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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第184回 [2024.9.28]

第三三巻 神崇め疫病治す文 (3)

著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com

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 崇神天皇-1-3

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 かみあがめゑやみたすあや (その3)
 神崇め疫病治す文 https://gejirin.com/hotuma33.html
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 次の部分は写本によって2つのバージョンがあり、まずは1つ目です。―――――――――――――――――――――――――――――
 やほうよか たかはしいくひ みきつくり
 みわおおかみに たてまつる そのあちうまし
 しはすやか かみまつらせて みゆきなる

―――――――――――――――――――――――――――――
 八年四月四日 タカハ師イクヒ 酒造り
 ミワ大神に 奉る その味うまし
 十二月八日 神 祭らせて 御幸なる

――――――――――――――――――――――――― Ver.1――

四月四日 (うよか)
ツキ(四月・卯月) ヨカ(四日) の略です。 ▶ウツキ(卯月)

■タカハ師 (たかはし)
今に言う 「酒造師・杜氏」 と考えています。 ▶杜氏
“高橋” という姓は、これを起源とするのかもしれません。

 ★タカハ
 タカフ(高ぶ) の名詞形、「高め・熟成・醸成」 を意味します。

 ★シ (為・師・士・仕)
 スル(為る) の名詞形で、「合わすこと/者」 が原義です。
 「(〜に) 付く者 / 就く者 / 侍る者 / 仕える者」 などの意を表します。


■イクヒ
その杜氏の名で、日本書紀には “活日” と記されます。
イクフ(憤ぶ・▽活ぶ) の名詞形で、“タカハ” の換言と考えます。
大神神社の摂社に祭られています。

 活日神社 (いくひじんじゃ)
 奈良県桜井市大字三輪字活日川、大神神社摂社。
 現在の祭神:高橋活日命


■ミワ大神・ミワ皇神 (みわおおかみ)
ミハ/ミワ(▽見張)オオ(皇)カミ(神) で、“オオミワ神” の換言です。 ▶オオミワ神

 

【概意】
崇神8年4月4日、杜氏のイクヒが酒を造ってミワ大神に奉る。その味うまし。
12月8日、<タタネコに> 神を祭らせて、君の御幸なる。



 続いてバージョン2です。
―――――――――――――――――――――――――――――
 やほさみと うよかたかはし むらいくひ
 うまささつくり みわかみに そのみきうまし
 しはすやか たたねこやりて みゆきなる

―――――――――――――――――――――――――――――
 八年サミト 四月四日 タカハ師村イクヒ
 うま酒造り ミワ神に その酒うまし
 十二月八日 タタネコ遣りて 御幸なる

―――――――――――――――――――――――― Ver.2 ――

■タカハ師村 (たかはしむら)
タカハ師(=杜氏) が集まる 「酒造の村」 があったと考えています。
日本書紀は “高橋邑” と記しています。
場所は不詳ですが、現在の 高橋神社 付近をいうのかもしれません。

 高橋神社 (たかはしじんじゃ)
 大和国添上郡。奈良県奈良市八条5丁目338。 
 現在の祭神:磐鹿六雁命、栲幡千千媛


■うま酒 (うまささ)
「美味い酒」 の意です。“ササ” は サケ(酒) の別名です。ササケ、ミキ ともいいます。
ウマ は ウベ(宜) の変態です。 ▶ささ ▶ささけ ▶みき


ミワ神 (みわかみ)・ミワの神 (みわのかみ)
ミモロ神・オオモノヌシの神 の換言です。オオミワ神ミワ大神 ともいいます。

 

【概意】
崇神8年サミトの4月4日、
タカハ師村のイクヒがうま酒を造りミワ神に奉る。その酒うまし。
12月8日にタタネコを遣りて <祭らせ、その後に君の> 御幸なる。



―――――――――――――――――――――――――――――
 いくひかさけに みあえなす きみのみうたに
 このみきは わかみきならす やまとなる おほものぬしの
 かみのみき いくひさつくる すきはいくひさ

―――――――――――――――――――――――――――――
 イクヒが酒に 御饗なす 君の御歌に
 『この酒は 我が酒ならず ヤマトなる オホモノヌシの
 神の酒 活霊授くる 直は幾久』

―――――――――――――――――――――――――――――

御饗 (みあえ)

■ヤマトなる (やまとなる)
2つの意味が重なり、いずれも “オホモノヌシの神” にかかります。
1つは 「大和にある・大和の国に坐す」 という意です。
もう1つは 「和が成る・調和する・曲りが直る」 の意で、
これは ミモロ(和の見守り)ミワ(曲りの見張り) の換言です。 ▶ヤマト


■活霊 (いくひ)
イク(活く)ヒ(霊) で、「活かすエネルギー・繁栄のエネルギー」 などの意です。
この場合は 「オオモノヌシ神の活霊」 と考えていいと思います。
これは タカハ師の “イクヒ” に語呂合せしての表現です。


■直 (すぎ)
スグ(直ぐ) の名詞形で、スガ(清)・スコ(▽健) などの変態です。
「まっすぐなさま・曲りなきさま・健やかな状態」 をいいます。


■幾久 (いくひさ)
「末永く続くさま」 をいいます。
これも タカハ師の “イクヒ”、また オオモノヌシ神の “活霊” に語呂を合せています。

 

【概意】
  イクヒの酒に御饗なす。君の御歌に、
『この酒は我が酒ならず 大和の国にありて和を見守る
  オホモノヌシの神の酒 その活霊の授く健やかさは幾久しく』


 日本書紀には次のように記されます。
  『此の神酒(みき)は 我が神酒ならず 倭なす 大物主の醸(か)みし神酒 幾久幾久』



―――――――――――――――――――――――――――――
 みあえおえ とみらうたふて うまさけや みはみわのとの
 あさとにも いててゆかなん みわのとのとお
 ときにきみ これかえうたに うまさけに みはみわのとの
 あさとにも おしひらかねよ みわのとのとお
 とのとおし ひらきかえます

―――――――――――――――――――――――――――――
 御饗終え 臣ら歌ふて 『うま酒や 身はミワの殿
 あさとにも 出でて行かなん 三輪の殿戸を』
 時に君 これ返歌に 『うま酒に 身はミワの殿
 あさとにも 押し開かねよ 三輪の殿戸を』
 殿戸押し 開き帰ます

―――――――――――――――――――――――――――――

■ミワの殿 (みわのとの)
「ミワ神の社殿」 という意で、今に言う “大神神社” です。 ▶ミワ神
この社殿は 神武天皇が即位の2年前(上鈴56年)に建てています。

 コトシロヌシを ヱミス神 孫のクシネを 県主
 
社 造らせ 十月の二十日 纏るオオミワ 神並みぞ 
〈ホ29-6〉

 大神神社 (おおみわじんじゃ)
 大和国城上郡。奈良県桜井市三輪1422。
 現在の祭神:大物主大神


■あさと (▽明処)
アス(▽明す)ト(所・処) で、「改まった処/時・明けた処/時」 が原義です。
これは アシタ(明日)、あるいは アサテ(=あさって) の変態です。

 “あさとにも” は、国家の危機を過ぎ越して、そのお礼参りにミワの殿を訪れ、
 うま酒にまったりほろ酔い気分となった天皇と臣らが、やっと肩の荷が下りたのだから、
 「今はもうしばらくこの気分に浸っていたい」 という、国家危機の心労を癒したい心を
 “明日か あさってにでも帰るよ” と表現したものと考えます。


■出でて行かなん (いでてゆかなん)
最後の “なん” は 「推量・意志」 を強調する意を表します。 ▶なむ
この場合は 「出て行くことにしよう、絶対そうするぞ」 という意になります。


■三輪の殿門 (みわのとのと)
「三重の殿門」 という意です。現在は 三輪鳥居・三ツ鳥居 と呼ばれて、
大神神社境内の三輪山と拝殿を区切る場所にあります。 ▶画像
“ミワ” に語呂を合せて 「三輪・三重」 に造ったのでしょう。


■押し開かねよ (おしひらかねよ)
“ひらかねよ” の “ね” は、“なん” の短縮形と思います。ですから “押し開かなんよ” の換言で、
「押し開くことにしようよ、絶対そうするぞ」 という意です。

 

【概意】
 御饗を終えると、臣らは歌って、
『うま酒や 身はミワ神の殿 明日かあさってにでも 出て行くことにしようぞ 三輪の殿門を』
 時に君はこれに返歌して、
『うま酒に 身はミワ神の殿 明日かあさってにでも 押し開くことにしようぞ 三輪の殿門を』
 <かく歌いながらも重い腰を上げ> 殿門を押し開いて帰ります。


 日本書紀には次のように記されます。
 『うま酒 三輪の殿の 朝門にも 出でて行かな 三輪の殿門を』
 『うま酒 三輪の殿の 朝門にも 押し開かね 三輪の殿門を』



―――――――――――――――――――――――――――――
 こほやよひ もちのよゆめに かみのつけ
 かしきほこたて かみまつれ
 うたすみさかも おおさかも かわせさかみお のこりなく
 これつみひとの しいととむ ゑやみなすゆえ

―――――――――――――――――――――――――――――
 九年三月 十五日の夜 夢に 神の告げ
 「カシキ祝 奉て 神纏れ
 ウダ・スミサカも オオサカも かわせ邪霊を 残りなく
 これ罪人の 魄 留む 疫病なすゆえ」

―――――――――――――――――――――――――――――

■カシキ祝 (かしきほこ)
カシキノユフ(▽赤白黄の結・▽畏の結) の換言です。

 ★ホコ (▽祝)
 ホグ(祝ぐ) の名詞形で、ホギ(祝・寿) の変態です。
 この場合は 「祝い/敬いの品・奉納品・供え物」 をいいます。


■神纏る (かみまつる)
“神” はこの場合、すぐ次の サカミ(邪霊)  の換言です。
“纏る” は 「処置する・手当する・ケアする」 ことをいいます。
ですから 「邪霊に対処する・邪霊の手当をする」 という意です。

  
■ウダ ■スミサカ (隅境) ■オオサカ・オサカ (央境)
これらは特定の地名ではなく、「辺鄙地/郊外地/中心地」 を意味すると考えます。
ウダ は ウト(▽疎) の変態で、「極み・際・果て・辺鄙・国境い」 などを意味し、
スミサカ(隅境) は 「郊外の地」、オオサカ(央境) は 「中央・中心地」 です。 ▶サカ(境)


■かわす (交す)
カエス(反す・返す・帰す・還す) の変態で、「回す・行き来させる・返す/還す」 などが原義。
この場合は 「乱れたタマノヲを解いて、魂と魄を陽元と陰元に還す」 という意味です。 ▶霊還し

 余談ですが、カワセ(為替) は カワス(交す) の名詞形です。


■邪霊 (さかみ)
サカ(逆・▽邪)ミ(霊) で、「曲った霊・さかしまな霊・よこしまな霊」 を意味し、
この場合は 「タマノヲが乱れて解けず、陽元と陰元に還れない人霊」 をいいます。


罪人 (つみびと)
「曲って外れた人」 が原義で、この場合は 「輪廻転生の道から外れた人」 という意です。


魄 (しい・しゐ)
ここでは肉体ではなく、そのもととなる 「陰霊」 をいいます。 ▶魂魄
人の死後、亡骸(骨肉)は土に還しますが、不本意な死に方をした場合は、
骨と共に 魄(=陰霊) が土に留まり続ける場合があります。


疫病 (ゑやみ)

 

【概意】
崇神9年3月15日の夜の夢に神の告げ。
「赤白黄/畏の祝いを奉納して霊に対処せよ。
辺鄙地も郊外地も中心地も邪霊を還せ、残りなく。
土地は曲り逸れた人間の魄を留める。疫病をなすゆえ。」



―――――――――――――――――――――――――――――
 うすえふか をとみかしまと たたねこと
 たまかえしのり まつらしむ かれにあかるき

―――――――――――――――――――――――――――――
 四月二十二日 大臣カシマと タタネコと
 “霊還し” 宣り 纏らしむ 故に明るき

―――――――――――――――――――――――――――――

■四月二十二日 (うすえふか)
ウツキ(卯月・四月)+スエフカ(末二日) の略です。


■大臣 (をとみ)
ヲ(上・央・皇・大)トミ(臣) で、ヲモチキミ(大臣・御前君) の換言と思います。
ヲトド(大殿)
とも呼ばれます。

   
■カシマ・ヲヲカシマ・ミカサカシマ ■クニナツ (斎名)
鏡臣/中臣の家系の末裔で、この時の 「カシマ国の領主」 です。 ▶鏡臣 ▶中臣 ▶カシマ国
ヲヲカシマ、ミカサカシマ とも呼ばれます。斎名は クニナツ です。
ミカサフミを編纂したのはこの人物で、他文献には 国摩大鹿島命 などと記されます。

 アマノコヤネ──オシクモ──アメタネコ──ウサマロ ・・・ ・・・ ・・・ ヲヲカシマ


霊還し (たまかえし)
鏡臣の末裔タタネコと臣の末裔カシマの、コラボによる大規模な霊還しです。 ▶剣臣
こういうことは、モノノベ系の臣に出る幕はありません。


■纏らしむ (まつらしむ)
“霊還し” を宣らせて 邪霊(さかみ) を 「治め鎮める」 ということです。 ▶纏る


明るし (あかるし)

 

【概意】
4月22日、大臣カシマとタタネコとに “霊還し” を宣らせ、
邪霊(さかみ)を纏らしむ。しかれば翳りもなく晴れやか。


 
―――――――――――――――――――――――――――――
 そほねやと ふつきすえよか みことのり
 たみたすをしえ かみまつり ややをゑされと
 とおつくに あらひとのりお またむけす
 かれよもにをし つかはして のりをしえしむ

―――――――――――――――――――――――――――――
 十年ネヤト 七月二十四日 御言宣
 「民治す教え “神纏り” やや汚穢更れど
 遠つ国 粗人 法を まだ迎けず
 故 四方に治人 遣はして 法 教えしむ」

―――――――――――――――――――――――――――――

■教え (をしえ・をしゑ)
ヲシユ(教ゆ) の名詞形で、「合わすこと・合わすもの」 が原義です。
この場合は 「法・道」 の換言です。


■神纏り (かみまつり)
ここでは 「神霊に対するケア」 の意です。 ▶纏り
具体的には 「尊い神を崇拝して御利益を得ること」、
また 「邪霊を治め鎮めて その影響を抑えること」 をいいます。


やや

汚穢 (をゑ)

■遠つ国 (とおつくに)
トオ(遠)+ツ(=の)+クニ(地・国) で、トオは タエ(絶え) の変態。「離れるさま」 が原義です。
「内の国・畿内」 に対して、「外の地/国・地方の地/国」 をいいます。
また 「日本国外・海外」 の意にも使われます。外国(とくに)、外つ国(とつくに) の換言です。


■粗人 (あらひと)
「粗野な人々・未開の人々・野蛮な人々」 などを意味します。 ▶粗


■迎く (むく)
「迎える・受け入れる」 などの意です。


治人・大人 (をし)

 

【概意】
崇神10年ネヤトの7月24日に御言宣。
「民を治す教え(=法)は “神の纏り” であった。
これにより異常な状況は徐々に元に戻ったものの、
地方国の未開人は その法をまだ受け入れず。
しかれば四方に治人を遣わして法を教えしめる。」



―――――――――――――――――――――――――――――
 なつきこか おおひこおして こしのをし
 たけぬなかわお ほつまをし きひつひこして つさのをし
 たにはちぬしお たにはをし
 をしえうけすは ほころはせ をしてたまはり いくさたち

―――――――――――――――――――――――――――――
 九月九日 オオヒコをして 越の治人
 タケヌナガワを ホツマ治人 キビツヒコして 西南の治人
 タニハチヌシを 丹波治人
 “教え受けずば 綻ばせ” ヲシテ賜り 軍立ち

―――――――――――――――――――――――――――――

オオヒコ

 開化天皇
   ├─────崇神天皇(ミマキイリヒコ・斎名ヰソニヱ)
 イカシコメ      ┃
            ┃
 オオヒコ────ミマキ姫[内宮]
            ┃
 紀アラカトベ──トオツアヒメクハシ姫[内侍]─┬(1)トヨスキ姫
            ┃          │
            ┃          └(3)ヤマトヒコ(斎名ヰソキネ)
            ┃
 近江国造────ヤサカフリイロネ姫[大典侍]──(4)ヤサカイリヒコ(斎名オオキネ)
            ┃
 尾張国造────オオアマ姫[中橋]───────(2)ヌナギ姫


■越の治人 (こしのをし)
「越国の治人」 の意で、「北陸道方面の統治者」 です。 ▶越国 ▶治人

   
■タケヌナガワ/ガハ・タケヌワケ・タケヌガワケ・アベタケヌガ
オオヒコの子です。タケヌ(丈野)+ナ(=の)+ガワ(側・郷) で、「タケヌの県主」 を意味します。
タケヌ(丈野) は 「貴き野・アマテル神の野」 の意で、この場合は アエクニ(▽上国) の換言です。
記紀には 建沼河別 / 武渟川別 などと記されます。

 孝元天皇──オオヒコ─┬タケヌナガワ
            │
            ├ミマキ姫 (崇神天皇内宮)
            │
            └クニカタ姫 (崇神天皇内侍)

 敢國神社 (あえくにじんじゃ)
 伊賀国阿拝郡。三重県伊賀市一之宮877。
 現在の祭神:大彦命、少彦名命、金山媛命
 ・所在地は 少し前までは上野市、古くは伊賀国 阿拝(あえ)郡


■ホツマ治人 (ほつまをし)
「ホツマ国の治人」 の意で、「東海道方面の統治者」 です。  ▶ホツマ国


■キビツヒコ・キビヒコ
記紀においては ヰサセリヒコ の別名とされていますが、
孝霊53年に吉備下道に派遣された 弟ワカタケヒコ の子と思われます。 ▶吉備下道
日本書紀には 吉備津彦、古事記には 大吉備津日子 などと記されます。

 孝安天皇┐
     ├────孝霊天皇
 オシ姫─┘      ┃
            ┃
 磯城県主オオメ──ホソ姫[内宮]───────(7)ヤマトネコヒコクニクル(斎名モトキネ:孝元天皇) 
            ┃
 春日県主チチハヤ─ヤマカ姫[典侍]
            ┃
 十市県主マソヲ──マシタ姫[中橋]
            ┃
 大和国造─┬───ヤマトクニカ姫[内侍]──┬(1)ヤマトモモソ姫
      │   (ヤマト皇宮侍)     │
      │     ┃       3つ子├(2)ヤマトヰサセリヒコ
      │     ┃         │
      │     ┃         └(3)ヤマトワカヤ姫
      │     ┃
      └───ハエ姫[内侍]──────┬(4)兄ワカタケヒコ
          (若皇宮侍)       │
                    3つ子├(5)ヒコサシマ
                      │
                      └(6)弟ワカタケヒコ──キビツヒコ


 五十三年 西中負えず チノクチと 播磨ヒカワに インベ主 ヤマトヰサセリ
 これに添え 兄ワカタケヒコ 吉備上道  
弟ワカタケヒコ 吉備下道 
〈ホ32ー3〉


■西南の治人 (つさのをし)
「西中国の南側の治人」 の意で、「山陽道方面の統治者」 です。 ▶西中国


■タニハチヌシ・タニハチウシ・タニハミチノウシ
ホツマには出自の説明がありませんが、古事記によれば ヒコヰマス(斎名アリスミ) の子です。
記紀には 丹波比古多多須美知能宇斯王 / 丹波道主命 などと記されます。

   開化天皇
     ├─────────ヒコヰマス
   オケツ姫[典侍]       ├────┬水穂真若王(アフミ)──ヤサカフリイロネ
                 │    ├丹波道主王
 ホノススミ─??─アメミカゲ─息長水依比売 ├沙本毘古王
                      ├沙本毘売命
                      ├神大根王
                      └小俣王


■丹波治人 (たにはをし)
「丹波道の治人」 の意で、「山陰道の統治者」 です。 ▶丹波道 ▶丹波国
タニハミチノウシ(丹波道の大人)・タニハチヌシ(丹波道主) の名は これより来ています。

 ★丹波 (たには)
 タニ(谷)+ハ(端) で、タニ は タヌの名詞形、タヌ は タル(垂る) の変態。
 「下がり・凹」 を意味し、これは 「陰」 の換言です。ハ(端) は 「端・始め・入口」 を意味します。
 よって 「陰の端・山陰の入口」 の意で、“チノクチ” の換言と考えています。


ヲシテ
「“教え受けずば綻ばせ” の勅書」 をいいます。
民を治す法として “神纏り” を受け入れない場合は
軍事的制裁も辞さず、という勅ですから、非常に厳しく強制的なものです。


軍立ち (いくさだち)

 

【概意】
崇神9月9日、オオヒコをして越の治人、タケヌナガワをホツマ治人、
キビツヒコして西南の治人、タニハチヌシを丹波治人となし、
“教え受けずば綻ばせ” との勅書を賜って出軍する。


 
―――――――――――――――――――――――――――――――
 おのおのたては もちのひに おおひこいたる ならさかに
 おとめかうたに みよみまき いりひこあわや おのかそゑ
 ぬすみしせんと しりつとお いゆきたかひぬ まえつとよ
 いゆきたかひて うかかわく しらしとみまき いりひこあわや

―――――――――――――――――――――――――――――――
 各々発てば 望の日に オオヒコ到る ナラサカに
 少女が歌に 『見よミマキ イリヒコあわや 己が副
 ぬすみしせんと 後つ門を い行き違ひぬ 前つ門よ
 い行き違ひて 窺わく 知らじとミマキ イリヒコあわや』

―――――――――――――――――――――――――――――――

■ナラサカ (▽平境・奈良坂)
ナラ(▽平)+サカ(境) で、「平坦な国境」 の意と考えます。
京都府木津川市の 市坂奈良坂 や、奈良県奈良市の 奈良坂町 に名が残ります。
現在は “平城山(ならやま)丘陵” と呼ばれており、奈良県奈良市と京都府木津川市の
県境を東西に延びる丘陵です。

 ★平・奈良 (なら・なる・なろ)
 ナラス(均す・平す) の母動詞 “ナル” の名詞形で、「和らぐさま・平穏・平和」 を意味します。


■少女が歌に (おとめがうたに)
「少女の歌に」 という意です。
ナラサカ(=平城山丘陵) の奈良県側の県境に、現在も “歌姫町” があることに注目です。

 ★少女・乙女 (おとめ)
 オト(弟・乙・▽劣)+メ(女・陰) で、オト は オツ(落つ) の名詞形です。


■見よ (みよ)
ここでは 「気づけよ・気をつけろ・注意しろ」 という意です。


あわや
アワユ の名詞形で、アワユ は アヤフ(▽肖ふ・▽危ぶ) の変態です。
「紛れるさま」 が原意で、「どっちつがずでどうなるかわからない状態」 を意味し、
この場合は アヤウシ(危うし) と同義です。


■己が副 (おのがそえ)
「自分に添う者・自分の配下・自分の臣」 の意です。


■ぬすみしす
ヌスム(盗む)+シス(▽失す・▽辞す) の同義語連結で、両語とも
「離れる/離す・逸れる/逸らす・背く/背ける・外れる/外す」 などが原義です。
ここでは 「目を盗んで離反する・こっそり裏切る」 などの意となります。


■後つ門 (しりつと)
「うしろの門・裏門・裏口」 をいいます。


■い行き違ふ (いゆきたがふ)
行き違う(ゆきたがふ・いきちがふ) と同じです。 ▶違ふ

 ★い行く (いゆく)
 イユ(▽弥ゆ)+ユク(往く・行く) の短縮で、イユ は イヨ(弥) の母動詞。
 両語とも 「回る・めぐる・往き来する・移動する」 などが原義です。
 イユク の短縮形が イク(行く) であり、また ユク(行く) です。


■前つ門 (まえつと)
「前の門・表門・表口」 をいいます。


■窺わく (うかがわく)
ウカガフ(窺う) のク語法です。 ▶ク語法

 

【概意】
各々出発して、望の日(9月15日)にオオヒコがナラサカに到れば、少女の歌に、
『見よ ミマキイリヒコ危うし
  自分の配下が 裏切ろうと裏門に入れば 行き違いに出て行く表門よ
  行き違いに入って様子を窺うのも知らず ミマキイリヒコ危うし』



―――――――――――――――――――――――――――――
 おおひこは あやしくかえり これにとふ
 おとめかいわく われはうた うたふのみとて きえうせぬ
 むなさわきして たちかえりけり

―――――――――――――――――――――――――――――
 オオヒコは 怪しく返り これに問ふ
 少女が曰く 「我は歌 歌ふのみ」 とて 消え失せぬ
 胸騒ぎして 立ち帰りけり

―――――――――――――――――――――――――――――

怪し (あやし)

立ち帰る (たちかえる)

■失せぬ (うせぬ)
ウス(失す)+ヌ(=なり) です。
ヌ は ‘なる/なり’ の短縮形で、‘ナル’ は 、あるいは に縮まります。
したがって ウセヌ(失せぬ) は、ウセル(失せる) と互換です。

 

【概意】
オオヒコは怪しく思い、戻って少女に問う。
少女は 「我は歌を歌っただけ」 と言って消え失せる。
オオヒコは胸騒ぎがして、急いで都に帰るのであった。

 

本日は以上です。それではまた!

 

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