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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第181回 [2024.9.10]
第三二巻 ふじとあわ海 見つの文 (5)
著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com
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開化天皇
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ふじとあわうみみつのあや (その5)
ふじとあわ海 見つの文 https://gejirin.com/hotuma32.html
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ときあすす ゐもむそほふゆ めのそふか
かすかいさかわ にいみやこ みことしゐそひ
ねのふそか あまつひつきお うけつきて
いむなふとひひ わかやまと ねこひこあめの すへらきと
―――――――――――――――――――――――――――――
時 上鈴 五百六十年冬 十月の十二日
春日イサガワ 新都 皇子 歳五十一
十一月の二十日 和つ日月を 受け継ぎて
斎名フトヒヒ “ワカヤマトネコヒコ天の皇” と
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■上鈴五百六十年 (あすずゐもむそほ)
上鈴560年は孝元57年、紀元前158年に相当し、干支はネシトです。 ▶上鈴 ▶干支
■十月の十二日 (めのそふか)
“メ” は メツキ(陰月) の略で、陰暦10月の異称です。
神無月(かみなつき・かんなつき・かなつき)
とも呼ばれ、
「陽の神が尽きる月・大陰(うめ)
が支配する月」 を意味します。
■春日イサガワ (かすがいさがわ)
開化天皇の新都です。記紀には 春日之伊邪河宮
/ 春日率川宮 と記されます。
奈良県奈良市本子守町
の 率川神社
境内が宮跡にあたると伝承されています。
この遷都地は橿原宮からかなり離れており、これまでの都のパターン
とは違います。
イサ(▽結・▽濯・▽潔)+ガワ(側・郷)
で、イサ は カスガ(▽和直・春日)
の換言と考えます。
「まっすぐに調和する区画・濯がれた区画・潔い区画」
を意味します。
■ワカヤマトネコヒコ天の皇 (わかやまとねこひこあめのすべらぎ)
内宮ウツシコメの生んだ孝元天皇の2男で、斎名がフトヒヒです。
ここに和つ日月を受け継いで、第9代開化天皇
として即位します。 ▶和つ日月 ▶天の皇
記紀には 若倭根子日子大毘毘命
/ 稚日本根子彦大日日尊 などと記されます。
孝霊天皇┐ ├───────孝元天皇 ホソ姫─┘ ┃ ┃ オオヤクチ─┬─────ウツシコメ[内侍→内宮]─┬(1)ヤマトアエクニ(斎名オオヒコ) (孝霊スクネ) │ ┃ ├(2)ワカヤマトネコヒコ(斎名フトヒヒ:開化天皇) │ ┃ └(3)トト姫 │ ┃ └ヘソキネ─イカシコメ[内侍]────(4)オシマコト(斎名ヒコフト) ┃ 河内アオカキカケ────ハニヤス姫[乙下→内侍]─(5)ハニヤス(斎名タケハル)
【概意】
時はアスズ560年冬の 10月12日、春日イサガワに新都。
51歳の皇太子は11月20日に和つ日月を受け継ぎて、
斎名フトヒヒ、“ワカヤマトネコヒコ天の皇” と。
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たみにおかませ ははもあけ
そふのきさきも さきにあり あくるきなゑお はつのとし
なとしはつそふ いきしこめ たててうちみや
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民に拝ませ 母も上げ
十二の后も 先にあり 明くるキナヱを 初の年
七年一月十二日 イキシコメ 立てて内宮
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■母も上ぐ (ははもあぐ)
母ウツシコメの地位を 「昇格して御上后とする」
ということです。 ▶御上后
■十二の后 (そふのきさき)
■イキシコメ・イカシコメ
父である孝元天皇の内侍で、オシマコトを生んだ
イカシコメ です。
開化天皇にとっては、父の妻の一人ですから、義理の母ですが、
なんとそれを自分の 内宮(=正妃・皇后)
として娶ったということです。
ニギハヤヒ─ウマシマチ─ヒコユキ┬イツモシコ ├イツシココロ─┬オオミナクチ └オオネ臣 └オオヤクチ──┬ウツシコヲ(孝元天皇の食国臣) ├ウツシコメ(孝元天皇の内宮) └ヘソキネ─イカシコメ─オシマコト
孝霊天皇┐ ├───────孝元天皇 ホソ姫─┘ ┃ ┃ オオヤクチ─┬─────ウツシコメ[内侍→内宮]─┬(1)ヤマトアエクニ(斎名オオヒコ) (孝霊スクネ) │ ┃ ├(2)ワカヤマトネコヒコ(斎名フトヒヒ:開化天皇) │ ┃ └(3)トト姫 │ ┃ └ヘソキネ─イカシコメ[内侍]─────(4)オシマコト(斎名ヒコフト) ┃ 河内アオカキカケ────ハニヤス姫[乙下→内侍]──(5)ハニヤス(斎名タケハル)
【概意】
飾りを民に拝ませ、母も昇格させる。
12人の后もすでに備えていた。
明くるキナヱの年を開化元年とする。
開化7年1月12日、イキシコメを内宮に立てる。
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これのさき きみめすときに おみけぬし いさめもふさく
きみきくや しらうとこくみ ははおかす かないまにあり
きみまねて かなおかふるや
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これの先 君召す時に オミケヌシ 諌め申さく
「君 聞くや シラウド・コクミ 母 犯す 汚名
今にあり
君 真似て 汚名を被るや」
―――――――――――――――――――――――――――――
■これの先 (これのさき)
「イカシコメを内宮とするに先立って」 という意味です。
■オミケヌシ (小御食主)
ミケヌシ
(=大御食主の纏り臣)
の子で、この時の食国臣の1人(モノヌシ系)です。 ▶食国臣
オ(小)+ミケヌシ(御食主) で、オ(小) は 「子」
の意。ですから 「子の方のミケヌシ」 という意です。
旧事紀は オミケヌシを 大御気主命、父ミケヌシの方は
豊御気主命
と記しています。
ソサノヲ────オホナムチ───クシヒコ──コモリ─┬カンタチ──フキネ (ヤヱ垣機) (初代オオモノヌシ) (2代) (3代) │ (4代) └ツミハ──┐ │ ┌──────────────────────────────┘ │ └クシミカタマ─アタツクシネ──タケイイカツ──建甕尻命 ・・・ ・・・ ┐ (5代) (6代) (食国臣初:以後世襲) タケミカジリ │ │ ┌─────────────────────────────────┘ │ └ミケヌシ─オミケヌシ
■シラウド・コクミ母犯す (しらうどこくみははおかす)
「シラウドとコクミがサシミメを犯す」
という古代の事件をいいます。 ▶サシミメ
マスヒトが 民のサシミメ 妻となす クラ姫生めば 慈しみ 兄のコクミを 子の如く
… … クラキネが 罷れる時に シラヒトを 根のマスヒトに クラコ姫 身を立山に
納む後 母子を捨てて 都に送る コクミ母子を 犯す罪 〈ホ7-1〉
■汚名 (がな)
ガ(▽曲・▽汚)+ナ(名)
で、今に言う 汚名(おめい) です。
【概意】
これに先だち、君が召す時にオミケヌシは諌めて申す。
「君は知るや?
シラウドとコクミは母を犯し、その汚名は今にあり。
君も真似て汚名を被るや?」
―――――――――――――――――――――――――――――
うつしこを こたえめいなり ははならす
いわくいせには めとつきて うみのをやなし
むかしおは めいいまはつつ うむこあり
つらなるゑたの おしまこと はははたかひそ
―――――――――――――――――――――――――――――
ウツシコヲ応え 「姪なり 母ならず
曰く “妹背には 女とつぎて 生みの親なし”
昔 叔母・姪 今はつづ生む子あり
連なる枝の オシマコト 母は違ひぞ」
―――――――――――――――――――――――――――――
ここは五七調が少々いびつなため、言葉の区切りを調整しています。
■ウツシコヲ
天皇の実母ウツシコメの兄です。孝元天皇の食国臣の1人(物部系)でした。
この時点ではどうなのかは不明ですが、おそらくそうなのでしょう。
ニギハヤヒ─ウマシマチ─ヒコユキ┬イツモシコ ├イツシココロ─┬オオミナクチ └オオネ臣 └オオヤクチ──┬ウツシコヲ(孝元天皇の食国臣) ├ウツシコメ─開化天皇 └ヘソキネ─イカシコメ──オシマコト
■姪なり (めいなり)
イキシコメは 「母の姪である」 という意味です。
■妹背 (いせ)
ここでは 「男女・男女の関係」 をいいます。
■女とつぎて生みの親なし (めとつぎてうみのをやなし)
これは
「女がよそに嫁げば、生れた家との関係はなくなる」
ということで、
つまり 「結婚したら
それまでの親族関係は消滅して新たに始まる」
という意味です。
■つづ・つず・つつ (▽続・▽綴・▽伝)
ツヅク(続く)・ツヅル(綴る) の母動詞 ツツ(伝つ)
の名詞形で、
「一綴りに 連なるさま/つながるさま/続くさま」
を意味します。
ここでは副詞として使われて、「続けて・連ねて」
などの意です。
■連なる枝 (つらなるゑだ)
「親に連なる枝分かれ」 の意で、「子孫・末裔」
を意味します。 ▶枝
【概意】
ウツシコヲが応えて、
「母の姪なり、母ならず。
世に曰くは “男女の間において 女は嫁いだならば
生みの親はなし”。
昔は叔母と姪だったが、今はあとに続けて生む子あり。連なる枝のオシマコトよ。
しかれば 母と言うは誤りぞ。」
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またこたえ
あにつきひとつ はははつき しもめはほしよ これおめす
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また応え
「天に月一つ 母は月 下侍は星よ これを召す」
―――――――――――――――――――――――――――――
■母は月 下侍は星 (はははつき しもめはほし)
“母” は この場合 「内宮・御后・正妃・皇后」
をいいます。
皇太子の母がこの地位に就くからですが、これを夜空に1つだけの
「月」 になぞらえます。
“下侍” は この場合は 「下の侍女」 の意で、
「正妃以外の后・十二の局・側室」 をいい、
これを夜空に数限りなくある 「星」 になぞらえます。
妾女は 星になぞらふ 星光 月に及ばず 美しも 宮にな入れそ
天の原 月並ぶれば 地乱る 妻と妾と 屋に入れば 家を乱るぞ 〈ホ13ー6〉
■これを召す (これおめす)
“これ” は 下侍=星 です。
イキシコメを召すのは、月(母)を召すのではなく、
「数多の星(下侍)の1つを召すに過ぎない」
ということです。
だから 「何も問題は無い」 と言うわけです。
【概意】
またウツシコヲは続けて、
「天に月は1つ。母は月、下侍は星よ。それを召すにすぎぬ。」
―――――――――――――――――――――――――――――
なけきていわく ををんかみ あめのみちなす
よよのきみ つきうけおさむ あめひつき
なんちかまつり いさめすて おもねりきみお あなにする
こころきたなし
―――――――――――――――――――――――――――――
嘆きて曰く 「大御神 陽陰の道成す
代々の君 継ぎ受け収む 和日月
汝が纏り 諌めずて おもねり君を 穴にする
心きたなし」
―――――――――――――――――――――――――――――
■大御神 陽陰の道成す (ををんかみあめのみちなす)
“神は妹背の道開く”
の換言です。 ▶大御神 ▶陽陰の道
この場合、“大御神” は
天に還ったアマテルの神霊をいい、アメミヲヤ(陽陰上祖)
の換言です。
“陽陰の道” は “日月の道” とも呼ばれます。
神は妹背の 道 開く 我はカスガに これ受けん 〈ホ13-1〉
■継ぎ受け収む (つぎうけおさむ)
“受け収む” は 「収受する」 と同義に解しています。 ▶収受
■和日月 (あめひつき)
アマツヒツキ(和つ日月)
の換言です。天が下を 「和して恵る日月」
という意味です。
天が下 和して恵る 日月こそ 晴れて明るき 民の父母なり 〈ホ7-4〉
■纏り諌む (まつりいさむ)
マツル(纏る)+イサム(諫む)
の同義語連結で、
両語とも 「合わす・まとめる・直す・正す・調える」
などが原義です。
■おもねる (阿る)
オム+ネル(▽和る・練る) の連結で、オム は オフ(合ふ・負ふ・帯ぶ)
の変態です。
「添って合わす」
を原義とし、「迎合する・媚びへつらう」 などの意です。
■穴にする (あなにする)
「空の状態にする・無き者にする」 という意です。 ▶穴
【概意】
<オミケヌシは> 嘆いて曰く、
「大御神は陽陰/妹背/日月の道を成し、代々の君が継ぎ受け収む和つ日月。
<重臣たる>
汝が諫めて正さぬどころか、迎合して君を無き者とする心きたなし。」
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きみいかん わかみをやかみ はなれんや
けかれはますと いいおはり かえれときみは これきかす
みけぬしをやこ つくみおる
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「君 如何ん 我が御祖神 離れんや」
「穢れ食まず」 と 言い終り 帰れど君は これ聞かず
ミケヌシ親子 噤み下る
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■如何ん
(いかん)
イカニ(如何に)
の音便変化で、この場合は 「どうや? どうするや?」
などの意です。
■我が御祖神 (わがみをやかみ)
オミケヌシ は
オオモノヌシ家の末裔です。ゆえに “我が御祖神” とは
オオモノヌシの神 (=ミモロ神・ミワの神・オオミワ神・ヤマトの神)
をいいます。
■離れんや (はなれんや)
神武天皇以来、大和を都とする天皇の纏り事を見守ってきたオオモノヌシ神が
「(愛想をつかして) 離れようぞ」 という意味です。 ▶カンヤマトイハワレヒコ
社 造らせ 十月の二十日 纏るオオミワ 神並みぞ
神よりに名も “神山下 斎われ彦”
の 天君と 〈ホ29ー6〉
そして、曲り・汚穢を見守るオオモノヌシ神は実際に行動を起こすのですが、
それが33アヤで語られるところとなります。
■穢れ食まず (けがれはまず)
2代オオモノヌシのクシヒコが、かつてアスカ君を諫めたシーンとそっくりです。 ▶穢れ
君 肖らば 我 居らず 茜炎に 詰みすとも 磨金食めど 穢れ得ず 〈ホ20-4〉
■噤み下る (つぐみおる)
ようするに 「失脚する」 ということです。
【概意】
「君は如何に?我が御祖神は離れようぞ。」
「穢れは食まず」
と言い終って帰れど、君はこれに耳を貸さず。
ミケヌシ親子は身を潜める。
―――――――――――――――――――――――――――――
しはすそみかに ゆきりのめ たけのひめうむ
ゆむすみの いみなこもつみ
やほやよひ かすかおけつめ すけかうむ
いむなありすみ ひこゐます
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十二月十三日に ユキリの姫 タケノ姫生む
ユムスミの 斎名コモツミ
八年三月 春日オケツ姫 典侍が生む
斎名アリスミ ヒコヰマス
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■ユギリ (斎限)
ユ(斎)+キリ(限)
で、「ゆゆしき区画・聖域」 の意です。古事記には 由碁理
と記されます。
これは 「トヨケとアマテルの両神霊を纏る区画」 をいい、マナヰ
の地を含む県を指します。
我
世を 辞まんと サルタに穴を 掘らしむる マナヰに契る 朝日宮 同じ所 〈ホ28-3〉
★限り・限 (きり・ぎり)
カギル(限る)
の母動詞 キル(切る) の名詞形で、「限り・範囲・区画」
を意味します。
コリ(梱)
/ コホリ(郡)の変態で、アガタ(県)
の換言です。
奈良時代に 丹波国の 加佐郡、与謝郡、丹波郡、竹野郡、熊野郡の
5郡を割いて、
丹後国が生まれます。 ▶丹波国 ▶丹後国
■タケノ姫 (たけのひめ)
ユキリの娘で、開化天皇の后の1人です (おそらく典侍)。
記紀には 竹野比賣 /
丹波竹野媛 と記されます。
タケノは 「きわめて尊い野」 を意味し、これは ユキリ(斎限)
の換言です。
★タケノ・タケヌ (長野・丈野・▽貴野)
タケ(長・丈)+ノ/ヌ(野)
で、「きわめて尊い野・アマテル神の区画」
を意味します。 ▶野(ぬ)
竹野神社 (たけのじんじゃ)
丹後国竹野郡。京都府京丹後市丹後町宮274。
現在の祭神:天照皇大神
摂社斎宮神社:日子坐王命、建豊波豆良和気命、竹野媛命
■ユムスミ ■コモツミ
タケノ姫が生んだ開化天皇の長男で、斎名 コモツミ です。
記紀には 比古由牟須美命 /
彦湯産隅命・彦蒋簀命 などと記されます。
孝元天皇 ├──────開化天皇 ┌ウツシコメ ┃ │ ┃ └ヘソキネ─────イカシコメ[内宮] ┃ 竹野県主ユキリ──タケノ姫[??]────ユムスミ(斎名コモツミ)
■春日オケツ姫 (かすがおけつめ) ■春日オケツ (かすがおけつ)
「春日県主オケツの姫」
という意です。開化天皇の典侍となります。
記紀には 意祁都比売命 /
姥津媛 と記されます。
父の 春日オケツ は
春日チチハヤ の子と考えられ、記紀には 日子国意祁都命
/ 姥津命 と。
孝昭天皇┬春日親王┬チチハヤ┬オケツ───────オケツ姫[典侍] │ │ └ヤマカ姫[典侍] │ │ │ │ ├─ヒコヰマス(斎名アリスミ) │ └オシ姫[内宮] │ │ │ ├───孝霊天皇─孝元天皇─開化天皇 └─────孝安天皇
■ヒコヰマス・ヒコイマス ■アリスミ
典侍オケツ姫の生んだ開化天皇の2男で、斎名 アリスミ
です。
ヒコ+ヰマス(結ます)
で、ヒコ は ヒコクニ の略。
ヒコクニ は 春日親王(=アメタラシヒコクニ)
が治めた 「春日県」
の換言と考えます。
記紀には 日子坐王 / 彦坐王
と記されます。
孝元天皇 ├──────開化天皇 ┌ウツシコメ ┃ │ ┃ └ヘソキネ─────イカシコメ[内宮] ┃ 竹野県主ユキリ──タケノ姫[??]────(1)ユムスミ(斎名コモツミ) ┃ 春日県主オケツ──オケツ姫[典侍]───(2)ヒコヰマス(斎名アリスミ)
伊波乃西神社
(いわのにしじんじゃ)
美濃国各務郡。岐阜県岐阜市岩田西3丁目421番地。
現在の祭神:日子坐王、八瓜入日子王
・当初は現社殿の西北100mにある日子坐命墓の地。明治8年現在地に。
【概意】
開化7年12月13日、ユキリの娘のタケノ姫が生むユムスミ。斎名コモツミ。
開化8年3月、春日オケツ姫の典侍が生む
斎名アリスミのヒコヰマス。
―――――――――――――――――――――――――――――
そほさのそふか うちみやの うむみこみまき いりひこの
いむなゐそにゑ
みなつきの そふかへそきね かるおとと
ねにうつしこを いわひぬし
―――――――――――――――――――――――――――――
十年五月の十二日 内宮の 生む御子
ミマキイリヒコの 斎名ヰソニヱ
六月の 十二日ヘソキネ カル大臣
十一月にウツシコヲ 斎主
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ここは五七調が少々いびつなため、言葉の区切りを調整しています。
■ミマキイリヒコ ■ヰソニヱ
内宮イキシコメの生んだ開化天皇の3男で、斎名 ヰソニヱ
です。 ▶内宮
記紀には 御真木入日子印恵命
/ 御間城入彦五十瓊殖天皇 などと記されます。
後の 第10代崇神天皇
です。
孝元天皇 ├──────開化天皇 ┌ウツシコメ ┃ │ ┃ └ヘソキネ─────イカシコメ[内宮]──(3)ミマキイリヒコ(斎名ヰソニヱ:崇神天皇) ┃ 竹野県主ユキリ──タケノ姫[??]────(1)ユムスミ(斎名コモツミ) ┃ 春日県主オケツ──オケツ姫[典侍]───(2)ヒコヰマス(斎名アリスミ)
■カル大臣 (かるおとど)
食国臣
の換言と思います。
カル(上る) は、神に御食を 「上げる・捧げる」
の意に解しています。
★大殿・大臣
(おとど・をとど)
「大いに突出する者・中央政府の秀でる臣」
の意です。
ヲ(上・央・大)+トト
で、トト は トツ(突・凸) の変態。
「突出するさま」 を意味し、トノ(殿)
の換言です。
【概意】
開化10年5月12日に内宮の生む御子は、ミマキイリヒコの斎名ヰソニヱ。
6月12日にヘソキネをカル大臣となし、11月にはウツシコヲを斎主とする。
ミケヌシ親子が失脚したことにより、政府の要職は物部系で占められました。
ニギハヤヒ─ウマシマチ─ヒコユキ┬イツモシコ ├イツシココロ─┬オオミナクチ └オオネ臣 └オオヤクチ─┬ウツシコヲ(斎主) ├ウツシコメ(皇太后)─開化天皇 │ ┃ └ヘソキネ(食国臣)──イカシコメ(皇后)
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そみむつきゐか きさきまた うむみまつひめ
めすうちめ かつきたるみか たかひめか さのもちにうむ
はつらわけ いむなたけとよ
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十三年一月五日 后また 生むミマツ姫
召す内侍 葛城タルミが タカ姫が 五月の十五日に生む
ハツラワケ 斎名タケトヨ
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■ミマツ姫 (みまつひめ)
内宮イキシコメの生んだ開化天皇の長女です。
記紀には 御真津比売命 /
御間城(みまき)姫 と記されます。
■葛城タルミ (かつきたるみ)
「葛城国造のタルミ」 という意です。
古事記にのみ 葛城之垂見宿禰
と記されますが、他の文献には記載がありません。
★タルミ (足る身)
タル(足る)+ミ(身) で、「(地域を)足らす身・治す身」
を意味します。 ▶治す
■タカ姫 (たかひめ)
葛城タルミの娘で、開化天皇の内侍に召されます。 ▶内侍
古事記にのみ 鸇比売(わしひめ)
と記されますが、他の文献には記載がありません。
孝元天皇 ├─────オシマコト イカシコメ │ ├───ウマシウチ(=ウマシタケヰココロ) │ │ 葛城タルミ┬タカ姫 │ │ ├オウチ │ ├───タケウチ └──タカチ姫 │ 紀のウチマロ──────┬紀ウツ │ └─ヤマトカケ姫
■ハツラワケ ■タケトヨ
内侍タカ姫の生んだ開化天皇の4男で、斎名 タケトヨ
です。
古事記に 建豊波豆羅和気王
と記されます。
孝元天皇 ├──────開化天皇 ┌ウツシコメ ┃ │ ┃ └ヘソキネ─────イカシコメ[内宮]─┬(3)ミマキイリヒコ(斎名ヰソニヱ:崇神天皇) ┃ └(4)ミマツ姫 ┃ 竹野県主ユキリ──タケノ姫[??]────(1)ユムスミ(斎名コモツミ) ┃ 春日県主オケツ──オケツ姫[典侍]───(2)ヒコヰマス(斎名アリスミ) ┃ 葛城国造タルミ──タカ姫[内侍]────(5)ハツラワケ(斎名タケトヨ)
大依羅神社 (おおよさみじんじゃ)
摂津国住吉郡。大阪府大阪市住吉区庭井2丁目18-16。
現在の祭神:建豊波豆羅和気王、底筒男、中筒男、表筒男
・祭神の建豊波豆羅別命は開化天皇と葛城垂見宿彌の女タカヒメとの間に生まれ、
道守臣、忍海部造、御名部造、稲羽忍海部、丹波之竹野別、依羅阿毘古等の祖であると言う。
【概意】
開化13年1月5日、内宮がまた生むミマツ姫。
内侍に召す葛城タルミのタカ姫が、5月15日に生むハツラワケ。斎名タケトヨ。
―――――――――――――――――――――――――――――
ふそやとし むつきのゐかに よつきたつ
ゐそにゑのみこ ことしそこ
―――――――――――――――――――――――――――――
二十八年 一月の五日に 代嗣立つ
ヰソニヱの御子 今年十九
―――――――――――――――――――――――――――――
【概意】
開化28年1月5日、この年19歳のヰソニヱ御子を皇太子に立てる。
―――――――――――――――――――――――――――――
むそとしのなつ うつきこか きみまかるとし ももそひそ
みこのもはいり よそやのち まつりこときき
とみととめ いますのみあえ
めつきみか おもむろおさむ いささかそこれ
―――――――――――――――――――――――――――――
六十年の夏 四月九日 君罷る 歳 百十一ぞ
皇子の喪入り 四十八後 政事聞き
臣 留め 居ますのみあえ
十月三日 骸 納む “イササカ” ぞこれ
―――――――――――――――――――――――――――――
■喪入り四十八 (もはいりよそや)
■居ますのみあえ (いますのみあえ)
「世に居られる如くにみあえなすこと」 をいいます。 ▶居ます如くに ▶みあえなす
■十月・陰月 (めつき・め)
陰暦10月の異称です。
神無月(かみなつき・かんなつき・かなつき)
とも呼ばれ、“メ” と略します。
「陽の神が尽きる月・大陰(うめ)
が支配する月」 を意味します。
■イササカ
開化天皇の亡骸を納めた場所に付けられた名です。
日本書紀には 春日率川坂上陵
と記され、現在は宮内庁により
奈良県奈良市油阪町
の 「念仏寺山古墳」 に治定されています。
イサ+サカ(境) で、イサ
は イス の名詞形、イス は イスル(揺る) の母動詞。
「往き来させる・回す・還す」 などが原義です。よって
「還しの区画」 の意と考えます。
いする【揺る・強請る】〈広辞苑〉
ユスルの訛。
【概意】
開化60年の夏4月9日に君罷る。111歳ぞ。
喪入り48日の後、皇太子は纏り事を聞き、臣は引き続き “居ます如くのみあえ”。
10月3日に骸を納む。“イササカ” ぞこれ。
本日は以上です。それではまた!