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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第196回 [2024.11.6]

第三七巻 鶏合せ 橘の文 (1)

著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com

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 垂仁天皇ー3-1

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 とりあわせたちばなのあや (その1)
 鶏合せ 橘の文 https://gejirin.com/hotuma37.html
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 とりあわせたちはなのあや
 たまきみや ふそなほはつき なかをみと
 いくさうつわお みてくらに うらとえはよし
 ゆみやたち もろのやしろに をさめしむ
 かんへさためて よりよりに うつわにまつる はしめなり

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 鶏合せ 橘の文
 タマキ宮 二十七年八月 七日ヲミト
 軍器を 幣に 占問えば “吉”
 弓・矢・太刀 諸の社に 納めしむ
 神部定めて よりよりに 器に纏る 初めなり

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鶏合せ (とりあわせ)

橘 (たちばな) 

■タマキ宮二十七年 (たまきみやふそなほ)
「垂仁天皇27年」 の換言で、上鈴715年紀元前3年 に相当します。 ▶タマキ宮


■軍器 (いくさうつわ)
イクサ(軍・戦)ウツワ(器) で、「戦闘用の器具」 をいいます。


幣 (みてぐら)

占問ふ (うらとふ)

神部・神侍 (かんべ)

■よりより (度々・▽揺々)
ヨリ は ヨル(揺る) の名詞形で、「揺れ動くさま」 が原義です。
ですから 「いろいろ・さまざま・多種多様・折々」 などと同義です。

 

【概意】
鶏合せ 橘の文
垂仁天皇27年8月7日ヲミト、軍器を幣とすることを占えば、
“吉” と出て、弓・矢・太刀 を諸社に納めしむ。
神官の裁定で、折に触れて神を物品に纏るようになる初めなり。



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 ふそやほかんな ゐかまかる あにやまとひこ
 ねつきふか おもむろおくる つきさかに
 はへるひとらお いきなから うつめはさけひ つひにかる

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 二十八年十月 五日罷る 兄ヤマトヒコ
 十一月二日 骸 送る ツキサカに
 侍る人らを 生きながら 埋めば叫び つひに枯る

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ヤマトヒコ (斎名ヰソキネ)

 開化天皇
   ├──────崇神天皇(ミマキイリヒコ・斎名ヰソニヱ)
 イカシコメ      ┃
            ┃             ┌(6)トヨキイリヒコ(斎名シキヒト)
            ┃             │
 オオヒコ───┬ミマキ姫[内宮]──────────┴(7)イクメイリヒコ(斎名ヰソサチ:垂仁天皇)
        │   ┃
        └クニカタ姫[内侍]─────────┬(8)チチツクワ姫
            ┃             │
            ┃             └(9)イカツル(斎名チヨキネ)
            ┃
 紀アラカトベ──トオツアヒメクハシ姫[内侍]────┬(1)トヨスキ姫
            ┃             │
            ┃             └(3)ヤマトヒコ(斎名ヰソキネ)
            ┃
 近江国造────ヤサカフリイロネ姫[大典侍]────┬(4)ヤサカイリヒコ(斎名オオキネ)
            ┃             │
            ┃             └(5)トチニイリ姫
            ┃
 尾張国造────オオアマ姫[中橋]──────────(2)ヌナギ姫


骸 (おもむろ)

送る (おくる)

■ツキサカ (▽漬境・▽塚境)
かつて神武天皇が大和平定の褒賞として、ミチヲミ に与えた ツキサカ でしたが、
ここに ヤマトヒコ を葬って、ツク(漬く)+サカ(境) の意が加わったようです。
ツク(漬く) は ツカ(塚) の母動詞です。

 ミチヲミは 望みのままに “ツキサカ” と クメの所を 賜ふなり 〈ホ30-3〉

 巨勢山坐石椋孫神社 (こせやまにますいわくらひこじんじゃ)
 大和国高市郡。奈良県橿原市鳥屋町998。
 現在の祭神:石椋孫神
 ・倭彦命身狭桃花鳥坂 の陵墓の上にあったが、明治になって現在地に移す。


■生きながら埋む (いきながらうづむ)
天皇の死に際しての慣わしであった 陽陰御子典 が、時代が下って拡大解釈され、
天皇以外の貴人にも適用されるようになっていったと考えられます。

アヒラツ姫と ワニヒコと 問わず語りを なし侍る
 君・臣 共に 洞に入り 神となること 明日聞きて 
追ひ罷る者 三十三人 〈ホ31ー4〉
・骸を ハカタの洞に 納むなり 臣・侍の骸も みな納む
 生きる三人も 
追ひ罷る “陽陰御子典” や 〈ホ31ー9〉

 

【概意】
垂仁28年10月5日、兄のヤマトヒコが罷る。
11月2日、亡骸を葬るツキサカに、侍る人らを生きながらに埋めば、
叫び、ついには息絶える。



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 いぬとりはむお きこしめし あわれにおほす みことのり
 いきおめくまて からするは いたましひかな
 ふるのりも よからぬみちは やむへしそ

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 犬・鳥 食むを 聞こし召し 哀れに思す 御言宣
 「生きを恵まで 枯らするは 痛ましいかな
 古範も 良からぬ道は 止むべしぞ」

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■痛ましい (いたましひ)
イタマシ(痛まし) の連体形 イタマシキ(痛ましき) の音便です。

 ★痛まし (いたまし)
 イタム(痛む)シ(▽如・▽然) で、「痛む如し・いたわしい・かわいそう」 などの意です。


■古範 (ふるのり)
フル(古・故・旧)ノリ(法・則・典・範) で、フル は フル(経る) の名詞形です。

 

【概意】
犬や鳥が食い荒らすことをお知りになり、哀れに思す御言宣。
「生きる者を恵むのではなく、殺すというのは痛ましいかな。
昔からの慣わしといえど、良からぬ道は止むべしぞ。」



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 みそほはつむか みことのり
 みこゐそきねと たりひこと のそむところお もふすへし
 ゐそきねいわく ゆみやゑん たりひこいわく くらいゑん
 きみふたみこの のそむまま ゆみやたまわる あにのみや
 おとはくらいお つくへしと

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 三十年一月六日 御言宣
 「御子ヰソキネと タリヒコと 望む所を 申すべし」
 ヰソキネ曰く 「弓矢得ん」 タリヒコ曰く 「位得ん」
 君 二御子の 望むまま 弓矢賜わる 兄の宮
 「弟は位を 継ぐべし」 と

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ヰソキネ ■タリヒコ
ヰソキネ は 垂仁天皇の2男 ニシキイリヒコ の斎名、
タリヒコ は 3男 ヤマトヲシロワケ の斎名です。

 ミマキイリヒコ─┐
  (崇神天皇)  ├────イクメイリヒコ(斎名ヰソサチ:垂仁天皇)
 ミマキ姫────┘       ┃
                 ┃
 ヒコヰマス────────サホ姫[内宮1]───────(1)ホンツワケ
                 ┃
 ツヅキタルネ─────┬─カバヰツキ姫[内宮2]────(2)ヤマト姫
            │    ┃
            └─カクヤ姫[内侍]       ┌(3)ニシキイリヒコ(斎名ヰソキネ)
                 ┃          ├(4)ヤマトヲシロワケ(斎名タリヒコ)
 タニハチヌシ─────┬─ヒハス姫[内宮3]─────┼(5)オオナカ姫
            │    ┃          └(6)ワカキニ(斎名ハルヒコ)
            ├─ヌハタニイリ姫[典侍]-──┬(7)ヌテシワケ
            │    ┃         └(8)イカタラシ姫
            ├─マトノ姫[内侍]
            │    ┃
            └─アサミニイリ姫[内侍]-──┬(9)イケハヤワケ
                           └(10)アサツ姫


■弓矢 (ゆみや)
この場合は 「治安維持/警察/軍事 の支配権」 を意味します。

 

【概意】
垂仁30年1月6日に御言宣。
「御子ヰソキネとタリヒコと、望む所を申すべし」
ヰソキネ曰く 「弓矢を得たい」。タリヒコ曰く 「皇位を得たい」。
君は2御子の望むまま、軍事を賜る兄の宮。「弟は皇位を継ぐべし」 と。


 垂仁30年 は 上鈴718年 に相当し、神武天皇即位の 上鈴58年
 紀元前660年 と仮定した場合、この年が 西暦元年 となります。



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 みそふほふつき むかまかる きさきひはすの みおくりは
 もろとみめして みことのり
 さきのおひかれ よからねは このおこなひは いかにせん
 のみのすくねか もふさくは
 いけるおうつむ ためしとは あによからんや はからんと

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 三十二年七月 六日罷る 后ヒハスの 回送りは
 諸臣 召して 御言宣
 「先の追ひ枯れ 良からねば この行ひは 如何にせん」
 ノミのスクネが 申さくは
 「生けるを埋む ためしとは あに良からんや 計らん」 と

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ヒハス
タニハチヌシの姫で、垂仁天皇の3人目の 内宮(=正妃) です。
ニシキイリヒコヤマトヲシロワケオオナカ姫ワカキニ の母です。


 ミマキイリヒコ─┐
  (崇神天皇)  ├────イクメイリヒコ(斎名ヰソサチ:垂仁天皇)
 ミマキ姫────┘       ┃
                 ┃
 ヒコヰマス────────サホ姫[内宮1]───────(1)ホンツワケ
                 ┃
 ツヅキタルネ─────┬─カバヰツキ姫[内宮2]────(2)ヤマト姫
            │    ┃
            └─カクヤ姫[内侍]       ┌(3)ニシキイリヒコ(斎名ヰソキネ)
                 ┃          ├(4)ヤマトヲシロワケ(斎名タリヒコ)
 タニハチヌシ─────┬─ヒハス姫[内宮3]─────┼(5)オオナカ姫
            │    ┃          └(6)ワカキニ(斎名ハルヒコ)
            ├─ヌハタニイリ姫[典侍]-──┬(7)ヌテシワケ
            │    ┃         └(8)イカタラシ姫
            ├─マトノ姫[内侍]
            │    ┃
            └─アサミニイリ姫[内侍]-──┬(9)イケハヤワケ
                           └(10)アサツ姫


回送り (みおくり)

■追ひ枯れ (おひがれ)
「後を追って罷ること・殉死」 です。


ノミのスクネ

ためし (例・様)
「前例・典例・慣例」 をいいます。

 

【概意】
垂仁32年7月6日に罷った后ヒハスの回送りに際し、
天皇は諸臣を召して御言宣。
「先例となっている “追い枯れ” は良からねば、この慣行は如何にせん。」
ノミのスクネが申すには、
「生ける者を埋める慣わしとは どうして良かろうか、一計を案じましょう」 と、



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 いつものはしへ ももめして
 はにてこおよひ くさくさの かたちつくりて たてまつる
 いまよりのちは はしものお いけるにかえて
 みささきに うえてためしと なすへしや

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 出雲の土師部 百 召して
 埴偶および 種々の 形造りて 奉る
 「今より後は 土師物を 生けるに代えて
 陵に 植えてためしと なすべしや」

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■出雲 (いづも)
タエマクエハヤ と 力比べ (相撲) する前、ノミのスクネ は出雲にいました。
ノミは 「13代の出雲国造」 と、神魂神社 は伝えます。


土師部 (はじべ)
ハ(地・土・埴)シ(‘する’ の名詞形)ベ(侍・部) で、「土を扱うモノノベ」 の意です。


■百 (もも)
ここでは 「たくさん・おおぜい」 の意を表します。


■埴偶 (はにでこ)
今に言う 土偶(どぐう) です。
デコ は デク(出来) の名詞形で、「出来上がった物・製品」 が原義。
デク(木偶) ともいいます。

 でく【出来】〈広辞苑〉
 1.物が生じる。あらわれ出る。生れる。
 2.事柄が発生する。
 3.作られる。仕上がる。生産される。


■土師物 (はじもの)
「土で造った物・土製品」 をいいます。


■陵 (みささぎ)
「還しの区画・送りの区画」 の意で、ミハカ(墓)ハカ(墓) の換言です。

 ミ(‘回る’の連用形)+ササ+ キ(城・限)で、ササ は サスル(擦る) の母動詞 “サス” の名詞形。
 “ミル”  “サス” は共に 「往き来させる・回す・送る・還す」 などが原義です。


■植ゆ (うゆ)
ウム(埋む) の変態で、ウヅム(埋む) と同義です。

 

【概意】
出雲の土師部を大勢召し寄せ、土偶や種々の形を造って奉る。
「今よりは 生けるに代えて 土師物を陵に埋めて、慣例となすべしや。」



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 きみよろこひて みことのり
 なんちかはかり わかこころ よしとはにわの たてものお
 のちのためしと さたまりて のみのすくねお あつくほめ
 かたしところお たまわりて はしのつかさそ

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 君 喜びて 御言宣
 「汝が計り 我が心 良し」 と 埴生の 奉物を
 後のためしと 定まりて ノミのスクネを 篤く褒め
 形し所を 賜わりて 土師の司ぞ

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■埴生 (はにわ)
「埴から生えた物・土の造り物」 を意味し、土師物(はじもの) の換言です。
ワ/ハ(生) は ハエ(生え) の短縮です。辞書は “埴輪” と当てています。 ▶埴輪
埴生 (はにふ/はにゅう・はにもの) とも呼ばれます。

 はにもの【埴生・土物】〈広辞苑〉
 埴で作ったもの。埴輪の類。


■奉物 (たてもの)
埋葬される人に 「たてまつる物・奉納物」 の意です。
辞書は “立物” と当てています。 ▶立物


■形し所 (かたしどころ)
土を 「形にする所」 の意で、「土師物の製造作業場」 をいいます。
カタシ は カタス(鍛す) の名詞形で、カタス は カタチ(形) の母動詞です。

 場所は 奈良県桜井市出雲 ではないかと思います。 ここには野見宿禰の古墳と伝わる
 塚があり、またこの地域に伝わる 出雲人形 は、野見宿禰が土師部の集団を出雲国から
 呼び寄せて、人馬の人形を作ったのがはじまりと伝えられます。


■土師の司 (はじのつかさ)
“ノミのスクネ” の名は、これの換言と考えています。 ▶ノミのスクネ
これまでは 出雲国の “土師の司” でしたが、以後は 中央政府の “土師の司” に昇格します。

 

【概意】
君は喜びて御言宣。「汝が計り、我が心良し」 と、
埴製の奉納物を後のためしとすることが定まり、
ノミのスクネを篤く褒め、土師物の製造作業場を賜いて、土師の司となす。

 

本日は以上です。それではまた!

 

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