)
タケヌ(丈野)+ガ(=の)+ワケ(別)
で、アエ国 (後の 伊賀国)
の領主を意味します。 ▶アエ国
四道の軍の “ホツマ治人”
に任じられて、東海道方面に派遣されています。
■恐れて神の祭せず (おそれてかみのまつりせず)
いったい何を恐れたのかよくわかりませんが、フリネが討たれたことにより、
出雲を治める他の臣たちは、神を尊崇する儀式をやめたようです。
■ヒカトベ
ヒカ は ヒ(▽放・簸)+カ(▽曲)
で、ヒカワ
の短縮です。 ▶トベ
ですから 「ヒカワの守/県主」 を意味します。ヒカワ は
出雲国の県の1つです。
日本書紀には 氷香戸辺
と記されます。
■若宮 (わかみや)
皇太子の イクメイリヒコ(斎名ヰソサチ)
を指します。
【概意】
カラヒサは甥のウカツクヌを連れ、都に上って君に告げれば、
君はキビヒコとタケヌワケとに <フリネ討伐の>
御言宣。
フリネが討たれて、出雲の臣らが
恐れて神の祭をしなくなったある日、
ヒカトベ(=ヒカワの守)が若宮に告げる、我が子のこの頃の歌。
―――――――――――――――――――――――――――――
たまもしつ いつもまつらは まくさまし かよみおしふり
ねみかかみ みそこたからの みからぬし たにみくくりみ
たましつか うましみかみは みからぬしやも
―――――――――――――――――――――――――――――
『玉藻垂づ 出雲祭らば まくさまじ
日夜見治人フリネ 神鏡 みそこ宝の 神殻主だに
身潜り 神霊垂づか うまし・みかみは 神殻主やも』
―――――――――――――――――――――――――――――
ここは五七調が非常にいびつなため、言葉の区切りを調整しています。
■玉藻垂づ (たまもしづ)
「玉藻が水中に沈む」 という意です。これはおそらく “イヅモ”
にかかる枕詞で、
この場合は格別の意味は無いと考えています。 ▶玉藻
★垂づ (しづ)
シヅム(沈む)・シダル(垂る) などの母動詞で、
「下がる/下げる・落ちる/落とす・沈む/沈める」
などが原義です。
■出雲 (いづも)
ここでは 「イヅモの神・イヅモ八重垣の神」
をいうものと思います。 ▶イヅモ八重垣
それは誰の神霊を指すのか?と考える時、思い浮かぶのは、出雲の発展に最も尽力しながら、
“カシマタチ” により領主としての立場を追われた
「オホナムチの神霊」 です。 ▶オホナムチ
そしてそれは崇神天皇が畏怖尊崇してやまない オオモノヌシ神
の一柱です。
■まくさまじ
マクサム+ジ で、マクサム は ヤクサム(悩む)
の変態、「萎える・病む・悩む」 などが原義です。
‘ジ’ は 否定の ‘ズ’ の推量形で、「まず…ないだろう」
の意を表します。
ですから 「病み衰えることはまずないだろう」
という意となります。
■日夜見治人 (かよみおし)
カヨミ は ヒヨミ(日夜見)
の換言で、「陽陰/天地/日月の合わせ」 を原義とし、
この場合は 「神を世に纏ること」 を意味します。オシ(治人)
は ウシ(大人)・ヌシ(主) の変態です。
したがって “日夜見治人” は 「神を社に纏る主=神主」
の換言と考えられます。 ▶神主
■神鏡 (みかがみ)
ミ(御・▽上・▽神)+カガミ(鏡)
で、この場合は 「神の写し/映し」 という意です。
「神を (世に) 写す/映す者」 を意味し、これも
「神を社に纏る主=神主=日夜見治人」
の換言です。
■みそこ宝 (みそこたから:三十九宝)
ミソコ(三十九) は “ハナ”
を導く枕詞ゆえ、「はなはだしい宝・極宝・神宝」
の意と考えます。
そしてそれは 上の道の基
八百万文 を指すのでしょう。
■神殻主 (みからぬし)
ミ(御・▽上・▽神)+カラ(殻・骸)+ヌシ(主)
で、カラ(殻・骸) は 「入れ物・容器」 をいいます。
“神殻主” は 「神の入れ物の主・宮/社の主」
の意で、つまりこれも 神主=日夜見治人
の換言です。
「出雲キツキ宮の主」 である フリネ
を指します。 ▶キツキ
■だに
■身潜る (みくぐる)
クグル(潜る)
は クグム(屈む)
の変態で、
「低める・落とす・貶める・縮める・沈める・果てさす」
などが原義です。
この場合は 「身を滅ぼす」 という意になります。
■うまし (▽和し)
ウマス の名詞形で、ウマス は ヤワス(和す)
の変態です。
この場合は 「(神を) 和すこと/者・慰めること/者・ねぎらうこと/者」
を意味します。
■みかみ (▽厳み)
ミカマ(竈)
の変態で、「上げ・高め・栄し」 などが原義です。
この場合は 「(神を) 高めること/者・尊ぶこと/者・崇めること/もの」
を意味します。
ウマシカラヒサ は “うましみかみ” の換言と考えてます。
■やも
【概意】
『玉藻の沈む出雲の神を祭れば 悩むことはあるまい。
神を纏る治人(=神主)のフリネは、神を世に写す者であり、
至宝の神宮の主だのに、その身を滅ぼし、その神霊をも貶めるかな。
神を和して尊ぶ者が神宮の主ではないのか?』
―――――――――――――――――――――――――――――
うたのあや かみのつけかと きみにつけ
いつもまつれと みことのり
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歌の謂 神の告げかと 君に告げ
「出雲祭れ」 と 御言宣
―――――――――――――――――――――――――――――
【概意】
歌の言うところは神の告げかと、若宮は君に告げれば、
「出雲の神を祭れ」 と御言宣。
崇神天皇はこの歌を聞いて、即座に オオモノヌシ神
の告げと直感したのでしょう。
そしてオオモノヌシ神の一柱である オホナムチの神霊
を出雲に纏って崇めよと、
御言宣したものと考えます。そしてこれが 出雲大社
の創始と、筆者は見ています。
大社(おおやしろ) は 本来は 皇社(おおやしろ) で、 「皇モノ主の神の社」
の意と思います。
またその初代の神主には、ウマシカラヒサ
を任じたのではないかと。
―――――――――――――――――――――――――――――
むそふきなとの あふみつき きみとはつやゑ みことのり
たみわさはもと たのむとこ かうちさやまは みつたらす
わさおこたれは なりはひの ためによさみと かりさかと
かえおりのゐけ ほらんとて くわまのみやに みゆきなる
―――――――――――――――――――――――――――――
六十二年キナトの 七月 キミトはツヤヱ 御言宣
「民業は基 頼む床 河内狭山は 水足らず
業 怠れば 成り生ひの ためにヨサミと カリサカと
カエオリの池 掘らん」 とて クワマの宮に 御幸なる
―――――――――――――――――――――――――――――
■キミトはツヤヱ
「月の初日が キミト で、次の ツヤヱ の日」 という意で、
この場合は 「7月2日」 となります。 ▶干支
■河内狭山 (かうちさやま)
後の 大阪府南河内郡狭山村、現在の
大阪狭山市
で、“狭山池”
があります。 ▶河内
■怠る (おこたる)
オク+タル(垂る) の連結で、オク は オクル(遅る・後る)
の母動詞。
“おっこちる”
の変態で、「低まる/低める」 が原義です。
■成り生ひ (なりはひ・なりわひ)
「成ったり生えたりするもの/こと」
が原意で、「生産・産出」 を意味します。
現在は “生業・家業”
と当て字されてます。
■ヨサミ (依網) ■カリサカ (苅坂) ■カエオリ (反折)
崇神天皇が河内狭山に掘った3つの池の名です。(漢字表記は日本書紀による)
ヨサミ池 は
現在の 大阪市住吉区庭井町
にありました。
池は現存しませんが、大依羅神社
の参道前に 依網池跡碑 が立ちます。
カリサカ池 と カエオリ池 は
どこにあったのか不明です。
■クワマの宮 (くわまのみや:桑間宮)
崇神天皇が河内狭山に池を掘るため、自ら御幸して滞在した仮宮です。
場所は判明していません。(漢字表記は日本書紀による)
【概意】
崇神62年キナトの7月2日に御言宣。
「民業は国家の基盤であり、頼る土台であるに、
河内の狭山は水が足らず、その業が低迷しておれば、
農業生産のためにヨサミとカリサカとカエオリの池を掘らん」
とて、
クワマの宮に御幸なる。
―――――――――――――――――――――――――――――
むそゐほふつき みまなくに そなかしちして みつきなす
そのみちのりは つくしより きたえふちのり うみへたて
しらきのつさそ
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六十五年七月 ミマナ国 ソナカシチして 貢なす
その道程は 筑紫より 北へ二千程 海隔て
シラキの西南ぞ
―――――――――――――――――――――――――――――
■ソナカシチ
ミマナ国
が遣わした朝貢の使者です。日本書紀には 蘇那曷叱知
と記されます。
この人物は後日、垂仁天皇の即位の祝にも使者として来朝します。
■貢・御調・調
(みつき・みつぎ)
「合わせ・充当・供え・(御用の)足し・お世話」
などを意味します。
ミツ(見つ・充つ)+ツク(付く・注ぐ) の短縮 “ミツク”
の名詞形で、
両語とも 「合わす・充てる・付ける・足す・供える」
などが原義です。
■二千程 (ふちのり) ▶ノリ(程)
【概意】
崇神65年7月、ミマナ国がソナカシチを使として朝貢する。
その道程は
筑紫より北へ二千程の海を隔てる、新羅の西南ぞ。
―――――――――――――――――――――――――――――
むそやとし しはすをなゑは ゐかねあゑ
きみこときれて ものいわす ゐねますことし
あくるとし ねやゑはつふか あめひつき
みよあらたまの はつきそひ かみあかりとそ よにふれて
きみとうちとみ もはにいり とのとみやはり まつりこと
―――――――――――――――――――――――――――――
六十八年 十二月ヲナヱは 五日ネアヱ
君 言切れて もの言わず 寝ます如し
明くる年 ネヤヱ一月二日 和日月
御代あらたまの 八月十一日 “神あがり”
とぞ 世に触れて
君と内臣 喪に入り 外の臣やはり 政事
―――――――――――――――――――――――――――――
■言切る (こときる)
「言葉が途絶える」 という意です。辞書は “事切る”
と当て字しています。
■和日月 (あめひつき)
「和(やわ)して恵る日月」
という意で、「中央政府の君・皇位」 を意味します。
崇神天皇崩御の翌年の1月2日に、皇太子イクメイリヒコ
が皇位に就いたということです。
■御代あらたま (みよあらたま)
「御代の改め・元号の改め・改元」 という意です。
■神あがり (かみあがり)
「神への帰還」 という意です。この アガリ は 「1巡が完了してもとに還ること」
を意味します。
▶あがる ▶天にあがる ▶神更る
■君と内臣 (きみとうちとみ)
“君” は 新たに国家君主となったイクメイリヒコ(垂仁天皇)を指します。
“内臣” は 崩御した崇神天皇に親しく仕えた
「側近の臣たち」 をいいます。 ▶内臣
■外の臣 (とのとみ)
内臣(うちとみ) 以外の臣をいいます。
■やはり
【概意】
崇神68年のヲナヱに始まる12月の5日ネアヱ、
君は言葉が途絶えてものを言わず。寝ておられる如し。
明くるネヤヱの年の1月2日に <若宮は>
和日月を受け継ぎて
元号改めの8月11日に “神あがり” とぞ世に触れて、
君と内臣は喪に入り、外の臣は通常通り政務を執る。
―――――――――――――――――――――――――――――
かんなそひかに おもむろお やまへにおくる このきみは
かみおあかめて ゑやみたし みくさたからお あらたむる
そのことのりは おほいなるかな
―――――――――――――――――――――――――――――
十月十一日に 骸を 山辺に送る この君は
神を崇めて 疫病治し 三種宝を 改むる
その言宣は 大いなるかな
―――――――――――――――――――――――――――――
■山辺 (やまべ)
崇神天皇の墓所です。日本書紀には 山辺道勾岡上陵
と記されます。
現在は宮内庁により、奈良県天理市柳本町
にある 「行燈山古墳」 に治定されています。
山辺は 崇神天皇が オオクニタマ
を纏った地です。
オオクニタマは ヌナキ姫 山辺の里に 纏らしむ 〈ホ33-1〉
■この君 (このきみ)
「崇神天皇」 を指します。
■崇む (あがむ)
アグ(上ぐ)+カム(▽上む) の短縮で、両語とも
「上げる・敬う・尊ぶ・栄す」 などが原義です。
■三種宝を改むる (みくさたからおあらたむる)
三種宝のコピーを造らせて、それを皇位継承の証しの品としたことをいいます。
イシコリトメの孫
鏡 アメヒト尊の孫 剣 新に造らせ
和照らす 尊のヲシテと この三種 和つ日月の 尊宝 〈ホ33-1〉
【概意】
同10月11日に亡骸を山辺に葬る。
この君は神を崇めて疫病を治め、三種宝を改める。
その御言宣は大いなるかな。
本日は以上です。それではまた!