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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第203回 [2024.x.x]

第三八巻 ヒシロの代 クマソ打つ文 (3)

著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com

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 景行天皇ー1-3

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 ひしろのよくまそうつあや (その3)
 ヒシロの代 クマソ打つ文 https://gejirin.com/hotuma38.html
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 そふほはつはる みののくに かんほねかめの
 ゑととおこ くにのいろあり ををうすお やりてよはしむ
 をうすみこ みのにいたりて すかたみて ひそかにめしつ
 ととまりて かえことなさす ことしそひ たけはやたなり
 きみとかめ みやこにいれす

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 十二年初春 美濃の国 カンホネが姫の
 姉妹トオコ 地の色あり ヲヲウスを 遣りて呼ばしむ
 ヲウス御子 美濃に到りて 姿見て 密かに召しつ
 留まりて 返言なさず 今年十一 丈は八尺なり
 君 咎め 都に入れず

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■カンホネ
ホツマはこの人物の出自を説明していませんが、古事記は
ヒコヰマス と 息長水依姫 の子で、神大根王、別名を 八瓜入日子王 と記します。
日本書紀は 神骨(かむぼね) と記し、美濃の国造としています。

   開化天皇
     ├─────────ヒコヰマス
   オケツ姫[典侍]       ├────┬水穂真若王(アフミ)
                 │    ├丹波道主王
 ホノススミ─??─アメミカゲ─息長水依比売 ├沙本毘古王
                      ├沙本毘売命
                      ├神大根王
                      └小俣王

 伊波乃西神社 (いわのにしじんじゃ)
 美濃国各務郡。岐阜県岐阜市岩田西3丁目421。 
 現在の祭神:日子坐王、八瓜入日子王


■姉妹トオコ (ゑととおこ)
カンホネ の娘で、「姉妹のトオコ」 という意です。
つまり、姉(ゑ)トオコ と 妹(と)トオコ の、2人の トオコ がいます。
日本書紀には 兄遠子(えとほこ)弟遠子(おととほこ) と記されます。


地の色・国の色 (くにのいろ)

ヲヲウス・ヲウス

返言 (かえこと)

 

【概意】
景行12年の初春、
「美濃の国を治めるカンホネの姫、姉妹のトオコに地の色あり」
との告げがあり、ヲヲウスを遣って呼ばしめる。
ヲウス御子が美濃に到ってその姿を見ると、密かに召して美濃に留まり、返言なさず。
今年11歳、背丈は8尺なり。君は咎めてヲウスを都に入れず。



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 あふみつき くまそそむきて みつきせす
 おしてささけて みかりこふ はつきもちより みゆきなる

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 七月 "クマソ背きて 貢せず"
 オシテ捧げて 巡幸り乞ふ 八月十五日より 御幸なる

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七月 (あふみつき)

クマソ (曲襲・熊襲)

 ★襲・曽 (そ)
 日向の南、現在の 「都城市」 付近の地と考えています。
 この時点ではまだ 「曽於国 に属する一県」 と考えられますが、
 景行天皇の九州巡幸を契機として、“日向” と共に 一国として独立するようです。
 ソ(襲・曽) は 「粗・疎・末・裾」 の意で、ソヲ(曽於) と原義は 同じでしょう。


貢 (みつき・みつぎ)

■オシテ捧げて巡幸り乞ふ (おしてささげてみかりこふ)
襲 を管轄する 曽於の国造 が 「文書(嘆願書/要望書)を上げて巡幸を願う」
という意味だと思います。 ▶オシテ ▶巡幸り(みかり)

 

【概意】
(景行12年)7月、“クマソが背いて貢せず” と、
嘆願書を捧げて巡幸を乞うため、8月15日より御幸が成る。



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 なのゐかいたる すはうさは
 ときにすへらき さおのそみ さかいきたつは つつかかや
 おほのたけもろ きのうなて ものへなつはな
 このみたり やりてかたちお みせしむる

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 九月の五日到る 周防佐波
 時に皇 南を望み 「逆息立つは 恙かや」
 オホのタケモロ 紀のウナテ モノベナツハナ
 この三人 遣りて形を 見せしむる

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■九月 (な)
ナツキ(九月・長月) の略です。

 
■周防 (すはう) ■佐波 (さば)
スハウ は 後の 周防国(すおうのくに) で、現在の 「山口県東部」 です。
サバ は 周防国の中心地域の名で、後の 佐波(さば)郡 をいい、
現在も 山口県防府市内 の地名や、佐波川 の名に残ります。
日本書紀は 周芳娑麼 と記します。

 スハウ、サバ は いずれも スワ(岨・諏訪) の変態と考えます。


■逆息 (さかいき)
サカ(盛)+イキ(息) が原義で、「激しい息づかい」 の意と考えます。
これは 周防佐波から南(九州方面)を眺める 「天皇の息づかいが荒くなった」
ことを言うものと思います。

 さかいき【逆息】〈広辞苑〉
 息ぜわしいこと。せくこと。


恙 (つつが)
この場合は 邪霊などによる 「障り・支障・悪影響」 などを意味します。

  
■オホのタケモロ
オホ(多・大・太・意富)タケ(▽違)+モロ(▽守) で、“オホのタケ” は 「多の県」、
モロ は モリ の変態で 「守」 を表し、大和国の 「多県の主」 を意味する名です。
日本書紀には 多臣(おほのおみ)の祖、武諸木(たけもろき) と記されます。

 神八井耳命─武宇都彦命─武速前命─敷衍彦命─武恵賀前命─武諸木
 (https://www.his-trip.info/keizu/k002.htmlによる)

オホ(多・大・太・意富) は イホ(▽斎) の変態で、
イホの臣(斎の臣) と呼ばれた ミシリツヒコ(=カンヤヰミミ) を意味します。
イホの臣の神霊を纏る県が “多県” で、その県主が オホのタケモロ です。

 
■紀のウナテ (きのうなて)
キ(紀) の ウナ(項)テ(手・▽方) で、「紀の 上つ方」 を原義とし、
「紀の国造」 を意味する名と考えます。紀ウツ の換言ではないかと思います。
日本書紀には 国前臣祖、菟名手(うなて) と記されます。

 孝元天皇
   ├─────オシマコト
 イカシコメ     │
           ├───ウマシウチ(=ウマシタケヰココロ)
           │      │
 葛城タルミ┬オウチ │      │
      └──タカチ姫     ├───タケウチ
                  │
      紀のウチマロ─┬紀ウツ │
             └─ヤマトカケ姫

 
■モノベナツハナ
“モノベ” とありますが、ウマシマチ を祖とする 物部氏 の系統ではなく、
トヨキイリヒコ(斎名シキヒト) の曾孫で 毛野氏 の祖だといいます。
日本書紀は 物部君の祖、夏花(なつはな) と記します。

 〈出典:毛野氏族概覧〉
 毛野氏族 は当初から二流あって、上野東部から下野に展開した 御諸別命 の系統と、
 その弟の 夏花命 の系統であり、夏花命後裔は上野西部に展開して物部君・朝倉君等の
 諸氏となったとみられる。

 崇神天皇─トヨキイリヒコ─ヤツナダ─彦狭島┬御諸別 
                       │   
                        └ナツハナ
 (https://www.his-trip.info/keizu/k102.htmlによる)

 

【概意】
9月5日に到る周防国の佐波。時に皇は南(九州方面)を望み、
「こうして息が荒くなるのは <九州からの> 障りだろうか?」 と、
オホのタケモロ、紀のウナテ、モノベナツハナ の3人を遣って
九州の情勢を探らせる。



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 かんかしひめは ひとのかみ みつかひききて
 しつやまの さかきおぬきて かんつゑに やつかのつるき
 やたかかみ しもまかたまや しらはたお ともへにかけて

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 カンカシ姫は 人の頭 御使ひ聞きて
 シツ山の 榊を抜きて 上つ枝に 八握の剣
 八尺鏡 下 環珠や 白旗を 艫舳に掛けて

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■カンカシ姫 (かんかしひめ)
この頃 九州の宇佐周辺の民を統率している女酋長で、
日本書紀は 神夏磯媛 と記します。

 カン(上・尊)+カシ(▽畏) で、カン は 「御上」 の換言。
 カシ は カス(▽上す) の 名詞形で、「かしこむさま・敬うさま」 を表します。


■人の頭 (ひとのかみ)
これは 天の守(あめのかみ) に対する言葉で、
「天 (御上・中央政府) が任命した 地守 ではない司・非正規のリーダー」 をいいます。

 これは、この地域では 御上/中央政府が敷く 地方の統治システムが
 崩壊していることを意味します。そのため民は賊の略奪から生活を
 自衛するために団結し、その集団を率いる酋長が カンカシ姫 です。


■御使ひ (みつかひ)
天皇が派遣した オホのタケモロ、紀のウナテ、モノベナツハナ の偵察部隊をいいます。
ヲシカ(御使) の換言です。


■シツ山 (しつやま)
これは特定の山の名ではなく、シツ(▽親つ)+ヤマ(山) で、
「近しい山・なじみの山」 の意に解しています。
日本書紀は 磯津山(しつのやま) と記します。


榊・賢木 (さかき)

  
■八握の剣 (やつかのつるぎ) ■八尺鏡 (やたかがみ) ■環珠 (まかたま)
皇位の証である 三種宝 の代用品で、やはり 天 (中央政府) の権威を象徴するものです。

 八握の剣 (8握みの長さの剣) : 八重垣の剣 の代用品
 八尺鏡 (直径8尺の鏡)    : ヤタの鏡 の代用品
 環珠 (まん丸の玉)       : ヤサカニのマカリ珠 の代用品。

 この三種の器を 榊の枝 に飾ることによって、天皇を敬って恭順する意を示しています。


白旗 (しらはた)
“お気に召すまま何色にでも染めてください” というメッセージでしょう。
これもやはり 「恭順・服従」 の意志を表示する旗です。


艫舳 (ともへ)
「船尾と船首」 をいいます。

 

【概意】
人の頭 (非正規の酋長)であるカンカシ姫は、
皇の使いが来ることを知ると、近くの山の榊を抜いて、
上枝に八握の剣、中枝に八尺鏡 下枝には環珠を付け、
船首と船尾には白旗を掛けて、〈海上に出迎えて曰く〉



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 わかたくひ たかはすあめの めくみえん
 たたそこなふは はなたれか みたりまたかり なおかりて
 うさにたむろし なりひひく
 またみみたれも むさほりて たみおかすむる みけかわゑ

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 「我が類 違わず天の 恵み得ん
 ただ害ふは ハナタレが みだり跨り 名を借りて
 ウサに屯し 鳴り響く
 またミミタレも 貧りて 民を掠むる ミケ川縁」

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■我が類 (わがたぐひ)
「カンカシ姫が率いる民の集団」 をいいます。

 ★類 (たぐひ)
 タグフ(類ふ・比ふ) の名詞形で、タグフ は タガフ(違ふ・▽互ふ) の変態。
 「往き来する間柄・相互関係のもの・交際する仲間」 などの意です。


■違わず (たがはず・たがわず)
「まちがいなく・それることなく・一途に」 などの意です。
ここでは タグヒ(類) にシャレているものと思われます。


■天の恵み (あめのめぐみ)
「御上(中央政府) の統治がもたらす 庇護・恩恵」 をいいます。 ▶天


■ハナタレ
民から略奪を繰り返す賊の1番手です。
日本書紀には 鼻垂(はなたり) と記されます。

  
■みだり跨る (みだりまたがる)
ミダリ は 「みだりに」 の意でしょう。
マタガル(跨る) は マタグ(跨ぐ)+カル(上る) の同義語連結で、
「上がる・高まる・越す・何かの上に乗る・身の程を越える」 などが原義です。


■名を借りて (なおかりて)
「(天の・御上の) 名を借りて」 という意で、これは “みだり跨る” の換言です。
「中央政府から任命を受けた正規の地守といつわって」 ということです。 ▶地守


■ウサ
豊の国 の中心都市の ウサ宮 をいうと考えますが、
日本書紀には “菟狹(うさ)の川上” と記されます。
菟狹川 は 駅館川(やっかんがわ) の古名です。


■鳴り響く (なりひびく)
“我こそは御上の命を受けた地守なるぞ” と、「鳴り響かせる・言いふらす」 という意です。


■ミミタレ
民を略奪する賊の2番手です。
日本書紀には 耳垂(みみたり) と記されます。


貪る(むさぼる)

掠むる (かすむる)・掠める (かすめる)
カスム(掠む) の連体形で、スル(掏る)、ウバフ(奪ふ)、ヌスム(盗む) などと同義です。
この場合は 「御上の名のもとに、年貢と称して民から搾り取る」 ということです。

 ★掠む (かすむ)
 カス+スム の短縮で、カス は コスル(擦る) の母動詞 “コス” の変態。
 スム は スル(擦る・掏る) の変態で、いずれも 「そらす・ずらす」 などが原義です。

 
■ミケ川縁 (みけかわゑ)
ミケ川 は 山国川(やまくにがわ) の古名。
ヱ(縁・会) は 「合い・添い/沿い」 の意で、フチ(縁) と同じです。
日本書紀には “御木(みき)の川上” と記されます。

 川の近くは水の便が良いため田畑が多く、ゆえに人の数も
 作物の収穫量も多いので、賊が搾取するのに効率がいいわけです。

 

【概意】
「我が類は一途に御上の恵みを得たいと思う。
ただ妨げとなるのは、みだりに分を越えて御上の名を借り、
ウサを占拠して鳴り響いている ハナタレ。
また御木川の縁で貪欲に民から掠め取る ミミタレ。」



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 またあさはきも ともあつむ たかはかわまた つちおりと
 ゐおりもかくれ みとりのの かわさかたのみ かすめとる
 みなかなめちに あつまりて おさとなのるお うちたまえ

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 「またアサハキも 朋集む タカハ川 また ツチオリと
 ヰオリも隠れ ミドリ野の 川境頼み 掠め取る
 みな要地に 集まりて 長と名乗るを 討ち給え」

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■アサハキ
民を略奪する賊の3番手です。
日本書紀は 麻剥(あさはぎ) と記します。


■タカハ川 (たかはがわ)
福岡県田川市 を流れる現在の 彦山川(ひこさんがわ) でしょうか。
日本書紀は “高羽(たかは)の川上” と記します。

 
■ツチオリ ■ヰオリ
民を略奪する賊の4番手と5番手です。
日本書紀は2賊を一つにして、土折猪折(つちをりゐをり) と記します。

 
■ミドリ野の川境 (みどりののかわさか)
ドリ(▽充り・緑)ノ(野) は 「田」 の換言と考えます。
また 緑野川 は 北九州市小倉南・北区 を流れる 紫川(むらさきがわ) の説があります。
川境 は 「川による 分け目・境界・通行の遮断」 をいいます。 ▶境(さか)
日本書紀は “緑野の川上” と記します。

 “川境 頼む” とは 「川を渡るための手段 (橋・渡し船) を利用する」 という意です。
 川を渡る手段は他に無いため、これらを押さえれば、簡単に通行者から略奪できます。


■長と名のる (おさとなのる)
これも 「天/御上から任命を受けた正規の国守といつわる」 ということです。

 “長” は通常、敬意を表すため ヲサ と表記しますが、
 ここでは ニセモノ(非正規)の長 であることを示すため、
 あえて オサ と表記していると考えられます。

 

【概意】
「またタカハ川に仲間を集めるアサハキ。
またツチオリとヰオリも潜み、ミドリ野川の川境を利用して掠め取る。
みな要地に集まって長と名のる賊どもを討ち給え。」

 

本日は以上です。それではまた!

 

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