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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第93回 [2023.12.14]
第十七巻 神鏡ヤタの名の文 (6)
著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com
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かんかがみやたのなのあや (その6)
神鏡ヤタの名の文 https://gejirin.com/hotuma17.html
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たちからを すすみもふさく
ぬすひとの みつめにしるる つちいかん
かみはやわして みことのり しはしこころお しつめまて
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タチカラヲ 進み申さく
「盗人の 三つ目に知るる 槌 如何ん」
神は和して 御言宣 「しばし心を 静め待て」
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■三つ目に知るる槌 (みつめにしるるつち)
タチカラヲのこの質問は、先のアマテルの言葉に対してのものです。
盗みも人が 知らざれば 財得るとぞ 思えども 一度 隠し 二 盗み 三度 損なひ〈ホ17-3〉
「3度目の盗みを働いた者が受ける報い」 をいい、“陽陰の報ひ”
“陽陰が槌”
とも呼ばれます。
シルル(知るる)は シル(知る)の連体形で、ここでは
「その身に知る・その身に受ける」 の意です。
■和す (やわす)
ここでは、少し興奮気味のタチカラヲを
「和らげる・鎮める・なだめる」 という意味です。
【概意】
タチカラヲが進み出て申すには、
「盗人が三度目に受ける槌とはいかに?」
神は宥めて御言宣、「しばし心を静めて待てよ。」
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われひとふりお つねみるに ふつくことなる くにかみの
いきふくかせお うけうまれ いきすとなれは
ならはしの ことはもくにお へたつれは かはれと
よそのおさなこも なしめはそこの ふりとなる
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我 人ぶりを 常 見るに ふつく異る 地神の
息吹く風を 受け生まれ 息すとなれば
ならわしの 言葉も地を 隔つれば 変われど
他所の幼子も 馴染めばそこの ふりとなる
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ここは五七調が少々いびつなので言葉の区切りを調整しています
■人ぶり (ひとぶり)
フリ(振り・風)は
フル(振る)の名詞形で、「ふるまい」
と同じです。
これは 「周囲に振りまくもの」 を原義とし、ここでは
「風俗・習慣」 をいいます。
なぜフリに “風” と当て、またなぜ “風土”
“風俗” “風習” などと言うのでしょうか?
この一節にその理由が見えるような気がします。
■地神 (くにかみ)
「各地域を守護する神霊・うぶすなの神」
をいいます。
■息吹く (いきふく)
イク(往く)+フク(吹く) の同義語連結で、両語とも
「往き来する/させる・めぐる/めぐらす」 が原義です。
■息す (いきす)
「息をする」 の意で、ここでは 「生きる・活動する」
ことをいいます。 ▶息
■ならわし
(習わし・慣わし)
ナラフ(習ふ・慣らふ・倣ふ)+シク(如く)
の連結から ‘ク’ を省いたク語法です。
■馴染む
(なじむ)
ナス(▽和す)+シム(染む) の短縮で、ナヅム(泥む)の変態です。
「和して染まる・慣れ親しむ」 が原義です。
【概意】
我がつねづね人のふるまいを見るところ、
まったく異る地神の巡らす風を受けて生まれ、生活するとなれば、
習いの言葉も土地が隔たれば変わるわけであるが、
他所で生れ育った幼子も、なじめばその土地のふり(風)となる。
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うつほにすめと そらとはす はにふみおれは
こたえしる かせはにかみの まもるゆえ
みるきくたひに よしあしも ひめもすあめに つけあれは
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空に住めど 空 飛ばず 埴 踏み居れば
応え知る 風・埴神の 守るゆえ
見る聞く度に 善し悪しも ひめもす陽陰に 告げあれば
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■空 (うつほ)
この場合は 「人間が住む地上の空間」 をいいます。
■応え知る (こたえしる)
「反応を感じ取る」 という意です。
この場合 “反応” とは 「人の狭義の中子(=神性)の反応」
をいいます。
これなんかもアヤの終盤に至ってようやく判明することです。
■風・埴神 (かぜはにかみ)
「風の神」 と 「埴の神」(=土の神)
をいい、これが先ほどの クニカミ(地神)
の正体です。
これはまた、以前出てきた “陽陰の心派”
や “陽陰の見付け”
の正体でもあります。
・空は陽陰の 心派の 常に巡れど 見えなくて 〈ホ17-3〉
・天地人の 見る所 陽陰の見付けは 人に告ぐ 〈ホ17-3〉
おそらく、風と土の神がそれを守るゆえに、“風土”
というのでしょう。
他所の幼子も馴染めばその地のフリとなる理由も、
その地域の風と土の神が守るためである、ということのようです。
■見る聞く度 (みるきくたび)
人が何かを 「見聞きする (経験する) 都度」
という意です。
■善し悪し (よしあし)
これも 「人の狭義の中子(=神性)が判断する善悪」
をいいます。
【概意】
人は地上の空間に住めど、空を飛ばずに土を踏んでいる。
空と土には、人の中子の反応を感知する “風神” と “埴神”
が見張るため、
人が何かを見聞きする都度、中子が感じる善悪も、
一部始終アメノミヲヤに報告されているので、
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かくしぬすむも みにそふる かせよりあめに つくるなり
ふたのぬすみは せくくまり ぬきあしなすも
つちのかみ めくみによりて またつけす
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隠し盗むも 身に添ふる 風より陽陰に 告ぐるなり
二の盗みは せくぐまり ぬき足なすも
土の神 恵みによりて まだ告げず
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■隠す (かくす) ■盗む
(ぬすむ)
■せくぐまる
(跼る)
セク(▽狭く・塞く)+クグマル(屈まる)
の短縮で、「狭まり屈まる」 という意です。
セクの名詞形が “せこい”
のセコで、クグマルは カガマル・コゴマル
の変態です。
■ぬき足 (ぬきあし)
「コソコソした歩き方」 をいいます。辞書は “抜き足”
と当てますが、
原義は “温き足” で
「ぬくい足取り・ゆるやかな足取り」 をいいます。
“せくぐまってぬき足で歩く” ようになる理由は、アヤの終盤で説明されます。
■土の神 (つちのかみ)
ハニカミ(埴神)
の換言です。
■告げず (つげず)
紛らわしいのですが、これは 2度目までの犯行は陽陰には告げるも、
「まだ人には告げない」 という意と思います。 ▶人に告ぐ
人とは 「犯人の関係者」 で、特に 「犯人を治める長」
をいいます。
一度 隠し 二 盗み 三度
損なひ 改めず
天地人の 見る所 陽陰の見付けは 人に告ぐ 〈ホ17-3〉
【概意】
隠し盗むも 人の身に添う風より陽陰に告げるのである。
2度目の盗みを働けば、ちぢこまってぬき足で歩くようになるため、
土の神はそれを感知するも、温情によりまだ人には告げない。
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みたひそこなふ おのかむね さわきあるより
ことふるえ みめにあらはれ そのぬしは かれにとひつめ
ここさとし またうらとえは ついかたる
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三度 損なふ 己が胸 騒ぎあるより
言 震え 見目に表れ その主は 故に問ひ詰め
九々さとし また心問えば つい語る
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■三度損なふ (みたびそこなふ)
「3度目の犯行で身体の健康を損なう」 という意です。
これは “陽陰の報ひ”
とも “陽陰が槌”
と呼ばれ、
「本人の狭義の中子(=神性)が引き起こす身体の障害」をいいます。
この障害発生のメカニズムについては後で説明されます。
・人の中子も 人ふたり やや知る道は マス鏡 陽陰の報ひは
盗めるも 謗るも打つも 身に返る 〈ホ17-3〉
・その時は 痛き報ひも あらざれど 後の病ふは 陽陰が槌
〈ホ17-3〉
■己が胸騒ぎある (おのがむねさわぎある)
“犯した罪の報いか?!” と予感して
「自分の心が平穏でない」 ということです。
“胸” は 「心」 と同じで、この場合は
「人としての心・人情・感情」 をいいます。
しかしその感情を起こさせるのは、人の心の奥にある 「神の本質・神性」
です。
★己・各
(おの・おのれ)
オノは オナシ(同じ)の
“オナ” の変態で、「当のもの・当人・自分」
を意味します。
■その主 (そのぬし)
「犯人に対して連帯責任を負う主・長・司」
をいうと思われます。
23アヤによれば、江戸時代の “五人組”
に似た制度が敷かれていたようですから、
「五人組の組長」 をいうのかもしれません。これは “人に告ぐ”
の “人” の換言です。
■九々さとす (ここさとす)
ココは 「九」 または 「九九」 で、ここでは
「九割方・大方・ほぼ」 などの意と考えます。
サトス(諭す)は、現在は他動詞の意味しか残っていませんが、この場合は自動詞で、
「悟る・察する」 と同義となります。
■心問ふ
(うらとふ)
ウラ(心・裏・占)+トフ(問ふ・訪ふ)
で、「心/本質を探る・本当の所を探る」 などの意です。
辞書に “かまをかける”
という訳があったので、それをいただきました。
【概意】
3度の犯行で身体を損なうと、自分の心が平穏でいられぬため、
言葉は震え、不安が外見や態度にも表れる。
それゆえ
その主が当人を問い詰めれば、大方の察しがつき、
かまをかけて尋問すれば、ついうっかりと白状してしまう。
結局のところ、自ら罪を白状するというオチですが、それを導くきっかけは
“陽陰の見付け”
の一つである、当人の中子(=神性)であることに留意してください。
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よそのうたえも あつかれと みつしるつけの ふたたひも
あめのみたねと きみのつけ まちゆるせとも
しなにより あめよりきみに つけあるそ
まさにはつへし あめつちか わるさなせそと さかしこそすれ
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よその訴えも 預かれど 三つ知る告げの 二度も
陽陰の御胤と 君の告げ 待ち許せども
品により 陽陰より君に 告げあるぞ
まさに恥づべし 天地が 悪さなせそと さかしこそすれ
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■三つ知る告げ (みつしるつげ)
陽陰への 「3つの告知」 という意で、次の3つをいいます。
1.〈初犯時の〉人の身に添う風神からの告知。
2.〈二犯時の〉人の動き (せくぐまり・ぬき足)
を感知した埴神からの告知。
3.〈三犯時の〉当人の自供/自白による告知。
・隠し盗むも 身に添ふる 風より陽陰に 告ぐるなり
二の盗みは せくぐまり ぬき足なすも 〈ホ17-6〉
・三度 損なふ 己が胸 騒ぎあるより 言
震え 見目に表れ
・・・ ・・・ 心問えば つい語る 〈ホ17-6〉
■陽陰の御胤 (あめのみたね)
「アメノミヲヤの尊い末裔」
という意で、民を含めたすべての人間をいいます。
■君の告げ (きみのつげ)
“君” は この場合は
「犯人に対して連帯責任を負う主・長・司」 をいい、
“その主” の換言です。 ▶君(きみ)
ですから 「(陽陰から)
犯人の主へ告げること」 を意味します。
■待ち許す (まちゆるす)
「待つことでゆるくする・ゆるめて待つ・猶予する」
という意です。
★許す・赦す・聴す
(ゆるす)
「ゆるくする・ゆるめる」 が原義です。
■天地 (あめつち)
アメ(陽陰) の換言です。
■悪さなせそ (わるさなせそ)
「ナ」+「動詞の連用形 (サ変動詞は命令形)」+「ソ」
の形は、ゆるやかに禁止する意を表します。
ここでは 「悪さするなよ」 という意になります。
★悪さ
(わるさ)
ワルシ(悪し)の名詞形です。
■さかし
サク(離く・放く)+シク(如く)
の連結から ‘ク’ を省いたク語法で、
「離れる如く・異なるさま・別のこと」
などの意を表します。
この場合は、陽陰が 「(通常とは) 異なる手順を踏むこと」
をいいます。
■こそすれ
これは “こそすれば” の バ
が省かれた形だと思われます。
今日の古典文法に則れば、係助詞コソによって スル(為る)
が
已然形に結んだものということになりますが、▶係り結び
ホツマにおいては係り結びによって活用が変化する例はあまり多くありません。
【概意】
陽陰は他者からの訴えも預かるも、3つの告知のうち2度までは
アメノミヲヤの御末裔だからと、その長への通知を猶予する。
しかし罪によっては <2度を待たずして>
陽陰より長に通知があるぞ。
それはまさに恥ずべきことである。陽陰が
「悪さするなよ」 と、
常ならぬことさえするのだから。
本日は以上です。それではまた!