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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第174回 [2024.8.14]

第三一巻 直り神 ミワ神の文 (7)

著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com

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 懿徳天皇

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 なおりかみみわかみのあや (その7)
 直り神 ミワ神の文 https://gejirin.com/hotuma31.html
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 ときあすす ふもやほさみと きさらよかねあゑ
 わかみや としみそむ あまつひつきお うけつきて
 おおやまとひこ すきともの あめすへらきと たたえます

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 時 上鈴 二百八年サミト 二月四日ネアヱ
 若宮 歳三十六 和つ日月を 受け継ぎて
 オオヤマトヒコ スキトモの 天皇と 称えます

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  ここは五七調が少々いびつなため、言葉の区切りを調整しています。

■上鈴二百八年サミト (あすずふもやほさみと)
上鈴208年は 紀元前510年に相当し、これが懿徳天皇元年です。 ▶上鈴 ▶干支


二月・如月 (きさら・きさらぎ)

和つ日月 (あまつひつき)

オオヤマトヒコスキトモ・斎名ヨシヒト

 綏靖天皇───┐
               ├──タマデミ(安寧天皇)
 ミスズヨリ姫─┘     ┃        ┌(3)オオヤマトヒコスキトモ(斎名ヨシヒト)
              ┃        │       
 ??県主アタツクシネ─ヌナソ姫(内宮)─────┴(4)クシトモセ(斎名トキヒコ)
              ┃
 磯城県主ハエ────カハツ姫(典侍)──────(2)シキツヒコ(斎名ハチキネ)
              ┃
 春日県主オオマ───イトヰ姫(勾当→大典侍)──(1)トコネツヒコ(斎名イロキネ)


天皇 (あめすべらぎ・あますべらぎ)

 

【概意】
時 上鈴208年サミトの2月4日ネアヱ、
皇太子36歳は 和つ日月を受け継ぎて、
“オオヤマトヒコスキトモの天皇“ と称えます。



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 あめののりもて おかませて まかりおこよみ あらためて
 みをやおくりの ほつみひと しわすのむかと もはにいり
 なかつきそみか ははおあけ みうえきさきと

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 上の法もて 拝ませて マカリオ暦 改めて
 御親送りの 八月一と 十二月の六日と 喪に入り
 九月十三日 母を上げ 御上后と

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■上の法 (あめののり) ■上例 (あめためし)
上代の例 (かみよのためし) の換言です。 ▶アメ(▽上) ▶ノリ(法) ▶タメシ(例)

 ハラミの例ハラの法ニハリの例、ホツマ法、陽陰の御孫の例 などとも呼ばれます。


■拝ます (おがます)
御飾りを民に拝ます」 ことをいい、“上の法” の1つです。


■マガリオ暦 (まがりおこよみ)
マガリオは懿徳天皇の 「元号」 です。
上鈴208年が “懿徳天皇の元年” となるわけですが、これを “マガリオ元年” と呼んだのでしょう。

 マガリオというのは、次段に出てきますが、“カルマガリオ” の略で、
 これは懿徳天皇の新宮/新都の名です。日本書紀は 軽曲峡宮” と記します。


■御親送りの八月一 (みをやおくりのほつみひ)
「父 (安寧天皇) の骸を埋葬した8月1日」 の意です。 ▶御祖 ▶送り ▶ほつみ(八月)


■十二月の六日 (しわすのむか)
「安寧天皇の命日」 です。 ▶しわす

 三十八年サミヱの 十二月六日 皇 罷る 〈ホ31-6〉


喪に入る (もはにいる)
 
■九月・長月 (ながつき・なつき)
陰暦9月の異称です。ナガ(長)は 「長ける(たける)さま・至り・究め」 を意味し、
これは 究めの数である 「九」 を表すものと考えます。
あるいはまた、ココナガツキ (九花が月・菊花が月) の略かもしれません。 ▶ココナ


母を上ぐ (ははおあぐ)
母とは安寧天皇の内宮(=正妃)である ヌナソ姫 です。


 綏靖天皇───┐
               ├──タマデミ(安寧天皇)
 ミスズヨリ姫─┘     ┃        ┌(3)オオヤマトヒコスキトモ(斎名ヨシヒト)
              ┃        │       
 ??県主アタツクシネ─ヌナソ姫(内宮)─────┴(4)クシトモセ(斎名トキヒコ)
              ┃
 磯城県主ハエ────カハツ姫(典侍)──────(2)シキツヒコ(斎名ハチキネ)
              ┃
 春日県主オオマ───イトヰ姫(勾当→大典侍)──(1)トコネツヒコ(斎名イロキネ)


御上后 (みうえきさき)

 

【概意】
陽陰の御孫の法を以て御飾りを民に拝ませ、マカリオ暦に改めて、
父帝を送った8月1日と、命日の12月6日には <2度の> 喪に入り、
<翌年> 9月13日、母を昇格して御上后となす。



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 むつきゐか かるまかりおの にいみやこ うつし
 きさらきそひにたつ あめとよつひめ うちつみや
 しきゐてかめの ゐつみすけ
 ふとまわかかめ いいひめお ここたへ

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 一月五日 カルマガリオの 新都 移し
 二月十一に立つ アメトヨツ姫 内つ宮
 磯城ヰテが姫の ヰツミ 典侍
 フトマワカが姫 イイ姫を ココタヘ

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  ここは五七調が少々いびつなため、言葉の区切りを調整しています。
 
■カルマガリオ ■サカイオカ (境岡)
懿徳天皇の新都の名です。日本書紀は 軽曲峡宮(かるのまがりおのみや)、
古事記は 軽之境岡宮(かるのさかいおかのみや) と記します。
場所は 奈良県橿原市大軽町 周辺と伝承されており、軽曲峡宮跡伝承地 の碑が立ちます。

 カル(軽・上る)は カシハラ(橿原) の換言ではないかと考えてます。
 マカリは マク(撒く)カル(離る) の短縮 “マカル” の名詞形で、ワカレ(分れ)の変態。
 オ(峰・丘) ホ(穂・秀) の変態。
 よって 「橿原と境を分ける高台」 の意で、サカイオカ(境岡) の換言です。 


■アメトヨツ姫 (あめとよつひめ)
イキシ御子 の娘です。懿徳天皇の内つ宮に立てられます。 ▶内つ宮
イキシ御子は 綏靖天皇 の2男で、安寧天皇の弟です。


 ??─ー────ミスズヨリ姫(内宮)
          ├───ー─安寧天皇───懿徳天皇
 神武天皇ー──綏靖天皇             ┃
          ├───ー─イキシ御子──アメトヨツ姫
 アウヱモロ──イトオリ姫
        (ココタエ→典侍)


■磯城ヰテ (しきゐて)
「磯城県主のヰテ」 です。
日本書紀には 猪手 (いて・ゐて) と記され、「磯城県主葉江男弟」 とあります。
ホツマには説明がありません。 ▶磯城ハエ


■ヰツミ姫 (ゐつみひめ)
磯城ヰテの娘で、懿徳天皇の典侍となります。 ▶典侍
日本書紀には 泉媛(いづみひめ) と記されます。

 クロハヤ─┬ハエ─────カハツ姫 (安寧天皇の典侍)
 (弟磯城) │
      ├カワマタ姫 (綏靖天皇の大典侍)
      │
      └ヰテ─────ヰヅミ姫 (懿徳天皇の典侍)


■フトマワカ
時のカスガ県主で、おそらく オオマ(▽合真) の子です。 ▶カスガ県
日本書紀には 太真稚彦(ふとまわかひこ) と記されていますが、
春日県主ではなく、“磯城県主” となっています。

 フトマ(▽悉真) は オオマ(▽合真) の換言、ワカ(別) は アガタ(県) の換言です。


■イイ姫 (いいひめ)
フトマワカの娘で、懿徳天皇のココタヘ(=中橋)となります。
古事記には 日比賣命・賦登麻和訶比売命、日本書紀には 日媛 と記されます。
“イイ” は ココタエの換言で、「往き来」 を意味すると考えています。

 アウヱモロ──┬オオマ──┬フトマワカ──イイ姫 (懿徳天皇のココタエ)
        │     │
        │     └イトヰ姫 (安寧天皇のココタエ)
        │
        ├イトオリ姫 (綏靖天皇のココタエ)
        └ヌナタケ姫 (アタツクシネの妻)

 

【概意】
懿徳3年の1月5日、カルのマカリオの新都に移し、
2月11日、アメトヨツ姫を内つ宮に立て、
磯城県主ヰテのヰヅミ姫を典侍に、フトマワカのイイ姫をココタヘとなす。



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 ゐとしやよひゆみ すみえにみゆき
 みるおみて うちのうむみこ かゑしねの いみなみるひと
 うちのちち いきしおをきみ
 いいひめか たけあしにうむ たちまみこ いみなたけしゐ

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 五年三月七日 墨江に御幸
 海松を見て 内(宮)の生む御子 カヱシネの 斎名ミルヒト
 内(宮)の父 イキシ親王
 イイ姫が タケアシに生む タチマ御子 斎名タケシヰ

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墨江・住江 (すみえ・すみゑ)
スミ(隅・▽末・▽下)+エ/ヱ(江) で、「川の下流・河口域」 を意味します。
この場合は 大和川河口の スミエ(住之江・墨江・住吉) をいうのだろうと思います。
住吉大社 も古くは “スミエ神社・スミノエ神社” と呼ばれました。


海松・回る (みる)
 
■カヱシネ ■ミルヒト
懿徳天皇の長男で、後の 孝昭天皇 です。斎名はミルヒトです。
カヱシ(還し)+ネ(廻) は ミル(回る・海松) の換言と考えます。
記紀には 御真津日子訶恵志泥命/観松彦香殖稲尊 などと記されます。


■イキシ親王 (いきしおをきみ)
イキシ御子 の換言です。
 
 ★親王 (おをきみ・をきみ)
 ヲミコ/アミコ(太子・親王) の換言です。ヲキミ(皇君) と区別するため、
 本講座ではこれに “親王” と当て字します。 ▶親王(しんのう)


■タケアシ
これについては手がかり無しです。


■タチマ御子 (たちまみこ) ■タケシヰ
イイ姫が生んだ懿徳天皇の2男で、斎名が タケシヰ です。
他文献にはタチマの名は見当たらず、武石彦奇友背命多芸志比古命 などと記されてます。

 

【概意】
懿徳5年3月7日、墨江に御幸。
海松を見て内宮の生む御子は カヱシネの斎名ミルヒト。
内宮の父はイキシ親王。
またイイ姫がタケアシに生むタチマ御子。斎名タケシヰ。

 
 綏靖天皇┐
     │
     ├安寧天皇┐
     │    ├────懿徳天皇
     │ヌナソ姫┘      ┃
     │           ┃
     └イキシ親王────アメトヨツ姫[内宮]───(1)カヱシネ(斎名ミルヒト)
                 ┃          
     磯城県主ヰデ────ヰヅミ姫[典侍]
                 ┃
     春日県主フトマワカ─イイ姫[ココタヘ]────(2)タチマ(斎名タケシヰ)



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 ふそふとし きさらつしとは そふをしゑ
 かえしねみこお よつきなる ことしそやなり

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 二十二年 二月ツシトは 十二ヲシヱ
 カエシネ御子を 代嗣なる 今年十八なり

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■二月ツシトは十二ヲシヱ (きさらつしとはそふをしゑ)
「ツシトで始まる2月の、12日目のヲシヱの日」 という意です。 ▶干支

 

【概意】
懿徳22年、2月1日ツシトは12日ヲシヱ、
カエシネ御子を代嗣となす。この年18なり。



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 みそよとし なかつきやかに きみまかる わかみやかみに
 つかえんと もはひとほまて みあえなす いきますことく
 あくるふゆ おくるうねひの まなこたに なそよにまして
 おくるとみ とはすかたりや 
 わかきみも おくりおさめて みなかえします

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 三十四年 九月八日に 君 罷る 若宮 神に
 仕えんと 喪一年まで みあえなす 生きます如く
 明くる冬 送る畝傍の マナコ谷 七十四に坐して
 送る臣 問わず語りや
 若君も 送り納めて 穢 還します

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■喪一年 (もはひとほ)
アマテルの定めた 48日の喪の期間 を “1年” まで延長したということです。 ▶喪 ▶年

 アワの数 経て喪を脱ぎて 政聞く
 年回る日は 喪に一日 その身柱に 纏るべし
 〈ホ26-4〉


みあえ (▽斎・▽敬・御饗)

■生きます如く (いきますごとく)
「生きておられるかの如くに」 という意です。 ▶生きますの如に勤むる


送る (おくる)

■マナコ谷 (まなこだに)
懿徳天皇を葬った場所に付けた名です。
古事記は 「畝火山の真名子谷の上」、日本書紀は 畝傍山南繊沙渓上陵 と記します。
現在は宮内庁により、奈良県橿原市西池尻町 にある俗称「マナゴ山」に治定されています。

 マナコ(▽真中)+タニ(谷) で、「回帰/帰還の区画」 の意と考えます。
 マナコは マナカ(真中) の変態で、ココロ(心)モトオリ(回り) などの換言。


■送る臣 (おくるとみ)
この オクル(送る) は 「一緒について行く・随伴する」 の意を表します。
ですから 「死を共にする臣」 です。


問わず語り (とわずがたり・とはずがたり)

■送り納む (おくりおさむ)
オクル(送る)オサム(納む) の連結で、「送還して人生を締める・葬送する」 という意です。


■穢還す (みなかえす)
ミナ(▽穢)+カエス(還す) で、「汚穢を祓う」 という意です。
具体的には 「イサ川に禊する」 ことをいいます。 ▶イサ川禊

 

【概意】
懿徳34年9月8日に君罷る。
若宮は神霊に仕えんと喪に入り、一年まで敬いなす。生きます如くに。
明くる冬、亡骸を畝傍のマナゴ谷に納む。74歳におわして、随伴する臣は問わず語りや。
若君も送り納めた後 <イサ川に禊して> 穢を祓います。

 

本日は以上です。それではまた!

 

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