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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第204回 [2024.x.x]
第三八巻 ヒシロの代 クマソ打つ文 (4)
著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com
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景行天皇ー1-4
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ひしろのよくまそうつあや (その4)
ヒシロの代 クマソ打つ文 https://gejirin.com/hotuma38.html
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ときにたけもろ はからひて あかきぬはかま ひきてもの
ひきてあさはき めしよせて これにひかせて もろくれは
ふつくころしつ みゆきして とよのなかおに かりみやこ
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時にタケモロ 計らひて 赤衣・袴 引手物
引きてアサハキ 召し寄せて これに引かせて 諸
来れば
悉く殺しつ 御幸して 豊のナカオに 仮都
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■タケモロ
■赤衣 (あかぎぬ)
アカ(▽明)+キヌ(衣)
で、「あざやかな着物」 をいいます。
アカ は アカル(明る)
の母動詞 “アク” の名詞形。
キヌ は キル(着る)
の変態で、そのまま名詞にもなります。
■引手物 (ひきでもの)・引手 (ひきで)
「手に引いてゆく物・手に携えてゆく物」
の意で、「みやげ・贈り物」 をいいます。
今は 引出物
と当て字されています。
■アサハキ
■豊のナカオ (とよのなかお)
トヨ は 豊の国
をいい、後世の 「豊前+豊後」 です。
ナカオ は ナカ(中)+オ(央) の同義語連結で 「中央・中心」
を意味し、ミヤコ(都)
の換言です。
日本書紀には “豊前国の長峽(ながさ)県”
と記され、続けて
“ゆえにその処を名づけて京(みやこ)といふ”
と記されます。
現在も 福岡県行橋市長尾(ながお)
に名が残り、
またそのすぐ南は 福岡県京都(みやこ)郡みやこ町
といいます。
■仮都 (かりみやこ)
御幸の君が 仮宮(=臨時政府) とする施設をいい、行宮(あんぐう)
のことです。
仮宮・仮屋 とも、高宮・高屋
とも呼ばれます。
【概意】
時にタケモロは計略を練り、
赤衣や袴などの贈り物を携えてアサハキを召し寄せ、
これに他の四賊を引かせて諸が来れば、ことごとく討伐した上で、
皇は <周防佐波より>
御幸して、豊の国のナカオを仮都とする。
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めつきにいたる はやみむら をさはやみつめ もふさくは
ねつかいわやに ふつちくも なはあおくもと しらくもと
なおりねきのに みつちくも うちさるとやた くにまろと
このゐつちくも ともからの ちからつよきお あつめおく
あなかちめさは いくさせん
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十月に到る ハヤミ村 長ハヤミツメ 申さくは
「根付窟に 二土蜘蛛 名はアオクモと シラクモと
直りネギ野に 三土蜘蛛 ウチサルとヤタ クニマロと
この五土蜘蛛 朋族の 力強きを 集め置く
あながち召さば 戦せん」
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■十月 (めつき)
■ハヤミ村 (はやみむら)
ハヤ(▽栄)+ミ(見)+ムラ(村) で、ハヤ は ハヱ(栄え)
の変態です。
「(天皇御幸の) 栄光を見た村」
という意の、後付けの地名と考えます。
日本書紀は 速見邑(はやみのむら) と記します。
場所は現在の 大分県速見郡日出町(ひじまち)
のあたりと考えてます。
■ハヤミツメ
ツメ は スミ/ツミ
の変態で、「統べる者」・治める者・長」 を意味します。
ですから 「ハヤミ村を統べる者・ハヤミ村長」
を表す名です。
日本書紀は 速津媛(はやつひめ) と記します。
■根付窟 (ねづかいわや)
ネヅカ は ネヅク(根付く)
の名詞形と考えます。
イワヤ(窟) は ユワエ(結わえ)
の変態で、「締め・閉ざし・塞ぎ・防ぎ」
などが原義です。
この場合は 「要塞・防塞・砦・城」
などをいうものと思います。
ですから 「根付く窟・根拠とする砦・根城・本部」
などの意となります。
日本書紀は 鼠の石窟(ねずみのいはや) と記します。
■土蜘蛛 (つちぐも)
■アオクモ ■シラクモ
根付窟 にいる2種の土蜘蛛の名です。
アオ(阿汚)+クモ(蜘蛛・雲・隈)、シル(痴る)+クモ(蜘蛛・雲・隈)
の意と考えます。
日本書紀はそれぞれ 青(あお)、白(しろ) と記します。
■直りネギ野 (なおりねぎの)
ナオリ(直り) は 直りの県
の略で、ネギ は ネグ(祈ぐ)
の名詞形です。
これは少し後に語られるのですが、「皇が石に祈った所」
を意味します。
直りの県 の別名が ネギ野 です。日本書紀は “直入県の禰疑野”
と記します。
■ウチサル ■ヤタ ■クニマロ
直りネギ野 で暗躍する3種の土蜘蛛の名です。
日本書紀は 打猿(うちさる)、八田(やた)、国摩侶(くにまろ)
と記します。
5種の土蜘蛛は、おのおの単独ではなく連携していて、
アオクモ と シラクモ が
リーダー格なのだと思われます。
■朋族 (ともがら)
トモ(朋・伴・供・友)+カラ(殻・骸・族)
の同義語連結で、ヤカラ
の換言です。
辞書は “輩・儕”
と当てます。
■あながち
アナ は ハナハダシ(甚だし) の “ハナ”
の変態で、「甚だしいさま・激しいさま」
をいい、
カチ は カツ(▽括つ) の名詞形で、カタ(固・堅)
の変態。「固いさま」 を意味します。
今風に言えば 「ガチに」 です。
【概意】
10月にハヤミ村に到る。村長のハヤミツメが申すには、
「本拠とする砦に2種の土蜘蛛がおり、その名はアオクモとシラクモ。
直りネギ野に ウチサル、ヤタ、クニマロ の3種の土蜘蛛が網を張る。
この5土蜘蛛は朋族の力強き者を集め置くゆえ、あながち召せば戦を挑まん。」
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ここにすへらき すすみゑす
くたみのむらの かりみやに はかりていわく
もろうたは くもらおそれて かくれんと
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ここに皇 進み得ず
クタミの村の 仮宮に 諮りて曰く
「諸撃たば 蜘蛛ら恐れて 隠れん」 と
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■クタミの村 (くたみのむら)
現在の 大分県竹田市久住町大字栢木都野(みやこの)
あたりと思います。
日本書紀は 来田見邑(くたみのむら) と記します。
久住町(くじゅうまち) は 古くは 球覃郷/朽綱郷(くたみごう)
と呼ばれ、
豊後風土記に『宮処野(みやこの)、球覃(クタミ)の郷に在る野なり。
天皇土蜘蛛を征伐たむとしたまいし時、仮宮をこの野に起てたまひき』
と記されます。
宮処野神社
(みやこのじんじゃ)
大分県竹田市久住町大字仏原字宮処野。
現在の祭神:景行天皇 他
・この地の土蜘蛛を征伐した景行天皇の行宮の跡に、
景行天皇と日本武尊を合祀したのが当社の発祥と伝える。
■仮宮 (かりみや)
仮都 の換言です。
■諸撃つ (もろうつ)
モロ(諸) は ここでは “もろに” の意で、
「一挙に撃つ・一気に攻撃する・突撃する」
などの意です。
もろに【諸に】〈広辞苑〉
1.もろともに。一様に。平らに。
2.一挙に。まともに。すっかり。
【概意】
ここに皇は進み得ず、クタミの村の仮宮に諮って曰く、
「一挙に攻撃すれば、蜘蛛たちは恐れて窟に隠れよう」
と。
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つはきおとりて つちとなし たけきおえらみ
つちもつて やまおうかちて くさおわけ
いわやのくもお うちころす いなはかわへは ちたとなる
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ツバキを取りて 槌となし 猛きを選み
槌 以って 山を穿ちて 草を分け
窟の蜘蛛を 打ち殺す イナハ川辺は チタとなる
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■ツバキ (椿・海石榴)
ツブ+ハク(吐く) の短縮 ツバク(唾く)
の名詞形で、ツフ は トブ(跳ぶ・飛ぶ) の変態。
「飛び出すさま・突出」 などが原義です。
そのため “諸に撃つこと” (突進・突撃) の モノザネ
にしたものと考えます。
植物の ツバキ は 「艶吐き・艶木」 の意だと思います。 ▶艶 ▶画像
■槌 (つち)
これも 「ツチ(土)蜘蛛を叩く」 ための モノザネ
でしょう。
■イナハ川辺 (いなはかわべ)
イナハ は イナフ の名詞形で、イナフ は ユヒナフ(結ひ和ふ・結納)
の短縮。
これは 「結び和す・統べる・治める」 などの意です。
ですから 「平和に治まった川辺」
という意味だと思います。
日本書紀は “稲葉(いなば)の川上” と記します。
稲葉川
は 大野川 の古名ですから、おおよそ
イナハ川辺 = 直りネギ野 = 竹田市+豊後大野市
と考えていいと思います。
■チタ
チ(治・知)+タ(手・▽方)
で、チ は シル(知る・領る) の名詞形です。
ですから 「統治地区・知行地」 の意と考えます。
日本書紀は “血流れし処を 血田(ちた) といふ”
と記します。
大分県豊後大野市緒方町知田(ちた)
に名が残ります。
土蜘蛛の暗躍により
本来の統治システムが機能不能となっていましたが、
ここに回復して、再び正規の守による知行地となったということでしょう。
【概意】
ツバキを取りて槌と成し、猛き者を選び
槌を以って山を穿ちて草を分け、砦の蜘蛛を打ち殺す。
かくしてイナハ川辺は ふたたび知行地となる。
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またうちさるお うたんとて つはきいちより ねきやまお
こすときあたか よこやいる あめよりしけく すすみえす
きわらにかえり ふとまにみ やたおねきのに うちやふり
ここにうちさる くたりこふ ゆるさすゆえに くにまろも
たきえみおなけ ことことく ほろひをさまる
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またウチサルを 討たんとて ツバキ市より ネキ山を
越すとき仇が 横矢射る 雨より繁く 進み得ず
キワラに返り フトマニ見 ヤタをネギ野に 打ち破り
ここにウチサル 降り乞ふ 許さず 故に クニマロも
滝へ身を投げ 悉く 滅び治まる
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■ツバキ市 (つばきいち)
イチ(市) は イツ(▽結つ)
の名詞形で、「結び・寄り・集まり・群がり」
が原義です。
ですから 「ツバキが群生する所」 という意と考えます。
槌を造る時に、ツバキを採取した場所を指すと思われますが、具体的には不明です。
■ネキ山 (ねきやま)
これは特定の山の名ではなく、「そばの山」
の意に解しています。
ネギノ(祈ぎ野・禰疑野)
を意識した、語呂合せ的な言葉選びと思います。
ねき【根際】 (広辞苑)
(上方方言) きわ。そば。
■キワラ
キワ(際)+ラ(場所を表す) で、「際の所・境界の地」
の意と考えます。
この場合は 「軍事境界域」 です。
“キワラに返る” は
「戦闘地域から退いて安全地帯に戻る」
ということでしょう。
これが キハラ/キバル
という地名として残ったと考えられます。
日本書紀は 城原(きはら) と記し、大分県竹田市城原(きばる)
や
木原山(きばるやま) などにも名が残ります。
■フトマニ
【概意】
またウチサルを討とうと、ツバキ市から側の山を越す時に、敵が横矢を射る。
それは雨より激しく進み得ぬため、境界域に戻ってフトマニに占い、
ヤタをネギ野に打ち破れば、ここにウチサルは降参を願い出るも、それを許さず。
ゆえにクニマロも滝へ身を投げ、ことごとく滅んで治まる。
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そのはしめ かしはおのいし なかさむた
ははみたあつさ ひとたゐき すへらきいのり とひあかる
かれすみよろし なおりかみ もろはのやしろ さらにたて
これまつらしむ かえもふて
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その始め カシハオの石 長さ六尺
幅三尺 厚さ 一尺五寸 皇 祈り 飛び上がる
故 スミヨロシ 直り神 諸羽の社 新に建て
これ祀らしむ 返詣で
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■その始め (そのはじめ)
「その発端」 という意で、この場合は
「5土蜘蛛の討伐に成功するその発端」 ということです。
■カシハオ
カス(▽活す・▽上す)+ハフ(栄ふ) の同義語連結 “カシハフ”
の名詞形で、
「上昇・高揚・優勢・繁栄」 などの意です。
これが 嘉祥(かしょう)
に音変化したのではないかと考えます。
日本書紀は “柏峽(かしはを)の 大野(おほの)に
やどりませり” と記し、
地名として扱っています。
■直り神 (なおりかみ)
神武3年の長雨で、稲が ミモチ
に病んだ時、直りの祓
を行って凶作を防いだ
アメタネコ と クシミカタマ
を指します。
それぞれ 直り中臣(なおりなかとみ)、直りモノヌシ(なおりものぬし)
と呼ばれました。
■諸羽 (もろは)
諸羽臣 の略です。
この場合は 神武天皇の左右の臣であった アメタネコ と
クシミカタマ を指します。
ですから “直り神” と同じです。
■新に建つ (さらにたつ)
スミヨロシ、直り中臣、直りモノヌシ
の神霊を纏る社は、綏靖天皇の時代に
直りの県
に建てられていますが、それを新築したということです。
それより民の 産土と 纏るスミヨシ モノヌシと 中臣合わせ 直り神 〈ホ31ー5〉
このスミヨシ神と直り神を纏った社は現在も残ります。
志加若宮神社
(しがわかみやじんじゃ)
大分県大野郡朝地町志賀(旧)。大分県豊後大野市朝地町宮生2番地。
現在の祭神:志我神(しがのかみ)
<筆者注> 志我(シガ)はスミヨシの先祖、また孫の名です。
籾山八幡社 (もみやまはちまんしゃ)
豊後国直入郡朽網郷中野村(旧)。大分県竹田市大字長湯8352。
現在の祭神:直入物部神
・鎌倉時代に、直入物部神社(なおいりもののべじんじゃ)から、籾山八幡となる。
直入中臣神社
(なほりなかとみじんじゃ)
豊後国直入郡朽網郷(旧)。大分県由布市庄内町阿蘇野3784。
現在の祭神:直入中臣神
【概意】
その発端は嘉祥の石であった。
皇が祈ると、長さ6尺 幅3尺 厚さ1尺5寸の大石が飛び上がる。
ゆえに <土蜘蛛討伐の後>
スミヨロシ神と両羽の直り神の社を新たに建て、
3神の神霊を祀らせることでお礼参りとなす。
この地の守護神である
スミヨシ神と直り神が、巨石を飛翔させることで、
土蜘蛛を打ち治める 嘉祥
を見せてくれたものと、天皇は考えたのでしょう。
本日は以上です。それではまた!