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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第198回 [2024.11.29]

第三七巻 鶏合せ 橘の文 (3)

著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com

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 垂仁天皇-3-3

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 とりあわせたちばなのあや (その3)
 鶏合せ 橘の文 https://gejirin.com/hotuma37.html
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 つきのとし かもにみゆきの みちつくり
 さらにうちはし つくりきの きつはかりはし

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 次の年 賀茂に御幸の 道造り
 新に打橋 造り木の “キヅ” は仮橋

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■打橋 (うちはし)
「橋を打つこと・橋架け」 をいいます。


■造り木 (つくりぎ)
「木で造ること・木造り・木製」 の意です。


■キヅ (▽木造・木津)
木造り(きづくり) の略で、木津(きづ) という名の 語源を説明していると考えます。


■仮橋 (かりはし)
木津川に橋を架けるとなれば、大規模長期工事となるため、
「とりあえず渡れるようにした簡易橋」 という意と思います。古代の 泉大橋 でしょうか。

 

【概意】
次の年(垂仁34年) 賀茂に御幸の道造り。
新たに橋を架け、キヅ(木津) には 木造り(きづくり) の仮橋が架かる。



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 やよひはひ やそともそろえ みやこてて たまみつやとり
 ふかかあひ みてくらおさむ みをやかみ
 やましろふちか みあえなす みかきふねより かもにゆき
 わけいかつちの おほかみに みてくらおさめ

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 三月初日 八十供そろえ 都出て タマミツ宿り
 二日 河合 幣 納む 御祖神
 山背フチが 御饗なす 三日 キフネより 賀茂に行き
 ワケイカツチの 皇神に 幣 納め

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八十供 (やそども)

■タマミツ (▽尊見つ・玉水)
タマ(▽尊)+ミツ(見つ) で、「垂仁天皇が居合せた所」 を意味する後付けの地名と考えます。
現在の 京都府綴喜郡井手町玉水 です。


河合 (かあひ)
「川の合う所・川の間」 の意で、特に 鴨川と高野川が合流する辺り をいいます。
いわゆる シモガモ(下賀茂・下鴨) で、ここに 御祖神 の新社があります。

 賀茂御祖神社 (かもみおやじんじゃ)
 山城国愛宕郡。京都府京都市左京区下鴨泉川町59。
 現在の祭神:玉依姫命、賀茂建角身命
 ・通称 下鴨神社


幣 (みてぐら)
 
■山背フチ (やましろふち)
「山背の国造」 を意味する個人名です。 ▶山背 ▶国造
日本書紀は 大国県主のサラス と混同して、山背大国不遅 と記します。

 フチ は フス(付す) の名詞形で、「合わせ・まとめ・統べ」  などが原義。
 ですから マスヒト の換言です。


御饗 (みあえ)

キフネ

賀茂 (かも)
河合の 「下鴨」 に対して、これは 「上賀茂」 をいいます。
新造された 賀茂別雷神社(=上賀茂神社) をいいます。

 賀茂別雷神社 (かもわけいかづちじんじゃ)
 山城国愛宕郡。京都府京都市北区上賀茂本山339。 
 現在の祭神:賀茂別雷大神


ワケイカツチの皇神 (わけいかつちのおほかみ)

 

【概意】
3月1日、供を揃えて都を出て、タマミツに宿り、
2日、河合の御祖神の新社に詣でて幣を納め、山背フチが御饗をなす。
3日、キフネに詣でてから賀茂(上賀茂)に行き、ワケイカツチの皇神に幣を納めば、



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 かもすみか にいとのまえに とりけあふ きみたのしめは
 わらんへか いろよきとりお ほめいわく いよかまはたよ
 きみとけす まてにとふいま わらんへか かまはたはなに
 いわくこれ はやりうたなり おほくにか むすめかまはた
 うつくしく あめにかかやく これなつく

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 カモスミが 新殿前に 鶏 蹴合ふ 君 楽しめば
 童が 色良き鶏を 褒め曰く 「いよ!カマハタよ!」
 君 解けず 左右に問ふ 「今 童んべが カマハタは何?」
 曰く 「これ 流行り歌なり 大国が 娘カマハタ
 美しく あめに輝く これ名づく」

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カモスミ (▽賀茂統み)
「賀茂を統べる者」 という意で、「賀茂の県主」 を表し、“オオカモ” の換言です。
旧事紀は オオカモ と カモスミ を1つに合せて、大鴨積命 と記します。


■新殿 (にいとの)
上/下の賀茂に纏られる神 (別雷神+御祖神)斎主、かつ 賀茂の県主となった
「カモスミの新殿」 で、賀茂の神の社務所 + 賀茂県庁舎 + カモスミの住宅 です。
賀茂別雷神社 の傍にあったと考えられます。


■鶏蹴合ふ (とりけあふ)
このアヤのタイトルの “鶏合せ” は、このことをいいます。 ▶鶏合せ
ケアフ(蹴合ふ) は、ケ(‘蹴る’ の連用形)+アフ(合ふ) の連結です。


童 (わらんべ・わらべ)

■流行り歌 (はやりうた)
「はやりの言い方・流行のフレーズ」 です。 ▶ウタ


■大国 (おほくに)
山背国の 「大国県の主」 をいい、“サラス” とも呼ばれます。 ▶サラス
“大国県” は 後の 宇治郡大国郷 で、おおよそ現在の 宇治市 と考えていいかと思います。


■カマハタ
大国県主サラスの娘で、日本書紀には 綺戸辺(かにはたとべ) と記されます。


■あめに輝く (あめにかがやく)
アメ は アム(▽上む) の名詞形で、「高まるさま・盛んなさま・甚だしいさま」 を意味します。
ですから 「大いに輝く」 という意です。 ▶かがやく

 

【概意】
カモスミの新殿前で鶏が蹴り合う。君が楽しんでいると、童が、色良き鶏を褒めて曰く、
「いよ!カマハタよ!」 君は解けず左右に問う。「いま童の “カマハタ” は何?」
曰く、「これは流行りの言い方なり。大国の娘のカマハタは美しくて、大いに名が上がっており、
これを名づけたもの。」



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 よかうちにゆく みちすから よきひとえんは しるしあれ
 ほことりいのり おほかめお つけはなるいし
 これしるし うちのかめいし

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 四日宇治に行く 道すがら 「良き人得んば しるしあれ」
 矛取り 祈り 大亀を 突けばなる石
 これしるし “宇治の亀石”

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■宇治・内 (うち・うぢ)
「山背国の宇治」 で、現在の 京都府宇治市宇治 です。
ウヂ(宇治) は “宇治川” を語源とする地名と考えています。 ▶宇治川
ここは サラスが治める大国県の管轄と思われます。(つまりカマハタを見に行った!?)


■道すがら (みちすがら)
スガラ は スグ(過ぐ) の連体形 スグル(過ぐる) の名詞形です。
ですから 「道を過ぎ行く時・道中・途中」 を意味します。


■良き人 (よきひと)
この場合は、これまでに3人を失った垂仁天皇の、
「4人目の 内宮(=正妃) となる人」 を意味します。


しるし (印・標・徴)

宇治の亀石 (うぢのかめいし)
興聖寺 (京都府宇治市宇治山田27) の前の、やや上手の 宇治川右岸にある石が
その亀石であると伝えられます。 ▶画像

 

【概意】
3月4日 宇治に行く道すがら、「良き人を得るならしるしあれ」 と、
矛を手に取って祈り、大亀を突けばなる石。これしるし “宇治の亀石”。



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 かえるのち さらすかむすめ よひのほせ かまはたとへお
 きさきとし いわつくわけの みこおうむ いむなとりひこ
 ふちかめの かりはたとへも みをやわけ ゐいしたりひこ
 ゐたけわけ みたりうむなり

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 帰る後 サラスが娘 呼び上せ カマハタトベを
 后とし イワツクワケの 御子を生む 斎名トリヒコ
 フチが姫の カリハタトベも ミヲヤワケ ヰイシタリヒコ
 ヰタケワケ 三人生むなり

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■カマハタトベ
カマハタ と同じです。トベ は この場合は 「妻・后」 を表します。
日本書紀には 綺戸辺(かにはたとべ) と記されます。

 
■イワツクワケ ■トリヒコ (斎名)
4人目の 内宮(=正妃) となった カマハタトベ が生んだ 垂仁天皇の7男で、
斎名は トリヒコ です。イワツク(岩突く) は 「亀を突いて石となる」 ことを言うように思います。
また トリヒコ の “トリ” は 鶏合せ から来ているのでしょう。
日本書紀には 磐衝別命 と記されます。


■フチ
山背フチ の略です。


■カリハタトベ
山背フチの娘で、垂仁天皇はこの姫も后に召しました。
日本書紀には 苅幡戸辺 と記されます。


■ミヲヤワケ
カリハタトベ が生んだ 垂仁天皇の8男です。
日本書紀には 祖別(おおぢわけ)命 と記されます。


■ヰイシタリヒコ
カリハタトベ が生んだ 垂仁天皇の9男です。
日本書紀には 五十日足彦(いかたらしひこ)命 と記されます。


■ヰタケワケ
カリハタトベ が生んだ 垂仁天皇の10男です。
日本書紀には 胆武別(いたけるわけ)命 と記されます。



 ミマキイリヒコ─┐
  (崇神天皇)  ├────イクメイリヒコ(斎名ヰソサチ:垂仁天皇)
 ミマキ姫────┘       ┃
                 ┃
 ヒコヰマス────────サホ姫[内宮1]───────(1)ホンツワケ
                 ┃
 ツヅキタルネ─────┬─カバヰツキ姫[内宮2]────(2)ヤマト姫
            │    ┃
            └─カクヤ姫[内侍]       ┌(3)ニシキイリヒコ(斎名ヰソキネ)
                 ┃          ├(4)ヤマトヲシロワケ(斎名タリヒコ)
 タニハチヌシ─────┬─ヒハス姫[内宮3]─────┼(5)オオナカ姫
            │    ┃          └(6)ワカキニ(斎名ハルヒコ)
            ├─ヌハタニイリ姫[典侍]-──┬(7)ヌテシワケ
            │    ┃         └(8)イカタラシ姫
            ├─マトノ姫[内侍]
            │    ┃         ┌(9)イケハヤワケ
            └─アサミニイリ姫[内侍]-──┴(10)アサツ姫
                 ┃
 大国サラス────────カマハタトベ[内宮4]────(11)イワツクワケ(斎名トリヒコ)
                 ┃
 山背フチ─────────カリハタトベ[?]─────┬(12)ミヲヤワケ
                           ├(13)ヰイシタリヒコ
                           └(14)ヰタケワケ

 

【概意】
都に帰った後、サラスの娘を呼び上せ、
カマハタトベを正妃とすれば、イワツクワケの御子を生む。斎名トリヒコ。
フチが姫のカリハタトベも、ミヲヤワケ・ヰイシタリヒコ・ヰタケワケ の3人生むなり。


 こうして3度正妃を失った天皇は、新たに美人皇后を迎え入れることができました。
 またモテモテの娘をどこに嫁がせればいいかと、タタネコに相談したサラスの悩みは、
 意外な、そしてこの上ない結末で解決しました。
 すべては荒れ果てた宮を新築してカモの神を崇めた御利益でしょうか。



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 みそゐほの なつきゐそきね たかいしと ちぬのいけほる
 めつきほる さきとあとみと もろくにに やものいけみそ
 つくらしむ なりわひふえて たみとめる

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 三十五年の 九月 ヰソキネ 高石と 茅渟の池掘る
 十月掘る 狭城と迹見と 諸国に 八百の池溝
 造らしむ 成り生ひ増えて 民 富める

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ヰソキネ
3人目の内宮だった ヒハス姫 が生んだ 垂仁天皇の2男 ニシキイリヒコ の斎名です。
本人の希望により、弓矢 (治安維持・警察) の司の地位を得ています。 ▶系図

 「御子ヰソキネと タリヒコと 望む所を 申すべし」
 
ヰソキネ曰く 「弓矢得ん」 タリヒコ曰く 「位得ん」
 君 二御子の 望むまま 弓矢賜わる 兄の宮 「弟は位を 継ぐべし」 と 
〈ホ37ー1〉


■高石 (たかいし) ■茅渟 (ちぬ) ■狭城 (さき) ■迹見 (あとみ)
ヰソキネが掘った農業用溜池の名で、漢字表記は日本書紀によります。
高石の池 は現在の 大阪府高石市、茅渟の池 は 大阪府泉佐野市下互屋南町
狭城の池 は 奈良県奈良市佐紀町、迹見の池 は 奈良県大和郡山市池之内町
にあったと言われますが、確かなことはわかりません。


成り生ひ (なりわひ・なりはひ)

 

【概意】
垂仁35年の9月、ヰソキネは高石と茅渟の池を掘る。
10月には狭城と迹見の池を掘り、諸国に多くの池溝を造らしむ。
これにより生産量が増えて民は豊かに。



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 みそなほはつひ をみゑたつ たりひこはそや よつきみこ
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 三十七年初日 ヲミヱ立つ タリヒコは十八 代嗣御子
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タリヒコ
同じく ヒハス姫 が生んだ 垂仁天皇の3男 ヤマトヲシロワケの斎名です。 ▶系図

 

【概意】
垂仁37年元日ヲミヱ、18歳のタリヒコを皇太子に立てる。

 タリヒコは すでに皇太子に内定していましたが、
 この日それを公式に内外に示します。いわゆる 立太子の礼 です。



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 みそこほめつき ゐそきねは うちみてつくる ちつるきお
 あかはたかとも なおつけて おしさかにおく
 このときに しとりへたてへ おほあなし ゆみやはつかし
 たまへかみ あまのおさかへ ちのへきへ たちはかせへの
 としなへお あはせたまわる

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 三十九年十月 ヰソキネは 打身で造る 千剣を
 “アカハタカ” とも 名を付けて 押境に置く
 この時に シトリ侍、タテ侍、オホアナ師、弓・矢・刃造師、
 タマベ守、天のオサカ侍、地のヘキ侍、太刀佩かせ侍 の
 十品侍を 合わせ賜わる

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■打身で造る (うちみでつくる)
「身を打ち叩いて造る・鍛造する」 の意に解しています。


■アカハタカ (▽赤叩)
アカ(赤)+ハタカ で、ハタカ は ハタク(叩く) の名詞形。
熱の鉄をいて造った剣・鍛造の剣」 を意味すると考えます。
日本書紀は 裸伴(あかはだかとも) と記しています。


押境 (おしさか)
オシ(押)+サカ(境) で、オシ は オサム(収む・納む) の母動詞 オス の名詞形、
つまり “押入れ” の オシ です。ですからこれは地名ではなく、「収納する区画・収納所・倉庫」
を意味すると考えます。そしてこの倉庫が 石上神宮(後述) の起源と考えています。


■シトリ侍 (しとりべ)
「下級の警察官」 を意味します。
日本書紀には 倭文部(しとりべ) と記されます。

 シトリ は シヅリ(垂り) の変態で、「下・劣・乙」 などが原義です。 ▶ベ(侍・部)
 よって 「下級公務員」 を意味しますが、この場合は ヰソキネ(警察の司) の配下の公務員、
 つまり 「下級の警察官」 をいいます。

 しとべ【豎・従】〈広辞苑〉
 (シリトリベ (後取部) の約。シトリベとも) 主人の後に従って仕える者。ともびと。従者。


■タテ侍 (たてべ:▽立侍)
下級警察官の “シトリ侍” に対して 「上級警察官」 をいうものと思います。
タテ は タツ(立つ) の名詞形で、「上にあるさま・高いさま」 を意味します。
日本書紀は 楯部(たてべ) と記します。


■オホアナ師 (おほあなし:▽大兄師)
“シトリ侍”  “タテ侍” に対して、「最上級の警察官」 をいうものと思います。
日本書紀には 大穴磯部(おほあなしべ) と記します。

 オホ(大)+アナ+シ(師) の、アナ は アニ(兄)・アネ(姉) の変態で、「上」 が原義。
 シ(師) は スル(為る) の名詞形で、「就く者・仕える者」 をいい、ベ(侍・部) の換言です。


■弓・矢・刃造師 (ゆみ・や・は・つかし)
「武器 (弓・矢・刃) の製造に従事する公務員」 をいいます。
日本書紀には 泊橿部(はつかしべ) と記されます。

 ★造師 (つかし)
 ツカ+シ(師) で、ツカ は ツクル(造る・作る) の母動詞 “ツク” の名詞形です。


■タマベ守 (たまべかみ:▽尊瓮守)
タマ(▽尊)ベ(瓮)カミ(守) で、タマベ は 斎瓮(いんべ) の換言です。
「祭祀用の尊い器の守り・斎瓮の製造に従事する公務員」 を意味します。

 かつて神武天皇は 「神を祭れよ 香具山の 埴の枚手に ヒモロケ」 という
 夢の告げに従い、斎瓮を造って神を祭り、敵軍との戦いに勝利します。
 以来、斎瓮は戦勝を神に祈願する上で欠かせないものとなったようです。


■天のオサカ侍 (あまのおさかべ)
アメ(天)オサカ(央境) は同義語で、どちらも 「中心・中央」 を意味します。
ですから 「中央(都)を守る警察官」 をいい、今で言えば 「警視庁に配属される警官」 でしょうか。
日本書紀には 神刑部(かむおさかべ) と記されます。


■地のヘキ侍 (ちのへきべ)
これも チ(地)ヘキ(僻) は同義語で、どちらも 「地方・僻地」 を意味します。
ですから 「地方の国を守る警察官」 をいい、今で言えば 「各県警に配属される警官」 でしょうか。
日本書紀には 日置部(ひおきべ) と記されます。


■太刀佩かせ侍 (たちはかせべ)
これは文字通りで、「平時より太刀(武器)を携帯させる警官」 をいうのでしょう。
日本書紀には 太刀佩部(たちはきべ) と記されます。


■十品侍・十品部 (としなべ)
上に列挙した 「10種の公務員・10種のモノノベ」 をいいます。 ▶品

 

【概意】
垂仁39年10月。
ヰソキネは鍛造した千剣を “赤叩” とも名を付けて 収納所に置く。
この時に シトリ侍、タテ侍、オホアナ師、弓・矢・刃の造師、タマベ守、
天のオサカ侍、地のヘキ侍、太刀佩かせ侍の、十品侍を賜わる。



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 にしきみこ ちつるきうつす いそのかみ
 かみかかすかの いちかわに つけおさめしむ
 にしきみこ つかさとなせる

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 ニシキ御子 千剣 映す “軍の神”
 神が春日の イチカワに 告げ収めしむ
 ニシキ御子 司となせる

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■ニシキ御子 (にしきみこ)
ニシキイリヒコ(斎名ヰソキネ) を指します。


■千剣映す軍の神 (ちつるぎうつすいそのかみ)
「千剣に映す/写す軍の神」 の意で、これは 「千剣に軍神を纏る」 という意味です。 ▶纏る
これが 石上神宮 の創始と考えます。その社殿は つまり 千剣の倉庫(=押境) です。

 兵器を 幣に 占問えば “吉” 弓・矢・太刀 諸の社に 納めしむ
 神部定めて よりよりに 
器に纏る 初めなり 
〈ホ37-1〉

 ★軍の神 (いそのかみ)
 イソ は イス(▽結す) の名詞形で、「合わせ・交わり・集まり・群れ」 などを原義とし、
 イクサ(軍/戦) の換言です。ですから 「軍の神・戦の神」 という意です。

 石上神宮 (いそのかみじんぐう)
 大和国山辺郡。奈良県天理市布留町384。 
 現在の祭神:布都御魂大神(フツの神霊の剣)、布留御魂大神(十種神宝)、
       布都斯魂大神(ソサノヲの十握剣)、宇麻志麻治命、
       五十瓊敷命、白河天皇、市川臣命


■春日のイチカワ (かすがのいちかわ)
春日県 の主」 を意味する名と考えます。イチカワ は イツ(▽結つ)+カフ(交ふ) の名詞形で、
「結び交じえる者・結い統べる者」 の意と思案中です。
春日親王(かすがをきみ) の7世の孫で、ヒコクニフク の玄孫のようです。
“市河” また “市川臣命” と記されます。

  『石上神宮略記
 市川臣命は第5代孝昭天皇の皇子天足彦国押人命の後裔、米餅搗大使主命の御子にます。


■収めしむ (おさめしむ)
これも 「千剣に軍の神を纏らしむ」 の意と考えます。


司 (つかさ)
この場合は 「千剣を管理する司」、また 千剣に纏られた 「軍の神を世話する司」 です。

 

【概意】
ニシキ御子は “軍の神” を千剣に映す。
軍の神が春日のイチカワに告げて <千剣に> 収めしむ。
天皇はニシキ御子を司となす。

 

本日は以上です。それではまた!

 

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