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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第1回 [2023.6.23]
第一巻 東西の名と蝕虫去る文 (1)
著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com
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◆はじめに
第12代の景行天皇が、早逝した皇子の日本武命の遺言に従い、三輪氏・賀茂氏の祖の
大田田根子(おおたたねこ)
に命じて編纂させた史書が『ホツマツタヱ』です。この時
天皇は 中臣氏の祖の大鹿島(おおかしま)にも『ミカサフミ』を編ませ、また天皇も
自ら『カグミハタ(香御機)』を編纂したと、ミカサフミの序文に書かれています。
この時代、それはホツマツタヱの記述によれば2世紀前半と計算されますが、七家に
家伝の書が残っており、それぞれ表現が異なる中でもホツマツタヱに勝るものは無いと、
大鹿島がホツマツタヱの序文で語っています。これが事実なら、我が国最古の文献と
される『古事記』よりも、さらに500年も古い書物ということになります。
ホツマツタヱは長い間、世間から忘れ去られていました。再発見されたのは1969年です。
はじめ東京神田の古本屋でその断片が発見され、それを元に全国を探索した結果、
全40章の完本が滋賀県高島の神社で見つかりました。ミカサフミは全部で64章あったと
いわれていますが、現在のところ10章分と幾つかの章の断片が発見されているのみです。
カグミハタの消息については何の手がかりも見つかっていません。
ホツマツタヱの原文は ヲシテ(押手)
と呼ばれる記号で書かれていますが、
これは日本語の48音(50音)に一対一で対応しており、簡単に仮名に翻訳できます。
しかし使われている言葉は今の辞書にないものも多く、あっても辞書の意味では筋が
通らない場合が多いのです。総じて言えることは、言葉の意味が今よりずっと広かったと
いうことです。また用言の活用なども古文の授業で習ったものとは違うものが出てきます。
ですからホツマツタヱを読む場合、現在我々が知っている日本語をいったん忘れて、
未知の外国語を読むような態度が必要です。
ホツマツタヱやミカサフミは全編が五七調の歌の形式で綴られています。そこでは掛詞が
多用されます。また主語や述語が省略されたり兼用されたりもします。さらには表向きの
意味の裏に別の意味を隠している場合も多いです。
こんなわけでホツマツタヱの解読は非常に難しく、現在でも研究者が10人いれば10人とも
解釈が異なるというような状況が続いています。しかしいつまでもこんな状況では、
ホツマツタヱという至宝が
ゴミに埋もれてしまう可能性があります。
筆者はホツマツタヱの考察を元に日本語の語源理論を組み立て、10年以上の検証期間を経て
その有効性を確認しました。ホツマツタヱ解読の現状に活を入れたいと、その理論を活用して
解釈するホツマツタヱが本講座です。
さあ それでは
遥かなる奥の神道へ足を踏み入れて行きましょう。ホツマツタヱには序文が
ありますが、序文を読み解くにはホツマツタヱの内容についての総合的な知識が必要となります。
ですから本講座では最後に回し、第一章『きつのなとほむしさるあや』からスタートです。
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きつのなとほむしさるあや (その1)
東西の名と蝕虫去る文 https://gejirin.com/hotuma01.html
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まずは原文のヲシテを仮名に直したものを掲げます。
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きつのなとほむしさるあや
それわかは わかひめのかみ すてられて
ひろたとそたつ かなさきの つまのちおゑて あわうわや
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次にそれを漢字混じりの文にしてみます。
これはやまと言葉の広い意味が、漢字の持つ意味に狭められてしまうため、
決して良いことではありません。しかし日本人の脳は、漢字で物事を思考
するようになってすでに久しく、漢字がわからないと意味もわからないと
いう状況にあります。よって直観的な理解のためのやむを得ない処置です。
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東西の名と蝕虫去る文
それワカは ワカ姫の尊 捨てられて
「拾た」
と育つ カナサキの 妻の乳を得て アワウワや
―――――――――――――――――――――――――――――
■東西 (きつ) ■蝕虫 (ほむし)
本文中で説明します。
■ワカ
ワカというと、今は “若” や “和歌”
くらいしか思いつきませんが、
ホツマの時代には もっと多くの ワカの意味がありました。
このアヤはそれを説明しています。
ホツマツタヱの本文は40章に分かれていますが、
それぞれの章は “アヤ(文)” と呼ばれます。
■ワカ姫の尊 (わかひめのかみ)
この姫は 稚日女尊(わかひるめのみこと)
という名で、多くの神社に祭られます。
たくさんの別名を持つ姫で、その一つを挙げればあっと驚く人物なのですが、
ここではまだ伏せておきましょう。じきにわかります。
この場合 カミ(尊) は敬称で、「ワカという名の姫君」
くらいに考えてください。
“かみ”
という言葉は、ホツマ・ミカサを読む上で、今後注意が必要になります。
★かみ・かん (上/守/尊/神)
カミは基本的には 「上」 の意で、「上流/上位にあるもの」
を意味しますが、
守/尊/神 の区別があります。守は
“大岡越前の守” のそれで、
国とその民を守り治める人をいいます。これは
「臣・司」 の別名です。
尊は 君と皇族、または
君から尊名を賜った臣をいい、ミコト(尊・命) と
同じです。神は人間の上位の存在形態をいい、「霊」
と同じです。
ゆえに世に生きる人間を神とは表記しません。唯一別格の例外として、
生きた人間であっても、アマテルカミ だけは 神 と表記しています。
■カナサキ
カナサキは非常に重要な人物ですが、今日あまり知られていません。
古事記に 宇都志日金折命(うつしひかなさく)
という名で登場します。
別名を 住吉(すみよし・すみのゑ・すみゑ) といいます。
■拾た (ひろた)
カナサキとその妻は「拾った」と言ってワカ姫を育てますが、
その場所が 廣田の宮(ひろたのみや) です。
西宮(にしのみや)、西殿(にしとの) とも呼ばれます。
現在の神戸界隈には 廣田神社、西宮神社、本住吉神社
があり、
本住吉神社の奥之宮は 「住吉大神」
を祀りますが、これがカナサキです。
廣田神社 (ひろたじんじゃ)
摂津国武庫郡。兵庫県西宮市大社町7-7。
現在の祭神:天照大御神荒魂 (撞賢木厳之御魂天疎向津媛命)
第一脇殿 :住吉三前大神
・廣田神社は、京の都から西方にある特別に重要な神社ですので、
中世の貴族達は 「西宮」 と別称し、当社への参拝を
「西宮参拝」、
「西宮下向」 と称しました。
西宮神社 (にしのみやじんじゃ)
摂津国莵原郡。兵庫県西宮市社家町。
現在の祭神:西宮大神 (蛭子神)
・当社の社伝では、蛭子命は西宮に漂着し、
「夷三郎殿」
と称されて海を司る神として祀られたという。
本住吉神社 (もとすみよしじんじゃ)
神戸市東灘区住吉宮町7-1-2。
現在の祭神:底筒男命、中筒男命、表筒男命、神功皇后
奥之宮:住吉大神
■妻の乳 (つまのち)
拾ったワカ姫を、カナサキの妻が乳を与えて育てます。
彼女もこの前後に子を生んでいたのですが、生後まもなく亡くなったようです。
■アワウワ (▽泡泥)
これは アワウヒ(泡泥)
の変態です。後に詳しく述べますが、これは宇宙創造神の
アメミヲヤが
陽と陰に分離する前の混沌状態を、「泡と泥の混じり合う状態」
に
喩えたものです。後に軽い泡は陽の元となり、重い泥は陰の元になります。
“アホウヒ” とも呼ばれ、また “アウ”
と簡略する場合もありますが、これは物事が
始まる前の無秩序な状態を表します。今も使われる “あやふや”
“うやむや” なども、
アワウワのバリエーションと考えています。
そしてここでは、まだ物心のつかない赤ん坊を、宇宙が始まる前の混沌に
なぞらえています。また同時に、赤ん坊が発する
「あぶあぶ」 という声を
表しているのでしょう。
【概意】
東西の名と蝕虫去る文
ワカはこれ、ワカ姫の尊が捨てられて、それを 「拾った!」と、
カナサキが育てる。姫はその妻の乳を得て 「あわうわ (あぶあぶ)」
や。
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てふちしほのめ
うまれひは かしみけそなえ たちまひや
みふゆかみおき
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長ぢ 初の目
生れ日は 炊食供え 立舞や
三冬 髪置き
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■長ぢ (てふち)
今風には “ちょうぢ” と発音し、これは チョウズル(長ずる)
の
連用形の チョウジ(長じ) と同じです。
長(ちょう)
は音読みではないのか?と思う方が多いと思いますが、
どうもそうではないようです。例えば同じく “てふ”
と書いて
“ちょう” と読む漢字に 「蝶」
があります。これも音読みということに
なってますが、それでは訓読みは?というと ・・・
無いのです。
では漢字が入って来る前は、蝶を何と呼んでたのかという話になります。
むしろ大和言葉の “てふ/ちょう” に “跳・長・頂・鳥・超・蝶”
などの
漢字を当てたと考える方が合理的だと思います。
■初の目 (しほのめ)
辞書には 潮の目
とあって、愛嬌のある目つき、子供の笑顔 などと
説明していますが、これは “初の目”
で、「赤ん坊の目が初めて開くこと」 を
いうと考えます。しかし 初(しょ) も
やはり音読みとされています。
他にもこうした例を筆者は無数に発見しています。多くの音読みは、
大和言葉の発音のバリエーションと見ることが十分可能です。
ホツマ4アヤには、アマテルの目が開いた時の描写があります。
みちつ姫 乳
奉り 養すれど 瞳を閉ぢて 月日無や
やや初秋の 望の日に 開く瞳の 初の目は
民の 長ぢの喜びに 疲れも消ゆる 御恵みや 〈ホ4-4〉
★あわうわや てふちしほのめ
このフレーズは、その意味はわからなくなってしまったようですが、
後世まで残りました。
・てうち潮の目あわわ、傾頭(かぶり)潮の目あわわ 〈狂言歌謡〉
・ちょうち ちょうち あばば じんのめ じんのめ じんのめよ
てんぐり てんぐり ばぁー 〈遊ばせ歌〉
また辞書にも ちょうちちょうち‐あわわ
という言葉があり、
幼児をあやすときのしぐさの一。ちょうちちょうちに続けて、
その手を口に当てながら「あわわ」と言う、と説明されています。
■炊食 (かしみけ)
「炊いたごはん」 をいいます。
これを カシミケ(畏御供:神をかしこむお供え) の モノザネ
とします。
★モノザネ (物実)
形の無い思いや心を
より現実的で確固たるものにするために、
語呂合せや類似の性質を以て、置き換える物品や行為をいいます。
平たく言えば 「心を形で表したもの」 です。
■立舞・▽奉舞 (たちまひ)
「たてまつる舞」、つまり 「神へ奉納する舞」
をいいます。
これは今日でも、生れ日に限らず、盛んに行われています。
動画:六波羅蜜寺で坂東玉三郎さん奉納舞
■三冬 (みふゆ)
「3歳の冬」 です。数え年での3歳だと思います。
冬は陰暦では 10月・11月・12月 です。
■髪置き (かみおき)
それまでは髪を短く刈っていた子が、3歳になって髪を伸ばし始める祝いです。
ミカサフミは “髪上げ” と呼んでいます。多く陰暦11月15日に行いました。
この日は
陰暦では毎年変動する、冬至の日を代表させた日なのだと思います。
そしてこれが 後に言う 七五三(しちごさん)
の “三” の祝となります。
【概意】
長じて “初の目”。 〈開眼の祝〉
生れ日には 神に炊食を供えて舞を奉納し、〈誕生日の祝〉
三歳の冬には髪を上げる。 〈七五三の三の祝〉
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はつひもち あわのうやまひ ももにひな
あやめにちまき たなはたや きくくりいわひ
ゐとしふゆ をははかまきる めはかつき
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初日・十五日 陽陰の敬ひ 桃に雛
あやめに茅巻 棚機や 菊・栗祝ひ
五歳冬 男は袴着る 女は被衣
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■初日 (はつひ) ■十五日 (もち)
毎月の1日と15日を それぞれ “ハツヒ” “モチ”
と呼びますが、
ここでは特に、陰暦の
「1月1日」 と 「1月15日」 をいいます。
15日をモチと言うのは、この夜の月が モチヅキ(望月)
となるからで、
望月とは満月のことです。
だから望月の日には 月でウサギが モチツキ(餅つき)するようです。
■陽陰の敬ひ (あわのうやまひ)
アワ(陽陰) は ここでは太陽と太陰、すなわち 「日と月」
を表し、
ウヤマヒ(敬ひ)は イヤマヒ(礼ひ)、イワヒ(祝ひ)
と同義です。
ですから 「日と月の礼・日と月の祝」 という意です。
つまり、初日の出である1月1日には 日(=太陽) を祝い、
初望月である1月15日には 月(=太陰)
を祝うということです。
アワはどうして 「陽陰」 なのかについては次回説明します。
■桃に雛 (ももにひな)
3月3日の「ひなまつり」をいいます。
これはもとは 「雛 (若き男女) の和合を祝う礼」 でした。
木の実の姿で現れた神を、庭に植えると、3年後の3月3日に
モモ(百) の
花と実がなったため、モモ(百・桃) と名付けられました。〈ホ2-2〉
その木は人類初の男性 ウビチニ
に変じ、その実は人類初の女性 スヒヂ に変じます。
★雛纏り/雛祭 (ひなまつり)
元来は、男女別性に分れた最初の人間である、モモヒナキ
と モモヒナミ の
和合・結婚
を意味しました。モモヒナキ・モモヒナミは、ウビチニ と
スヒヂ の幼名です。
後には、陽陰(男女)に分離した人間が、その分離のおかげで異性との和合が可能となり、
またその和合により子が得られる喜びを祝うものとなります。
■あやめに茅巻 (あやめにちまき)
あやめが咲く陰暦5月5日頃、チマキを食べる祝いです。
“あやめの節句” とも、後には “端午の節句”
ともいいます。
今は5月5日は 子供の日 になってますが、もとは “女男の祝(めをのほぎ)”
と呼ばれ、
やはり男女の和合を祝う日でありました。
★あやめ (菖蒲)
アヤ(文・紋・綾)+メ(目)
で、これは花びらの網目模様をいうものと思われます。
★茅巻・粽
(ちまき)
「茅で巻いたもの」 をいいます。茅(ち)は
「繁・茂・幸」 が原義で、草全般をいいます。
ですから “茅巻” は 繁栄を巻き込む モノザネ
です。
また茅には多く ササ(笹) を使いますが、これも 「栄」
が原義です。
■棚機・七夕 (たなばた)
タナバタは 「たなびく機・連なり続く織物」
という意です。
夜空に広がる星の帯を、連なり続く織物に見立てて “棚機”
です。
今はこれを 天の川
と呼んでます。
ゆえにタナバタ祭は 星祭
とも呼ばれ、陰暦7月7日に、空の星となった
四十九の神を祝うものです。この日は木綿や麻の糸を紡いで機を織り、
また神々を称える歌を梶の葉に書いて捧げます (笹飾りの短冊の起源)。
■菊・栗祝ひ (きく・くりいわひ)
陰暦9月9日の 「菊の祝ひ」 と、9月13日の 「栗の祝ひ」
をいいます。
古代日本では 九(こ・ここ) という数は 「究・極」
を表す聖数です。
そして 菊(きく) は “ココ”
とも呼ばれ、究極の草花とされます。
それゆえ 九月九日という日に語呂合せして、ココ(菊)
の花を愛でます。
後世には 菊の節句、重陽、菊の宴
などと呼ばれます。
“栗祝ひ“ は、陰暦9月13夜の月見の祝で、栗を備えて名月を祝います。
のちには 栗名月
と呼ばれるようになります。
■五歳冬 (ゐとしふゆ)
5歳になる11月。おそらくこれも冬至の日です。
■男は袴着る (をははかまきる) ■女は被衣 (めはかづき)
男児は 袴着(はかまぎ)
を行います。これは着袴(ちゃっこ)ともいい、
文字通り初めて袴を男児に着せる儀式です。
女児は 被衣初め(かづきぞめ)
を行います。被衣とは頭を覆うようにして
纏う衣をいいますが、初めてこれを女児に着せる儀式です。
そしてこれが 後に言う 七五三(しちごさん) の “五”
の祝となります。
(“七” の祝については
ホツマ・ミカサは言及していません。)
【概意】
1月1日と15日は 日月の祝。
3月3日は 桃に雛。
5月5日は あやめに茅巻。
7月7日は 棚機や。
9月9日は菊祝。13日は栗祝。
5歳の冬、男児は袴を着る。女児は被衣なり。
本日は以上です。それではまた!