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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第202回 [2024.x.x]
第三八巻 ヒシロの代 クマソ打つ文 (2)
著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com
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景行天皇-1-2
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ひしろのよくまそうつあや (その2)
ヒシロの代 クマソ打つ文 https://gejirin.com/hotuma38.html
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ねしもはひ まきむきひしろ にいみやに かえりいります
やさかひめ なるみのうちめ
ゐほねしも そゐかひのてに うむこのな わかたりひこそ
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十一月初日 マキムキヒシロ 新宮に 帰り入ります
ヤサカ姫 なる “美濃内侍”
五年十一月 十五日
日の出に 生む子の名 ワカタリヒコぞ
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■十一月 (ねしも)
陰暦の11月は ネツキ(子月)
とか シモツキ(霜月)
と呼ばれますが、その2つを合せたものです。
■マキムキヒシロ宮 (まきむきひしろみや)
景行天皇の新都で、現在の 奈良県桜井市穴師
が伝承地です。
穴師の相撲神社から西へ100メートルほどのところに石碑が立ちます。
日本書紀は 纒向日代宮(まきむくのひしろのみや)
と記します。 ▶マキムキ
★ヒシロ
ヒ(▽秀)+シロ(代・城)
で、“ヒ” は 「上・高・尊・中心」、“シロ” は
「区分・区画・領域」。
「高き区画・中心の区画・都」 という意で、タマキ(尊城)
や カシハラ(畏原)
の換言です。
■ヤサカ姫 (やさかひめ) ■美濃内侍
(みのうちめ)
景行天皇に召されて皇居入りしたヤサカ姫は、“美濃の内侍”
と通称されたようです。 ▶内侍
開化天皇 ├─────崇神天皇─┬垂仁天皇──────景行天皇 イカシコメ │ ├─────────ワカタリヒコ(斎名ウチヒト) └ヤサカイリヒコ──┬ヤサカイリ姫(美濃内侍) (ヤサカタカヨリ) └オト姫
■ワカタリヒコ・ワカタラシヒコ
ヤサカイリ姫 が生んだ景行天皇の3男で、斎名 ウチヒト
です。
記紀には 若帯日子命 /
稚足彦尊 と記されます。後の成務天皇です。
【概意】
景行4年11月1日、マキムキヒシロの新宮に帰って入ります。
ヤサカ姫は “美濃内侍” となり、5年11月15日の日の出に生む子の名はワカタリヒコぞ。
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たかよりは ひのまえもふて
うちまろか たちてまこうむ ゐこころか いむなおこえは
たかよりか いむなたかよし なはうちと たけうちまろそ
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タカヨリは 日の前 詣で
ウチマロが 館で孫生む ヰココロが 斎名を乞えば
タカヨリが 斎名タカヨシ 名はウチと タケウチマロぞ
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■タカヨリ
■日の前 (ひのまえ)
太陽の前宮(あひのまえみや)
の簡略です。
■ウチマロが館 (うちまろがたち)
紀の国造の 「政庁舎 兼 住居」 で、これすなわち 紀の国懸=太陽の前宮
です。
▶紀のウチマロ ▶館
孝元天皇 ├─────オシマコト イカシコメ │ ├───ウマシタケヰココロ(=ウマシウチ) │ │ 葛城タルミ┬オウチ │ │ └──タカチ姫 ├───タケウチ │ 紀のウチマロ─┬紀ウツ │ └─ヤマトカケ姫
■ヰココロ
■タカヨシ ■ウチ ■タケウチマロ
いずれも タケウチ(武内宿禰)
を指すもので、斎名タカヨシ、名はウチ、幼名タケウチマロです。
ウチ(内) は アマテルの 内宮
を表すもので、日の前ムカツ姫の聖域=太陽畏原
の換言です。
現在も 和歌山市宇須(うず)、和歌山市宇治(うじ)薮下
などに残ります。
【概意】
タカヨリは日の前に詣でると、紀の館でウチマロの孫が生れ、
父のウマシタケヰココロが斎名を乞えば、
タカヨリが、斎名 “タカヨシ”、名は “ウチ” と名づく
“タケウチマロ” ぞ。
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きしとへは たかよりのほる うちまろも うちみやにゆき
ことほきす きみよろこひて いむなこふ
うちまろささく うちひとは よつきみこなり
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雉 飛べば タカヨリ上る
ウチマロも 内宮に行き 寿す 君 喜びて 斎名請ふ
ウチマロ捧ぐ ウチヒトは 代嗣御子なり
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■ウチヒト
ワカタリヒコ
の斎名です。 ▶斎名
ここには、生まれてすぐに ウチヒト
と斎名を付けられ、同時に代嗣御子となったかの
ように書かれていますが、実際には ヲウス(斎名モチヒト)
と オウス(斎名ハナヒコ)
が
帰天した後のことだろうと考えます。
【概意】
<時を同じくして、ヤサカイリ姫もワカタリヒコを生み>
それを告げる伝令が飛べば、タカヨリは都に上る。
ウチマロも内つの宮に行きて寿ぎすれば、君は喜びて
斎名を請う。
ウチマロの捧ぐ “ウチヒト” は 代嗣御子なり。
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みのうちめ なるすけうむこ ゐもきひこ いむなすすきね
おしわけと わかやまとねと おおすわけ つきぬのしひめ
ぬなきひめ かのこよりひめ ゐもきひめ ゐそさきひこに
きひゑひこ つきたかきひめ おとひめそ
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“美濃内侍” なる典侍
生む子 ヰモキヒコ 斎名ススキネ
オシワケと ワカヤマトネと オオスワケ 次ヌノシ姫
ヌナキ姫 カノコヨリ姫 ヰモキ姫 ヰソサキヒコに
キビヱヒコ 次タカキ姫 オト姫ぞ
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■美濃内侍 (みのうちめ)
“美濃内侍” と通称された ヤサカイリ姫
は、ワカタリヒコを生んで 典侍
に昇格します。
■ヰモキヒコ・ヰモキイリヒコ ■ススキネ
ヤサカイリ姫 が生んだ景行天皇の4男で、斎名がススキネです。
記紀には 五百木之入日子命 /
五百城入彦皇子 と記されます。
■オシワケ
ヤサカイリ姫 が生んだ景行天皇の5男です。
記紀には 押別命 /
忍之別皇子 と記されます。
押別神社 (おしわけじんじゃ)
和泉国大鳥郡。大阪府堺市西区鳳北町1-1-2、大鳥大社境内社。
現在の祭神:押別命
■ワカヤマトネ
ヤサカイリ姫 が生んだ景行天皇の6男です。
記紀には 倭根子命 /
稚倭根子皇子 と記されます。
■オオスワケ
ヤサカイリ姫 が生んだ景行天皇の7男です。
日本書紀には 大酢別皇子
と記されます。
■ヌノシ姫 (ぬのしひめ)
ヤサカイリ姫 が生んだ景行天皇の長女です。
記紀には 沼代カ女 /
渟熨斗皇女 と記されます。
伊奈波神社
(いなばじんじゃ)
美濃国厚見郡。岐阜市伊奈波通り1-1。
現在の祭神:五十瓊敷入彦命、淳熨斗媛命 (后)、
日葉酢媛命 (母)、彦多都彦命 (外祖父)、物部十千根命
(功臣)
■ヌナキ姫 (ぬなきひめ)
ヤサカイリ姫 が生んだ景行天皇の次女です。
記紀には 沼名木カ女
/ 渟名城皇女
と記されます。
■カノコヨリ姫 (かのこよりひめ)
ヤサカイリ姫 が生んだ景行天皇の3女です。
記紀には 香余理比売命 /
麛依姫皇女 と記されます。
■ヰモキ姫 (ゐもきひめ)
ヤサカイリ姫 が生んだ景行天皇の4女です。
記紀には 五百木之入日売命 /
五百城入姫皇女 と記されます。
宇夫須奈神社
(うぶすなじんじゃ)
尾張国葉栗郡。愛知県一宮市木曽川町里小牧砂越83。
現在の祭神:五百入姫命
■ヰソサキヒコ
ヤサカイリ姫 が生んだ景行天皇の8男です。
日本書紀には 五十狹城入彦皇子
と記されます。
伊佐具神社
(いさぐじんじゃ)
摂津国川辺郡。兵庫県尼崎市上坂部3丁目25-18。
現在の祭神:五十狭城入彦尊
■キビヱヒコ
ヤサカイリ姫 が生んだ景行天皇の9男です。
記紀には 吉備之兄日子 /
吉備兄彦皇子 と記されます。
■タカキ姫 (たかきひめ)
ヤサカイリ姫 が生んだ景行天皇の5女です。
記紀には 高木之入日売 /
高城入姫皇女 と記されます。
■オト姫 (おとひめ)
ヤサカイリ姫 が生んだ景行天皇の6女です。
記紀には 弟比売命 /
弟姫皇女 と記されます。
【概意】
美濃内侍が典侍となって生む子は、
ヰモキヒコの斎名ススキネ、オシワケ、ワカヤマトネ、オオスワケ。
次はヌノシ姫、ヌナキ姫、カノコヨリ姫、ヰモキ姫、ヰソサキヒコ、キビヱヒコ。
次にタカキ姫、オト姫ぞ。
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またいわつくの このみつは いらつめみおの すけうむこ
ゐものめくすこ うちをきみ
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またイワツクの 子のミヅハイラツ姫 “ミオの典侍”
生む子
ヰモノ姫クスコ 内親王
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■イワツク
垂仁天皇の7男 イワツクワケ
の略です。 ▶系図
おそらくこの時点では ミオ(=近江)
の領主となっています。
日本書紀には 三尾氏磐城別
と記され、イワツクワケ の子とされています。
水尾神社 (みおじんじゃ)
近江国高島郡。滋賀県高島郡高島町拝戸716。
現在の祭神:磐衝別命
■ミヅハイラツ姫 (みづはいらつめ) ■ミオの典侍 (みおのすけ)
イワツクワケ の娘で、景行天皇の 典侍
となり “ミオの典侍” と通称されたようです。
日本書紀には 水歯郎媛
と記され、イワツクワケの “妹” にされています。
ミヅハ(水端) は ミヅホ
の変態で、「アワ海のほとり」 を意味します。
イラツメ は イラ(苛)+ツ(=の)+メ(姫) で、イラ(苛) は イラカ(甍)
の イラ と同じ、
「上・高・頂」
などが原義です。「高貴な姫・高位の姫・典侍后」
を意味します。
■ヰモノ姫クスコ (ゐものめくすこ)
ミヅハイラツ姫 が生んだ景行天皇の7女です。クスコ
は斎名で、ヰモノ姫 は通称です。
14歳の時、初代の トヨスキ姫、2代の
ヤマト姫
の後継者として、アマテルの神霊を斎く
3代目の 御杖代
となります。
日本書紀には 五百野皇女(いほのひめみこ)
と記されます。
楠の宮 (くすのみや)
三重県志摩市浜島町南張1594-2。
現在の祭神:久須姫命(五百野皇女)
・明治40年頃に
近隣の八柱神社、若宮殿社、八重垣社、楠御前社を
合祀して、楠御前八柱神社となる。
【概意】
また イワツクワケの子のミヅハイラツ姫、“ミオの典侍”
の生む子は、
ヰモノ姫クスコ内親王。
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またいそのかみ ゐそきねの ゐかわすけうむ
かんくしと ゐなせひこまた
あへここと たかたうちうむ たけこわけ
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また軍の守 ヰソキネの ヰカワ典侍生む
カンクシと ヰナセヒコ また
アベコゴト タカタ内生む タケコワケ
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■軍の守 (いそのかみ) ■ヰソキネ
景行天皇の兄の ニシキイリヒコ(斎名ヰソキネ)
を指します。 ▶系図
イソノカミ は この場合は、国家の治安維持/警察を司る
「軍の守」 を意味します。
「御子ヰソキネと タリヒコと 望む所を 申すべし」
ヰソキネ曰く 「弓矢得ん」 タリヒコ曰く 「位得ん」
君 二御子の 望むまま 弓矢賜わる 兄の宮 「弟は位を 継ぐべし」
と 〈ホ37ー1〉
■ヰカワ典侍 (ゐかわすけ)
ヰソキネ の娘で、景行天皇の典侍となります。
日本書紀には 五十河媛(いかはひめ)
と記されます。
■カンクシ
ヰカワ姫 が生んだ景行天皇の10男で、
記紀には 神櫛皇子 / 神櫛王
と記されます。
城山神社
(きやまじんじゃ)
讃岐国阿野郡。香川県坂出市府中町本村4760。
現在の祭神:神櫛別命
■ヰナセヒコ
ヰカワ姫 が生んだ景行天皇の11男で、
記紀には 稲背入彦皇子 /
稲瀬毘古王 と記されます。
白國神社 (しらくにじんじゃ)
兵庫県姫路市白国5-15-1。
現在の祭神:稲背入彦命、阿曾武命、木花咲耶媛
■アベコゴト
オオヒコの孫で、アベタケヌガ
の子と考えられます。
日本書紀には 阿倍木事(あべこごと)
と記されます。
■タカタ内 (たかたうち)
アベコゴト の娘で、「内侍のタカタ姫」 という意です。 ▶内侍
日本書紀には 高田媛(たかたひめ)
と記されます。
■タケコワケ
タカタ姫 が生んだ景行天皇の12男です。
日本書紀には 武国凝別皇子
と記されます。
伊曾乃神社 (いそのじんじゃ)
伊予国新居郡。愛媛県西条市中野甲1649。
現在の祭神:天照大御神、武国凝別命
【概意】
また軍の守ヰソキネのヰカワ典侍が生む
カンクシとヰナセヒコ。
またアベコゴトのタカタ内侍が生む タケコワケ。
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またそをたけか たけひめは そむつきはらみ ふたこうむ
くにこりわけと くにちわけ つきみやちわけ とよとわけ
ひうかみゆきに かみなかか をたねおしもめ うむこのな
ひうかそつひこ またそをの みはかせうむこ
とよくにの いむなそをひと ひうかきみ
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また曽於タケが タケ姫は 十六月孕み 双子生む
クニコリワケと クニチワケ 次ミヤチワケ トヨトワケ
日向御幸に カミナカが ヲタネ乙下侍 生む子の名
ヒウガソツヒコ また曽於の ミハカセ生む子
トヨクニの 斎名ソヲヒト 日向君
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■曽於タケ (そをたけ) ■タケ姫 (たけひめ)
タケ は “長” の意で、「曽於国の長・曽於の国造」
を表す名と思います。 ▶ソヲ
タケ姫 はその娘ですが、こちらの “タケ” は 「長女」
を意味するのかもしれません。
日本書紀には 父娘を合せて 襲武媛(そのたけひめ)
と記されます。
■クニコリワケ
タケ姫 が生んだ双子の兄で、景行天皇の13男です。
記紀には記載がなく、先代旧事本紀に 国凝別皇子(くにこりわけのみこ)
と記されます。
■クニチワケ
タケ姫 が生んだ双子の弟で、景行天皇の14男です。
日本書紀には 国乳別皇子(くにちわけのみこ)
と記されます。
弓頭神社
(ゆみがしらじんじゃ)
福岡県久留米市三瀦町高三瀦521。
現在の祭神:国乳別皇子
■ミヤチワケ
タケ姫が 生んだ景行天皇の15男で、
日本書紀には 宮道別皇子(みやぢわけのみこ)
と記されます。
■トヨトワケ
タケ姫 が生んだ景行天皇の16男で、
日本書紀には 豊戸別皇子(とよとわけのみこ)
と記されます。
■カミナガ ■ヲタネ
カミナガは 「日向の地守」 の名と思われます。 ▶日向 ▶地守
ヲタネ は カミナガ
の娘で、景行天皇の日向御幸の折、現地で召した 乙下侍
です。
日本書紀には 父娘を合せて 日向髪長大田根
と記されます。
■ヒウガソツヒコ
ヲタネ姫 が生んだ景行天皇の17男で、
日本書紀には 日向襲津彦皇子
と記されます。
■曽於 (そを)
曽於タケ の略です。
■ミハカセ
これも 曽於タケ の娘で、日本書紀には 御刀媛(みはかしひめ)
と記されます。
■トヨクニ・トヨクニワケ・トヨクワケ ■ソヲヒト
ミハカセ姫 が生んだ景行天皇の18男で、ソヲヒトは斎名です。
記紀には 豊国別王 /
豊国別皇子と記されます。
■日向君 (ひうがきみ)
「日向国の君・日向国造」 を意味します。
【概意】
また曽於タケのタケ姫は16月孕んで双子を生む。
クニコリワケとクニヂワケ。次にミヤヂワケとトヨトワケ。
日向御幸の折に
カミナカのヲタネ姫を乙下侍とし、生む子の名は
ヒウガソツヒコ。
また曽於のミハカセ姫が生む子は、トヨクニの斎名ソヲヒトで、日向の君となる。
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すへらきのみこ をはゐそゐ めはふそむすへ やそひなり
ををうすおよひ やまとたけ ゐもきいりひこ ゐものひめ
わかたらしひこ とよくわけ むたりをみこの なおおふる
あまりなそゐこ くにあかた わけおさむその すえおおし
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皇の御子 男は五十五 女は二十六 総べ 八十一なり
ヲヲウスおよび ヤマトタケ ヰモキイリヒコ ヰモノ姫
ワカタラシヒコ トヨクワケ 六人 “親王”
の 名を帯ぶる
余り七十五子 国・県 分け治む その 末 多し
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■ヤマトタケ
後に オウス(斎名ハナヒコ)
に付けられる通称です。
■親王 (をみこ)
「皇の子女の内で上位にある子」 をいい、アコ、アミコ
とも呼ばれます。
この時代においては、その身分を示す称号となっているようです。
なお成人後は ヲキミ(▽親王) と呼ばれます。
【概意】
皇の御子は 男が55人、女は26人、総計81人なり。
ヲヲウス(=ヲウス)、ヤマトタケ(=オウス)、ヰモキイリヒコ(=ヰモキヒコ)、ヰモノ姫、
ワカタラシヒコ(=ワカタリヒコ)、トヨクワケ(=トヨクニワケ)の
6人は “親王” の名を帯びる。
他の75人の子は国や県を分け治め、その末裔の数はおびただしい。
イクメイリヒコ─┐ (垂仁天皇) ├─ヤマトヲシロワケ(景行天皇) ヒハス姫────┘ ┃ ┃ ┌ (1)ヲウス キビツヒコ─────イナヒヲイラツ姫[内宮1] ──┴ (2)オウス(=ヤマトタケ) ┃ ヤサカイリヒコ───ヤサカイリ姫[美濃内侍]───┬ (3)ワカタリヒコ ┃[→典侍→内宮2] ├ (4)ヰモキヒコ ┃ ├ (5)ヲシワケ ┃ ├ (6)ワカヤマトネ ┃ ├ (7)オオスワケ ┃ ├ (8)ヌノシ姫 ┃ ├ (9)ヌナキ姫 ┃ ├(10)カノコヨリ姫 ┃ ├(11)ヰモキ姫 ┃ ├(12)ヰソサチヒコ ┃ ├(13)キビヱヒコ ┃ ├(14)タカキ姫 ┃ └(15)オト姫 ┃ イワツクワケ────ミヅハイラツメ[ミオの典侍]──(16)ヰモノ姫クスコ ┃ ニシキイリヒコ───ヰカワ姫[典侍]───────┬(17)カンクシ ┃ └(18)ヰナセヒコ ┃ アベコゴト─────タカタ姫[内侍]────────(19)タケコワケ ┃ 曽於タケ────┬─タケ姫[内侍]────────┬(20)クニコリワケ │ ┃ ├(21)クニチワケ │ ┃ ├(22)ミヤチワケ │ ┃ └(23)トヨトワケ │ ┃ └─ミハカセ姫[内侍]───────(25)トヨクニワケ ┃ 日向カミナガ────ヲタネ姫[乙下]────────(24)ヒウガソツヒコ ほか総勢81人
本日は以上です。それではまた!